水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

鎌倉を歩く

2008年02月10日 | カテゴリー外

晴れた週末、鎌倉を少し歩いた。鎌倉駅から長谷寺方面へ向かう。観光客がワイワイといるエリアはすぐに過ぎてしまって、鎌倉らしい町並みになる。



なつかしさとお洒落な感じのちょうどいい拮抗点。西高東低が崩れてまるで春みたいな陽気だ。

ぼくたちは一軒の店先で止まった。生麩を売る店だ。Eは去年どこかで食べた生麩(なまふ)のおいしさが忘れられないという。生麩でつつんだ饅頭とヨモギを練りこんだ生麩を一つ買い求めた。商品を包んでもらっている間じゅう、店の奥から、米を蒸すような、蒸し器の木の香りのような、なんともいい匂いが流れてくる。ほんわりとしてしまう。

自動販売機で温かいお茶を買って、長谷寺へ。線香を立てて本堂の金色の観音様にお参りする。本堂を出た右手には由比ガ浜が見渡せた。高台にでると地形がよくわかる。なるほど、海があって山に囲まれているから幕府が作られたんだなあ、とつぶやいてみる。一応決まりのように。






そこにある休憩所でぼくたちは先ほど買い求めた生麩饅頭を頂いた。小麦のグルテンのもっちりとしたコシのある感覚と、中のこしあんが絶妙。おいしい!生麩おいしい!



此れは梅なのだろうか、としばし考え込む。ちなみに明日は節分である。



ぼくたちは長谷寺を後にし、江ノ電の線路をまたぎ、由比ガ浜まで出た。サーファーはほとんどいない。カヤッカーもいない。いかにも透明度の高そうな海が穏やかに光っている。ぼくたちはそのへんでソーセージをふた袋買って、大通りに出て北上した。鎌倉のパタゴニアの横を通って駅付近まで出た。楽器屋さんでアコースティックギターの弦を3セット買う。ピックもいちよう買う。使えないけど。



最後に有名な鶴岡八幡宮を歩いた。大きい神社だなあ。鎌倉は緑があっていいなあ。だいぶ日が傾いてきて、指先が冷たい。そそくさと寝支度を始めるような、客の引いた小町通を抜けてぼくたちは駅へと向かった。


kayak dreamer

2008年01月24日 | カテゴリー外

いやー最近ずっと漕いでないのである。漕ぎたいなあ。うずうず。どうも就職活動が功を奏してきたみたいで、にわかに忙しくなってきた。連絡が取れないといけないので、なかなか旅に出れない。体もなまっているように思う。まぁ、今はきっとそういう時期なのだ。一時はなかなか仕事探しがうまくいかなくて、海岸でワカメを拾って潮干狩りでもしながら生きていこうかと半ば本気で考えていたのだけれど、どうやらその必要はなさそうな気配なのである。ありがたいことなのだ。

ぼくはこれまでミニマムパッキングを心がけてきたのだけれど、最近は少し違うスタイルもやってみたいと思うようになってきた。大きなタープとチェア。陸からアプローチできない浜で、焚き火と海の音を聴く。本を読む。カヤックに乗って海上を散歩する。砂浜でエクササイズをする。もしも別のカヤッカーが通りかかることがあれば、何か暖かいものでも出してあげる。こういうのもいいなあ。

今、窓の外では雪が降っている。おっと、今ぼくは神奈川県に来ている。それにしても盛大に降るなあ。積もりそうだ。

今朝夢の中でカヤックを漕いだ。それも、ブログで読ませていただいている他人のカヤックで、しかもぼくはアスファルトの下り坂でカヤックに乗ったまま滑り落ちるように漕いでいるのだ。ぼくはノリノリで、見事なパドルワークでクルマをよけ、くるりと反転し、リバースストロークでスーイスイ、フォワードストロークでスーイスイといった感じで、実に気分がいいのだ。あんなにうまくカヤックを漕げたことってない。フロイトならなんというだろう。フネ(女性の象徴)にのって、社会の秩序を乱しつつ(破壊の欲求)、縦横無尽に坂を滑る(オルガズム)。すなわちぼくの中に潜む未消化なリビドーを指摘されるかもしれない。自分でこう書いていて、そんなにオレはタメこんでるのかと情けなくなってしまうのだけど、違うんです。ぼくはただフネが漕ぎたい。

茅ヶ崎の海に猛烈な勢いで雪が降っている。ぼくがまだ小さかった頃、海に雨が降るのかどうか親に尋ねてみたことがある。そりゃあ降るさ、とぼくの父親はこともなげに答えてくれた。むしろ海のほうがたくさん雨が降る、陸より海のほうが広いからね、と。ひゃー、そうなのか!ぼくは仰天した。海に降る雨をぼくはまだ見たことがなかったのだ。それは想像するとなんだか不思議な光景だった。だからぼくは海に雨が降っている景色に出くわすと       今日は雪だけど       小さかった頃のことを少し思い出す。都内の交通機関に遅れが出た旨を伝えるテレビのニュースを聴きながら、海を白く煙らせる壮大な雪の景色をぼくは眺めていた。


師走はやっぱり忙しい

2007年12月25日 | カテゴリー外

師も走るくらい忙しいから師走。こーゆー名前の付け方は好きである。それはよしとして、ここ何日か本当にめまぐるしい。防備録として最近の出来事をちょっと書いておきたい。

