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pcfx復活ブログ

カシオEX-ZR10の使用感とか

2011年07月05日 | 機械とか
先週購入したEX-ZR10を使って色々撮影してみた。一言で言うと「おりこうさん」な
カメラだ。

専門的なレビューは他人任せにするとして、個人的な使用感を書いてみる。


まず何といっても「早い」。これに尽きるだろう。起動が早い。撮影が早い。処理が
早い。連写が早い。フラッシュの充電が早い。とにかくカシャカシャ撮れる。この
爽快感は非常に魅力だ。

画質は調整できるが、全体的にシャープな写真が撮れる。色合いもクッキリハッキリ
出るようになっているので、「見たままの写真」ではないかもしれないが、その分
「面白い写真」に仕上がる。ボヤンとした写真が嫌いな人にはうってつけだ。


よかった点

手ぶれ補正はかなり効いてくれる。ラフに撮ってもだいたい大丈夫だ。走りながら撮っても
ちゃんと撮れていたのには驚いた。

各スイッチ類も合理的な数が合理的に配置されている。レスポンスも丁度良く、ストレス
や不安感がない。

液晶が見やすい。本体の大きさに対して画面の割合が大きい(3.0型)。

撮っていて楽しい。HDR機能、HDRアート機能、マルチ超解像ズーム、スライドパノラマ、
連写などの遊びを満喫できる。動画もフルHDで、スロー撮影できて面白い。


残念な点

小さ過ぎる。小さいのが欲しい人には何の問題もないが、小さいボディに機能を詰め込み
まくっているので、カメラを持つときにどこを持ったらいいか迷うくらい小さい。
フラッシュや距離センサーに指が当たってないか気になる。背面も大部分がモニター
なので指を置きにくい。

バンドルされているストラップは短くて使いにくい。成人男性が手に絡めて撮影する際に
少し長さが足りず、不自由な感覚がある。

シャッターボタンが少し重い。本体が小さくて軽いので、ボタンを押す衝撃がカメラに
伝わりすぎる。

ズームの挙動が早いので、静止画撮影時には重宝するが、動画撮影時のズーム操作が
早すぎて制御しにくい。

こんなところか。


これら長所と短所は、あちらを取ればこちらが立たずといったものが多いので根本的な
解決はできないのだろう。これだけ高機能のカメラをここまでダウンサイジングした技術は
讃えたいが、この高機能を求める層にとってはコンパクトにし過ぎでかえって使いにくい
結果になってしまっている。製品のバリエーションとしてもう少し大きくてグリップ
しやすいものが欲しくなるところだ。

だが、そのようなアナログな欲求も、カシオは既にデジタルで回答している。グリップが
悪くても手ブレ補正が強力なので問題なく、手軽な撮影で本格的な撮影と同程度の結果を
出せますがなにか?という事だ。要は機能には問題はなく、使う側の既存のカメラ概念に
拘りが残っているだけだ。実際、撮影してみれば問題など全くないのだ。

2011年6月末で表示価格¥26800、実売価格¥20800で売られているカメラとは思えない
高機能であり、その機能が入っているとは思いがたい小さなボディだ。これは驚嘆すべき
技術であり、カシオの真骨頂を表現している製品だ。これを使うと、既存の高価格な
高級機を使っていた人は「今までのカメラはなんだったのだ」と後悔するほどだ。無論
一眼レフカメラと比較するものではないが、それは「本当に比較できない」という次元の
新しいコンセプトで作られたカメラだからであり、性能が見劣りする性質のものではない。


早い、手軽、高機能、安価、という要素が全部そこにある桃源郷がEX-ZR10であり、カシオ
らしい面白さに溢れ、カメラが見た目で判断できない次元に突入したモデルがEX-ZR10だ。
もう一眼レフを大げさに構えてカメラマンを装う必要などなくなった。結果は同じであり
小さくて軽い分、テクノロジーの恩恵を受けたほうが利口というものだ。


