水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

山形へ その3

2007年11月30日 | 旅行

山形の旅の最終日。今日は東京まで帰らなくてはならない。みなごそごそとおきてきて片付けを始めた。お世話になった家の掃除をする。Kさんは相変わらず胸の上に手をそろえて寝続けている。さては昨日の夜柿をあまり食べなかったな、とぼくは思った(柿は二日酔いにキクらしい)。ほどなくしてKさんか起きてきて、Hさんが「昨日寝言言ってましたよ。『メール送りましたよ!』って」と伝えたら、そういえば夢の中でも仕事してたような気がする、とKさんがツブやいた。ジャパニーズサラリーマンに対する尊敬と哀れみの風がフッと部屋を通り過ぎた一瞬であった。こういう人たちのお陰でこの国の国力は保たれているに違いない。

掃除機をかけてコタツをしまい、キッチンを拭いてゴミをまとめた。さあ、出発! 本日は最上川沿いにうねうねと進み、山形市を見て、そこから行きとは違うルートで東京へ戻る予定である。天気がよければ最上川で紅葉を見ながらライン下りなどをすることも考慮に入れていたのだけれど、あいにく天気は曇りで寒く、時折細雨が降る空模様だったので、ライン下りはまたの機会に。あいにくの空模様だったが、この一週間後には実際に50cmも雪が積もったのだから、このとき降ったのが雨であったことに感謝すべきだろう。



最上川は日本最大級の河川である。こんな川をフネに乗って一寸法師のように流されたらさぞかし楽しいだろう。途中、車を止めてタコヤキを食べながら最上川の対岸にせまる見事な紅葉を眺めた。この彩り(いろどり)はどうだろう。そしてこの川の雄大さはどうだろう。この川がうねうねと流れて水田を潤し、酒もつくり、日本海に流れ込んでそこを良い漁場にし、そして観光資源にもなっている。川ってすごいなぁ。そして川をつくってるのは山だから、山もすごいなぁ。ぼくはすぐこうやって当たり前のことに感動してしまう。米沢藩の藩主である上杉家はこの最上川を整備して洪水を防ぎ水田を開いたといわれているのだが、さぞかし大変な工事だったに違いない。



そうしてぼくたちは山形市に到着した。三津屋という蕎麦やさんに入り、板蕎麦を注文する。円形のザルではなくて長方形の大きな板に蕎麦が盛ってあるのである。こういうスタイルは都市部では珍しいのではないだろうか。ぼくがよく知っている新潟のそばは、へぎそばといってここ山形と同じようなスタイルだけれど、蕎麦に海草が混ぜてあり少し緑色がかっているのが特徴である。ぼくは山形の蕎麦をするすると頂いた。イヤーこれはウマイ!いくらでも食べれそうだ。蕎麦っておいしいなぁ。山形最高!



ぼくたちは蕎麦を食した後、山形を発った。途中、栃木県佐野市のサービスエリアによってラーメンを食べた。Kさんはこの長い道のりをたった一人で運転してくれて、最後に東京駅の正面あたりにカッコよく車を止めて最後までぼくらを見送ってくれた。この偉大な友人に感謝! 東京駅はちょうど再開発が終わったばかりで、なんとかビルがそびえ立っていた。なんかオシャレである。ビルの地上階は全てスイーツのお店で占められているらしく、色とりどりでなんか楽しげである。豊かな国だなぁとぼくは思った。東京も豊かだし、山形も豊かだ。この旅で山形が好きになった。Kさん、ほんとうにありがとう!


山形へ その2

2007年11月30日 | 旅行


今日は丸一日かけて山形を堪能する日だ。東京よりいくぶん寒いものの、天気も快晴。昨晩イヤというほど柿を食べたから気分も快適(柿は二日酔いにいいらしい)。そそくさとみんな出発の準備を進めるが、家の主であるところのKさんがなかなか起きてこない。そういえばこの旅のために有給を取るのが大変だったとかいってたなぁ~と、みんなで胸に手を乗せて眠っているKさんに優しい視線を向けたのだった。ほどなくしてKさんが起き、準備をすませて、ぼくたちは出発した。まず向かうは日本酒の酒造「初孫」である。



初孫といえば大きなブランドだ。アメリカでも大きな日本食スーパーにいくと置いてあったように記憶している。酒造にはちょっとした博物館のような展示がなされていて大変勉強になった。大吟醸に使われるような研磨されたお米ってガラス球のように透明なんだなぁ。次に別室に通され、初孫についてまとめられたビデオを見せていただいた。その中に、職人さんへのインタビューがあった。その人は作業服を着て、ニッコニコの笑顔で酒造りの魅力を語っているのだが、惜しむらくは東北の訛りがあって一部理解できなかった。いや、しかしそれでいい。理解できれば記憶に残るというものではない。理解できないことで記憶に残る事だってあるのだ。

そして!いよいよ試飲ターイム!



