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minority resistance

pcfx復活ブログ

「ぶれ☆ねり!」

2011年06月29日 | おんがく
pcfxは「おおブレネリ」の歌が好きだ。もうブレネリに求婚したいほど昔からブレネリさんが
好きだ。これまで多くの歌手がブレネリを歌い、いろんなアレンジもされてきた。

おおブレネリ」の日本語訳歌詞については、そこに秘められた謎の話が昔から語られていた。
大筋では次のような内容だ。

1. 家はどこにあるのか尋ねられる→国名を述べる(海外旅行中での質問と推察される)
2. 仕事を尋ねられる→羊飼いと答える(就業年齢前提での質問から少女ではない)
3. 質問に答えた後、ブレネリさんは何故か突然歌い出す(急に郷愁が込み上げるのだろう)
4. 歌にするほどの内容の歌詞ではない上、後半は「ヤッホーホトラララ」ばかりだ
5. 「おおブレネリ」の「おお」は感嘆詩である為、質問者はブレネリのどこかに驚いている

歌詞を総合して考えると、「ブレネリさん」の人物像は「海外旅行中のスイス人で羊飼いで
すぐに歌い出す陽気な驚くべき女性」ということになる。どんな驚くべき人物なのかは推測する
しかないが、少なくとも気軽な質問をされている点から、恐れられているのでも嫌悪されている
のでもない。女性である点から「かなりの美人」である感嘆の可能性が考え易い。羊飼いが
海外旅行をしているというのも不自然だが、牧場経営者の娘なのかもしれない。そして会話中に
突然歌い出す点から、少し精神に支障があるようだ。

これらを勘案してもう一度人物像を推察すると、ブレネリさんは「裕福な牧場経営者の娘に
生まれた美人(推定24歳)のメンヘラで海外静養中」というのがpcfx的解釈となる。

また「おお」と感嘆されている割に、「家はどこですか?」「仕事はなんですか?」という質問
がまず行われている点から、外見を見た質問者がまず気になったのがこの二つということだ。
女性をみてセックスアピールよりも住所と職業が気になる外見をしているというのは、ブレネリ
さんが特殊な外見をしている証左だ。おそらく、ご当地では他に見られない珍しい衣服を着用
しており、「どこの民族衣装だろう?」という疑問を持たざるをえなかったのだろう。そして
それは通常の職業の者は着ないような衣装であり、質問内容に蔑むようなニュアンスや、敬う
ようなニュアンスもはないので、それは貧民風で奇異なのでも貴族的に豪華なのでもない事が
わかる。

またスイスの民族衣装に、出身国に疑問を抱かせる珍妙なものはない。おそらくブレネリさんは
ドイツ語話者だと思われ、話が通じてるところから、スイスからさほど遠くないドイツ語圏に
旅行中だと思われるが、そのロケーションで珍妙な印象を与え、「なんだろうこの服は?みたこと
ないな・・・民族衣装?いや、しかし・・・」という逡巡を与えているところから、「民族衣装の
ようなコスプレ」をしているものと考えることができる。そしてそのような珍妙な格好をしている
ブレネリさんは、いったいなんの仕事をしているのだろうかと好奇心を煽るのだ。

つまり、ブレネリさんは「少々イカレた格好をしている美人メンヘラトラベラー」という厨ニ
設定だったわけだ。だからこそpcfxは「ブレネリさん萌え」なのであり、少々おかしい女性を
好む性癖が隠せない。


