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命令本

2011年06月26日 | マンガとかアニメとかほんとか
ビジネス書などを読んでいると、「よく根拠もあいまいなことをこれだけ強気で書けるな」と
ムカついてくる事がある。経済学を振り回してはいるが、大抵は経済学者の論文のコピペで、
そこに勝手に主観と出展があいまいな統計を入れてくる。経済学自体が論拠として3流である
のに、さらにダメな味付けをして台無しにするのがビジネス書だ。

大体、ビジネス書というのは「読みたくて読む」という筋の本ではなく「誰かに脅迫されて読む」
たぐいの本だ。その上無料配布しているならともかく、内容に見合わない値段で販売されている
のが相場だ。だから余計に腹がたつ存在となる。

これは自己啓発系やハウツー本にも同様の傾向が見られる。「論拠があいまいな本を脅迫的に高い
金を出して買わされる」というシチュエーションが伴うので、すなわちこれらは全て詐欺師の
手口の本だ。そんな手口で売りつけてくる本が役立つわけがない。


さて、これらの本の多くに、「~しなさい」というタイトルがついている事がある。「儲けたければ
新聞を読みなさい」とか、「英語は耳で覚えなさい」とかだ。一体何様のつもりなんだろうか。
命令形の言葉は「ツンデレ幼女」と「肝っ玉母さん」だけに許された特権であるのに、誰の許可を
得て使っているのか。そしてそれを喜んでホイホイ買う連中の気が知れない。真性の社畜であり
思考停止でありマゾヒストだ。いわば変態本であり、ロリ本を規制するよりこちらのほうを発禁に
すべきなのは明らかだ。

本を販売するということは、面識のない他人へメッセージを送る事とほぼ等しいが、面識のない
他人にいきなりの命令である。もうこの時点で失礼であり、それが礼儀作法のハウツー本だったり
する場合には呆れてるばかりだ。また、知らないことに対して知的好奇心を働かせて手にとった
本なのに、「知らないことは恥」と言わんばかりの上から目線であり、「俺は知ってるもんね!
教えてやろうか?」という悪鬼のような態度である。では知らないことを世界で最も教えてくれる
「google先生」は上から目線だろうか?「google先生」は上から目線とかではなく、そんな無駄な
プロセスを初めから省いているのだ。

よからぬ下心を持っていたり、利己主義を隠している者というのは余計な修飾を必ずするものだ。
海外旅行先で詐欺師が近づいてくる時の手口も同じだ。最初は親切そうに声をかけてくるが、
その親切はこちらの要求を超え、こちらの要求と違うものに変わっていく。最終的にはこちらが
必要としないものを買わせるのだ。親切心のある者は、その場で最低限必要なことだけ、控えめに
手伝ってくれる。また、「俺に任せろ!」とか「大船に乗った気持ちでいろ」という奴に限って
信用が追いついてない。この言葉を聞くと逆に不安になる事が多かろう。


命令形の本は、いかにも自信がありそうだが、その過剰な自信に逆に不安になる。こちらが必要
とする事以上の大風呂敷を広げ、いつしかこちらが求めていない結果を強要してくる。失礼で
上から目線で、根拠があいまいで、その上欲しくもないのに高価だ。これら「命令本」など
買う必要はなく、詐欺を蔓延らせる事に手を貸すべきではない。会社で上司から進められても
読む必要がないことは、タイトルで既にわかるのだ。

「読みもしないで勝手なことを言うな!」という著者の意見もあるかもしれないが、上から目線の
タイトルをつけた時点でもう著者の負けだ。上から目線のタイトルにした論拠はどうせ語れまい。

「実際に役に立ったぞ!」という読者の意見もあろうが、失礼なタイトルの上から目線本を疑い
もなく購入している時点で選択眼のなさを証明してしまっている。どうせ選択理由を論理的に
語れまい。



この世で許される命令形の本があるとしたら、リアルツンデレ幼女が著者の「もっとわたしに
やさしくしなさい!」とかのタイトルだろう。もちろん朗読CD付きで、「cv.釘宮理恵」に限る。
それ以外は全部認めない。「ツヨシしっかりしなさい」は、かないみか効果により例外で
ギリギリセーフだ。


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