水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

アメリカで出会った動物達 その2

2007年05月26日 | カテゴリー外

まあほかにもいろいろ動物はいた。一度ムササビを見たこともある。アメリカにムササビがいるのかどうかしらないけれど、あれはムササビだったに違いない(力説)!その頃ぼくはドライブが好きで、一人で山奥の細い道に入って行ってはこれは前人未踏の秘境なのだと一人悦に入っていた。綺麗な湖があるところがあって時々ぼくは車の中で昼寝を楽しんだりしていた。

その日もぼくは湖のそばで平和な午後のまどろみの中にいた。ふと目が覚めると馬にまたがった女性と目が合い、「ハーイ」と彼女の口が動いたと思ったら、パカランパカランと駆け出して山の急斜面を登ってあっというまに視界から消えてしまった。ぼくはびっくりした。ひょっとしたら200年位前の人がタイムトリップしてしまって、車に乗っていたぼくに会ってびっくりして逃げてしまったのではないだろうか、とすら思った。あれはひょっとしたら「ハーイ」じゃなくて「Wo-w!」だったのかもしれない。あと、同じ場所で二匹の野犬に襲われそうになったこともある(遊んでほしかっただけかも知れないけど)。ああ、思い出した。普通に田舎道を走っていたらウシが車道を歩いていたこともあったっけ。助手席越しに見るとウシは本当に大きくて、ぼくはウシを刺激しないようにソロリソロリと運転した(そういうことが可能かどうか知らないけど)。あの時は肝を冷やしたなあ。

とにかくいろんな小動物や野鳥がいた。しかしやはりきわめつけはバージニアの森の中で出会った熊(たぶんブラックベア)だろう。まだその頃ぼくはアウトドアを覚えたてで、森に入っていくのが楽しくて楽しくてしょうがなかった。しかし、アウトドア初心者が往々にしてそうであるように、テントと寝袋があれば世の中なんとかなると考えているような単細胞の持ち主であった。今思うと冷や汗ものである。ロクな装備もないくせになぜか荷物は多く、パッキングのパの字も知らないから、手に寝袋を抱えてぼくとEは山の奥へと入っていったのである。当然ぼくたちはすぐさま疲労し、どうしてこんな遠くまでやってきてこんなことをしているのかを疑問に感じ始めたころ、それは起きた。

がさがさっと左後ろのやぶから音が聞こえたので振り返ってみると、黒い熊がいた。オーノー!である。心の中のぼくはムンクの叫びの形相なのだけれど、Eの手前ぼくは冷静を装った。ぼくはEを前に歩かせて、危険を察知したら木の後ろに隠れるように指示した。熊は左手後方およそ20mのあたりでゴソゴソやってる。二匹いるみたいだ。たぶん親子だと思う。それほど大きくないようみ見えるけれど、明らかにぼくよりは体重がありそうだ。あまりぼくたちのことを意に介していないみたいでササの葉かなんか食べてる(それはパンダです)。ぼくはただただ気を消して、ぼくを含めた世界のすべてが熊の機嫌を損ねないでいてくれることを祈った。

まあ今こうしてキーボードに向かってるくらいだから、ぼくはその時熊に襲われなかったわけなのだが、もう少し熊がはやく出現していたらかなり至近距離で出会っていたことになってひょっとしたら大変なことになっていたかもしれない。つるかめつるかめ。後で知った話によると、そのあたりは全米で最もブラックベアの多い地域で、なんと1マイル四方に1頭の熊がいるという。これは確かに多い。で、熊に出会ってしまった時どうするか、である。よくいわれるのは、死んだフリをする、逃げる、木に登る、声を出す、両手を広げる、といった感じでいろいろあるみたいなのだけど、熊はけっこう賢く個体差もあるので、どの対処法がいちばんきくかは専門家でも実のところよく分からないというのだ。これはコワイですね。しかしまあ、木に登れない種類の熊もいるということだから山に入る前に一通り情報を求めておくといいでしょう。もっとも熊と出会って緊迫した空気の中でも木に登れると仮定しての話だけど。

一度だけ野生のフクロウだかミミズクだかを見たことがある。アパートのすぐ近くの林の中にそれはいた。ぼくはフラフラ歩いていて、何の気なしに林の中をのぞいてみたらフクロウだかミミズクだかがいたのだ。夜になるとよく声みたいなのが聞こえるので、きっといるんだろうなと思っていたのだけど、実際に見たときはびっくりしてしまった。幼いころからふくろうとかペンギンとかにはリスペクトを感じていたので、野生のフクロウを見たときはお会いできて光栄ですみたいな気分になった。けど、ふくろうってなんかすっごい鋭いオーラを出していて怖いくらいだった。あれじゃあ肩がこっちゃうよ。もっともふくろうに肩があればの話だけど。

