水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

高尾山ハイキング

2009年09月16日 | 散歩・ハイキング

8月22日、高尾山(たかおざん)にハイキングに出かけた。高尾山である。れっきとした東京の山である。ぼくの住んでいる横浜からだと電車で1時間半ほどで最寄り駅に着くことができる。近くてグッドである。今回一緒に行ったのはEと友人のナタリー。Eは、「白馬は登れないけど高尾山ならたぶん登れる」というというから頼りになる。

高尾山口から山へ向かい、6号自然研究路に入った。標高は、てっぺんでも600mくらいなので、森がモリモリしている。道は大変歩きやすい。時折トレイルランナーがじれったそうにぼくらを追い越して行った。トレイルランニングは今ひそかなブームなのだろうか。何人ものランナーとすれ違った。ぼくもカリフォルニアにいたころ、ちょっとトレイルランニングをやっていた時期があったけれど、あれは本当にキツいスポーツである。最終的に、自分に合うのはゆっくり時間をかけて移動することだと悟り、やめてしまった。





高尾山のてっぺんに着いたのが午前11時。カキ氷を食べ(実はぼくはビールと歌舞伎揚げをいただきました)、次の小仏城山(こぼとけしろやま)へ向かった。この道は、道幅も広く、歩いていて大変楽しい道のりであった。12時半くらいに小仏城山のてっぺんに到着。標高は670mほど。ここで持ってきたお弁当を食べた。本来ならここから南アルプスが見えるそうであるが、今日は曇っているため眺望はきかない。

帰りは違う道を使って帰ることに。



高尾山は修験者の人たちが今でも修行をしているという。下山をしていると「ろっこんしょうじょう、ろっこんしょうじょう・・・」という声がどこからともなくこだましてきた。六根清浄。目に諸々の不浄を見て心に諸々の不浄を見ず、である。



下山を終えたぼくらは近くの温泉により、7時間ほどのハイキングの汗を流した。久しぶりの楽しい日帰りの山登りであった。


西伊豆コースタルカヤックスの講習に参加する

2009年09月08日 | カヤック

以前から「シーカヤックをやってみたい!」といっていた友人に一度カヤックを漕いでもらおうと、海に誘った。合計6人。夏休みが終わった9月最初の土曜日を選んだ。温かい伊豆の海がいいと思った。みんな屋外で遊ぶのが好きな人たちだからきっといい思い出になるだろう。

ぼくが選んだアウトフィッターは村田泰裕さんが代表を務める西伊豆コースタルカヤックス(NCK)。村田さんは言わずと知れたシーカヤッカーである。カヤックでの日本列島縦断、クイーンシャーロット島一周などを達成した冒険家だ。NCKのイントロ講習に参加することにした。

9月5日。もしぼくにしっぽが生えていたらきっと大急ぎで振ってしまうくらいの晴天である。ゆるい東よりの風で波1~1.5m程度。湿度も低く、青い空がまぶしい。NCKのショップで受付をすませ、松崎の海岸に集合した。そう、今回はみんなにあわせてウィスパーはお休みである。レンタル艇はポリのペンギンであった。



村田さんのレッスンがはじまった。まずは陸上で、フットペダアル、スカート、ハッチ、フォワードストローク、バック、ブレーキの説明。サポートするスタッフも二人いて(客5人にガイド1人の割合とのこと)こまめに指導してくれた。そして、海へ!



アシスタントの米川さんがロールとリーンターンを見せてくれた。米川さんのフォームは実に華麗である。ぼくもこんな風に自在に艇を操れるようになりたいなあ。







そして松崎の湾を抜けて南下する。すぐ近くの洞窟へ入った。一つ目に入った洞窟はトンネルになっていて、みんなで並んで通り抜けた。二つ目の洞窟はずいぶん広く、全員で穴の中に入ることができた。みんなフネをゴンゴンとぶつけたりぶつけられたりしながらも、洞窟の雰囲気を楽しんでいるもよう。波も穏やかなので洞窟はすこぶる安全である。本当に今日はラッキーだなあ。



萩谷の浜に上陸。ここでランチ休憩となった。フランス人の友人が大きなマッシュルームケーキを焼いてきてくれたので、みんなでそれを分けて食べた。すっごいおいしい。インストラクターの人たちにもおすそ分けしたところ、大好評であった。

食事の後はシュノーケルをした。このあたりは岩がごろごろしていて、岩陰に魚がたくさん群れていた。青色に光る小さな魚もいた。ナマコは無防備に海底で昼寝をしていた。ぼくはPFDを着て、特別なことは何もせずただ波に揺られた。浮くナマコである。友人達も満足してくれたみたいだ。最初に「伊豆」と聞いて想像していたものよりも、実際の「伊豆」のほうがきっとよかったのであろう。



