一期一会日記~「今」の記録

多言語、ウサギ、本、お勉強、テレビなど私が今楽しんでいること、ものについてつづっていきます。

イヤロン生の体験会

2010年11月06日 | 多言語
今日はゲストを迎えての体験会。いつものファミリーとは違うのでちょっとテンションをあげて駅までお迎え。私はごろーちゃんの姿を見たことがなかったので、ポスターを持って待ってるね、と告げ、改札のところで待ってました。すると学生服を着た背の高いスリムな男の子がちょっとはにかんだ表情でこちらに会釈。この子がごろーちゃん・・なんだか可愛いね(失礼しました)

会場に着き、新聞折り込みに入れた新聞をもらった。みんなが来るのを待ちながらSADA。ゲストがいるといつもよりちょっと楽しくなるのが不思議。部活があるから早く帰らなくてはいけないごろーちゃんのために早く話を始めてもらった。初めはアルバムを見せながら英語でペラペラ。とてもなめらかで自然な英語。そのあとは日本語でたっぷり話してもらいました。

言ったのはアメリカ、ウィスコンシン州。北の方で冬はとても寒いところ。スポーツが大好きで得意なごろーちゃんは、自分の高校のバスケットチーム入ることができた。部活に入るにはトライアウトという試験を受けなくてはいけない。彼が通っていた高校は2400人も生徒がいる高校で、スポーツがとても強い。バスケット部にには黒人がとても多くて。彼らは身体能力がとても高く、またセンスもいいので歯が立たなかったそうです。でも毎日部活に行き、最後にはみんなに認めてもらってうれしかったそうだ。

春からは陸上部に入り、高跳びとハードルの選手になり、入賞したという。すごいよね。ずいぶん頑張ったんだ。

高校は貧困家庭が多い地域で麻薬やナイフの事件もあったそう。一応高校の中には警備の人もいるそうだが。ホストのママが「アメリカの現実を知ってほしい」とあえて、私立ではなくて公立に通った。下校途中で突然殴られたこともあったそう。街をあるけば、じろじろ見られ、日本人ということでひどい言葉を投げかけられたこともあったそうだ。日本に帰ってきて普通にスーパーで買い物ができるのがなんて幸せだろうと思ったって。

イヤロンにどうしていくことにしたか・・・?お姉ちゃんがかつてドイツに1年間行った。また自分の家でドイツの留学生を1年間受け入れした。彼女がすごく苦労をしているのを見ていた。どうしようかと考えて、苦労がしたい、とイヤロンに行くことを決めた。準備は特別にはしなかった。ファミリーに週に1回はでる。通学の途中ではCDを聞く。「何を聞いていたの?」「スペイン語です。」

かつて中1でアメリカ交流に行った時最初のホストが病気になり、途中からのホストファミリーはメキシコ人だった。また来いよ、という言葉に夢を膨らませ、スペイン語をたくさん聞いて準備していた。ところが研修中にホストが決まり、自分がいった家でないことがわかり、大ショック。でもスペイン語を聞いていたおかげで、初めにメキシコ人の友達ができた。

アメリカに出発するのが大幅に遅れ出発が8月30日。学校は9月1日から。時差ボケもとれないうちに高校に行き始めた。最初は英語も全く分からず友達もいず、一人で食べるランチは緊張、心細さで周りを見る余裕もなく大変だった。部活にも入れなかったからそれも予定外だった。でもだんだん、向こうでの生活に慣れていった。英語がわかって話せると思ってきたのは今年の2月とか3月。やはりそれくらいはかかるんだね。今だったらアメリカの友達とワイワイできるって。

ホスト家族はお父さんとお母さん。お母さんは10人姉妹(ワーオ!)の5番目で双子。写真があったがみんな明るく元気そうだった。家ではお母 さんと口げんかもした。でもとても大事にしてもらった。ハロウィンやクリスマスも楽しんだ。旅行にも連れて行ってもらった。



ごろーちゃんの話を聞いてまたひとつアメリカを知った。そしてごろーちゃんのイヤロンストーリーはかっこよかった。

たくさんのおばさんやおじさん、子どもたちの前で体験を語るごろーちゃんはヒッポの中で育った子だった。いつでもどこでもだれとでも、話せるってすごいこと。
コメント (2)
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