アライグマと最初に出会ったときのことをこのブログに書いたと思う。食べ物をねだりにやってくる野性のアライグマにぼくは親近感を抱いてしまい、えさをあげようかどうか葛藤したのだった。そして今ぼくは断言する。あの時のぼくはバカだったと。あの後もぼくは幾度となくアライグマと遭遇しているのだけれど、奴らは地上のカラスである。人がごはんを食べてる最中に忍び寄り、隙あらば食べ物をかっさらって逃げてしまうのだ。ぼくも一度やられたし、ほかのキャンパーの叫び声も遠くで聞いた。あれは明らかに人間の身体能力を見下しているとぼくは思う。見下されてもしょうがないのかもしれないけど。日本の山にははたしてアライグマはいるのだろうか。

モントレーでEとカヤックを漕いだときは、あしかとかアザラシをたくさん見たなあ。あしかはほんとかわいくて、ぼくたちのタンデムの下を泳いだりしてくれた。あと野生のラッコを見た。こう書くとウソだろうと思われそうだけど、ほんとにお腹の上で貝か何かを叩いていた。ラッコはかわいい。モントレーのラッコは一昔前に絶滅したといわれていたのだが、水質が改善されてまた再びモントレーに住み着くようになったという。モントレーはほんとにいいところだなあ。モントレーで艇庫のある家にすめるのなら、ぼくは毎日パンとピクルスだけでもいい(ウソだけど)

ほかに動物といえば、Point Reyes で見たムース、オースティンで遊んだハクチョウ(ぼくのパドルを噛んで遊んでました)、ラボにうようよといたワイルドターキーやカモ、くらいだろうか。いやー楽しかったなー。

最後に今日の出来事も。ヒマなので神社に行ってハトに餌をあげたのだけど、勇気あるハトがぼくの腕にとまってくれた。動物ってなんか面白い。

おしまい。


アメリカで出会った動物達 その1

2007年05月25日 | カテゴリー外

自分のブログを読み返すと、時々思い出し笑いのような感じでくくくっと笑ってしまうことがある。何がいいかってゆうと、動物があたりまえのように出てくるのがなんかいい。アメリカの田舎にいると動物がいるのがそれほど特殊なこととは思えなくなってくるので、自分の残した記録なんかを見てみても、動物の登場に対してそれほど驚いていないというか、割と泰然自若としてる自分がいる。日本に帰ってきてから会った動物は今のところ犬とハトと今朝ぼくのシャツにひっついていたテントウムシくらいで(テントウムシは動物だろうか?)、街にあふれんばかりの個体数のヒト科のひと達は一体生態学的に見て上位に立っているのかどうなのか悩ましいところである。それはさておき、動物がいろいろいるというのは一つの豊かさではあるかもしれない。ちょっと今回はぼくがアメリカで出会った動物について書いてみたい。

ぼくが最初にいたオハイオ州の田舎には実に多くの動物がいた。アメリカに留学した経験を持つ人なら誰でも知ってると思うけど、まずキャンパスにはリスが多い。ぼくもはじめてその姿を見たときには、ここはなんて自然の豊かな場所なのだろうと心をふるわせたものである。たくさん写真も撮ったきがする(なぜか残っていないけど)。緑の多いキャンパスはぼくの目には楽園にうつり、巨大な図書館は過去の知が眠る聖域であった。いい時代だったなあ(とおい目)。というのはさておき、動物である。ぼくにはルームメイトがいて、そもそも彼が半分動物的だったのだが、彼はその上イタチを飼っていた。このイタチがやっかいでいっつもぼくの足を噛むのだ。放し飼いにされてて気を抜くとすぐに噛まれるので、ぼくはいつもソファの上であぐらをかいて食事をしたりしていた。結果皿をもって食事をすることになり思いっきりニッポン人であった。このイタチだけはぼくになつかなかったなあ。

あと、鹿はたくさんいた。大学にも出てくるし、道路にも出てくる。鹿は家族思いなので、4匹とかで行動して道を優雅に横切ったりして車を待たせたりすることもままある。まあ、それはそれでなかなか牧歌的でよかったりする。しかし、不幸なことなんだけど、高速道路で轢かれてしまう鹿が後を絶たないのだ。夏になるとその被害が多いみたいで、過去に何十匹もの哀れな亡骸(なきがら)をみてきた。鹿はもちろん一番かわいそうなのだけれど、衝突した車の方も被害は大きくて、ハイウェイでの衝突の場合廃車はまぬがれないと聞いたことがある。ぼくも過去に2度ほど運転中に鹿と接触しそうになったことがあったけれど、若かれし頃の反射神経で事無きを得た。それにしてもなぜ鹿はハイウェイに出てきてしまうのか?学習能力が乏しいとも言えるのだが、やはりぼくが思うに自然界には時速100kmで突進してくるものってないんじゃないだろうか。

