韓国にある程度足を運んだ事がある人にはわかると思うが、韓国は「全体的に反日」というわけ
ではない。このように書くと「そんなわけないだろ!国を挙げて反日じゃないか!」と日本人
なのに韓国人の得意技である「火病」を発症する人もいるようだ。ソウルだけでなく、地方都市
や田舎にも足を伸ばせば、「日本人」は大抵「珍しがられ、羨まれ、構われる」という経験を
する事になり、それは諸外国でのそれと大差ない。もし日本人とわかると直ちに石を投げてくる
ような国であれば、外務省が渡航を制限しているだろう。だから「深刻な反日」とはいえない。
韓国人の頭の中には「とあるルーチン」が強固に刷り込まれており、このルーチンは「戦争」
というキーワードを耳にすると勝手に動き出すようになっている。
「戦争→第二次大戦→日帝支配→自分たちは犠牲者」と自動的に連想する仕組みだ。もう一つ、
「日本」というキーワードに反応するルーチンがあり、「日本→韓国との比較→韓国は負けている
→勝たなければ」という自動連想が働く。これらは大抵の韓国人の頭に刷り込まれているが、この
ルーチンが敏感に作用する人とそうでない人がいる。教育程度の低すぎる人には刷り込めていない
し、高すぎる人はこのルーチンを多用しない。戦争世代の老人には事実を知られているので通用
しない。普通よりやや低能な韓国人に最も強く作用するルーチンだ。
で、現在の韓国アレルギーになった日本人は、この自動連想の性質を持って「韓国は反日だ」と
語るのだが、これを日本人に当てはめてみると「戦争→第二次大戦→原爆→自分たちは米帝の
犠牲者」「アメリカ→日本との比較→日本は負けている→勝たなければ」となる。よく似たもの
を日本人も持っているわけだ。無論お花畑左翼の連想はこれとは違うが、普遍的な日本人の連想
だろう。
ではこれをもって日本は「反米」なのかといえば、全く違う。「アメリカ文化かっちょええ!」
の時代があり、バブル期の「アメリカ人はバカだな」という見下しを経て、「まあアメさんも
色々大変だねえ」という価値相対化まで進んでいる。
「敗北ルーチン」は日韓双方に共通する自動連想だが、それは強国に対しての反感の原因には
ならない。現に日本人は「反米一色」になっていない。では韓国人から強く感じる「反日」は
どこから産まれているのだろうか。
pcfxはこの問題に関して「歴史的に根の深い問題」だとは思っていない。もっと軽薄で単純な
問題だと楽観している。よく「恨」の精神だとか「ずっと属国」だとかが原因と言われて
いるが、それがさほど強力に作用するのなら、日本人は「和」の精神や「島国根性」によって
戦争などせず国内事情ばかり注視する「気弱な土人」のままであったろう。しかし現実には、
日本では武家政治が長年台頭し、アジア地域でいち早く西欧文化を取り入れた。だから民族的な
精神性はエフェクト程度には作用しているかもしれないが、決定的な原因にはなっていないと
考えている。
さて韓国の「反日」だが、韓国で耳にし、また直接言われる「反日感情発言」を聞いていると、
「新興宗教にかぶれた人の話」によく似ていると感じる。昔「ライフスペース」という新興宗教
があり、その主催者や信者が「定説です」というフレーズを多用して話題になった事がある。
詳しくはググるなどしてもらうとして、「定説です」という言葉で思考停止する事によって、
世間の常識や合理性との矛盾の一切を捨て去る洗脳だ。まさに韓国人の「反日感情」がこの
「定説です」と同じで、韓国が置かれている相対的な立場の低さを思考停止するために作用
している。
ではこのような「思考停止」は韓国独自なものかといえば、全くそんな特殊性はなく、途上国民
には誰にでもある普遍的な「強がり」に過ぎない。韓国はその「強がり」が多少強いだけで、
「俺たちの国も負けてないぞ」という感情はどこに行っても聞く言葉だ。この「強がり」は、
