一期一会日記~「今」の記録

多言語、ウサギ、本、お勉強、テレビなど私が今楽しんでいること、ものについてつづっていきます。

WELFARE DANCE CLASSIC 2013 ②

2013年07月15日 | 娘のこと

去年、ダンス教室に入れてもらったのが、2月、そしてすぐの、4月にある発表会に、参加させてもらいました。

1日目は、mix-jamの生徒と、一般のダンス教室の子、人たちのパフォーマンスでした。ウィンク愛知が会場で、観客がとても多かったです。2日目は、福地先生が声をかけた全国にある、障害児のためのダンス教室の選手権。私はそちらは見ていないのでどんなふうだったのかはわかりませんが、mix-jamからは一番上手な子たちのクラスが参加していました。東日本大震災で被害を受けた、ダンスチームの子たちも参加していました。

今年は、またあるのかなあ?と早春のころ、楽しみにしていたんですが、4月にはなさそうだったので、今年はないのかな?とちょっと残念に思っていました。そうしたら今年は7月にやるということで、また、楽しみになりました。

そんなころ、先生の病気が発覚、入院、手術、そしてあっという間の復活、先生のダンス教室にかける熱い思いをひしひしと感じました(でも、無理はしないでくださいね!)。

週に2回の練習で、ずっと前から練習してきた曲、そしてもう一曲は今年になってから始めた曲、2曲を踊るのですが、みんなで合わせて踊るのはなかなか難しいことです。ましてや日ごろは違う教室で踊っている子たちと合わせる、そして当日は初めて立つステージで、大勢の観客の前で踊るのですから、かなり緊張すると思います。

そんな日々を重ねながら迎えた当日。

今年の会場は愛知県芸術劇場~大ホールでした。こんな立派で広い会場、観客がいっぱいになるのかしらと心配する気持ちは全くの杞憂で、2500人が入ったそうです。普通の人、子たちのダンスチームが3つ出た後、いよいよ娘の出番、どの辺で踊るかしら、ちゃんとできるかしらと、ちょっとドキドキしながら待っていると、娘は左の一番前でにいました。とても元気に、そしてうれしそうに踊る娘、なんだか、うれし涙。感動の涙。

普通の子のダンス教室ではいつも目立たない位置、そして周りの子に手助けしてもらいながらの移動など、いつもやはり普通じゃないんだということを突きつけられる発表会でした。見ながら悲しく思う気持ちが止められず、終わるととても疲労感を感じたものでした。

でもここでは違う。一人ひとりが、自分の力で精いっぱい踊っている。娘もちゃんとやれている。本当によかった。娘との約束も守れ、本当にうれしそうに踊っている娘を目にして、mix-jamに、そして福地先生に感謝でいっぱいになりました。

そしてたぶんmix-jamのメンバー、一人ひとりいろんなストーリーがあるんだと思います。病気に負けず、手術をしてまでどうしてもダンスの発表会に出たいと頑張った子、そして普通の子のダンス教室でダンスをやっていたが、周りとうまくいかず、孤立し、辞めざるを得なくなり、そんなときに福地先生と出会い、またダンスを楽しめるようになった女性・・・・。一人ひとりにドラマがあるんですよね。そんなことに思いを馳せながら、でも目の前で踊っている子たちはそんなことを感じさせない、喜びに満ちたパフォーマンス。ほんと、泣けます。

そのあと、mix-jamのメンバーが4チーム、そして一般のダンス教室のチーム、また高校ダンス部OB,OGのチームも出ていました。高校のダンス部と言えば、桜丘高校のダンス部は世界大会で優勝とか聞いたことがあり、とにかく凄そうなんですが、その桜丘高校のダンス部を優勝に導いたのが、JUNYA.AKA.クマPOOという男性。私は初めて知ったのですが、有名な方らしい。クマpooというネーミングがぴったりの丸っこい体形なんですが、ダンスはすごい!!!!、切れ味鋭く、かっこいい!!そんな一流ダンサーのパフォーマンスが見られるのも楽しみです。

4時半くらいに終了、今年はそのあと、全国知的障害児・者選手権がありました。全国から6チーム、そして一般のダンス教室から6チーム参加の構成でした。本当はこちらも絶対見たかったのだけれど、頑張ってダンスを踊った娘は結構疲れているだろうからということで、後ろ髪引かれながら帰りました。

月曜日に娘の学校の担任の先生と話す用事があり、その時教えてもらったのですが、娘が踊っている様子がニュースで流れていたそうで、先生はセンターで娘が踊っていたんだと思っていました。でも、本当は左側の一番前。ちょっと違いました。

 

 

 

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WELFARE DANCE CLASSIC 2013 ①

2013年07月13日 | 娘のこと

うちの娘、今18歳で,養護学校に通う、個性的な娘です。小さいころ~小学校までは、普通の子と同じクラスですごし、限界を感じ、中学からは普通学校の特別支援クラス、そして高校は養護学校の高等部に通ってます。

普通の子になってほしい、頑張ればきっとなる、絶対そうするんだと頑張れば頑張るほど、悪いほうへ悪いほうへところ転がって行きました。もう、頑張るのはやめよう、無理はやめよう、身の丈に合った環境を選ぼう、そう決めた瞬間からとても楽に、楽しく過ごせるようになりました。

小さいころから歌が得意、ダンスも大好きだった娘。幼稚園から小学4年生のころまでは普通の子が通うダンス教室に通っていました。でもだんだん周りの子が成長していくと、お遊戯的だったダンスはどんどん高度になって難しくなり、ついていけない娘はダンスの時間にいろいろいたずらをしては先生を困らせるようになりました。先生は根気よく注意をしてくれる、理解ある先生でしたが、私がもう限界を感じ、娘をやめさせてしまいました。

そのころの私は、きっとそのうち普通の子に追いつくから、そうなったらまた復活すればいい、と「高校生になったら、またダンス教室に入るから・・・」ということで、娘をあきらめさせていました。その後、障害児として歩むことになった娘、もう普通のダンス教室の扉をノックする勇気は私にはなくなっていました。

高校生になった娘は「ダンス教室は?」と、時々聞いてきたのですが、「また今度ね」と先延ばしにする私。

そんなとき、去年の2月、たまたま朝のNHKニュースで、障害のある子のダンス教室の選手権をやる準備をしているという男性を取り上げていました。その人は福地龍介さん。全国ニュースでしたので、どこだろうなあ、この先生、いいなあ、こんな教室、と思いながら見ていました。そしたら、なんとその先生の教室は西尾!愛知県!

家からはちょっとあるけど、通えない距離じゃない!ということで急いで調べると出てきました.

MIX-JAM

すぐに連絡を取り、見学をさせてもらうことにしました。西尾だけではなくて安城にも教室があったので、そちらを見学させてもらい、すぐに入れてもらうことにしました。

初めは週1でしたが、すぐに上のクラスに入れてもらえることになり。今は週2で通ってます。

家に帰ってくると21:30くらいになるのだけれど、ダンス好きの娘はそんなこと、ものともせず、楽しく通っています。

 

 

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