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pcfx復活ブログ

コンシューマ機はどうあるべきなのか

2011年07月31日 | げーむ
3DSが突然1万円も値下げした。よほど任天堂も苦しい立場にあるのだろうが、「3Dモノは当面
メインフレームにならない法則」というのがある気がする。人間の目は正面に2つあり、位置の
差分から自然に立体視が可能となっている。つまり最初から立体視できる目を持っているわけだ。

現在のモニタで3D表示する場合、錯視させて無理矢理立体に見せる。見るという行為に余計な
行程をひとつ追加しているのだ。立体視に無理があるのは、この余分な行程が違和感を感じる
からであり、人間工学に基づいていないのが原因と考えられる。

元々立体視できる目を持っているのに、なぜ無理をして更に立体視しなければならないのかという
事で、それがウザったいわけだ。余程立体で見たくてたまらない映像でもない限り、その根気は
続かないだろう。例を上げればアダルトビデオくらいか。

「飛び出す絵本」というのがあるが、世の中の全ての絵本が飛び出すのは少々ウザい。また全ての
本がいちいち飛び出していたら物凄くウザい。「飛び出す週刊誌」「飛び出す文庫本」「飛び出す
辞書」など、飛び出さなくてもいいどころか、飛び出すなと叫びたくなるだろう。人間はごく
たまにしか飛び出すのを望んでいないのだ。

それでも立体モニタの時代は必ず来るだろう。しかしそれは平面のモニタが目に負担をかけて
立体視するタイプのものではなく、立体のモニタに立体像が浮かび上がるスタイルに限定される
と考えられる。立方体の透明な箱の中の映像を360度から眺められるような物だ。これなら
人間の目は通常の物を眺めるように立体映像を見る事ができる。
だがそのようなモニタの開発には、もう少々時間が必要だろう。


さて、pcfxは「バーチャルボーイ」を発売日に買ったクチだ。実は立体視が好きで好きで
たまらない種類の人間であり、じゃあ今までの前置きは何だったのかと問われれば、そんなのは
一般論だと開き直る。だが、立体視が好きだからこそ、その欠点も細かく指摘できるつもり
になっている。バーチャルボーイは「失敗作」だった。そんな事はわかってた上で購入
した。「今後のゲームはバーチャルボーイだけで発売されることになるぜ!」などとは
毛程も思っていなかった。何しろ赤一色のモニタで、双眼鏡を覗き込むようにゲームをする
というスタイルなのだ。流行るわけがない。

しかし他人に流行るかどうかなど問題ではない。「自分がやりたいかどうか」だけが問題で
あり、pcfxは「立体で見たい人」だ。買うしかあるまい。やるしかあるまい。他に選択肢など
ないのだ。そしてバーチャルボーイのゴルフやシューティングやピンボールを楽しんだ。
買ったことを全く後悔などしていない。お値段以上を遊んだ。満足した。

で、3DSのスペックが発表された時、ガッカリした。モニターがカラーになった事と、ハード
のスペックが上がった事以外は、完全にバーチャルボーイに負けている。迫力も臨場感も
ない、小さなモニターに奥行きをちょびっと感じるだけだ。あんなのを作るぐらいだったら、
まだバーチャルボーイ2として作ったほうがマシだったと思える。現在のハードの性能と
モニタでバーチャルボーイを作れば、売れたかどうかはともかくとして、立体視マシンと
しての完成度は抜きん出ていただろう。売れるのが重要だというのなら、現状の3DSが売れて
いるのかと言われたらお終いだ。つまり結果として、またコンセプトとして、3DSの評価は
「全然駄目」の一言に尽きる。そりゃ売れないわな。



さて、ゲームのコンシューマー機はどうあるべきなのかという事だが、結論を先に言えば、
もうゲーム専用機など必要ないということだ。携帯電話が通話専用機だったのは初期の頃
だけだった。ゲーム機はいつまで専用機を作るつもりなのかは知らないが、そんな単一の
目的にしか使えないものよりも、任天堂スマートフォンを作ったほうがよく、また据え置き
なら任天堂テレビを作ったほうがよいのは当たり前の話だ。もうゲーム機単体という発想から
ダメであり、ゲーム会社のライバルは業界内だけではないという現実に向きあう必要がある。
当然こんなことは言われなくても当事者が一番良く理解していると思うが、結局踏みきれずに
まだゲーム専用機を出しているのだから、立体がどうこうじゃなくてそこが問題なのだといえる。

現在、コンシューマ機の国内メーカーといえば、任天堂とソニーだけという構図になっている。
昔あれだけ乱立していたゲーム機メーカーはもう参戦していない。ライバル会社を駆逐した
結果、二極化の冷戦構造になって立ち往生している。任天堂が今回の失敗で倒産し、また
専用機の需要がなくなった事でソニーが撤退したら、コンシューマ機という概念自体が
終焉する。まるでソ連が崩壊して冷戦構造が終了した事によってあちこちで小競り合いが
勃発したように、スマホ市場やPCゲーム市場で弱小ソフトメーカーがチマチマゲームを
作る事になるだろう。

ここまでは「どうなるか」という話だったが、果たしてそれでいいのか。誰がそれを望んで
いるのか。そんなつまらない未来で楽しいのか。答えは否だろう。誰得未来像を邁進するのは
そろそろやめにしてはどうなのか。
ソフトのプラットホームはスマホとパソコンで十分だ。専用機を作る必要はない。スマホなら
割と簡単に作れるだろうが、1つ重要なものを忘れている。

いいかげん、日本の企業はパソコンOSを作ったらどうなのか。いつまで米国製OSを放置して
いるのか。国産パソコンはどうしたのか。どうして作ろうとしなくなった。マイクロソフトと
IBMに弱みでも握られているのか。ネットの規格さえ共通していれば、ハードやOSなど
好きなように作れる筈だ。ゲーム屋がゲーム専用機を作れないのなら、次のターゲットは
任天堂OSに任天堂パソコンだろう。この際ソニーでもいい。今からでも遅くない。というか、
もうそれを作るしかない。一社で不安というのなら、国内電機メーカーで共通規格とか
作ればいい。いつまで足の引っ張り合いを続けるのか。MSXの時代を忘れたのか。

どっちみちこのままだとコンシューマ機などなくなるのだから、運を天に任せて、最後に
デカイ花火を上げて散ってみてはどうだろう。思い切ってセガを巻き込むという手もある。
こういう思い切った事はセガが得意だ。京都の狭い商習慣など全部切り捨てる時だ。企業など
いつかは消えてなくなるものだ。株主など寄生虫だと思えば良い。


最後にもう一つ。ビデオゲームのブームは「戦いへの飢え」に支えられてきた。日本は戦争
できない国なので、若者はゲームで戦っていたわけだ。その条件は変わっていない。また
日本は「愛への飢え」も顕著だ。若者はゲームで愛を満たしている。現実には手に入らない
「飢えを満たす」のがゲームという仮想行為ならば、「飢え」を徹底的に満たす物を作れば
いいのだ。若者が今何に飢えているのか、見てればわかりそうなものだ。ハードの性能はそれを
満たすために使えばいいだけの話である。


3DSの結論としては、「3DSの本当の性能を引き出したのはラブプラス3Dだけ」という結果が
待っており、それを最後に3DSは役目を終了するだろうという事だ。最初に出せばよかったのに。

サスケvsコマンダ

2011年07月30日 | げーむ
1980年に「漢のゲーム企業」SNKがアーケードに放った、オリジナリティ溢れるゲームが
「サスケvsコマンダ」だ。この「vs」について、pcfxは「バーサス」と読んでいるのだが、
「ブイエス」と読む人も大勢いるようだ。好きに読めばいいと思う。

1980年といえば、31年前だ。41歳の人は当時10歳、31歳の人は産まれた頃、21歳の人は生まれる
10年前となる。41歳の人が5歳の頃、このゲームに使われたCPU、6502が作られた。日本ではZ80が
優勢だったが、6502はファミコンが互換機を採用した事で一躍メジャーCPUとなった。

初期レトロゲームで和風ゲームと言えば有名なのが、「平安京エイリアン」、「侍」と、この
「サスケvsコマンダ」だと言える。時代背景は「平安京エイリアン」が平安時代、「侍」は
江戸時代、「サスケvsコマンダ」は戦国時代だ。将軍から「敵の忍者からワシの命を守れ」
と命令されたサスケは「はい、将軍」と応える。



セリフは英語だ。敵の忍者は日本語で話すので、やはりサスケと将軍は英会話をしていたと
思われる。理由は不明だ。

舞台は京都。大文字焼きと五重の塔、そして三日月をバックに戦いが繰り広げられる。



敵の忍者は「下忍」「中忍」「上忍」と別れており、小さくてかわいいのが下忍だ。pcfxは
この「ゲニン」という響きが気に入っており、実際の立場よりかなり卑下したイメージであり
単なる階級分け以上の悪意を感じる。「このゲニンがッ!!」と呼ばわれると、割と精神的
ダメージが大きい気がする。忍者でなくてよかった。ゲームではザコ敵として登場する。



前半のボスが「中忍」であり、「中」という名前の中途半端さの通り弱い。「中」の中途半端さ
は他にも通じるものがある。「中尉」「中佐」「中将」も中途半端な印象があり、「とっとと
大尉とか大佐とかになれよ!」という苛立ちを感じる。「中学生」も「子供なのか大人なのか
ハッキリせえや」というむず痒さだし、とにかく「中」はイラッとする存在だ。

「上忍」ともなるとその変装も巧みとなり、山伏のように笠を被っている。繰り出す忍法も
やっかいなものになり、最終奥義である「変身春花の術」ともなると、ガマガエルに変身し、
その上分身し、広域誘導弾である春花で攻撃してくる最難関の術だ。この春花は画面最下部に
ゆっくりと落ちてくるが、その間サスケにX軸を合わせてくるのでうまく動かないと追いつめ
られてしまう。だから早いところボスに苦無を当てたいのだが、分身しやがるので当たらない。
ボスのボーナスは早く倒すほど得点が高い。時間切れもある。



サスケが負けると、サスケが石に躓いてコケるシーンとなり、中忍が下忍を大勢引き連れて
きてバカにされる。



pcfxが子供の頃通っていた博多のゲーセン「アサヒ」では、このゲームがアップライト型の
筺体で稼働していたのだが、基板冷却用のファンが逆に取り付けてあった。筺体裏面から
吸気し、側面が他の筺体と密接していた為、そこへ排気できずに、他の唯一の穴である
コンパネから排気するという謎の現象が起こっていた。その結果、レバーの隙間などから風が
吹き付ける事になり、当時は「手汗を乾かす画期的な装置」と思い込んでいた。他所の
ゲーセンでもこのタイプの筺体の約半数くらいがコンパネから風を吹き出していたため、
工場でテキトーに組み立てられていたのだろうと推測している。コンパネにこのゲームの
キャラクターなどがデザインされていた為、SNKオリジナル筺体だったと思われる。

