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pcfx復活ブログ

豊田市 六所山 六所神社

2011年06月30日 | ドライブとかりょこうとか
全国各地に「六所(ろくしょ)神社」と名のつく神社は数あるが、その謂われはあまりハッキリ
とはしていない。詳しくはググってもらいたい。

愛知県は豊田市に「六所山」という山があり、「三河三霊山」の一つと数えられる霊験あらたかな
お山だ。山頂には六所神社上宮(うえみや)があり、登山ルートになっている。その登山の出発点
近くに六所神社下宮(したみや)があり、さらに坂を下った所に鳥居がある。

神社の一般的なシステムは、まず「鎮守の杜」という森林フィールドの上にある。その入り口に
「鳥居」が俗界と境内の結界としてあり、そこから「参道」が伸びている。途中に「御神木」と
いう立派な樹木や「手水(ちょうず)」という簡易な禊(みそぎ)場、「社務所」などが配置
されている。参道の先は「拝殿」があり、一般ピープルはここで神様に拝むことになる。拝殿の
奥には「本殿」という神様の家があるが、恐れ多いので民間人はそこに踏み込めない事になって
いる。

この六所神社は、神社に向かう道に忽然と「鳥居だけ」が立っている場所がある。その脇の道路を
登ると、道路が下宮の境内を真っ二つにしており、さらにその道を登っていくと上宮へ登山道の
入り口になっている。つまり、元は全体が鎮守の杜の神社であったものが、道路建設のために
切れぎれになっているわけだ。そこには色々な理由とか都合とかがあるのだろうから他所者の
pcfxは深く言及しない。

ともかく一風変わった神社であり、参拝客が他所から大勢押しかけるわけではないので、社務所に
常時宮司さんがいるわけではない。手水の水も貯めてあるだけで野ざらしだ。神社への郵便物も
拝殿の賽銭箱の前に置かれる始末だ。

しかし地元の人々の信仰は篤く、下宮では朝な夕なに参拝する地元の人を見かける。特に犬の
散歩の途中でこの神社に寄って二礼二拍一礼する人をよく見かける。また仕事の途中で軽自動車
やカブに乗った人が神社前に車を止めて参拝する姿もよく見る。


さてこの神社には立派な神楽殿があり、拝殿と道路で分断された反対側にある。明治の初めに
建立されたこの舞台は、大変立派な木材を使って梁が渡してあり、また舞台装置も凝った作りに
なっている。屋根は藁葺きで、重みを支える構造も見事だ。民俗有形文化財に指定されている。
また樹齢500年以上の杉の御神木が境内にあり、これも見事な迫力と霊験を備えている。

三河を訪れる機会があれば是非参拝して頂きたい、一風変わった不思議な神社だ。変わったもの
が好きなpcfxはここが大好きであり、今までに何度も参拝している。六所神社の神様は霊験灼か
な方だ。無神論者で唯物主義者のpcfxが言うのだから相当灼な神様だと思ってもらってかまわない
だろう。本物の存在感が、この神社にはある。ご自分で試してみてはいかがか。


この「六所神社」は各地にあるので注意してほしい。今回紹介したのは豊田市の松平郷近くに
ある六所神社で、岡崎にあるのは分祀された方の神社だ。

公共交通機関でここに来るのは難しく、木曜日にしか定期運行のバスが来ないというハードランク
設定だ。車やバイクで来ることになるだろう。どうしても交通機関を使う場合は、名鉄の豊田駅
からタクシーに乗ることになる。約14kmだ。

下宮までは車で来られるが、上宮には徒歩でしか行けない。登山になるので気をつけて欲しい。

最近買った物2011/06/29-2

2011年06月29日 | グッズ
さて、今回pcfxがご紹介致しますのは、ご家庭に是非一つは欲しいアイテム、

「サイバーガネーシャ」

でございます。



「ガネーシャ」ってなに?という奥様からの質問がよくありますが、ググって下さいませ。

ガネーシャ様といえば商売・学問の神様として、またその独特な風貌から、インドでも
人気の高い神様で有名です。
そのガネーシャ様の像がメタリックな塗装を施されましたのが、こちらの

「サイバーガネーシャ」

でございます。



この商品の製作者や製造元は確認できませんが、これもビレバンで売っておりました。
お香売り場や仏像売り場で見つかるかも知れませんので、ビレバンにお寄りの際は探して
みてください。因みに価格は2100円でした。

是非一家に一台は欲しい商品ですが、宗教のバッティングをご心配される方もおられると
思います。神道の方は大きな問題はありません。神道の神様は他宗教の神様と友好的で
寛容であられます。神棚に上げるのはやり過ぎかもしれませんが、横に並べるくらいは罰は
当たらないと思われます。また多くの仏教においてもさほどの問題はないと思われます。
但し、おかしな新興宗教を信仰されている方はそちらの信仰を直ちに辞め、ガネーシャ様に
乗り換える事をお勧めします。


ガネーシャ様のお迎え、または像の飾り方ですが、失礼に当たらないように常識の範囲で
かまわないと思います。
ネーシャ様もせっかく日本にお越しなされたのですから、現代日本風のおもてなしをする
のもいいでしょう。

一例としまして、pcfxはこのように飾っております。



ガネーシャ様の拝み方ですが、「オーム シュリー ガネーシャ ナマー」とマントラを
唱えます。108回唱えるのが正式と言われておりますが、回数は適宣工夫したり省略したり
してください。日本語で拝むのもよいでしょう。

「聖なるガネーシャ様こんにちは~」と唱えればOKでしょう。


最近買った物2011/06/29

2011年06月29日 | グッズ
今回pcfxがご紹介しますのは、ビレバンで買ったローラークリナー、「Washable Lint Roller」
でございます。



pcfxは掃除機をかけるのが面倒なので、掃除はよく「コロコロ」を利用しておりました。だけど
転がした後の汚い紙をめくるのってイヤですよね。それに粘着紙がなくなったら買い換えないと
いけません。そんなとき見つけたのが、このローラークリーナーなのです。

価格は500円ですが、果たしてこれはどんなものなのでしょうか?



ローラーを水に濡らしてから部屋をコロコロします


掃除が終わったら水で表面を洗い流すだけで、また使えます


ローラーはこんな風になっています



さて、使用した感想ですが、ローラーの表面はつるっとしており、水に濡らしたからといって
ベチョベチョにはなりません。軽く水滴が付く程度。濡れるとローラー表面の粘着性が強くなり、
ホコリや毛、糸くずなどを吸着してくれます。

但し、粘着紙ほどのパワーはありません。重い物や大きい物はムリなようです。でもそんなものは
手で拾えばいいので、必要にして十分な能力があるということです。

この商品の最大の利点、それは水でローラーを洗い流せば、またすぐに粘着力が復活する点です。
もう粘着紙を買い替えなくてもいいのです。楽で経済的ですね。

台湾製で、ビレバンが輸入して販売しているようです。ビレバンしか置いてないかもしれません。
価格も¥500程度と安いので、最寄りのビレバンで気軽にお買い求め頂けます。


*尚、このpcfxのブログで紹介したりリンクしたりしている商品については、一切裏で広告費など
もらっておりません。アフィなどもやってません。あれって本当に儲かるものなの?www

「ぶれ☆ねり!」

2011年06月29日 | おんがく
pcfxは「おおブレネリ」の歌が好きだ。もうブレネリに求婚したいほど昔からブレネリさんが
好きだ。これまで多くの歌手がブレネリを歌い、いろんなアレンジもされてきた。

おおブレネリ」の日本語訳歌詞については、そこに秘められた謎の話が昔から語られていた。
大筋では次のような内容だ。

1. 家はどこにあるのか尋ねられる→国名を述べる(海外旅行中での質問と推察される)
2. 仕事を尋ねられる→羊飼いと答える(就業年齢前提での質問から少女ではない)
3. 質問に答えた後、ブレネリさんは何故か突然歌い出す(急に郷愁が込み上げるのだろう)
4. 歌にするほどの内容の歌詞ではない上、後半は「ヤッホーホトラララ」ばかりだ
5. 「おおブレネリ」の「おお」は感嘆詩である為、質問者はブレネリのどこかに驚いている

歌詞を総合して考えると、「ブレネリさん」の人物像は「海外旅行中のスイス人で羊飼いで
すぐに歌い出す陽気な驚くべき女性」ということになる。どんな驚くべき人物なのかは推測する
しかないが、少なくとも気軽な質問をされている点から、恐れられているのでも嫌悪されている
のでもない。女性である点から「かなりの美人」である感嘆の可能性が考え易い。羊飼いが
海外旅行をしているというのも不自然だが、牧場経営者の娘なのかもしれない。そして会話中に
突然歌い出す点から、少し精神に支障があるようだ。

これらを勘案してもう一度人物像を推察すると、ブレネリさんは「裕福な牧場経営者の娘に
生まれた美人(推定24歳)のメンヘラで海外静養中」というのがpcfx的解釈となる。

また「おお」と感嘆されている割に、「家はどこですか?」「仕事はなんですか?」という質問
がまず行われている点から、外見を見た質問者がまず気になったのがこの二つということだ。
女性をみてセックスアピールよりも住所と職業が気になる外見をしているというのは、ブレネリ
さんが特殊な外見をしている証左だ。おそらく、ご当地では他に見られない珍しい衣服を着用
しており、「どこの民族衣装だろう?」という疑問を持たざるをえなかったのだろう。そして
それは通常の職業の者は着ないような衣装であり、質問内容に蔑むようなニュアンスや、敬う
ようなニュアンスもはないので、それは貧民風で奇異なのでも貴族的に豪華なのでもない事が
わかる。

またスイスの民族衣装に、出身国に疑問を抱かせる珍妙なものはない。おそらくブレネリさんは
ドイツ語話者だと思われ、話が通じてるところから、スイスからさほど遠くないドイツ語圏に
旅行中だと思われるが、そのロケーションで珍妙な印象を与え、「なんだろうこの服は?みたこと
ないな・・・民族衣装?いや、しかし・・・」という逡巡を与えているところから、「民族衣装の
ようなコスプレ」をしているものと考えることができる。そしてそのような珍妙な格好をしている
ブレネリさんは、いったいなんの仕事をしているのだろうかと好奇心を煽るのだ。

つまり、ブレネリさんは「少々イカレた格好をしている美人メンヘラトラベラー」という厨ニ
設定だったわけだ。だからこそpcfxは「ブレネリさん萌え」なのであり、少々おかしい女性を
好む性癖が隠せない。