休憩中、村田さんと話をした。あの、クイーンシャーロット島200km漕破の時の話なんかは、テレビの放送とは少し違って、彼がガイドとして考えていたことが聞けて興味深かった。ぼくがこれまで漕いだ場所の話になると、彼は楽しく懐かしそうに、その土地その土地に関する思い出を語ってくれた。それぞれの地方に愛着があるのだなあと感じた。

再び、出発。岩地、石部のあたりまでのんびり漕ぎ進み、そこでターンして松崎へ向かった。

最後はみんなで楽しく沈脱などしながら、ガイドの人にレスキューしてもらった。そんな様子を見ていたらぼくもムズムズしてきた。ちょうどいい機会だからロールの練習をしよう。かれこれ一年やってない。失敗して、村田さんにレスキューされるのもまたいいだろう。ヨーシ!

ザブン。ブクブクブク。水中でひっくりかえった格好で、セットポジションを時間をかけて確かめた。スィープの軌跡が滑らかにイメージできたところで、動作に入る。一息に上体を回す。最後は上体が水からすぐに出てしまわないように・・・と意識した。気がついたらロールで起き上がっていた。イエーイ(喜ぶあたりがシロウト)

松崎に上陸した。あー楽しかった。みんなの表情もすごくいい。海水にどっぷり浸かったぼくらは、そのまま温泉に直行し、海を見ながら風呂に浸かったのだった。

今回、シーカヤックの楽しみ方として、ぼくとしては初めてのやり方だったわけだけれど、本当に楽しかった。みんなもそれぞれのハイライトがあったようで、それをきくのもまた面白い。シーカヤックやってみたい人、このゆびとーまれ!と言いたくなる、おとなの夏休みであった。


白馬岳(しろうまだけ)登山

2009年09月02日 | キャンプ

お盆休みのちょうど一週間前、三泊四日で白馬岳に登った。同行者は去年蝶ヶ岳に一緒に登ってくれたK治さん。今年も北アルプスか八ヶ岳に登りたいというぼくのワガママを寛大な心で聞き入れてくれ、無理矢理有給休暇まで取っていただいた(正確には「取らせた」)。万事において決断と行動が早い人だから、トントン拍子でプランが決定したのである。

7月30日(木)

会社に登山靴とザックのいでたちで現われたぼくを、同僚はポカーンとした表情で迎えてくれた。ぼくとしてはなるべく目立たないように気を消して出社したつもりだったんだけど、ひょっとしたら目立ってしまったかもしれない。まだ修行が足りないのである。

お昼の時間になると好奇心旺盛な連中がいつの間にかぼくのデスクに集まり、ぼくのストックやザックや靴を点検しだした。ぼくの勤める会社では登山はアーチェリーよりもマイナーである。

その日一日、ぼくは山シャツで仕事をし、午後6時、K治さんが会社まで迎えに来てくれた。一路白馬へ。

7月31日(金)

朝。車中泊のわりにはよく寝れた。7:00am、栂池(つがいけ)からロープウェイに20分乗り、栂池自然園駅へ。いよいよ山登りの開始である。ぼくらは静寂の登山道へ足を踏み入れた。



歩き出して二時間ほどで残雪が目の前に現われた。いちおうK治さんが軽アイゼンを持ってきてはいるけれど、傾斜がそれほど急ではなかったので、登山靴のまま歩き続ける。

600mほど登り、白馬大池へ到着。アルファ米の五目御飯で昼食。アルファ米、初めて食べるけれど、なかなかおいしいものだ。ここは標高およそ2400m。高原のいい香りの中でする食事はなにものにも代えがたい。

しかし食事が終わり、サテ白馬岳を目指しますか、という頃合になったのだが、どうもK治さんの様子がおかしい。気分が優れないという。いわれてみれば顔色もよくないように見える。どうやら軽い高山病の症状である。

山小屋の人に助言を求めると、以下のような返答が返ってきた。対処として、寝ないこと、温かくて甘い飲料を摂ること、じっとしていること、出来ればすぐに下山すること、そして非アスピリン系の解熱剤があれば服用するとラクになります、ということであった。あと、おしゃべりをするとよい、と教わった。ようするに高山病というのは脳の酸素不足が原因なのだから、なるべく脳に血流がいくようにすることが大事なのだそうだ。

ぼくらは大事をとって、本来のルートの半分の白馬大池で一泊することに決めた。下山か、停滞か、それとも白馬岳を目指すかは、明日の朝判断しよう、ということにしてこの日は早く眠りについたのであった。