まずキャリアフォーラムに参加するために東京はお台場へ。リクルートスーツを着てがんばる。リクルートというのは要するに「自分」を記述したいくつかのカードを持ったポーカーゲームのようなものである。カードをうまく使って自分に高値をつけさせるのだ。のだ、とはゆってもうまくいくこともあれば、なかなか思い通りにはいかないこともある。なかなか思い通りにいかないことを知ることは、社会勉強とも呼ばれている。ぼくも目下勉強中である。

お台場を少し観光して、Eの妹さんとwiiをしてあそぶ。スーツを脱ぎ捨てシャツの袖をまくり、大人気なく全力を使ったのはナイショである。翌日もお台場へ。一喜一憂のキャリアフォーラムを無事終え、名古屋へ帰る。移動中、推理小説にはまってしまって、寝れない。名古屋へついたら滅多に名古屋に帰らない地元の友達から連絡があり、居酒屋へ出撃。ほんの一杯のつもりで三杯飲む。

翌日はお泊りのクリスマス会。愛知県碧南市(へきなんし)の友人宅へ。ペペロンチーノを作ったら大好評だった。フフ、伊達に家事手伝いやってねーぜ。福井の友人がもってきた日本酒は、目じりが下がるくらいおいしかった。お酒を飲んで、みんなで雑魚寝。福井の彼はぼくが持参したエマージェンシーブランケット(銀色のシャカシャカするやつ)にくるまる。遠赤外線効果で「焼き芋になったみたいにぬくぬくでした」と感激の様子。ホームセンターの防災グッツ売り場で安く手に入ります。ただし長時間使うと蒸れます。どうでもいいけど、彼の福井訛りは立派なもので、帰りに店でカレーを食べたらウェイトレスの子が彼の注文を間違えたほどだった。来年の夏には福井でキャンプする約束をする。

クリスマス会から帰ると車の中にウィスパーとキャンプ道具一式を放り込んで、出発。行き先は三重県二見ヶ浦。伊勢のちょっと北に位置する海岸だ。そこでてっさんと会い、一緒に漕いだ。漕ぎ日記はまた今度。宿泊は某所にてテント泊。

家に帰り、家族とクリスマスの団欒。みんなでちゃんこ鍋を食べ、シャンパンを飲む。「塩ちゃんこにはシャンパンがあうねぇ」といっても賛同を得られるのが佐藤家のよいところである。鍋のシメは煮込みラーメン。

いやー、われながらよく動いた。これが昨日までの5日間のスケジュールである。東京への移動はすべて東名ハイウェイバスである。時間はかかるけど、なんか遠足に行くみたいでちょっと楽しい。そしてぼくはまた東京へ出かけようとしている。ある企業から二次面接によばれたのだ。がんばってきます。さぁ、スーツを着るんだ、自分。あと40分で出発だ!


近況、上京した時のことなど その2

2007年11月27日 | カテゴリー外

山形旅行から帰ったぼくらは映画館で映画を観た。一つ目はBourne Ultimatum。政府の極秘プロジェクトとして誕生した暗殺者ボーンことマット・デーモンが自己の誕生の謎にせまるためにデッドヒートを繰り広げる話題作だ(なんか宣伝文句みたい)。ハラハラドキドキなのである。アメリカの映画はテンポがいいなぁ。ボーンシリーズの一つの見所はカーチェイスだと思うんだけど、これがまたスゴイ!一体どーやって撮影するんだろうと思う。リモコンでも使って車を操作するのだろうか? マット・デーモンは実際に秀才らしくて、ただワイルドなだけじゃなくてキレる役柄がいいと思った。

次にAlways 続・三丁目の夕日を観た。これもいい映画だった。いいユーモアがあったし、もちろん感動もあるし、演技もすばらしい。Bump of chickenの歌声がまた沁みるのだ。ストーリーが少々冗長かなとも思ったけれど、昭和を見せるための工夫があちこちにあったので、ああ親が子供の頃はあんな風だったのかななんて思いながら、時代への好奇心とともに物語を観た。面白い映画だった。また観たいなぁ。どうでもいいけど日本の映画館で飲むアイスティーはアメリカの映画館のアイスティーより5倍くらいおいしい。そのかわり量は半分くらいだけど。



Eの友人に会いに東京の王子へ。カリフォルニアのワインを手土産にお宅にお邪魔して、お昼ごはん(ラザニア)をご馳走になった。友人の彼氏がフランス人で、久しぶりに英語を使った。彼はフランスのシャンパーニュ地方の出身というだけあってワインをよく飲んだ。ぼくたちの持参したカリフォルニアワインをとてもおいしいといってくれたので嬉しかった。食後は外へ出て六義園に行き8割程度に色づいた紅葉を眺めた。手入れされた日本庭園は美しい。たくさんの人がカメラを手に散策していた。今日、山形には雪が降った。

それからしばらくEと静かな生活をし、部屋にあった「北の国から」のビデオなどをみていると(るーるるるる)また友人からお誘いがあった(こればっかです。本当に有難い)。一台の車で箱根に向かった。友人夫婦には赤ちゃんがいて、一緒に連れて行ったのだけれど、実に良い子であった。赤ちゃんがいると、周りのおとなは穏やかな気持ちになってしまうのだ。