おおブレネリ」が2012年春に「ぶれ☆ねり!」としてアニメ化すると仮定して、その内容は
こうだ。


コミケでファンタジー系コスプレ中のOL、振音理恵(ぶれねりえ)は、初日の来場者数が遂に
100万人を超えた超過密のビッグサイトの重力崩壊によって起こった時空の歪みに巻き込まれ、
20世紀初頭のドイツへ飛ばされた。学生時代にドイツ語を専攻していたためにドイツ語は話せ
たが、そのショックとホームシックから少々おかしくなっていた。理恵のコスプレを見て
「どこからきたの?」「どんな仕事をしてるの?」とよく質問されるが、本当のことを言っても
理解されないだろうということから、出身地の浜名湖を模して「スイスの湖のほとりです」と
答え、毛織物商社のOLだったことから「仕事は羊飼いです」と答えた。話にリアリティを出す
ために、子供の頃に犬に噛まれたことから「狼が怖いです」と付け加えてみたが、ごまかしきれ
ない気がしたので歌って逃げるのだった。街で出会った美少女「ヤッホ」と「ホトラ」という
妹分を連れ、シュバルツバルトに住むという伝説の魔女に会うために、今、理恵の旅は始まった。

キャラクターデザイン及び服装デザインは「森薫」、主題歌は「堀江美都子」(OP「おおブレ
ネリ」ED「ニ短調おおブレネリ」)、声優はブレネリが「広橋涼」・ヤッホが「金田朋子」・
ホトラが「能登麻美子」、監督は「水島努」でお願いします。



ところで、去年発売されたCDで「こどもじゃず」という童謡をジャズアレンジしたアルバムが
3種類出ている。非常によくできたものなので、興味のある方は購入して聞いてみてはいかが
だろうか。緑のジャケットのアルバムに「おおブレネリ」も入っている。非常にオススメだ。


デジカメとかカシオとか

2011年06月28日 | 機械とか
90年代半ばにカシオQV-10というデジカメを発売し、日本のカメラ事情を一変させるきっかけ
になった。25万画素・2MBの内蔵メモリ・1.8型の液晶モニタ・¥65000という性能ながらも、
一大ヒットとなって誰もかれもの物欲を刺激した。無論この性能ではフィルムカメラの足元にも
及ばず、カメラ好きには「おもちゃ」として認識されていた。

カシオという会社は、この「おもちゃ」を作るのがうまい会社だ。しかし玩具メーカーと違う
のは、先見性と発想を製品化する具体性であり、技術力に裏打ちされながらも決してやり過ぎない
間合いの取り方だ。大抵の製品には既に専門の古参会社がおり、専門らしく性能を追求するのは
当たり前のことだが、専門メーカーとしてのプライドや方向性によって「よい製品・高機能な
製品」ばかりを追求してしまう傾向から逃れられない。

しかしカシオは「どの製品ジャンルの専門企業」とも限定できない位置にいる。そういう会社は
ゴマンとあるが、それらは「2級品メーカー」だ。だがカシオの製品は「2級品」とは違う。
専門メーカーが敢えて作らない方向性の製品を作る「1級品メーカー」だ。

QV-10はカメラとしては確かに「おもちゃ」の性能しかなかったが、ファインダーを覗かずに液晶
画面を確認しながら撮影できるという「斬新性」を、当時¥65000で実現したというところに
カシオの凄さがあるのだ。ただ単に「液晶つけました!」というだけだったらそこまでの
会社なのだが、カシオの凄さとは、そこに「回転レンズ」というギミックを搭載したところに
ある。QV-10にはズーム機能はない。また当時の性能から、一般人が買える価格帯ではキレイな
写真を撮るという目的にはデジカメはまだ使えない。では「なんに使うのか」。そこが問題だ。

遠景・風景を取るのに向いてないのなら、近い所にいる人物を撮ることになる。現在の携帯電話
にも、外向きと内向きのカメラが2つ搭載されているものが多いが、フィルムカメラとデジカメ
の大きな違いの一つに「自分を撮る」という付加価値がある。QV-10はレンズユニット部を回転
させることによって、液晶画面を確認しながら自分を撮影することができた。若い人のスナップ
写真では、自分を含む仲間が集合した写真を取りたい需要があったが、フィルムカメラでは
きちんと撮れているかどうか確認できない。カメラをどこかに固定してタイマーセットする方法
もあるが、それは手軽ではなく確実性がない。液晶画面があるデジカメで初めてできるように
なったのだ。

この回転レンズは自分撮りだけに終わらない。レンズ部が固定されているカメラで、煽る構図で
撮影する場合は液晶画面が見づらい。真上からの近接撮影も難しい。だがレンズが回転すれば、
自分は正面を向きながら煽りや見下ろしもラクラクだ。デジカメがデジカメである所以はここに
あるといってもいい。


その後デジカメの性能は向上していき、カメラメーカーもデジカメばかり生産するようになって
いったが、回転レンズを踏襲する会社や製品は少なかった。その需要は携帯の内向きレンズに
吸収されていったのだ。現在ではもう、「手軽なカメラは携帯」「ちょっと凝りたい時は
コンデジ」「本格的な撮影はデジイチ」という住み分けができており、回転レンズは行き場を
失ってほぼ淘汰されてしまった。そして既に静止画カメラと動画カメラの線引きもあいまいに
なっており、すぐにそれらが融合する製品ばかりが市場に並ぶようになっていくだろう。

その方向性をきちんと理解し、踏襲し、開拓している会社はカメラの専門メーカーではなく、
カシオだけだ。専門メーカーの「カメラはこうであるべき」という姿勢は多くの場フィルム
カメラの常識に帰結していくが、カシオは「デジカメにしかできないことは他にないか」
という方向を常に模索した製品開発を行っている。ここが大きな違いであり、電子部品の進化
によって出来ることがどんどん増えている中、いつまでも保守的なカメラモデルを守ることに
あまり意味はない。極端にいうと技術が進めば「レンズがなくてもよく、撮影行為も必要と
しないカメラ」を作ることもできるようになっていくと考えられる中、未だにレンズや撮影技術
にこだわる旧時代のカメラを造り続けなければならない専門メーカーは気の毒である。そこに
あるのは技術の追いかけだけであり、保守層のスタイルに合わせなければならない縛りだ。
常に時代とスタイルを牽引するカシオこそ、本当の意味でのカメラメーカーだといえる。


さて、こう書くとなにやら偉そうだが、要はpcfxはカシオが好きなだけだ。70年代後半、
世の中には電卓が出回り始めたのだが、それまではみんな計算はソロバンでやるものだったのだ。
コンピューターもあったが、それは家庭で手軽に買えるものではなかったし、直接儲けを
生み出さない事務仕事にコストを割く余裕など多くの企業にはなかった。

そこに安価な電卓を投入した企業がカシオだった。「こた~え~いっぱつ~♪」というCMソング
で有名だったカシオの電卓は、家庭に事務所に電子化の嵐を巻き起こした。国産の集積回路に
よって安価に大量に出回り、小型化し、高性能化していった。第2次電子化革命といっても
過言ではない。第1次はラジオやテレビだった。

大量生産されコストが下がった高性能集積回路は他の製品にも応用されていった。電子ゲームも
そのひとつだった。現在の日本がハイテク国家となったのはこの革命によるものであり、それを
牽引したのもやはりカシオだった。

その後カシオは集積回路を使った応用製品をジャンルを問わず次々に開発した。すでに専門の
メーカーがあった業界にもどんどん参入していった。しかしその頃から「業界一番を目指す」
という方向性ではなく、「カシオならではの機能を盛り込んだ高性能で安価な製品」という
カウンターを当てる方向に動いていた。パソコンもMSXへの参入以外はポケコンから始まった
PDAの市場を開拓し、NECに対抗するような戦は仕掛けない。電子楽器もヤマハのDX-7に真っ向
から勝負せずにカシオトーンからの伝統を踏襲したオールインワンタイプのCZシリーズ
投入、腕時計も「デジタル表示」という所にこだわってセイコーとの正面衝突を避けた。

勝負を避けたからといって2流品だったわけではなく、「クレバーな独自路線」を切り開いて
いたのだ。独自路線の企業に「ソニー」もあるが、ソニーとカシオの違いは柔道と合気道の
違いに近い。ソニーは時に力技で相手をねじ伏せ、投げ飛ばすが、カシオは流れるように相手の
力を使って受け流すのだ。だからソニーの本当のライバルは、空手のパナソニックでもキックの
シャープでもなく、合気道の「カシオ」なのだ。

pcfxはこのような考えから、カシオという企業のファンだ。カシオのイメージは一般的に
「Gショックは有名だけど、他はイマイチぱっとしない安い製品を作る会社」ではないかと
思われる。だがそれは当たっているようで間違っている。その評価は専門メーカーの上位機種
との対比であり、実際には「低価格帯から中級機の市場で面白さと低価格を実現している会社」
であり、例えるなら「遊びまわっている割にはテストの点数は80点以上を常にキープして
いる人気者のニクいアイツ」なのだ。ガリ勉で成績はつねにトップクラスだが遊びを知らない
奴よりも人気がある。そして秀才は大抵そこにコンプレックスを持っているものだ。
だから他企業はカシオに愛憎入り交じりながら、成績だけはカシオに負けまいと必死だ。
必死に勉強する窓辺からカシオが楽しそうに校庭で遊んでいるのをみて、「ちくしょう、オレも
遊びてぇな~」と思っているソニーがいる。


デジカメの話だったがまた忘れていた。

pcfxは長いことQV-2900UXというカシオのデジカメを使っていた。回転式レンズの最後の機種
だった。このQV-2900UX以来、カシオもこのスタイルのデジカメを作らなくなってしまい、いつか
出るのではないかとずっと待っていたが、遂に故障してしまった。2001年の夏に購入したもの
なので既に時代遅れのスペックであり、電池ホルダーのフタのツメが割れてきちんと閉まらなく
なっているのを、テープで補修しながら我慢して使っていた。そして遂に修復困難な故障を
起こしたので、買い換えることにした。

だがどうしてもpcfxが欲しいスタイルのデジカメがない。メーカーはカシオ以外には興味がない。
そして希望に近い商品はあるのだがいまひとつだ。pcfxの希望とは、「カシオ製で回転式レンズで
胴体に厚みがあってグリップがよく、今時の性能を持っており、さらに加えて面白い独特の
機能をもったデジカメ」だ。つまり「今時の性能のQV-2900UX」が欲しいのだ。あのデザインは
完璧であり、中身だけ変えたいのだった。

まあ無いものねだりをしていても仕方がない。「割りきって安くてテキトーなデジカメでもとり
あえず買うか」と、カメラ屋ではなくヤマダ電機にフラッっとジャージで行った。ジャージで
行くことにより真剣な買い物ではないと自分に確認させるためだ。あとサンダルで。

家具屋系家電屋なので展示機種もカメラ屋系家電屋より少ない。それでいいのだ。テキトーに
安いデジカメを買いに来たのだから。ジャージで。で、迷わずカシオのコンデジのコーナーへ
行き、2万円台の新機種を漁った。展示品を触りまくって、もうあまりに触るものだからそろそろ
ピンサロでおさわり追加料金を取られそうな勢いで触っていると、やっと店員が近づいてきた。

pcfxが家電屋で好む店員のタイプは、メーカーから無理やり出向させられてあまりやる気が
ないヌボーっとした長身痩せ型の30代の男であり、でも家電屋のマニュアルとかがうるさいから
仕方なく客に声をかけてサジェストでもするか、という態度が見え見えのメガネくんだ。
多少寝ぐせが残っており、聞こえにくいくぐもった声でボソボソ喋るとなおよい。

