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Mintの香り

☆北国の季節を感じて下さい☆

仙台中心街

2012年08月29日 | 宮城県


仙台の街中を初めてゆっくりと歩いた。

車ではアッと言う間に通り過ぎてしまう街も

歩いてみるととても広く興味惹かれるものが沢山あった。

↑の画像は、ペデストリアンデッキとして最も規模の大きな仙台駅西口のペデストリアンデッキ。






JR仙台駅西口ペデストリアンデッキと接続している19階建ての仙台マークワンと

31階建てのAER(アエル)







仙台駅の目の前から東西に伸びるアーケード街。

そこには、藩制時代に御名懸組の組士屋敷が置かれた"ハピナ名掛丁商店街"

城下町開府当初は日形町と呼ばれていた"クリスロード商店街"

藩政時代「大町三四五丁目」と呼ばれ、商人の町として豪商が軒を並べていた"マーブルロードおおまち商店街"

戦前には仙台初の映画館「文化座」があった"サンモール一番町商店街"

昭和45年に土曜・日曜の歩行者天国を仙台市内でいち早く実施した"ぶらんどーむ一番町商店街"

通りの両側にだけアーケードがかかり青空を眺めることができる"一番町四丁目商店街"

仙台市の中心を見事に続くアーケード街は観光としても楽しめるところです。






江戸時代には中級以下の家臣が住む侍町だった一番丁。

明治維新以降、仙台藩の家臣だった山家豊三郎が自邸内に数十戸を建て藩士たちに商売をさせ

以後、東一番丁沿いには、芝居小屋、映画館、寄席、喫茶店、芸妓置屋、露店などが立ち並ぶようになり

商店街として賑わうようになった歴史がある。




↑この写真は信号を渡る際に慌てて撮ったため

"一番丁"しか写っていないのだけど

実は"一番丁"の上に"東"の文字があった(汗)






三越に掲げられていた「がんばろう宮城 がんばろう東北」の垂れ幕に

胸が熱くなりました。










定禅寺通(じょうぜんじどおり)は、仙台市青葉区にある「杜の都・仙台」を象徴する並木道の1つ。

1601年(慶長6年)に仙台城の鬼門封じのために「定禅寺」が開基され

その参道として整備されたのが現在の定禅寺通りの始まりらしいです。









仙台市交通局が運行する仙台市内の観光地を循環する路線バスがある。

それが、このレトロな雰囲気を醸し出しているバス。






見所満載で

もっともっと歩いてみたいと思う仙台でした。




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蔵王

2011年05月26日 | 宮城県



蔵王レストハウスの直ぐ近くにある駐車場に車を停めて

雄大な景色を楽しみました。









蔵王の名称は、7世紀頃の山岳修験行者である役小角(えんのおづぬ)が蔵王権現を不忘山に奉還し

周辺の奥羽山脈を修験道の修行の場としての「蔵王山」と称したことに由来するらしいです。









蔵王連峰は奥羽山脈の一部を構成する連峰で宮城県と山形県の両県南部の県境に位置しています。









蔵王の最高峰熊野岳から刈田岳へ通じる約2kmの尾根のことを"馬の背"と言うようで

馬の背より北西側を"山形蔵王" 南東側を"宮城蔵王"と呼ぶことがあるようです。









宮城蔵王では雪上車に乗車して樹氷原まで行き

樹氷を見たり触ったりする"雪上車で行く!みやぎ蔵王の樹氷めぐり"が行われているようです。

ただし12月中旬から3月中旬の期間限定のようです。









もう既にその期間は過ぎてしまいましたが次回の期間に如何でしょう。









厳冬の蔵王の風物詩になっている樹氷。

自然が作るアートに触れてみるのも素敵だと思います。









御釜(おかま)

御釜と言う名は釜状をしてることからついたらしく

蔵王刈田岳・熊野岳・五色岳の3峰に抱かれた円型の火口湖です。









訪れた時は氷が張っていたようで白くなっていましたが

氷が溶けた湖面はエメラルドグリーンをしていてとても神秘的のようです。









春とは思えないような景色が次から次へと続きます。









北海道から津軽海峡を渡って暖かいところに来たのに

また雪に出会うなんて、なんだか不思議な気持ちです。









もしかして私の前世は雪女なんじゃないかなと、そんなことが頭を過ぎりました。









遊歩道があり、この遊歩道を進んで行くと刈田岳頂上や馬の背に向かうこともできるようです。









見るところが満載で、もしこの近辺に住んでいるのなら

行けるところ全てと、そして色んな季節に訪れてみたいです。









頻繁に訪れていたら私のゆるゆるの腹筋も少しは鍛えられるかもしれません(笑)