ぼくたちは屋外でBBQをし、温泉に浸かり(ぼくはBOΦWYのNo NYを歌います)、山形の酒造で買い求めた日本酒をつるりつるりと飲んだ。一泊して、翌日は芦ノ湖、大涌谷の辺りをドライブした。大涌谷で車を降りて、振り向いたら大きな富士山がでーんとあってびっくりした。やっぱり富士は日本一の山である。





大涌谷で温泉(または地熱)で作った黒たまごを食べる。外側の殻は見事に黒いが、中はもちろん普通のゆでたまごだ。どうして黒くなるのか家に帰って調べてみたけれどどうやら温泉の鉄分によるものらしい。しかしどうして黒いのかはまだよく分からない。大涌谷の黒たまごは一つ食べるごとに寿命が7年延びるらしい。ぼくは二つ食べたので14年寿命が延びた。長生きしてたくさん何かの役に立ちたいと思う。もっと食べとけばよかったと、名古屋に帰ってきた今そう思う。自分の生きる方向性が定まっていない分だけ、大涌谷のたまごはぼくにとって哲学的ですらあった。


近況、上京した時のことなど その1

2007年11月26日 | カテゴリー外

帰国してからおよそ月に一度の割合で上京している。Eに会うためだ。ちょっと前にEもアメリカで働いていた仕事を辞めたので、二人とも時間だけはたっぷりとある。茅ヶ崎にある彼女のアパートからは海が近いので、天気の良い朝(といっても昼に近い)には二人で海岸まで散歩に出たりする。まずぼくの目はサーフの状態を確認し、江ノ島を眺め、伊豆大島を仰ぐ。伊豆大島が見えたらそれをEに報告して、次に富士山に取り掛かる。だいぶ空気が澄んでないことには、富士山は見えない。雪をかぶった堂々たる富士山を見ることが出来た日は、海岸に平行して通る歩道を富士山の方向へ歩く。何かいいことが起こりそうな予感がして嬉しくなる。



歳を取るごとに富士山を美しいと思うようになる。ほんとうにそうなのである。昔は富士山が美しいなどと思わなかった。けど今はうつくしいと思う。富士山への愛は時間に対して単調増加関数であるようだ。経験的にそう思うのだけど、証明の仕方は分からない。今日見る富士山が一番いい。



以前、知人の結婚式で一緒にギターを弾いた友人が山形旅行に行かないかとさそってくれた。彼自身は東京育ちなのだけれど、親の代まで山形で、今は家族が別荘のように使っている家があるという。ぼくとEは友人の誘いをありがたく受け、二泊三日の旅を友人と一緒に楽しんできた。ちょうど紅葉が見ごろで、たいへん美しかった。山形の旅の話はまた今度書こう。





山形から帰ってきた翌日はEと二人で東京へ出た。恵比寿のガーデンプレイスへ。ここは昔エビスビールがビールを造っていた所だ。現在はなんかおしゃれになっていてビールを試飲することができる。ぼくはここでエーデルピルスとエールを飲んだ。これが大変おいしい!エーデルピルス最高!はやく一般に販売してほしいのである。



ここのビールは一杯250円。お求め安くなっております。

一昔前の日本には本当においしいビールも、まずいビールも存在しなかったように思う。アメリカには昔からその両方があった。近年になって日本のビールにも幅が出てきたのではないだろうか。大変よろこばしいことである。

その昔、ブリア・サバランという人が「君が食べてきたものを言いたまえ。君がどんな人間かあててみせよう」とゆったといわれてるみたいなんだけど、これをビールに置き換えてみよう。例えば「ぼくはエビスが好きですけど普段は発泡酒飲んでます」と答えたら、君は実に誠実で実直だ、そのままがんばりなさい、ということになるかもしれない。あるいは、「運動の後はスーパードライだがや!」という答えだったら、君は体育会系でしかも名古屋だ、と見抜かれるかもしれない。こうやはり、ビールをもってして人の人格を察することが出来るくらいに幅があってほしいものである。

つづく。


トランギア アルコールストーブ

2007年08月12日 | カテゴリー外

今週末北アルプスに登山に行くので最近自転車やランニングですこし体力を養っている。今日は自転車で名古屋の中心街、栄に出た。丸善の向かいにあるIBS石井スポーツという登山用品店が目的だ。

お店で前からちょっと気になっていたトランギアのアルコールストーブを購入!

ぼくはずっとPrimusのシンプルなガスストーブを使ってきた。とてもお気に入りのバーナーなのだけど、どうもあのガスカートリッジが気になっていた。ぼくはそもそもソロキャンプではあまりガスの使用料が多くないみたいだ。新品を持っていったとすると、あの中のほとんどのガスはただ家とキャンプサイトを往復するだけだよな、と思っちゃうのである。圧縮されてるので重さもまあまああるし、カートリッジ自体もそれなりに重い。ガスが無くなりかけたときは新しいやつを予備で持っていかなくてはならない。結構な重量なのだ。

これをごくシンプルなアルコールストーブに置き換えたらどうだろう? ストーブ本体がまず軽い(トランギアは110g)。それにアルコールも必要な量プラスアルファを持っていけばいい。アルコールを入れる容器は漏れなければなんでもいい。一泊二日のキャンプぐらいだと100ccも使わないと思う。それにアルコールの炎ってなんかノスタルジックである。

ただ、調理が終わったら、ガスストーブみたいにきゅっと栓を閉じればいいというわけではないから、あらかじめ適切な量のアルコールを入れなくてはならない。ちょっと修練がいるかもしれない。まあ調理の途中でなくなったら注げばいいだけだけど。あまったらそのまま燃やして炎を眺めていればいい。

