minority resistance

pcfx復活ブログ

シュタインズ・ゲートと今西錦司

2011年07月18日 | うちゅう
シュタゲを面白く鑑賞している。科学とか時空とか好きなpcfxとしては見たいジャンルの
作品だ。現在アニメの15話まで見ている。

シュタゲそのものは見てもらえばわかるので内容については詳しく書かない。是非ご覧下さい。


で、シュタゲでの時空連続体の表現は「世界線」という概念でくくられている。世界はロープの
ようになっていて、一つ一つの糸が撚り合わさっており、一本の糸が我々の時空だという仮定
に基づいている。時間を遡って過去を変えると世界線が移動し、辻褄が合うように再構成された
世界にジャンプするらしい。

で、これらは量子論・宇宙論などを元に作られたお話なので、実際にそうだとは限らない。
あくまで創作であり、物理学者でも真相を掴んでいるわけではない。宇宙や時空がどういう
大規模構造をしているのかは、まだ誰にもわかっていない。だからそこにはまだロマンがあり、
好きに想像を巡らせてもあまり突っ込まれない、当面最後のフロンティアだ。


pcfxもこれらを妄想するのが好きだ。そして生物科学も好きだ。生物の進化などの書籍や図鑑を
子供のように好む。バージェス動物群などは大好物であり、飽きもせずにアノマロカリスや
ハルキゲニアなどの復元図などを眺めて喜んでいる。


さて、日本に「今西錦司」という生物学者がいた。以前の彼の論を要約すると「進化とは、なるように
なった結果だ」というラマルク的なことになる。これは「論」としてはあまりにテキトー過ぎ、今西の名前を
聞いただけで失笑する学者もいたほどだが、今西錦司は後になってそれらを否定した。


で、この「なるようになった」というテキトー極まる論理なのだが、pcfxは「まさにその通り」
と考えている。一見、「なるようになった」という言葉は意味が分からないが、これを細かく
分解して考えると、「なる」という意思に基づいて「なった」という結果が産まれたという様に
も受け取れる。つまり「なりたい」と思ったように「なる」のだ。

ということは、「意思」というもののエネルギーや物理作用を認めることになり、「意思」は
物理法則に組み入れられなければならない。それを行うには、「意思」が客観的に観測可能で
あり、一定の条件下で一定の反応が見られなければならない。また他の物理法則との相関に
ついても説明できなければならない。

残念ながら現在の研究では「意思」が物理法則として影響を及ぼしているという事は確認
されていない。だからこの先は「SF妄想話」になっていく。だが科学は全て仮定から始まり、
いろんな辻褄をどんどん合わせていくうちに、なんらかの結果を導きだすようになるものだ。
だから「意思」は「物理」だと仮定して妄想することにも若干の意味はあるのかもしれない。


昆虫の擬態を見ていると、「こういう格好になりたいと思った結果、こうなったのではないか」
という姿の連中がいる事に気づく。例えば「葉っぱに非常に似ているカマキリ」などの写真を
見ると、「これ絶対、擬態したいという意思が反映されてるよね」と生物学的論拠なしで
直感的に思ってしまうことがある。これは科学とは言い難い。現在の生物科学では擬態の説明
に関して、「物凄いバリエーションのカマキリの中で、生き残りやすい形態の者が残った結果」
と説明される。葉っぱにしか見えないカマキリも、膨大なカマキリのバリエーションの一つで
しかなく、葉っぱに似ているから生き残ったのだというのだ。

しかし葉っぱにしか見えないカマキリが「バリエーションの一つ」というのなら、他にも珍奇
な形態をしたカマキリが山ほどいなければならないはずであり、生存に一見向いていないような
カマキリも今現在、多数発見されているはずだ。だが現在見られるのはカマキリの生存圏に
擬態しやすいスタイルのものばかりであり、そこには擬態の方向性を選択をした意思が介在して
いるようにしか見えないのも事実だ。即ち「エサに見つからないように周囲に紛れてぇ」という
意思だ。

元のモデルのカマキリが、このような擬態を身につけるチャンスは「突然変異」しかないと
いわれている。じゃあ突然変異とは何が原因で起こるのか。それはまだはっきりとわかっては
いない。その突然変異というのはなぜ、どのように起こるのかも、もっともらしい説明は
あるが普遍的な証明はされていない。


