水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

師走はやっぱり忙しい

2007年12月25日 | カテゴリー外

師も走るくらい忙しいから師走。こーゆー名前の付け方は好きである。それはよしとして、ここ何日か本当にめまぐるしい。防備録として最近の出来事をちょっと書いておきたい。

まずキャリアフォーラムに参加するために東京はお台場へ。リクルートスーツを着てがんばる。リクルートというのは要するに「自分」を記述したいくつかのカードを持ったポーカーゲームのようなものである。カードをうまく使って自分に高値をつけさせるのだ。のだ、とはゆってもうまくいくこともあれば、なかなか思い通りにはいかないこともある。なかなか思い通りにいかないことを知ることは、社会勉強とも呼ばれている。ぼくも目下勉強中である。

お台場を少し観光して、Eの妹さんとwiiをしてあそぶ。スーツを脱ぎ捨てシャツの袖をまくり、大人気なく全力を使ったのはナイショである。翌日もお台場へ。一喜一憂のキャリアフォーラムを無事終え、名古屋へ帰る。移動中、推理小説にはまってしまって、寝れない。名古屋へついたら滅多に名古屋に帰らない地元の友達から連絡があり、居酒屋へ出撃。ほんの一杯のつもりで三杯飲む。

翌日はお泊りのクリスマス会。愛知県碧南市(へきなんし)の友人宅へ。ペペロンチーノを作ったら大好評だった。フフ、伊達に家事手伝いやってねーぜ。福井の友人がもってきた日本酒は、目じりが下がるくらいおいしかった。お酒を飲んで、みんなで雑魚寝。福井の彼はぼくが持参したエマージェンシーブランケット(銀色のシャカシャカするやつ)にくるまる。遠赤外線効果で「焼き芋になったみたいにぬくぬくでした」と感激の様子。ホームセンターの防災グッツ売り場で安く手に入ります。ただし長時間使うと蒸れます。どうでもいいけど、彼の福井訛りは立派なもので、帰りに店でカレーを食べたらウェイトレスの子が彼の注文を間違えたほどだった。来年の夏には福井でキャンプする約束をする。

クリスマス会から帰ると車の中にウィスパーとキャンプ道具一式を放り込んで、出発。行き先は三重県二見ヶ浦。伊勢のちょっと北に位置する海岸だ。そこでてっさんと会い、一緒に漕いだ。漕ぎ日記はまた今度。宿泊は某所にてテント泊。

家に帰り、家族とクリスマスの団欒。みんなでちゃんこ鍋を食べ、シャンパンを飲む。「塩ちゃんこにはシャンパンがあうねぇ」といっても賛同を得られるのが佐藤家のよいところである。鍋のシメは煮込みラーメン。

いやー、われながらよく動いた。これが昨日までの5日間のスケジュールである。東京への移動はすべて東名ハイウェイバスである。時間はかかるけど、なんか遠足に行くみたいでちょっと楽しい。そしてぼくはまた東京へ出かけようとしている。ある企業から二次面接によばれたのだ。がんばってきます。さぁ、スーツを着るんだ、自分。あと40分で出発だ!


痛飲!@静岡県富士宮市田貫湖キャンプ場

2007年12月13日 | キャンプ

ちょっと前のことになってしまったけれど、富士山のふもと、静岡県富士宮市でキャンプをしてきました。



キャンプ場に名古屋チームと東京チームが合流。各々でテントを張り、ダラッと一日過ごそうゼというオトナのキャンプでした。一日中料理をダラダラとつくり、それをダラダラと食べ続け、ダラダラと飲み続ける。このダラダラ感がいーのです。しかし、時折統率を見せる時もあります。それは例えばギョーザを包むとき、乾杯の時、皿洗いの時だったりします。そのヘンの機微もやっぱりオトナです。

ぼくはキャンピングチェア(アメリカではdirector's chairと言ったりします。映画監督が座っていそうですね)に座って寒さにかじかむ手をこすって温めながらギターをポロンと弾き、富士宮はなぜヤキソバが名物なのかを議論し、キャッチボールをしたり、ジャパニーズサラリーマンの仕事上の嘆きを聞きいたりしました。メガネ業界の人が多かったので、お陰で日本のメガネ業界についていくつか学びました。



夜は冷えました。翌朝は摂氏0度を下回ろうかという冷え込みです。お湯で割った焼酎が、こんな夜にはありがたい。みんなで大きなリビングテントの中に入って談笑しました。ほとんど貸切のようなものですから誰も声の大きさなど気にしません。最後の方にはみんなでブルーハーツなんか歌ったりしてノリノリです。

寒いせいかあまり酔った気がしませんでした。男女混合の7人、そのうち4人はぼくと初対面というこれまでのぼくのキャンプ歴にないパターンでした。それもあってか、いつになく深酒をしてしまい・・・。



日本一の富士山の前で、ぼくは翌朝深く反省していたのでした。みなさんは朝食を食べてコーヒーを飲んで、すこぶる元気なのですが、ぼくは一人テントの中で銅像のように身じろぎせず使い物にならなくなっていました。もうお酒は飲みません。

