妙な者たちが密室に集まり、やおらバッグから巾着を取り出してその中からたくさんの
見慣れないサイコロをテーブルにぶちまける。博打でも始めるのだろうか?しかし彼らは
サイコロをそのままに紙とペンをバッグから取り出し、なにやら書き始める。その紙には
線が引いてあったり、いくつかの四角で囲ったところがあったりする。試験でも始める
のだろうか。
その内にメンバーの一人がなにやら指示を出し、それに従って皆はその紙に次々と何か
書きこんでゆく。サイコロをたまに振って、出た目を見ながら一喜一憂を繰り返す。
メンバーの代表らしき者が「職業を決めろ」などと言い出した。就職試験なのか。
だとしたらサイコロばかり振っているので運任せの酷い試験だ。
皆が書き込みを終えると、代表者がなにやら説明をはじめる。皆はそれを黙って聞いて
いるが、中には用紙のマスになにやら人物らしき絵を描き始める者もいる。
落書きなのか。不真面目な生徒である。
代表者は他のメンバーとの間についたてのようなボードを立て、秘密主義を体現するか
のような壁を構築する。
代表者が状況説明らしきものを語り終えると、皆は相談をはじめる。ミーティングタイム
らしい。口々に「どうする?」「こうじゃないか」「こうするべきだ」と語り、意見が
一致すると代表者に伝える。すると代表者はそれに答える前にサイコロを振る。人の話を
聞いている態度にはみえない。サイコロなどいつでも振れるではないか。
しばらく同じようなやりとりが続き、ある場面で皆が真剣な顔をしてサイコロを振る
ようになった。サイコロの出目を見て「うわー」とか「ぎゃー」とか「よっしゃ」などと
感情をあらわにする。その何らかの行為が佳境に入ったようだ。
何時間も妙な者たちが密室に篭もり、そのような行為を繰り返す。やっていることと
いえばサイコロを振り、用紙に何か書き込んだり消しゴムで消したり、相談したり
説明したり宣言したり、叫んだり怒ったりニヤニヤしたり。とても正常な行動には
見えない。その内に時間が来たのだろうか、代表者が何らかの数字を発表し、皆は
それを用紙に書きこんでから片付け始める。サイコロを巾着にしまい、筆記用具と共に
バッグに入れる。最後まで金銭の授受は行われなかったので賭博ではないようだ。
これが日本におけるテーブルトークRPGの一般的なプレイ風景であり、それが何なのか
知らないものにとっては、ただの怪しい集団である。
pcfxが若い頃、「D&D」というTRPGが流行し始めた。一冊¥5000ほどする高価な本を
買うことによって、当面のゲームのルールを知ることができるようになる。しかし
一緒に遊ぶメンバーがいないとゲームが出来ない。さらにその中の一人は「マスター」
と呼ばれるホスト役をこなさなければならない。なので二人だけでは「プレイヤー」が
一人だけになってしまい、寂しい事この上ない状況になってしまう。最低三人いないと
格好がつかないシステムになっている。また、プレイには相応の時間が必要であり、
忙しい者や門限のある者には厳しい。
高価な本を買う経済力があり、友人が多く、時間の余裕が取れる者というハードルを
クリアしなければゲームを始めることすらできない、選ばれた物だけが到達できる
ゲームが「D&D」だった。それだけではない。西洋ファンタジー世界の知識を一定以上
知っていないと認識を共有できないのだ。ある意味エリートだ。
知識も本も所持し時間もあるという者でも、自分の周囲にTRPGに興味がある人物が
いないとゲームを始められない。そういう境遇のファンタジーエリートはたくさんいた。
それらの者を救済するために「TRPGコンベンション」なる会合が度々開かれた。
公共の会議室などを予約して借り、ホビー系の雑誌などに開催日などを告知する。
それを見たファンタジーエリートたちは、大抵は遠くから電車を乗り継いで会場に
到着し、有料の会場を借りて主催している者にいくらかの入場料を払うのだ。
