Mintの香り

☆北国の季節を感じて下さい☆

2007年04月09日 | 家族



4月5日 母は永遠の眠りにつきました。



何度か危険な状態を乗り越え生きることを諦めずに頑張りましたが

最期は眠るように旅立って行きました。



励まして下さった方々には深く感謝しています。






母が倒れてから色々なことがありました。

父の手術、転居、退職・・・そして母の死。



弟に「天中殺とちゃう?」と言ったら

「それってもう死語じゃない?」と笑われました。

なんだか呪われてる感がしない訳でもないけど気にしてたらキリがないので

こんな時は「おりゃ~~おりゃ~~」と特上の気合を入れてみました。

天然+特上の気合=鬼に金棒でしょう。

ん?なんか言葉の使い方間違ってる?

鬼に金棒ってこう言う時に使う?

まぁ~細かいことは良いかぁ~(笑)






幾つもの病気と闘った母。

その母の傍に居れたことは幸せだったと今思います。

暖かい母に沢山触れ、冷たくなった母の横で色んな思いを語りながら夜を明かし

母との思い出が増えました。

一時は病院に行くことさえ辛い時もありましたが

目を逸らさずに母を見て母に語り続けて良かったと思っています。


みなさんからの励ましがなければ谷底に沈んだままで

後悔ばかりが残ってしまったかもしれません。






今は母の物を整理をしてるのですが

懐かしい物や面白い物が次から次へと出てきます。


弟と「これ覚えてる?」

「小学生の時に使ってた鉛筆じゃん」

「こんな物まで後生大切にしまいこんじゃってるよ」

「なんか、お母さんらしいよね」

こんな思い出を語ってばかりなので全然進みません。

しかも整理と言うよりほぼ形見分け状態で

行きは手ぶらなのに帰りは大荷物を抱えて帰宅。

物を捨てられないのはどうも母譲りのようです(笑)






「元気になったら花見に行こうね」

と言う約束は果たすことが出来ませんでした。


自己満足に過ぎないのでしょうが

お花を見せてあげたかった、そんな思いでお棺に桜を入れました。

想いが伝わると良いなと思います。



桜舞い踊る季節 桜と共に母に逢えそうな、そんな気がします。






居るのが当たり前だった人が居なくなった悲しさは大きいですが


桜が咲く季節、そして空を見上げる楽しみがまた増えました。













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食事

2007年03月18日 | 家族


今日から食事を食べれるようになりました。

今までは点滴だけだったのですが

口から物を入れれるようになったのです。



普通は看護士さんが食べさせてくれるようなんですが

私が夕食の時間に居たので私が食べさせることにしました。



今夜のメニューは

お粥、ほうれん草のおひたし、芋の煮たもの? 白身魚の煮付け、野菜スープ

母は余程食べたかったようで慌てて食べようとするので

「ちょと待ぃ~~~」

まるで子供です(笑)

自分で器を持てると言うので器とスプーンを持たせ

そしたらちゃんと口に物を運ぶことが出来ました。



あまりにも慌てて食べるので

「ゆっくり食べないと苦しくなるよ」と言っても

食べることに夢中で私の言葉なんて全く聞いていません(汗)