8ビット黎明期に斬新な要素を盛り込んだ印象深いゲームであり、当時他所のゲームのコピー
基板を平気で作るメーカーが多かった時代、それまであまりなかったBGMもシーン毎に
盛り込まれた、画面・音共に記憶に強く残る名作だ。現在の多くの古参ゲーム会社の
成り立ちは、多くがデッドコピーから始まったといっても過言ではない。現在ではPSPで
SNKアーケードクラシックスゼロ」に収録されて遊べるようになっている。40歳以上の
プレイヤーは是非購入して、良き日の思い出に浸ってみてはいかがだろうか。尚、基板も状態
次第ではまだ動く。動かない基板でもコンデンサなどを取り替えると動く可能性があるので、
諦めずにチャレンジしてみてほしい。当時のハードは思いの外頑丈だ。モニタはまだジャンク屋
に適合品が残っているので、今のうちにいくつか買っておくのもいいかも知れない。温泉旅館
などにある古いゲーム筺体を交渉して買うという手もある。諦めるのはまだ早計だ。

ドルアーガの塔

2011年07月27日 | げーむ
何が理不尽と言って、「ドルアーガの塔」ほど理不尽なゲームはない。当時の我慢強いゲーマー
ですら音を上げた者ばかりであった。ドルアーガの塔は1984年の夏にゲーセンに出回ったが、
当時は情報源がない時代だったし、毎日ゲーセンに行っていたわけでもない。pcfxが存在を
知ったのは秋も深まった頃だった。



「ドルアーガの塔」を初めてプレイした時のことをよく覚えている。「とにかく鍵を取って
扉から出ればいいんだろう」という、今までのゲームのつもりで進めていたのだが、途中から
敵が見えなくなったり、画面が真っ暗になったり、扉が見えなくなったりと、まるでバグだらけ
な展開になってくる。酷いゲームなのでやめようかと思っていた折、ゲーセンで先にプレイ
していた兄ちゃんは、ノートを見たり書いたりしていた。そのノートを後ろからチラっと見た
のだが、そこには何か攻略法のような事が書いてあった。そして自分の時は見えなくなっていた
敵やマップや扉が、その兄ちゃんのプレイでは表示されていた。

そこでやっと、それらの現象がバグではなかった事に気がついた。そしてこのゲームには、必ず
一面に1つ宝箱が隠されており、それぞれに出し方が決まっているという法則があったのだ。
それから戦いの毎日が始まった。当時中学生だったpcfxの財力は限られており、少ない小遣いの
中で、この不条理なゲームをいかに効率良くプレイするのかという事に、持てる力を全て
使って挑むことになった。

とはいえ金には限度があるので、他人のプレイを参考にする事も多かった。詰まっている面で、
プレイヤーの動きと宝箱の出現の因果関係を見て覚える。だが、自分よりも進んでいる人が
あまりおらず、特定のドルアーガゲーマーが店に来るまで、ひたすら待ち続ける毎日だった。
そうこうしているうちに高校生になり、pcfxが真っ先にしたことは、高校生でも雇っている
バイトを探すことだった。幸いにも学校の近くの喫茶店や印刷屋などが雇ってくれたので、
夕方から夜8時までバイト、そこからゲーセンに行き終電で帰宅。家でファミコン、学校で
睡眠という生活が始まったのだ。

当時のドルアーガノートを見ると面白い。苦戦した事がありありと記されている。必要ない
アイテムがあるという事に気がつかず、また25階の「宝箱なし」というトラップで長期間
悩んだ事、それを飛ばした事が後の階の宝箱出現の障害になっているのではないかという疑念
がいつまでもつきまとった事など、ボロボロになって破れまくりのノートが語る。なぜか
他のプレイヤーとの情報交換という事ができなかった。お互いにライバルであり、同じ時期に
同じくらいの進捗だったので、時には他のゲーセンに行って新しい情報を仕入れては、
少しづつ進んでいくのをお互いに盗み見するといった状況だった。

そんなこんなで、自力でやっと56階まで到達し、どうしても空箱しか出ない事に悩みぬいて
いたある日、いつものゲーセンのドルアーガの筐体に、見慣れない紙が貼ってあった。

「宝箱の出し方リスト」。

pcfxと、ライバルプレイヤーの落胆たるや、おわかり頂けるだろうか。数ヶ月を費やして自力
で挑んできた不条理ゲーム。使った金も相当な額に登っていた。その努力が全て無になった
瞬間だった。店側は親切のつもりだったのだろうが、余計なお世話だった。自分らよりも
先にクリアした人が何らかの方法で周知していたのだろうが、当時はネットも情報誌もない
時代だったので、多くの人が自力でクリアを目指していたのだ。ガッカリした。でも、もう
あきらめて、そのリストを見ながらとりあえずクリアし、ノートに書き写した。ノートの
最後には、「無念」の文字。ライバルのプレイヤーと、その時初めて言葉を交わした。

「あ~、なんか、終わったね」

「うん、せっかくここまで来たのにね」

「俺、もうこのゲームやめるわ。ここにももう来ない」

「自分も他所にいくわ」

短い会話だけを残して、二人は別の店を探した。ライバルは「ゴジラ屋」に、自分は「最前線」
に、それぞれ散っていった。たまに顔を合わせる事があったが、苦笑いを交わすだけだった。

57階以降は比較的簡単な条件であり、そのままでも数日内にクリアできたであろう。だから
実質は自力クリアと言っても過言ではない。pcfxは「ほぼ自力クリア」と公言してきたが、
実際にはこのような顚末だったわけだ。



「ドルアーガの塔」はpcfxにとって、最も入れ込んだゲームであり、またトラウマを残した
ゲームだった。虚しく響くクリア音楽とエンディングテロップが忘れられない。だがこの曲は
ナムコの小沢純子氏のデビュー曲であり永遠の名作だ。8ビット最強のCPU、6809が処理する
ナムコのオリジナル音源が、筺体を響かせて奏でる重厚で美しい曲は少年pcfxの脳に電撃を
食らわせた。またレコードに入っていた弦楽四重奏のエンディング曲が元々の原曲だという
事を、後から何かで読んで知った。ずっとアレンジだと思っていた。

このゲームが作られた経緯も何かで読んだが、確かマッピーの基板を流用してもう一稼ぎする
のが目的だったと聞く。だからこそ採算などあまり考えずに実験的な作品を投入できたらしい。
そのような事情など一般プレイヤーが知るはずもなく、通常のゲームとして始めてしまった
不運なゲーマーの一人がpcfxだったというわけだ。

「ドルアーガの塔」を攻略本を読んでプレイするのは、このゲームの面白さのほとんどを
なくしてしまう。だが、自力でプレイした者から言わせてもらうと、自力でプレイするのは
非常に困難であり、それは不可能と呼んでも構わない種類のものだ。それだけの努力をして
まで得られるものがあったとは言えない。だからこのゲームを攻略本を読んでプレイする事に
反対はしないし、むしろ推奨したいくらいだ。アクションゲームとしても十分に面白いのだ。
アイテムがクリアの絶対条件でなくともよかったとさえ言える。

だから「ドルアーガの塔」はそのゲームバランスにおいて「クソゲー」であると、苦労した
プレイヤーであるpcfxは堂々と言い切れる。但し「クソゲー」という称号はそのゲームの全て
を否定するものではない。「クソゲー」とは、他においしく料理し様のあった食材を、マズく
作ってしまったという意味であり、材料の否定ではなく調理法の否定だ。よりよい明確な
調理法を提示出来る場合にのみ「クソゲー」と言える。ドルアーガの塔の場合、アイテムは
補助的な立場に徹して、テクニックさえあればクリア可能なアクションゲームであったら正解
だった。だからこのゲームは純粋な「クソゲー」だと断言できる。無論、材料からダメな
ゲームとは一線を画している上、意図的にそのように作られたのだから異論もあるだろうが、
あえて愛を込めて「クソゲー」と呼ぶ。また「正解」だったドルアーガの塔などただの平凡な
アクションゲームであり、その評価は「クソゲー」以下だったろう。正解でなかったからこそ
「名作」であり「伝説」になり得たのだ。だからドルアーガは「クソゲー」でよかったのだ。



ドルアーガの塔は、ファミコン版に移植された時に攻略本がバカ売れした。攻略本なしでは
プレイ不可能なのだから当然だ。攻略本ブームを作ったのはこのゲームだとも言える。

欲しい情報が直ちに手に入る現在は、ある意味「チート社会」だ。ゲームのチートモードを
使用した経験があればわかるだろうが、ゲームの面白さは99%失われる。だから現在の情報
社会は、人生の面白さの99%を失っているようなものだ。野生動物は食糧確保に自分の時間
のほとんどを費やして生きるが、食糧確保が約束されたペットや人間はチートで生きている
ようなものであり、人生そのものを持て余す。持て余した結果、あまりにヒマなので何かを
していないと生きていられない。だから文化とはチート社会の暇潰しであり、高等な文化は
より高度なチートの上にある。一切の生活不安がない環境を持つ者はより高度な文化を手に
入れる可能性がある。だが手に入れるものは高度な暇潰しの方法に過ぎないのだ。

いつかほとんどの人類がそれに気がついて、それを自己表出できるようになった時、チートに
制限をつけるようになるだろう。そこで文化は停滞してしまう。虚無主義が蔓延し、自殺率が
急激に増えるだろう。既に日本は現在そうなりかけている。今まで便利に使えたチートを捨てる
気にはならないが、チートのまま生きても面白く無い。そして社会不安がなくなったわけでも
なく、逆に一昔前よりも将来に不安が多くなった。それらのアンバランスが鬱の蔓延であり
ニートの増加であり自殺率の高さだ。ネット依存もチートによる精神的な安定を求めてのこと。
文化的な人間ほどその傾向にはまりやすい。

現代人に必要なのはチートの制限や生活の束縛などではなく、生活の不安を取り除く政治だけ
だと言ってよい。生活さえ保証されてチートの制限をしなければ、人類は勝手に新しいハードル
を自ら開発して、それを暇潰しにして精神の安定を図ることができる。それを阻害しているのは
政治であり、現在の世情不安だ。政治などあんな連中にやらせずにVIPPERに任せたほうがよほど
うまくやれるはずだ。もう政治家など必要なく、逆に旧体制はことごとく阻害要因になっている
という事を、文化的でない人々は理解していない。日本で革命が起こるとしたら、旧態の
イデオロギーの革命ではなく、本当の意味での「文化大革命」だろう。もう資本主義や共産主義
がどうとか、衆愚の民主主義や独裁がどうのとか、そんな些細なことに拘らずに根源的な文化の
効率化と整理が行われる。そしてそれは人的チートを利用して行われるのだ。

