minority resistance

pcfx復活ブログ

A/D変換世代

2011年06月25日 | 機械とか
pcfxは1970年産まれだ。年齢はもう立派な中年だが、中身が立派かは議論の余地があると言われて
いる。青年期まではオッサンを「自分とは相互理解不可能なクリーチャー」くらいに認識して
いたが、いざ自分がオッサンになってみると、自分が青年と相互理解不可能になっているとは
思えない。世間擦れし、多少経験を積み、無駄な知識は増えたものの、精神は高校生の頃とさほど
変わっていない。

しかし、自分と同年代の人に妙な「相互理解の不可能性」を感じることがあり、オッサンのpcfxが
その人を見て「ああ、オッサンだなこのひと」と思う人もいる。妙に頭が固く、話題が限られて
おり、常識外の話を拒む。社会の決まりに疑いもせずに従っており、非常に保守的で新しい物を
避ける傾向が顕著だ。
むしろ「中年になるという事」のスタンダードは、このような人の事をいうのかも知れず、pcfxの
ような人間が例外で、実に子供のままの幼稚な人物なのかもしれない。

だが、実はpcfxは子供の頃、非常にオッサンくさい少年だった。同年代の子供を常に上から目線で
見ており、趣味は枯れた物を好み、新しい物も好きだったが古いものに愛着を感じていたの
だった。

オッサン小学生のpcfxは早熟で悪知恵も働いていたため、周りの同級生が全てバカに見え、また
幼稚に見えたので親しい友人は限られた。「努力しなくても常に成績TOP10に入る人」としか
遊ばなかった。学年の初めに教科書が配られると、それをパラパラと読んだだけで頭に入るので
授業など聞いておらず、常に手遊びや落書きやパラパラマンガの作成に勤しみながらテストは大体
満点だった。先生も特に授業の妨害さえしなければ放置していてくれていた。クラスメイトが
「学習塾に行く」という事の意味がわからず、しかも自分より成績が悪いという事を不思議に
思っていたのだった。

こう書くと偉そうに見えるが、子供が早熟で悪知恵が働くというのは、あまりいい結果には
ならないものだ。まず集団に馴染めない。そして人を小馬鹿にするようになるので大人にも可愛
がられない。世の中を舐めきり、年上を敬えないので社会と順応しにくい。努力する事を知らな
いので怠惰な性格になり、達成の喜びを知らない。同世代の普遍的な価値観を共有できないので
孤独感が増す。

こういうヒネたガキのpcfxを見た母親は将来が心配になったのだろう。いきなり「とあるスポーツ
団体」にpcfxを放りこみ、「スパルタ集団スポーツ&サバイバル&バイオレンス」な環境で生活
することを余儀なくされた。土曜日は習字・柔道、日曜日は古武道・水泳・剣道、連休は
キャンプ、夏休みは船舶訓練、冬休みは雪山登山だ。また禅寺で坐禅、先生の自宅で家の掃除や
畑の世話などをやらされる事になってしまった。

今の常識では考えられない事だが、昔はこれが社会に容認されていたのだ。先生や団体幹部が
警察のOBだらけなので苦情も闇から闇。小学生を山奥に放置して自力で3日かけて下山させる
などはかなり問題のある行為だと思われるし、冬山でビバークしながら凍えて正月を迎える壮絶な
体験をさせてもらった。武道では先輩に不条理にガスガス殴られ体は青タンだらけ。食料が現地
調達が基本の「さわやか夏のオリエンテーション(笑)」ではマムシ捕まえてを自分で捌いたり、
1日野草を探し回るだけの夏休みが、山奥で脱走不可能な場所で毎年開催される。海上では炎天下
の中、帆船の帆を一日中巻き上げたり降ろしたり、一日中デッキブラシで甲板掃除をしたり、
一日中手旗信号の練習をしたり、魚が釣れなかった者はおかずなしで玄米だけの食事が待って
いた。禅寺では真冬に半袖短パンの体操着で一日中坐禅を組まされ、先生の家に定期的に泊まら
されて奴隷のように酷使された。

このような体験を数年間続けさせられ、pcfxが「健全な青少年」になったかというと、その体験が
アダになって、見ての通りの不健全のカタマリになったのだった。多少タフにはなったかも
知れないが、今でもその「とあるスポーツ団体」には恨みしか残っていない。今でも革命でも
あったらアレをアレしたい気持ちだ。全員もげろ。

そんな団体とも遠方への引越しを機会に決別でき、そういう精神主義的・超健全志向な考え方が
大嫌いになったpcfxは、リベラルな左巻き思想に傾倒していくことになった。