高山病は性別、体格などにかかわり無くおきるものであるというのを、ぼくはその日山小屋に置いてあった本から学んだ。人によっては2000mくらいから不調が出るという。バスやロープウェイなど、短時間で高い標高にたどり着いた場合、すぐに上り始めるのではなく、ゆっくり準備をして休憩をしてから上り始めるほうが高所への順応が出来るそうである。また、山に行く前の数日は、十分な食事や休息をとる必要があるとのことが書かれていた。

8月1日、土曜日@白馬大池

テントで目覚める。曇り。

まわりを見渡すと、昨晩寝る前に確認したときよりもテントの数が増えていた。そういえば昨夜はうるさいグループが二組あって、悶々とさせられた。きっと本人たちは騒いでいるつもりはまったくないのだろう。しかし、夜の山の静寂は実にそら恐ろしいほどであって、テントの中で横になっていると、遠くのせせらぎの音がまるですぐそばに聞こえるものである。その中で人の声は本当によく響く。翌朝の行動に備え、夜は7時くらいに就寝する人がほとんどなのだから、7時以降の会話は必要最低限、9時以降は私語をつつしむべきである。




幸いなことにK治さんの体調は昨日より回復していた。翌朝、われわれはゆっくりと仕度をして、ゆっくりと歩き始めた。歩き始めが午前7時ころ。頂上までのコースタイムが4時間だから、午前中にはたどり着く計算だ。





無事に白馬岳の山頂を通過し、そこから少し下ったところにある白馬山荘に到着した。白馬山荘は日本で一番大きな山荘であるという。実に綺麗で立派であった。いわゆる山小屋の男ワールドとは違ってハイカラである。ぼくらは矢も盾もたまらず、山荘のレストランに駆け込みジョッキのビールで乾杯したのであった。このように、日本の山ではしょっちゅう小銭が必要になるので、ザックの取り出しやすいところにオサイフを入れておくのがよいのである。



この日の夜は白馬山荘からさらに20分ほど下ったところにある村営白馬岳山頂宿舎のテント場にテントを張った。



ザックを背負ってテント場にたどりつくと、通りがかった大学生の女の子二人が、「お疲れ様でしたー!」と笑顔で挨拶をしてくれた。「こんにちはー」とか「お先どうぞー」くらいしか言葉を交わさない山において、「お疲れ様でしたー!」という新しい言葉にぼくらはハッとした。ザックを背負ってテント場にたどりついたときに、ハツラツとした大学生の女の子二人に「お疲れ様でしたー!」と突然言われてトキメかない人がいるであろうか?少なくともK治さんは大変トキメいておった。まさか上でビールを飲んでましたとも言えずモジモジしていると、女性は大きなテントへ入っていってしまった。テントのフライには大きな文字で「○○大学山研部」と書かれていた。

ぼくたちは山研テントの横にテントを張った。夜になると雨が本格的になってきた。することもないのでテントでウィスキーを呑んだ。ウィスキーは2.5本分持ってきた。明らかにやりすぎである。今回ちょっといいスコッチを持ってきたのだけれど、こんな風にペットボトルでラッパ飲みしてるところを通の人が見たら口あんぐりだろうなあ。実はさらに泡盛が一本分あった。こいつはペットボトルに入れると透明なので、何度か水と間違えて飲みそうになった。

ヒマなのか、K治さんがガスランタンでスルメを焼き始めた。しぶすぎる。あぶられたスルメは実に香ばしく、ウィスキーにあった。うまい。いかんせん閉じた空間なのでぼくたち二人はおそらくかなりのスメル男(スルメ男)だったであろう。

酔ってくると、K治さんはぼくに「夕日を見せてあげたかった、せめて明日は早起きして朝日が見れるといいな!」とゆった。たしかに今日の午後は天気に恵まれなかった。山小屋の人に聞くとここのところ雨ばかりだという。白馬山荘では太陽光発電で電力の半分をまかなっているそうで、ここ一月ほど電気不足に悩んでいるそうである。山の眺望は天気次第なのだが、しかし天気の悪いおかげで登山客が少ないのも確かで、のびのびできた面もあったのも確かであった。

登山客の少ない理由はもうひとつあった。あの北海道トムラウシ山の事故である。ぼくは詳しいことはわからないが、山の人に聞くと事故の原因は日程・装備にも問題はあるものの、あの日のガイドの判断にあるという。あの日は引き返して停滞すべきだった、と。ぼく自身、シーカヤックでガイドツアーなどに出たりすることもあるので、この点は大いに教訓があると思った。たとえガイドがオーケーと言おうとも、自分が自然に出る以上、最終的な判断は自分自身がすることであって、撤退の判断はいつしも自分に責任があることと思おうと思ったのである。