さっそくストーブを出してみた。



本体は結構小さい。径が小さいというのは優れたストーブである。



このストーブはアルコールを入れる本体と火力調整のフタ(上の写真の左のやつ)と、今ひとつ用途不明の中蓋(右のやつ)である。この中蓋みたいなのはゴムが中にあるから火にかけてはいけない。

アルコールを30ccくらい入れてライターで火をつけてみる。



最初はこんな感じの炎だった。それが、



こんなに成長してしまった。驚きの火力である。ちなみに銀色のヤツは専用の五徳である。軽くて剛性もあってなかなかいい。

水道水を500cc分チタンのコッヘルに入れて沸騰するまでの時間を計ってみた。結果5分30秒。着火してすぐ、炎が安定してないうちから計測を始めている。クーラーの風で炎が少しブレていた(途中で気づいてクーラー止めました)のと、コッヘルのフタをしていたため沸騰に気がついたのが少し(?)遅れた(ぼくはバカだ)ということを考慮すると計測された時間は、ンーまーだいたい実際のフィールドではこんなもんなんじゃん?と楽天的に考えておこう。まぁ、3分茹でる袋麺だったら調理開始後8分30秒後に食べれます。ちなみにぼくは友人に「アルミ食べるとアルツハイマーになるよ」と言われたことが気になって気になって、未だにアルミのナベも皿も持っていないのだけれど、アルミのナベだったら熱伝導がチタンよりも圧倒的によいので燃費はさらに上がるだろう。しかしまぁ、世の中都合のいい方を取ろうとすると何らかのリスクを犯さなくてはならないというある種の真理が読み取れなくもない。ちなみにアルミ=アルツハイマー説は現在のところ医学的に立証されていないようです。

ちなみに火力調節のできるフタはつけずにやりました。アバウトな料理であれば使わなくてよいと思う。そのほうが火力が断然強いから。

最近トランギアのストームクッカーという、ストーブとコッヘルのシステムが反響を呼んでいるようだ。強風の中でも安定した火力が得られるという。けどまあぼくは風防は今のところ特に必要としてないし(いつもゆるくアルミフォイルを巻いている。これで充分)、コッヘル類も買い足したいと思っていないので今回はストーブだけを購入した。

トランギア。まさにソロキャンプにぴったりのツールである。このストーブはカッコイイ!


梅酒をつくる

2007年06月07日 | カテゴリー外

先日、母親と一緒に近所に住むおじいさんとおばあさんのところに呼ばれて訪ねていった。梅をあげるからおいでということだ。そうかあ、梅かあ。

おじいさんとおばあさんのお宅に着く。ガラガラーと威勢の良い音を立てて玄関の引き戸が開き、おばあさんがぼくらを座敷に通してくれた。座敷には87歳のおじいさんが座っていて、にこにこした笑顔でぼくたちを迎えてくれた。

お茶とお菓子と摘みたてのゆすらを頂く。「あんたも田舎の出ならこれ覚えとるだろう?ゆすら」と、おじいさんが言う。懐かしいですねえ、と母親は目を細めてゆすらをつまんだ。ぼくも一つつまんでみた。初めて食べる。「ゆすら」ってチェリーを小さくしたような果実で、味もチェリーに近い。ほのかに甘くて少しすっぱい。素朴な味であるがなんとなく栄養価は高そうな気がする。しかしなんといってもその色の美しいこと!こんなに鮮やかな赤色ってちょっとないんじゃないかと思う。

おじいさんは会話のふしぶしに、「・・・ほだでまーかんわ!足が悪うて。平地はいいんだが段差がいかんわな」といっては足をさすっている。けど顔は笑顔。何度も繰り返してそういうから足でももんであげようかなと思ったら、ぼくより母親がいち早く、「足首が張ってますね、もみましょうか」といってマッサージを始めた。

ほどなくしておばあさんが梅酒の入った大きなビンを二つも持ってきた。ぼくたちにくれるという。こんなにたくさん悪いです、というんだけど、おじいさんはピタンと手を額に当てては「わしものみてゃーが、あかん、酒は好きだが医者に止められとるもんで。頼むで持ってってくれや」という。ぼくたちは丁寧にお礼を言って梅酒を頂いた。フタを開けると梅のいい匂いがアルコールと混ざって鼻に届いた。

で、またこのビンがいかにも年代物に見えるのだ。フタが鉄で出来ていて、ところどころへこんで見事に黒く錆びている。閉まりもなんとなく悪くて、まさか戦前からあるんじゃないかと思ってぼくはしげしげと眺めてしまった。梅酒に錆の味がついてしまわないように、ビンとフタの間にビニール袋をかませてあった。小さなことだけど、こういう工夫ってえらいよなあと素直に感心してしまった。もちろんこうやって他人にポンとあげてしまえるのにもぼくは感心したし、感謝した。

帰りにまた一袋、採ったばかりの青梅を頂いた。大きな実だ。子どもの頃持ってた一番大きなスーパーボールくらいある。なんともありがたい。ぼくたちに恐縮させないように実にさりげなく当たり前のようにプレゼントしてくれる老夫婦の姿に、ぼくはまたまた感心してしまった。ぼくたちは採りたての梅のようにさわやかな気分で家に帰った。