非常に興味深く魅力を感じる場所です。









ところで丸くない虹を見ました。

どのように表現したら良いのか

水平の虹、ちぎれた虹、風にのってどこかに向かおうとしてるような虹。

北海道では見たことのない沢山のものを目に目にしました。




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蔵王エコーライン

2011年05月24日 | 宮城県



蔵王エコーラインは宮城県と山形県の境になっている奥羽山脈と蔵王連峰をまたぐ区間にあり

宮城県と山形県をつなぐ山岳道路です。

開通した昭和37年から昭和60年までは有料でしたが

昭和60年の7月に無料となりました。










蔵王エコーラインは11月初旬から4月下旬までの冬期間は閉鎖となり

凍結などの道路状況によっては通行止めになることもあります。










途中蔵王寺があり

苦しみを抜き楽を与える苦抜地蔵が祀られていました。










山岳道路だけに、なかなかの急カーブと上り坂。

これに耐えるには両足と腹筋に力を入れるのがコツかなぁ?と思うのですが

耐え切るほどの腹筋はなく、なるがまま状態でした。










この景色を撮りたい!と思いカメラを構えてはみるも体制を保っていられず

カメラのレンズは車の天井を向き何度となくシャッターチャンスを逃してしまいました。

もっと強い腹筋が必要であることを感じつつ

運動不測の自分の体を悔いることになりました。










カーブの度に「うぐぅ」とか「ゲェ」とか言葉にならない奇妙な声を出しながらでしたが

開通してから数日後に通った蔵王エコーラインは雪の壁に挟まれたような所もあり

ワクワクがイッパイでした。










つい数ヶ月前には早く雪が溶けないかなぁ~と思っていたのに

季節が変わってから見る雪は物珍しく思えました。












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遠刈田温泉遊歩道散歩その2

2011年05月23日 | 宮城県



猫介に愛想つかされたので、ここからは道案内もなく遊歩道の散歩をすることになりました。

とは言っても1本道ですので、さすがに迷子にはならないと思いますが

念には念をと言うことで時々見た道を振り返りつつ先に進んでいきました。









開湯400年の歴史ある温泉で

昔から足腰の病に効能があると言われているようです。


遠刈田温泉街は蔵王連峰の東麓にあり宿泊施設が点在しています。









私は遠刈田のことをトガッタと言っていて主人に笑われました。

北海道で言えば女満別のことをニョマンベツと言うようなものでしょうか。








遠刈田温泉は古くは湯治場であったからなのか

"湯刈田(とうがった)"と言う地名だったようです。








コチラは遠刈田温泉旅館ホテル組合のHpです→"遠刈田温泉旅館ホテル組合"

地震の影響を受けた施設の営業再開の情報がUpされています。











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遠刈田温泉遊歩道散歩

2011年05月22日 | 宮城県



遠刈田温泉にある遊歩道の散歩に出かけました。


夢中になると方向音痴であることさえ忘れどこまでも歩いて行きたくなるので

遊歩道から外れないように注意しながらの散歩。








私が方向音痴であることを知ってか知らずか

まるで私を待っていたかのように猫がいました。








こけし大橋。

松川に架かる橋で橋の両端には大きなこけしが立っています。








宮城は伝統こけしでも有名で

"鳴子こけし" "遠刈田こけし" "弥治郎こけし" "作並こけし" "肘折こけし"の5系統があります。





遠刈田こけしは頭頂から赤い放射線状の模様が描かれていて

三日月型で切れ長の目が多く微笑んでいるような表情が特徴のようです。








"こけし"と呼ぶようになったのは昭和15年頃のことで

以前は各地でさまざまな呼び方をしていたそうです。

ちなみに宮城では"こげす" "きんぼこ" "おぼこ"などと言う呼び名だったようです。








猫介が「こっちだぞ」と言うように進んで行くので付いて行くことにしました。









松川の上をまるで泳いでいるように鯉のぼりが靡いて?吊るされて?いました。









景色を眺めている間、猫介は静かに待っていてくれました。

そのお行儀の良さに驚きました。









陽に照らされた川の水は眩しく清清しい気持ちになりました。









「ちょっと、いつまで景色見てるんだ?」と言うように

猫介に睨まれているようにも思えるのですが気のせいでしょうか。









猫介の視線を感じつつも、それよりも目の前にある景色に没頭する私でありました。









ふと振り返ると完全に呆れ返った猫介が寝転んでいました。









そして猫介は「もう付き合いきれない」と言うように

どこかに行ってしまったのです。








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遠刈田ホテルさんさ帝の朝

2011年05月19日 | 宮城県



さんさ帝の部屋から見た朝の景色。

この時の時刻はAM4:36

写真がボケているのか、私が寝ぼけていたのか定かではありません。








普段だったら爆睡している時間ですが

折角の旅行ですし、早起きは三文の得と言うので早起きしてみました。

これはAM5:03に写したものです。








それにしても早く起きすぎました。

三文どころか五文くらいの得があっても良いような気がします(笑)