さて、やっとここから本題に入るのだが、そのように何でも自力でやらされた世代は、おそらく
pcfxの世代くらいが最後だったのではないか。遊びでも、幼年期は凧揚げコマ回しおはじき
メンコなど昔ながらのものを踏襲しつつ、ミクロマンやプラモなどのような当時の現代玩具で
遊び、小学生も上級になると電子ゲームで遊びはじめる。中学生や高校生になるとパソコン
使うようになり、大人になったらインターネットを使うようになった。

pcfxの世代は実に多様な経験や遊びを次々に体験していった世代であり、アナログ時代とデジタル
時代を両方生きてきた。それ以前の世代はデジタル的なものに抵抗を感じ、それ以後の世代は
アナログを知らない。この世代とは大体、1965年から1975年くらいの間の10年間に生まれた世代
だ。日本は1980年頃に大きな変化があり、その頃に物心がついた世代だ。1980年より前という
のは、まだ日本は戦争の爪あとを残していた。傷痍軍人がアコーディオンを鳴らしていたのを
自分の目で見た人と、そうでない人の差だ。まだ日本が全体的に貧乏で、子供は鼻を垂らして
ズボンのヒザが破れて繕ってあり、家庭には日本人形木彫りの熊が飾ってあり、観光地に行くと
必ず三角形のペナントを買って部屋の壁に貼っていた、そんな時代だ。

ところが1980年を境に、子供たちの服は小奇麗になり、家庭から和風な雰囲気が消えていき、
ソロバンの代わりに電卓を使い、子供たちの遊びは電子ゲーム一色になっていった。傷痍軍人たち
はどこに消えたのか見当たらなくなった。

今ではすっかりデジタルライフを満喫しているpcfxの世代だが、それはアナログの基礎の上に
ある。突然世界からデジタルメディアが消滅するような事になっても、とりあえずラジオくらい
は部品を寄せ集めて作ることができる。食料が買えなくなっても、野草や野生動物を採って
食べる事がなんとかできる。ゲーム機がなくても自分でボードゲームなどを作って遊ぶ事が
できる。ナビがなくても地図を見ることができ、太陽の方向で方角を知ることができる。ググら
なくても基本的な知識はある程度知っており、デジカメがなくてもピンホールカメラを自作し、
青写真を現像することができる。

また今後次々にデジタルメディアが発達しても、躊躇なくついていくことができるだろう。現在の
年配者はメール一つ自分で操作できない人もいるが、pcfx世代はそこまで機械音痴にならない。
多少は若者に遅れを取るかもしれないが、逆に若者が思いつかない発想で問題を解決する事が
できるだろう。このような世代は「アナログ/デジタル変換世代」といってもよく、割と柔軟に
時代やテクノロジーに対応できる資質を持つ、いくらか有利な世代なのだ。

無論、この世代でもアナログ時代を知らずに育った環境の人もいるだろうし、デジタルについて
いけない人もいるだろうが、個人差はあるものの、そのようなことができる環境にいた事は確か
であり、できる者は幸いである。


そんなわけで、pcfxの世代は、それまでの「オッサン」とはまた違ったオッサンなのであり、
若者と「ほむほむ萌え」などの話で盛り上がれる一方、年寄りと囲碁を打ったり昔話を共有
できるワイドな変態ライフを送ることができる。そして、昔の日本をデジタルに変換できる
最後の世代だ。インターネットの世界にはネット以前の記録が圧倒的に不足しているが、それを
後世に伝える変換を行う義務があるのではないかと思う。ネットの情報とは、超個人的な趣味
趣向や、一見他の誰にも価値を見いだせない日記や記録や思い出の集合体だ。それらのデータは
誰がいつ必要とするか知れないものだが、データというのはそういうものだ。とにかくあらゆる
データは残しておくものであり、いつか必ずそのデータで助かったり役立ったりするものだ。

pcfxが地方の歴史を追う際にも、登山者がたまたま見た遺構のスナップ写真や、たった一行の
独り言、年寄りと話した世間話の記事が大いに役立っているが、これら日記サイトや仲間内向け
の記念カキコは、通常はサーバーの負荷程度にしか思われない。



古い時代と直接繋がっている最後の世代は、「A/Dコンバーター」となって未来の人々に過去を
伝えよう。家に死蔵された子供の頃の写真アルバムも、ネットにアップロードすればデータと
なり、過去の記録として貴重なものとなる。まだ祖父や祖母が健在なら、できるだけ昔話を記録
すべきだ。個人の戦争体験や大正時代の恋の思い出話だって貴重な資料となる。またそれによって
世代を超えたコミュニケーションがうまれ、疎外していく未来へのフォローになるだろう。
年寄りを無価値で邪魔なものとせず、本来の年寄りの価値を発掘していきたい。