突然だが、「神様は存在する」という仮定で考えてみる。この時点でもうオカルトだが、しかし
仮定の話なのでおとなしく聞いてもらいたい。生物の設計者が「神様」だとすると、自分が
設計した生物からの要望・苦情・デバックの情報を管理したくなるのではないか。だから生物に
その通信手段を与えていてもおかしな話ではない。神様の元に「目立ちすぎてエサに逃げられる
のでなんとかしてぇ」とか「もしかして周囲の葉っぱとか枝とかに似てれば気づかれにくい
んじゃね?」とかの苦情や要望を、まだ人類が発見してない通信手段を使って回収したほうが
設計者としての利便性がよいのではないか。それらの情報を元に、改善を施した次のモデルを
投入するのだ。但し、なんでも意見を取り入れるわけでもない。他の生物との絡みや、その
モデルへの愛着、繁殖の加減、遺伝子設計上の限界やそれにかかる時間など、神様にだって
都合というものがあるのだろう。

それらの問題にあまり抵触しないと思われたものに、優先して新モデルが与えられるのが所謂
「突然変異」だ。神様の事情を知らない我々には「突然」に見えるが、実際は適切なタイミング
によって支給されているのだ。

神様はカマキリの事だけ考えているわけではないだろう。他の昆虫や哺乳類や魚類など、無論
人間についても同時進行で改良設計を行っており、割と忙しい身なのかもしれない。最新モデル
の霊長類、人類に関しては、「大脳を大きくして記憶能力や識別能力を向上させるとどうなる
んだろう?
」と、ちょっと遺伝子いじくって作ってみたら、「なんか100万年くらいの間に勝手
にいろんな物を作り始めちゃったよ、どうするよこれ。こないだの恐竜みたいに詰みそうだから
一回絶滅させとく?じゃあウィルスコード挿入しま~~。あれ?こいつら薬つくりやがった!
Uzeeeeeee!もう戦争で殺し合え!死ね!
」と思っているのかもしれない。


神様がどんな人か知らないが、最小評価で考えると、地球という生物開発エリアを与えられた
研究者あたりの立場になる。上司から、「地球にある元素を使ってなんか面白いもの作れ」と
いわれて、なんらかの目標を達成するために、いろんな生物の遺伝子を日夜いじっている。

生物から「意思」という通信手段を使ってデータを集めている。この「意思」は易々と傍受
されたくないので、ちょっと賢くなった人類程度にはまだまだ利用できない帯域を使って
通信している。まだ人類は重力子などのダークエネルギーを観測出来ていないので、その
あたりを使っているのだろう。


で、生物は「強く願う」という行為によって神様にデータを通信できるチャンネルを持つ。
それが確実に反映されるわけではないが、神様の都合に合致すれば、まもなく「突然変異」
などの方法を使って「願いが叶う」。だが、その「願い」が、身体的な物だけとは限らない。
ある程度の知能を持つ生物になると、遺伝子に関係ない願いをスパムメールのように神様の
メールホルダに送りつけるようになる。人類などは調子乗って、「過去を変えたい」などと
時空を超える願いを送りつける始末だ。通常はこのような「時空遡及願い」は「迷惑メール
ホルダ」に自動的に格納されるのだが、地球の生物管理をしている係の神様の設計ミスが
原因で、自分の研究エリア、即ち地球の環境そのものが詰んでしまうような方向になった
場合(恐竜の大繁殖や人類の科学技術など)、またそれらを環境の変異(全球凍結など)
だけで対処できないようになった場合に、その神様は時空管理局の神様に泣きつくことに
なる。

やっべ~人類が重力子見つけちゃったよ。このままだと重力子が時間を制御してる仕組み
がバレちまうな。そうすると連中、テキトーな時間跳躍実験して時空の連続をメチャクチャに
するだろうな。なぁ~頼むよ、こいつら早くなんとかしてくれ~


泣きつかれた神様も、自分の管理してる領域を荒らされたくないので、仕方なく人類の研究を
妨害する工作を手伝う事になる。物理学者だけを選択的にを皆殺しにするわけにはいかない
ので、量子論に関わった研究者の脳の調子を狂わせる程度の干渉を行う事にする。

