水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その3 ~ 西海岸、そして氷河の入り口へ ~

2010年03月22日 | カヤック

12月25日、ニュージーランド南島の旅、二日目。

この日ぼくは「おはよー」でも「ハニー」でもなく、「○○くん(ぼくの名前)、タイヘン!寝過ごした!もう9時半だよ!!」というEの切羽詰った声で目が覚めた。

その声に動揺したぼくは、メガネをなくしたマスオさんのようにあたふたとし、寝袋の中でままならぬ腕をなんとか動かして腕時計を探した。

今日は東のクライストチャーチから西海岸まで一気に移動する予定だ。予定では今日は9時には出発しようということになっていた。それが二人して9時半まで惰眠を貪るとは、なんという失態だろう!

ところが。

時計を確認すると、ぼくのデジタルの腕時計は「6:26」(am)をさしていた。この状況はいったい何を意味するのか         

ぼくは咳をひとつし、落ち着いた声でEにゆった。

         ひょっとして腕時計を反対向きに見ませんでしたか?

E: あり(ゴシゴシと目をこする)? まだ6時半じゃん。はっ!

説明するとこうである。要するに彼女は「6:26」のデジタル数字を反対向きに見てしまい「92:9」と読み間違えてしまっていたらしい。これが頭の中で「9:29」と置き換えられて、「9時半!」という言動につながったと推測される。

「:」の位置が違うのではないかと、後で本人に尋ねたところによると、「あまり気にしていない」という答えが返ってきた。彼女は円周率のごときである。

この「9時半事件」のことをひとしきり笑ったら、スッカリ目が覚めた。ぼくらはそのまま出発の準備をして、エンジンをかけた。さあ、ここから車の旅の出発だ!

ホリデイパークを出る前にオフィスで地図をもらった。オフィスはまだ開いていなかったけれど、掃除をしていた係りの人が、オフィスの外でうろうろしていたぼくのために鍵を開けて地図をくれたのだ。ニュージーランドの人はやさしい。

7:30、クライストチャーチを出発。



ぼくたち二人を乗せたスペースシップは73号を北西に進んでいく。ヒツジやウシがいたるところにいる。ニュージーランドは牧畜がさかんなのだ。ヒツジやウシがみな一様に草を食んでいる光景は絵に描いたようにのどかである。



街を離れて1時間ほど走ると、前方に大きな山が見えてきた。これがニュージーランドのサザンアルプスである。サザンアルプスとはニュージーランド南島を縦に貫く山脈である。マウント・クック(3754m)をピークとし、その周りを囲むように氷河が形成されている。ぼくらが走る73号線は、氷河のあたりよりもだいぶ北側の、サザンアルプスの少し窪んだあたりを横切るルートである。

またこの道と並走するように、東のクライストチャーチと西のグレイマウスを結ぶTranzAlpine(トランツアルパイン)と呼ばれる列車が運行されている。サザンアルプス北部に位置するアーサーズ・パス国立公園の中を通るこの鉄道は、その景観の素晴らしさから世界中の鉄道ファンにとって有名だ。列車の広い車窓から刻々と移り変わる山や川や自然の花畑を楽しみながら、ワインなどを頂いて片道4時間半かけてのんびりと旅をするのもさぞかし気分がいいだろうなと想像した。

ぼくらの通る73号はこの鉄道につかず離れつしながら進んだ。

途中、休憩のためアーサーズ・パス国立公園内のロッジに寄った。車を出ると随分と涼しいことに気がついた。高原の気候である。きっと、ここは冬になったらスキー客でにぎわうのだろう。ロッジの暖炉には火がおこっていた。ぼくたちは分厚い皮のソファに座って、誰もいないロッジでロング・ブラック(エスプレッソをお湯で割ったもの。ニュージーランドではこれが一般的)を啜った。誰もいないのは今日がクリスマスだからである。キリスト教圏では、クリスマスの日とその前日はほとんどのお店は閉まっているのだ。だからここでこうして暖炉の前に腰掛けてロング・ブラックを飲めるのは、それ自体結構幸運なことである。

南半球のクリスマス。今は12月だけれど夏だ。夏だけどぼくらは暖炉の前に腰掛けて、幸運なロング・ブラックを飲んでいる。なんだか不思議な気分だ。誰もいないロッジでこうして暖炉を見つめているうちに、昔テレビで見たアニメ「銀河鉄道999」を思い出していた。主人公の少年が銀河を走る鉄道に乗って、星から星へと旅を続ける物語だ。星に住んでいるものは、その星に特有の業を背負って生きている。しかし、どの星にも共通している望みがひとつだけある。それは死にたくないという望みだ。他者の痛みを無視できるほど年を取っていない少年は、道行く物語に出会うたびに心を翻弄される。共に旅をする、全てを見通した眼を持つ女性は、しかし多くを語らないのである。

スリーナインと比べたら我々の旅のスケールなんて小さなものだが、季節感が次から次へと変わっていくこの感じは、この後もこのニュージーランド旅行についてまわる感覚であることを、ぼくもEもまだ知らなかった。

ガイドブックによれば、近くに滝の見える場所があるという。ぼくらはそこまで車で移動し、滝を見るために往復一時間程度のハイキングをした。



Devil's Punchbowl Waterfall。高さが131mもあるという。滝に近づくとその迫力もさることながら、水しぶきがすごく、カメラを向けるとレンズにすぐに水滴がついてしまう。どきどきしながらシャッターを押した。