そんなpcfx好み通りの店員が来たので非常にうれしい。さっそくマニアックな質問を続けざまに
あびせ、技術用語とか開発の人の名前とかを持ち出すと、目に光が戻ってくるのがわかる。
この変化をこういうタイプの店員に見るのが大好きだ。言葉は接客用語だが、心の内では

「だよね~だよね~、オレだって家電屋で働くために理系卒業してメーカーに就職したわけじゃ
ないんだよね~、何がほしいのか自分でもわかってない団塊オヤジにウチの製品を無理やり
ねじ込むのってやっぱ苦痛じゃん?おまえなんかどうせ機能使いこなせないんだから、写ルンです
でも買って写真屋で現像してもらっとけってカンジだよね~、ていうか焼き増しお願いしま~す
みたいなw?ま~だけどどこの製品も横並びなんで結局は自分の欲しいものをハッキリさせてから
店にこれない奴ってなんなの?つーか八百屋に魚買いに来るバカ相手にしてるから儲けもある
んだよね~、あとコジマより高い!とかいうならコジマで買えっつーのwww」

という心理が垣間見えてきてとても楽しい。で、話し終わったら180度態度を変えて「で、いくら
まで下がるかでコレに決めるから限界価格を答えて」と突き放す時に、落ち込むのではなくニヤリ
と笑う奴がよい。これがpcfxの求めるベストの家電屋店員である。彼はニヤリと笑った。
非常に良い買い物ができて嬉しい。

そんなわけで今回、ジャージ感覚でニヤリとさせて気軽に楽しく購入したのがCASIOのコンデジ、
EX-ZR10」のブラックだ。レンズは回転しないが、いつかQV-2900UXのような完璧なデジカメが
出てくれるのを信じて待つことにする。それまでは気軽なデジカメで我慢しよう。


EX-ZR10のレビューはまた今度書く。友人の話も絡めて。

中年の幼児性

2011年06月27日 | そのた
年のせいか、数年前から涙もろくなった。そのような現象はよく聞く事だが、pcfxの場合に起こる
現象は、「感動がこみ上げてきて臨界を迎え、ホロリと涙する」というものではなく、まるで
「赤ん坊が泣き出すようなグズり」というべき感情が発露する。例えば歩き始めた赤ん坊が小走り
して転び、顔を上げた瞬間に「エヘッ、エヘッ、エヘッ・・・エ~~~~ン」と冒頭を小刻みに
2~3回刻むように泣くことがある。pcfxが涙もろくなる時は、まさにこのリズムで感情が臨界を
迎え、顔を歪ませながら「グズり」が起こる寸前までいくのだ。そしてそこに理性の抑止命令
ルーチンがソートされるので、人前では微かに顔を引つらせる程度で誤魔化すこともできる。
だが、自宅で一人映画を観るようなシチュでは抑止命令ルーチンがさほど強力には起動しない
ので、声までは出ないが表情がかなり歪む段階まで進行する。

で、さきほどの赤ん坊の泣きパターンである「エヘッ、エヘッ、エヘッ・・・エ~~~~ン」
だが、これにも感情抑止命令プログラムがソートされていることに最近気がついた。冒頭の
2~3回繰り返す「エヘッ」または「アヘッ」の刻みは、「泣きたい→我慢だ→泣きたい→我慢
だ→泣きたい→我慢・・・しきれんわボケェ~~~」というプログラムが走っているように
感ずる。
つまり赤ん坊は薄ら薄らでも「泣いてはいけないのだ」という規則を知っており、それは他者から
の停止命令ではなく「泣くよりも他にするべき事があるだろう→なぜ転んだのか検証しよう」と
いう行動補正プログラムの干渉なのだが、脳がまだうまく最適化されていないため考証が感情に
負け、ついに泣き出してしまい「転んじまったよ~母ちゃんヘルプミ~」と泣き叫ぶ結果になる
ようだ。

赤ん坊によっては「エヘッ」の刻みが3回以上続いてから泣き出す事もあるようだが、その回数は
行動補正プログラムの干渉リトライ回数に等しいのではないか。それは遺伝的に生まれ持った理性
回路の頑強さの証であり、もしかしたらその回数の個体平均を取れば、理性の差を数値的に表す
事ができるのではないだろうか。また、多くの赤ん坊が2~3回の刻みな事から、人類の理性干渉
(及び行動補正)プログラム介入回数平均は約2.5kzm(キザミー)なのではないか。これが多けれ
ばより理性的な人間に成長する可能性が高く、反対に少ないと感情的になるのやもしれない。男児
よりも女児のほうが回数が少なく、女児平均は2.0kzmであることから女性は感情的になっていく
のやもしれない。


などと妄想している隙にまた本筋から大幅に逸脱しており、まるで精度の低いナビ画面のように
海上を車で爆走している様相を呈している。

とにかく涙もろくなっているのは確かで、逆に怒りや固執などの感情は薄らいでいるように
感じる。人にはライフサイクル(生涯発達心理)というのがあるみたいで、年齢によって精神や
行動の傾向が変わるという説もあるようだ。それによると中年というのは自我のせめぎ合いから
緩やかに自我の統合へ向かいつつ、嫌悪感や絶望感が醸成されていく世代とされている。



涙もろくなる瞬間には多くの場合感情の葛藤がある。例えば

「か弱い子猫が母猫とはぐれ、カラスに啄かれながら母猫を探す」

というシーンがあったとすると、

「子猫=自分ではないから他人事であり弱いものが淘汰されるのは食物連鎖的に当然である」

  という強者の論理の理性的な見解と、

「ああ子猫ちゃんかわいそ、かわいそね」

  という母性本能による保護意識的憐憫と、

「子猫=弱い自分という投影に対する感傷」

  が綯い交ぜになって自我が葛藤する事になる。



しかしそれは意識の裏では、全ては等価で等質なものであり、母猫・子猫・カラスの3つの立場を
相対的に俯瞰する理性で統合されている。さらにはその理性や価値相対主義に到達した事に何の
意味があるのかという論理的な行き詰まりを自覚し、自己の理性やその集合体である社会を嫌悪
し、閉塞感に負けて絶望してしまうという顛末だ。



pcfxの「中年グズり」の反応は、カラスのように生きてきた事への母猫に対する罪悪感と、自分が
子猫を啄んできた事の後悔と、しかしそれは生きるために仕方なかったんや~という自己弁護と、
省みることのなかった子猫への憐憫という、それぞれのルーチンが相互矛盾を引き起こして
プログラムが暴走し、システムダウンを起こした際に救済起動したセーフモードであり、シンプル
なシステムが代行しているので、それは感情面を簡略化した幼児退行モードによるものかも知れ
ないのだ。

今のところ幼児退行モードを早期に通常モードに切り替える自己修復ルーチンが機能しているが、
年をとって行くに連れてこの機能は衰えていく気がする。また価値相対化が進むことにより、
恒常的に通常モードでいなければならない理由を証明できない事に気が付き、「もしかして
幼児的でもいんじゃね?」という妥協と緩みが老化を促進させ、人は老いを迎えるのではないか。

幼児的という概念をデフォルトと言い換えれば、そこに人間本来が元々もっていた野生生物の
基本を見つけることになり、それ以上の事は意識と知識を積み上げた1次キャッシュ上の儚い
データのように思えてくる。だからこのような小賢しい妄想的分析などは後回しにして
「エヘッ、エヘツ、エヘッ、・・・ウワ~~~~ン アオオ~~~ン ボゲ~~~~~~」と、
赤ん坊の泣き声を真似て泣き叫ぶのを優先したほうがいろいろ捗るのかも知れない。
最寄りの赤ん坊に学ぼう。

命令本

2011年06月26日 | マンガとかアニメとかほんとか
ビジネス書などを読んでいると、「よく根拠もあいまいなことをこれだけ強気で書けるな」と
ムカついてくる事がある。経済学を振り回してはいるが、大抵は経済学者の論文のコピペで、
そこに勝手に主観と出展があいまいな統計を入れてくる。経済学自体が論拠として3流である
のに、さらにダメな味付けをして台無しにするのがビジネス書だ。

大体、ビジネス書というのは「読みたくて読む」という筋の本ではなく「誰かに脅迫されて読む」
たぐいの本だ。その上無料配布しているならともかく、内容に見合わない値段で販売されている
のが相場だ。だから余計に腹がたつ存在となる。

これは自己啓発系やハウツー本にも同様の傾向が見られる。「論拠があいまいな本を脅迫的に高い
金を出して買わされる」というシチュエーションが伴うので、すなわちこれらは全て詐欺師の
手口の本だ。そんな手口で売りつけてくる本が役立つわけがない。


さて、これらの本の多くに、「~しなさい」というタイトルがついている事がある。「儲けたければ
新聞を読みなさい」とか、「英語は耳で覚えなさい」とかだ。一体何様のつもりなんだろうか。
命令形の言葉は「ツンデレ幼女」と「肝っ玉母さん」だけに許された特権であるのに、誰の許可を
得て使っているのか。そしてそれを喜んでホイホイ買う連中の気が知れない。真性の社畜であり
思考停止でありマゾヒストだ。いわば変態本であり、ロリ本を規制するよりこちらのほうを発禁に
すべきなのは明らかだ。

本を販売するということは、面識のない他人へメッセージを送る事とほぼ等しいが、面識のない
他人にいきなりの命令である。もうこの時点で失礼であり、それが礼儀作法のハウツー本だったり
する場合には呆れてるばかりだ。また、知らないことに対して知的好奇心を働かせて手にとった
本なのに、「知らないことは恥」と言わんばかりの上から目線であり、「俺は知ってるもんね!
教えてやろうか?」という悪鬼のような態度である。では知らないことを世界で最も教えてくれる
「google先生」は上から目線だろうか?「google先生」は上から目線とかではなく、そんな無駄な
プロセスを初めから省いているのだ。

よからぬ下心を持っていたり、利己主義を隠している者というのは余計な修飾を必ずするものだ。
海外旅行先で詐欺師が近づいてくる時の手口も同じだ。最初は親切そうに声をかけてくるが、
その親切はこちらの要求を超え、こちらの要求と違うものに変わっていく。最終的にはこちらが
必要としないものを買わせるのだ。親切心のある者は、その場で最低限必要なことだけ、控えめに
手伝ってくれる。また、「俺に任せろ!」とか「大船に乗った気持ちでいろ」という奴に限って
信用が追いついてない。この言葉を聞くと逆に不安になる事が多かろう。