この日の夜もうるさいグループがいた。オジサン3人だ。聞こうとしなくても聞こえてくるだ。9時を過ぎても景気よくやっているので、とうとうK治さんが彼らのテントまで行き注意を与えた。おそらくこれは過酷な山行をしているだろう山研の人たちのことを気遣ってのことだろうとぼくは察した。彼もその昔、大学時代山で鍛えたのだ。しかし驚いたことに、オジサンたちはそれでも私語をやめず、「オレは熊を見た」とかなんとかゆっていた。ぼくは寝袋の中で再び悶々としたが、やがて彼らも眠くなったみたいで、静かになった。

8月2日、日曜日

テントで目覚める。山頂宿舎で停滞の日。

腕時計の目覚ましで目が覚めた。昨日の酒のせいか、寝ぼけていたぼくは、あわてたマスオさんのようにメガネを探した。「明日は朝日を見よう!」といっていたK治さんを思い出し、ひょっとしてぼくを置いて山の上に一人行ってしまったのではないか、と一瞬不安に思ったのだ。しかし、メガネをかけたぼくの目にうつったのは、戦に負けたかわうそのようにゴロンと眠るK治さんの姿であった。

結局この日はずっと雨が降っていた。はっきりしない日であった。昼前にようやく雨が弱まったので、ぼくらは散歩にでた。テン場から杓子岳まで歩いた。荷物は置いてきたので体が軽い。天気の悪いせいか、すれ違う登山者も少なかった。確かに天気は優れなかったが、ずっと雲の中にいるような穏やかな気分であった。





遠くの沢のせせらぎが聞こえる。黒部川の支流らしい。自分のいる場所から、沢の音の聞こえる方へ向けて谷が形成されている。このあたりは谷といっても人が住んでいるような場所ではなく、ましてや道など通っていない。自分は今深い山の中にいる。それだけで嬉しかった。

夕方以降は、まるで昨日の繰り返しであった。変わった点といえば、ウィスキーに飽きて泡盛に移ったところと、雨でテントが浸水したことだ。20年もののこのテントはよく水を通した。さらにぼくがビールをこぼし、テントの中はちょっとしたカオスになった。明日は下山の予定。雨が上がるのを切に願いつつ、ぼくらは寝袋に入った。

8月3日、月曜日

テントで目覚める。最終日。

午前3時に目を覚ますと、雨の音はもう消えていた。撤収をし、パッキングする。期待を胸にテントの外へ出てみると、外は満点の星であった。見事に晴れている。流れ星まで見ることができた。

3:45、出発。4時過ぎに白馬岳山頂に到着。まだ誰もいない。ここでコッヘルを取り出して朝食にすることにした。昭和初期、強力(ごうりき)が人力で担ぎ上げたといわれる石碑の横に座り、朝日を待ちながら温かいラーメンをすすった。





白馬岳頂上、2932mから眺める朝日にぼくは興奮した。振り向くと剣岳の堂々たる姿があった。朝日に照らされた山肌が美しい。飛騨山脈の3000m近い山が連なり、南の方へ視線を移すと、そこには槍ヶ岳がそびえていた。去年は蝶ヶ岳からあの槍ヶ岳をぼくは見たのだった。



視線をそこから下へ向けると、白馬の大雪渓(だいせっけい)と呼ばれるスケールの大きな自然の造形がある。大雪渓は万年雪を抱いていて、夏でもここを上るのにはアイゼンを着用しなくてはならない。深く鋭利にえぐられたこの地形は、なんだか日本の山ではないようにも思えた。

最後の最後でようやく晴天に恵まれたことにぼくらは感動した。そして二日かけて上ってきた行程をがんばって下った。途中通り過ぎた白馬大池は夢の世界のように美しかった。



下山の途中でオカリナを吹く女性にあった。どこからか澄んだ音色が聴こえると、不思議に思って歩いていると、その女性が登山道の脇で一人オカリナを持ってたっていた。「素敵な音色ですね」と話しかけると、その人は嬉しそうに「今日は歩くのはやめてこうやって息の練習をしているんです」と答えてくれた。そして彼女はぼくたちの前で「エーデルワイス」を演奏してくれた。その演奏はとてもすばらしく、晴れた山の景色によくマッチした。ぼくたちは下山の疲れを忘れてその演奏を聴いた。

山行を終えたぼくらは、車に乗り込みカーナビを頼りに松本で楽器屋さんを探した。そしてぼくはオカリナを買った。衝動買いである。これからフィールドへ出るときに持っていこうと思った。軽いし小さいし、音もハーモニカよりきれいだ。そして自然の中で一人息の練習をするのだ。大事な果実を両手で包みむようにオカリナを吹いていたあの女性の姿を思い浮かべながら、ぼくはそんなことを思った。