で、革命の末に日本人が真っ先にやることは、「新しい暇潰しの開発」であり、そのモデルと
なるのが「ドルアーガの塔などの不条理なクソゲー」であることは間違いない。政治や経済は
チートで「正解」を採択し、文化は「クソゲー」であるべきなのだ。その球根はネットの中に
既に顕著であり、オタク文化という芽を出している。盲目な者はそれが見えていない。最も
文化的な国で始まる革命は、最も文化的な者が起こすのだ。後の歴史には「オタク革命」と
記述されるだろう。その際の旗印は「クオックスのシルエット」だ。

チェルノブ 戦う人間発電所

2011年07月25日 | げーむ
CPUに68000と6502、音源チップは2203と3526及びPCMという、データイーストらしいバランス
の良い組み合わせで動くゲームが「チェルノブ」だ。1988年に登場した。

ゲームについては適当にググってwikiでも読んでもらうとして、ここでは基本知識があるもの
とした上で話を進める。



このゲームはとかく「チェルノブイリ原発事故」と一緒に語られる。このゲームが出ようと
出まいと、原発が危険なものであることに変わりはない。不謹慎厨はいつの時代にもいるが、
「良識」を軽薄に弄ぶ者は愚かであり、問題にすべきはパロディではなく技術開発と政治だ。
原発反対派や良識派がバカなのは、この基本をいつも見失っている点で証明される。



で、ゲーム自体は操作にクセのあるアクションゲームであり、プレイヤーキャラである
「チェルノブ」は走り続ける。レバーを入れなくても勝手に走るので後退ができないのだ。
この「後退できない」という要素が原発そのものであり、エネルギー需要に奔走する
インフラの象徴が見事なエスプリとなっている。このゲームがゲーセンに出回った当時、
マップ画面下部に表示される「Lets GO GO GO」という言葉がゲーマーの間で流行った。
GOが1つだと単に「進め」であり、2つだと「速く進め」で、3つだと「止まるな」という
ニュアンスになる。今はどんなに困難でも、核エネルギー開発なくして人類が人類たりえる
未来などない。現世は後退している場ではないのだ。



このゲームの得点要素に「円高ドル安」というものがある。コインが二種類あり、円コインの
ほうが得点が高い。チェルノブが仮にロシア人だったして、道に1万円札と100ドル札が合計総数
10枚落ちている場合、外資が欲しいロシアとしてはどちらが欲しいのだろうか。
因みにこのゲームを開発していた1987年の為替相場は大体140円台だった。



ゲーム自体の難度はさほど高くない。操作にさえ慣れればそのうちにクリアできる程度だ。
武器はそれぞれクセがあり、またジャンプもパワーアップしていくのでゲームの展開は
流動的だ。完璧にパターンを作らなくても臨機応変なプレイができる。

最終ステージでは、アメリカの象徴である「自由の女神」の頭部が破壊される。タイトル画面に
表示されるのがソ連の国旗である事を考えると面白い。またエンディングの最後に出る「エンド」と
巨大なカタカナが表示されるのも印象的だ。このゲームの国内版には、日本語・英語・ローマ字
と、このカタカナ表記が混在していて面白い。他社ではちょっと見られない、データイースト
ならではのデザインだ。





現在では基板・X68000・メガドライブでプレイできる。メガドライブ版はストーリーなどが
変更されてマイルドになっている。基板で遊ぶのがお勧めだ。

プリルラ

2011年07月22日 | げーむ
バブルもはじけ終わった1991年に、非常にファンシーなゲームがゲーセンに登場した。それが
プリルラ」だ。タイトーがヤケになったのか、それとも何かを悟ったのかは知らないが、この
ゲームはある意味で多くのゲーマーに忘れられないトラウマを残した。



このゲームは1P側が男の子の「ザック」、2P側が女の子の「メル」なので、一人でプレイする
場合は2Pの「メル」を選ぶのがゲーマーの定石であった。[要出典]

現在から見ても絵柄がとてもカワイイので、秀逸なデザインだと言えるだろう。また「メル」で
プレイする場合に、攻撃を受けた声が非常に可愛らしく、コインを徒に消費してでもその声を
聞きたがる変態も多く存在した。
[要出典]「メル」の攻撃を受けた際の表情や、全ての残機を
失って昇天する姿もまた可愛らしく、やはりコインを無駄に消費してそれを楽しむ変態も後を
たたなかった。
[要出典]







ゲーム全体については他の攻略サイトやWikiなどを参照してほしいが、他の多くの紹介者が
強調するように、このゲームのキモはラウンド3にある

「誇大妄想家」の妄想によって魔法的に変質した世界がラウンド3なのだが、これは誇大妄想と
いうよりも統合失調の幻覚だ。「おいおいタイトー大丈夫か?」とバブル後の経営や開発者の
精神衛生を気遣いたくなるゲーマーが続出し、一方で「タイトーが吹っ切れた!」と喜ぶ者も
また多かった。











これらの画面取り込みを使ったコラージュを、当時は「デジタイズ」と呼んでいた。タイトー
は以前にも画面取り込みの背景を使ったゲームを作っていたが、ここまであからさまに使用
したのは初めてだったと言える。それは2011年現在、20年の時を超えて伝説になっている事を
考えれば、このラウンド3をゲームに取り入れた制作者のセンスは正しかったわけだ。

このラウンド3には問題の部分があり、女性の巨大で半裸な足がニョッキリ生えて妨害して
くるシーンがある。



股間の部分に扉があり、プレイヤーキャラクターを扉の前に持って行ってアクションボタンを
押すと扉が開き、その向こうには肉体の一部分ではなく宇宙が広がっている。この哲学性に
感銘を受けたゲーマーも多く、「プリルラ」の根幹部分だとの説も流布されている。[要出典]


1991年はアーケードに於いて8ビットゲームが姿を消した頃であり、基板上には68000が一つ
ないし二つ並んでいた。「プリルラ」も68000を1つと、「Z80」を1つサブで搭載しており、音源
は「YM2610」を積んでいた。OPN系の4オペ4ch、SSGとPCM7chのバランスのいい音源チップだ。
そしてノイズを含めて全てステレオ出力という頼もしい性能を持つ。16ビット時代の象徴と
いうべきセットであり、ネオジオ基板に構成が似ているものだった。これらによって8ビット
時代と完全に差別化されたグラフィックとサウンドを表現できたが、同時に「コンピューター
臭さ」という味わいを失っていった。2011年の今日、シュタゲの8ビット版をわざわざ作る
のは、「コンピューター臭さ」という価値観の再認識なのだろう。

「トビマストビマス」というザコ敵のセリフギャグを理解できるゲーマーも少なくなった時勢
だが、坂上二郎氏も亡くなった今、昔を見つめ直すのも一興だろう。PS2のタイトーメモリーズ
に移植があるので、まだ遊べる。


SRD(スーパーリアルダーウィン)

2011年07月21日 | げーむ
比類なき奇ゲー会社である「データイースト」が、生物的進化をテーマにしたゲームの第二弾が
SRD」だ。前作の「ダーウィン4078」の続編であり、1987年にアーケードゲームとして登場
した。ゲーム内容は前作を踏襲しているが、進化や突然変異の方法が強化され、より複雑に
なっている。詳しいルールなどはググってもらいたい。



シューティングゲームとしては独特の難度があり、敵弾の速さや当たり判定の増大などで苦労
することになる。当たり判定の大きさによって敵弾に当たりやすく、相当訓練しないと進化と
退化をめまぐるしく繰り返し落ち着かない。じっくり各進化状態の攻撃を堪能できないのだ。
「イボル」も不必要なくらい出たり全然出なかったりで、前作のほうがバランスがよかったと
いえるだろう。

そのような難度を腕前で超えても、10面あたりで突如ゲームが終わってしまう。これには秘密が
ある
のだが、それも攻略サイトなどを参照してほしい。とにかく唐突な印象のゲームであり、
もう少しゲームバランスを整えて欲しかったのが残念なところだ。実はこのバランスを惜しんだ
人がおり、後年になってプログラムを改造してゲーム性を向上させた海賊版が存在したが、
その詳細は不明なまま忘れ去られた。これは海外版の単なるコピー基板とは別の物だ。


さて、pcfxがこのゲームに目をつけた所は、「地上を這い回る謎の生物」にあった。トカゲや
昆虫のようなものが地上から攻撃してくるのだが、これらを倒すと「DNA」なるアイテムを
落とす。この「DNA」を取ると、取った数によって、敵弾を喰らってPISTERまで退化せずに
途中で退化が止まる。つまり保険みたいなものだ。後半戦でかなり重要になる。

基本的にこのゲームにはメカのようなデザインの敵ばかり登場するが、この地上の謎生物だけは
見るからに「生き物」であり、それが「DNA」を落とすという所に、このゲームのサスペンスな
BGMとあいまってある種の「生々しい気味の悪さ」を感じる。進化がテーマのゲームなのに、
空中の的はメカメカしく、出すのは「イボル」というエネルギー体だけだ。このエネルギー体で
「進化」する所に、いきなりの「DNA」だ。DNAは進化こそしないが進化をある程度記憶する
というアイテムとして登場し、それを出すのが生物っぽい敵というところに、何か自機の持つ
気持ちの悪い、得体のしれない正体を感じてしまう。また、その生物っぽい敵を倒した後、
死体は消滅するが黒い影だけ残す。このシルエットも非常に不気味な印象を受ける。この演出
がpcfx的に非常にツボにはまり、このゲームが印象深くなったのだった。



このゲームは何かとゲームバランスの悪さを指摘されるが、背景の描写やBGM・効果音など、
斬新で奥深い良いところもたくさんある。pcfxはシリコン基板が背景になっている面が
気に入っており、またコンデンサや設計がいいのか、基板上の周波数が整っているので電源
さえ安定していれば非常に綺麗な解像度でグラフィックを楽しめるのだ。CPUを2つ使って
おり、音源もFM音源のデュアルになっている。CPUには8ビット最強といわれる「6809」を採用
しており、プログラムと共に8ビット時代の最後を飾るに相応しい出来だ。サブとして「6502」
も使っている。音源は音のクォリティとしてYM2203を、音数のためにYM3812を使っている。
これらのハード構成は見事な組み合わせであり、SRDの基板は8ビット&FM音源時代の象徴とも
いうべき芸術品だ。このあたりにデータイーストのもう一つの側面を見ることができる。

現在では基板でしか遊べないSRDだが、プレイする機会があれば是非、このゲームの謎を解いて
楽しんでほしい。ちょっと腕は必要だが、昨今の弾幕シューティングに飽きた貴兄には
ちょうどよい刺激になるだろう。