駐車場に戻ると、車のそばに1匹の鳥がいた。嘴(くちばし)がくっと下に折れ曲がっており、羽が深い緑色をしている。珍しいと思い写真に収めた。後で調べたところによると、これはニュージーランド南島のみに生息するケア(Kea)という鳥であることがわかった(違っていたらスミマセン)。山岳地帯にのみ生息する、オウムの仲間であるという。好奇心が強く、かなりの知能を持った鳥ということだ。ケアはぼくの周りをしばらくうろちょろしていた(ぼくは大体において動物に好かれる)。愛らしいやつである。ひょっとしたら、賢い鳥だけに人間に「おねだり」をしていたのかもしれない。残念ながらぼくは野生動物に餌をやらない。相手はそれが分かると、やがてテクテクと違うほうへ歩いていってしまった。



車を出した。山岳地帯のうねうねした道を時速100km弱で走った。地元の人たち(「キウィ」という)はおかまいなしに車をかっ飛ばす。時速制限が100kmといっても、日本の高速道路のように走りやすいわけではなく、柵も何もないただの細い道であり、車線もたいがいは片側一車線だ。キウィに一台、また一台と抜かされながら、ぼくらはスペースシップを運転した。

お昼を過ぎたころ、視界の向うに山が消えた。山岳地帯を過ぎたのだ。気温もにわかに上昇し、道路に逃げ水が見られるようになった。やはりここは夏なのだ。先ほど暖炉の前に座ってロング・ブラックを飲んだのがなんだか非現実的に思えてくる。

さらに走ること30分、視界に海が見えてきた。わあ~と二人で歓声を挙げる。タスマン海(Tasman Sea)である。タスマン海は日本の海の色とは違っていて、深い緑がかった色をしている。不思議な色だなあ、と思った。遠くから見るだけでも、水質がかなり綺麗なのが分かった。

海が見えるようになって程なくし、ぼくらは途中の街、ホキティカ(Hokitika)に到着した。ちょっとこの街に寄ることに。

小さくてかわいらしい街である。かれこれ5時間ほど山と川と滝とケアとEしか見ていないので、なんだか少しワクワクする。しかしながら、今日は誰が何と言おうとクリスマスの日である。街は「もぬけの殻」といった様子で、人っ子一人いやしない。スーパーマーケットすら閉まっている。

誰もいないね、とE。人のいない町というのは、なんだかちょっと薄気味悪い。もう昼の1時を過ぎているが、今日はまだロング・ブラックしか口にしていない。きっとクリスチャンの人たちは今頃それぞれの家でグレイビーソースでも温めているのだろう(勝手な想像ですが)

それでも街を車でうろついていると、一軒のレストランを発見した。インド料理の店である。ビバ、ヒンズーである!ぼくたちはここで幸運な本場カレーにありつくことが出来たのである(実にうまかった)

ホキティカは、Jade Townとして有名である。ジェイドとは翡翠(ヒスイ)のことである。このあたりは良い翡翠の取れる場所で、古くはマオリ(ニュージーランドの原住民)も翡翠を求めてこの地を訪れたという。彼らの通った道というのが今のトランツアルパイン鉄道の道にあたるらしい。街には、いくつもの翡翠を加工する工場やお土産やさんがあった。翡翠のペンダントなんかはきっといいお土産になるだろう。

この深い色をした、控えめな存在感の石が割りと好きである。Eと一緒にウィンドウショッピングをしている時にふと思った。タスマン海は翡翠の色をしている。

食事を終えて3時間後、ぼくらは本日の宿泊地のホリデイパークに到着した。ああ、今日はたくさん運転した。お疲れ様と、お互いに労をねぎらう。Eとぼくはここまで大体1時間おきに運転を交代してきたのだった。

ここはFox Glacierという場所にあるホリデイパークだ。そう、glacier、すなわち氷河である。このすぐ近くに氷河があるという。

氷河。名前を知っていても、氷河というものがどういうものなのか、ぼくはまだその実態を知らなかった。

好奇心が疲れに勝って、ぼくらは再び車を出した。Fox Glacierの場所はホリデイパークからあっけないほど近くにあった。駐車場に車を止めて、標識に従って歩いてゆくと・・・



巨大なスケールの氷河が眼前に見えてきた。写真に写っている人と比べるとその大きさが良く分かる。氷の塊が山の隙間からぬっと首を出しているような感じである。氷河が解けて出来た川には氷の塊がゴロゴロと散乱し、土砂を含んだ濁流が海のほうへ向かっていた。川の横は草も木も生えてない広場のようになっている。これはたぶん氷河が進退を繰り返してならしていった結果であろう。

事前学習に熱心なEによれば、こうして歩いてやってこれる氷河というのは世界でも珍しく、さらに珍しいことにはこのあたりの氷河は現在でも成長しているというのだ。ヒマラヤやグリーンランドをはじめ、大きな氷河が近年縮小している中で、いまだに大きくなっている氷河があることにぼくは驚いた。しかも標高も低く、海に程近く、温帯雨林に囲まれたこの氷河の先端は、異様というか、ひたすらに不思議な印象をぼくに与えた。