その結果が、「量子論に関わると脳や精神や人格がおかしくなる」という普遍性だ。また、
科学という枠内だけではダークマターの発見に到達できないというトラップを仕掛けている。
科学と相反するオカルト分野も視野に入れなければ、重力子の発見に至らないという、非常に
意地の悪い矛盾ルーチンをソートしているのだ。また、その研究を続けるには精神の安定や
人類の脳の構造限界を超える技術も同時に必要になるので、肉体を持った人類の生身の脳だけ
では理解に至らないというブラックボックスも仕掛けてある。

つまりこうだ。今まで置き去りのまま放置されていた宗教の分野での精神世界開発、心理学や
脳生理学の研究、脳の制御をコンピューターに移行させる技術、及び量子物理学の統合を
成し遂げないと、なんで重力だけがおかしな挙動をするのか理解できない。なぜなら、「意思」
は重力波を使って神様と通信を行っているからだ。神様はブレーン宇宙の外側に存在するので、
重力しかそれを超える物理手段がないからだ。そして「意思」を知るにはオカルトの研究を進め
なければ理解されない。

オカルトを、いつまでも「オカルト扱い」して非科学的なものに封じ込める思考停止を続ける
事はできなくなる。「神様はいるかも知れない」のではなく、「神の所在を探しに行く」
というアプローチが必要になる。幻覚を見る薬を飲んだり、統合失調な妄想で神を語るのでは
なく、そのようなオカルトやファンタジーな手法を一切廃した手段で神を「真剣に探す」事が
必要になる。




などという妄想を、現在割とヒマなpcfxはシュタゲを見ながら考えているのだがどうか。
やはり量子論などに生半可に関わると、脳や精神がおかしくなるのかもしれない。ミクロの
世界が不確実なら、ミディの世界は例外ばかりであてにならず、マクロの世界は逆に融通が
きかない。どこまでいっても確実なものはなく、神様にも限界というものがあるのだと考える
と、pcfxの妄想話も捨てたものではないという気がしてくるから、宇宙というのは不思議だ。


未来像と厨二設定

2011年03月04日 | うちゅう
pcfxの世代が子供だった70年代まで、大人たちは「ほら、これが未来だよ」と具体的に
未来像を示してくれた。子どもに見せる未来像だから、それらは希望にあふれ、超カッコ
よく、「大人になる事=幸せな未来」であり、非常にワクワクして大人になる日を待ち
望むことができた。

非常にハッキリとした未来像であり、「空飛ぶ車」「家庭用ロボット」「リニアモーター
カー」「全自動調理器」「テレビ電話」「自動勉強機」などによって便利で早くて楽チン
な未来が示されていた。そしてそれがどの子供にも見えるように準備されていた。
それらは「21世紀にはこうなる」という100年の予想であり、科学は無敵で万能
だった。

で、2011年になっちゃったわけだが、予想されたモノが実現したかはともかくとして、
「来たる22世紀」を具体的に子供たちに示せているだろうか。

ウソでも適当でもいいから、「ほら、これが未来だよ」と具体的に「子供用」の未来像を
描いてあげられているだろうか。子供に「いや~そうは言っても現実的にはムリだわ」
とか、「そう上手くいくはずないだろコスト的に考えて」という大人の現実と同じものを
与えてないだろうか。そんなものを子供が喜ぶだろうか。

pcfxの世代はそのような未来像に恵まれたが、今の若者や子供の未来像は豊かか。エコ
だの環境だの、そんなしみったれた教育が子供に必要なのか。それは負債の強要であり
背負わせる洗脳じゃないのか。そんな事は大人が悩むべき事ではないのか。


22世紀の未来像を現在の我々が考えるとき、「いやそれはムリだ」「それができるという
技術的根拠は何か」「論理的に破綻している」などの心理的障害がつきまとう。荒唐無稽
が許されないという世の中の抑圧だ。その抑圧が「誰得」なのか考えたことがあるだろう
か。さすがに研究者が学会で荒唐無稽な発表をするのはアレだが、無責任な立場の大人
なら理論的な根拠のない飛躍した妄想話を子供に与えてもいいのではないか。SF作家の
書いたSFに「根拠がない」とか批判してどうしたいのかわからないが、そんな批判が
横行している。我々も無意識にやっている事だ。これを反省せねばならない。