だからこのEX-ZR10を一言で言うと「おりこうさん」なのであり、カメラもおりこうさん
だが、ユーザーもおりこうさんでなければならない。おりこうさんでない方は今まで通り、
でかいだけのカメラや道具を山ほど抱えてヒィヒィ言いながら持ち運べばよく、いかにも
「自分はカメラマンです」と主張した格好をしていればよい。
但し、一眼レフカメラをキチンと使いこなせている方は上記に当たらない。

pcfxの友人も、中途半端な性能の一眼レフを後生大事に抱えていつも重装備だが、手動で
ピントも合わせられない体たらくの上、オートフォーカスでもピンボケだ。平行もシンメ
トリーも構図も取れないまま12万枚撮影しているが上達してない。だが格好と口だけは
いっちょ前だ。撮ってきた写真には失笑するしかない。

pcfxはそんな事に血道をあけたくないので、ポケットにこれ一個入れて旅に出る。
結果が同じならそれで十分だ。ハイテク万歳、カシオ万歳、それがEX-ZR10だ。



最後に、EX-ZR10に付属のストラップは小さいので、標準的体格以上の成人男性は別途、
自分に合ったものを購入したほうがいい。またケースも付属してないので、適当なサイズの
ものを購入したほうがよい。

デジカメとかカシオとか

2011年06月28日 | 機械とか
90年代半ばにカシオQV-10というデジカメを発売し、日本のカメラ事情を一変させるきっかけ
になった。25万画素・2MBの内蔵メモリ・1.8型の液晶モニタ・¥65000という性能ながらも、
一大ヒットとなって誰もかれもの物欲を刺激した。無論この性能ではフィルムカメラの足元にも
及ばず、カメラ好きには「おもちゃ」として認識されていた。

カシオという会社は、この「おもちゃ」を作るのがうまい会社だ。しかし玩具メーカーと違う
のは、先見性と発想を製品化する具体性であり、技術力に裏打ちされながらも決してやり過ぎない
間合いの取り方だ。大抵の製品には既に専門の古参会社がおり、専門らしく性能を追求するのは
当たり前のことだが、専門メーカーとしてのプライドや方向性によって「よい製品・高機能な
製品」ばかりを追求してしまう傾向から逃れられない。

しかしカシオは「どの製品ジャンルの専門企業」とも限定できない位置にいる。そういう会社は
ゴマンとあるが、それらは「2級品メーカー」だ。だがカシオの製品は「2級品」とは違う。
専門メーカーが敢えて作らない方向性の製品を作る「1級品メーカー」だ。

QV-10はカメラとしては確かに「おもちゃ」の性能しかなかったが、ファインダーを覗かずに液晶
画面を確認しながら撮影できるという「斬新性」を、当時¥65000で実現したというところに
カシオの凄さがあるのだ。ただ単に「液晶つけました!」というだけだったらそこまでの
会社なのだが、カシオの凄さとは、そこに「回転レンズ」というギミックを搭載したところに
ある。QV-10にはズーム機能はない。また当時の性能から、一般人が買える価格帯ではキレイな
写真を撮るという目的にはデジカメはまだ使えない。では「なんに使うのか」。そこが問題だ。

遠景・風景を取るのに向いてないのなら、近い所にいる人物を撮ることになる。現在の携帯電話
にも、外向きと内向きのカメラが2つ搭載されているものが多いが、フィルムカメラとデジカメ
の大きな違いの一つに「自分を撮る」という付加価値がある。QV-10はレンズユニット部を回転
させることによって、液晶画面を確認しながら自分を撮影することができた。若い人のスナップ
写真では、自分を含む仲間が集合した写真を取りたい需要があったが、フィルムカメラでは
きちんと撮れているかどうか確認できない。カメラをどこかに固定してタイマーセットする方法
もあるが、それは手軽ではなく確実性がない。液晶画面があるデジカメで初めてできるように
なったのだ。

この回転レンズは自分撮りだけに終わらない。レンズ部が固定されているカメラで、煽る構図で
撮影する場合は液晶画面が見づらい。真上からの近接撮影も難しい。だがレンズが回転すれば、
自分は正面を向きながら煽りや見下ろしもラクラクだ。デジカメがデジカメである所以はここに
あるといってもいい。


その後デジカメの性能は向上していき、カメラメーカーもデジカメばかり生産するようになって
いったが、回転レンズを踏襲する会社や製品は少なかった。その需要は携帯の内向きレンズに
吸収されていったのだ。現在ではもう、「手軽なカメラは携帯」「ちょっと凝りたい時は
コンデジ」「本格的な撮影はデジイチ」という住み分けができており、回転レンズは行き場を
失ってほぼ淘汰されてしまった。そして既に静止画カメラと動画カメラの線引きもあいまいに
なっており、すぐにそれらが融合する製品ばかりが市場に並ぶようになっていくだろう。