おおブレネリ」が2012年春に「ぶれ☆ねり!」としてアニメ化すると仮定して、その内容は
こうだ。


コミケでファンタジー系コスプレ中のOL、振音理恵(ぶれねりえ)は、初日の来場者数が遂に
100万人を超えた超過密のビッグサイトの重力崩壊によって起こった時空の歪みに巻き込まれ、
20世紀初頭のドイツへ飛ばされた。学生時代にドイツ語を専攻していたためにドイツ語は話せ
たが、そのショックとホームシックから少々おかしくなっていた。理恵のコスプレを見て
「どこからきたの?」「どんな仕事をしてるの?」とよく質問されるが、本当のことを言っても
理解されないだろうということから、出身地の浜名湖を模して「スイスの湖のほとりです」と
答え、毛織物商社のOLだったことから「仕事は羊飼いです」と答えた。話にリアリティを出す
ために、子供の頃に犬に噛まれたことから「狼が怖いです」と付け加えてみたが、ごまかしきれ
ない気がしたので歌って逃げるのだった。街で出会った美少女「ヤッホ」と「ホトラ」という
妹分を連れ、シュバルツバルトに住むという伝説の魔女に会うために、今、理恵の旅は始まった。

キャラクターデザイン及び服装デザインは「森薫」、主題歌は「堀江美都子」(OP「おおブレ
ネリ」ED「ニ短調おおブレネリ」)、声優はブレネリが「広橋涼」・ヤッホが「金田朋子」・
ホトラが「能登麻美子」、監督は「水島努」でお願いします。



ところで、去年発売されたCDで「こどもじゃず」という童謡をジャズアレンジしたアルバムが
3種類出ている。非常によくできたものなので、興味のある方は購入して聞いてみてはいかが
だろうか。緑のジャケットのアルバムに「おおブレネリ」も入っている。非常にオススメだ。


堀江美都子とか

2011年06月17日 | おんがく
「アニメソングの女王」と言えば堀江美都子だ。若い人が知っているかどうか知らないが、昔は
多くのアニメ番組の歌を歌っていた一人だ。

特徴は純粋に「声がいい」「歌がうまい」という事だろうか。昨今の歌手と違い、伝統的な歌唱
教育を受けていた人なので、基礎のしっかりした安定した歌声が魅力だ。もう一つの特徴は、
「しゃくり歌い」の元祖っぽい事だ。しゃくり歌いとは、歌の末尾をシャクリ上げるように発音
する歌唱法だ。作曲家がそのように歌うように指導した事で定着したそうだ。


さて、70年代産まれ前後の者にとって、アニメを見れば多くの確率で堀江美都子が歌を歌って
いたので、知らない人は少なかろう。特に少女向けアニメの歌では多い。

どんな歌を歌っていたかなどはググってもらうとして、ここではpcfxが特に好きだった歌について
だけ書く。やはり1番に思い出すのは「ハロー!サンディベル」のエンディング曲、「白い水仙」
だ。哀しげなイントロと共に始まるこの曲は、すぐに嬉しげな雰囲気に変わり、そして明るく
高揚した気分の展開になる。まるで少女のお天気屋な気分の変化そのものだ。作曲の渡辺岳夫が
如何に天才だったかがよくわかる曲の一つだ。この曲に乗せて歌う堀江美都子の歌は、長年に
渡って渡辺岳夫の曲を歌ってきただけあって、作曲者の意図する所を余すことなく歌いあげている
と思われる。少女向けアニメの曲はオープニング曲よりもエンディング曲に名曲が多い。pcfxは
カラオケに行くと必ずこれら少女アニメのエンディング曲を歌って、周囲をドンビキさせる事に
毎回成功している。ヤレヤレ、これだから物の価値のわからん奴らは・・・

基本歌唱力が高い人は、どんなジャンルの歌を歌わせてもうまいが、その真価はやはり名曲を
歌うときに最も輝く。堀江美都子が今っぽい曲を歌ってもうまいが、そこにはさほどの感動は
ない。要するに今っぽいのは曲がダメということなのだろうか。


80年代後半になると、アニメソングの歌手が多様化し、堀江美都子一辺倒ではなくなった。その
ため声優業にも進出することになり、数々の仕事をこなした。それ以前にも声優の仕事はしていた
ようだ。個人的にはララベルの声が気に入っている。昨今の萌えアニメで堀江美都子を起用する
猛者がいないのも残念で仕方がない。きっと今時の声優よりもいい仕事をするだろうに。