もう少し科学の目で見るならば、水の熱容量がいかに高いかをあらためて教えられるのである。水は、例えて言うなれば、冷静で根気の強い人のようなものである。こちらが焚きつけてもなかなかその気にならないが、いちどその気になるととんでもなく長い間意思を持続する人がいたりするけれど、あれはゆうなれば精神の熱容量の高い人である。まさにそのような一風変わった友人を、目の前に見ているような気がした。氷河期に出来た氷床が今なおこうして氷河を送り出しているのだ。海はもうすぐそこだというのに・・・。

一通り感慨にふけり、ぼくらは氷河を後にした。

さーて。では夕食を食べに行こう。

実はここに来る道の途中によさそうなレストランが一軒開いているのを見つけたのだ。そこに行ってみることに。



ぼくらが夕食に選んだレストラン "Landing Restaurant(in Franz Josef)"(というよりここしかなかったのだけれど)は、ウッドテイストの落ち着いた雰囲気で、料理はビュッフェスタイルの洒落たレストランである。クリスマスということでスペシャルなディッシュが並んでいた。ステーキ、ラムチョップ、ポークグリル、ムール貝、サーモンから付け合せのお野菜まで、どれもすべておいしい。「おいしい、おいしい」といい、Eももりもり食べている。本当にぼくらはどこまでも幸運である。「帰りはわたし運転するから飲んでいーよ」というEの言葉に涙し、一杯やることに。カンタベリー地方のシラーを飲むと、一瞬ここが映画の中の世界のように感じた。次にSpeight's(NZの有名なビール。みんなこれを飲んでる)をグビッグビッとやったら、明日もきっといい日になると確信した。

食事を終え、幸せな気持ちをホリデイパークに持ち帰った。今日は車で東海岸から西海岸まで移動した。生まれて初めての氷河を見て、幸運な豪華ビュッフェを食べた。過ぎてみれば一日などあっという間である。ぼくらはスペースシップの後ろで、氷河の存在を近くに感じながら眠りに落ちた。


西伊豆コースタルカヤックスの講習に参加する

2009年09月08日 | カヤック

以前から「シーカヤックをやってみたい!」といっていた友人に一度カヤックを漕いでもらおうと、海に誘った。合計6人。夏休みが終わった9月最初の土曜日を選んだ。温かい伊豆の海がいいと思った。みんな屋外で遊ぶのが好きな人たちだからきっといい思い出になるだろう。

ぼくが選んだアウトフィッターは村田泰裕さんが代表を務める西伊豆コースタルカヤックス(NCK)。村田さんは言わずと知れたシーカヤッカーである。カヤックでの日本列島縦断、クイーンシャーロット島一周などを達成した冒険家だ。NCKのイントロ講習に参加することにした。

9月5日。もしぼくにしっぽが生えていたらきっと大急ぎで振ってしまうくらいの晴天である。ゆるい東よりの風で波1~1.5m程度。湿度も低く、青い空がまぶしい。NCKのショップで受付をすませ、松崎の海岸に集合した。そう、今回はみんなにあわせてウィスパーはお休みである。レンタル艇はポリのペンギンであった。



村田さんのレッスンがはじまった。まずは陸上で、フットペダアル、スカート、ハッチ、フォワードストローク、バック、ブレーキの説明。サポートするスタッフも二人いて(客5人にガイド1人の割合とのこと)こまめに指導してくれた。そして、海へ!



アシスタントの米川さんがロールとリーンターンを見せてくれた。米川さんのフォームは実に華麗である。ぼくもこんな風に自在に艇を操れるようになりたいなあ。







そして松崎の湾を抜けて南下する。すぐ近くの洞窟へ入った。一つ目に入った洞窟はトンネルになっていて、みんなで並んで通り抜けた。二つ目の洞窟はずいぶん広く、全員で穴の中に入ることができた。みんなフネをゴンゴンとぶつけたりぶつけられたりしながらも、洞窟の雰囲気を楽しんでいるもよう。波も穏やかなので洞窟はすこぶる安全である。本当に今日はラッキーだなあ。



萩谷の浜に上陸。ここでランチ休憩となった。フランス人の友人が大きなマッシュルームケーキを焼いてきてくれたので、みんなでそれを分けて食べた。すっごいおいしい。インストラクターの人たちにもおすそ分けしたところ、大好評であった。

食事の後はシュノーケルをした。このあたりは岩がごろごろしていて、岩陰に魚がたくさん群れていた。青色に光る小さな魚もいた。ナマコは無防備に海底で昼寝をしていた。ぼくはPFDを着て、特別なことは何もせずただ波に揺られた。浮くナマコである。友人達も満足してくれたみたいだ。最初に「伊豆」と聞いて想像していたものよりも、実際の「伊豆」のほうがきっとよかったのであろう。



休憩中、村田さんと話をした。あの、クイーンシャーロット島200km漕破の時の話なんかは、テレビの放送とは少し違って、彼がガイドとして考えていたことが聞けて興味深かった。ぼくがこれまで漕いだ場所の話になると、彼は楽しく懐かしそうに、その土地その土地に関する思い出を語ってくれた。それぞれの地方に愛着があるのだなあと感じた。

再び、出発。岩地、石部のあたりまでのんびり漕ぎ進み、そこでターンして松崎へ向かった。

最後はみんなで楽しく沈脱などしながら、ガイドの人にレスキューしてもらった。そんな様子を見ていたらぼくもムズムズしてきた。ちょうどいい機会だからロールの練習をしよう。かれこれ一年やってない。失敗して、村田さんにレスキューされるのもまたいいだろう。ヨーシ!