有給を取った男たちの思いは熱い。「朝から日本酒のんでいいのか?」とは誰も問わない(注:ドライバーは飲んでません)。ぼくたちは女性の係員の方にすすめられてお酒を頂いた。う、うまい。どれを飲んでもおいしい。そりゃあ、純米吟醸がおいしいのだけれど、普段呑むお酒にはもう少し雑味があってもいいなぁ、とか、生酒は食前だなとか、いろんな楽しみ方ができそうなことが分かった。Aちゃんはゴキゲンで係りの人にたくさん質問をぶつけている。

その間にもぼくは手酌で試飲を続ける。この、「ご自分でついじゃってくださいね」というイージーな雰囲気がいい。ナパなんかのいいワイナリーにいくと$10とって小指の幅くらいしか液体をそそいでくれなかったりするけど、ここはアバウトである。グッドである。無論われわれは大いに買った。これから酒は初孫じゃ!

ぼくたちが次に向かったのは山居倉庫。昔ながらのつくりの大きな倉庫だ。地元の名産品がずらりと並んでいる。ぼくたちはみたらし5本を、4本ぶんの値段に負けてもらい、それを食べながら物色した。実家へ庄内柿を一箱送った。ここ酒田市はあの「おしん」の奉公先で有名なのだけれど、おしんもこの倉庫にやってきたのだろうか。こうして町を見る限り、酒田市は大変豊かで住みやすそうに見えて、あのすぐにでも泣き出してしまいそうな「おしん」がいる景色とどうも頭の中で繋がらない。けどきっと、明治とか大正のころの酒田はあんなふうだったんだろう。山村はもっと貧しかったに違いない。

こうしているうちにお昼時になった。ぼくたちは酒田港の方へ移動し、市場のすぐ横にある「とびしま」で昼食をとることにした。すさまじい活気のあるお店で、ぼくはウニ・イクラ丼をいただいた。ぼくはウニもイクラも大好きである(みんなそうか)。これは控えめにゆって人生最大級のシアワセである。「おとーさんおかーさん、ゴメンナサイっ!」と心の中で叫んで一口頂いたら、あまりのうまさにちょっとクラッときた。



われわれの一日はまだ終わらない。食事を終え、はじめてのウニ・イクラ丼のうまさに昇天しかけたぼくをEが現実世界に呼び戻してくれ、シアワセがつまったおなかをさすりながら車に乗り込んだ。日本海側の道をさらに北上。岩手のシンボル鳥海山へ。この山は2000m超えで、辿りついてみると頂上は雪を頂いていた。たいへん美しい山である。ふもとの森林はいい具合に色づいていた。ぼくたち5人を乗せた三菱デリカは鳥海山の道を登り始めた。上からの景色は格別だとKさんはいう。



しかしなんと、ドライブウェイは閉鎖されていた。例年ではこんなに早い時期に閉鎖されることはないという。今年の冬が寒くなるというのはどうやら本当らしかった。道路が閉鎖されていたのではしょうがないので、ぼくたちはさらに少し北上し、秋田県にちょっと入って(秋田県!)、散策途中に見つけた神社を歩いてみることに。金峰神社というところだ。滝があり(高さ26m!)、とても美しい場所だった。





それから近くの海岸へ出て、砂浜をみんなであるいた。山形は砂浜が多く、とても広い。風をふせぐための防風林も厚みがあって全体的に美しい。ちょうど夕暮れの時刻で、少し寒そうにして海岸に突っ立っているみんなの姿は少し哀愁が漂っていてなんだかカッコイイ。みんな無言で太陽を見送った。それからぼくらは鳥海温泉に入り(ごくらく)、隣のレストランで牡蠣フライかなんかを食べて岐路に着いた。



部屋にもどるとまたもや宴会の準備をして、さっそく初孫を開けた。うーん、最高ー。柿をたくさん食べる。昨日の夜のように雑談していると、日本酒特有のトロンとした心地よい眠気が訪れたのだった。Kさんはコタツの隅で先に寝てしまい、寝てしまったと思ったら突然「メール送りましたよ!」と寝言をいい、「今なんかいいました?」というHさんの問いに答えることなく翌朝まで動かなかったのであった。