ポケットギャル

2011年07月20日 | げーむ
バブルが始まる頃の1987年に、「奇ゲー」の本家本元ともいえる比類なきゲーム会社、
「データイースト」がこの世に放ったビリヤードゲームが「ポケットギャル」だ。



この「ポケットギャル」はその名が示すとおりギャルが出てくる。前作の「サイドポケット」
のギャル強化版がこの「ポケットギャル」だ。ギャルはただ出てくるのではなく、プレイヤーが
条件を満たして勝利すると脱いでくれる。なぜ脱ぐのかはデータイーストが語らないまま、
シイタケ販売をしながら倒産してしまったのでわからない。大人なら察するべきだろう。

アーケードの「ポケットギャル」のハード構成は少し変わっている。CPUに「6502」を2基搭載し、
音源にはYM2203とYM3812、及びADPCMを実装する。1987年という時代にあって「6502」は非力
なCPUとなっており、ボールのブラウン運動を計算しながら音源の制御までを6502一つだけで
行うのにはムリがあったのだろう。サイドポケットシリーズの楽曲のセンスは、移植ものも含めて
定評があるが、このポケットギャルの曲はそのシリーズの中にあって独特だ。またギャルがアニメ
絵なのも独特だ。落ち着いたプレイ中のBGMと裏腹に、リザルトやクリアのBGMはチャカチャカして
おり、80年代のアイドル歌謡曲のようだ。音源ごとの音の使い分けなども、現在の耳から
でもよくできていると感心せざるをえない。匠の技だ。

この「ポケットギャル」は4軒のプールバーをハシゴし、得点の条件を満たしてプレイすると
それぞれの店のギャルが脱ぐというゲームだ。オマケとして、コインを投入するとバニーガールが
突如脱衣し、「やだ~」と顔を赤らめるシーンがある。霊長類と思えないほどビリヤードがヘタ
であっても、コインを投入すればとりあえず脱衣を見れるのだから親切設計である。デモ画面
でも一瞬だが脱衣する。お得だ。

得点の条件は「ミスなく連続で玉を入れる」と「番号を連続して玉を入れる」という2つの要素
の得点合計が、チャンピオンの得点を超えたらクリア、というものである。最初の「プールバー
KISS」では比較的ラフに打ってもクリアできるが、最終の「ホテル・オスカー」になると容赦の
ない得点設定になっており、ほぼノーミスで、全連番でポケットしないとクリアできない。
これをゲーセンでプレイすると、ホテルオスカーで連日何万円も使う事になりかねない。
対策としてはポケコンを使って軌道を計算させるという手もあったが、pcfxはなんとか自前の
脳だけでクリアすることができた。ゲームのクセを見抜けばなんとかなるものだ。



しかし理不尽だったのは、ホテル・オスカーのギャルはベリーショートのお姉さんであり、
pcfxの好みではなかったということだ。意地だけでクリアしたが、登場するギャルの中では
二番目の「クラブ・ロイヤル」のギャルが好みだった。また、上級のギャルほど年齢が高くなる
というのも、2011年現在の価値観と逆で面白い。

クリアするとギャル全員のプロフィールが明かされる。「プールバーキス」は「いずみ19歳」、
「クラブロイヤル」は「あみ21歳」、「クラブハスラー」は「リンダ24歳」、そして最後の
「ホテルオスカー」は「さつき26歳」だ。全員が並んで脱衣し、ウィンクしてくれる。
画面下部にスタッフロールがあるが、そんなものを見ているのはもったいない。



で、ギャルのうち3人が日本人名であることから、この試合は日本国内で行われていると想像
できる。また、チャンピオンの得点は彼女たちのベストスコアなのだろう。それを超えれば
実力を認めてプレイヤーに即惚れし、あまりに惚れたものだからその場で即脱ぎして誘惑する
という暴挙に出る。ということは周りに他の客はいないものだと想像できる。彼女たちの
セリフから察するに、恐らくその場で事に及んでいると推察され、ビリヤード場に普通は
ベッドなどない事から、ビリヤード台の上で行為に耽っていると考えられる。

あみ・さつきのセリフで「今夜?あいてますよ」「今夜は寝かさないわよ」とあるので、この
試合は夕方から宵の口に行われているものと思われる。ということは、この試合のために各
ビリヤード場は貸し切りになっているものと思われ、通常はビリヤード場に定休日はない。
売上を度外視しているので、彼女たちにはそれを決定する権限があるとすると店のオーナーで
ある可能性が高い。

エンディングでギャルが4人並んで媚態を振りまいているので、プレイヤーは4人の女を同時に
虜にしたジゴロという事になり、二つの玉突きに優れたプレイヤーだと言えるだろう。


ビリヤードゲームに脱衣要素を加味した奥深い設定の「玉突きジゴロゲーム」がポケットギャル
であり、その後続編も作られたが、ギャルのグラフィックがアメリカン過ぎてガッカリだ。
微妙な時代背景によるグラフィックがかえって絶妙な「ポケットギャル」こそが至高の
ビリヤードゲームだ。ゲーム自体も面白く、何度もプレイしたくなる名作である。


カルテットとファンキーK.H

2011年07月03日 | げーむ
1986年に偉大なるセガ社が発売したアーケードゲーム「カルテット」。ナムコ/アタリの
「ガントレット」への当て馬的ポジションの四人プレイアップライト筐体と、テーブル
筐体に対応した二人プレイの「カルテット2」があった。システム16で音源はYM2151
PCM。音楽は「ファンキーK.H.」氏。



ゲームは4種類のキャラから選び、ザコ敵を倒しながら面毎のボスを倒して鍵を奪い、仲間
よりも早く脱出するアクションシューティングだ。敵と戦うよりも仲間内でアイテムの奪い
合いをするのが楽しい。



で、4人でプレイする場合のこのゲームのキモは、「誰がマリーでやるか」につきる。マリー
は私設救護隊「カルテット」の紅一点であり、武器の強さで定評があるキャラだ。だが
それ以上に他のキャラより欠点が多く優位なキャラとはいえない。それでも「女の子キャラ」
である事がゲーオタの心をつかみ、どうしてもマリーを選びたくなるのだった。正直、他の
キャラはどうでもいい。例え有利でもだ。

マリーは露出の高いコスチュームでセガ屈指の人気キャラだが[要出典]、セガ社は未だにマリーが
主人公のゲームを作るに至っておらず、他社のキャラ「初音ミク」に依存する始末であり、
多くのコアなゲーマーから「ええいセガは何をやっておるのか、マリーを出せマリーを!」
と罵声を浴びせられている
[要出典]



で、このゲームの最大の特徴は、実はゲーム自体にはない。それなりに面白いゲームだが、
セガを代表するレベルには至っていない。
では、何が最大の特徴なのかというと、BGMだ。

当時セガで最高にクールな音楽を作っていた「ファンキーK.H.」こと林克洋氏の音楽は、
その独特なスネア音やベースラインのかっこよさによってセガ音楽陣の中でも際立っていた。
カルテットの他にも「スーパーハングオン」「ギャラクシーフォース」「SDI」「サンダー
ブレード
」などを手がけている。セガの昔のゲームミュージックで「この曲のベース、
超かっちょえ~」と思ったら、それは大抵ファンキーK.H.氏の曲だ。

そんな和歌山県の太陽を一杯に浴びて育った[要出典]ファンキーK.H.氏の曲は当時のゲーオタでも
味のわかる層に人気があり、特にYMOファンだった者は朝な夕なにウォークマンで彼の曲を
聞いて通学したものだ
[要出典]


pcfxは今でもファンキーK.H.氏の大ファンであり、テクノ四天王の一人に数えられている[要出典]

「カルテット」はもちろんだが、一番好きなのは「サンダーブレード」の曲だ。しかし
「ギャラクシーフォース」の2面の曲も捨てがたい。でも「SDI」も最高だ。結局は彼の曲
ならばなんでもいいのであり、選べないのだった。ああでもサンダーブレードいいわ~。



スラップベースで彼の曲をコピろうとすると親指が折れそうになるが、ともかく今聴いても
古さを感じない通好みの音楽を伴ったゲーム、それが「カルテット」であり、「マリちゃん
むずかしくてわかんな~い」であり、セガにはとっととマリを主人公にした社運全ツッパリ
の大作ゲームをアーケードに登場させてほしい所だ。そのゲームの曲は「ファンキーK.H.」
以外には考えられないので、是非初音ミクで儲けた金を1億積んでも彼を呼び戻してほしい。
天才は金に変えられない。

pcfx世代はゲーセンに行ってもやるゲームがなくて困っている。ゲーセンを蘇らせるのは
セガしかなく、業界の仁義もしらないでゲーム業界に割り込んできた家電メーカーを潰せる
のもセガだけだ。セガとファンキーK.H.だけなのだ。

ずんずん教の野望

2011年06月25日 | げーむ
昨日、JR名古屋駅でホームに到着した新幹線を降りる乗客を、片っ端から名古屋撃ちで倒していく
シューティングゲームが発売されるという夢を見た。自分で見た夢ながら、目が覚めて「なんじゃ
こりゃ」と自分ツッコミを余儀なくされたが、どうもどこかでみた構図だった。1日考え、やっと
それが「ずんずん教の野望」のワンシーンに似ている事を思い出したのだった。

世界で最もクールなゲーム会社、SEGAが1994年に世に放った問題作が「ずんずん教の野望」だ。

プレイヤーの操作するお地蔵さんで、謎の宗教団体「ずんずん教」を壊滅させるシューティング
ゲームだ。日本・アジア・欧州・米国にそれぞれ支部があり、それぞれにある派閥を全て潰して
いく。冒頭に「実在する宗教団体とは関係ありません」と出るが、1994年といえば「オウム真理教」
が世間を騒がせていた真っ只中の時代だった。

pcfxの夢に出てきたシーンは、このゲームの「日本支部」の「上野駅東北線乗り場」で繰り広げ
られる、「朝まで泥酔派」という派閥と戦う場面と似ていた。
このゲームの雰囲気はなんとなく「ごんべえのあいむそ~り~」に似ており、やはり発売はSEGA
だった。さすがはSEGAだ。



「ずんずん教」のラスボスは「地球の無意識」が具現化した「アースノイド」という奴だが、この
ゲームは2周してゲームオーバーになる。


このゲームが発売された当時、pcfxはスコアネームを「ZUN」と名乗っていたので、よく仲間に
「ZUNZUN教」などと揶揄されたものだったが、加えてオウム真理教が色々と事件を起こしている
最中に出たゲームでもあり、一部のゲーマーに「ヤベェゲーム」という印象を与えていた。