会場内はいくつかのブースに別れ、机が寄せられている。TRPGは「D&D」だけではない
ので、自分がルールを熟知しているゲームのブースを選んで参加申し込みをする。
ブースにはそれぞれ、主催者側が用意した「マスター」が鎮座している。
しかしここには大きな罠が待ち受けており、何も知らない初参加のプレイヤーは、その
マスターがどのようなプレイスタイルを持っているのかわからない。マスターを選べない
のだ。TRPGはマスターがシナリオを用意するので、そのシナリオライターである
マスターの個性が、大きくゲーム内容に関わるのである。地味に淡々とゲームを進める者
や、どうしてもお笑いやシモネタに走る者、物凄いパワープレイを信条としており、
超高レベルキャラしか受け付けない者、話が下手で何を言ってるのか状況がつかめない
者、アンフェアな判断を下す者などなど、マスターによってその日一日が楽しいものに
なるのか、はたまた絶望的な時間を過ごす拷問に変わるのかわからない。
プレイヤーにも罠がある。同席するプレイヤーが完全な人格である保証などどこにも
ない。日本の「ファンタジーエリート」には変わり者が多く、また大抵が「オタク」で
あるので、異常な言動の者や「テーブルトーク」なのに発言が稀な者、用意してきた
キャラクター用紙に凶悪なマジックアイテムをサラっと書きこんである者、妙にムカ
つく言動を繰り返して他のプレイヤーやマスターとケンカになる者など、困った人に
ことかかない。
それでもなんとか、常識的なマスターの元にほどほどの個性を持ったプレイヤーが
揃って、比較的マトモなプレイを楽しめることもある。悲観はよくない。
pcfxは何度もこういったコンベンションに参加したが、おかしなマスターや変わった
プレイヤーとの同席も、それはそれで楽しんだものだ。2~3度プレイ中にプレイヤー
キャラが死亡した事について怒鳴りあいのケンカはあったが、それはそれで面白い
イベントとして眺めて過ごした。
こういったコンベンションならではの雰囲気や、「ファンタジーエリート」たちの
饗宴は実に興味深く、またエキサイティングなものだ。同人誌即売会などでも同じような
「エリート」がエキセントリックな活躍を見せることがある。しかし大半は常識的な
人々であり大事には至らない。この手の集まりはだいたい同じだ。
高校生くらいの頃に始めて、その頃に出会った友人たちと、中年になった今でも年に
数回ほどのペースで「D&D」をプレイしている。マスターはガンヲタの友人だ。
「そろそろやりたいな」と思った頃に電話で呼びかけ、プレイヤーの一人の友人宅に
週末などに集まり、同居している家族に恐らく奇異の目で見られながらプレイする。
いい中年の男達が、深夜に麻雀や飲み会ならともかく、ジュースや菓子を持って
サイコロを振り、キャラクターシートに嬉々としてアニメ絵調の女の子の絵を描き
込んでいる。変態と言わざるをえない。
何十年も繰り返しマスターに「もっといいマジックアイテムをよこせ」と請求し、
マスターはその代わりに萌え設定なNPCの女の子を登場させて注意を反らす。
家人に何と思われようが、楽しいものは楽しいのだから仕方がない。
昔「D&D」を出版していたTSR社はもうなく、日本の代理店だった「親和」ももうない。
今は別の会社から、ルールを改訂された「D&D」が発売されている。
昔ゲームに使っていた「メタルフィギュア」も、いまではプラスチック製塗装済みの
製品になって数体セットで販売されている。さすがに四半世紀も過ぎると時代は変わる
ようだが、我々は四半世紀前から相変わらずであり、社会が期待するような大人に
なるのは来世に期待することにした。人間は高校生くらいの時の情緒のまま老いていく
ものだし、今の若い人たちも同じように中年になっていくのだから、大人に過剰な期待を
してはいけない。