「さすらいの太陽」の「心の歌」を「けいおん!」でカバーしないのも手落ちだ。あの手の
アニメの元祖だというのに。



そんなわけで、これを読んだ機会に今一度、堀江美都子の再評価をしてみてはいかがだろうか。
アマゾンでアニメ・特撮の歌がテンコ盛りのCDが売られている。買って聞いて絶対に損はない。
むしろ「ゆとり世代」にこそ堀江美都子を聞いてもらいたい。そこには最近見かけない「本物」
があることだろう。

戸川純とかスイートキッスとか

2011年03月19日 | おんがく
80年代、アイドルなのか変人なのか歌手なのか女優なのかわからない人が出てきた。
戸川純である。pcfxが初めて知ったのはチェリオという清涼飲料水メーカーから発売
された「スィートキッス」という飲み物のCMを見たときで、「ゲルニカ」という音楽
ユニットにいる人という認識だった。

当時缶入り250mlのジュースが主流だったが、それよりも量の多い300mlの丸まっちいビン
が流行り始めた。スイートキッスもその中の一つで、柑橘系の味で甘い炭酸飲料だ。
「ノンカフェイン」を売りにしており、健康志向だったことも窺える。現在でも500ml
ペットボトルのスイートキッス
が販売されており、チェリオの自販機にたまに並んで
いる。味は変わっていない。
pcfxは現在でもこのスイートキッスを愛飲しており、チェリオの自販機でスイートキッス
を見つけるとまとめ買いする。またチェリオのトラックが停まっているのを見つけると、
運転手に頼んで箱買いする。それほど好きだ。

80年代のスイートキッスのCMでは、「戦後」という雰囲気の二人が橋の上で語り合って
いると警官が訝しんで近づき、スイートキッスを確認するという場面が流れ、その際に
戸川純が歌っているのは「銀輪は唄う」という、自転車で颯爽と走る曲だ。歌も「戦後」
の雰囲気がする。80年代という、なんでも「軽く」なっていく時代の中で、それを逆流
するようなコンセプトがpcfxの心に刺さった。そしてレコード屋に飛んで行って探すと、
「動躍のへ造改」のアルバムを見つけた。最初は読めなかったが、逆から読むのだと家に
帰ってから気がついた。「改造への躍動」だ。pcfxが買ったのはカセットテープ版
だった。pcfxは「復興の唄」「動力の姫」が好きだ。

音はわざとチープにしてあるが、どうやらシンセサイザーのようだ。生楽器の音もある。
歌声は唱歌とオペラの「それっぽいもの」だ。完全な唱歌の歌い方でもオペラのそれでも
ない。歌謡曲をそれらしく歌っているのだが、これがあまりにうまい。聞いたことがない
歌い方に興奮した。そして歌詞は直接的な表現が並び、古い言い回しの言葉だ。それらが
奏でる、あまりに戦後臭い雰囲気。歌詞カードには「新時代の皆様へ」と銘打って、変体
かな使いが随所に使われる。古臭いのに新しい。「なんだこれ」という戸惑いの中に、
「こりゃあ一生ものだ」という予感があった。その通りであった。因みにナムコの
ザ・リターン・オブ・ビデオ・ゲーム・ミュージック」B面には、「ゲルニカ」の
上野耕路が参加している。名作「MECHANISM OF VISION - NINO ROTAの自画像(JERRY
GOLDSMITHもそこにいる)」もそれである。タイトル長げぇ。

それからは戸川純という名前を見ればレコードを買った。「ゲルニカ」が休止されたので
次は「ヤプーズ」だ。ゲルニカでは「戦後の歌姫」といった雰囲気だった戸川純は、
ヤプーズでは「キチガイ女」に変貌していた。最も有名な所では「玉姫様」でTV番組に
出演したので見た方はご記憶にあるのではないか。「キンコンカン!キンコンカン!」と
叫びながら暴れ、スタジオでぶっ倒れるというキチガイぶりだった。無論演技だが。
pcfxはヤプーズでは「バーバラ・セクサロイド」「諦念プシガンガ」「隣の印度人」が
好きだ。ヤプーズの名前は「家畜人ヤプー」から取っただけあって、その歌やスタイルが
非常に反社会的で夢中にさせる。「バーバラ・セクサロイド」の歌詞に「制作意図は
アレだけよ」「人権のない私は機械」、「諦念プシガンガ」の歌詞では「牛のように豚の
ように殺してもいい」「我一塊の肉塊なり」など、非常に感情を逆立てる言葉に満ちて
いた。

