先日、山内賢が肺炎のために女子医大で死んだ。67歳だった。
葬儀は築地本願寺和田堀廟所で執り行われ、
和泉雅子女史、松原千恵子女史、吉永小百合女史らも参列したという。
はじめは左肺上葉の小細胞癌だったそうだが、いずれにしても、
肺はそれ自体が呼吸という大切な生命維持器官であるうえに、
肺癌は食道や脳に転移しやすい。つらい数年間だったことだろう。
兄の久保明はやや濃いめの二枚目だったが、芸能人としての
山内賢はこの世代の「感じのいい日本人」というイメージの典型だった。
歌のない楽器だけの米国のバンド、The Venturesが作った
"Ginza Lights"に"咳、声、喉に……"の永六輔が詞をつけた
「二人の銀座」を女優の和泉雅子女史とデュエットして
レコード売り上げ100万枚を突破した。
和泉女史は泰明小学校出の、本当の銀座っ子である。
故意に音程をはずす演技で歌ってる宮崎あおい女史とは違って、
北極点にまで到達してしまいそうなほどガチで音痴な
和泉雅子女史が詞の語句をやたらと促音化させて歌う。
その天真爛漫さをうまくエスコートするように、
山内賢がハイビートの8分音符に詞を重ねるさまが微笑ましかった。
(例によって、以下は音源から私が聴音して採詞採譜したものなので、
オリジナルとは異なってる箇所があるかと思うが、
悪しからず了承いただきたい)
[二人の銀座(永六輔=詞/ザ・ヴェンチャーズ=曲)]
<<待ちあわせて、歩く銀座。
灯点し頃、恋の銀座。
僕と君が、映るウィンドウ。
肩を寄せて、指をからませ、
二人の銀座>>
♪ラー・<ドー・・シー・ー>ラ│<シー・>ラー・・ーー・ーー│
>ファー・<シ>ラ・・<シー・>ラー│>ミー・ーー・・ーー・●●│
<ラー・<ドー・・シー・ー>ラ│<シー・>ラー・・ーー・ーー│
>ファー・<シ>ラ・・<シー・>ラー│>ミー・ーー・・ーー・●●│
>レー・レ<ファ・・<ラー・ファ>レ│<ラー・>ファ>レ・・<ラ>ファ・>レ<ラ│
>ドー・ド<ミ・・<ラー・>ミ>ド│<ララ・>ミ>ド・<ラ>ミ・>ド<ミ│
>シー・ーー・・ーー・ー<ファ│>ミー・>レー・・>ドー・>シー│
>ラー・ーー・・ーー・ーー│ーー・ーー・・ーー・●●♪
今日は3週間ほど前に数年ぶりに会った知り合いと
ランチをしてきた。ザギンでチャンネーとシースーならぬ、ステーキである。
そのステーキ屋が入ってるビルは、ドトールの創業者がオウナーで、
地下には有名な自営の高級カフェがあり、
階上のテナントも、吉祥、福臨門酒家などが入ってる。
私たちが乗ろうとしたエレヴェイターに400勝投手カネヤン一行が入ってきた。
6階を押したので游玄亭に行ったのだろう。やっぱり、
スポーツ選手はとしをとって腰が多少曲がっても
焼肉なんだろう。若い頃はさぞかし肉を丸呑み
swallowしてたことだろう。ともあれ、我々はステーキ階で降りた。
予約なしで大丈夫だろうと高をくくってたのだが、
相変わらずほとんど満席だった。
アペリティフにシャンパーニュを選び、発泡酒による胃酸の適度な分泌を促す。
くだけた飯にはビール、少し気取った食事にはシャンパーニュ、
というのが西洋流の食の常套である。かつて、
今のオヤジ世代が居酒屋で「とりあえず、ビール!」という慣習を築いたのは、
そうした理由もあったのである。料理は、
最高級佐賀牛のステーキ・コースを摂った。それなりに旨かったが、
前菜に臓物が出るので私はあまり満足できなかった。が、どこで
探してきたんだか、ここがいいという女性の要望に応えるためには、
モツも大好きと方便を使うのは当然である。
デザートの佐賀和栗の処理は私にはあまりよくなかったが、
酒粕のアイスクリームはまずまずだった。それに何より今日の収穫は、
この食事相手とまた昔のよしみが復活する雰囲気になったことである。
今、銀座の夜は終わるのが早い。
ネオンサインもオネエサンも最近はLEDに取って代わられてる。
それがいいのか悪いのかは、吉本多香美女史の父
黒部進と久保明の顔を十度に一度は取り違えてしまう
拙脳なる私にはなんともいえないが、
世の中が変わるのは常である。中学生のとき、
日比谷で映画を観て日本楽器(YAMAHA)の地下で輸入楽譜を買ったあと、
ブラジル豆が苦手な私だったが「カフェーパウリスタ」で無理して
「森のコーヒー」を飲んでた。この「銀ブラ」という言葉の由来店は今もあって、
平日でもけっこう混んでるようである。といっても、
どんなおしゃれな喫茶店でも室内が暗いのが嫌いだった私は
インテリアなどどうでも、煙草を吸う輩がいなければよかった。
山内賢は兄のようには大学は出てないがインテリだった。
「山はいいなぁ、元気になるよ」
という発癌前に上梓した著作のタイトルがむなしい。
「病はやだなぁ、厭気がさすよ」
という心境である。そんな初老の私の心の慰みは、やはり、
若くて頭の回転がいいきれいなおねえさんとの時間の共有である。
葬儀は築地本願寺和田堀廟所で執り行われ、
和泉雅子女史、松原千恵子女史、吉永小百合女史らも参列したという。
はじめは左肺上葉の小細胞癌だったそうだが、いずれにしても、