さて、この青梅をどうしよう。梅干しなんて作ったことないしなあ。やっぱりこれも梅酒にして、来年飲むことにしよう。

まずは梅を洗って、しばし水につけておく。そしてザルにあげて水を切り、表面の水気がなくなるまで置いておいた。新たに買い求めた大口のビンに梅と氷砂糖を入れ、おしまいに麦焼酎をヒタヒタになるように注ぐ。たぶんこれでいいはずだ。これで来年の楽しみが一つ増えた。



まてよ・・・とぼくは思う。たしか梅って毒あるよな。梅は毒があるから生で食べてはいけないと聞いたことがある。ただ酒に漬けるだけで梅の毒って消えるのだろうか?まあきっとそうなんだろう。だってインターネットのレシピにも特別なことは書いてなかったしー。で、エー、不必要な忠告だとは思うのだけれど、「梅の毒」というのはいわゆる恥ずかしい病気のことではありませんので。詳しくは保健体育の教科書を参照してください。

さっき、漬けた梅酒を引っ張り出したのだけど、梅から水が出てしまったらしく梅が浮いてしまっていた。梅の乾燥が足りなかったか・・・。焼酎が多すぎたか・・・。けどまーいーや。梅酒っちゅーのはアバウトでいーのだ。きっと。初回にしては上出来だ(まだ飲んでないけど)

梅の実がなるころに降る雨だから梅雨。もうすぐこの国に雨の時期が始まる。


アメリカで出会った動物達 その2

2007年05月26日 | カテゴリー外

まあほかにもいろいろ動物はいた。一度ムササビを見たこともある。アメリカにムササビがいるのかどうかしらないけれど、あれはムササビだったに違いない(力説)!その頃ぼくはドライブが好きで、一人で山奥の細い道に入って行ってはこれは前人未踏の秘境なのだと一人悦に入っていた。綺麗な湖があるところがあって時々ぼくは車の中で昼寝を楽しんだりしていた。

その日もぼくは湖のそばで平和な午後のまどろみの中にいた。ふと目が覚めると馬にまたがった女性と目が合い、「ハーイ」と彼女の口が動いたと思ったら、パカランパカランと駆け出して山の急斜面を登ってあっというまに視界から消えてしまった。ぼくはびっくりした。ひょっとしたら200年位前の人がタイムトリップしてしまって、車に乗っていたぼくに会ってびっくりして逃げてしまったのではないだろうか、とすら思った。あれはひょっとしたら「ハーイ」じゃなくて「Wo-w!」だったのかもしれない。あと、同じ場所で二匹の野犬に襲われそうになったこともある(遊んでほしかっただけかも知れないけど)。ああ、思い出した。普通に田舎道を走っていたらウシが車道を歩いていたこともあったっけ。助手席越しに見るとウシは本当に大きくて、ぼくはウシを刺激しないようにソロリソロリと運転した(そういうことが可能かどうか知らないけど)。あの時は肝を冷やしたなあ。

とにかくいろんな小動物や野鳥がいた。しかしやはりきわめつけはバージニアの森の中で出会った熊(たぶんブラックベア)だろう。まだその頃ぼくはアウトドアを覚えたてで、森に入っていくのが楽しくて楽しくてしょうがなかった。しかし、アウトドア初心者が往々にしてそうであるように、テントと寝袋があれば世の中なんとかなると考えているような単細胞の持ち主であった。今思うと冷や汗ものである。ロクな装備もないくせになぜか荷物は多く、パッキングのパの字も知らないから、手に寝袋を抱えてぼくとEは山の奥へと入っていったのである。当然ぼくたちはすぐさま疲労し、どうしてこんな遠くまでやってきてこんなことをしているのかを疑問に感じ始めたころ、それは起きた。

がさがさっと左後ろのやぶから音が聞こえたので振り返ってみると、黒い熊がいた。オーノー!である。心の中のぼくはムンクの叫びの形相なのだけれど、Eの手前ぼくは冷静を装った。ぼくはEを前に歩かせて、危険を察知したら木の後ろに隠れるように指示した。熊は左手後方およそ20mのあたりでゴソゴソやってる。二匹いるみたいだ。たぶん親子だと思う。それほど大きくないようみ見えるけれど、明らかにぼくよりは体重がありそうだ。あまりぼくたちのことを意に介していないみたいでササの葉かなんか食べてる(それはパンダです)。ぼくはただただ気を消して、ぼくを含めた世界のすべてが熊の機嫌を損ねないでいてくれることを祈った。

まあ今こうしてキーボードに向かってるくらいだから、ぼくはその時熊に襲われなかったわけなのだが、もう少し熊がはやく出現していたらかなり至近距離で出会っていたことになってひょっとしたら大変なことになっていたかもしれない。つるかめつるかめ。後で知った話によると、そのあたりは全米で最もブラックベアの多い地域で、なんと1マイル四方に1頭の熊がいるという。これは確かに多い。で、熊に出会ってしまった時どうするか、である。よくいわれるのは、死んだフリをする、逃げる、木に登る、声を出す、両手を広げる、といった感じでいろいろあるみたいなのだけど、熊はけっこう賢く個体差もあるので、どの対処法がいちばんきくかは専門家でも実のところよく分からないというのだ。これはコワイですね。しかしまあ、木に登れない種類の熊もいるということだから山に入る前に一通り情報を求めておくといいでしょう。もっとも熊と出会って緊迫した空気の中でも木に登れると仮定しての話だけど。