戸川純のPVで最も印象に残っているのは、戸川純がしきりに泣いている場面が延々と
流れ、よほど悲しいことがあったのだろうと同情しながら見ていると、実はタマネギを
剥いていただけだったというオチの映像だ。ギャグと狂気と残虐と妄執が入り混じり、
幼児性と女の哀しさと未来と過去が同居するカオス。それが戸川純を永遠のものとした。
kashmirのマンガが好きになったのも、戸川純の影響から来ているのは間違いない。
そこには共通点がありすぎる。


そういえばスイートキッスモルボルグレートになんとなく似ている。

オケヒとかサンプラーとかA-JAXとか

2011年03月11日 | おんがく
ここでの「サンプラー」とは、電子音楽機器の事で、マイクやラインを使って生音などを
記録し、それを音楽的に再生する装置だ。マイクに向かって声で「あ~」とか入力すると
その音が鍵盤に割り振られて、その声で演奏できたりするアレの事だ。

高音質で生音をデジタル記録するのには大容量のメモリが必要だ。今日では数ギガバイト
のメモリが当たり前だが、80年代の普及品では数百キロバイト~数メガバイト程度
だった。生音をほぼ遜色なく記録するには16ビット44kHzの性能(CD並)が必要だった
が、そのレートで1秒サンプリングするだけでも膨大なメモリを必要とする。そんな機能
を持った音楽機器は「フェアライトCMI」というオーストラリア製の高級機くらいしか
なく、価格は当時基本セットで1000万円以上した。プロでもそうそう手が出ない値段だ。

DX-7をはじめとするデジタルシンセサイザーが発達したが、デジタルシンセは微細な音が
作れる代わりに野太いパンチが足りないという欠点があった。音の太さはアナログシンセ
が優勢だったが、その音は使い古され耳慣れた音だったため新鮮さに欠けていた。その
隙間を埋めるがごとく、太い音をサンプラーで出そうと皆が考えた。その代表の音が
「オーケストラヒット」と呼ばれる、交響楽などで多数の楽器が一度に音を出す部分を
切り取った音だった。低い音や高い音、管楽器も弦楽器も一度に音を出すので、とても
インパクトがある音だ。この音を一つデジタル楽曲に加えるだけで「ピコピコ音」に
重厚さが生まれる。80年代終盤の頃のゲームミュージックにも多用されたので馴染みの
ある方は多かろう。

また色んな音楽の一部をサンプリングし、コラージュする手法も多用された。YMO散開後
坂本龍一細野晴臣が出したアルバムはこの手法が特徴的で、誰も聞いたことがない
音楽の未知の領域だった。サンプラーによる圧倒的な存在感の音を重ね、まるで統合失調
症の幻聴の様な世界を体験した。これら楽曲の面白い特性は、譜面だけを見ても再現が
不可能な点にある。シンセサイザーだけを使ったデジタル音楽は効果音を除いてピアノ
でも大体の再現が可能だが、サンプラーによるコラージュは音そのものが音楽や物音、
または歌の場合があるので単一の音では再現ができない。例えば演歌のイントロの最初
の1秒をサンプリングし、それをCの8分音符で4小節続けたとすると、譜面上はCの
8分音符が続いているだけにしか見えないが、実際は「チャンチャチャン♪・チャンチャ
チャン♪・チャンチャチャン♪」という音が流れているわけだ。だからサンプラーを
使ったシーケンスデータを共有する場合には、サンプル音そのもののデータか、または
どんな音なのかのコメントが必要となる。当時、ある音楽雑誌で細野晴臣の「S-F-X」の
スコアが掲載されていたのだが、そのスコアには「ブツブツしゃべる音」などの音の
説明が細かく書きこまれていた。