実行が伴っていれば「ハングリー精神」として国威発揚の原動力となるが、伴っていない場合は
単なる欺瞞となって発展は停滞、若しくは後退する。韓国の場合、産業の一部については周りに
お膳立てされながらも一応は「発展」に作用したが、精神性や民度においては「停滞」に作用
した。しかしながら、その精神性や民度も、最近は少しずつではあるが前進している様子も
伺える。ネットや海外旅行・留学などによって、他国との相対化という「実行」が伴ってきて
いるのだろう。
韓国は「歴史捏造」が産業レベルまで進んでいるダメ国家だ。事実の改竄がマスプロダクトで
効率良く生産されている。これは「マイナスの実行」にあたるため、これを進めればどんどん
後退していく事になる。どこの国でも、国際政治的に多少の歴史捏造をするものだが、それらは
大抵の場合、コッソリヒッソリ行われている。そして矛盾を指摘されると、何かと反論しながら
も時間をかけてコッソリヒッソリ修正して、いつの間にか事実に置き換えていく事で後退を
防いでいる。しかし韓国が素直に歴史認識を国際基準に合わせると「中国の一地方でしかない」
という事実や、歴代の王が中国の地方官僚に土下座する立場でしかなかった事を認める事に
なるので、油断していると未だに領土拡大の野望に明け暮れている中国に今度こそ飲み込まれて
しまう。
よく「フリーチベット」を叫ぶ人がいるが、立場はチベットもネパールも韓国も同じなのだ。
昔は中国にとって東側の領土よりも西側の方が政治的に重要だったので、朝鮮半島の地方領主に
任せる程度で放置されてきたが、現在は東側も重要になってきているので危険性は上がってきて
いる。そのように考えると、北朝鮮とも停戦状態が続く崖っぷちの韓国の「強がり」は、日本に
対してではなく「中国」に向けられているものになる。だが、長年中国の属国だった韓国では
中国に楯突くのに慣れていないし、また抵抗を感じる。そこでとりあえず、吠えやすい「日本」
に対してワンワン吠えるのだ。だから韓国の「反日」などは、特に意味があるわけではないと
言うこともできる。これはアメリカに対しても同じで、韓国では反米も根強いが全力でアメリカ
に楯突くと怖いので、これも日本に吠えることで大部分を代理行為としている。
それら日本への八つ当たりも、いつまでも続くものではない。最近の「韓流」というウザい
プロモーションは、「韓国を認めて下さい」という、「ポスト反日」の活動だ。しかしそこは
日本と違って下から出るのが苦手な国であり、また日本よりも積極的なので、あのような形に
なってしまっている。日本文化は外国に「見つけられて」浸透していったが、韓国の現在の
文化は「日本製と見分けがつかない」または「劣化日本文化」なので、積極的に見てもらう
必要がある。だからとにかくメディアに露出しないと始まらないのだ。
これらのプロモーションが成功したとして、日本人が「韓流」をどう認識するようになるか
というと、「ああ、あの三流芸能ね」という認識が定着するだけのことだ。頑張っても「二流」
止まりだ。「韓国は二流・三流」という認識なら現在のそれと変わらないが、なぜ韓国が
そんなに必死に無駄な事をするのかというと、とにかく「韓国」という国のイメージを、
「比較にならない程低劣な国」から「微妙だけどまあまあな国」にレベルアップしたいようだ。
日本人ならこういうとき、「誠心誠意、真心込めて、地道に一から努力して」という行動を
取るものだが、韓国人にはそのような精神はないので「とりあえず対等か、上から叩きつける
ように強引に、できるだけ楽に、過程は飛ばして結果重視で」という態度になる。だから
一方で竹島を不法に実効支配しながら日本人に親しまれようとする矛盾があっても気にして
いない。だが日本人がその整合性を見逃す筈はなく、韓国の国家プロジェクトである「韓流」
も失敗に終わり、「やっぱ韓国は三流だな」という日本人の認識は揺らがない結果になるだろう。