しかしほどなくしてぼくも回復し、チャーハンとマーボー豆腐を頂きました。キャッチボールも出来るようになりました。「○○くん(ぼくの名前)、昨日○○って言ったの覚えてる??」という質問にどっきーんとしたりしました。こうしてふたつみっつ反省材料をもらいながら皿洗いをしました。もうお酒は飲みません。

そして我々はキャンプ場を後にし、富士宮の温泉に浸かって帰路につきました。深酒を除けばいいキャンプでした。どうでもいい話ですが、ぼくの兄がその日、偶然にも富士宮へ一人でドライブしにいって、同じ温泉に入り、同じお店でヤキソバを食べた(ぼくらは行きに食べましたけど)そうです。温泉に入った時間は30分とずれておらず、偶然とはいえこんなこともあるのかと不思議に思いました。


冬のパドリングウエア

2007年12月09日 | カヤック

冬のパドリングウエアの選択は、実に悩ましい。ウェットスーツなどに使われるネオプレンからドライ素材まで、いろいろな組み合わせがあってどれが最も良いのかが分かりにくい。そして往々にしてスポーツウエアは高価なので、購入するウエアの保温性・防水性が高くなるほどフトコロが寒くなるというのが実情である。

夏であればウエアなど化繊でありさえすれば、まぁ快適なカヤッキングは出来る。しかし今や季節は冬。寒いのである。沈とかした日にゃ、すごく寒い。死んじゃうかもしれない。ぼくもそろそろ限界を感じ始めてきたので、ウエアを買うことにした。



ぼくが買ったのはモンベルのパドリングジャケット。袖と襟とお腹の部分はネオプレンで機密性が高く、本体部分はドライ素材である。分類でいうとセミドライというやつだろうか。ロールが出来れば沈してもずぶぬれは避けられそうだ。ジャケットの色はカヤックに合わせてブルーを選んだ。今思うとPFDもカヤックの色に合わせればよかったかも。先週、先々週と早速新しいパドリングジャケットを着て漕いでみた。



漕いだ感じは結構いい。服が動きを邪魔することも無い。グッドである。エクササイズペース(ちょうど時速7km)で一時間漕いだら汗がかなり出た。風を通さないぶん温かい。

これにロングジョンを足せば、まぁこの地方の冬は大丈夫であろう。ロングジョン、まだ持ってないけど。やっぱり買わなきゃダメかなぁ。実はぼくはロングジョンは分厚くて運動性能が良くないのであまり好きじゃない。クリマプレンのパンツなんてどうだろう。実際の保温性や運動性能はどうなのだろう。気になるのである。現在のところ下は肉厚の化繊素材(名前がわからない)のインナーの上にゴアテックスのレインウェアをはいている。

パタゴニアの創設者 Ivon Chouinard の本を読んで以来、パタゴニアという会社の有り方に共感する部分があったので、当初はパドリングジャケットもパタゴニアで買おうと思っていた。しかし、鎌倉と名古屋の支店を覗いてみたもののどちらもパドリングウエアは取り扱っていなかった。ちょっと残念。まーゆくゆくはスカノラックでも買っちゃおうかなー!ゆくゆくは、ね。


燃ゆるがごとく

2007年12月06日 | 外あそび

紅葉を見に香嵐渓(こうらんけい)へ行ってきた。ここは愛知県の紅葉の名所である。ちょっと前まで足助(あすけ)町という地名だったのだけど、豊田市に吸収合併されて現在は豊田市なのである。おかげで豊田市はとても大きくなった。足助はぼくの母親の出身地であり、ぼくは子供の頃夏休みになればよく祖母の家に遊びに行ったものだった。清く正しい山村の暮らしをぼくはまだ少しだけ覚えている。機会があれば思い出話の一つや二つ書き記しておこうと思うが、今回は香嵐渓名物の紅葉の姿だけを載せることにしたい。



紅葉のシーズンの香嵐渓はすごく人で混む。ぼくの子供の頃の記憶ではこんなに混むことはなかった。この時期に日本にいることなんてしばらくなかったから、はじめは香嵐渓の人ごみに慣れなかったけど、イヤ紅葉を見るだけのためにこんなにも多くの人が集まるのはすごいことだと思い直すと、なんだか楽しくなってきた。こんな風流な国民がほかにあるだろうか。



この日はすごく冷え込んだけど、お陰で空気が澄んでいた。ぼくは売店でどてと栗きんとんを買って食べた。日が暮れると川沿いの木々がライトアップされた。小さく可憐なもみじ達はライトの光を受け実に妖艶な姿に変身した。ぼくはこの大きなイルミネーションの中をゆっくりとあるいた。この日はほぼ満月で、寒そうに寄り添ったカップルが山の上に出た月を眺めている姿を見つけたらふと足が止まってしまった。あまり褒められたことではないと思いながらも、後姿を写真に収めさせてもらったのだった。