一度だけ野生のフクロウだかミミズクだかを見たことがある。アパートのすぐ近くの林の中にそれはいた。ぼくはフラフラ歩いていて、何の気なしに林の中をのぞいてみたらフクロウだかミミズクだかがいたのだ。夜になるとよく声みたいなのが聞こえるので、きっといるんだろうなと思っていたのだけど、実際に見たときはびっくりしてしまった。幼いころからふくろうとかペンギンとかにはリスペクトを感じていたので、野生のフクロウを見たときはお会いできて光栄ですみたいな気分になった。けど、ふくろうってなんかすっごい鋭いオーラを出していて怖いくらいだった。あれじゃあ肩がこっちゃうよ。もっともふくろうに肩があればの話だけど。

アライグマと最初に出会ったときのことをこのブログに書いたと思う。食べ物をねだりにやってくる野性のアライグマにぼくは親近感を抱いてしまい、えさをあげようかどうか葛藤したのだった。そして今ぼくは断言する。あの時のぼくはバカだったと。あの後もぼくは幾度となくアライグマと遭遇しているのだけれど、奴らは地上のカラスである。人がごはんを食べてる最中に忍び寄り、隙あらば食べ物をかっさらって逃げてしまうのだ。ぼくも一度やられたし、ほかのキャンパーの叫び声も遠くで聞いた。あれは明らかに人間の身体能力を見下しているとぼくは思う。見下されてもしょうがないのかもしれないけど。日本の山にははたしてアライグマはいるのだろうか。

モントレーでEとカヤックを漕いだときは、あしかとかアザラシをたくさん見たなあ。あしかはほんとかわいくて、ぼくたちのタンデムの下を泳いだりしてくれた。あと野生のラッコを見た。こう書くとウソだろうと思われそうだけど、ほんとにお腹の上で貝か何かを叩いていた。ラッコはかわいい。モントレーのラッコは一昔前に絶滅したといわれていたのだが、水質が改善されてまた再びモントレーに住み着くようになったという。モントレーはほんとにいいところだなあ。モントレーで艇庫のある家にすめるのなら、ぼくは毎日パンとピクルスだけでもいい(ウソだけど)

ほかに動物といえば、Point Reyes で見たムース、オースティンで遊んだハクチョウ(ぼくのパドルを噛んで遊んでました)、ラボにうようよといたワイルドターキーやカモ、くらいだろうか。いやー楽しかったなー。

最後に今日の出来事も。ヒマなので神社に行ってハトに餌をあげたのだけど、勇気あるハトがぼくの腕にとまってくれた。動物ってなんか面白い。

おしまい。


アメリカで出会った動物達 その1

2007年05月25日 | カテゴリー外

自分のブログを読み返すと、時々思い出し笑いのような感じでくくくっと笑ってしまうことがある。何がいいかってゆうと、動物があたりまえのように出てくるのがなんかいい。アメリカの田舎にいると動物がいるのがそれほど特殊なこととは思えなくなってくるので、自分の残した記録なんかを見てみても、動物の登場に対してそれほど驚いていないというか、割と泰然自若としてる自分がいる。日本に帰ってきてから会った動物は今のところ犬とハトと今朝ぼくのシャツにひっついていたテントウムシくらいで(テントウムシは動物だろうか?)、街にあふれんばかりの個体数のヒト科のひと達は一体生態学的に見て上位に立っているのかどうなのか悩ましいところである。それはさておき、動物がいろいろいるというのは一つの豊かさではあるかもしれない。ちょっと今回はぼくがアメリカで出会った動物について書いてみたい。

ぼくが最初にいたオハイオ州の田舎には実に多くの動物がいた。アメリカに留学した経験を持つ人なら誰でも知ってると思うけど、まずキャンパスにはリスが多い。ぼくもはじめてその姿を見たときには、ここはなんて自然の豊かな場所なのだろうと心をふるわせたものである。たくさん写真も撮ったきがする(なぜか残っていないけど)。緑の多いキャンパスはぼくの目には楽園にうつり、巨大な図書館は過去の知が眠る聖域であった。いい時代だったなあ(とおい目)。というのはさておき、動物である。ぼくにはルームメイトがいて、そもそも彼が半分動物的だったのだが、彼はその上イタチを飼っていた。このイタチがやっかいでいっつもぼくの足を噛むのだ。放し飼いにされてて気を抜くとすぐに噛まれるので、ぼくはいつもソファの上であぐらをかいて食事をしたりしていた。結果皿をもって食事をすることになり思いっきりニッポン人であった。このイタチだけはぼくになつかなかったなあ。

あと、鹿はたくさんいた。大学にも出てくるし、道路にも出てくる。鹿は家族思いなので、4匹とかで行動して道を優雅に横切ったりして車を待たせたりすることもままある。まあ、それはそれでなかなか牧歌的でよかったりする。しかし、不幸なことなんだけど、高速道路で轢かれてしまう鹿が後を絶たないのだ。夏になるとその被害が多いみたいで、過去に何十匹もの哀れな亡骸(なきがら)をみてきた。鹿はもちろん一番かわいそうなのだけれど、衝突した車の方も被害は大きくて、ハイウェイでの衝突の場合廃車はまぬがれないと聞いたことがある。ぼくも過去に2度ほど運転中に鹿と接触しそうになったことがあったけれど、若かれし頃の反射神経で事無きを得た。それにしてもなぜ鹿はハイウェイに出てきてしまうのか?学習能力が乏しいとも言えるのだが、やはりぼくが思うに自然界には時速100kmで突進してくるものってないんじゃないだろうか。