もうちょっとつづく。


山形へ その1

2007年11月28日 | 旅行




五月雨を あつめてはやし 最上川         -松尾芭蕉

大変風流である。山形県。日本に帰ってからいろんなところに出かけている。出かけてみると、好奇心が強く揺さぶられ、その土地のことをもっと知りたいと思うようになる。ああ、ぼくはこの歳になるまであまりこの国のことを知らなかったのだなとつくづく思ったりする。しかしそれはけっして悪い感覚ではない。知りたいことがあるって、なんて素敵なことなんだろうとぼくは思う。

11月の二週目の週末、ぼくとEを含む仲良し5人組は山形へと出かけた。ぼくは日本は過去に新潟県より北へ行ったことがない。初めての東北である。関越自動車道を通って新潟の山々を抜け新潟市のあたりまで行き、そこから日本海側の国道を北上した。日が暮れていたので車窓から見える日本海は黒々としていた。

ずっと国道をのぼるとようやく広く平らな場所に出た。運転手のKさんにこれが庄内平野だよと教えてもらう。これが庄内平野かー。地理で習ったような気がする。そしてぼくたちは鶴岡を越えてようやく目的地である酒井にたどり着いた。東京の府中から6~7時間かかっただろうか。

ぼくたちは近所のスーパーで刺身とクチボソなどの魚、庄内柿(絶品)、サラダ、ビールなどを買い込みKさんのお宅にお邪魔してさっそく宴会を開いた。いぐさの匂いの残る畳に座り、温かなコタツに足を入れる。柿が卓上を飾り、魚の焼ける匂いがやってきた。このシチュエーションに外人さんが混じっていたら面白いだろうなぁと思う。まずはぼくたちの再会に、そして山形に乾杯!



それにしても、ロングドライブをして分かったんだけど日本って山が多いんだなぁ。平野なんて大きな河川の河口にしか存在しないのではないかと思える。まぁ、これも地理で習ったような気がするのだけれど。アメリカの景色とは何もかも違う。あきれるくらい広大な平野があるのだ、あの国には。けどまぁ、この日本の狭い国土にわずかばかりの平野があるのは、山々が雨を受け止め河を作り、その水流が長い時間をかけて土地をならしてくれたからということを考えれば、山の存在は大変有難いものである。そしてこれほどの量の澄んだ真水が手に入る国は少ないのではないかと思う。



Hさんがアメリカの出張の帰りにアメリカのビールを持って帰ってきてくれたので、それも飲む。かー、うまーい! シエラネバダ(ビールの名前)うまーい!ビール好きのみなさん、一度シエラネバダを飲んでみてください。決して軽くないビールを持って帰ってきてくれたHさんに感謝。みんなで雑談をし、ウルフルズや椎名林檎などを歌う。こうして山形の第一夜はアヤシクふけていったのであった。

つづく。


近況、上京した時のことなど その2

2007年11月27日 | カテゴリー外

山形旅行から帰ったぼくらは映画館で映画を観た。一つ目はBourne Ultimatum。政府の極秘プロジェクトとして誕生した暗殺者ボーンことマット・デーモンが自己の誕生の謎にせまるためにデッドヒートを繰り広げる話題作だ(なんか宣伝文句みたい)。ハラハラドキドキなのである。アメリカの映画はテンポがいいなぁ。ボーンシリーズの一つの見所はカーチェイスだと思うんだけど、これがまたスゴイ!一体どーやって撮影するんだろうと思う。リモコンでも使って車を操作するのだろうか? マット・デーモンは実際に秀才らしくて、ただワイルドなだけじゃなくてキレる役柄がいいと思った。

次にAlways 続・三丁目の夕日を観た。これもいい映画だった。いいユーモアがあったし、もちろん感動もあるし、演技もすばらしい。Bump of chickenの歌声がまた沁みるのだ。ストーリーが少々冗長かなとも思ったけれど、昭和を見せるための工夫があちこちにあったので、ああ親が子供の頃はあんな風だったのかななんて思いながら、時代への好奇心とともに物語を観た。面白い映画だった。また観たいなぁ。どうでもいいけど日本の映画館で飲むアイスティーはアメリカの映画館のアイスティーより5倍くらいおいしい。そのかわり量は半分くらいだけど。



Eの友人に会いに東京の王子へ。カリフォルニアのワインを手土産にお宅にお邪魔して、お昼ごはん(ラザニア)をご馳走になった。友人の彼氏がフランス人で、久しぶりに英語を使った。彼はフランスのシャンパーニュ地方の出身というだけあってワインをよく飲んだ。ぼくたちの持参したカリフォルニアワインをとてもおいしいといってくれたので嬉しかった。食後は外へ出て六義園に行き8割程度に色づいた紅葉を眺めた。手入れされた日本庭園は美しい。たくさんの人がカメラを手に散策していた。今日、山形には雪が降った。