実はアメリカでは今、鹿が増えすぎなのだそうである。鹿の社会では平和ボケが進行しているのかもしれない。ぼくのルームメイトはハンターで、よく週末になると鹿を撃ちに山に入っていった。よく獲物(鹿のステーキです)を持って帰ってきてくれたものだ。ある日の夕方、山に入った彼から電話が入った。しとめた鹿がひっぱれないから来てくれとかなんとか言っている。ぼくはなんかとてもワクワクしてきて、友人を呼んでみんなでルームメイトが待つ山へと向かっていった。

彼に案内されてその場所へ言ってみると、なるほど、ちょっとした谷に鹿が落ちてしまったらしく、足場が悪いため一人で引きずることができないのであった。彼はぼくにナイフを見せて、「大丈夫だ、もう内臓はとってあるから」という。よく分からないけれど、彼がいうんだから大丈夫だ。で、協議した結果、ぼくが鹿の上半身(?)を、別の友人が下半身を肩に担いで運ぶことになった。日が暮れてきたのでルームメイトはライトを照らして先頭に立ってもらうことに。足場が悪いし、こう、掴むべき取っ手みたいなのもないので、結構大変な作業であった。鹿のぼさぼさした感じの毛の質感を手に感じ、まだあたたかいよーな、まだやわらかいよーな肉感に対してあくまで鈍感になるべくひたすら心の目をつぶり、ぼくらは車のある場所までたどり着いた。ルームメイトは鹿を直接トランクへ収め、ブッチャーへと向かっていった。ほてった体と、なんか今日はとんでもないことをしたゾというもってき場のない高揚感を夜風で冷まし、ぼくはそこで友人と別れてアパートへ帰った。洗面所で手を洗い、ふと鏡をみると、ぼくのブルーのブルゾンは鹿の血で濡れてドス黒くなっていた。ゾーっとしたぼくは震える手でブルゾンを脱ぎ、即ポリ袋に突っ込んだのは言うまでもない。

つづく。



琵琶湖でフェザークラフトを漕ぐ

2007年05月16日 | カヤック

自分にあったカヤック探しはまだ続いている。カヤッキングを知れば知るほど、フネのつくりっていうのは重要なんだなーと思うようになってくる。エンジンや風の力で進むわけではなく自力でフネを推進させコントロールするのだから、しぜんパドラーの腕はフネのつくりに敏感になってくる。流体力学は未だ解かれていない最後の古典力学である、なんていわれたりするけれど、波や渦や粘性やらが複雑なのと同じくらいフネ作りも奥が深く、パドラーの数だけ答えがあるのかもしれない。自分にとってのいいフネ探しとはすなわち流体力学の有効解の模索のようなもので、物理学と同じくらいとはいわないまでも、難しく、奥深く、時にもどかしく、間違いに気がついたり、人のやつがうらやましくなったり、いろいろあるけどやっぱり面白いものである。そしてぼくを琵琶湖へ向かわせたりもする。

今日はフェザークラフト社のフォールディングカヤックに試乗するために琵琶湖へやってきた。午後に少し風がでるという予報ではあるけど、いい天気だ。JRの車窓から見える風景が牧歌的でぼくはなんとも嬉しくなってしまった。列車には学校を終えた中学生がたくさん乗り込んできた。こんな時間に下校なんて、中間試験でもあるのだろうか。男の子たちが三角関数がどうのこうのとしゃべっていて嬉しくなってしまった(もりあがるところが違うね、と人にいわれます)。三角関数で数学につまづく、というのが昔から一種の公式のようなものだから、ぜひ一生懸命勉強してください。質問すればたいていの先生は答えてくれます。5月っていいなあ。





素敵なところである。時間があったので琵琶湖脇のウッドデッキでエビスをプシュッとやって(無職のくせにビールはリッチ)ゴロンとしてボケーとしていると、Granstreamの大瀬さんがやってきた。自己紹介をしてさっそくカヤックを組み立てる。

ぼくが試乗するモデルはWisper(ウィスパー)。カタログで見て、フォルムがいいなあというのが第一印象。フネはかっこいいにこしたことはない。長さ4.75m、幅58.75cmというサイズもちょうどぼくが狙ってるあたりだ。ラダーではなくスケグが標準装備というのもいい。同社のK1のようなエクスペディションを念頭に置いて作られたモデルにはラダーが合うと思うけど、リクリエーションのためのフォールディングカヤックにはごつい金属で出来たラダーは少々重装備に見えてしまう。あとぼくが気に入ったのはリブの形。カフナよりウィスパーのほうがキールがソフトに見える。ウィスパーは旋回性と直進性のバランスがよさそうに見えた。もっとも、スキンカヤックは水に浮かべたときにスキンの形状が変化するからなかなかリブの形だけで判断できないのだが。これはフェザークラフトの全てのモデルについて言えることだけど、コーミングが広いのもぼく好みだ。