特定の宗教を信仰しないpcfxは当時、オウム真理教にかなり関心を持っていた。名古屋支部の
道場を見学したこともあり、大須のパソコンショップの「マーハーポーシャ」やオウムグッズを
販売していた「サティアンショップ」にも足を運んだ。マハーポーシャの呼び込みが大須商店街で
奇妙な掛け声や歌や踊りをしていたのは面白かったし、サティアンショップで販売されていた
「青山弁護士ノート」「尊師メモ帳」なども面白がって買っていた。

オウム真理教は「テロ集団」という印象が強いと思われるが、事件を起こす前にはいろんな著名人
がオウムを評価していた。ビートたけし、吉本隆明、中沢新一などだ。pcfxも当時、サーンキャー
哲学
や古代仏教系の本を読み漁っていたが、日本語訳された資料が少なくて困っていた。そこに
オウム真理教がそれらの翻訳本を発行しているという情報を聞いて、名古屋市の東新町あたりに
あったオウム真理教名古屋支部に買い求めにいったのだった。

「万国ビル」というわりと大きなビルがあり、その3階が名古屋支部だった。入り口付近にある
受付で本を探しているという旨を話すと、サマナ服を着た女性信者が数冊の本を持ってきた。
やたら高い本だったが仕方なく3冊ほど購入した。するとなぜか、読者登録をしてほしいので
ここに名前と住所と電話番号を書いてくれ、とユーザー登録を求められた。新興宗教への応対
には慣れていたのでデタラメを書いて渡した。これはサービスですと、オウム真理教の発行する
機関紙や麻原の著書などを差し出してきたのでもらっておいた。

その後受付の女性と古代仏教やバラモン教の話をしたのだがあまり詳しくない。上級信者らしき
男も出てきたが、これも話がシドロモドロだった。「ああ、あんまり勉強してないな」という
のは一発でわかった。それ以上は無駄のようなので引き上げたが、購入した翻訳書は割と良い
内容で、ずいぶんと役にたった。タダでもらった機関紙は石井久子が表紙に出ており、「あの時
私は光だった」などと、まるでエロ本のような雰囲気だった。また麻原の著書も「最終解脱者」
とか紹介されており、「ああ、また自称か」と、ライト感覚な新興宗教そのものといった印象
だった。


pcfxがオウムを知ったのは割と古く、「つのだじろう」のマンガの中で、空中浮遊に成功した
麻原が紹介されていたのを読んだのが最初だ。変なオッサンが上半身裸で蓮華座のまま中に
浮いてる写真があった。「オウム神仙の会の麻原氏が空中浮遊に成功」という見出しで、雑誌
「ムー」に掲載されている記事もあった。それが80年代半ばくらいの時期だったと思う。

pcfxは学術的なこと以外には宗教に興味がなかったので「ああ、また超能力か」程度の印象しか
なかったのだが、この時なんとなくだが、「この宗教は大本教と同じ運命をたどるのでは」と
思ったのを覚えている。大本教がどんな宗教団体だったのかはググってもらうとして、公安に
目をつけられる要素をそこかしこに感じたのだった。そして案の定の終焉を迎えていた。



インド教である「ヒンドゥー教」は日本神道とシステムが似ている。統治者が地方を治めていく
時に、地方の神様を飲み込んで「あれも神様、これも神様」と認定していく。そしてそのつじつま
を合わせていく「神話」が産まれるのだが、それぞれの土着信仰を継ぎ接ぎするので、たまに
強引でおかしなエピソードになることがある。ヒンドゥーではガネーシャの話などがそれだ。

それらの物語を人類学的・社会学的・文学的に読むのは楽しいものだが、なんかそれを真正面から
真面目に受け取って信じこみ、拝み倒す人もいる。面白い物語なのに、なんだかもったいない話
だ。また逆に「宗教だからダメだ」と真っ向から否定する人もいるが、それももったいない。
神話には含蓄に富んだ面白い話が多いというのに。

で、神話とは物語なので、これは現在のマンガやアニメに通ずる。素直に物語やキャラを楽しめば
よいのだが、中にはストライクに受け取って狂信化したり神格化したり厨ニ化したりする人も
いるようだ。また「オタクキモイ」とバッサリ切り捨てる人もいる。両方もったいない話だ。

ヒンドゥー教の神様たちへのインド人の信仰は、多神教である点や土着信仰の併呑などが日本神話
と似ているが、信仰のされ方は日本におけるアニメキャラ萌えと似ている側面がある。それぞれが
贔屓の神様を信仰するのだが、それが一人だけとは限らない。3人セットというのもザラだ。
例えばラクシュミ神萌えの信者は、ほぼガネーシャ神も信仰する。なぜかというと、「ラクシュミ
神はガネーシャ神と大変仲が良いから」というのが理由だ。仲が良い神様を別々に信仰するのも
おかしな話だ。このへんが多神教の面白さなんだが、一神教の連中にはこの醍醐味がわからない
らしい。すぐに「多神教=精霊信仰=原始的宗教=野蛮」というレッテルを貼りつけてくる。

また、インドでは婚前交渉はタブーとされることが多いが、だからといって男の性欲が我慢される
はずもない。ネット以前はポルノも手に入らなかったインド人男性は自分で処理していたわけ
だが、ズリネタにも事欠くので、部屋に飾ってある萌えポスターを見て抜くこともしばしばあった
のだ。つまり女神様のありがたいお姿ポスターをネタにしているわけだ。ははあ、どうりで
ヒンドゥーの神様ポスターの女神様は艶めかしく描かれているわけだ。それが罰当たりだという
人もいるだろうが、左道タントラの一つでありこれも修行の一環なのだ。日本人のオタが
かんなぎ」をネタに抜くのと大体同じであり、エロ同人誌を描くのも徳を積む一環なわけだ。

現在の日本人はインド人と比べて、少し神道に無関心過ぎる。もっとウズメとかアマテラスに
生々しい興味を向けるべきであり、ちょっとグロ志向な方はイザナミとかに萌えるべきだろう。
信仰されない神様はどんどん力を失ってしまう。オタの女神萌えや巫女萌えは国力増強になくては
ならないパワーの源であり、神社の聖地巡礼で萌え絵馬もどんどん奉納するべきであり、全国で
立ち腐っていく神楽殿を利用してオタダンスを奉納すべきなのだ。

なにかと閉塞する昨今の日本だが、その突破口はインド人に見習った、日本神道の再興にある。
もう政府が「信仰もほどほどにせよ」と困るくらいの盛り上がりを見せることが、日本再生への
唯一の具体的な方法論だ。


大本教やオウム真理教の失敗は日本神道の軽視にあり、土着神であるお地蔵さんの仏罰だ。
「ずんずん教の野望」も金地蔵と銀地蔵によって潰える。日本人の信仰が日本人を救うのであり、
わざわざ新しく宗教を作ったり輸入しなくても、いつでも答えは足元にあるのだ。

ダーウィン4078とか

2011年06月23日 | げーむ
pcfxは福岡県福岡市産まれだ。現在城南区と呼ばれている地域で誕生し、しばらくそのあたりに
住んでいた。

70年代の後半の小学生低学年時代、「片江小学校」に通っていたのだが、家から学校までの
通学路はまだ田んぼと小川と沼だった。小学生低学年の男の子というのは必ず寄り道しながら帰る
ものだ。pcfxもご多分にもれず、通学路途中にある沼に毎日寄っては鮒だのカエルだのを捕まえて
いた。沼なので足元はぬかるんでいる。ズック靴は泥にズブズブと埋まっていく。

この「埋まっていく様子」を表すこの地域の方言で、「いぼる」という言葉がある。博多弁での
正しい用法は「うわ~足がいぼった!」「そこ気ィつけんと、バリいぼるったい」などだ。

で、何が言いたいのかというと、データイースト謹製のアーケードゲーム、「ダーウィン4078」で
時期をパワーアップさせるアイテムが「イボル」だという事なのだが、前置きが謎な上ローカル
過ぎて甚だ遺憾である。



この「イボル」は「EVOL」と書くので、ずっと「エボル」だと思っていたが、調べると読みは
「イボル」らしい。


「ダーウィン4078」については以前少し書いたが、ここで改めて書いていきたい。



このゲームでは自機が「イボル」によってどんどん「進化」し、強力な攻撃をすることができる
ようになる。また進化のさせかたによっては「突然変異」というスタンダードでないパワーアップ
をすることがある。自機の最強形態は「逆進化」という手順で発生する「BLACK DEAM」で、
コウモリのような姿になってモノスゴイ攻撃を行う事ができ、かつ敵弾には無敵になる。



一旦この形態になって「イボル」を取り続ければゲームは自動的にチート状態になる。
「楽勝だネ!」と60年代の手紙のような「カタカナ語尾」で喋りたくなるほどです楽ですネ。
暑くなってきましたネ。お父さんお母さんのいうことをよく聞いてお勉強ガンバッテ。

しかし先のエリアまで進むと一定時間内にイボルを出す敵が出てこなくなることがあり、せっかく
のヒャッハー状態は終焉を迎えてしまいますヨ。気をつけてくださいネ。


さて、このゲームでは進化形態で被弾すると即死にはならないヨ。最弱状態の「PISTER」に
退化する事になるのネ。この状態で被弾すると自機を一つ失うヨ。
気味が悪いのでカタカナ語尾はもうやめマス。



pcfx的に、この「ダーウィン4078」で最も好きな部分が、被弾してPISTERになる時だ。被弾して
からPISTERに退化するまでのアニメーション時間は無敵になるのだが、この時になんとも
情けない「ビュ~~ウン」という効果音と共に退化していくのだ。非常に小さくなり、攻撃も
豆鉄砲になってしまう。この時が好きだ。諸行無常であり盛者必衰の理を表す。まるでバブルの
頃に羽振りが良かった人がバブル崩壊と共に財産を失い、経済力の他に元気も失ってしまうかの
ような弱体ぶりが哀愁を誘う。



このような感覚は自分にも投影されており、調子づいている時に何らかの失敗によって意気消沈
してしまう際、この「ビュ~~ウン」という情けない音が聞こえてくる。先程まで調子にのって
羽をバッサバッサ羽ばたいて周囲を圧倒していたのに、みるみるうちにしぼんで行き、身を
小さくして豆鉄砲で言い訳をする事になる。



「ダーウィン4078」の自機はどことなく「イカ」を連想させる。焼いて食べるとうまそうな
機体であり、惜しいのは一番うまいゲソの部分の描写がない事だが、自機の色が薄いピンク色で
それはスルメに似ており、つい七輪で炙って冷酒のアテにしたくなる。しかし突然変異形態は
全然イカに見えないのでpcfx的には不満だ。コンビニなどでアタリメやスルメをよく購入する
pcfxだが、そのたびに「ダーウィン4078」を思い出し、軽やかな口当たりの大吟醸酒の小瓶も
一緒に買ってしまう。家に帰ってそれらを飲み食いしながら、少年時代の沼での遊びを思い出し、
足をイボらせてトノサマガエルや鮒を捕まえ爆竹で爆死させたなあ、などと感慨にふけりながら
「ダーウィン4078」のゲーム基板に電源を入れてしまう。