現在ではごく当たり前の技術であり、あらゆる音楽の一部に普通に使われている。だが、
サンプラーによるコラージュを全面に使った音楽は、90年代からに流行らなくなった。
その理由は定かではないが、いくつかの想像はできる。まずコラージュの音源の著作権
の問題だ。著作権に抵触する法律は各国で違うが、その全てを熟知してクリアするのは
大変だ。次にコラージュだけで作られた音楽にはインパクトはあるが音楽としての技術
があまりなく、その結果粗製濫造されたり、飽きたり、物足りなくなったりする。他に、
先ほども触れたがコラージュで作られた音楽には中毒性のようなものがあり、脳内で
何度も繰り返されるような効果や、統合失調の幻聴のような心理的混乱を産む場合が
あり、リスナーが危険を感じて自ら遠ざけるようになった事も挙げられる。
また音楽を作る方も、コラージュは音のツギハギで偶然性による効果に頼るものが多く、
創造性という意味では作り甲斐が薄いので、長くそればかりやっていられないという
側面もあったのではないか。

とはいえ、このサンプラーによるコラージュ音楽はまだ研究され尽くされていない分野
であり、80年代が終わると共に放置されてきた。著作権がうるさい世の中なのに、
4小節内に並べる音符のパターンなどは限界があるので盗作扱いされかねない。既存の
音楽を全部知ってないと回避できず、それは現実では不可能だ。また音楽の技法も長年
研究され尽くしており、新しいものなどそうそう出てこない。そんな閉塞的な状況で、
著作権に抵触しない音源を使ったオリジナルサンプリングでコラージュ音楽を作るという
隙間だけは残っており、そこに活路を見出す流れが起こっても不思議はない。また
コラージュ音楽が流行るかも知れないのだ。新しい楽器「ボーカロイド」とコラージュ
音楽が世の中を席巻すると予想する。



「オーケストラヒット」は音楽を作る側にとって非常に使いやすく、またついつい頼り
がちになってしまう魅惑の音だ。聞く方にもインパクトを与えるため、無数にある
音素材の中で一際目立つ。もうそれは一つの楽器音として定着しており、世界的に通用
する定番の音だ。この「オーケストラヒット」には様々な音のタイプがあるが、今の
ところ国際規格としての定義はない。ロッシーニから取ろうがベートーベンから取ろうが
「オケヒ」と一括りにされる。どの部分から取っても「オケヒ」だ。電子楽器や音源の
プリセットデータや、個人が作ったサンプリングデータに名前がついているものも
あるが、あまりに多様なので区別が難しい。とある曲のオケヒを聞いて、「ああこれは
カワイのR-50eのオーケストラヒットの2番の音だな」とか聞き分ける事ができる人も
いるかもしれないが、それがわかるには変態的で膨大な知識と経験が必要だ。実質
「わからない」のと同じだ。

これがサンプラーの音の面白さであり、今現在で分かる範囲の最後のフロンティア
だろう。



コナミのアーケードゲームで「A-JAX」というシューティングゲームがあった。この
ゲームのBGMは非常にカッコよく、好きな方も多かろう。pcfxも大好きで、未だに
よく聞いている。



A-JAXの曲にはオケヒが多用されており、当時の時代背景がよく出ている。基本的に
ロックだが、オケヒを使う事によってハリウッドの映画音楽を思わせる雰囲気がある。
ハリウッドの映画音楽と言えば交響楽団を使ったテーマ曲だ。
「ロック=アメリカ」、「最新兵器=米軍」、「交響楽団=映画」というエッセンスを
集めると、この曲は「ハリウッドの米軍映画の曲」という象徴になっていく。

「A-JAX」は空母から離発着するヘリと戦闘機で戦うゲームだ。「米軍」という設定は
ないが、ヘリの名前が「トム・タイガー」で戦闘機の名前が「ジェリー・マウス」
なので、それは「トムとジェリー」を表すことから「アメリカ」を匂わせる。だから
この音楽は「ハリウッドの米海軍映画の曲」というイメージになるのだ。セガの
アフターバーナー」や、ナムコのアポロン版の「サンダーセプター」の曲にも通じる
ものがある。*参考(2曲目)オリジナルのサンダーセプターの曲からは想像し辛いが)