ザブン。ブクブクブク。水中でひっくりかえった格好で、セットポジションを時間をかけて確かめた。スィープの軌跡が滑らかにイメージできたところで、動作に入る。一息に上体を回す。最後は上体が水からすぐに出てしまわないように・・・と意識した。気がついたらロールで起き上がっていた。イエーイ(喜ぶあたりがシロウト)

松崎に上陸した。あー楽しかった。みんなの表情もすごくいい。海水にどっぷり浸かったぼくらは、そのまま温泉に直行し、海を見ながら風呂に浸かったのだった。

今回、シーカヤックの楽しみ方として、ぼくとしては初めてのやり方だったわけだけれど、本当に楽しかった。みんなもそれぞれのハイライトがあったようで、それをきくのもまた面白い。シーカヤックやってみたい人、このゆびとーまれ!と言いたくなる、おとなの夏休みであった。


城ヶ島の南端へ

2008年11月03日 | カヤック

10月12日(土)。この晴天の日、久しぶりにぼくは一人でカヤックを漕ぎに出かけた。心温まる週末の朝の京急に乗り、終点三崎口から地図を頼りに三戸浜までテクテクと歩いた。神奈川県といえどもこのあたりは畑が多い。実にのどかである。ファルトのカートをコロコロと転がしながら畑と畑の間の道を歩いていくのも楽しい。たくさんの人が畑に出てなにかしていた(なにをしているのかよく分からない)。思うに収穫の秋なのである。



三戸浜でテキパキとフネを組み、ぼくは漕ぎ出した。夏に漕いだころと比べると随分透明度が上がったように思う。海にはヨットがたくさん浮かんでいる。遠泳するひとたちだろうか、ウェットスーツを着て団体で泳いでいる人たちもいる。少なくはあるけれどシーカヤックを楽しんでいる人たちもいる。三浦ってなんだか楽しい場所だなあ。

南を目指す。177によれば北東の風のちに東の風ということだったので、城ヶ島までいけるかもしれないと期待を抱いていた。疲れないようにゆっくりとしたペースで漕いでいった。



天気もいいことだし、日本人もノーベル賞取ったことだし、今日はなんだか楽しいのでいろいろと寄り道をすることにした。小網代(こあじろ)、油壺(あぶらつぼ)といった湾を奥へ入っていく。シーカヤックを漕いでいるとつくづく思うことなのだけれど、湾というのはいい場所である。さすがに天気がよいということもあって、たくさんの人が穏やかな海に釣り糸をたらしていた。



堤防のようなところを回り込むとようやく城ヶ島が見えてきた。オー、これが城ヶ島かー。イメージ的にもっとずっと遠くにあると思っていたのだけれど、案外近かった。ぼくは動力船のいないのを確認して、城ヶ島へ渡った。うねりがいくぶん強くなる。そのまま南の方角へ漕ぎ進めて行く。陸のほうからショウユを焦がしたような匂いがただよってきた。カヤックの上からはよくわからないけれど、人がたくさんいるみたいだ。城ヶ島というのは人がたくさんいるものなのだろうか。城ヶ島の南側はなかなかよさそうな場所であった。ぼくは何人かの人から珍しい動物を見るような視線を受けながらフネを岸につけた。





城ヶ島はぼくが想像していたよりずっとにぎやかな場所だった。いたるところに「まぐろ」とか書いてある。たくさんの人が通りをぶらついている。狭い路地にお店がズラリと並んでいる様子はまるで江ノ島みたいだ。

ぼくはハラペコだったので、一軒の食堂に入った。瓶ビールをもらい、アジのタタキを注文する。店は忙しそうに回転しており、店の若いお兄ちゃんと若いお姉さんが店内を飛び回っていた。これはきっと夫婦だろう、とぼくは想像した。女性のほうは東南アジアの人かもしれない。言葉や顔つきからぼくはそう推測した。男性のほうは、昔はちょっとやんちゃだったような雰囲気を漂わせているが、なかなかの働き者である。おやじさんと思われる人は、奥の厨房で肉厚の包丁をふっていた。厨房とビールを交互に眺めていると、まもなくおじさんのおろしてくれたアジが運ばれてきた。ぼくはまだヒクヒクと体をふるわせているアジの身を醤油につけながら、少しだけ日常からの逸脱を味わった。

アジにすっかり満足し、フネに戻った。さあ、これからどっちに行こうかと考えていたら、携帯の着信を発見。夜に予定が入った。ぼくはしばらく大海原を見て、スッカリ乾いた船をその場で畳んだ。久しぶりにウィスパーを背負い、バスと電車を乗り継いで横浜まで帰ってきたのであった。

秋のうちにキャンプツーリングをしたいな!