やはり前面横一列にミサイルを出す「ZUGOGA」で進化を止めて戦うのがイイ。因みに博多弁の
一種で「凄い!」を「スゴか!」と言い、「ずるいぞ!」を「ズッコか!」と言う地方がある。
「ZUGOGA」で最大連射を続けると処理落ちして画面の動きが遅くなる。凄くずるい形態だが
調子に乗ってると被弾してPISTERに退化し、泥沼にイボるのだ。

モモコ120%

2011年03月30日 | げーむ
ジャレコはスゴイ。何と言っても1986年の段階で「萌えキャラ」の持つバランスを掌握
するキャラクターをデザインした「モモコ120%」を開発できていたからだ。

萌えキャラの定義は他人に任せるとして、頭身のバランスや目の大きさ、体の適度な横幅
などを人間が「カワイイ」と思えるように配置した上で、当時のドット解像度の制限内で
それを表現するのは非常にセンスを必要とする作業だ。この条件内でベストのデザインに
成功しているのが「モモコ120%」だ。但し雑誌の紹介記事や販促物のイラストは
「素人が描いた80年代の美少女絵」という印象だ。

さて人にはそれぞれ好みというものがある。この場合は年齢の好みの話になるが、それを
いっしょくたにして全員に気に入ってもらう事などできない。各年齢のキャラを増やして
対処する方法もあるが、モモコ120%では「モモコ」が4歳から20歳まで成長していく
事で対処している。4歳(幼稚園児)・6歳(小学生)・12歳(中学生)・15歳
(高校生)・18歳(アイドル)・20歳(結婚)という区切りでゲーム中に成長して
いく。

ここで当時の世相を説明しておかなければならないが、80年代前半頃までは一般的な
性の対象は20代中盤あたりが標準とされていた。そこに「女子大生ブーム」というのが
起こり、その対象の下限を18歳まで引き下げる時代になった。一方裏では「ロリコン
ブーム」があり、それまで「児童」と捉えられていた「高校生」を対象にする事が一般化
し、以下年齢が下がるごとにそれを好む人間の変態度が深くなるとされていた。この当時
「ロリコン」とは一般的に「女子高生」を好む性癖の事を指していた。80年代中盤は
男が好む女性の年齢層が一般もロリコンも一斉に引き下げられた時代だった。

80年代半ばに作られた「モモコ120%」はそのような時代背景から、プレイヤーキャラ
の年齢設定を低いところに設定された。ここで特筆するのは「低いところに合わせた」
という事だ。幼稚園や小学校などの入学年齢に合わせており、卒業年齢や中間年齢では
ないことに注目したい。各人の好みは色々あれど、自分の趣味の上限を超えられると
不満が出るのに対して、低いほうならある程度許容できるものだ。ゲームの設定は
おそらく入学時の年齢を便宜的に使用しただけだと思われるが、低い方に合わせた感覚
には時代背景が無縁ではない。

キャラクターはデフォルメされてはいるが、それぞれの年代の魅力をハードウェアの
制限内で表現できている。またスタート時にたまにカメラ目線になったり、座った時の
ポーズ
などは時代を先取りした萌えアピールになっており、開発者の先見性を賞賛せずに
おれない。



このゲームではいつも学舎が1階から燃えており、モモコは下階から上階に向かって避難
し、屋上で飛行船に掴まって脱出する。途中よくわからない敵がおり、なぜか手に持って
いる銃で倒していく。火の国のモンスターに気に入られたモモコが追っかけられるという
ストーリーらしいが、幼稚園から高校まで入学早々に出火するところからみて、その火事
はモモコが原因なのは確かだ。これは放火に等しい。そしてアイドルデビューした途端に
テレビ局が火事になるが、本人はまんまと20歳で結婚してゴールインする。一見、放火魔
少女のサクセスストーリーというキチガイみたいな物語の様だが、深読みするとそうでは
なくなる。

月日というのは矢の如しで、時間はジリジリ追いかけてくる。少女の時間は短く、80歳
まで生きたとすると少女と呼べる時間は人生の4分の1以下であり、女性に花があるのも
その4分の1だけだ。これは女性の人生観の物語であり、追ってくる火は時間を象徴して
おり、幼少期から待ったなしの人生を迫られる女の悲哀を表している。そして20歳に
なると嫁入り道具を次々にゲットしながら婚約者の元に走るが、バックにいる神様は
よくみると不吉な神の姿をしており、強引すぎる手法で幸せをつかむ事の愚かさを罰する
メタファになっている。そして幼稚園から人生のやり直しを要求されることになる。

もちろん深読みであり、製作者がどのような思惑でこのような設定をしたのかは知るよし
もないが、論理的にそのようにも取れる。絶妙なバランスで描かれたキャラクターの
かわいいモモコが実は野望の女だったという結末は受け入れたくはないが、BGMに使われ
ている曲は「うる星やつら」の「ラムのラブソング」であり、それは女の独占欲を
歌った欲望の歌だ。またジャレコのPSソフト「GUNばれ!ゲーム天国」にもモモコが出演
するが、その扱いは非常に微妙なものであり、また不満が多かった。声を当てたのが
「椎名へきる」
というのも因果を感じる取り合わせである。

オリジナル基板には音源としてYM2203が2基搭載されており、当時としては贅沢な仕様
だったが、あまり機能を使いこなせてない印象だ。


「モモコ120%」はファミコンに移植され、キャラクターは「ラム」に変わった。
タイトルも「うる星やつら ラムのウエディングベル」となり、もはや別のゲームに
なっていた。その後携帯電話のゲームに移植され「モモコ1200%」という半ば
ヤケクソなインフレタイトルに変更された。どれも難度は意外に高く、運の要素が強い
ゲームだが、ジャレコを代表するゲームの一つだ。

DOOM

2011年03月29日 | げーむ
ゲーセンのゲームがつまらなくなっていった90年代、仕方が無いのでパソコンでできる
何か面白いゲームがないのかと思っていると、DOOMのお試し版が何かの付録CDについて
きた。「何じゃこれ」という気軽な気持ちでインスコしてプレイしてみると、これがまた
モノスゲエ面白い。というか初めて「バーチャルリアリティ」というものを体感した
衝撃だった。今でこそFPSはありきたりなものになっているが、当時ここまで1人称視点
で入り込めるゲームがなく、また「恐怖」を感じるものはなかった。

早速正規版を手に入れ、それからはサルのようにDOOMばかり来る日も来る日もやって
いた。キーボードで操作していたため、最初はうまく動けずにいたが、すぐに手足の
ように操作できるようになった。このゲームは操作を簡便にするために上下の照準合わせ
を省略している。よって敵の方向さえ向けばこちらの攻撃は当たるので現在のFPSより
気楽に遊べる。たくさん用意されたステージを次々とクリアしていくと、それまで出て
こなかった強力な敵と遭遇する事になる。

pcfxが最も恐怖したのは「アラクノトロン」だった。ゲーム中に聞きなれない物音が
する。機械音のような足音のような音だ。物陰に隠れながら注意深く様子を伺っている
と、その音がどんどん近づいてくるのがわかる。意を決して飛び出してみると、そこには
巨大な脳をガラスドームで覆い、クモのような機械の足で移動するモンスターがいた。
出会うと速攻でプラズマガンを連射してくるので大ダメージを負い、やがて追い詰めら
れて死んでしまう。この「アラクノトロン」はシリーズ最初のDOOMで登場したボス、
スパイダー・マスターマインド」の小型版であり、DOOMでかなり手を焼いた相手だった
ためトラウマになっていた。DOOM2も後半のステージになると、この「アラクノトロン」が
大挙して歩きまわっており、金属の足音がそこかしこで乱舞して死の恐怖に座り小便を
漏らしそうになる。どんなに離れた距離でも、こちらを発見するとプラズマガンを浴び
せてくる。どこまでも追ってきて攻撃する。

足音といえば「デーモン」の走りまわる音も恐怖だった。マンホールを蹴りつけるような
音を響かせて、素早い速度で迫ってくる。また「マンキュバス」はこちらを発見すると
「あんぎゅまー」という声を上げて攻撃してくる。こちらの視界では見えない時にこの
「あんぎゅまー」が聞こえると、やはり座り小便を漏らすほど恐ろしい。このように
DOOMは画像だけでなく音でも恐怖を煽るゲームだった。


DOOMのプレイヤーキャラは火星で傭兵の仕事をしており、「UAC」という企業に雇われて
いた。この企業が開発していた瞬間移動装置が実験に失敗し異世界と繋がってしまい、
そこからモンスターが続々とこちらの世界へ侵入してくる。唯一の生き残りがプレイヤー
キャラであり、腕コキのタフガイだ。毛深い腕でパンチを繰り出せばモンスターですら
殺せるが、武器の扱いも手馴れており、開発段階のBFG9000というプラズマ兵器をも
使いこなす。火星の衛星、フォボスとダイモスの基地から無事脱出できるかどうかが
DOOMの目的となる。なんとか脱出に成功し地球に帰還してみると、既に地球も異世界の
モンスターに侵略を受けていた。これがDOOM2のシナリオだ。DOOMでは舞台が宇宙基地と
なっており、窓から宇宙が見えたりメカニカルな基地内を移動するのがメインで、「外」
には出られなかったが、DOOM2の舞台は地球なので広大な空間が用意された。風景も山岳
が窓から見える。

他にも色々なバージョンのDOOMが作られた。DOOMの制作会社は現在でいうところ「MOD」
である「WAD」というソースを開放したので、個人が好きにゲームを改造して遊ぶことが
でき、そのためのツールを公開する者もいた。ネットにはそれら「WAD」ファイルが無数
にアップされていたので、発売されたマップを全て遊び終わってもダウンロードして遊び
続ける事ができた。アップされていたWADの中には、自分が住む町内を丸ごと再現した
ものがあり、自室からスタートする。台所に行くとインプがおり、どうやらこれが母親
らしい。息子である自分に火の玉を投げてくるが、容赦なくコンバットショットガンで
殺害する。隣の家に入るとやはり住人を模したモンスターがウロウロしており、一家虐殺
をするハメになるなど、一風変わったものも多くあった。



DOOMは日本ではそれほどヒットしなかったが、本国のアメリカでは知らないものはいない
ほどの人気ゲームだったようだ。またそのバーチャルリアリティ性と残虐性によって
度々マスコミに叩かれたり年齢制限が加えられたりした。それでも面白いものは面白い
ので隠すことはできない。