ゲームをするたびに必ず1面からプレイすることから、1面の曲が「A-JAXの代表曲」と
なり、まずあの曲を思い出す人も多かろう。pcfxも当然好きだが、全部好きだ。特に
ネームエントリーの曲を押したい。ゲームプレイ時は効果音が大きかったり時間制限が
あったりして落ち着いて聞けないが、収録されているCDなら邪魔者なく楽しめる。

この駄文のカテゴリを「おんがく」にしたのでゲームについてはまた別の機会に詳しく
書くかもしれないが、少しだけ言って置きたい。戦闘機「ジェリー・マウス」は実は
宇宙も飛べる物凄い戦闘機だ。ラストステージで腰を抜かしたのはpcfxだけでは
あるまい。ド派手な演出とブッ飛んだ世界観、超カッチョイイ音楽、そして泣きをみる
デカイ当たり判定。それが「A-JAX」を忘れられない名作にしたのだ。



オーケストラヒットに代表されるサンプリング音源は、デジタル音楽にインパクトという
新しい価値を与えた。その可能性はまだ多く残されており、テクノロジが進化してメモリ
が膨大なものとなった今、ボーカロイドのように新しいデジタルシンセの誕生を予感
させる唯一の福音だ。80年代に数千万した機械の性能を今日数万円で再現できる
環境にありながら、現在の音楽にすっかり興味や情熱や興奮を失ってしまったが、あの
80年代の熱い時代には失われた可能性がまだ眠っている。pcfxがジジイの繰り言のように
80年代の事ばかり書いているのは、バブル前の時代から学ぶべきものがたくさん残されて
いるからだ。お金は金融や法の抜け道で儲けるよりも、新しい工業製品を作って儲ける
方が皆幸せになるのだ。

などということを、半額クーポンとかのウザいネット広告を見るたびに思うのだった。

テクノ世代

2011年02月27日 | おんがく
テクノという音楽の定義は他人に任せるとして、pcfxはまぎれもなくテクノ世代を生きて
きた。現在でもテクノというジャンルは健在なのだろうが、それはもう終わったものだと
考える。懐古趣味のリバイバルを延々と続けているに過ぎない。また、現在のテクノ
っぽい音楽を無理やりテクノと呼んで、新たなジャンルを確立できていないあたりに
パワー不足を感じる。

子供の頃、テレビやラジオから聞いたこともない音が流れてきた。電子音を使った音楽
だ。そのSFチックな音に脳をどうにかされた子供たちは、こぞって「YMO」のレコードを
買い漁る事になる。その頃子供が聞いていた音楽といえば歌謡曲だ。歌謡曲にも電子音は
使われていたが、電子音をメインにして作られた歌のない曲という、当時の感覚では
奇天烈な音楽に魅せられてオカしくなった子供が大量発生する。

多くの人に最初に聞こえてきたテクノは「ライディーン」ではないだろうか。小学校の
給食時間にスピーカーからやおら聞こえきたライディーンに腰を抜かすほどの衝撃を
受けた人も多かろう。慌てて「あの曲なに?」と食いつき、当時流行り始めたラジカセで
録音して聞き惚れる。そしてYMOの名前を知るのだ。レコード屋に行くとライディーンの
シングルがあり、小遣いを捻出する。A面の「ライディーン」ばかり何度も聞き、やっと
B面の曲を聞いてみる。「コズミック・サーフィン」もイイ!!なんじゃこりゃあああ、
と座り小便を漏らす勢いで聞く。