でも「美味しい?」と聞くと

「うん。美味しいよ」って、これもまた私の顔も見ずに。


結局は勢いよく食べ始めた割には

半分くらいしか食べれなかったのですが本人は満足のようでした。




笑い話なんですが

昨日母が「私ご飯食べなくて良いの?今日一度もご飯食べてないんだけど」と言うので

「まだご飯食べれないんだって。でも薬で栄養取れてるから大丈夫だよ」と言うと

母は「そうなの?ご飯食べなくて良いなんて変だなって思ったから」って・・・

昨日から食欲があったんです。

元気になってきた証拠ですね。




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歩きました

2007年03月17日 | 家族

母が歩きました。

とは言っても車輪が付いた棒に捕まり

看護婦さんに付き添われながらではありますが

自分の足で歩いたんです。

そして少しだけ頭の回線が今と繋がりかけています。



実はここ数日母の状態は決して良いとは言えず

まるで別人を見てるようでした。

言葉は悪いですが言葉を話せるチンパンジー

そんな感じさえしました。



少しずつ体が動くようになり

でもそれがかえって裏目になりベッドから勝手に出ようとして落ちたり

点滴の針を抜き血だらけになったりで

1人にしておくのが危険だとの判断で

車椅子に紐のようなもので括り付けられ

ナースステーションに保護されてる状態でした。



何も訳が分からず良いことも悪いことも・・・

そんな母を宥めたり怒ったりしてても無意味のような気さえしていました。



でも歩くことは無理だと言われてた母が歩き、味覚も戻ったような気がします。



頑張っています。









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私に出来ること

2007年03月13日 | 家族

友達からの言葉

『病院に行く度に何か1つしてみたら。

お母さんの為にも、そして自分自身が後悔しない為にも。何でも良いから。』


その時私は「う~~ん」としか言わず

後は何も言わなかったけど本当は凄く感謝していました。



考えました


今日は家族の写真を持って行くことにしたんです。


以前にデジカメで写した写真を印刷してフレームに入れて。


計6枚。


多すぎでした




動かずに泣いてても、きっと後悔するだけ。

出来ることはやってみる。

ですよね



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少しずつ前進

2007年03月12日 | 家族

母の件ではみなさんから励ましの言葉を沢山頂き本当に感謝しています。

生きていると色んなことに出くわしますよね。

嬉しいこともあれば、そうではないことも。

勿論私だけが辛いだなんてことは思っていません。

会社の同僚達も心配して今もメールを送ってくれていますが

全然大丈夫って強がってしまうのが私のようです(笑)

そんな時このブログの方々に助けて頂きました。



母のことは「こんなに元気になりました!」と言う報告が出来るまで

ちょこちょこ載せるつもりでいますが

私の生活はそれだけではないので

以前のアフォ~なMintに戻り色んなものをUpしようと思っています。



母は自分でストローを使って薬を飲めるようになりました。

脳の回線は未だに現在には戻ってきていませんが

私のことは分かるようです。





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記憶

2007年03月10日 | 家族

今日の母は記憶が混乱していました。

私を見てもなかなか分からず

暫く私を不思議そうに見ていました。



母は今過去にいるようです。

お弁当を作らなければ・・・今はそのことで頭が一杯のようでした。

「玉子焼きと鮭と・・・」

材料が足りないから私に買ってきて欲しいと。


私は今まで母にあまりお弁当を作ってもらったことがなく

弟のお弁当を作ろうとしてるのだと思う。




以前に比べたら沢山話すようになり目を開けてる時間も長くなりました。

話しながら手や指も動かすようになり

体の機能は少しずつ元に戻ってきてるのだと思います。

前進です。

でも脳の回線が混乱している。

色んなことを思い出せるようになった分

今ではなく過去に行ってしまった。



調子の良い日もあれば悪い日もある。

少しずつ・・・









病院から病院への移動の最中に見かけたショー。

「YAMATOマジックショー」と書かれていたので

きっとこの人はYAMATOって言うマジシャンなのだろう。
(説明しなくても分かりますよね・・汗)

バスの待ち時間にほんの10分程度見ただけでしたが結構楽しかったです。

こんな間近でマジックを見たのは初めてだったかも。


最近暗い文面が多いですが

でも普段の生活の中では笑ったり冗談を言ったり

以前とそれほど変わらない生活をしています。

どこから見てもMintは立派に普通ですよ。
(ん?なんか言葉が変かも


母のことや家族のことを考えてる時間は多いですが

外の景色にも目を向けてみようかなぁ。

今日は少しだけそんな気分になりました。



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節目

2007年03月08日 | 家族


今日は会社の女の子達と食事に行って来ました。

母がこんな時に病院にも行かず

なんて親不孝者なんだろうと思いつつも

今夜は欠かすことが出来ない用事だった。

母には申し訳ないと思いながらも参加して良かった。


普段は飲まないビールを今夜は飲みました。

だから今夜は少しだけ酔っています(苦笑)



今こうして笑えるのは

優しい人達に巡り会えたら。

涙が流れるのは

私の心が感謝で一杯だから。


彼女達には言葉では言い表せないくらいの感謝で一杯です。

この感謝の気持ちをいつまでも忘れずにいようと思います。

そしたら少しは優しい人に近づけそうな

そんな気がします。


今夜は美味しいお酒でした。

そしてお母さんごめんなさい。

明日は必ず行くから。




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会話

2007年03月07日 | 家族


前回「意識が戻りました」と書きました。

間違いではないのですが

目を開けることも声を出すことも殆どなく寝てばかりの母を見て

不安が募るばかりでした。

でも今日は母と会話をしてきました。


Mint 「分かる?」
 「分かるよ」
Mint 「ここどこなのか分かる?」
 「どこ?」
Mint 「病院だよ」
 「誰の部屋?」
Mint 「部屋じゃなくて病院だよ」
 「あらぁ。そうなの?」
Mint 「お母さん倒れて救急車で運ばれたんだよ」
 「それは大変だったね」


お見舞いに来てくれた叔母が

「みんな心配してるよ。元気にならないと」と言う言葉に対して

母は涙を流しながら「ありがとう」と何度も言ってました。

感情もちゃんとあるようです。


点滴を入れに来た看護士さんが母の名前を呼ぶと

母は訳の分からないことを口走ったので

私が「母は今どこかに行ってるみたいです」と言ったら

「どこにも行ってないよ」と母に言われ思わず笑ってしまいました。


でもやはりまだ記憶が混乱してるようで急に

 「チョコどうした?」
Mint 「ん?チョコ食べたいの?」
 「違う。頼まれてたチョコ」
Mint 「ん?チョコ買ったの?」
 「まだ買ってない」

私の心の中・・・バレンタインチョコのこと?今更誰に?父?ん?なんじゃ?