DOOMのリアルさは、それまでにあったガンシューティングゲームとはまた違うもので、
例えばそれまでのゲームは「必要ないところは行けない」ようになっていたり、「行け
ない所は見えない」ように行動が制限されたものだったが、DOOMではMAP内ならどこでも
好きなところに移動でき、例えば行く必要のない、敵のいない建物の裏なども描写されて
おり、立体的な視覚でその臨場感を楽しむ事ができた。現在では当たり前だが、当時は
そこまでリアルなゲームが存在しなかったためにプレイヤーに衝撃を与えた。

DOOMはポリゴンを使用しておらず、2Dの絵をそれらしく見せているだけだった。現在は
ポリゴンで再現したDOOMもあるが、ポリゴン時代を先取りした新時代のゲームとして
プレイヤーの心を掴んだ。

その後2000年代半ばにDOOM3というゲームが発売されたのだが、あまりに先進的なものを
目指したために画面の処理が追いつかず、暗い画面にすることで負荷を軽くしようと
したものの、暗がりばかりでゲームが面白くなかった。更にそれでも、当時のハイエンド
なグラボを使っても処理が追いつかず、「ゲームにならなかった」という大失敗をして
しまったのだった。このDOOM3をモデルとした映画も作られたが、その映画もやはり
暗い画面だったのが印象的だ。



DOOMでFPSにハマったpcfxは、その後も「Blood」「クエイク」や「デュークニュッカム
などをプレイし続けた。そして「ハーフライフ」にもハマった。以前ブログに書いた
「SWAT3」もこの流れだった。だがネット対戦のFPSにはあまり興味がない。pcfxにとって
FPSの面白さは、必要のない場所に佇んだりするような「自分の都合」でマップを移動
する所が大きく、「勝った負けた」というのは比較的どうでもいいものだからだ。
自分が「そこにいる」という臨場感が欲しいのであり、その世界に入り込む事がプレイの
目的なのだ。


「アラクノトロン」の足音の恐怖は今でも夢に出るほどであり、実際に出会いたくない
一番のモンスターだ。サイバネティクスの最も悪夢な部分を具現化した存在であり、
それと出会いたくないくせに、なぜかまた彼に会いたくなってDOOMを起動させる。廃墟
趣味も心霊スポットも、これに共通する矛盾した行動動機によっている。もし異世界に
行くゲートがあったら、おそらくpcfxはそこに飛び込んでしまうだろう。

ニチブツ

2011年03月28日 | げーむ
「ニチブツ」こと「日本物産」は麻雀ゲームばかり作っていたわけではない。実は名作
揃いのスゴイ会社だった。現在は開発しておらず版権管理会社を残すのみとなって
しまったようだが、その名作の数々を振り返りたい。


シューティングゲームに「合体」という新機軸を生み出した「ムーンクレスタ」。貧弱な
1号機、バランスの2号機、当たり判定の3号機。ハイスコア表示に漢字で表示された
「日本物産株式会社」の文字。「レバーとボタンでドッキングせよ!」と日本語表示。
開発者の性格が出ている敵のアルゴリズム。独特で印象的な効果音。バックの星がギャラ
クシアン
と同じだった事、ショットの音も同じな事に気がついて興奮した。
正直2号機さえあれば事足りるゲームだったが、合体時の無重力っぽい感覚が好きでつい
いらない合体をして後悔する。

変態ビル登りゲーム「クレイジークライマー」。彼の目的は不明なまま、続編も作ら
れた。窓の開け閉めが激しくなんでも窓から捨てる住人が住み、看板は落ちてくるわ
キングコングは住み着いてるわで危険なビルだ。よりによってこんなビルを登るのだから
よっぽどの理由があるに違いないと思っていると、頂上に到達してヘリでどこかへ去って
いく。ヘリのチャーターは非常に高価である事を考えると、彼は資産家に違いない。
資産家がなぜそんな事をするのか小学校で議論されたが納得のいく結論は出なかった。
しらけ鳥は南の空へ飛んでいき、ピンクパンサーはキングコングでドラえもんは風船
だった。ガンバレ。

合体ロボシューティング「マグマックス」。このゲームは我々に「二足歩行戦闘ロボは
的でしかない」という事を実体験させて教えてくれた。音楽という言葉に新しい価値を
与えたBGM。カッコよく作られた筈なのにマヌケ臭漂う戦闘シーン。奥行きがある地上
フィールド。後のニチブツゲームの元祖となった地上←→地下の移動システムなどなど、
他社には真似のできないアイデア満載で独特の雰囲気の「最もニチブツらしいゲーム」が
「マグマックス」だ。



基板に乗っている音源チップはFM音源の時代になり、ニチブツはシューティング・アク
ションゲームだけではなく、麻雀ゲームにもFM音源チップを使うようになった。しかし
さすがニチブツは他社と違う。YM3526及びYM3812というFM音源チップを採用した。
これは初期のFM音源の一つで、およそ6chの2オペFMにリズム音源がセットになって
いるため、ゲーム機や安いFM音源キーボード用の音源になっていた。2オペのため音色
の幅は限られるが、FM音源以前のものと比べれば格段に多彩で低価格だった。リズム
セクションが独立しているのは、キーボードでバックにドラム演奏を入れるためであり、
ドラム音のプリセットが3音同時に発音できる。バス・スネア・ハイハットの音が
重なってもよいようになっている。YM3526とYM3812は本来9ch発声だが、リズムに3音
使用する場合に残り6chが開放される。6音あれば4和音のコードを押さえながら2音の
メロディパートを演奏できるため、大抵の曲が演奏可能になるという合理的な理由だ。
このシステムはゲーム機にも需要があった。

YM3526は多くのニチブツゲームに使用され、ニチブツの80年代後半といえばこのYM3526の
サウンドだ。麻雀ゲームからもよく聞こえてきた。

もう一つのYM3812はYM3526とハードウェア互換のある上位チップで、ニチブツの基板で
音源を直接差し替えできるため使用されたようだ。この2つの違いは発振器にあり、
YM3526はサイン波だけを使うのに対し、YM3812は矩形波など他の波形も発振できるように
なっていた。これによってYM3812は低価格でありながら多彩な音色を出せるお得なFM音源
として重宝された。このタイプのFM音源でしか再現できない独特な音が出せるため、現在
でも極一部のFM音源マニアが、このチップが搭載された古いサウンドブラスターなどを
愛用している。変態である。

YM3526とYM3812の音の違いがどれほどのものなのかは、「聖戦士アマテラス」と
子連れ狼」のBGMを聞き比べればよくわかる。

「聖戦士アマテラス」はいかにも「ニチブツ!!」といったゲームであり、その洗練
されてないグラフィックや原始の鼓動を感じるBGMが極一部のニチブツマニアを痺れさ
せた。無論pcfxもその一人であり、YM3526の「これはFM音源です!」という素直な主張
を聞きながら焚き火の周りを集団で踊り、体と脳に悪い葉っぱで酔いしれていたい衝動に
駆られる名作BGMだ。PCMの使い方も「使ってみました!」感があってとてもよい。



女戦士アマテラスは脱獄囚を捕えるために、彼らが逃げ込んだ「変態化」した地球で戦う
シューティングゲームだ。なぜ銀河パトロール隊員でもない女戦士の「アマテラスさん」
が一人で脱獄囚を追わなければならないのかは依然不明のままだが、とにかく銀河
パトロール隊から「緊急指令」が出たのだから仕方がない。



水着のような服に赤いロングブーツ、盾と剣を身につけてよくわからない敵と戦う。



途中バイクのような乗り物などに乗って戦えるが、速度は歩くのと変わらない。剣を持って
いるのにシューティングゲームになっている。ボスを倒すと脱獄囚を一人逮捕できる。
バリバリ戦う女戦士「アマテラス」だが、ステージの幕あいでお茶目な姿も見せる。



また「アマテラス」という名前だが全く和風なイメージはなく、どちらかというと
「アマゾネス」だ。現に輸出版のタイトルは「Soldier Girl Amazon」となっている。
難易度は低めで延々とループできるゲーム。ニチブツのゲームは大抵そうだが、画面に
メリハリがなく淡々とずーーーっと同じような調子で続いていく。このゲームの最も
印象に残る点はインストカードで、いかにも「ニチブツが作りました感」がある。


YM3812サウンドといえば「子連れ狼」だ。およそニチブツらしくないグラフィックで
ニチブツらしくないBGM。他所が作ったのではないかと思えるほどだ。キャラクターは
黒ふちがありセガを思わせる。しかしフォントはニチブツ伝統のものであり、確かに
これはニチブツなんだなと思える。YM3526とは段違いに楽器音らしい音になっており、
YM3812の性能が使い込まれている。デモ画面での大五郎の顔が「劇画調」になっており、
劇画の「子連れ狼」のイメージそのままだ。見た目は渋いゲームだが、ちょっとプレイ
すると「ああ、やっぱニチブツはこうでないと」という満足感に浸れる。なにしろ
拝一刀がアイテムでパワーアップすると、先ほどまで背負っていた大五郎がいきなり
乳母車に乗り、更に乳母車からファイヤーボールを出すのだ。この急展開のブチ切れさ
がニチブツであり、マニアを唸らせる。


最後にYM3812と絡めて、ニチブツが避けては通れない麻雀ゲームを一つだけ紹介する。
それは「麻雀刺客」で、ニチブツが本気を出してアニメ絵の脱衣麻雀を作った最初の
ものだ。相手の女の子は全てアニメキャラのパロディとなっており、乱馬・ナウシカ・
クリーミーマミ・マジカルエミ・鮎川まどか(気まぐれオレンジロード)などが
モデルになっている。というかほぼ「そのまんま」だ。デフォルトのプレイヤー名は
なぜか「さんま」になっているが、自分の好きな名前を入力できる。音はYM3526のように
聞こえる。刺客を次々に倒すとラムちゃんエンディングが待っている。



他にもたくさんのニチブツゲームがあったが、特に気に入っていたものだけをいくつか
挙げた。テラクレスタやテラフォースやマイティガイについてはまたの機会にでも。
レオタードを着てにこやかに微笑みながら盾と剣を持つ「聖戦士アマテラス」の
インストカードの姉ちゃんがニチブツの象徴であり女神だ。フクロウのマークでお馴染み
の「ニチブツ」は滅んでしまったが、そのフロンティアスピリッツは今もゲーマーの
心に残っている。




スラップファイト

2011年03月26日 | げーむ
アーケードゲームの縦スクロールシューティングの傑作が「スラップファイト」だ。
タイトーブランドで発売されたが開発は東亜プランが行っており、「タイガーヘリ」に
燃えた縦シューファンにはすぐにピンときた。