肺はそれ自体が呼吸という大切な生命維持器官であるうえに、
肺癌は食道や脳に転移しやすい。つらい数年間だったことだろう。
兄の久保明はやや濃いめの二枚目だったが、芸能人としての
山内賢はこの世代の「感じのいい日本人」というイメージの典型だった。
歌のない楽器だけの米国のバンド、The Venturesが作った
"Ginza Lights"に"咳、声、喉に……"の永六輔が詞をつけた
「二人の銀座」を女優の和泉雅子女史とデュエットして
レコード売り上げ100万枚を突破した。
和泉女史は泰明小学校出の、本当の銀座っ子である。
故意に音程をはずす演技で歌ってる宮崎あおい女史とは違って、
北極点にまで到達してしまいそうなほどガチで音痴な
和泉雅子女史が詞の語句をやたらと促音化させて歌う。
その天真爛漫さをうまくエスコートするように、
山内賢がハイビートの8分音符に詞を重ねるさまが微笑ましかった。
(例によって、以下は音源から私が聴音して採詞採譜したものなので、
オリジナルとは異なってる箇所があるかと思うが、
悪しからず了承いただきたい)
[二人の銀座(永六輔=詞/ザ・ヴェンチャーズ=曲)]
<<待ちあわせて、歩く銀座。
灯点し頃、恋の銀座。
僕と君が、映るウィンドウ。
肩を寄せて、指をからませ、
二人の銀座>>
♪ラー・<ドー・・シー・ー>ラ│<シー・>ラー・・ーー・ーー│
>ファー・<シ>ラ・・<シー・>ラー│>ミー・ーー・・ーー・●●│
<ラー・<ドー・・シー・ー>ラ│<シー・>ラー・・ーー・ーー│
>ファー・<シ>ラ・・<シー・>ラー│>ミー・ーー・・ーー・●●│
>レー・レ<ファ・・<ラー・ファ>レ│<ラー・>ファ>レ・・<ラ>ファ・>レ<ラ│
>ドー・ド<ミ・・<ラー・>ミ>ド│<ララ・>ミ>ド・<ラ>ミ・>ド<ミ│
>シー・ーー・・ーー・ー<ファ│>ミー・>レー・・>ドー・>シー│
>ラー・ーー・・ーー・ーー│ーー・ーー・・ーー・●●♪
今日は3週間ほど前に数年ぶりに会った知り合いと
ランチをしてきた。ザギンでチャンネーとシースーならぬ、ステーキである。
そのステーキ屋が入ってるビルは、ドトールの創業者がオウナーで、
地下には有名な自営の高級カフェがあり、
階上のテナントも、吉祥、福臨門酒家などが入ってる。
私たちが乗ろうとしたエレヴェイターに400勝投手カネヤン一行が入ってきた。
6階を押したので游玄亭に行ったのだろう。やっぱり、
スポーツ選手はとしをとって腰が多少曲がっても
焼肉なんだろう。若い頃はさぞかし肉を丸呑み
swallowしてたことだろう。ともあれ、我々はステーキ階で降りた。
予約なしで大丈夫だろうと高をくくってたのだが、
相変わらずほとんど満席だった。
アペリティフにシャンパーニュを選び、発泡酒による胃酸の適度な分泌を促す。
くだけた飯にはビール、少し気取った食事にはシャンパーニュ、
というのが西洋流の食の常套である。かつて、
今のオヤジ世代が居酒屋で「とりあえず、ビール!」という慣習を築いたのは、
そうした理由もあったのである。料理は、
最高級佐賀牛のステーキ・コースを摂った。それなりに旨かったが、
前菜に臓物が出るので私はあまり満足できなかった。が、どこで
探してきたんだか、ここがいいという女性の要望に応えるためには、
モツも大好きと方便を使うのは当然である。
デザートの佐賀和栗の処理は私にはあまりよくなかったが、
酒粕のアイスクリームはまずまずだった。それに何より今日の収穫は、
この食事相手とまた昔のよしみが復活する雰囲気になったことである。
今、銀座の夜は終わるのが早い。
ネオンサインもオネエサンも最近はLEDに取って代わられてる。
それがいいのか悪いのかは、吉本多香美女史の父
黒部進と久保明の顔を十度に一度は取り違えてしまう
拙脳なる私にはなんともいえないが、
世の中が変わるのは常である。中学生のとき、
日比谷で映画を観て日本楽器(YAMAHA)の地下で輸入楽譜を買ったあと、
ブラジル豆が苦手な私だったが「カフェーパウリスタ」で無理して
「森のコーヒー」を飲んでた。この「銀ブラ」という言葉の由来店は今もあって、
平日でもけっこう混んでるようである。といっても、
どんなおしゃれな喫茶店でも室内が暗いのが嫌いだった私は
インテリアなどどうでも、煙草を吸う輩がいなければよかった。
山内賢は兄のようには大学は出てないがインテリだった。
「山はいいなぁ、元気になるよ」
という発癌前に上梓した著作のタイトルがむなしい。
「病はやだなぁ、厭気がさすよ」
という心境である。そんな初老の私の心の慰みは、やはり、
若くて頭の回転がいいきれいなおねえさんとの時間の共有である。
passionbbbさんの古代史から家康にいたる壮大な考察コメントは小難しいかったです。
このなかで、着目したは桃太郎に従い鬼を討った3匹の猿・キジ(鳥)・犬です。これらを方角
にすると、不吉な丑寅と対になすかのような幸運が来るという西を指しており興味ぶかいです。
http://www.geocities.jp/ina570/6.html