SFで宇宙船を建造する場合、どのように地上から大気圏外まで物資を運ぶのかを考え
ないとダメだろうか。「できました!」で済む話だ。宇宙船が200万光年離れた星まで
行く際ワープするが、その理論をどうしても説明しないとダメか。「つきました!」
でいいんじゃないのか。タイムマシンに乗って過去へ行き、歴史を変えてから元いた
時空に戻ってくる際のパラドックスを、いちいち詳細に理論展開せねばならないのか。
「ただいま!」でいいじゃないか。

主体は「面白い話」を書くことであり「科学」を利用しているだけなのに、いつの間にか
「科学」を書いてつまらない物語を作っている。そんなものは学会に発表すればいい
のであって、子供に読ませるのなら「面白い」が優先だろう。子供に示すべき未来像は
「面白い」が先にあって、目的は「希望を持たせる」であるべきだ。

だがしかし、あんまり荒唐無稽だと今時の子供は鼻も引っ掛けないだろう。あべこべに
論理の飛躍を問い詰められるかもしれない。大人は与える存在であるべきで舐められては
いけないのだ。科学者でもない大人が生意気な子供を圧倒するに相応しい方法は、
「難しい言葉を並べてケムに巻く」である。理論はさっぱり理解出来ないが、とりあえず
聞きかじった最新の理論など並べておけば子供などイチコロである。それについての
説明を求められたらホーキングの本でも渡して「仕方ないな、これ読んで勉強しろ」と
言っておけば、どうせ理解などできないのだから音を上げるだろう。万一理解したと
したら「わしが育てた」とでも吹聴しておけばよいのだ。


現在のマンガなどに「厨二設定」と揶揄されるものがたくさんある。中学二年生くらいの
年齢の子供が発露する、恥ずかしい知ったかぶりや思い込みによる奇行を指す「厨二」
という言葉と、そんな彼らを刺激する言葉を多用する物語の「設定」だ。
「厨二設定」とバカにされる風潮の昨今だが、その一方で子供には人気がある設定だ。
だがそれはまさしく子供のための設定であり、理論を飛躍してその効果や事象の素晴ら
しさだけを強調している。「面白い」が先にあり、「希望を持たせる」という目的を
達成している。そして大人が語ってくれなくなった「未来像」を見せてくれるのだ。

もちろん大人が読んだ場合、それは荒唐無稽なのだろうが、その行為は幼児の絵本を
大人が見て「ウサギの知能や身体能力ではパンなど焼けないし、店舗経営など不可能だ」
と幼な子に現実を突きつけて泣かせた結果、嫁に殴られるのと同じような行為だ。その
方がよっぽど荒唐無稽である。対象年齢という線引きを間違えているのは大人の方
なのだ。


子供に22世紀の夢を見させるような、具体的なビジョンを与えなければならない。それは
厨二的であるべきであり、適当な思いつきに終始するべきものだ。決して本気で考えたり
イチから理論を構築してはならない。子供をあしらうようなホラ話で、恥ずかし気もなく
間違った専門用語を並べ立てて子供を圧倒するフィクションが「正しい未来像」だ。
目的は「希望を持たせる事」であり、決して絶望させてはいけない。絶望は二十歳に
なってから知ればいい。だから酒とタバコが認められるのだ。

カシミール効果

2011年02月14日 | うちゅう
ナオコサン→デイドリ→○本と、ローテーションで繰り返し毎日読んでいると、頭の中が
kashmir世界に染まっていく。寝ても醒めてもモルボルグレート。デスクトップにはロリ
クロック。BGMは「ユリユリユリ♪」。

そんな爛れた毎日を送る中、物理現象の「カシミール効果」を突然思い出した。

電磁波はエネルギーがないような状態でも静止していない。だから幅があって、電磁場が
ゼロということはない。

なにやら難しいが、要は「物は常にピクピクしてるヨ!」ということだ。

で、二枚の金属板の間に電磁波を通すとき、振動のない(ような)状態の電磁波しか
通れない。通った電磁波は金属板の間でエネルギーが変わるので引力が生じて金属板の
間が狭くなる。

なにやら難しいが、要は「なんにもない空間はないヨ!」ということだ。
これがカシミール効果だ。

このピクピクしたり充満してたりする時空に我々は住んでいて、完全に止まっている
ように見えても実は動いており、完全な密室を作ったつもりでもルパンが既に中に
潜んでいるのだ。