それからしばらくEと静かな生活をし、部屋にあった「北の国から」のビデオなどをみていると(るーるるるる)また友人からお誘いがあった(こればっかです。本当に有難い)。一台の車で箱根に向かった。友人夫婦には赤ちゃんがいて、一緒に連れて行ったのだけれど、実に良い子であった。赤ちゃんがいると、周りのおとなは穏やかな気持ちになってしまうのだ。





ぼくたちは屋外でBBQをし、温泉に浸かり(ぼくはBOΦWYのNo NYを歌います)、山形の酒造で買い求めた日本酒をつるりつるりと飲んだ。一泊して、翌日は芦ノ湖、大涌谷の辺りをドライブした。大涌谷で車を降りて、振り向いたら大きな富士山がでーんとあってびっくりした。やっぱり富士は日本一の山である。





大涌谷で温泉(または地熱)で作った黒たまごを食べる。外側の殻は見事に黒いが、中はもちろん普通のゆでたまごだ。どうして黒くなるのか家に帰って調べてみたけれどどうやら温泉の鉄分によるものらしい。しかしどうして黒いのかはまだよく分からない。大涌谷の黒たまごは一つ食べるごとに寿命が7年延びるらしい。ぼくは二つ食べたので14年寿命が延びた。長生きしてたくさん何かの役に立ちたいと思う。もっと食べとけばよかったと、名古屋に帰ってきた今そう思う。自分の生きる方向性が定まっていない分だけ、大涌谷のたまごはぼくにとって哲学的ですらあった。


近況、上京した時のことなど その1

2007年11月26日 | カテゴリー外

帰国してからおよそ月に一度の割合で上京している。Eに会うためだ。ちょっと前にEもアメリカで働いていた仕事を辞めたので、二人とも時間だけはたっぷりとある。茅ヶ崎にある彼女のアパートからは海が近いので、天気の良い朝(といっても昼に近い)には二人で海岸まで散歩に出たりする。まずぼくの目はサーフの状態を確認し、江ノ島を眺め、伊豆大島を仰ぐ。伊豆大島が見えたらそれをEに報告して、次に富士山に取り掛かる。だいぶ空気が澄んでないことには、富士山は見えない。雪をかぶった堂々たる富士山を見ることが出来た日は、海岸に平行して通る歩道を富士山の方向へ歩く。何かいいことが起こりそうな予感がして嬉しくなる。



歳を取るごとに富士山を美しいと思うようになる。ほんとうにそうなのである。昔は富士山が美しいなどと思わなかった。けど今はうつくしいと思う。富士山への愛は時間に対して単調増加関数であるようだ。経験的にそう思うのだけど、証明の仕方は分からない。今日見る富士山が一番いい。



以前、知人の結婚式で一緒にギターを弾いた友人が山形旅行に行かないかとさそってくれた。彼自身は東京育ちなのだけれど、親の代まで山形で、今は家族が別荘のように使っている家があるという。ぼくとEは友人の誘いをありがたく受け、二泊三日の旅を友人と一緒に楽しんできた。ちょうど紅葉が見ごろで、たいへん美しかった。山形の旅の話はまた今度書こう。





山形から帰ってきた翌日はEと二人で東京へ出た。恵比寿のガーデンプレイスへ。ここは昔エビスビールがビールを造っていた所だ。現在はなんかおしゃれになっていてビールを試飲することができる。ぼくはここでエーデルピルスとエールを飲んだ。これが大変おいしい!エーデルピルス最高!はやく一般に販売してほしいのである。



ここのビールは一杯250円。お求め安くなっております。

一昔前の日本には本当においしいビールも、まずいビールも存在しなかったように思う。アメリカには昔からその両方があった。近年になって日本のビールにも幅が出てきたのではないだろうか。大変よろこばしいことである。

その昔、ブリア・サバランという人が「君が食べてきたものを言いたまえ。君がどんな人間かあててみせよう」とゆったといわれてるみたいなんだけど、これをビールに置き換えてみよう。例えば「ぼくはエビスが好きですけど普段は発泡酒飲んでます」と答えたら、君は実に誠実で実直だ、そのままがんばりなさい、ということになるかもしれない。あるいは、「運動の後はスーパードライだがや!」という答えだったら、君は体育会系でしかも名古屋だ、と見抜かれるかもしれない。こうやはり、ビールをもってして人の人格を察することが出来るくらいに幅があってほしいものである。

つづく。


三河湾は佐久島、スナメリに会う!