これもアナログとデジタルを両方制御できる世代にしかできない事なのだから。

ずんずん教の野望

2011年06月25日 | げーむ
昨日、JR名古屋駅でホームに到着した新幹線を降りる乗客を、片っ端から名古屋撃ちで倒していく
シューティングゲームが発売されるという夢を見た。自分で見た夢ながら、目が覚めて「なんじゃ
こりゃ」と自分ツッコミを余儀なくされたが、どうもどこかでみた構図だった。1日考え、やっと
それが「ずんずん教の野望」のワンシーンに似ている事を思い出したのだった。

世界で最もクールなゲーム会社、SEGAが1994年に世に放った問題作が「ずんずん教の野望」だ。

プレイヤーの操作するお地蔵さんで、謎の宗教団体「ずんずん教」を壊滅させるシューティング
ゲームだ。日本・アジア・欧州・米国にそれぞれ支部があり、それぞれにある派閥を全て潰して
いく。冒頭に「実在する宗教団体とは関係ありません」と出るが、1994年といえば「オウム真理教」
が世間を騒がせていた真っ只中の時代だった。

pcfxの夢に出てきたシーンは、このゲームの「日本支部」の「上野駅東北線乗り場」で繰り広げ
られる、「朝まで泥酔派」という派閥と戦う場面と似ていた。
このゲームの雰囲気はなんとなく「ごんべえのあいむそ~り~」に似ており、やはり発売はSEGA
だった。さすがはSEGAだ。



「ずんずん教」のラスボスは「地球の無意識」が具現化した「アースノイド」という奴だが、この
ゲームは2周してゲームオーバーになる。


このゲームが発売された当時、pcfxはスコアネームを「ZUN」と名乗っていたので、よく仲間に
「ZUNZUN教」などと揶揄されたものだったが、加えてオウム真理教が色々と事件を起こしている
最中に出たゲームでもあり、一部のゲーマーに「ヤベェゲーム」という印象を与えていた。

特定の宗教を信仰しないpcfxは当時、オウム真理教にかなり関心を持っていた。名古屋支部の
道場を見学したこともあり、大須のパソコンショップの「マーハーポーシャ」やオウムグッズを
販売していた「サティアンショップ」にも足を運んだ。マハーポーシャの呼び込みが大須商店街で
奇妙な掛け声や歌や踊りをしていたのは面白かったし、サティアンショップで販売されていた
「青山弁護士ノート」「尊師メモ帳」なども面白がって買っていた。

オウム真理教は「テロ集団」という印象が強いと思われるが、事件を起こす前にはいろんな著名人
がオウムを評価していた。ビートたけし、吉本隆明、中沢新一などだ。pcfxも当時、サーンキャー
哲学
や古代仏教系の本を読み漁っていたが、日本語訳された資料が少なくて困っていた。そこに
オウム真理教がそれらの翻訳本を発行しているという情報を聞いて、名古屋市の東新町あたりに
あったオウム真理教名古屋支部に買い求めにいったのだった。

「万国ビル」というわりと大きなビルがあり、その3階が名古屋支部だった。入り口付近にある
受付で本を探しているという旨を話すと、サマナ服を着た女性信者が数冊の本を持ってきた。
やたら高い本だったが仕方なく3冊ほど購入した。するとなぜか、読者登録をしてほしいので
ここに名前と住所と電話番号を書いてくれ、とユーザー登録を求められた。新興宗教への応対
には慣れていたのでデタラメを書いて渡した。これはサービスですと、オウム真理教の発行する
機関紙や麻原の著書などを差し出してきたのでもらっておいた。

その後受付の女性と古代仏教やバラモン教の話をしたのだがあまり詳しくない。上級信者らしき
男も出てきたが、これも話がシドロモドロだった。「ああ、あんまり勉強してないな」という
のは一発でわかった。それ以上は無駄のようなので引き上げたが、購入した翻訳書は割と良い
内容で、ずいぶんと役にたった。タダでもらった機関紙は石井久子が表紙に出ており、「あの時
私は光だった」などと、まるでエロ本のような雰囲気だった。また麻原の著書も「最終解脱者」
とか紹介されており、「ああ、また自称か」と、ライト感覚な新興宗教そのものといった印象
だった。