「男」とはオッサンの皮を被った高校生の事をいうのだ。
見慣れないサイコロをテーブルにぶちまける。博打でも始めるのだろうか?しかし彼らは
サイコロをそのままに紙とペンをバッグから取り出し、なにやら書き始める。その紙には
線が引いてあったり、いくつかの四角で囲ったところがあったりする。試験でも始める
のだろうか。
その内にメンバーの一人がなにやら指示を出し、それに従って皆はその紙に次々と何か
書きこんでゆく。サイコロをたまに振って、出た目を見ながら一喜一憂を繰り返す。
メンバーの代表らしき者が「職業を決めろ」などと言い出した。就職試験なのか。
だとしたらサイコロばかり振っているので運任せの酷い試験だ。
皆が書き込みを終えると、代表者がなにやら説明をはじめる。皆はそれを黙って聞いて
いるが、中には用紙のマスになにやら人物らしき絵を描き始める者もいる。
落書きなのか。不真面目な生徒である。
代表者は他のメンバーとの間についたてのようなボードを立て、秘密主義を体現するか
のような壁を構築する。
代表者が状況説明らしきものを語り終えると、皆は相談をはじめる。ミーティングタイム
らしい。口々に「どうする?」「こうじゃないか」「こうするべきだ」と語り、意見が
一致すると代表者に伝える。すると代表者はそれに答える前にサイコロを振る。人の話を
聞いている態度にはみえない。サイコロなどいつでも振れるではないか。
しばらく同じようなやりとりが続き、ある場面で皆が真剣な顔をしてサイコロを振る
ようになった。サイコロの出目を見て「うわー」とか「ぎゃー」とか「よっしゃ」などと
感情をあらわにする。その何らかの行為が佳境に入ったようだ。
何時間も妙な者たちが密室に篭もり、そのような行為を繰り返す。やっていることと
いえばサイコロを振り、用紙に何か書き込んだり消しゴムで消したり、相談したり
説明したり宣言したり、叫んだり怒ったりニヤニヤしたり。とても正常な行動には
見えない。その内に時間が来たのだろうか、代表者が何らかの数字を発表し、皆は
それを用紙に書きこんでから片付け始める。サイコロを巾着にしまい、筆記用具と共に
バッグに入れる。最後まで金銭の授受は行われなかったので賭博ではないようだ。
これが日本におけるテーブルトークRPGの一般的なプレイ風景であり、それが何なのか
知らないものにとっては、ただの怪しい集団である。
pcfxが若い頃、「D&D」というTRPGが流行し始めた。一冊¥5000ほどする高価な本を
買うことによって、当面のゲームのルールを知ることができるようになる。しかし
一緒に遊ぶメンバーがいないとゲームが出来ない。さらにその中の一人は「マスター」
と呼ばれるホスト役をこなさなければならない。なので二人だけでは「プレイヤー」が
一人だけになってしまい、寂しい事この上ない状況になってしまう。最低三人いないと
格好がつかないシステムになっている。また、プレイには相応の時間が必要であり、
忙しい者や門限のある者には厳しい。
高価な本を買う経済力があり、友人が多く、時間の余裕が取れる者というハードルを
クリアしなければゲームを始めることすらできない、選ばれた物だけが到達できる
ゲームが「D&D」だった。それだけではない。西洋ファンタジー世界の知識を一定以上
知っていないと認識を共有できないのだ。ある意味エリートだ。
知識も本も所持し時間もあるという者でも、自分の周囲にTRPGに興味がある人物が
いないとゲームを始められない。そういう境遇のファンタジーエリートはたくさんいた。
それらの者を救済するために「TRPGコンベンション」なる会合が度々開かれた。
公共の会議室などを予約して借り、ホビー系の雑誌などに開催日などを告知する。
それを見たファンタジーエリートたちは、大抵は遠くから電車を乗り継いで会場に
到着し、有料の会場を借りて主催している者にいくらかの入場料を払うのだ。