伊豆・下田へ その3

2008年08月16日 | カヤック

下田のキャンプ三日目。お盆も真っ只中ということで、朝からぞくぞくとツアーに参加するお客さんが到着した。ぼくはゆっくりと起きだして、身の回りのものを片付けてパドル以外のほとんどすべてのものをフェザークラフトのバッグにパッキングした。バッグはウィスパー以外にテント、マット、寝袋、クッカー、着替えとバスタオル、あまった食料と酒を全て飲み込んでくれた。素晴らしい。

ワンダフルワールドのスタッフみんなに挨拶し、荷物の集荷の依頼をし、ぼくはバス停に向かった。



下田の街を歩いた。ざっと歩いた後で、伊豆急の駅のすぐ近くにある寝姿山(ねすがたやま)のロープウェイに乗った。ロープウェイは3分ほどでぼくを山の頂上まで運んでくれた。下田の港と下田の街が一望できる。天気もよくていい景色だなあ。

黒船に乗ったペリーが来たのはあのあたりなのだ、というような説明がある。そうかー、ペリーが来たのかー。下田の人はさぞかしびっくりしただろうなあ。

山の上にはちょっとした散歩道が整備されていて、花などの手入れが行き届いていてなかなかいい。





つぎに港の方へ歩いて移動し、海をぼーと眺めて、街でお寿司を食べた。電車が来るまで神社で時間をつぶした。木々が日光を遮って涼しくさえあった。セミが競うように鳴いている中でぼくは持ってきた単行本を読みふけった。いつの間にか本に熱中してしまい、気がつけば電車の時間まで30分になっていた。これから踊り子号のなかでこの本の続きが読めるのかと思うと、また嬉しさがこみ上げてくるのだった。



今回は伊豆の景色を陸と海の両方から楽しむことが出来た。ごく少ない荷物でこうやって旅をするのは本当に楽しい。電車に乗っていくのも気楽でよかった。また時間を見つけてこんな遊びをしたいな。


伊豆・下田へ その2

2008年08月15日 | カヤック

翌朝。僕は4時半に起床し、40分後にはビーチに来ていた。サーファーが少しいるだけで、海水浴客とライフセーバーはまだいない。ぼくはサーファーの邪魔にならない場所から漕ぎ出した。フネが波と垂直になるように気を配りながら、サーフゾーンを正面突破する。ファルトは、フネに乗り込んでからシーソックを調節して足の位置を整えるまでに少々時間がかかるので、サーフゾーンでは緊張させられる。波をかぶったけれど頭上までずぶぬれになることはなかった。

サーフゾーンを抜け、気がついてみると、ぼくは伊豆の穏やかな海に浮いていた。無風。太陽が東の低い位置から穏やかに水面を照らしていた。



南へ向かう。昨日はよくわからなかったけれど、伊豆の海はとてもきれいだ。海水温が高いのに透明度が高い。まるで南国の海みたいだ。



ウワサにはきいていたけれど、やはり伊豆の海は海蝕洞窟が多い。少し行くと天窓洞窟があった。







洞窟に入っていくと、天井がすこーんと抜けている。不思議な光景である。どうしたらこうゆう削れ方になるんだろう。



太陽はみるみる高くなっていった。いい匂いが陸のほうから漂ってくる。ああ、きっとあそこの民宿だ、とぼくは思う。お味噌汁と焼き魚の匂い。おいしいだろうなあ。

つらつらと漕ぎ進め、弓ヶ浜に着いた。ほんとうにしなった弓のような形をしている。幸いまだ早い時間なので海水浴客はほとんどいない。また、波もないのでサーファーもいない。ぼくは浜のすみっこに上陸した。そこでぼーとしたり、弓ヶ浜の付近をサンダルで散歩したりして時間をつぶした。さーて、これからどうしようか。



ぼくはそこからもう少し南へ漕いでみることにした。少し漕ぐとすぐによさそうな洞窟があったので入ってみることにした。





なかなか美しい洞窟である。中に入ってみるとすこしひんやりしている。潮の匂いと岩の匂い、増幅される波の音、波にさらされた剥き出しの岩肌、奥に向かって濃くなる闇。入り口から漏れてくる朝日が実に美しくて、しばらく見とれた。

さらに南へ向かう。海況はよかったけれど、石廊崎(いろうざき)を回り込むのは準備不足と思い、さらにこれからの時間帯の猛暑を計算に入れると、石廊崎の手前で引き返すのが無難なように思われた。しかし気分的にはもう少し漕いでいたいので、石廊崎手前の蓑掛島を目的地と決めて漕いだ。縦に長い蓑掛島に辿りつき、折り返した。



そのまままっすぐ北に漕いでゆき、出艇地である大浜のすぐ南にある、こじんまりとした浜まで戻ってきた。サーフをよく見てタイミングを計って上陸。この浜には駐車場もトイレもなく、したがって海水浴客も少なかったので上陸に問題はなかったと思う。

カヤックを上げ、食事を摂り、しばらくコクピットの中で昼寝をした。あたりを散策したり、ぼけーとしたりして時間をつぶし、浜でフネをばらしてフェザークラフトのバッグを背負ってキャンプ場まで帰ったのであった。重くて大きい荷物を背負い一歩一歩歩いていく感じは、久しぶりにやってみるとなんかいい。キャンプ場に戻り、水のシャワーをザーッと浴びると気分がスッキリとした。