「スラップファイト」は1986年に登場した。FM音源が普及する前だったのでPSGを2基
搭載して音を出している。PSGとは「Programmable Sound Generator」の略であり、
ICチップに音源を持ちそれをプログラムで制御しやすくしたシステムのことだ。音源は
発振器として矩形波(デジタル腕時計のアラーム音のような音波)を3音、及びノイズ
1音の合計4音を同時に発音できる。スラップファイトにはこれが2基あるので、矩形波
6音とノイズ2音の合計8音が同時発声可能だったわけだ。発振器から出る矩形波も、
PSGはエンベロープジェネレーターによって波形を変化させることができる。この仕組に
よって、当時としては多彩な音色を使った音表現が手軽に表現できるICチップとして
重宝されていた。

PSG登場前のゲーム音楽というのは非常に簡素なもので、とても「音楽」と呼べるレベル
のものではなかったともいえる。もちろんもっと重厚で多彩な音を出すデジタル音源
チップはあったが、それらは気軽に基板につけて販売するにはあまりにコストがかかり
過ぎた。当時既にFM音源はあったが、DX-7などに使われていたような高級品しかなく、
ヤマハが廉価版の「YM2203」や「YM2151」のチップを開発するまで待たなければなら
なかった。PSGは当時のゲーム基板に大抵ついている音源だったが、スラップファイト
が出た時代には既に「物足りないもの」という認識になってきており、より迫力のある音
を出すためにPSGを2基使うようになってきていた。これによってBGMの旋律、副旋律、
伴奏を演奏しながら効果音も同時に3つ発音でき、さらに爆発音やショット音にノイズを
2音使えることになる。それまでよりも非常に多彩な音を楽しめる仕掛けだ。


そんな当時としては豪華な音源を持ったスラップファイトだが、東亜プランがタイガー
ヘリで培ったシューティングゲームのノウハウを集結し「縦シューといえば東亜プラン」
というブランド力を結実させたのが「スラップファイト」だ。当時の東亜プランは
タイトーの下請けでゲームを開発していたので、その頃のゲーマーは「タイトーの縦
シューすげえ」と思っていた。東亜プランが独立して基板を販売するようになったのは
究極タイガーの後からだった。

スラップファイトのパワーアップシステムは「グラディウス」を踏襲している。ただ
真似したわけではなく、「ホーミングミサイル」という武器を使えるようにした所が
画期的だった。当時のCPUの処理能力を考えると、16方向に一度に発射されたミサイル
がそれぞれ敵を素早く追尾するという事が難しい事だったと思える。それを可能にした
点だけでもスラップファイトは稀有なゲームだった。また、それまでのシューティング
ゲームというのは連射「命」で、高橋名人の秒間16連射が持て囃されていた時代
だったのだが、ホーミングミサイルの登場によって「連射」から脱却したと言ってよい。
しかも敵のX軸に照準を合わせるために移動する必要もなく、一旦ホーミングミサイルを
装備したらあとは「避けるだけでよい」のだ。これが大きな革命だったことは言うまで
もない。他のゲームにもホーミングミサイルのシステムはあったが、16発一斉で
しかも素早く敵を追尾できたという、実用性と爽快感を併せ持ったのはスラップファイト
が最初だと思う。



当然だがホーミングミサイルを使うとゲームが簡単になってしまう。なにしろショット
ボタンを押すだけであとは攻撃を避けていればいいのだ。そこで敵の攻撃も、今までに
体験したことがないような大量の弾幕攻撃をしてくる事で難易度の調整が図られた。
今日の弾幕系シューティングの始まりである。

スラップファイトの基本武器である「ショット」は射程が短く、画面上方に抜けていか
ない。連射はできるが敵に届きにくい特性がある。「ボム」は攻撃範囲が広い代わりに
自機の直近には攻撃が及ばず、近接武器として使えない。レーザーは貫通して射程も長い
が、連射ができない。そしてホーミングミサイルは便利だが攻撃力が弱い。このような
長所短所がハッキリしているクセのある武器ばかりなので、消去法でプレイヤーの大半が
ホーミングミサイルを使うことになる。1周クリアできるくらいの腕前になると、場面に
よって武装を最適なものに変える余裕ができ、ゲームの幅が広がる。つまり「連射系」と
弾幕系」を両方楽しめるお得なゲームでもあるのだ。

その後の東亜プランの縦シューで使われたテクニックの多くがこのスラップファイトに
あった。それほど完成された充実のゲームだ。しかし東亜プランの縦シューは難度が
高く、「ちょっとやってみるか」というライトゲーマーには敷居が高すぎ、最初は1面で
ゲームオーバーになる。あまりの難しさに続行する気になれない。「うおおおおおおお
やったるでええええええ」くらいの気合と根性を持った、選ばれたシューティング
エリートでないと対峙できない男のゲームであり、その傾向は作を重ねる毎に強まって
いった。「究極タイガー」や「達人」でその傾向は最高潮に達していた。

パターンゲームなので全面のパターンを覚えるという作業が必要であり、反射神経や
動体視力も試される。そして何かと気が削がれる「ゲーセン」という環境を、ものとも
しない集中力がないと真のシューティングエリートとはいえない。pcfxが通っていた
ゲーセンには名物の店員のオジサンがおり、こちらが最終ボスと大決戦を繰り広げて
いようがお構い無く「おう、今日よう、タイトーがよう、」と世間話を持ちかけてくる。
またゲーセン仲間が「だ~れだ」などと言って目隠しをしてくる事もあり、このゲーセン
では自動的に難易度ベリィハードに設定される。この目隠しにはルールがあり、プレイ
料金の倍額を即座に払わなければならない。だがいらない出費を惜しまずそれは繰り
返された。それでもそのゲーセンからはゲーメスト全国1位スコアが頻出し、名古屋
屈指の実力者が集っていたのだ。店の難易度から言えば世界一だったかもしれない。

スラップファイトには隠れキャラがある他、2P側(テーブル筐体なので向こう側の席)
から「ヘルパー」と呼ばれるお助けキャラをある条件で操作でき、2人同時プレイが
可能だった。pcfxが通っていたゲーセンではスラップファイトは壁に向かって筐体が
設置されていたため、この機能はだいぶ後になってから知られる事になった。

現在このゲームを遊べる現行機種はなく、基板を買うメガドライブ版で遊ぶか、紹介
したくない某メーカーの商品を買うか、またはアレをアレして遊ぶしかないと思われる。
基板は生産から四半世紀経っているが、状態によってはまだ動く。錆びないように手入れ
し、動作時に基板が熱くなりすぎないように冷却し、基板のコンデンサを新品に取替え、
ハーネスの付け替え時に脆くなったシリコン基板を割らないように、専用ハーネスを
つけておくなどの対処さえしていれば、あと四半世紀は持つだろう。

pcfxが押す80年代最高の縦シューが「スラップファイト」だ。

エイリアンシンドローム

2011年03月25日 | げーむ
偉大なるセガ社が作った気色悪いゲーム、それが「エイリアンシンドローム」だ。



80年代後半頃はホラー&スプラッタブームが続いていた。この時期には各社が気色悪い
ゲーム
を出していたが、セガも負けじとパステルカラー全開の鬱展開ゲームを市場に
放った。



エイリアンに襲撃されたスペースコロニーに爆破装置を仕掛け、時限装置を発動させて
からゲームがスタートする。コロニーにはまだ取り残された人々がおり、彼らを救出する
べく一組の男女が送り込まれる。制限時間内にできるだけ難民を救出して脱出しなければ
ばらない。しかし時間制限から全員を救出するのは困難だ。時には見捨てて脱出しなけれ
ばならない。これだけでもう鬱になりそうだが、コロニーにはザコエイリアンがウヨウヨ
しており、これがチョー気色悪い。セガ独特のパステルカラーなのが唯一の救いだ。
BGMも恐怖感と孤独感を煽る鬱な曲で、ザコを倒しながら難民をできるだけ多く救出して
いく。武器はコロニーに収納されている多彩なものを選択可能だが、どれもクセのある
武器なので状況に合わせた選択が必要だ。



ある程度救出できたら出口へ向かうが、そこにはボスエイリアンが待ち構えており、
これがまた気色悪い。基本的にバイオ的でグルヌチョだが、パステルカラーだから何とか
お子様にも耐えられる。ボスを倒したらそのコロニーは爆破され、次のコロニーへ向かう
事になる。



武器の他に支援ロボットのオプションもつけられるのだが、これが非常に使えない。
ないよりはマシといったレベルだ。プレイヤーキャラは男女から選べ、オタなら迷わず
女を選ぶべきだが、どちらを選んでも当たり判定が大きく死にやすい。さらに女を
選んだ場合は死ぬときの悲鳴がやたらリアルなので鬱になるだろう。男はリッキー、
女はマリーという名だ。カルテットのマリーと同一人物かは不明だ。



このゲームの特色は、なんといっても気色悪いのにファンシーな色使いということに
尽きる。そしてヘルプレスな雰囲気でプレイする毎に鬱が悪化していく。全7ステージを
クリアしても、プレイヤーキャラの男女が抱き合ってアフターストーリーが簡単に
表示されるだけだ。そしてループして続いていく。
全員救出が困難なため、どうしても「見捨てて行く」という罪悪感に責められる。それ
でもどうしてもこのゲームで遊びたくなった方は、セガエイジズなどで遊ぶことが
できるのでチャレンジしてみてはいかがか。



pcfxがこのゲームで遊んだのは、いつも通っていた2軒ゲーセンが並んでいる内の1軒
で、例のごとくpcfx以外にこのゲームをやり込んでいる人はあまり見かけなかった。
だが一人だけ非常にうまいプレイヤーがおり、何周も遊べるほどの腕前のサラリーマン
がいた。長身で痩せておりメガネをかけた彼は、当時毎日20時頃に店に現れては
エイリアンシンドロームだけをプレイし終電までワンコインで遊んでいた。眉間に
皺を寄せ、いつも不機嫌そうだった。彼のプレイをよく観察していたのだが、毎日
見ているうちに段々と顔色が悪くなっているのに気がついた。一か月もすると真っ青な
顔色で取り憑かれたようにゲームに没頭し、彼を見かけた最後の日にはゲームを途中で
放り出してフラフラしながら店を出て行った。それっきりその店で彼を見ることは
なかった。



数ヶ月して全く別のゲーセンで一度だけ彼を見かけた事があるが、以前でさえ痩せていた
のに更にゲッソリと痩せており、なぜかパジャマのような服を着ていた。入院している
病院を抜けだしてきたような格好であり、かなり異様な姿だった。一体彼に何があった
のかはわからないままだが、その店でもエイリアンシンドロームをプレイしていた。

そんな記憶と共に、類稀な鬱ゲームであるエイリアンシンドロームは印象に強いゲームと
なった。