静かに明けていく温泉街の風景を見てるのはとても気持ち良く

同じ県内であんなに大きな災害が起こり

今も大きくは変わらない現実があるとは思えないくらいです。








景色ばかりを紹介していますが

ホテルの部屋も食事も満足でした。








こちらは朝食です。

和食のバイキングでした。








忘れてはならないのはやっぱり温泉玉子。








こちらは前の晩の夕食の様子です。








量の多さと手の込んだお料理に色んな意味で満腹になりました。








中身が気になるところですが

蓋を開けて湯気が出て、それがまた楽しいところでもあります。








ちなみに上の中身ですが

上の上は豆ご飯で、上は和牛のセイロ蒸しでした。








がんばろう東北 負けないぞさんさ帝

と、5月23日~6月10日まで復活記念価格で頑張っているようです。

詳しく知りたい方はコチラをご覧下さい→"さんさ帝"

遠刈田ホテル さんさ亭

宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉東裏30

tel 0224-34-2211








みんな頑張ってるからこそ、のんびりとした時間を過ごせたら良いなと思う。

今は無理でもいつか癒される時が来ると良いなと思う。







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さんさ帝-遠刈田温泉

2011年05月18日 | 宮城県




仙台から蔵王までのドライブを楽しみつつ向かった先は遠刈田温泉。








主人の友達の伝手で遠刈田温泉にある"さんさ帝"にお世話になりました。








今回は"さんさ帝"の部屋から見える景色を紹介します。








前回の記事にも書きましたが

今回は父と母に少しでも気分転換して貰いたいと言う思いから計画した旅行で

主役は勿論父と母。








なのに部屋の到着するなり窓に駆け寄り、窓を開け、景色の写真を取りまくる私。








もしこんな嫁が身内にいたらイヤだと思いません?








嫁としては新米なので目をつぶるとしても

人としてどうよ、と反省するのでありました。








ただ父も母も嫌な顔ひとつせず

宮城のことを知らない私に色々と話して教えてくれました。








そんな父と母に甘えた訳ではないのですが

相変わらず景色を見ては「わぁー」と感動しつづけの私でした。








何が違うのかは具体的には言えませんが

北海道とはなんだか違う景色に感動。








陽も随分と傾き、時刻は17時を回った頃です。








父と母は2度目の入浴を楽しんでいました。








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蔵王町へドライブ

2011年05月17日 | 宮城県



私たちが仙台を訪れたのは地震が起きてから間も無く2ヶ月になろうとしていた頃。

主人の父と母が元気でいることは確認ができていたし

電話でも何度も話しはしていたけど

この目で見るまではやっぱり気がかりで仕方なかった。

余震に怯えているであろう父と母に少しでも元気付けられたらと言う思いで仙台に行きました。







何が出来る訳ではなかったけど不安な日々を送ってる父と母が気分転換になればと思い

ドライブと温泉に誘いました。







でも最初は「こんな時にそんな気分になれない」と言うのが返答でした。

命を落とした人や被災した人が沢山いて

楽しむと言う気持ちにはなれないのは分かる。







ドライブや温泉に行ったところで現状が変わる訳ではないし

帰って来るのは地震が起こった町で、我が家なんだから

戻ればまた揺れる度にあの時の恐怖が蘇るだけなのかもしれない。







でも母の疲れきったような表情を見ていたら

一瞬でも地震のことを忘れる時間を作れたらと思い

断られるのを覚悟で再度チャレンジ。






ところが「行ってみようか」と思いもよらぬ言葉が返ってきた。

言ってみるものです。







善は急げ!と言うことで早速出発。







東北道で村田I.Cまで行き蔵王町を目指しつつドライブを楽しみました。







助手席から景色を眺め写真を撮るのがいつもですが、この時は後部座席からです。

嫁ですから、慎ましくし後部座席に乗りました(笑)