実はアメリカでは今、鹿が増えすぎなのだそうである。鹿の社会では平和ボケが進行しているのかもしれない。ぼくのルームメイトはハンターで、よく週末になると鹿を撃ちに山に入っていった。よく獲物(鹿のステーキです)を持って帰ってきてくれたものだ。ある日の夕方、山に入った彼から電話が入った。しとめた鹿がひっぱれないから来てくれとかなんとか言っている。ぼくはなんかとてもワクワクしてきて、友人を呼んでみんなでルームメイトが待つ山へと向かっていった。

彼に案内されてその場所へ言ってみると、なるほど、ちょっとした谷に鹿が落ちてしまったらしく、足場が悪いため一人で引きずることができないのであった。彼はぼくにナイフを見せて、「大丈夫だ、もう内臓はとってあるから」という。よく分からないけれど、彼がいうんだから大丈夫だ。で、協議した結果、ぼくが鹿の上半身(?)を、別の友人が下半身を肩に担いで運ぶことになった。日が暮れてきたのでルームメイトはライトを照らして先頭に立ってもらうことに。足場が悪いし、こう、掴むべき取っ手みたいなのもないので、結構大変な作業であった。鹿のぼさぼさした感じの毛の質感を手に感じ、まだあたたかいよーな、まだやわらかいよーな肉感に対してあくまで鈍感になるべくひたすら心の目をつぶり、ぼくらは車のある場所までたどり着いた。ルームメイトは鹿を直接トランクへ収め、ブッチャーへと向かっていった。ほてった体と、なんか今日はとんでもないことをしたゾというもってき場のない高揚感を夜風で冷まし、ぼくはそこで友人と別れてアパートへ帰った。洗面所で手を洗い、ふと鏡をみると、ぼくのブルーのブルゾンは鹿の血で濡れてドス黒くなっていた。ゾーっとしたぼくは震える手でブルゾンを脱ぎ、即ポリ袋に突っ込んだのは言うまでもない。

つづく。



ナパバレー、ワイナリーめぐり

2007年03月27日 | カテゴリー外

この間友人カップルがわざわざ日本からぼくたちのところへ遊びに来てくれた。お酒好きの彼のこと、行く先は最初から決まってる。カリフォルニア、ナパバレーだ。ぼくと彼女は平日に有給をとって、彼らと一緒にナパバレーへ向かった。

モーテルで友人カップルをピックアップして車でナパバレーへ向かう。バークレーからおよそ1時間半ほどのところにあるよさそうなワイナリーをインスピレーションで選ぶ。最初に訪れたのはワイナリーロード29から一本東に平行に走るSilverado Trail沿いにある、Robert Sinskey Vineyards。建物が立派で美しい。ワイナリーロード29にはたくさんのワイナリーがあるけれど、そこから一本道を入ったりしてお気に入りのワイナリーを探すのが面白いと個人的に思う。



まだ出来て新しそうなワイナリーのテイスティングルームに入る。



まだ若い、けれどワインに情熱を持っている感じのお兄さんがぼくたちにサーブしてくれた。試飲は15ドルでおいしいフィンガーフードも付いてくる。サーブされるワインは白、赤あわせて5種類。ワインを二本買えば15ドルのテイスティング代が返ってくる。ぼくがここでおいしいと思ったのはMerlot(メルロー)。グラスに注がれて一口。くるくる回して一口。またくるくる回して一口。ワインが酸化してだんだん「開い」てくる。その開いてくる過程のどこかでおいしさがそのピークを迎える。テイスティングのために注がれるワインが少量なのは、ケチッてるわけではなくてテイスターにそのワインが開いていくのを味あわせるためである。ぼくは白ワインが好きだけれど、やはり嗜好品として赤ワインの持つ面白みって他に類をみないと思う。ぼくはこのワイナリーでMerlot、友人はCabernet Sauvignonを購入。ぼく以上の白ワイン派である彼が、赤を買うのをぼくははじめてみた。そのくらいここの赤ワインはおいしかった。



酔うほど飲んだわけじゃないが、昼食前に飲むワインはぼくたちを少しだけ上機嫌にした。新しい期待を持たせてくれそうな淡い高揚の中、ぼくたちは次なるワイナリーを目指した。いくつかのワイナリーでは、持ち込んだランチを食べれるようにピクニックテーブルを併設してあるところがあるという。テイスティング代もばかにならないし、レストランでさらにお金と時間を使うよりは、ピクニックスタイルで手軽にすませるほうがいい。この春の陽気ならなおさらだ。

ぼくたちはOakville Groceryというおしゃれななデリに寄り、サンドイッチやサラダなどを買い込んだ。



昼食の前に、デリの近くにあるOpus Oneという有名ワイナリーをのぞく。おそらくアメリカ産のワインでは最も高級なものを生産しているここのワイナリーは、テイスティングルームのある建造物を見るだけでも訪れる価値がある。ナパに初めてくる友人は建築の仕事をしているので、その現代のパンテノン宮殿(みたことないけど)のような建物に興味しんしんであった。