そして「こんなに頑張ったのに韓国を認めない日本人」に逆恨みするのが韓国人のいつもの
パターンだ。今回もそうなるだろう。だが一方で、徐々にではあるが反省点を分析できる
韓国人も増えている。先日日本人の政治家が鬱陵島を視察しようとした事で起こった騒ぎでも、
「今回は日本人の政治宣伝にしてやられた」と感想を述べる韓国人もいたようだ。その一方では
「テコンドーで日本人を懲らしめる」「唐辛子を空港にばら撒いて暴れる」などの伝統的な
韓国反応もあったが、冷静に分析でき、それを表明できる段階に韓国人が露出しはじめたのは、
韓国の夜明けも近い事を表している。現在は過渡期にあるようだ。
「反日」といえば「中国」もそのような傾向があるが、現在中国と韓国は、どちらが先に
「反日」という装置を使わずに国内統治を制御できるかを競争している立場にある。「反日から
の脱却」ができた時、はじめて日本と同列に立つ事ができる。最初から反日でなかった国から
すれば、「なにを今更」と見えるだろうが、近い国というのはなかなか和睦できないものだ。
「戦争の被害者」という立場を誇張しなくてもやっていけるようになった時、アジアで一番
困った民度の人たちがやっとアジア標準レベルになり、日本も脱亜論の地勢的矛盾から解放
されるのだ。えらい遠回りで徒に時間がかかっているが、避けられない道だ。
そして「韓国の反日」が政治的安定によってようやく収まった時、韓国人が抱える問題は皮肉
にも「日本の反韓」であり、「どうして日本人はいつまでも韓国を恨むのか」と不思議に思い、
その原因を知った時に反省や謝罪ができるかというと無論できる筈もない。「いつまで過去に
拘るのか」と厚顔無恥に言い放って益々「日本の反韓」が強まっていくのだ。このパラレルな
憎しみの構造は繰り返していくだろう。だから日韓関係は友好的にはならないという前提の
元で落とし所を見つけるべきであり、お互いに距離を保つしかないのだ。
次の大戦が終わるまでは。
ではない。このように書くと「そんなわけないだろ!国を挙げて反日じゃないか!」と日本人
なのに韓国人の得意技である「火病」を発症する人もいるようだ。ソウルだけでなく、地方都市
や田舎にも足を伸ばせば、「日本人」は大抵「珍しがられ、羨まれ、構われる」という経験を
する事になり、それは諸外国でのそれと大差ない。もし日本人とわかると直ちに石を投げてくる
ような国であれば、外務省が渡航を制限しているだろう。だから「深刻な反日」とはいえない。
韓国人の頭の中には「とあるルーチン」が強固に刷り込まれており、このルーチンは「戦争」
というキーワードを耳にすると勝手に動き出すようになっている。
「戦争→第二次大戦→日帝支配→自分たちは犠牲者」と自動的に連想する仕組みだ。もう一つ、
「日本」というキーワードに反応するルーチンがあり、「日本→韓国との比較→韓国は負けている
→勝たなければ」という自動連想が働く。これらは大抵の韓国人の頭に刷り込まれているが、この
ルーチンが敏感に作用する人とそうでない人がいる。教育程度の低すぎる人には刷り込めていない
し、高すぎる人はこのルーチンを多用しない。戦争世代の老人には事実を知られているので通用
しない。普通よりやや低能な韓国人に最も強く作用するルーチンだ。
で、現在の韓国アレルギーになった日本人は、この自動連想の性質を持って「韓国は反日だ」と
語るのだが、これを日本人に当てはめてみると「戦争→第二次大戦→原爆→自分たちは米帝の
犠牲者」「アメリカ→日本との比較→日本は負けている→勝たなければ」となる。よく似たもの
を日本人も持っているわけだ。無論お花畑左翼の連想はこれとは違うが、普遍的な日本人の連想
だろう。
ではこれをもって日本は「反米」なのかといえば、全く違う。「アメリカ文化かっちょええ!」
の時代があり、バブル期の「アメリカ人はバカだな」という見下しを経て、「まあアメさんも