とは言っても後部座席からバシャバシャ写真は撮ってましたが・・・







座る場所が違うといつもと勝手が違って写真が随分と斜めってしまいましたが

それはそれでとても面白かったです。







ふと気がつけば、父と母を楽しませる筈のドライブなのに

めちゃめちゃエンジョイしてる私でした。







ですが、こんな時こそ明るく楽しく。

なにせ折角の家族旅行なんですから。

盛り上げるのも嫁として大切な役目かと・・・







父も母も元々ドライブがとても好きなので

景色を見ながら「ここら辺に来るのはいつ振りだろうか」とか

「以前この辺りに来た時はあんなことがあって」等と楽しそうに話していました。







今に始まったことではありませんが、嫁としての慎ましさなんかどこ吹く風と言う感じで

大声で笑うは、喋るは、あんなんで良かったのだろうかと思う今日この頃です(苦笑)







横須賀に住む主人の弟も一緒だったら

きっともっと良かったんだろうなと思うと、それが少し残念ではありましたが

第二弾は弟も含めてどこかに行きたいと思います。

その時には今よりもっと安心できる暮らしになっていることを願い

そして嫁としてもっと磨きがかかってることを夢見て。





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狐塚神社-仙台若林区荒浜

2011年05月16日 | 宮城県



若林区荒浜地区にある狐塚神社。

荒浜地区は今回の東日本大地震による津波で多くの犠牲者が出たところです。

画像の右手に見える数本の木々に囲まれただけのとても小さな神社ですが津波に流されずに残っています。








走行中に写したのでボケていますが

直ぐ近くに電柱らしきものがあるのが分かるでしょうか。

狐塚神社の直ぐ傍には流されてきた色んなものがありました。








鳥居を囲うように立っている木々よりも大きい大木が津波に流され地面に転がっていましたが

狐塚神社だけはまるで津波が避けたかのように残っています。








偶然津波の勢いが弱まったのでしょうか。

それとも神の力なのでしょうか。

不思議な感じがします。






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復興

2011年05月11日 | 宮城県




仙台に訪れた時、被害の凄さと

未だ手付かずのままの状態のように見える光景に驚きました。








地震が起こってから2ヶ月が経ちますが

道路脇に流されたと思われる車があったり

木々や色んなものが散乱しています。








幹線道路はかなり復旧していましたが

小道は通行止めになってるところも多く

通行はできても崩れた箇所を避けて通っている状態でした。








ただ何もしていない訳ではなく

ガレキの撤去を行っている重機やダンプ

ボランティアの方が自転車で移動する姿などを目にすることも多かったです。








被害の大きさと範囲の広さに

多くの時間を要するのだと思いますが、少しずつでも復興しようとしています。

営業始めるお店も少しずつ増え

完全ではなくても店舗の半分だけで営業を始めたお店もありました。








でもまだまだ不便なことや

恐怖や不安を抱きながら生活しているのも事実です。








幸い津波の被害には遭わずに済んだ父と母ですが

暫くは車で寝起きする生活だったようです。








家の壁のところどころが崩れ断熱材が剥き出しになった状態ではありましたが

ライフラインも復旧し、今は家の中で生活していました。








ただ揺れが来るとサッと車の中に隠れてしまう母。


「逃げるのは誰よりも早いのよ」と笑って話していたけど、怖くて仕方ないようです。








1日も早く本当の笑顔がみんなに戻って欲しいと願います。



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東日本大震災の傷跡3-仙台若林区

2011年05月10日 | 宮城県



傾いた電柱、たるんだ電線の下の道を車が行き交う。

道のあちらこちらにある隆起や陥没した箇所を避け

譲り合いながら車がすれ違う。








動く車があるだけでも

命があるだけでも儲けもの。

そんな風にも見える逞しさを感じました。








GW前にまた大きな地震が来るとか

GW中に大きな地震が来るとか

正式に発表されたものなのか噂話しなのか分からない情報に怯えているのも事実。








テレビを見て笑ってる父や母の姿を見て少しホッとし

ラジオを肌身離さず持ち歩く姿に胸が締め付けられる。








地震が起きた事実は変えられない。

でも出来ることなら地震が起こる前に時間を戻して欲しい

そう願う人もいると思う。








無理は承知だけど願わずにいられない。







この凄まじい光景を目の前にしても現実のものとは思えない部分がある。







そしてまた、あの地震さえなければと呟いてしまう。







田畑に染み渡った海水。

埋め尽くす砂。

恐怖や不安、そして大きな悲しみ。

地震が残した傷跡はあまりにも大きい。







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東日本大震災の傷跡2-仙台若林区