その方向性をきちんと理解し、踏襲し、開拓している会社はカメラの専門メーカーではなく、
カシオだけだ。専門メーカーの「カメラはこうであるべき」という姿勢は多くの場フィルム
カメラの常識に帰結していくが、カシオは「デジカメにしかできないことは他にないか」
という方向を常に模索した製品開発を行っている。ここが大きな違いであり、電子部品の進化
によって出来ることがどんどん増えている中、いつまでも保守的なカメラモデルを守ることに
あまり意味はない。極端にいうと技術が進めば「レンズがなくてもよく、撮影行為も必要と
しないカメラ」を作ることもできるようになっていくと考えられる中、未だにレンズや撮影技術
にこだわる旧時代のカメラを造り続けなければならない専門メーカーは気の毒である。そこに
あるのは技術の追いかけだけであり、保守層のスタイルに合わせなければならない縛りだ。
常に時代とスタイルを牽引するカシオこそ、本当の意味でのカメラメーカーだといえる。


さて、こう書くとなにやら偉そうだが、要はpcfxはカシオが好きなだけだ。70年代後半、
世の中には電卓が出回り始めたのだが、それまではみんな計算はソロバンでやるものだったのだ。
コンピューターもあったが、それは家庭で手軽に買えるものではなかったし、直接儲けを
生み出さない事務仕事にコストを割く余裕など多くの企業にはなかった。

そこに安価な電卓を投入した企業がカシオだった。「こた~え~いっぱつ~♪」というCMソング
で有名だったカシオの電卓は、家庭に事務所に電子化の嵐を巻き起こした。国産の集積回路に
よって安価に大量に出回り、小型化し、高性能化していった。第2次電子化革命といっても
過言ではない。第1次はラジオやテレビだった。

大量生産されコストが下がった高性能集積回路は他の製品にも応用されていった。電子ゲームも
そのひとつだった。現在の日本がハイテク国家となったのはこの革命によるものであり、それを
牽引したのもやはりカシオだった。

その後カシオは集積回路を使った応用製品をジャンルを問わず次々に開発した。すでに専門の
メーカーがあった業界にもどんどん参入していった。しかしその頃から「業界一番を目指す」
という方向性ではなく、「カシオならではの機能を盛り込んだ高性能で安価な製品」という
カウンターを当てる方向に動いていた。パソコンもMSXへの参入以外はポケコンから始まった
PDAの市場を開拓し、NECに対抗するような戦は仕掛けない。電子楽器もヤマハのDX-7に真っ向
から勝負せずにカシオトーンからの伝統を踏襲したオールインワンタイプのCZシリーズ
投入、腕時計も「デジタル表示」という所にこだわってセイコーとの正面衝突を避けた。

勝負を避けたからといって2流品だったわけではなく、「クレバーな独自路線」を切り開いて
いたのだ。独自路線の企業に「ソニー」もあるが、ソニーとカシオの違いは柔道と合気道の
違いに近い。ソニーは時に力技で相手をねじ伏せ、投げ飛ばすが、カシオは流れるように相手の
力を使って受け流すのだ。だからソニーの本当のライバルは、空手のパナソニックでもキックの
シャープでもなく、合気道の「カシオ」なのだ。

pcfxはこのような考えから、カシオという企業のファンだ。カシオのイメージは一般的に
「Gショックは有名だけど、他はイマイチぱっとしない安い製品を作る会社」ではないかと
思われる。だがそれは当たっているようで間違っている。その評価は専門メーカーの上位機種
との対比であり、実際には「低価格帯から中級機の市場で面白さと低価格を実現している会社」
であり、例えるなら「遊びまわっている割にはテストの点数は80点以上を常にキープして
いる人気者のニクいアイツ」なのだ。ガリ勉で成績はつねにトップクラスだが遊びを知らない
奴よりも人気がある。そして秀才は大抵そこにコンプレックスを持っているものだ。
だから他企業はカシオに愛憎入り交じりながら、成績だけはカシオに負けまいと必死だ。
必死に勉強する窓辺からカシオが楽しそうに校庭で遊んでいるのをみて、「ちくしょう、オレも
遊びてぇな~」と思っているソニーがいる。


デジカメの話だったがまた忘れていた。

pcfxは長いことQV-2900UXというカシオのデジカメを使っていた。回転式レンズの最後の機種
だった。このQV-2900UX以来、カシオもこのスタイルのデジカメを作らなくなってしまい、いつか
出るのではないかとずっと待っていたが、遂に故障してしまった。2001年の夏に購入したもの
なので既に時代遅れのスペックであり、電池ホルダーのフタのツメが割れてきちんと閉まらなく
なっているのを、テープで補修しながら我慢して使っていた。そして遂に修復困難な故障を
起こしたので、買い換えることにした。