色々大変だねえ」という価値相対化まで進んでいる。
「敗北ルーチン」は日韓双方に共通する自動連想だが、それは強国に対しての反感の原因には
ならない。現に日本人は「反米一色」になっていない。では韓国人から強く感じる「反日」は
どこから産まれているのだろうか。
pcfxはこの問題に関して「歴史的に根の深い問題」だとは思っていない。もっと軽薄で単純な
問題だと楽観している。よく「恨」の精神だとか「ずっと属国」だとかが原因と言われて
いるが、それがさほど強力に作用するのなら、日本人は「和」の精神や「島国根性」によって
戦争などせず国内事情ばかり注視する「気弱な土人」のままであったろう。しかし現実には、
日本では武家政治が長年台頭し、アジア地域でいち早く西欧文化を取り入れた。だから民族的な
精神性はエフェクト程度には作用しているかもしれないが、決定的な原因にはなっていないと
考えている。
さて韓国の「反日」だが、韓国で耳にし、また直接言われる「反日感情発言」を聞いていると、
「新興宗教にかぶれた人の話」によく似ていると感じる。昔「ライフスペース」という新興宗教
があり、その主催者や信者が「定説です」というフレーズを多用して話題になった事がある。
詳しくはググるなどしてもらうとして、「定説です」という言葉で思考停止する事によって、
世間の常識や合理性との矛盾の一切を捨て去る洗脳だ。まさに韓国人の「反日感情」がこの
「定説です」と同じで、韓国が置かれている相対的な立場の低さを思考停止するために作用
している。
ではこのような「思考停止」は韓国独自なものかといえば、全くそんな特殊性はなく、途上国民
には誰にでもある普遍的な「強がり」に過ぎない。韓国はその「強がり」が多少強いだけで、
「俺たちの国も負けてないぞ」という感情はどこに行っても聞く言葉だ。この「強がり」は、
実行が伴っていれば「ハングリー精神」として国威発揚の原動力となるが、伴っていない場合は
単なる欺瞞となって発展は停滞、若しくは後退する。韓国の場合、産業の一部については周りに
お膳立てされながらも一応は「発展」に作用したが、精神性や民度においては「停滞」に作用
した。しかしながら、その精神性や民度も、最近は少しずつではあるが前進している様子も
伺える。ネットや海外旅行・留学などによって、他国との相対化という「実行」が伴ってきて
いるのだろう。
韓国は「歴史捏造」が産業レベルまで進んでいるダメ国家だ。事実の改竄がマスプロダクトで
効率良く生産されている。これは「マイナスの実行」にあたるため、これを進めればどんどん
後退していく事になる。どこの国でも、国際政治的に多少の歴史捏造をするものだが、それらは
大抵の場合、コッソリヒッソリ行われている。そして矛盾を指摘されると、何かと反論しながら
も時間をかけてコッソリヒッソリ修正して、いつの間にか事実に置き換えていく事で後退を
防いでいる。しかし韓国が素直に歴史認識を国際基準に合わせると「中国の一地方でしかない」
という事実や、歴代の王が中国の地方官僚に土下座する立場でしかなかった事を認める事に
なるので、油断していると未だに領土拡大の野望に明け暮れている中国に今度こそ飲み込まれて
しまう。
よく「フリーチベット」を叫ぶ人がいるが、立場はチベットもネパールも韓国も同じなのだ。
昔は中国にとって東側の領土よりも西側の方が政治的に重要だったので、朝鮮半島の地方領主に
任せる程度で放置されてきたが、現在は東側も重要になってきているので危険性は上がってきて
いる。そのように考えると、北朝鮮とも停戦状態が続く崖っぷちの韓国の「強がり」は、日本に
対してではなく「中国」に向けられているものになる。だが、長年中国の属国だった韓国では
中国に楯突くのに慣れていないし、また抵抗を感じる。そこでとりあえず、吠えやすい「日本」
に対してワンワン吠えるのだ。だから韓国の「反日」などは、特に意味があるわけではないと