命令形の本は、いかにも自信がありそうだが、その過剰な自信に逆に不安になる。こちらが必要
とする事以上の大風呂敷を広げ、いつしかこちらが求めていない結果を強要してくる。失礼で
上から目線で、根拠があいまいで、その上欲しくもないのに高価だ。これら「命令本」など
買う必要はなく、詐欺を蔓延らせる事に手を貸すべきではない。会社で上司から進められても
読む必要がないことは、タイトルで既にわかるのだ。

「読みもしないで勝手なことを言うな!」という著者の意見もあるかもしれないが、上から目線の
タイトルをつけた時点でもう著者の負けだ。上から目線のタイトルにした論拠はどうせ語れまい。

「実際に役に立ったぞ!」という読者の意見もあろうが、失礼なタイトルの上から目線本を疑い
もなく購入している時点で選択眼のなさを証明してしまっている。どうせ選択理由を論理的に
語れまい。



この世で許される命令形の本があるとしたら、リアルツンデレ幼女が著者の「もっとわたしに
やさしくしなさい!」とかのタイトルだろう。もちろん朗読CD付きで、「cv.釘宮理恵」に限る。
それ以外は全部認めない。「ツヨシしっかりしなさい」は、かないみか効果により例外で
ギリギリセーフだ。

A/D変換世代

2011年06月25日 | 機械とか
pcfxは1970年産まれだ。年齢はもう立派な中年だが、中身が立派かは議論の余地があると言われて
いる。青年期まではオッサンを「自分とは相互理解不可能なクリーチャー」くらいに認識して
いたが、いざ自分がオッサンになってみると、自分が青年と相互理解不可能になっているとは
思えない。世間擦れし、多少経験を積み、無駄な知識は増えたものの、精神は高校生の頃とさほど
変わっていない。

しかし、自分と同年代の人に妙な「相互理解の不可能性」を感じることがあり、オッサンのpcfxが
その人を見て「ああ、オッサンだなこのひと」と思う人もいる。妙に頭が固く、話題が限られて
おり、常識外の話を拒む。社会の決まりに疑いもせずに従っており、非常に保守的で新しい物を
避ける傾向が顕著だ。
むしろ「中年になるという事」のスタンダードは、このような人の事をいうのかも知れず、pcfxの
ような人間が例外で、実に子供のままの幼稚な人物なのかもしれない。

だが、実はpcfxは子供の頃、非常にオッサンくさい少年だった。同年代の子供を常に上から目線で
見ており、趣味は枯れた物を好み、新しい物も好きだったが古いものに愛着を感じていたの
だった。

オッサン小学生のpcfxは早熟で悪知恵も働いていたため、周りの同級生が全てバカに見え、また
幼稚に見えたので親しい友人は限られた。「努力しなくても常に成績TOP10に入る人」としか
遊ばなかった。学年の初めに教科書が配られると、それをパラパラと読んだだけで頭に入るので
授業など聞いておらず、常に手遊びや落書きやパラパラマンガの作成に勤しみながらテストは大体
満点だった。先生も特に授業の妨害さえしなければ放置していてくれていた。クラスメイトが
「学習塾に行く」という事の意味がわからず、しかも自分より成績が悪いという事を不思議に
思っていたのだった。

こう書くと偉そうに見えるが、子供が早熟で悪知恵が働くというのは、あまりいい結果には
ならないものだ。まず集団に馴染めない。そして人を小馬鹿にするようになるので大人にも可愛
がられない。世の中を舐めきり、年上を敬えないので社会と順応しにくい。努力する事を知らな
いので怠惰な性格になり、達成の喜びを知らない。同世代の普遍的な価値観を共有できないので
孤独感が増す。

こういうヒネたガキのpcfxを見た母親は将来が心配になったのだろう。いきなり「とあるスポーツ
団体」にpcfxを放りこみ、「スパルタ集団スポーツ&サバイバル&バイオレンス」な環境で生活
することを余儀なくされた。土曜日は習字・柔道、日曜日は古武道・水泳・剣道、連休は
キャンプ、夏休みは船舶訓練、冬休みは雪山登山だ。また禅寺で坐禅、先生の自宅で家の掃除や
畑の世話などをやらされる事になってしまった。

今の常識では考えられない事だが、昔はこれが社会に容認されていたのだ。先生や団体幹部が
警察のOBだらけなので苦情も闇から闇。小学生を山奥に放置して自力で3日かけて下山させる
などはかなり問題のある行為だと思われるし、冬山でビバークしながら凍えて正月を迎える壮絶な
体験をさせてもらった。武道では先輩に不条理にガスガス殴られ体は青タンだらけ。食料が現地
調達が基本の「さわやか夏のオリエンテーション(笑)」ではマムシ捕まえてを自分で捌いたり、
1日野草を探し回るだけの夏休みが、山奥で脱走不可能な場所で毎年開催される。海上では炎天下
の中、帆船の帆を一日中巻き上げたり降ろしたり、一日中デッキブラシで甲板掃除をしたり、
一日中手旗信号の練習をしたり、魚が釣れなかった者はおかずなしで玄米だけの食事が待って
いた。禅寺では真冬に半袖短パンの体操着で一日中坐禅を組まされ、先生の家に定期的に泊まら
されて奴隷のように酷使された。

このような体験を数年間続けさせられ、pcfxが「健全な青少年」になったかというと、その体験が
アダになって、見ての通りの不健全のカタマリになったのだった。多少タフにはなったかも
知れないが、今でもその「とあるスポーツ団体」には恨みしか残っていない。今でも革命でも
あったらアレをアレしたい気持ちだ。全員もげろ。

そんな団体とも遠方への引越しを機会に決別でき、そういう精神主義的・超健全志向な考え方が
大嫌いになったpcfxは、リベラルな左巻き思想に傾倒していくことになった。




さて、やっとここから本題に入るのだが、そのように何でも自力でやらされた世代は、おそらく
pcfxの世代くらいが最後だったのではないか。遊びでも、幼年期は凧揚げコマ回しおはじき
メンコなど昔ながらのものを踏襲しつつ、ミクロマンやプラモなどのような当時の現代玩具で
遊び、小学生も上級になると電子ゲームで遊びはじめる。中学生や高校生になるとパソコン
使うようになり、大人になったらインターネットを使うようになった。

pcfxの世代は実に多様な経験や遊びを次々に体験していった世代であり、アナログ時代とデジタル
時代を両方生きてきた。それ以前の世代はデジタル的なものに抵抗を感じ、それ以後の世代は
アナログを知らない。この世代とは大体、1965年から1975年くらいの間の10年間に生まれた世代
だ。日本は1980年頃に大きな変化があり、その頃に物心がついた世代だ。1980年より前という
のは、まだ日本は戦争の爪あとを残していた。傷痍軍人がアコーディオンを鳴らしていたのを
自分の目で見た人と、そうでない人の差だ。まだ日本が全体的に貧乏で、子供は鼻を垂らして
ズボンのヒザが破れて繕ってあり、家庭には日本人形木彫りの熊が飾ってあり、観光地に行くと
必ず三角形のペナントを買って部屋の壁に貼っていた、そんな時代だ。

ところが1980年を境に、子供たちの服は小奇麗になり、家庭から和風な雰囲気が消えていき、
ソロバンの代わりに電卓を使い、子供たちの遊びは電子ゲーム一色になっていった。傷痍軍人たち
はどこに消えたのか見当たらなくなった。

今ではすっかりデジタルライフを満喫しているpcfxの世代だが、それはアナログの基礎の上に
ある。突然世界からデジタルメディアが消滅するような事になっても、とりあえずラジオくらい
は部品を寄せ集めて作ることができる。食料が買えなくなっても、野草や野生動物を採って
食べる事がなんとかできる。ゲーム機がなくても自分でボードゲームなどを作って遊ぶ事が
できる。ナビがなくても地図を見ることができ、太陽の方向で方角を知ることができる。ググら
なくても基本的な知識はある程度知っており、デジカメがなくてもピンホールカメラを自作し、
青写真を現像することができる。

また今後次々にデジタルメディアが発達しても、躊躇なくついていくことができるだろう。現在の
年配者はメール一つ自分で操作できない人もいるが、pcfx世代はそこまで機械音痴にならない。
多少は若者に遅れを取るかもしれないが、逆に若者が思いつかない発想で問題を解決する事が
できるだろう。このような世代は「アナログ/デジタル変換世代」といってもよく、割と柔軟に
時代やテクノロジーに対応できる資質を持つ、いくらか有利な世代なのだ。

無論、この世代でもアナログ時代を知らずに育った環境の人もいるだろうし、デジタルについて
いけない人もいるだろうが、個人差はあるものの、そのようなことができる環境にいた事は確か
であり、できる者は幸いである。


そんなわけで、pcfxの世代は、それまでの「オッサン」とはまた違ったオッサンなのであり、
若者と「ほむほむ萌え」などの話で盛り上がれる一方、年寄りと囲碁を打ったり昔話を共有
できるワイドな変態ライフを送ることができる。そして、昔の日本をデジタルに変換できる
最後の世代だ。インターネットの世界にはネット以前の記録が圧倒的に不足しているが、それを
後世に伝える変換を行う義務があるのではないかと思う。ネットの情報とは、超個人的な趣味
趣向や、一見他の誰にも価値を見いだせない日記や記録や思い出の集合体だ。それらのデータは
誰がいつ必要とするか知れないものだが、データというのはそういうものだ。とにかくあらゆる
データは残しておくものであり、いつか必ずそのデータで助かったり役立ったりするものだ。

pcfxが地方の歴史を追う際にも、登山者がたまたま見た遺構のスナップ写真や、たった一行の
独り言、年寄りと話した世間話の記事が大いに役立っているが、これら日記サイトや仲間内向け
の記念カキコは、通常はサーバーの負荷程度にしか思われない。



古い時代と直接繋がっている最後の世代は、「A/Dコンバーター」となって未来の人々に過去を
伝えよう。家に死蔵された子供の頃の写真アルバムも、ネットにアップロードすればデータと
なり、過去の記録として貴重なものとなる。まだ祖父や祖母が健在なら、できるだけ昔話を記録
すべきだ。個人の戦争体験や大正時代の恋の思い出話だって貴重な資料となる。またそれによって
世代を超えたコミュニケーションがうまれ、疎外していく未来へのフォローになるだろう。
年寄りを無価値で邪魔なものとせず、本来の年寄りの価値を発掘していきたい。

これもアナログとデジタルを両方制御できる世代にしかできない事なのだから。

ずんずん教の野望

2011年06月25日 | げーむ
昨日、JR名古屋駅でホームに到着した新幹線を降りる乗客を、片っ端から名古屋撃ちで倒していく
シューティングゲームが発売されるという夢を見た。自分で見た夢ながら、目が覚めて「なんじゃ
こりゃ」と自分ツッコミを余儀なくされたが、どうもどこかでみた構図だった。1日考え、やっと
それが「ずんずん教の野望」のワンシーンに似ている事を思い出したのだった。