Opus Oneの気になるお味は・・・といいたいところだけれど、さすがにぼくふぜいの者がジーンズでつかつかと入っていける雰囲気にはないためテイスティングルームに入るのは自粛する。建物の外部と、玄関の吹き抜けのホールの写真だけ撮らせてもらった。しかし、この広い空間には、えもいわれぬいい香りが広がっていた。きっと素晴らしいワインなのだろう。ここのワイナリーでは一種類のワインしか置いてない。テイスティングは$25。ワインはおよそ一本$200。パリッとスノッブにおしゃれをして、一度ここで冒険をしてみるのもいいかもしれない。忘れえぬ思い出になるのはうけあいだ。

次に訪れたワイナリーは29号沿いにあるAlpha Omega。ここでテイスティング&ランチのつもり。期待にそぐわずここのワインもおいしい。白ワインをワリカンで一本購入する。昼食用である。庭でピクニックをしたいんだけど、とたずねてみたら、ワイングラスを人数分貸してくれ、白ワインを冷えたやつに代えてくれた。慣れた手つきでコルクも抜いてくれる。いいサービスだなあ。



ぼくたちは噴水のある池のそばに作られたデッキの上で、わきあいあいと食事をした。ぶどうの柵が整然と並んでいる。この時期はまだ葉っぱもついていない。夏に来たらこれが緑いっぱいになってきっと綺麗なんだろうな。サンドイッチを食べ、今まで見たこともないような太いピクルスをかじり、カニの身をつぶして揚げたcrab cakeをほおばる。いい温度に冷えた上品なシャドネーをゴクッといく。食べる飲む以上に忙しいのはおしゃべりのほうで、ぼくたちは終始笑い合っていた。

食事を終えた後もぼくらはまったりと過ごした。ワインが空になるころには、おしりに3インチくらい根っこが生えてしまっていた。けどしかしなんとか腰をあげ、次のワイナリーへと向かうことにする。さすがにぼくの運転はここまで。あまりお酒を飲まない彼女に交代してもらう。いやこれが助かるんだ、ほんと。

ここから少し北へ足を延ばして訪れたのは、ちょっと奥まったところにあるRombauer Vineyards。ここも高いがウマイ。ここも「当たり」である。柔らかな甘みを持つデザートワインに心が揺れたけれど、ここでぼくは香り高く、ほのかに甘いZinfandelを一本購入した。やはり他とは違うな!と思わせるワイナリーっていい。




Rombauerから出たぼくらは、最初のワイナリーのお兄ちゃんが教えてくれたお勧めのワイナリーに向かった。Duckhorn Vineyards。何でも訊いてみるもんである。



一見ちょっと大きめの家屋のように見えた建物だったが、中に入ってみるとなんとも上品な空間が広がっていた。グランドピアノがおいてある。本来は予約制なんだけど、今日は空きがあるからいいよ、ということでテーブルに通される。テイスティングでテーブルに案内されたのはここがはじめてだ。なにやら期待感が高まる。説明文の横に並べられた3つのグラスにワインが注がれる。今こうしてこれを書いている時点で相当記憶があいまいであるが、たしかここでは2種類のMerlotと、Cabernet Sauvignonを試飲した。値段はすこぶる高くて残念ながら買わなかったのだが、味はかなり上ランクであった。とくにここのMerloは今回飲んだ中で一番おいしかったと思う。

深酒をしているわけではないけど、やっぱり一日中こんなことしてると酔っ払う。みんななんかいい気分である。うーん、どうする?とぼくたちは相談しあった。どこもいいワイナリーだったね、と意見が一致したものの、(どのワインもちょっと高めだったよね)と友人の顔に書いてあるのをぼくは読み取った。いくら極上のワインでも、試飲しただけで購入できないのでは喜びも半分というもの。そこでぼくは「そうだ、最後にさ、安めで有名どころに行かない?」と提案した。それいいね!と息があって、ぼくらが向かったのはアメリカのスーパーマーケットではおなじみのBeringer。わざわざスーパーで買えるワインをテイスティングしなくても、と思わなくもないけれど、安くてウマイと知っていることのこの安心感はやはりありがたい。そんなわけでぼくらは堂々とBeringerを訪れた。



ここのワインはくわしく覚えてないけど、どれもバランスよくおいしい。本当に、え?と思うくらいおいしかった。しかもお求め安くなっています。リーゾナブルでウマイ、やはりこれがカリフォルニアワインだよな、とぼくは一人合点し勢いで3本も違う種類の白を購入してしまった。それまで高いワインばかり一日中見てたから、ぼくの中のワイン相場がすっかり狂ってしまったようだ。ここのワインが異常に安くぼくの目には写ったのである。いやしかし、この一日ですっかりナマイキになったぼくの舌に堪えるクオリティだったわけだから、やはりここのワインは大したものだ。

のんべえがそろうと一日はこうなる、という見本のような日であった。ぼくたちはナパバレーを発ち南へむかった。友人カップルをサンフランシスコのフィッシャーマンズ・ワーフ付近のホテルへ送り届ける。派手なライトと人の群れのフィッシャーマンズ・ワーフ。もう日も暮れて、夕食の時間である。ぼくらは海のかおりの中を少し歩いて、よさそうなレストランを探して入った。



レストランのテーブルに座る。今日はのんだねえ、と友人。そうですねえ、とぼく。友人との最後の夜。けど今夜はちょっともう、ワインを飲む気になれない。注文をとりにきたウエイターにぼくはさっぱりしたスパゲティとビールを頼んだ。あ、やっぱり?と笑った友人も、人差し指を立ててぼくと同じビールを頼んだのであった。