夜はスタッフのみなさんと一緒に食事をさせていただいた。ぼくが一人で来ている客だからだろうか、みなさんすごく親切にしてくれ、最後はお酒まで振舞ってくれたのだった(ありがとうございました)。スタッフの方たちも、本当に海とカヤックが好きないい人たちばかりで、夏のシーズンはみなトレーラーに泊り込みで日々ツアーを開催しているとのことだった。スタッフのみなさんとフネや伊豆の話をするのは本当に楽しかった。絶対また来ようと思う。夏の夜のあの雰囲気を味わいに。

つづく。


伊豆・下田へ その1

2008年08月14日 | カヤック

お盆休みに南伊豆へ漕ぎに行った。ぼくが子どもだったころ、ドライブ好きの父親の提案で伊豆に家族旅行に行ったものだった。伊東とか熱海とか、そのあたりだったと思う。まだ幼かったのでよく覚えていないのだけど、景色の様子は脳裏の片隅に残っている。伊豆半島に出掛けるのは何年ぶりだろう。とにかく思い出せないくらい昔である。

ぼくはネットで見つけた下田のワンダフルワールドにお邪魔することにした。シーカヤックのツアーを開催していて、さらにキャンプサイトやキャビンもあるのだ。ぼくはキャンプサイトを二泊分予約し、ウィスパーを宅配させていただいた。宅配ってほんと便利だなあ。あと、えきネットで踊り子号を往復分予約する。あとは伊豆の地図をゲットすれば準備は完了だ。

のどかな海辺の景色の中を通り抜けていく踊り子号を、終点の伊豆急下田で降り、そこから吉佐美(きさみ)までバスで移動、最後はてくてく歩いてワンダフルワールドまでやってきた。受付を済ませ、荷物を受け取り、テント場を確保した。といってもタープなし、ソロテントだけの実にコンパクトなスペースである。

早速浜へ行ってみた。するとそこは人、人、人!たくさんの人が海水浴を楽しんでいた。今は海水浴シーズンなのだ。ビーチは海水浴客でいっぱいなのである。この国の夏の海を甘く見ていた。これではカヤックが出せない。この時期にしか休みのとれないサラリーマンであることに、ちょっとブルーになりかけた。

しかしまー、そういうこともあるのである。というか、想定してた気もする。この時期のビーチは海水浴客のものなのだ         日中は。明日は思いっきり早起きすることを誓う。早朝ならきっと大丈夫だろう。ぼくは気を取り直して、子どもたちに混ざり普通に海水浴を楽しんだのだった。

夕方、ツアーから帰ってきたお客さんやガイドやスタッフのみなさんとウッドデッキで歓談する。お客さんはお子さん連れが多いようだ。子どもたちはみんなすぐに仲良しになり、一緒に虫取りをしたり、水鉄砲で遊んだり、犬のリッキーをからかったりして、ひと時も遊びをやめようとしない。子どもは退屈が大嫌いなのだ。昔子どもだったはずのぼくたち大人は、「ここはいいところだねえ」とかなんとかいい、プシュッと一杯やったりしている。大人は退屈を求めているのかもしれない         少なくとも一日の終わりには。

ぼくはデッキのすみにおいてあった埃をかぶったギターを見つけて、ポロンポロンと弾いてみた。古いポップソングなどを弾いていると、10歳くらいの女の子がやってきて、平成JUMPの曲を弾いてくれとぼくにゆう。 -_-; しょーわならなんとかなるんだけどな、などとぼくが苦しい言い訳などをしていると、「じゃあ嵐でいいや」とゆう。森本嵐ならなんとかなるんだけどな、と言いたかったけれど、通じるわけがないので心にしまった。苦し紛れに「太陽がくれた季節」を弾いたら、その子はふっといなくなり、代わりにぼくと同世代のスタッフの女の子が遠くで盛り上がっていた。なんとなく世代の違いというのを感じる瞬間である。どうでもよいのだが、最近君が代がはっとするくらい素晴らしい名曲に聴こえるのだけれど、これも歳のせいなのだろうか。そういえば最近、退屈な時間に幸せを感じることが増えたような。

初めての方と団欒する時間は非日常的でとても楽しかった。ガイドの方にもいろいろ土地のことを教えていただいた。やっぱりここを選んで正解だった。明日はなんとか漕ぐことが出来そうである。

つづく。


夏本番! 中禅寺湖で漕ぐ

2008年07月27日 | カヤック

さあ!夏である。夏本番である。カーッ、夏っちゅうのは暑くていいなぁ、しかし!

ぼくはすでにおなじみになった横浜ボーイのTさんに誘われ、栃木県の中禅寺湖へやってきた。標高1300mの湖畔にあるキャンプ場は少し涼しくて、空気がおいしい。そして目の前には緑の中に湛えられた湖がさざ波を立てている。後ろを振り向けば男体山(なんたいさん)が頭を雲に隠して佇んでいた。ぼくは一発でこの場所が気に入ってしまった。こんなところでフネを漕いでキャンプできるなんて、ぼくはなんて幸せなんだ!