世界で最もクールなゲーム会社、SEGAが1994年に世に放った問題作が「ずんずん教の野望」だ。

プレイヤーの操作するお地蔵さんで、謎の宗教団体「ずんずん教」を壊滅させるシューティング
ゲームだ。日本・アジア・欧州・米国にそれぞれ支部があり、それぞれにある派閥を全て潰して
いく。冒頭に「実在する宗教団体とは関係ありません」と出るが、1994年といえば「オウム真理教」
が世間を騒がせていた真っ只中の時代だった。

pcfxの夢に出てきたシーンは、このゲームの「日本支部」の「上野駅東北線乗り場」で繰り広げ
られる、「朝まで泥酔派」という派閥と戦う場面と似ていた。
このゲームの雰囲気はなんとなく「ごんべえのあいむそ~り~」に似ており、やはり発売はSEGA
だった。さすがはSEGAだ。



「ずんずん教」のラスボスは「地球の無意識」が具現化した「アースノイド」という奴だが、この
ゲームは2周してゲームオーバーになる。


このゲームが発売された当時、pcfxはスコアネームを「ZUN」と名乗っていたので、よく仲間に
「ZUNZUN教」などと揶揄されたものだったが、加えてオウム真理教が色々と事件を起こしている
最中に出たゲームでもあり、一部のゲーマーに「ヤベェゲーム」という印象を与えていた。

特定の宗教を信仰しないpcfxは当時、オウム真理教にかなり関心を持っていた。名古屋支部の
道場を見学したこともあり、大須のパソコンショップの「マーハーポーシャ」やオウムグッズを
販売していた「サティアンショップ」にも足を運んだ。マハーポーシャの呼び込みが大須商店街で
奇妙な掛け声や歌や踊りをしていたのは面白かったし、サティアンショップで販売されていた
「青山弁護士ノート」「尊師メモ帳」なども面白がって買っていた。

オウム真理教は「テロ集団」という印象が強いと思われるが、事件を起こす前にはいろんな著名人
がオウムを評価していた。ビートたけし、吉本隆明、中沢新一などだ。pcfxも当時、サーンキャー
哲学
や古代仏教系の本を読み漁っていたが、日本語訳された資料が少なくて困っていた。そこに
オウム真理教がそれらの翻訳本を発行しているという情報を聞いて、名古屋市の東新町あたりに
あったオウム真理教名古屋支部に買い求めにいったのだった。

「万国ビル」というわりと大きなビルがあり、その3階が名古屋支部だった。入り口付近にある
受付で本を探しているという旨を話すと、サマナ服を着た女性信者が数冊の本を持ってきた。
やたら高い本だったが仕方なく3冊ほど購入した。するとなぜか、読者登録をしてほしいので
ここに名前と住所と電話番号を書いてくれ、とユーザー登録を求められた。新興宗教への応対
には慣れていたのでデタラメを書いて渡した。これはサービスですと、オウム真理教の発行する
機関紙や麻原の著書などを差し出してきたのでもらっておいた。

その後受付の女性と古代仏教やバラモン教の話をしたのだがあまり詳しくない。上級信者らしき
男も出てきたが、これも話がシドロモドロだった。「ああ、あんまり勉強してないな」という
のは一発でわかった。それ以上は無駄のようなので引き上げたが、購入した翻訳書は割と良い
内容で、ずいぶんと役にたった。タダでもらった機関紙は石井久子が表紙に出ており、「あの時
私は光だった」などと、まるでエロ本のような雰囲気だった。また麻原の著書も「最終解脱者」
とか紹介されており、「ああ、また自称か」と、ライト感覚な新興宗教そのものといった印象
だった。


pcfxがオウムを知ったのは割と古く、「つのだじろう」のマンガの中で、空中浮遊に成功した
麻原が紹介されていたのを読んだのが最初だ。変なオッサンが上半身裸で蓮華座のまま中に
浮いてる写真があった。「オウム神仙の会の麻原氏が空中浮遊に成功」という見出しで、雑誌
「ムー」に掲載されている記事もあった。それが80年代半ばくらいの時期だったと思う。

pcfxは学術的なこと以外には宗教に興味がなかったので「ああ、また超能力か」程度の印象しか
なかったのだが、この時なんとなくだが、「この宗教は大本教と同じ運命をたどるのでは」と
思ったのを覚えている。大本教がどんな宗教団体だったのかはググってもらうとして、公安に
目をつけられる要素をそこかしこに感じたのだった。そして案の定の終焉を迎えていた。



インド教である「ヒンドゥー教」は日本神道とシステムが似ている。統治者が地方を治めていく
時に、地方の神様を飲み込んで「あれも神様、これも神様」と認定していく。そしてそのつじつま
を合わせていく「神話」が産まれるのだが、それぞれの土着信仰を継ぎ接ぎするので、たまに
強引でおかしなエピソードになることがある。ヒンドゥーではガネーシャの話などがそれだ。

それらの物語を人類学的・社会学的・文学的に読むのは楽しいものだが、なんかそれを真正面から
真面目に受け取って信じこみ、拝み倒す人もいる。面白い物語なのに、なんだかもったいない話
だ。また逆に「宗教だからダメだ」と真っ向から否定する人もいるが、それももったいない。
神話には含蓄に富んだ面白い話が多いというのに。

で、神話とは物語なので、これは現在のマンガやアニメに通ずる。素直に物語やキャラを楽しめば
よいのだが、中にはストライクに受け取って狂信化したり神格化したり厨ニ化したりする人も
いるようだ。また「オタクキモイ」とバッサリ切り捨てる人もいる。両方もったいない話だ。

ヒンドゥー教の神様たちへのインド人の信仰は、多神教である点や土着信仰の併呑などが日本神話
と似ているが、信仰のされ方は日本におけるアニメキャラ萌えと似ている側面がある。それぞれが
贔屓の神様を信仰するのだが、それが一人だけとは限らない。3人セットというのもザラだ。
例えばラクシュミ神萌えの信者は、ほぼガネーシャ神も信仰する。なぜかというと、「ラクシュミ
神はガネーシャ神と大変仲が良いから」というのが理由だ。仲が良い神様を別々に信仰するのも
おかしな話だ。このへんが多神教の面白さなんだが、一神教の連中にはこの醍醐味がわからない
らしい。すぐに「多神教=精霊信仰=原始的宗教=野蛮」というレッテルを貼りつけてくる。

また、インドでは婚前交渉はタブーとされることが多いが、だからといって男の性欲が我慢される
はずもない。ネット以前はポルノも手に入らなかったインド人男性は自分で処理していたわけ
だが、ズリネタにも事欠くので、部屋に飾ってある萌えポスターを見て抜くこともしばしばあった
のだ。つまり女神様のありがたいお姿ポスターをネタにしているわけだ。ははあ、どうりで
ヒンドゥーの神様ポスターの女神様は艶めかしく描かれているわけだ。それが罰当たりだという
人もいるだろうが、左道タントラの一つでありこれも修行の一環なのだ。日本人のオタが
かんなぎ」をネタに抜くのと大体同じであり、エロ同人誌を描くのも徳を積む一環なわけだ。

現在の日本人はインド人と比べて、少し神道に無関心過ぎる。もっとウズメとかアマテラスに
生々しい興味を向けるべきであり、ちょっとグロ志向な方はイザナミとかに萌えるべきだろう。
信仰されない神様はどんどん力を失ってしまう。オタの女神萌えや巫女萌えは国力増強になくては
ならないパワーの源であり、神社の聖地巡礼で萌え絵馬もどんどん奉納するべきであり、全国で
立ち腐っていく神楽殿を利用してオタダンスを奉納すべきなのだ。

なにかと閉塞する昨今の日本だが、その突破口はインド人に見習った、日本神道の再興にある。
もう政府が「信仰もほどほどにせよ」と困るくらいの盛り上がりを見せることが、日本再生への
唯一の具体的な方法論だ。


大本教やオウム真理教の失敗は日本神道の軽視にあり、土着神であるお地蔵さんの仏罰だ。
「ずんずん教の野望」も金地蔵と銀地蔵によって潰える。日本人の信仰が日本人を救うのであり、
わざわざ新しく宗教を作ったり輸入しなくても、いつでも答えは足元にあるのだ。

カレーとかカレー屋とか

2011年06月23日 | たべもの のみもの
ついに名古屋もフツーに30度を超えるようになってきた。暑い。こう暑いと誰かを殺したくなって
くるが、それはまずいのでエアコンを入れた。むー涼しい。普段は冷茶ばかり飲んでいるpcfx
だが、今日はコンビニで「Bikkle」のペットボトルを買ってしまった。いわばヤクルト7.7本を
一気飲みするカンジだ。

暑くなると「暑いときは熱いもの理論」によってカレーが無性に食べたくなる。また寒い冬も体を
温めるためにカレーを多く食べる。気候のよい春や秋は無理なくカレーが食べられる季節だ。
つまり何かと理由をつけて年中カレーばかり食べているpcfxだ。

カレーは家でも食べるし外でも食べる。外食で何を食べるか散々迷った末に、高確率でカレーを
注文してしまう。喫茶店でもカレー、博物館でもカレー、大学病院の食堂でもカレー、牛丼屋
でもカレー、行政施設の食堂でもカレー、大衆食堂でもファミレスでも旅行先でもカレーだ。
インドでは数カ月間毎日3食カレーだった。
カレー専門店のチェーンにも突入する。名古屋ではやはり「ココイチ」の独壇場だが、最近は
他地域のチェーン店がジワジワと名古屋に上陸を開始している。東京に遊びに行くときには
名古屋にはないチェーン店にいく。

pcfxはカレーの味にさほど拘らない。無論マズいのはダメだが、ミックススパイスの料理に
標準的な味を求めるというのも変な話しだ。アジア各国・各地域で味が違うし、日本独特の
カレーもある。欧風カレーや家庭のカレーもある。「こんなのカレーじゃない」とか言った所で
それは経験の少なさや見識の狭さを露呈するだけだ。ボンカレーだって立派なカレーだ。


pcfxにも好みはある。タイ・カレーのグリーンカレーも好きだし、トマトと生クリームとチョコが
入った欧風カレーも好きだ。ココイチのポークカレーに至福を覚える。インドでは毎日気が狂う
程カレーばかり食べたが、インドの地方都市の片隅にある普通の食堂で、昼時に食べるターリー
(インドの定食)のホウレンソウのカレーが一番ウマかった。

北インドではチャパティ(インドの一般的なパン)で食べる。日本でおなじみの「ナン」は
どこでも食べれるものではなく、大型の釜をもった食堂でないと作れない。しかも高い。
慣れてくるとチャパティのほうがウマく感じるようになる。プーリー(チャパティを油で揚げた
もの)はごちそうだ。