結局それ以上会話は続かず意味不明のままですが

かなりチョコのことが気になっていたようです。

娘の私のことよりも。。。



会話をしてる時も殆どが目を閉じたままであまり目を開けることはなく

言葉も半分くらいしか分からず

想像で会話してる部分もあるのですが

これだけの会話が出来るようになり大きな不安から解放されました。

今日は嬉し涙でした。


ここに母のことを書くことを悩みました。

このようなことを書いて良いのか良くないのかの判断は分かりませんが

みなさんからの言葉で勇気づけられたことは確かです。

苦しさから解放してあげたいと思っていたことを恥ずかしく思います。



母はまだ自分がくも膜下で手術したことを知りません。

勿論後遺症のことも。

まだまだこれから時間がかかると思いますが

いつか母と散歩が出来たらイイナと思います。

この先も母のことで飛びっきり嬉しいことがあったら

書き込むかもしれませんがお許し下さい。



叔母が母に

「死んでなんかいられないよ」と言ったら

母が「親らしいことまだしてないからね」と泣いてました。


意識が戻り切っていない母に

こんな言葉を言わせてしまう私は親不孝だと思いました。。。

許して下さい。

頑張りますから



みなさんに心より感謝しています。







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一歩前進

2007年03月03日 | 家族


母の意識が戻りました。

今日母の意識が戻ったのです。

でも実際は意識が無い時とあまり変わらず

殆どが荒い息をしながら寝たままです。



でも呼び掛けに対して

2度『はい』と返事をしました。


その程度ですが前進しました。



動かないだろうと言われていた左手を握ったら

握り返してきました。

恥ずかしい話ですが涙が止まらなかったです。



正直諦めかけていました。

そして楽にしてあげたいとも思っていました。

でもこれからなんだろうと思います。


Hikaruさんが書いてくれたように

これから「見、守って」ですね。


また婚期が遅れそうです。

(あっ、↑コレ冗談ですから)



私事を続けて書いてしまい

申し訳ないと言うかお恥ずかしいと言うか・・・

辛くて気持ちのやり場がなくて書いてしまいました。



普段強がっていますが

Mintも迷える子羊ってことですかね。

失礼しました




追伸

母はまだ会話も出来ず目も見えていないようではありますが

でも頑張っています。

私も頑張ろうと思います。

コメントを下さった方々には感謝しています。









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つぶやき

2007年03月01日 | 家族




母のことについては書こうかやめようか迷いましたが

自分自身が苦しさから逃れたくて書いたのだと思います。

書くことで少し発散出来たような錯覚なのでしょうかね。



冷静を装っていても手が震えたり記憶がなかったり

いざとなると何も出来ず考えと行動が伴わない私がいました。



1人になるのが嫌で無理して会社に行って仕事をしたり

無性に誰かと話をしたくなったり

せめて雑踏の中に居るだけでも気が紛れるような気がした。

弱いなと思いました。



本当に辛いのは私ではなく母なのに勘違いしてるみたいです。



自分自身のことや仕事や家族のことを書くのは苦手で

あまり書かずにいたのですが

書くことでこの重い気持ちや

やる気のなさを少しは取り除けそうな

そんな気がしました。



身勝手な思いを書いてしまいました。

読んで下さった方がいたとしたら申し訳ないと思いますがお許し下さい。


次更新する時は以前のアフォ~なMintに戻ってると思います。









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2007年03月01日 | 家族


暫く更新を休んでいました。

色々なことがあり1つずつ解決して行こうと思っていたのですが

私には解決出来ないようなことが起こり無力さを感じています。



先月母が倒れ未だに意識が戻らないまま

何も出来ずただ時間だけが過ぎています。


手術の時どうにか助けて欲しいと願いました。

でも今は母を病気から解放して欲しいと願っています。

目を覚ました母には多分後遺症の生活が待っています。

それが分かっていて目を覚まして欲しいと思うことが出来ない。



以前から他の病気も患っていて

死にたいと訴えていた母にこれ以上頑張れとは言えない。

悲しみや辛さで歪んだ母の顔を何度も見てきた。

今以上の辛さの中で生き延びることを母は願うだろうか。

長く生きることが幸せなのだろうか?



失いたくないと思うのは私の身勝手な思い。

母の人生、母の思いとは違う。

親を想わない子はいない。

子を想わない親はいない。

これ以上苦しめたくない。

それを願うことはいけないことなのだろうか。



そう思う反面

ベッドで荒い息だけしてる母を目の前にすると

思わず「頑張って」と声を掛けてる自分の矛盾に気付く。




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