だがどうしてもpcfxが欲しいスタイルのデジカメがない。メーカーはカシオ以外には興味がない。
そして希望に近い商品はあるのだがいまひとつだ。pcfxの希望とは、「カシオ製で回転式レンズで
胴体に厚みがあってグリップがよく、今時の性能を持っており、さらに加えて面白い独特の
機能をもったデジカメ」だ。つまり「今時の性能のQV-2900UX」が欲しいのだ。あのデザインは
完璧であり、中身だけ変えたいのだった。

まあ無いものねだりをしていても仕方がない。「割りきって安くてテキトーなデジカメでもとり
あえず買うか」と、カメラ屋ではなくヤマダ電機にフラッっとジャージで行った。ジャージで
行くことにより真剣な買い物ではないと自分に確認させるためだ。あとサンダルで。

家具屋系家電屋なので展示機種もカメラ屋系家電屋より少ない。それでいいのだ。テキトーに
安いデジカメを買いに来たのだから。ジャージで。で、迷わずカシオのコンデジのコーナーへ
行き、2万円台の新機種を漁った。展示品を触りまくって、もうあまりに触るものだからそろそろ
ピンサロでおさわり追加料金を取られそうな勢いで触っていると、やっと店員が近づいてきた。

pcfxが家電屋で好む店員のタイプは、メーカーから無理やり出向させられてあまりやる気が
ないヌボーっとした長身痩せ型の30代の男であり、でも家電屋のマニュアルとかがうるさいから
仕方なく客に声をかけてサジェストでもするか、という態度が見え見えのメガネくんだ。
多少寝ぐせが残っており、聞こえにくいくぐもった声でボソボソ喋るとなおよい。

そんなpcfx好み通りの店員が来たので非常にうれしい。さっそくマニアックな質問を続けざまに
あびせ、技術用語とか開発の人の名前とかを持ち出すと、目に光が戻ってくるのがわかる。
この変化をこういうタイプの店員に見るのが大好きだ。言葉は接客用語だが、心の内では

「だよね~だよね~、オレだって家電屋で働くために理系卒業してメーカーに就職したわけじゃ
ないんだよね~、何がほしいのか自分でもわかってない団塊オヤジにウチの製品を無理やり
ねじ込むのってやっぱ苦痛じゃん?おまえなんかどうせ機能使いこなせないんだから、写ルンです
でも買って写真屋で現像してもらっとけってカンジだよね~、ていうか焼き増しお願いしま~す
みたいなw?ま~だけどどこの製品も横並びなんで結局は自分の欲しいものをハッキリさせてから
店にこれない奴ってなんなの?つーか八百屋に魚買いに来るバカ相手にしてるから儲けもある
んだよね~、あとコジマより高い!とかいうならコジマで買えっつーのwww」

という心理が垣間見えてきてとても楽しい。で、話し終わったら180度態度を変えて「で、いくら
まで下がるかでコレに決めるから限界価格を答えて」と突き放す時に、落ち込むのではなくニヤリ
と笑う奴がよい。これがpcfxの求めるベストの家電屋店員である。彼はニヤリと笑った。
非常に良い買い物ができて嬉しい。

そんなわけで今回、ジャージ感覚でニヤリとさせて気軽に楽しく購入したのがCASIOのコンデジ、
EX-ZR10」のブラックだ。レンズは回転しないが、いつかQV-2900UXのような完璧なデジカメが
出てくれるのを信じて待つことにする。それまでは気軽なデジカメで我慢しよう。


EX-ZR10のレビューはまた今度書く。友人の話も絡めて。

A/D変換世代

2011年06月25日 | 機械とか
pcfxは1970年産まれだ。年齢はもう立派な中年だが、中身が立派かは議論の余地があると言われて
いる。青年期まではオッサンを「自分とは相互理解不可能なクリーチャー」くらいに認識して
いたが、いざ自分がオッサンになってみると、自分が青年と相互理解不可能になっているとは
思えない。世間擦れし、多少経験を積み、無駄な知識は増えたものの、精神は高校生の頃とさほど
変わっていない。