言うこともできる。これはアメリカに対しても同じで、韓国では反米も根強いが全力でアメリカ
に楯突くと怖いので、これも日本に吠えることで大部分を代理行為としている。
それら日本への八つ当たりも、いつまでも続くものではない。最近の「韓流」というウザい
プロモーションは、「韓国を認めて下さい」という、「ポスト反日」の活動だ。しかしそこは
日本と違って下から出るのが苦手な国であり、また日本よりも積極的なので、あのような形に
なってしまっている。日本文化は外国に「見つけられて」浸透していったが、韓国の現在の
文化は「日本製と見分けがつかない」または「劣化日本文化」なので、積極的に見てもらう
必要がある。だからとにかくメディアに露出しないと始まらないのだ。
これらのプロモーションが成功したとして、日本人が「韓流」をどう認識するようになるか
というと、「ああ、あの三流芸能ね」という認識が定着するだけのことだ。頑張っても「二流」
止まりだ。「韓国は二流・三流」という認識なら現在のそれと変わらないが、なぜ韓国が
そんなに必死に無駄な事をするのかというと、とにかく「韓国」という国のイメージを、
「比較にならない程低劣な国」から「微妙だけどまあまあな国」にレベルアップしたいようだ。
日本人ならこういうとき、「誠心誠意、真心込めて、地道に一から努力して」という行動を
取るものだが、韓国人にはそのような精神はないので「とりあえず対等か、上から叩きつける
ように強引に、できるだけ楽に、過程は飛ばして結果重視で」という態度になる。だから
一方で竹島を不法に実効支配しながら日本人に親しまれようとする矛盾があっても気にして
いない。だが日本人がその整合性を見逃す筈はなく、韓国の国家プロジェクトである「韓流」
も失敗に終わり、「やっぱ韓国は三流だな」という日本人の認識は揺らがない結果になるだろう。
そして「こんなに頑張ったのに韓国を認めない日本人」に逆恨みするのが韓国人のいつもの
パターンだ。今回もそうなるだろう。だが一方で、徐々にではあるが反省点を分析できる
韓国人も増えている。先日日本人の政治家が鬱陵島を視察しようとした事で起こった騒ぎでも、
「今回は日本人の政治宣伝にしてやられた」と感想を述べる韓国人もいたようだ。その一方では
「テコンドーで日本人を懲らしめる」「唐辛子を空港にばら撒いて暴れる」などの伝統的な
韓国反応もあったが、冷静に分析でき、それを表明できる段階に韓国人が露出しはじめたのは、
韓国の夜明けも近い事を表している。現在は過渡期にあるようだ。
「反日」といえば「中国」もそのような傾向があるが、現在中国と韓国は、どちらが先に
「反日」という装置を使わずに国内統治を制御できるかを競争している立場にある。「反日から
の脱却」ができた時、はじめて日本と同列に立つ事ができる。最初から反日でなかった国から
すれば、「なにを今更」と見えるだろうが、近い国というのはなかなか和睦できないものだ。
「戦争の被害者」という立場を誇張しなくてもやっていけるようになった時、アジアで一番
困った民度の人たちがやっとアジア標準レベルになり、日本も脱亜論の地勢的矛盾から解放
されるのだ。えらい遠回りで徒に時間がかかっているが、避けられない道だ。
そして「韓国の反日」が政治的安定によってようやく収まった時、韓国人が抱える問題は皮肉
にも「日本の反韓」であり、「どうして日本人はいつまでも韓国を恨むのか」と不思議に思い、
その原因を知った時に反省や謝罪ができるかというと無論できる筈もない。「いつまで過去に
拘るのか」と厚顔無恥に言い放って益々「日本の反韓」が強まっていくのだ。このパラレルな
憎しみの構造は繰り返していくだろう。だから日韓関係は友好的にはならないという前提の
元で落とし所を見つけるべきであり、お互いに距離を保つしかないのだ。
次の大戦が終わるまでは。