ぼくらはファルトボートを組み、湖に漕ぎ出した。前に漕いだのは何ヶ月も前だけど、特に漕ぎ方を忘れているわけでもなかったみたいだ。やっぱフネを漕ぐのって自転車を漕ぐのに似てるのかもしれない。



岸寄りをくねくねと漕ぎ進める。わざと木の枝が張ったところへ身を低くして入ってみる。木漏れ日がぼくのフネをサラサラとくすぐるように揺れている。ぼくは木の枝にぶら下がったり、岩にむした苔の手触りを楽しんだりした。



Tさんはゴーグルをつけてフネごとひっくり返り、防水カメラで水中撮影をしはじめた。しばらくすると華麗なロールでクルリと起き上がるのだ。うーむ、ぼくもやってみたい!けど自信ないし、ぼくのカメラ防水じゃないしなあ(買ったほうがいいです)



西の浜へ着いた。南東から吹く風で小さな波が寄せている。ぼくは濡らしたくないものを浜にポーンと放り、フネに乗ってひっくり返ってみることにした。そしてTさんに先生になってもらい、さびついてしまっていたぼくのロールを復活させたのだった。久しぶりに水の中でひっくり返ってみると、なんだか不思議な気分になった。



ぼくたちはキャンプ場へ引き返した。さすがに夏休み初日ということもあって人がたくさんいたけど、みなさん清く正しく遊んでいる感じで、なんかいい。



今日はひみつ兵器があるのだ。じゃーん。MartinのBackpackerというアコギだ。アコギというには少し阿漕だけど、でもほんとにアコギなのだ。普通のギターより少し短くて軽くてムクなのだ。そしてなんといっても、思ってたよりもたくさん人が来てしまったバースデーパーティーのケーキのように、スリムである。ヒモをかけて立って弾いてみるとちょうどこのヘリに肘を乗せることができてグッドなのである。

この日マーティンを持っていってよかったことが2つあった。

一つはシャイな外人さんのカップルがすぐそばに来てごはんを食べてくれたこと。二つ目はお隣の夫婦が「それ、いい音しますね~」とゆって夕食にタイカレーを鍋ごとくれたこと(感涙)。おかえしにギョーザを焼いたのだけれど、あげようと思って持っていったら、すでにテントの中に入ってしまっていた。なのでぼくとTさんで食べました。



翌朝。テントの外から聞こえてくる子供の声で目を覚ました。うーん、なんかあんまり寝てないよーな。けどすがすがしい。きっと空気が綺麗なんだろう、呼吸がすごく楽な気がする。テントのジッパーを空けて外に顔を出すと、同じような格好で頭だけテントから出しているTさんと目があった。今日もディープな日になりそうな予感。



朝食を食べて、出艇。だーれもいない浜に上がってブラブラしてすごした。蚊もいないし、やっぱり標高が高いところはいいなぁ。少し泳いでみる。ゴーグルをかけ、Tさんの漕ぐカサラノのバウに観念したタコのようにうつ伏せになってみた。ゆるやかな速度で湖底が動いていく様子は、まるでを飛んでいるようで気分がよかった。カヤックはこんなふうに水遊びの道具として使うとすっごい楽しい。

と、こんな感じでぼくたちはカヤッキングを終え、横浜に帰ったのであった。ずっと運転してくれたTさん、どうもありがとうございました。中禅寺湖、すっかり気に入ってしまった。尾瀬といい、中禅寺湖といい、なんだか最近日光方面に縁があるなあ。いいところだ。関東が少しずつ好きになってきた。


三浦半島は和田長浜

2008年04月17日 | カヤック

4月13日。以前お花見ツーリングでご一緒させていただいたTさんに誘われ、三浦半島の和田長浜へ出かけた。心温まる週末の朝の京浜急行に揺られ終点三崎口(みさきぐち)に着き(いいところだなあ)、Tさんの車にピックアップされ一緒に長浜へやってきた。三浦の西側ははじめてです、というぼくにTさんは、ここはカヤック銀座ですよ!と教えてくれた。で、海岸にやってくると本当にカヤックが多くてびっくりした。ここも艇庫、あそこも艇庫、という勢いである。すごすぎる!



アメリカでもこんなにカヤック密度の高い場所ってないんじゃないだろうか。

今日漕がしてもらうメンバーは潮音(しおん)のみなさんだ(はじめまして。たのしかったです)。Tさんはカサラノ、ぼくはウィスパー、ほかのみなさんはリジット艇。10時くらいにひろーい和田長浜を出艇。右手方向に進む。今日は気温は低いみたいだけど、海況はまあまあよさそうだ。南西の風が吹くとこの浜はサーフゾーンになるみたいらしい。サーフは苦手なので風が吹いてなくてよかった。

みなさんすごく漕ぎが上手である。ぼくたちはつーっと漕いでドンドン引きというほそーい水路に入る。



おー。なんか綺麗な場所だなあ。ドンドン引きの奥にはちいさな浜があってうねりの弱い日なら上陸可能なようだ。しばらく休憩。

再度出艇。ここでTさんと舟を交換する。カサラノだ、イエー。普通に漕いでる分には安定感に不安はないけれど、傾けるのはちょっとコワイ。意外だったのだが、どうやらウィスパーより横風の影響を受けるみたいである。まあこれは積載重量によるからなんともいえないけど。けどしかしカッチョイー舟だなあ。ウィスパーより速そうだ。



AさんやSさんが、このあたりをはじめて漕ぐぼくにいろいろ教えてくれた(ありがとうございました)。いつもなら釣りの人がびっしりといるらしいのだけど、今日はいないらしい。お陰で岸よりを漕ぐことが出来た。

不思議だったのが、行きには赤潮が出ていたのだが、ほんの30-40分の間にすっかり赤潮がなくなっていたことだった。生命は微妙なバランスの上になりたっているのだろうなあ、と少し舟の上で考える。