多少の差はあれ、だいたいこんな感じの体験を多くの少年たちがしている中、次々と
レコードが発売されていく。それに伴い、他の音楽でも電子音が多用されるように
なっていく。YMOは知らなくても、イモ欽トリオのハイスクールララバイなら知っている
少女たちも、知らず知らずの内にテクノポップに侵食されていく。また、アニメの歌
にも使用され、その象徴が「うる星やつら」だ。このアニメがヒットした理由に、
オープニング・エンディング・作中効果音が電子音満載だった事が含まれると考える。

少年たちにニキビが出揃った頃、突如YMOは散開する。まだまだYMOの時代は続くと
思っていた少年たちはその突然のニュースに、世界の終わりを感じたほどショックを
受けた。いかに「君に胸キュン」でYMOを見限りそうになっていたとはいえ、それは
聞くべき音楽の喪失であり、教祖の死だった。
しかしその頃には「シンセサイザー」という機械は一般化してありふれたものになり
つつあり、新しいものに貪欲な少年たちがやっと手にする頃には、何か物足りない物に
感じるようになっていた。


通夜のような日々を送っていると、散開したYMOのメンバーがソロでレコードを出し
はじめた。恐る恐る買ってみる。と、そこには更なる新時代が待っていたのだ。
坂本龍一の「エスペラント」「未来派野郎」、細野晴臣の「S-F-X」など、サンプラーを
多用した音楽が、枯れ切った少年の心に再び水をたたえた。
今でこそサンプラーなどと改めて呼ばないほどに一般化したPCM音源だが、当時、圧倒的
なコラージュパワーを音楽に呼び込んだ革命的な楽器だった。これらコラージュ音も
電子音と同様に、少年の脳に直接電極を差し込んで電撃を食らわせるくらいのショックを
与えた。このサンプラーとデジタルシンセを組み合わせて音を作るタイプの新しい
シンセサイザーが普及し、この時から現在に至るまでシンセサイザーの仕組みは基本的に
変わっていない。電子音楽器の時代は止まったまま20年ほど経過し、そこに初音ミクが
現れた。

失われた20年の間、小室哲哉とかユーロビートとかヒップホップとかラップとかがあった
が、それらを他所にゲームミュージックが独自の進化を遂げていた。ゲーム基板や
パソコン、ゲーム機に搭載されていたシンセサイザーは普及版であり、最先端のシンセ
の音質には到底叶う物ではなかったが、ゲーム機コストの上限という意味では最先端
だった。常に技術と共にあるのがテクノだとpcfxは考える。だからこそYM2151チップが
愛おしいのだ。

「テクノ」の定義は他人に任せるが、pcfxの考える「テクノ」はその時々の最先端技術
が作る新しい楽器音を全面に押し出した音楽だ。その楽器が一般化された頃の物はもう
テクノではない。それには別の価値が生まれている。

現在pcfxが「テクノ」と認識するものは「初音ミク」をはじめとするボーカロイドだ。
ゲーム機の音源と同じく、「コストの上限」という制限の中で作られ、ネットの力を
借りて、他人同士の作品が混ざり合いながら拡散していく。この仕組そのものが
「テクノ」であり、今の時代の少年たちが腰を抜かして座り小便をジョジョジョと
漏らすべき変革なのだ。そして中年になったpcfxも若いフリをして一緒にジョジョジョと
漏らしたい。老人になるころに登場する変革には、自然に失禁できるだろう。

初音さんとか

2011年02月11日 | おんがく
初音ミクは発売日に買った。それ以前、ヤマハがボーカロイドを発売した時にもソフトを
買っていた。
既に言われているように、ボーカロイドはボイス風シンセだ。「ボーカルを機械が
こなす」のとは違う。ボーカロイドを否定する者はこの一点で論破される。

昔、電子音を楽曲で使おうとした時に同じような否定があった。曰く、「こんなピコピコ
音が楽器なわけがない」だった。もっと詳しく言えば、電子楽器でピアノに近い音を
使用するときに、「こんなのピアノの音じゃない」としたり顔で言う人がいたのだった。