南インドではやたら長い粒の米飯で食べる。この長い米は炊き方も違えば水の質も悪いので日本人
の感覚ではウマいとはいいにくい。だが不思議なことに1週間も毎日食べていると気にならなく
なり、1ヶ月もすれば「これはこれでアリだな」と思えるようになってくる。日本の米飯とはまた
違った「別の食べ物」という認識に変わる。南インドの食堂では、席に座ると何も注文
しなくても店員の兄ちゃんがテーブルにバナナの葉っぱを敷き、コップの水を葉っぱにぶっかけ
る。これで「葉っぱの洗浄」は完了だ。そういう国なんだから仕方がない。そしてボウルを片手
にやってきて、葉っぱの上に飯を適当に載せる。そこにカレーをぶっかける。それをおもむろに
右手で手掴みで食べ、平らげると自動的にまた飯が盛られてカレーをぶっかけてくる。もう
ストップというまで延々とそれを繰り返す。どれだけ食べても同じ値段なのでお得だ。カレーは
大抵ベジタリアンカレーで、具は日替わりだったり昨日と同じだったりとテキトーだ。

このような食事が朝から晩まで毎日容赦なく続く。無論、短期滞在だったり資金に余裕があれば
他になんだって食べられるが、インドでは大抵、「カレーとカレーじゃないもの」には大きな
値段の開きがある。数ヶ月に渡って長期に旅を続けると資金は節約しなければならず、また
インドの金銭感覚に慣れると、食事はカレー一択になるのが普通だ。因みに食堂のターリーは
大体¥50。同じボリュームをマクドナルドで食べると¥150から¥200くらいになる。
20年前のターリーの値段は¥25くらいだった。

そのように毎日カレーを食べていると、もう一生分以上のカレーを食べたような気がする筈
なのだが、もう体がカレー体質になっているので割と平気で帰国後空港からココイチへ直行
できる。もう体臭もカレーであり、インド帰りの者は指先が少し黄色くなっている。


さて、そんな旅情をリピートしたくなり、たまにインド料理屋にいく。最近はやたらとそれっぽい
店が乱立し、「ネパール・インド料理」「パキスタン・インド料理」などの看板を出して出店
ラッシュしている。昔は日本のインド料理店というのは高いのが相場で、客単価¥2500
くらいだったのだが、最近はそれも大衆化したようだ。ランチバイキング¥680という店も
見かける。いい時代になったものだ。インド料理屋に多い屋号は「ガネーシャ」とか「デリー」
とか「マハラジャ」というところか。「中華料理・北京」「日本料理・東京」という発想だ。
もっとも、一般の日本人にインドの地方都市の名前などさほど知れ渡っているわけでもなく、
つかみとしては「印度料理・デリー」は妥当な名前だろう。「コルカタ」だとバングラディシュ
料理も混ざっていそうだし、「チェンナイ」だとナンが食べられそうになく、「ゴア」だと
マリファナ入りのカレーが出てきそうで、「ムンバイ」だとカレー食べてる最中に映画の撮影が
始まりそうで落ち着かない。



ここからやっと本題に入るのだが、名古屋の南アジア(イランからミャンマーまでの東西各国)
料理店の隠れた名店に、藤が丘のパキスタン(及びインド)料理店、「カシミール」がある。
「またカシミールか!」とpcfxのkashmir好き好き話にウンザリされているかもしれないが、これがまた
偶然同じ名前なのだから仕方がない。藤が丘には昔務めていた会社があったのだ。

この「カシミール」というのは、インド北部あたりの地域で、国境紛争地域だ。インドと
パキスタンがカシミール地方を南北に分断してそれぞれが実効支配している。そこに中国も国境を
隣接しているのをいいことにちょっかいを出している。そういう微妙な地域故に、旅行者が気軽に
立ち寄れる場所ではない。この地域への入境には外国人入境許可証が必要であり、発行には多くの
時間がかかる上に条件もある。まあいくらか金を乗せればすぐその場で発行してくれるのだが。
pcfxの時は1200ルピーをうっかりパスポートに挟んだまま申請用紙と共に提出する事によって
最優先で発行させた。インド人の仕事など待ってられない。

カシミール地方は多くの場所で銃撃や爆発が珍しくないので、ある程度覚悟が必要になる。
そんな所にわざわざ時間と金を使っていくのだから誠にご苦労さんな事だ。


で、パキスタン人の立場から見ればインドは憎っくき侵略者だ。だから「パキスタン料理店」の
「カシミール」とは、北部カシミール地域の事を指し、pcfxが入境した南部カシミールとは
また別の地域となるわけだ。非常にややこしく微妙な問題だが、元々カシミール地域は山岳に
分断され、それぞれの地区で文化や宗教が違う多彩な顔を持つ地域だ。ここでは平和な仏教徒の
坊さんもAK47をイスラム過激派にぶっ放す[要出典]。実際に「女犯坊そのもの」という僧侶も
いる[要出典]。pcfxも幾度か危ない目にあったが、まあなんとか生きて帰ってきた[要出典]

「インド料理・カシミール」と書けば、知名度でもっと客が入るかもしれないが、そこは
パキスタン人の意地だ。絶対にカシミール地域はパキスタンのものなんだ、という意気込みを
店名から感じる。一方で「インド料理・カシミール」という店名の店も各地にあるようだ
同じ屋号の地域名なのにインド料理の店とパキスタン料理の店がある。我々で言えば
「日本料理・国後」と「ロシア料理・クナシル」があるような感じだ。

話の9割が脱線して別の鉄道会社の路線と交わっているが、この「パキスタン料理・カシミール」
はおいしい店だ。昼のランチは食べ放題で¥650と安いが、肝心なのはそこではなく夜の時間帯
だ。この店は目立たない所にあるので、藤が丘在住者でも知らない人が多い。だから平日の夜に
なると非常に客が少ない。そこでゆっくりとディナーセットを食べるのがよい。注文を受けてから
スパイスを混ぜ始めるので少々時間はかかるがその分おいしい。



この店のカレーでお勧めなのが「マトンサグワラ」だ。じっくり煮込まれた羊肉がゴロゴロ
入っており、カレーのベースはホウレンソウだ。とてもクリーミーなカレーで、焼きたての
ふっくらモチモチのナンとの相性はバツグンだ。ディナーセットにはカレー1品に、タンドリー
チキン・ケバブ・サラダ・ドリンクがついており¥1500だが安く感じるおいしさ。それが
藤が丘駅近くにある「パキスタン料理・カシミール」だ。お近くの方は寄ってみてはいかが
だろうか。

地下鉄藤が丘駅前の藤が丘交差点を南西に進むと「GAZA」というファッションビル
があり、その地下にある。表に目立つ看板はないので注意が必要だ。

藤が丘には浮上式リニアモーターカー路線の「リニモ」の駅や、宝塚や鉄道やTRPGに特化した
珍しい本屋「白樺書房」がある。ついでに楽しんでみてはいかがだろうか。


ダーウィン4078とか

2011年06月23日 | げーむ
pcfxは福岡県福岡市産まれだ。現在城南区と呼ばれている地域で誕生し、しばらくそのあたりに
住んでいた。

70年代の後半の小学生低学年時代、「片江小学校」に通っていたのだが、家から学校までの
通学路はまだ田んぼと小川と沼だった。小学生低学年の男の子というのは必ず寄り道しながら帰る
ものだ。pcfxもご多分にもれず、通学路途中にある沼に毎日寄っては鮒だのカエルだのを捕まえて
いた。沼なので足元はぬかるんでいる。ズック靴は泥にズブズブと埋まっていく。

この「埋まっていく様子」を表すこの地域の方言で、「いぼる」という言葉がある。博多弁での
正しい用法は「うわ~足がいぼった!」「そこ気ィつけんと、バリいぼるったい」などだ。

で、何が言いたいのかというと、データイースト謹製のアーケードゲーム、「ダーウィン4078」で
時期をパワーアップさせるアイテムが「イボル」だという事なのだが、前置きが謎な上ローカル
過ぎて甚だ遺憾である。



この「イボル」は「EVOL」と書くので、ずっと「エボル」だと思っていたが、調べると読みは
「イボル」らしい。


「ダーウィン4078」については以前少し書いたが、ここで改めて書いていきたい。



このゲームでは自機が「イボル」によってどんどん「進化」し、強力な攻撃をすることができる
ようになる。また進化のさせかたによっては「突然変異」というスタンダードでないパワーアップ
をすることがある。自機の最強形態は「逆進化」という手順で発生する「BLACK DEAM」で、
コウモリのような姿になってモノスゴイ攻撃を行う事ができ、かつ敵弾には無敵になる。



一旦この形態になって「イボル」を取り続ければゲームは自動的にチート状態になる。
「楽勝だネ!」と60年代の手紙のような「カタカナ語尾」で喋りたくなるほどです楽ですネ。
暑くなってきましたネ。お父さんお母さんのいうことをよく聞いてお勉強ガンバッテ。

しかし先のエリアまで進むと一定時間内にイボルを出す敵が出てこなくなることがあり、せっかく
のヒャッハー状態は終焉を迎えてしまいますヨ。気をつけてくださいネ。


さて、このゲームでは進化形態で被弾すると即死にはならないヨ。最弱状態の「PISTER」に
退化する事になるのネ。この状態で被弾すると自機を一つ失うヨ。
気味が悪いのでカタカナ語尾はもうやめマス。



pcfx的に、この「ダーウィン4078」で最も好きな部分が、被弾してPISTERになる時だ。被弾して
からPISTERに退化するまでのアニメーション時間は無敵になるのだが、この時になんとも
情けない「ビュ~~ウン」という効果音と共に退化していくのだ。非常に小さくなり、攻撃も
豆鉄砲になってしまう。この時が好きだ。諸行無常であり盛者必衰の理を表す。まるでバブルの
頃に羽振りが良かった人がバブル崩壊と共に財産を失い、経済力の他に元気も失ってしまうかの
ような弱体ぶりが哀愁を誘う。



このような感覚は自分にも投影されており、調子づいている時に何らかの失敗によって意気消沈
してしまう際、この「ビュ~~ウン」という情けない音が聞こえてくる。先程まで調子にのって
羽をバッサバッサ羽ばたいて周囲を圧倒していたのに、みるみるうちにしぼんで行き、身を
小さくして豆鉄砲で言い訳をする事になる。



「ダーウィン4078」の自機はどことなく「イカ」を連想させる。焼いて食べるとうまそうな
機体であり、惜しいのは一番うまいゲソの部分の描写がない事だが、自機の色が薄いピンク色で
それはスルメに似ており、つい七輪で炙って冷酒のアテにしたくなる。しかし突然変異形態は
全然イカに見えないのでpcfx的には不満だ。コンビニなどでアタリメやスルメをよく購入する
pcfxだが、そのたびに「ダーウィン4078」を思い出し、軽やかな口当たりの大吟醸酒の小瓶も
一緒に買ってしまう。家に帰ってそれらを飲み食いしながら、少年時代の沼での遊びを思い出し、
足をイボらせてトノサマガエルや鮒を捕まえ爆竹で爆死させたなあ、などと感慨にふけりながら
「ダーウィン4078」のゲーム基板に電源を入れてしまう。