しかし、自分と同年代の人に妙な「相互理解の不可能性」を感じることがあり、オッサンのpcfxが
その人を見て「ああ、オッサンだなこのひと」と思う人もいる。妙に頭が固く、話題が限られて
おり、常識外の話を拒む。社会の決まりに疑いもせずに従っており、非常に保守的で新しい物を
避ける傾向が顕著だ。
むしろ「中年になるという事」のスタンダードは、このような人の事をいうのかも知れず、pcfxの
ような人間が例外で、実に子供のままの幼稚な人物なのかもしれない。

だが、実はpcfxは子供の頃、非常にオッサンくさい少年だった。同年代の子供を常に上から目線で
見ており、趣味は枯れた物を好み、新しい物も好きだったが古いものに愛着を感じていたの
だった。

オッサン小学生のpcfxは早熟で悪知恵も働いていたため、周りの同級生が全てバカに見え、また
幼稚に見えたので親しい友人は限られた。「努力しなくても常に成績TOP10に入る人」としか
遊ばなかった。学年の初めに教科書が配られると、それをパラパラと読んだだけで頭に入るので
授業など聞いておらず、常に手遊びや落書きやパラパラマンガの作成に勤しみながらテストは大体
満点だった。先生も特に授業の妨害さえしなければ放置していてくれていた。クラスメイトが
「学習塾に行く」という事の意味がわからず、しかも自分より成績が悪いという事を不思議に
思っていたのだった。

こう書くと偉そうに見えるが、子供が早熟で悪知恵が働くというのは、あまりいい結果には
ならないものだ。まず集団に馴染めない。そして人を小馬鹿にするようになるので大人にも可愛
がられない。世の中を舐めきり、年上を敬えないので社会と順応しにくい。努力する事を知らな
いので怠惰な性格になり、達成の喜びを知らない。同世代の普遍的な価値観を共有できないので
孤独感が増す。

こういうヒネたガキのpcfxを見た母親は将来が心配になったのだろう。いきなり「とあるスポーツ
団体」にpcfxを放りこみ、「スパルタ集団スポーツ&サバイバル&バイオレンス」な環境で生活
することを余儀なくされた。土曜日は習字・柔道、日曜日は古武道・水泳・剣道、連休は
キャンプ、夏休みは船舶訓練、冬休みは雪山登山だ。また禅寺で坐禅、先生の自宅で家の掃除や
畑の世話などをやらされる事になってしまった。

今の常識では考えられない事だが、昔はこれが社会に容認されていたのだ。先生や団体幹部が
警察のOBだらけなので苦情も闇から闇。小学生を山奥に放置して自力で3日かけて下山させる
などはかなり問題のある行為だと思われるし、冬山でビバークしながら凍えて正月を迎える壮絶な
体験をさせてもらった。武道では先輩に不条理にガスガス殴られ体は青タンだらけ。食料が現地
調達が基本の「さわやか夏のオリエンテーション(笑)」ではマムシ捕まえてを自分で捌いたり、
1日野草を探し回るだけの夏休みが、山奥で脱走不可能な場所で毎年開催される。海上では炎天下
の中、帆船の帆を一日中巻き上げたり降ろしたり、一日中デッキブラシで甲板掃除をしたり、
一日中手旗信号の練習をしたり、魚が釣れなかった者はおかずなしで玄米だけの食事が待って
いた。禅寺では真冬に半袖短パンの体操着で一日中坐禅を組まされ、先生の家に定期的に泊まら
されて奴隷のように酷使された。

このような体験を数年間続けさせられ、pcfxが「健全な青少年」になったかというと、その体験が
アダになって、見ての通りの不健全のカタマリになったのだった。多少タフにはなったかも
知れないが、今でもその「とあるスポーツ団体」には恨みしか残っていない。今でも革命でも
あったらアレをアレしたい気持ちだ。全員もげろ。

そんな団体とも遠方への引越しを機会に決別でき、そういう精神主義的・超健全志向な考え方が
大嫌いになったpcfxは、リベラルな左巻き思想に傾倒していくことになった。