会場内はいくつかのブースに別れ、机が寄せられている。TRPGは「D&D」だけではない
ので、自分がルールを熟知しているゲームのブースを選んで参加申し込みをする。
ブースにはそれぞれ、主催者側が用意した「マスター」が鎮座している。
しかしここには大きな罠が待ち受けており、何も知らない初参加のプレイヤーは、その
マスターがどのようなプレイスタイルを持っているのかわからない。マスターを選べない
のだ。TRPGはマスターがシナリオを用意するので、そのシナリオライターである
マスターの個性が、大きくゲーム内容に関わるのである。地味に淡々とゲームを進める者
や、どうしてもお笑いやシモネタに走る者、物凄いパワープレイを信条としており、
超高レベルキャラしか受け付けない者、話が下手で何を言ってるのか状況がつかめない
者、アンフェアな判断を下す者などなど、マスターによってその日一日が楽しいものに
なるのか、はたまた絶望的な時間を過ごす拷問に変わるのかわからない。
プレイヤーにも罠がある。同席するプレイヤーが完全な人格である保証などどこにも
ない。日本の「ファンタジーエリート」には変わり者が多く、また大抵が「オタク」で
あるので、異常な言動の者や「テーブルトーク」なのに発言が稀な者、用意してきた
キャラクター用紙に凶悪なマジックアイテムをサラっと書きこんである者、妙にムカ
つく言動を繰り返して他のプレイヤーやマスターとケンカになる者など、困った人に
ことかかない。
それでもなんとか、常識的なマスターの元にほどほどの個性を持ったプレイヤーが
揃って、比較的マトモなプレイを楽しめることもある。悲観はよくない。
pcfxは何度もこういったコンベンションに参加したが、おかしなマスターや変わった
プレイヤーとの同席も、それはそれで楽しんだものだ。2~3度プレイ中にプレイヤー
キャラが死亡した事について怒鳴りあいのケンカはあったが、それはそれで面白い
イベントとして眺めて過ごした。
こういったコンベンションならではの雰囲気や、「ファンタジーエリート」たちの
饗宴は実に興味深く、またエキサイティングなものだ。同人誌即売会などでも同じような
「エリート」がエキセントリックな活躍を見せることがある。しかし大半は常識的な
人々であり大事には至らない。この手の集まりはだいたい同じだ。
高校生くらいの頃に始めて、その頃に出会った友人たちと、中年になった今でも年に
数回ほどのペースで「D&D」をプレイしている。マスターはガンヲタの友人だ。
「そろそろやりたいな」と思った頃に電話で呼びかけ、プレイヤーの一人の友人宅に
週末などに集まり、同居している家族に恐らく奇異の目で見られながらプレイする。
いい中年の男達が、深夜に麻雀や飲み会ならともかく、ジュースや菓子を持って
サイコロを振り、キャラクターシートに嬉々としてアニメ絵調の女の子の絵を描き
込んでいる。変態と言わざるをえない。
何十年も繰り返しマスターに「もっといいマジックアイテムをよこせ」と請求し、
マスターはその代わりに萌え設定なNPCの女の子を登場させて注意を反らす。
家人に何と思われようが、楽しいものは楽しいのだから仕方がない。
昔「D&D」を出版していたTSR社はもうなく、日本の代理店だった「親和」ももうない。
今は別の会社から、ルールを改訂された「D&D」が発売されている。
昔ゲームに使っていた「メタルフィギュア」も、いまではプラスチック製塗装済みの
製品になって数体セットで販売されている。さすがに四半世紀も過ぎると時代は変わる
ようだが、我々は四半世紀前から相変わらずであり、社会が期待するような大人に
なるのは来世に期待することにした。人間は高校生くらいの時の情緒のまま老いていく
ものだし、今の若い人たちも同じように中年になっていくのだから、大人に過剰な期待を
してはいけない。
「男」とはオッサンの皮を被った高校生の事をいうのだ。