ウィスパーのファブリックは二種類ある。ヘヴィースキンと、今回ぼくが使用するライトスキンである。フェザークラフトのほかのモデルはすべてヘヴィースキンである。このウィスパーのライトスキンが優れもので、なんちゅっても軽い。カヤック一式で15kgという軽さである。ハードシェルのカヤックでもこのサイズでこの軽さってなかなかないのではないだろうか。フネは軽いにこしたことはない。このくらい軽いと、組みあがったカヤックを肩に担ぐのに片腕のカール動作で持ち上げることができる。また折りたたんだ時にかさばらないのも嬉しい。気になるのはライトスキンの耐久性なのだけれど、大瀬さんがいうには「ラフに使いまくってますけどスキンは丈夫です。のびちゃったりすることもありません」ということだ。力持ちの彼がいうのだから間違いない。「そもそもフェザークラフトって壊そうと思っても壊せんです。牡蠣の殻には気をつけたほうがいいけど、それはFRPでも同じです」という。確かに。ライトスキンで組んだときの剛性はさすがにヘヴィースキンのより落ちるそうだけれど、波をソフトに吸収してすべっていくのがスキンカヤックの特色の一つであもあるため、短所では決してないということだそうだ。





組み立てはテントを2、3個張る感じだろうか。馴れればどうってことないのかもしれない。フネの中に砂が入らないほうがいいのだけれど、あまり神経質になる必要もないと大瀬さんはいう。ぼくもそう思う。ぼくたちは(というより大瀬さんは)組み立てを終え、しばし完成したカヤックを目の前に二人で嘆息し、琵琶湖へ漕ぎ出た。



フネを漕ぐのって何でこんなに楽しいのだろう? すっごい楽しい。ウィスパー、いいなあ。ハードシェルよりは遅いけど、ぼくは別にスピードを求めるタイプのパドラーではないから別に気にならない。スターンのデッキは低くなっているけど、全体として案外ボリュームがあるような気がした。これならキャンプ道具を積んでも全然問題ないだろう。ひざにも余裕があるのが嬉しい。というか、ホネとカワだけで作られているのにこのフィット感のよさは何?といいたくなるくらい、乗り心地はいい。横風なのだが、フェザークラフトのモデルの中でも影響を受けにくいモデルであるという。ぼくは男子として恥ずかしいくらい体が軽く(=フネが浮く=横風受ける面積ふえる)、ウエザーコッキング(風でフネの向きが変わる現象)には大いに泣かされてきたので、フネのボリュームにはとりわけ神経質である。で、空荷のウィスパーにぼくが乗ると、風の中では少々横を向いた。スターンのそりあがりが少しキツイのかもしれない。けどまあ、カレントデザインのシロッコに乗ったときはまるでおわんに乗って爪楊枝でフネをコントロールしているような気分になるほど風には泣かされたのだが、それと比べたら全然へっちゃらである。そもそも軽くて旋回性がいいので割と素直に進路を修正できる。今回は艇の性能を見るためにスケグを使わず漕いだが、スケグを装着すれば何の問題もないだろう。または荷物が入れば横風の影響はさらに低くなると思われる。

5本のホネだけでハルの形を決めるってすごいですよね、とぼくが言ったところ大瀬さんは、「いやこれがオリジナルなんです。数千年も昔にカヤックの形は完成していたんです。メチャクチャすごかったんです」と教えてくれた。ぼくは木や骨や動物の皮で作ったフネに乗るグリーンランドの人たちを思った。かれらもこうやって柔らかく波を乗り越えていったのだろう。コクピットがもう少し広いほうがいいとか、行動食はナッツに限るとか言ったりしていたのだろうか。

納艇後、パーコレーターで淹れたコーヒーを頂き、カヤックを畳んで駅まで車で送ってもらった。大瀬さんとは話も合い、何から何までよくしてくれた。大感謝である。琵琶湖のすばらしい景色に触れ、心が穏やかになった。



帰りのJRで向かいに座った80歳のおばあさんに話しかけられ、琵琶湖でフネを漕いできたんですというと、まあそれはよかったよかった、あんた幸せそうな顔しとるねえと言っていただいた。おばあさんお笑顔につられ、はい、幸せですとぼくは答えたのだった。