市町村合併が行なわれて久しいが、その地域、地域のおまつりも、郷土の伝統文化として残されて行くわけで、夏祭りの期間も地域の慣わしを尊重すれば、市全体としては、おのずと長期に亘る事になる。
その行く夏の終わりを告げる諏訪神社の例大祭が、29日まで盛大に行なわれました。
お盆に帰郷出来なかった長男夫婦と2才の孫が、お祭りに合わせ28日に里帰りして、昨日の朝早く帰って行きました。
27日の子供たちによる、金魚台輪の町内曳き廻しには、孫は参加できずに残念でしたが、長男が幼少の折、着ていた祭り伴天を着せてもらい、ご満悦の笑顔です。
大きさも丁度良く、よくまぁ~取って置いたと云う事ですが愛犬ダックも、これを着た記念写真が残っています。
孫は、まつりパレードなるものを見るのは初めてで、県内外の、かわいらしいゆるキャラのパレードに、他の子供たちを見習って、親に抱っこされながら、触ったり握手して興奮していましたが、日本元祖スキーのレルヒさんの余りにも、でかいノッポのキャラクターにビックリ、大泣きしてしまいました。
各地伝統のおまつりは、その地域性が見え、体験せずとも訪ねるだけでも面白いが、今年の7月6日、村上の大祭を家内と初めて訪ねて参りました。
宵祭りの日でしたが、PCで調べれば、昨年は駅前にオシャギリ(屋台山車)が並んでいて圧巻です。全部は見なくともこれで十分と出かけて見れば、駅前にオシャギリは有りません。
駅の案内に聞くと、去年は何十周年かの記念とかで、オシャギリが駅前に集結したのだそうだ。
ちょうど今、オシャギリが各町内巡りをしている頃と聞き、駅から近い町内からオシャギリを散策です。
19台のオシャギリの内、4台のオシャギリを見て参りました。オシャギリの造りも色々あるんですね。味匠喜っ川の若旦那の参加されている山車も有りました。
お囃子の笛や太鼓は、小学生が勤め、その練習に学校を休校にするらしい。その分夏休みが短いのだそうだが、少子化と云えど結構な人数が居る。我が町の祭りのお囃子は、御年長者が勤めているが、老若男女参加で、その町のおだやかな伝統文化を感じて参りました。
そこへ行くと、29日の我が町の「帰り台輪」は、別名けんか台輪とも呼ばれ、血気盛んな若衆のまつりです。
「私の知っている新潟の人は、皆穏やかな人だけど、このお祭りは激しいですネ」は、嫁さんの弁であります。
夕方6時過ぎ、孫も諏訪神社の最前列でお参りし、息子夫婦と「帰り台輪」見物です。最初のもみ合い場所、通称「武者溜まり」へ行きますと、救急車が出動していて、男性が担架で運ばれて行くところでした。
後で聞くと、曳き手を取り締まる取締役が、相手の曳き手に投げつけられ、頭から落ちて身体がビクともしないのだそうだ。
場所を変え、通称「立売通り」の交差点で台輪を待つことに。ここも、もみ合いがあり曳き手がよくぶつかる所。
久々に私も見に行ってビックリしたのは、曳き手が綱を離し、台輪の場所と違う所で、もみ合いをやっている事だ。これでは「頭取」、「小頭」の指図は通じない。誰が統率をとるのか?これでは格闘技道場に通う連中の練習場、肝試しの場になっているのではないか?
これも私と同期のまだ祭りの世話役をやっているのに聞くと、自分も今年初めて分かったのだそうだ。台輪の連絡協議会かなにかで、かえって綱を持っているとケガをするとかの意見が通り、我が町内は反対したが、5対1で決まったのだそうだ。
あきれ返って話しになりません。
私たちがまつりに参加してた頃は、こんな統率の取れない事は、無かったですね。
もみ合いで、お互いの曳き手同志が熱くなれば、頭取が台輪の梶棒を振らさせ、綱と綱を離させ統率を計ったのです。
「これでは事件がおきるヨ」。「熱い大人がいなくなったナー」とは、昨日久々の居酒屋での友人の弁であります。