ぼくたちはつーっと南下して、長浜、三戸海岸を過ぎ、通称ホモビーと呼ばれているきれいなビーチにたどり着き、舟をあげた。みなさんは「もうカヤックが好きくってしかたがない」といった感じでわいわいやっている。このシーカヤックの麻薬的魅力はなんだろう。ぼくはその横で、この浜はキャンプによさそうだな、うっしっしとか考えていた。けどなんとなくここはシーカヤッカーみんなの場所、みたいなイメージもちょっとあるので、ちょっと様子を見ようと思うのである。

今日は何艇かのカヤックにあったわけだけれど、カヤックのメーカーがアメリカで出会ったカヤック達とまったく違ったのが面白かった。大いに結構なことである。ぼくはその日、Aさんのラサ、Hさんの不知火を漕がせていただいた(ありがとうございました)。特に不知火は気になっていた舟だったので漕げてよかった。スピード感と安定感がいいと思った。

ウィスパーに興味があるというAさんにぼくの舟を漕いでいただく。なかなか好感触を得られたみたいで、よかったよかった。

ぼくたちは、ちょっと強くなった風の中を漕いで和田長浜へ戻った。途中でグループが前後に二分してしまい、しかもその要因を作った心当たりがぼくにあったため、反省。これからはガイド不在のグループで漕ぐ機会も出てくるかもしれないので、気をつけよう。考えてみたらこれまでぼくはガイド不在のグループで漕いだことがないっぽい。まだまだ学ぶことはいっぱいあるのである。

その後、みなさんが使っている艇庫でまったりして、帰宅。Tさんが車でぼくを家まで送ってくれた。多謝!楽しかったなあ。またこぎにこよっと。


はじめての三浦半島

2008年04月11日 | カヤック

あー漕ぎたい!うずうず。新居の本棚が作りかけだったり、台所マットを選んだり、Eが友人の結婚式の二次会で当てたwii(すっごいうれしい)を接続したりと、やるべきことは深海にしずしずと舞い降りるシースノーのごとくぼくの身の回りに降り注いでいるのだけど、まあいいや。やるべきことよりも、やりたいことをやりたいではないか(同語反復)。というわけでぼくはぴゅーっと遊びに出た。

行く先は三浦海岸。三浦半島の東京湾側である。心温まる週末の朝の京浜急行に揺られ、三浦海岸駅に着いた。いいところだなあ。なんか知多半島をちょっと活気よくした感じだ(いい加減な言い方だけど)。ぼくはペキパキと舟を組み始めた。するとそのへんにのんびりとすわっていたいかにも自由人ぽい男性の方から声をかけられた。

その人はヨットに乗る人みたいで、シーカヤックのことも詳しく、野田さんのことや転覆隊や知床やファルトボートのことで盛り上がった。漕ぐ場所は油壺とか和田長浜がいいよ、と教えてくれた。メモメモ。



出艇。十分いい景色だなあ、と思いながら漕ぐ。ボーソーが見える。ボーソーか、遠くへ来たなと、ふいに思う。そういえば名古屋にいたころは関東の地理が全然分からなかった(いまも全然わからないけど)。ぼくだけじゃなくて、たぶん家族もよく分かっていないと思う。実家の家族に三浦半島だとか江ノ島だとか東横線だとかいろいろゆっても、へ~とかふ~んといった言葉しかかえってこない。思うに名古屋の人は箱根の関所以東の地理を知らないのだ。関東の人が箱根より西を知らないように。あるいは関西の人が関ヶ原より東を知らないように(たぶんだけど)



トイレにいきたくなって最寄の浜に上陸。おや、穴があいてるゾ!



昔の人は洞窟のなかで暮らしていたのだろうなあ、きっと。入りたくなっちゃうもんなあ。

再度出艇。南へずんずんと向かう。透明度がぐっと上がり、だんだんうねりが強くなってくる。剣崎の灯台を回りこみ、江奈湾に出る。このへんまでくると緑がだいぶ目に入るようになる。城ヶ島が見えるなあ。あまり土地のことをリサーチしてきてないので、今日はワンウェイツーリングはあきらめて、ぼくは再び出艇地である三浦海岸へ向かった。風の強い春にここまでツーリングできたことだけでも感謝しよう。

風が強くなってきてはいたものの、無事に三浦海岸にたどり着くことができた。レインウェアを着て、舟をバラした。いやー今日はいい運動になった。本当にシーカヤックって楽しい!


水上の花見

2008年04月08日 | カヤック

横浜のボートショウで初めてお会いしたTさんにお花見パドリングに誘われた。場所は横浜の大岡川である。



川のわきには桜がずらっと並んでいる。路上では出店なども出ていて人通りが多い。通行人にカメラを向けられながらのんびりと水上の散歩を楽しんだ。Tさんはこどものころからこの界隈を知っているそうで、面白い話をいくつか聞くことができた(どうもありがとうございました)



適当な場所で折り返して、川を下り、みなとみらいに出た。ランドマークタワーが男性的に聳え立ち、クイーンズタワーが女性的に寄り添っている。ぼくたちは汽車道でコソコソと舟をばらした。

これからぼくはこの横浜に住むことになった。桜の咲くこの季節、楽しいカヤックライフのはじまりの予感がするのである。