また、何にもない状態からいきなり何か発生したり、マイナス1個のリンゴがテーブル
に置いてあったり、一人じゃ間に合わないので皆の持ち時間を合わせてみたら逆に時間
が足りなくなったりするという不思議な世界に住んでいる。
我々の常識は非常識の世界に浮かぶ島のようなものだ。




子供の世界である学校と、大人の社会である会社ではルールが違う。大人の世界が
正しいとするなら子供も働かなければならないが、大人は「元子供」である。学校で
学んで大人になったのだ。子供の世界が正しいとするなら、大人はいつまでも学校に
通わなければならない。しかし子供は「未大人」だ。そのうちに経済活動をしなければ
ならなくなる。
大人の世界は子供の世界の延長線上にあり、子供時代の体験が大人の行動の基礎に
なっている。
我々は大人目線で世の中を見ており、その常識に合わないものを基本的には認めない。
しかし子供は平気で常識外の行動を取り、大人を混乱させる。自分が元子供だった事を
忘れている。

極小世界の基礎ルールの上に我々の親しんだ物理法則があるが、それを常識として
満足している人は多い。しかし基礎ルールから見れば、我々が満足している事など
可能性の最も安易なものに過ぎない。もっといろいろできる筈なのに、まだ初歩的な
応用をしているだけだ。にも関わらず、極小世界のことを知らずに満足しているのが
模範社会人とされる世の中だ。

子供向けのものに夢があるのは、我々の親しんだ物理法則以外にも、いろいろな法則に
よって不思議な楽しい世界があるという可能性の予感があるからだ。その未発見の
法則を「魔法」という。突然現れる怪盗も、マイナス一個のリンゴも、極小世界
の法則では否定されない。ただ我々大人がそれらを未発見なだけだ。そしてそれらを
発見するのは宗教でも常識でもなく、計算と実験だけだ。一番現実的な方法が魔法を
見つけ出すのだ。非現実な手法で見つかるのは妄想だけであり、それは老害文化である。

子供の世界の可能性を信じ、冷徹な理論で考え、常識外の法則を手にする。同時に
大人の世界に生き、相手に合わせて妥協を繰り返し、常識に安住する。
これらを人間が同時にこなす事は無理なので、チグハグな人が発生する。

子供の世界の可能性を信じて、相手に合わせて妥協し、常識外の法則を手にしたような
気分を満喫するのが日本のマンガであり、そのチグハグさを楽しむことができれば
幸せだ。


生きるということ

2011年02月09日 | うちゅう
生き続けるということは、反射行動と苦痛回避の連続だ。車に撥ねられそうになったら
避けるだろうし、死ぬ時は大抵痛いのでいやだ。
長生きしたいから食生活とか運動とか気をつける。病気は苦痛だからやはり気をつける。
苦痛で死ぬのが怖いので、薬を使って延命する。冷凍睡眠とかしてでも長生きしたい。
その内に老化細胞をどうにかしたり、体の部品を機械に変えたりするだろう。

で、人類は今のところ、人類が知りえる唯一の知的な存在だ。宇宙人はいるのだろうけど
確認されていない。化学物質から単細胞生物が偶然に生まれ、多細胞生物が存在できる
環境が安定して、脳神経部分が選択的に発達した生物が発生した稀有な存在かも
しれない。せっかく発達したので、このまま惑星環境の運命と心中するのももったい
ない。

そのために地球の環境をいじったり、生き残りをかけて宇宙へ避難するだろう。
しかし地球はその内なくなるし、宇宙の環境も変化していく。そこでなるべく人類は
繁殖を続け、広い範囲に拡散していくだろう。

だが、宇宙が無限時間存在するとは限らない。宇宙そのものが寿命をむかえる日が来る。
つまり、最終的には宇宙と心中するしかないわけだ。うまいこと宇宙の外へ出ることが
できるかもしれないが、そこもいつかは終焉する。時間をどうこうする技術ができても、
時間には始まりと終わりがあり、全部を俯瞰できる存在はもはや生死の概念を超越して
いるだろう。


だから、自分の生というのは、どんなにあがいてもいつか終わる。それか無意味となる。
子孫を作ろうが技術を発展させようが、どのみち全部終わりがくるか、無意味に帰する。
そうすると、残る問題点は「苦痛の回避」の一点に集約されるが、生きていると必ず
苦痛がついてまわる。「苦痛」は「痛い」「苦しい」だけとは限らない。
「めんどくさい」「嫌い」「だるい」「やる気が出ない」「ヒマだ」も、全部苦痛だ。
言い換えれば、生物として生きている事の精神活動の大半が「苦痛」と同義のようだ。
むかし宗教のえらい人が、「この世の一切は苦だ」と言った。