やはり前面横一列にミサイルを出す「ZUGOGA」で進化を止めて戦うのがイイ。因みに博多弁の
一種で「凄い!」を「スゴか!」と言い、「ずるいぞ!」を「ズッコか!」と言う地方がある。
「ZUGOGA」で最大連射を続けると処理落ちして画面の動きが遅くなる。凄くずるい形態だが
調子に乗ってると被弾してPISTERに退化し、泥沼にイボるのだ。

まんがタイムきららMAXとかREDいちごとか

2011年06月21日 | マンガとかアニメとかほんとか
何度か既に書いているが、pcfxはマンガ家のkashmirの作品が非常に好きだ。最近までは単行本を
購入して読む程度だったのだが、遂に我慢しきれなくなって掲載雑誌の購入にまで至った。

で、困ったのがその雑誌の見分け方についてだ。ここ数年マンガ雑誌を買って読むことがなかった
ので、その辺の出版事情に疎くなっていた。どうやら「まんがタイム」という雑誌らしいのだが
本屋に行くとなんか種類がいっぱいある。どれだったのか確認してこなかったので出直し、後日
それが「まんがタイムきららMAX」というものだと覚えたつもりだった。しかし本屋にあったのは
「まんがタイムきらら」だけで、「MAX」の文字がない。雑誌は輪ゴムで閉じてあり、表紙には
掲載マンガ家の一覧がない。仕方ないのでまた家に帰り、kashmir氏のサイトと芳文社のサイトを
確認し、「MAX」で間違いない事を確かめた。後日また数軒の本屋に行ったのだが、「MAX」は
ない。しょうがないのでまた家に帰り、雑誌の発売日を確かめると、次号は半月後に発売らしい。

と、このような池沼的なガキの使いを繰り返した挙句、ようやく発売日になった。今度こそ大丈夫
とばかりに勇んで本屋に行くと、「まんがタイムきららMAX」は無い。中年のpcfxが羞恥プレイ的
に店員に「あのう、まんがタイムきららMAXはありませんか?」とたずねると、「売り切れ
ました」との返事。くそう、もうこうなったら意地だ。何がなんでも購入してやるぜ!と謎の
闘志を燃やして本屋巡りの旅の末、4軒目でやっと見つけた。発売日の午後3時で既に売り切れ
続出というのは意外だった。そんなに売れてる雑誌だったのか。

購入して本屋の駐車場で即輪ゴムを解き、真っ先に最後のページの目次を見る。

あった。「◯本の住人 kashmir」の文字。言いようのない安堵感と達成感を感じ、その場でその
マンガを読み終わった。平日昼間に本屋の駐車場でマンガ雑誌を見て吹き出す中年男を、行き交う
人々が怪訝そうに見ている。通報されそうな勢いだ。その場を逃げるように去るpcfx。


家に帰り、せっかくだからとお目当ての「◯本の住人」以外のマンガも読んでみた。

が、なんか目が滑って「読めない」。どうしたことだろうか?なんか体に異常でも起こったの
だろうか?

pcfxは「萌えマンガ」にさほどアレルギーがあるわけではない。だがしかし、なんか読んでも
内容が頭に入らない。ヒトコマヒトコマを順に追えず、文字通り目が滑ってまともに読めない
のだ。

割と衝撃的な体験だったが、努力してなんとか全マンガを読み終わった。読み終わってみると
中には面白い作品もあったが、ホイップクリームのように軽く手応えがない。そこに実在を確かに
認識できるのはkashmirの「◯本の住人」だけで、あとは夢を見ているような不安定な感覚だ。

そして「なぜkashmir氏のマンガがこの雑誌に掲載されているのだろう?」という疑問に変わる。
だが見方を変えると、他の人にはkashmir作品も他の作品と同じようなカテゴリとして認識され
ているのかもしれず、雑誌のタイトルの「きららMAX」とは適当につけただけのものではなく、
むしろ雑誌の性格を明確に表していたのではなかったか。つまり、「キラキラした美少女を」
「最大限(MAX)に強調した雑誌」というものではないのか。

そう考えてみると、間違った認識をしていたのはpcfxだけであり、出版社も作者も、さらに
それらを求めている読者層も自然で当然の位置にいると思えてきた。


いや、まて。しかしなんだかそりゃおかしい。あやうく騙されそうになっていた。やはり自分は
間違ってはいないのではないか。

確かにkashmir絵はかわいい。だが「かわいい」というのが売りというのとはちょっと違う。
またkashmir氏のギャグの次元は、やはりこの雑誌の他のマンガと違う。どちらかというと調和を
乱している存在だ。それが巻末にあるのならまだ理解もできる。巻末マンガという位置がデザート
的・実験的・特異的な存在を許す不文律になっているからだ。しかし「まんがタイムきららmax」
では雑誌の中ほどにkashmir作品が「さりげなく混ぜられて」いる。

これを「常識破り」と見るのか、「新しい価値観」と見るのか、または「編集が作品や作家を
理解してない」と見ていいのか、判断がつかない。色々と調べてみると、「◯本の住人」は
掲載当初、連載の予定ではなかったと聞く。数回の単発掲載の末になし崩しに連載になった
ようだ。たしかに当初の絵柄は現在と違っており、「雑誌の性格に配慮」した作風に見える。
しかし2話から段々といつものkashmir作風に変わって来ており、暴走キャラ「ちーちゃん」が
登場している。5話あたりではもうすっかり「The・kashmir」だ。

これまで単行本しか読んでなかったpcfxにとって、まさか「◯本の住人」がこのような環境で
掲載されていたとは夢にも思わなかった。全く意外であり驚きだった。少し調べたところ、
どうやら「◯本の住人」はkashmir氏の一般商業誌デビュー作のようだ。ということは芳文社の
編集者がkashmir氏を見出した可能性も考えられ、そう考えると「作品や作家を理解してない」
どころか「物凄く見る目がある」ということになる。


以上、これらはpcfxの私見であり想像に過ぎない。とにかく雑誌をみて驚いたということだ。




さて、pcfxは単行本しか読んでなかったため、まだ単行本になってない「彼女はUXO」を読んだ
ことがなかった。そこでそれが掲載されている雑誌「チャンピオンREDいちご」というのも
買って読んでみることにした。

こちらも驚きだった。半分エロマンガ雑誌だ。どこにも18禁の表示はないので一般誌なのだろう
が、ということはkashmir氏の「彼女はUXO」という作品はエロマンガ系なのか?という不安と
期待に震えながら雑誌を閉じているヒモを外してみた。なんかオマケがついている。タオルの
ようだが、巨乳キャラの絵が描いてある。最近の雑誌はすごいな、と思いつつ目次を見る。
この雑誌でもkashmir作品は中程に掲載されており、ということは巻末の特異な扱いではなく
「雑誌の性格に合った作品群」の中の一つという扱いなのだろう、などと予想しながらページを
めくってみた。

・・・セーラー服の少女の股間に竹槍が生えている。やはりそういう傾向のマンガだったのか?
数ページめくると、いきなり「目がイッっている女性」が登場した。

「ああよかった」という安堵感が広がる。確かにこれはpcfxが期待していた方向のkashmir作品の
匂いがする。以前を読んでいないので話の展開はさっぱりわからないが、304Pのヒトコマ目の
絵を見ただけで安心する自分がいた。そして既に立派なkashmir中毒者になっていたのだなあと
おかしな感慨にふけっている。


雑誌に掲載されている他の作品の多くが半エロマンガ的な作品だが、ここでもkashmir氏は
「雑誌の性格に配慮」しながらも、やはり独自の世界を構築している。その一貫性や頑なさに
さわやかな風を感じ、同時に「ああ、やっぱこの人壊れてるわ」という尊敬と崇拝を感じた。

pcfxは既に中年であり、この雑誌の他のマンガで「実用的な利用」をできないが、中学生くらい
なら十分に興奮できる内容だ。高校生でもいけるかもしれない。オマケもその筋の若い人ならば
喜べるものなのだろう。


作者のkashmir氏がどんな人物なのかは知らないが、とても興味深い人である事は確かだろうし、
またとても「中の人が一人」とは思えない幅があり、男女が重なりあったような精神を感じ、
達観しているようで幼児性があり、ハードに論理的でありながら統合失調的でもある。

年齢も性別も精神も論理も多重に存在しているかのような、新時代の革命的量子論マンガ家が
kashmir氏だ。pcfxはkashmir氏に畏敬を感じている。現代の神はkashmir氏に宿っている。


名古屋市科学館

2011年06月20日 | ドライブとかりょこうとか
この春にリニューアルオープンした、「名古屋市科学館」に行ってきた。今回は様子見で軽く
撮影しながら回った。

博物館好きのpcfxは、これまで訪れた各地・各国の多くの科学館を見てきた。また科学館好きで
あり科学中年であるpcfxの、リニューアルされた「名古屋市科学館」の評価を先に言うと、
「もう少しがんばりましょう」だ。5段階評価で「D」だ。

全体のデザインや展示物の質は「ああ、今時の科学館だなあ」という程度で特色はなく、明確な
コンセプトは見えてこない。昔からそうだが、名古屋は「文化」に弱い土地柄だ。文化よりも
実利を取る風潮があり、関西以西から来た者から見るとそれがよくわかる。それに加えて地元の
文化施設ということで、未来への希望を込めて辛口の評価になる。人口230万を抱える名古屋市の
文化施設として十分とはいえない。


冒頭から批判ばかりしているが、決してつまらない場所という事ではない。名古屋市科学館の
リニューアルは建物の老朽化が主な理由と聞いている。このご時世であり予算も少なかった
と思われる。しかしそれでも、もう少し頑張れたのではないかと思える。

実際の展示物などについては、行ってみればわかることなのであまり書かない。主にpcfxが残念に
思った部分について書いていく。


まずスタッフだ。博物館のスタッフにはそれなりの様式美があると思う。服装・態度・品性。
これが全くなっていない。まるで「人件費削減のためにバイトで済ませました」といわんばかりの
人が多い。とにかく品がない。いかにも「名古屋そのもの」だ。もう少しスタッフの服装や接客の
教育に力を入れないと、他地域から来た人々に笑われるだろう。入場料を割り安に設定している
ので、どうしても素養のある人物を選ぶだけの人件費が捻出できないのだろうが、それにしても
ガラの悪い女ばかりよくも集めたものだ。なんだアレは。女子プロレスからスカウトでもして
きたのか。

次にフロアの構成だ。わかりにく過ぎる。各階の1フロアを2つに区切っているが、あまりに
不案内過ぎる。またどのような意図で区分けしているのか直感でわからない。エスカレーターの
場所はわかりにくい、エレベーターは特別展示場のある地下2階へ行かない。そして展示場が
暗すぎる。暗くする必要を感じないのにやたら暗い。