ボーカロイドは歌手の変わりではないし、シンセのピアノ音はピアノではない。これも
既に誰かが言っていたことだ。

電子ピアノが高性能になり、街で流れるBGMを小耳に挟んだ時、すぐに聞き分けられる
人は極稀だろう。否定された電子楽器音はそこまで進化した。また電子音はそのまま
電子音として、実在しない楽器の音として受け入れられ、今では音楽に融合している。

であれば、ボーカロイドは今は「機械的で気持ち悪い歌声のようなもの」かもしれない
が、その内高性能化して肉声と聞き分けが出来なくなっていく。だから技術的な問題は
時間が解決していくのは自明だ。


現在の楽曲では、生演奏を使うのか電子音を混ぜるのか、電子音のみで済ますのかは
選べるようになっている。「電子音のみ」が生み出すのは、コストの大幅な低減だ。
能力があれば個人でリズムから伴奏からメロディまで全部作れ演奏できる。しかし問題は
ボーカルだけは個人の努力だけで補えない事だった。単純に作業者が男性だった場合、
女性ボーカルが必要な曲は他人に頼らなければならず、それを無料で引き受けてくれる
人脈を持つ人は稀であり、かつイメージする声質を選べなければならない。そんな
リア充は極限られるだろう。

そんな難関を前に、今までは「あきらめる」しか選択肢がなかった多くの非リア充音楽家
の前に、突然可能性を引っさげて登場したのがボーカロイドだった。現在初音ミクが
天使とか女神と呼ばれるゆえんは、まさにここにある。当然、キャラがかわいいという
のもあるだろうが、製作者にとって今までゼロだった可能性が、はじめて1になった
のだ。救世主と感じても不思議ではあるまい。これはビーナス誕生と同義だった。
聞くだけのリスナーにはわからないかもしれない。しかし製作者にとっては、これは
一大事であり、MIDI依頼の大発明だった。当然、初音ミク以前にもボーカルソフトは
あった。しかしある一定の性能や価格、共感を得られる要素を初めて満たしたのが
初音ミクだったのだろう。

また生まれた時期もシンクロしていた。ジャスラックによる圧政により、MIDI音楽は
ほぼ壊滅状態に陥っていた。世紀の大発明は数年で可能性を潰されたのだ。DTMを
行う者は、長い長い屈辱と抑圧の時間を過ごしていた。そういった暗黒時代に現れた
太陽が初音ミクだったのだ。物凄い圧力が開放された大爆発。ネットによる検閲のない
情報が、不条理な利権へ、遂に反抗する時がやってきたのだ。

初音ミクの爆発的ヒットは、水面下で悪政に対する革命だったわけだ。著作権管理会社を
通さずに、初めて青空の下で歌を歌ってよい自由。それを多くの人が自由に共有できる
喜び。「売れる曲しか世に出せない」という商業主義からの脱却。隠れた才能の表出。
音楽が庶民の手に戻ってきたのだ。

そんな革命に気がつかず、「最近JポップのCDが売れない」「ネットのせいだ」と
ほざくレコード会社は潰れるのが当然だ。そのままずっとバカ向けハナタレ糞音楽だけ
売ってろ没落貴族ども。



ボーカロイドにはまだまだ欠点もある。肉声には遠く及んでない性能。
使いにくいデバイス。手作業調教、声のバリエーションが少ない。ビブラートが不自然
すぎ、クォンタイズの幅、語りができない、低音の安定のなさ、などなど。
また人気をキャラに頼りすぎているのも不自由だ。製作者側としては自分のイメージの
キャラを作りたいという願望もあるが、なまじキャラが先走っているために初音ミクを
使えばすぐに「これは初音ミクです」とレッテルを貼られる。
また、エロソングは禁止とか、そういう無粋な制限は必要ない。そういうモラルとの
対決を避けてはいけない。退けるべきは無知な多数派であり、可能性を追求するものに
足かせをつける時代はおわったのだ。


で、キャラとしての初音ミクですが、ねんどろいどのミクは買いましたよ。買いました
とも。でもパンツが縞じゃないってどういうことですか?物事には様式美ってものが
あるでしょう。葱柄だったらまだ許せたんですけどね。アレはいただけないなぁ。