欲求フラグがあり、それを満たす信号を受け取るのが脳内で行われている事の全てだが、
全部の欲求はいつもいつもは満たされない。欲求フラグは四六時中立ちっぱなし。だから
受容器の状態は通常「エラー」で、欲求が満たされた一瞬だけ「エラー」サインが
消える。これが「苦」の正体だ。知的な個体ほど欲求フラグが多い。つまりエラーが
たくさんあるわけだ。
よく見てみると、エラー信号が別の行動プログラムに配線され、起動信号に変換されて
いる。

欲求フラグ→エラー→エラー回避行動→欲求が満たされる→欲求フラグ再起動

この苦痛回避の永久パターンが生物の基本設計のようだ。誰だ設計者は。アホか。
もしそれが「神的なひと」だったとしたら、3流エンジニアだな。たぶんアメリカ人
あたりじゃないかこの適当さは。ハンバーガー食いながらやっつけで作った感じだ。

まあでも、これで苦痛の解決策はできた。エラー回避のための根本解決は、欲求フラグ
の乱立を防げばいいのだ。欲求を起こさないようにすればこのルーチンは必要ない。
丸ごとカットすればいいじゃん。


・・・こうして人々は鬱になったり自殺するわけですわ。

高次元

2011年02月08日 | うちゅう
一冊で完結してるマンガ本というのは、始まりからおしまいまでの時間の中で、登場人物
たちが行動する範囲の空間の物語だ。

マンガだから、その期間が10億年でも1兆年でもいいし、2秒でもかまわない。行動
範囲も個室の中で監禁されている場合もあれば130億光年を股にかけてもよい。
作者が好きな時間、思うままの空間をもてあそべるわけだ。

そんなマンガ本が、巨大書店に所狭しと並びまくっている。続刊していくマンガもあり、
すでに連載が終わったマンガもある。

そんな本屋も、扱うマンガはどんどん変わっていく。20年もすればすっかり中身が入れ
替わり、20年前のマンガは古書店にでもいかないと見つけられなくなっているだろう。

その本屋も、50年もすればなくなっているか移転しているだろう。マンガの出版社も
統廃合したり新しい出版社ができていたり。

100年もすると、出版という形態そのものが変化しているかもしれない。1000年も
すれば昔のマンガ本は残っていないか、考古学資料になっているか、解読できない謎の
情報媒体に成り果てている。100万年後にはマンガ本は物質として別の役割を担っている
可能性もある。


こういう風に考えると、3次元だとか4次元とか言われている次元の単位を想像しやすく
なる気がする。我々が5次元とか11次元とかの高次元世界を考える時、グラフ上では
ともかく、概念はつかみにくい。しかし近似の状態はフラクタル的に既存のはずだ。

一冊完結のマンガ本はひとつの時空。その中で時間や空間は伸びたり縮んだりしながら
展開するものの、ページという単位が光速度という区切りによって整理している。
光の速度を超えられないのは、前のページを読んでる最中に次のページを同時に読めない
のと似ているかもしれない。過去も未来も並んで存在しているのだが、読む人は1ページ
ずつしか読めないからであり、読者の能力の都合だ。最初のページから最後のページまで
一気に飛ばすこともできるが、それだと読む意味がなくなる。これも読者の都合だ。
読者の都合とは無関係に、マンガにはその世界の全てが完結して存在しており、どの
ようにも読むことができる。ただ読者がそうしない、そうできないだけなのだ。

マンガ家がマンガを描く。しかしそれを誰にも(編集者にすら)見せず金庫にしまう。
そのマンガは誰にも影響を与えることがない。誰もそのマンガの存在を知らない。
その後、そのマンガは二度と発見されることがなかった場合、そのマンガは存在したこと
になるだろうか。

マンガ家があるマンガを描いた。そしてそれを読んだ読者が感想をマンガ家に送り、
マンガ家が読んだ。その内容が痛烈な批判だったので、マンガ家は無意識に作風を変えて
いった。この場合、このマンガ家は純粋にこの作品にただ一人の作家なのだろうか。
その場合、最初に描くつもりだったマンガの内容はどこへいってしまったのか。