さて、やっとここから本題に入るのだが、そのように何でも自力でやらされた世代は、おそらく
pcfxの世代くらいが最後だったのではないか。遊びでも、幼年期は凧揚げコマ回しおはじき
メンコなど昔ながらのものを踏襲しつつ、ミクロマンやプラモなどのような当時の現代玩具で
遊び、小学生も上級になると電子ゲームで遊びはじめる。中学生や高校生になるとパソコン
使うようになり、大人になったらインターネットを使うようになった。

pcfxの世代は実に多様な経験や遊びを次々に体験していった世代であり、アナログ時代とデジタル
時代を両方生きてきた。それ以前の世代はデジタル的なものに抵抗を感じ、それ以後の世代は
アナログを知らない。この世代とは大体、1965年から1975年くらいの間の10年間に生まれた世代
だ。日本は1980年頃に大きな変化があり、その頃に物心がついた世代だ。1980年より前という
のは、まだ日本は戦争の爪あとを残していた。傷痍軍人がアコーディオンを鳴らしていたのを
自分の目で見た人と、そうでない人の差だ。まだ日本が全体的に貧乏で、子供は鼻を垂らして
ズボンのヒザが破れて繕ってあり、家庭には日本人形木彫りの熊が飾ってあり、観光地に行くと
必ず三角形のペナントを買って部屋の壁に貼っていた、そんな時代だ。

ところが1980年を境に、子供たちの服は小奇麗になり、家庭から和風な雰囲気が消えていき、
ソロバンの代わりに電卓を使い、子供たちの遊びは電子ゲーム一色になっていった。傷痍軍人たち
はどこに消えたのか見当たらなくなった。

今ではすっかりデジタルライフを満喫しているpcfxの世代だが、それはアナログの基礎の上に
ある。突然世界からデジタルメディアが消滅するような事になっても、とりあえずラジオくらい
は部品を寄せ集めて作ることができる。食料が買えなくなっても、野草や野生動物を採って
食べる事がなんとかできる。ゲーム機がなくても自分でボードゲームなどを作って遊ぶ事が
できる。ナビがなくても地図を見ることができ、太陽の方向で方角を知ることができる。ググら
なくても基本的な知識はある程度知っており、デジカメがなくてもピンホールカメラを自作し、
青写真を現像することができる。

また今後次々にデジタルメディアが発達しても、躊躇なくついていくことができるだろう。現在の
年配者はメール一つ自分で操作できない人もいるが、pcfx世代はそこまで機械音痴にならない。
多少は若者に遅れを取るかもしれないが、逆に若者が思いつかない発想で問題を解決する事が
できるだろう。このような世代は「アナログ/デジタル変換世代」といってもよく、割と柔軟に
時代やテクノロジーに対応できる資質を持つ、いくらか有利な世代なのだ。

無論、この世代でもアナログ時代を知らずに育った環境の人もいるだろうし、デジタルについて
いけない人もいるだろうが、個人差はあるものの、そのようなことができる環境にいた事は確か
であり、できる者は幸いである。


そんなわけで、pcfxの世代は、それまでの「オッサン」とはまた違ったオッサンなのであり、
若者と「ほむほむ萌え」などの話で盛り上がれる一方、年寄りと囲碁を打ったり昔話を共有
できるワイドな変態ライフを送ることができる。そして、昔の日本をデジタルに変換できる
最後の世代だ。インターネットの世界にはネット以前の記録が圧倒的に不足しているが、それを
後世に伝える変換を行う義務があるのではないかと思う。ネットの情報とは、超個人的な趣味
趣向や、一見他の誰にも価値を見いだせない日記や記録や思い出の集合体だ。それらのデータは
誰がいつ必要とするか知れないものだが、データというのはそういうものだ。とにかくあらゆる
データは残しておくものであり、いつか必ずそのデータで助かったり役立ったりするものだ。

pcfxが地方の歴史を追う際にも、登山者がたまたま見た遺構のスナップ写真や、たった一行の
独り言、年寄りと話した世間話の記事が大いに役立っているが、これら日記サイトや仲間内向け
の記念カキコは、通常はサーバーの負荷程度にしか思われない。



古い時代と直接繋がっている最後の世代は、「A/Dコンバーター」となって未来の人々に過去を
伝えよう。家に死蔵された子供の頃の写真アルバムも、ネットにアップロードすればデータと
なり、過去の記録として貴重なものとなる。まだ祖父や祖母が健在なら、できるだけ昔話を記録
すべきだ。個人の戦争体験や大正時代の恋の思い出話だって貴重な資料となる。またそれによって
世代を超えたコミュニケーションがうまれ、疎外していく未来へのフォローになるだろう。
年寄りを無価値で邪魔なものとせず、本来の年寄りの価値を発掘していきたい。

これもアナログとデジタルを両方制御できる世代にしかできない事なのだから。