2011年05月09日 | 宮城県



走行中に写した写真ばかりですのでかなりブレています。

ブレた写真からもこの世の光景とは思えないような悲惨さがわかるでしょうか。







原型をとどめないもの。







どこからか流されてきたもの。







大切にしていたものが







一瞬にして壊れ







ガレキになってしまう。






被災した人たちは口々に大きな揺れの後の町の状態を知るまでに時間がかかったと言っていた。

電気が止まりテレビを見ることもできず

何度も襲ってくる余震に恐怖と不安を抱えながら

ラジオに耳を傾けるのが精一杯だったようです。







ガソリン不足のため車があっても使えず

自転車で帰らぬ夫を探し続けたと言う友人の奥さん。

遺体安置所にも毎日のように足を運んだが見つからないのはどこかに居るからだと探し続けたと言う。








地震から1ヵ月後遺体となって見つかった。

未だ不明者が多い中、せめても見つかったことを喜ぶべきなんだろうかと

涙ながらに呟いていた。








予想だにしなかった津波の大きさ。

想像を超える被害。

自然の猛威。

どれも確かにそうなんだろうけど、だからと言って大切な人を亡くした辛さに変わりはないと思う。








余震の恐怖に怯えながら不便な中で生活している日々。

悲しむ間もないくらいの現実を暮らしてるように見えました。









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東日本大震災の傷跡-仙台若林区

2011年05月09日 | 宮城県




現実とは思えない光景を目にしました。

恐らく津波で流されてきた家屋。

1階の部分は無く2階部分だけが傾いていました。








流されず、どうにか耐えた家も

もう住むことが出来ず空っぽの状態。

そう言う家を沢山見ました。








木、家、田んぼ、大切な命

多くのものを流した津波。








流れてくる木や屋根につかまり助かった人もいる。

木やガレキの下で命を落とした人もいる。








1993年の釧路沖地震、1994年の北海道東方沖地震を経験した私は

あの時揺れの大きさに何もかも崩れて無くなってしまいそうな気がしたけど

仙台に来て見て地震の傷跡の大きさは比じゃないと感じました。








仙台は主人の故郷。

父も母も津波の被害に遭わずに済んだ。

ただ津波に流され命を落とした主人の友人がいる。








主人にとって思い出の地が変わり、友人を失った悲しみと怒り。

地震さえなければとつい言いたくなる。









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東日本大震災-仙台市若林区

2011年05月08日 | 宮城県



東日本大震災で大きな被害に遭った仙台に行ってきました。


もっと早くに行きたいと思ってはいたものの

交通手段、ガソリン不足などの問題もあり

地震が起きてから随分と時間が経ってしまったが、やっと仙台に行くことができました。








テレビでは地震の様子を何度何度も見ていましたが

実際に見た光景に言葉を失いました。








地震と津波の恐ろしさが未だ残る光景。

倒れている電信柱。








どこから流れてきたのか分からない自転車やビール。








重なり合った木々、鉄パイプ、色んな物。








3月11日14時46分前には誰かの家で使われていた物がいたる所にある。








こんなことがあって良いんだろうかと

光景を見て更に強く思った。








多くのものを壊し








色んなものをねじ曲げ








流した津波。





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仙台から札幌へ

2010年11月01日 | 宮城県



少し前に機窓からの記事をUpしたばかりですが

行きがあれば帰りもある。

と、言う訳で今回は帰りの飛行機の中から見た空の景色をご覧下さい。







この日は天気の関係で飛行機の発着が遅れていたので

私たちが乗る飛行機もきっと揺れるんだろうと思った。

多少揺れても落ちなければ良いか、と

私も主人もあまり気にもせず搭乗。







飛行機の揺れよりも

1番気になったのが外の景色。

2番目に気になったのがイヤホン。

私の耳が小さいのかイヤホンが大きいのか

手で押さえていないと落ちてしまい、ちょっとイラッとした。







少々イラッともしたけど

窓の向こうには滅多に見ることのできない景色が広がり

それを見ているだけでとても楽しかった。







予想通り揺れはしたけど、でも思っていたほどではなく

変わりやすい天気のお陰で色んな空を見ることが出来た。







札幌は随分と天気も荒れていて夕陽が見れるなんて思ってもいなかっただけに

綺麗な夕陽と、陽が降っているような光景に感激。

こういう光景の中で私たちは暮らしているんだなぁと

当たり前のような日々に感謝せねばと思った。







またいつか大好きな街、仙台に行こう~




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