古いマンガが、売れなくなったので書店から出されることになった。その中の一冊は
図書館に置かれることになった。流通という次元から資料という次元に移り、場所を
取るのでデジタルデータとして保存されることにより、また別の次元に移った。
そのデータは無限に複製が可能であり、図書館や利用者の家に同時に複数存在する事に
なった。そのあり方はマンガ家が原稿用紙に描いたものとは全く別の存在ともいえるし、
全く同じものともいえる。


全ての時間の、全てのマンガがあるという結末は、人類最初のマンガ家が最初に描いた
マンガと並んで存在している。しかし、読者の能力が限定されていれば、その全ての
マンガを読めないようになっている。最初のマンガから読んでいくと137億年以上
かかるので、宇宙の時間では足りなくなる。本棚が巨大過ぎて、宇宙の大きさでは収納
できない。紙媒体でもデジタル媒体でも、その寿命が先に来てしまうので保存が不可能
であり、最後に近いマンガになると虚数ページがあったりしてめくれない。続刊に複数
の種類があり、2巻のAを読んでしまうと2巻のBの内容が改変される仕組みなので
全種類読めないマンガもあったり。


能力に相応なマンガで満足したいものだ。

ベテルギウス

2011年02月08日 | うちゅう
冬の夜空で一番メジャーな正座のオリオン座。左上らへんにある星がベテルギウスだ。

そのベテルギウスが真っ赤に変色している。以前は白く見えたはずだが、いつの間にか
赤くなっていた。

どうやらそのベテルギウスが寿命をむかえているらしい。もうすぐ超新星爆発を起こす
みたいだ。とはいえ640光年も離れているので、もう既に爆発しているのかもしれ
ない。今年爆発が見えたとするなら、640年前に爆発したことになる。西暦1370年頃。
日本では室町時代くらいか。足利尊氏とかの時代だな。そんな頃の爆発の光が今になって
届くというのだから、光って実は遅いんじゃね?って気がしてくる。

超新星爆発の際に、可視光線の他にも色々な光線が飛んでくる。放射線とかも飛んでくる
らしい。で、ベテルギウスは太陽の1000倍も大きい。太陽系で比較すると、太陽から
木星軌道まであるくらいでかい。でかすぎ。宇宙は程度というものを知らない。でかけれ
ばいいというものではない。

そんなでかい星が爆発するんだから、640光年しか離れてない太陽系も無事では済ま
ないかもしれない。家の近所でガス爆発があったら割と怖いが、それと似たような事が
起こるかもしれない。今年か来年くらいに地球が滅亡する可能性もゼロとはいえない。
近所迷惑な話だが、まあ終わるってんのなら仕方がない。一般市民に逃げ場はないのだ。

そんな終末論話は運命に任せるとして、地球の主成分は鉄らしい。鉄というのは元素の
中でも一番安定した構造で、恒星が内部でじっくりコトコト圧力をかけて出来上がる
一番重い元素という話だ。太陽はせいぜい水素とヘリウムしか作れない小さい恒星だが、
鉄を作るとなると超巨大な恒星じゃないと作れない。ということは、太陽系ができる前に
このあたりに超巨大な恒星があって、それが寿命がきて超新星爆発を起こし、鉄の元素が
散らばった結果、地球の材料になったわけだ。さらに地球には鉄より重い元素もたくさん
ある。ウランだってちょっとはある。それを作れるくらい物凄いエネルギーがあった
わけだ。デタラメなくらいのパワープレイだ。インフレもいいかげんにしとかないといけ
ない。

ベテルギウスが爆発すると、周囲にそういった物質を撒き散らす。それがまたどっかで
集まって星ができるのだろう。爆発の発光は数週間の間続くらしい。オリオン座の左上
の部分が強く輝くことになる。半月から満月の月の光程度の光量くらい。そうすると、
もし日本が夏のころに爆発が見えるとすると、オリオン座は昼間に上空にあるので、
昼間にうっすら見える月のようにベテルギウスが見えることになる。冬のころだと、
夜空に二つ月があるような明るさになる。

そんな天体ショーを楽しめるのか、それとも「ウギャー」といいながらガンマ線を浴びて
死ぬのかはわからないが、どっちにせよ面白そうだ。