pcfxがオウムを知ったのは割と古く、「つのだじろう」のマンガの中で、空中浮遊に成功した
麻原が紹介されていたのを読んだのが最初だ。変なオッサンが上半身裸で蓮華座のまま中に
浮いてる写真があった。「オウム神仙の会の麻原氏が空中浮遊に成功」という見出しで、雑誌
「ムー」に掲載されている記事もあった。それが80年代半ばくらいの時期だったと思う。

pcfxは学術的なこと以外には宗教に興味がなかったので「ああ、また超能力か」程度の印象しか
なかったのだが、この時なんとなくだが、「この宗教は大本教と同じ運命をたどるのでは」と
思ったのを覚えている。大本教がどんな宗教団体だったのかはググってもらうとして、公安に
目をつけられる要素をそこかしこに感じたのだった。そして案の定の終焉を迎えていた。



インド教である「ヒンドゥー教」は日本神道とシステムが似ている。統治者が地方を治めていく
時に、地方の神様を飲み込んで「あれも神様、これも神様」と認定していく。そしてそのつじつま
を合わせていく「神話」が産まれるのだが、それぞれの土着信仰を継ぎ接ぎするので、たまに
強引でおかしなエピソードになることがある。ヒンドゥーではガネーシャの話などがそれだ。

それらの物語を人類学的・社会学的・文学的に読むのは楽しいものだが、なんかそれを真正面から
真面目に受け取って信じこみ、拝み倒す人もいる。面白い物語なのに、なんだかもったいない話
だ。また逆に「宗教だからダメだ」と真っ向から否定する人もいるが、それももったいない。
神話には含蓄に富んだ面白い話が多いというのに。

で、神話とは物語なので、これは現在のマンガやアニメに通ずる。素直に物語やキャラを楽しめば
よいのだが、中にはストライクに受け取って狂信化したり神格化したり厨ニ化したりする人も
いるようだ。また「オタクキモイ」とバッサリ切り捨てる人もいる。両方もったいない話だ。

ヒンドゥー教の神様たちへのインド人の信仰は、多神教である点や土着信仰の併呑などが日本神話
と似ているが、信仰のされ方は日本におけるアニメキャラ萌えと似ている側面がある。それぞれが
贔屓の神様を信仰するのだが、それが一人だけとは限らない。3人セットというのもザラだ。
例えばラクシュミ神萌えの信者は、ほぼガネーシャ神も信仰する。なぜかというと、「ラクシュミ
神はガネーシャ神と大変仲が良いから」というのが理由だ。仲が良い神様を別々に信仰するのも
おかしな話だ。このへんが多神教の面白さなんだが、一神教の連中にはこの醍醐味がわからない
らしい。すぐに「多神教=精霊信仰=原始的宗教=野蛮」というレッテルを貼りつけてくる。

また、インドでは婚前交渉はタブーとされることが多いが、だからといって男の性欲が我慢される
はずもない。ネット以前はポルノも手に入らなかったインド人男性は自分で処理していたわけ
だが、ズリネタにも事欠くので、部屋に飾ってある萌えポスターを見て抜くこともしばしばあった
のだ。つまり女神様のありがたいお姿ポスターをネタにしているわけだ。ははあ、どうりで
ヒンドゥーの神様ポスターの女神様は艶めかしく描かれているわけだ。それが罰当たりだという
人もいるだろうが、左道タントラの一つでありこれも修行の一環なのだ。日本人のオタが
かんなぎ」をネタに抜くのと大体同じであり、エロ同人誌を描くのも徳を積む一環なわけだ。

現在の日本人はインド人と比べて、少し神道に無関心過ぎる。もっとウズメとかアマテラスに
生々しい興味を向けるべきであり、ちょっとグロ志向な方はイザナミとかに萌えるべきだろう。
信仰されない神様はどんどん力を失ってしまう。オタの女神萌えや巫女萌えは国力増強になくては
ならないパワーの源であり、神社の聖地巡礼で萌え絵馬もどんどん奉納するべきであり、全国で
立ち腐っていく神楽殿を利用してオタダンスを奉納すべきなのだ。

なにかと閉塞する昨今の日本だが、その突破口はインド人に見習った、日本神道の再興にある。
もう政府が「信仰もほどほどにせよ」と困るくらいの盛り上がりを見せることが、日本再生への
唯一の具体的な方法論だ。


大本教やオウム真理教の失敗は日本神道の軽視にあり、土着神であるお地蔵さんの仏罰だ。
「ずんずん教の野望」も金地蔵と銀地蔵によって潰える。日本人の信仰が日本人を救うのであり、
わざわざ新しく宗教を作ったり輸入しなくても、いつでも答えは足元にあるのだ。