あとは館内設備か。昔から名古屋市科学館の飲食設備は貧弱すぎた。一時期などは「高校の学祭
の模擬喫茶か」というような食堂しかなかった事もあった。リニューアル後は館内には広々とした
休憩所が作られているが、あるのは飲料の自動販売機だけで食べ物は売ってない。弁当持参で
来るのがデフォと考えているのだろう。館外に軽食の店があるが、多くの博物館メシがそうである
ように「高くてマズい」。一応、科学館らしいメニューはあるものの、あまりに貧弱だ。

博物館メシはハズレばかりなのが相場と知っていても、pcfxは博物館メシマニアなので食べて
みた。今回食べたのは「ブラックホールカレー」¥690。出てきたのはプラスチックの使い捨て
容器に盛られたカレーで、カレーはよくある「レストランカレー」の味を薄くしたもの。具は
ないようなもので、申し訳程度のサラダがライスの脇に乗っている。これをプラスチックの
スプーンだけで食べる。サラダのレタスはスプーンでは非常に食べにくいが、そんな事はお構い
なしだ。水さえ出ないのでペットボトルの水を買うことになるが、小さいサイズのものしか売って
ない。席数は少なく、科学館の規模に到底相応しくない。

ミュージアムショップもまた貧弱だ。店内はそれほど大きくない上、売っている物のチョイスが
また微妙だ。科学館らしいものは揃えてあるものの、その価格帯がまた名古屋らしい。ほとんどが
安い物(1000円前後のもの)で、あとはいきなり数万円の時計とかだ。一点豪華主義の
名古屋人の見栄っ張り文化がここにも顕著だ。一応アノマロカリスやハルキゲニアのぬいぐるみが
売っていたので0点とは言わないが、もっと考えて仕入れできるだろうにと残念でならない。

名古屋市科学館は地下鉄伏見駅と大須観音駅の中間にあるので、少し歩かなければならない。
これからの夏が博物館のシーズンだが、きっとガッカリする人の多いことだろう。そして帰りの
道の足が重く感じるだろう。

それまでにスタッフの質と飲食をもう少しなんとかしてもらいたいものだ。また責任者はもっと
いろんな科学館や博物館を勉強してほしい。それか責任を取って交代してもらいたい。あまりに
ひどすぎる運営だ。

子供たちの科学への関心と日本の未来のため、そして博物館好きの我々のために。

堀江美都子とか

2011年06月17日 | おんがく
「アニメソングの女王」と言えば堀江美都子だ。若い人が知っているかどうか知らないが、昔は
多くのアニメ番組の歌を歌っていた一人だ。

特徴は純粋に「声がいい」「歌がうまい」という事だろうか。昨今の歌手と違い、伝統的な歌唱
教育を受けていた人なので、基礎のしっかりした安定した歌声が魅力だ。もう一つの特徴は、
「しゃくり歌い」の元祖っぽい事だ。しゃくり歌いとは、歌の末尾をシャクリ上げるように発音
する歌唱法だ。作曲家がそのように歌うように指導した事で定着したそうだ。


さて、70年代産まれ前後の者にとって、アニメを見れば多くの確率で堀江美都子が歌を歌って
いたので、知らない人は少なかろう。特に少女向けアニメの歌では多い。

どんな歌を歌っていたかなどはググってもらうとして、ここではpcfxが特に好きだった歌について
だけ書く。やはり1番に思い出すのは「ハロー!サンディベル」のエンディング曲、「白い水仙」
だ。哀しげなイントロと共に始まるこの曲は、すぐに嬉しげな雰囲気に変わり、そして明るく
高揚した気分の展開になる。まるで少女のお天気屋な気分の変化そのものだ。作曲の渡辺岳夫が
如何に天才だったかがよくわかる曲の一つだ。この曲に乗せて歌う堀江美都子の歌は、長年に
渡って渡辺岳夫の曲を歌ってきただけあって、作曲者の意図する所を余すことなく歌いあげている
と思われる。少女向けアニメの曲はオープニング曲よりもエンディング曲に名曲が多い。pcfxは
カラオケに行くと必ずこれら少女アニメのエンディング曲を歌って、周囲をドンビキさせる事に
毎回成功している。ヤレヤレ、これだから物の価値のわからん奴らは・・・

基本歌唱力が高い人は、どんなジャンルの歌を歌わせてもうまいが、その真価はやはり名曲を
歌うときに最も輝く。堀江美都子が今っぽい曲を歌ってもうまいが、そこにはさほどの感動は
ない。要するに今っぽいのは曲がダメということなのだろうか。


80年代後半になると、アニメソングの歌手が多様化し、堀江美都子一辺倒ではなくなった。その
ため声優業にも進出することになり、数々の仕事をこなした。それ以前にも声優の仕事はしていた
ようだ。個人的にはララベルの声が気に入っている。昨今の萌えアニメで堀江美都子を起用する
猛者がいないのも残念で仕方がない。きっと今時の声優よりもいい仕事をするだろうに。


「さすらいの太陽」の「心の歌」を「けいおん!」でカバーしないのも手落ちだ。あの手の
アニメの元祖だというのに。



そんなわけで、これを読んだ機会に今一度、堀江美都子の再評価をしてみてはいかがだろうか。
アマゾンでアニメ・特撮の歌がテンコ盛りのCDが売られている。買って聞いて絶対に損はない。
むしろ「ゆとり世代」にこそ堀江美都子を聞いてもらいたい。そこには最近見かけない「本物」
があることだろう。

飯田線の旅 4(完) 田本・為栗・中井侍

2011年06月15日 | ドライブとかりょこうとか
自分でも呆れるほど飯田線が好きになっていた。本日また飯田線の旅をしてきた。
今回は今までの経験から少しクレバーな旅程になっている。豊橋から10:08の特急に乗り、一旦
天竜峡まで行ってから折り返して、帰り道で秘境駅を3つ回ることに成功した。
こんなことは鉄道マニア様からしてみれば「基礎の基礎じゃん」という程度のものだろうが、
pcfxはもう、色んなことをあまり考えないようにして生きる事に決めたのだ。



で、今回は天竜峡から田本に行き、田本から唯一の道と言っていい、ものすごい急坂の山道を
踏破して県道まで出た。息が切れる。足が動かなくなる。1年半寝て暮らしたpcfxのなまった
体にはかなりこたえた。それでもなんとか県道まで昇り、また田本駅まで戻った。
この急坂は年寄りにはちょっと酷だ。また途中に倒木がいくつかあり、くぐったり跨いだりして
進まなければならない。更に蜂・蛇が出没して道を阻む。路面はアスファルトでなんとか舗装
してあるが、それも苔に覆われ、そこに乾いた落ち葉が大量に積もっている。注意しないと足を
滑らせて危険だ。帰りの下りも急坂なので足元が危ない。かなりスリリングな道であった。



駅ノートに記帳し、公約通りボールペンを寄贈してきた。といっても100円ショップで8本入の
安物だが、駅ノートに付属しているボールペンが持ち帰られたりインク切れだったりするので
必要だと思われた。次の電車に乗り、次の為栗では吊り橋を渡り、近くの集落まで行って帰った。


さて本日のメイン、中井侍。これで3度目の訪問となるが、時間の都合上、中井侍の全集落を
見て回ることができないため、今回は以前寄れなかった奥の集落に足を踏み入れた。そこも
同じように家と茶畑を見て回る事になったが、たまたま挨拶をした老婆と世間話をしているうちに
中井侍周辺の集落に昔あった習慣の話を聞くことができた。これについてはあまり口外してほしく
ないようだったのでここでは詳しく書かないが、まあ昔は長男以外は冷や飯食いというのが相場
だったので珍しいことではなかった。

(どうしても知りたいという方は個人的にメールでお問い合わせ下さい。さほど細かい事を知ってる
わけではありませんが。メアドはブログのプロフィール欄にあります)



中井侍の駅から天龍川を見下ろすと、鴨がガーガー鳴いて楽しそうだ。またクロサギらしき鳥も
いる。中井侍集落の頂上から見下ろす天龍川と急峻な集落。行ったことがある者だけが味わえる
格別な光景だ。

今回pcfxが中井侍で下車した際、中学生と思われる地元少女も同時に下車したが、こういうご時世
なので後を追うような道を辿らず、かつ途中で出会わないように気を使った。
「中井侍で不審な男が後をつけてきた事案」にされるのはイヤだ。割とカワイイ娘だったが。


駅からそのまま上がっていった集落でおばさんと挨拶し、世間話をした。行きには枯れ枝を
片付けており、帰りには風呂用の薪を割っていた。pcfxはいつも全身黒ずくめの服を着ている
のだが、こんな不審者にも気持よく挨拶を返してくれた。ありがたいことである。

今回使った万歩計によると、16kmほどを歩いた。しかも結構な山道だ。正直クタクタだ。




豊橋の改札正面にある弁当屋の情報だが、飯田線名物の「秘境駅弁当」の入荷時間は未定で、
弁当屋が出来次第配達にくるので、何時とは決まってないとのこと。1回目は午後1時くらいで
在庫が3つほどあり、2回目も同じ時間だったが品はなく、今回の3回目は朝10時だったが
まだ入荷してなかった。だいたい昼頃までに配達しているようだ。

秘境駅弁当の内容は時々で変わるみたいで、4分割弁当の時もあれば9分割弁当もある。pcfxが
1回目に食べたのは9分割で、山の幸のおかずと何種類かのおこわが少しずつ楽しめるもの
だった。価格は1000円だがその分おいしい。

今回pcfxが買った弁当は「壺屋浪漫」という名前の幕の内弁当だ。価格は800円。弁等の仕切り
は3分の1がご飯、残りのスペースがおかずだ。ご飯が弁当箱にくっついて食べづらいのが難点
で、またおかずのボリュームがあるのでご飯が足りない気がする。しかし味は非常によく、
「とろろの磯揚げ」「豆腐揚げ」「ササミ梅竜田揚げ」などが特においしい。さりげなくついて
いる「笹もち」の甘味がデザートとして心憎い。内容表示に「沖ぶり」と書いてある魚は
サワラのような気がしないでもなかったが、これもおいしい。メーカーは「合資会社壺屋弁当部」
で、明治22年創業とのこと。「日本鉄道構内営業中央委員会」とのこと。よくわからないが
いろいろと大人の縄張り争いとか競争とか利権とかあるのだろう。

せっかくの旅だから、構内のコンビニの弁当より割高だがこちらを選んでみるのもいい。



先月下旬から続いた飯田線の旅。とりあえずの目標を達成したので一区切りとしたい。pcfxが実際
に行ってみた感想でいうと、飯田線秘境駅ランキングでは、中井侍>為栗>田本>金野>千代>
小和田、というカンジだった。独自の風習を秘め、独特の風景を持ち、簡単には集落全体を見せて
くれない「中井侍」こそ、pcfx的飯田線秘境駅ナンバーワンだ。女の子も可愛かったし。