2007年11月02日 | カヤック

平日のお昼、フト思い立って車を借りて三河湾へ。一色町の恵比寿海岸でカヤックを組んで出艇した。無性に島を目指したい気持ちに駆られ、梶島にバウを向ける。いやしかし梶島は近すぎた。陸からほんの1km程度だから見る見るうちに島に近づいてしまう。ちがーう!もっと遠くがいい!ぼくはカヤックを90度右へ回転させ、三河湾最大の島、佐久島を目指した。直線距離で7km、帰りも7km、島の向こう側をぐるっとまわっておよそ6km、しめて20km。日没まで2時間半。完全なる凪ぎ。体調良好。

行ける!と思った。ヘッドランプもある。帰りの後半はナイトパドリングになるだろう。出艇場所である恵比寿海岸周辺はちょっとした観光地なので大きな旅館やホテルが多い。日没後は明かりも灯り、全体的に森っぽい風景の中できっと目立つはずだ。ぼくはおよそ1kmおきくらいに振り返って出艇場所の風景を頭に入れた。こうしておかないと、帰りの景色がまったく認識できずに出艇場所から1kmも離れた地点で一生懸命帰る場所を探している、なんてことがありえるのである。漕ぎ出したら後ろを見よ、である。ただし海況が変わったら引き返すつもりでいた。波のある海でのナイトパドリングは避けるべきだ。

陸と島の中間地点くらいで小休憩。ぼくはいい気分だった。漁船もいない。見渡す限りの凪ぎの海。水面が、まるで水銀のような重厚な光沢を放って微かに揺れている。音というものが重さを持っていて、鈍重な海に飲まれてしまってぼくまで辿りつかない・・・そんな想像をさせるくらい静かな海だった。再び漕ぎ始める。パドルが水を切る音だけが聞こえる。一定のリズムで。

佐久島についた。森しか見えず、ほんとうに人が住んでいるのだろうかと思う。島の西側にまわると小さな浜があった。白浜という場所のはずだ。遠浅で海底がよく見えた。夏にここでシュノーケルでもしたら楽しいかもしれない。さらにまわるとブーマー地帯が出てきたので、大きく迂回した。岩にヒットしたくないザマス。ちょくちょく民家が見えてきて、南側の大浦港にでる。このあたりには食事のできるところや民宿なんかもあるはずである。全体的になんとなくひっそりとしている様子だ。上陸しようかどうかすごく悩んだけど、時間が気になったので漕ぎ続けた。今日はただの偵察だ。南東にもブーマー地帯があったので大きく迂回。この辺りは太平洋のうねりが到達しているようでちょっと緊張感がある。夕焼けが始まった。

だんだんハイアングルの漕ぎで肩が疲れてきたので、ロウアングル漕ぎも混ぜて漕ぐ。ぼくのパドルはワイドブレードでハイアングル向きなのであるが、まー上手にやればロウアングルでも漕げる。それでもだんだん疲れてきて、休憩が多くなった。疲れるペースが早くなってきた。実は出艇前にロールケーキとアップルパイを食べたのだが、これがよくなかった。砂糖の取りすぎで軽い脱水症状になっていたらしい。砂糖の取りすぎはよくなーい! けどまぁ大丈夫な範囲だったので休憩をこまめにいれて漕いだ。

日が沈んで、ハァ~つかりた、とかなんとか言いながら(実際にいってる)、ちょっと長い休息を取っていたその時だった。音が聞こえたのでそちらを向くと、凪ぎの海に流線型の物体が上下していた。「!?」 なにかいる。ぼくは帽子を脱ぎ耳を澄ました。するとまたその物体が浮上してきた。スナメリ(イルカ)だ(たぶん)! ぶるっと体に感動が走る。「プシュー、ヘェェェ」という呼吸音が聞こえる。この「プシュー、ヘェェェ」をゆっくりと2、3度くりかえして、スナメリはぼくの背後へ消えていった。

それがぼくとスナメリとの出会いだった。まさか愛知の海でスナメリにあえるなんて、一体誰が想像できただろう(結構周知の事実らしいです)!途中で疲れて休憩をいれたりだとか、島に上陸しなかったりだとか、いやいや昼に食べたあのアップルパイまでもが、ぼくをスナメリに会わせるための導きであったのではないかとまで考え、ぼくはひとり感謝と興奮に浸った。後に調べたところ三河湾ではスナメリが生息していて、見かけるのはそれほど珍しいことではないということを知った。いやーそれにしてもびっくりしたなぁ!

出艇場所には迷うことなく戻ることが出来た。漕ぎ時間はちょうど3時間くらい。ウン、大体予想したとおりのツーリングが出来るようになってきたゾ。嬉しいな!今度は佐久島散策だ!