水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その6 ~ クック船長の足跡 ~

2010年05月16日 | ニュージーランド南島

ニュージーランド南島の旅5日目。

ぼくとEは海辺の町、ピクトン(Picton)にいた。ここは南島の北東にあたり、クック海峡を挟んで北島に相対している。このあたりはクイーンシャーロットサウンドと言って、くねくねとした海岸線と多くの島からなる複雑な地形を形成している(ちなみにクイーンシャーロットサウンドはカナダにもあるけれど、もちろんここでゆってるのはニュージーランドのクイーンシャーロットサウンドである)

ぼくとEはホリデイパークで得たインフォメーションをたよりに港へ向かった。クック船長も訪れたという海を見てみようということで、Beachcomberという名前のクルーズに乗ることに。

午前9:30。ぼくらはBeachcomberのカタマラン(双胴船)に乗り込んだ。サイズは小さなフェリーといったところだ。

ぼくらを乗せたカタマランは軽快に水の上を走り出した。両岸の景色が見る見る後ろへ流れてゆく。このあたりの景色は、日本でいうなら五島列島や三重の志摩のあたりに似ているかもしれない(五島列島には行ったことないけど)。海の色はやはりどこか翡翠の色に似ていて、すこし緑がかっている。岸は森がびっしりと生い茂り、心の和む景色が続いた。

「このあたりにはたくさんの well-hidden cove(隠れた入り江)があります。そういうところには holiday home が建っています。この船はそういう閉ざされた場所に住む人のために郵便を届けることを兼ねています」

運転手の声が船内のスピーカーから聞こえてくる。ぼくらはそれを船の二階のテラスで海風を体で受けながら聞いていた。カモメが水面スレスレを滑るように飛んでいる。波はなく、日の光はまるでフルートの音色のように気持ちいい。

「ここは18世紀後半、キャプテン・ジェイムズ・クックが船でやってきて調査をしたことで有名です。南島と北島の間の海峡はクック海峡と呼ばれています。クック船長はここに100日以上も滞在しました。Ship Coveと呼ばれる場所です。我々は今そこに向かっています」

ぼくはアナウンスを聞きながらあることに気がついた。クック船長を語るとき、ニュージーランドの人たちはどこかちょっと誇らしげだ。もちろんニュージーランドの地形の調査という実質的な仕事に対する尊敬はあるだろうが、なにかそれ以上のものを感じる。思うに、その頃の大型船舶の船長というのは、一人何役もこなすある種超人的な人物だったのではないか。いうなれば優れた航海士であることはもとより、探検家であり調査長であり頼れるリーダーであったのであろう。全人格的に優れていた人物だろうと想像する。ニュージーランドの人たちの冒険好きの根っこは、もしかしたらこういう人物の冒険譚にあるのかもしれない。

船内を見ると、「いかにも!」という感じのアウトドア野郎が何人か乗っている。後で知ったのだけれど、ここには有名なトレッキングコース「Queen Charlotte Track」があり、その先端まではこうして船で向かうそうである。彼らはこれから何日かかけてコースを歩ききるのだろう。すごいなあ。

その後、船は Ship Cove という名の浜にたどり着き、そこでぼくらを下ろした。ぼくたちは、そのクック船長が100日以上滞在したという浜を散策した。人の手があまり入っていない、穏やかで本当に美しい浜である。海は穏やかで、青々と茂る森に囲まれている。正午まで間もない陽の光が気持ちいい。森は「ジャングル」といっても通じそうなくらい多種多様な植物に満ちている。こんなところで何日か一人で過ごしてみたいものである。

再び船に乗った。帰り道では所々にある小さな波止場に船を止め、運転手が「郵便」を届けた。郵便といってもほとんどはバッグや箱に入った大きな荷物である。面白かったのが、船が波止場に近づくとどこからともなく大人や子供がわらわらと集まってくることであった(犬まで集まってきた)。ほのぼのだなあ。

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かわいらしいピクトンのダウンタウンでムール貝とサーモンの昼食をし、ぼくらはこの町を後にした。昨日のワイナリーめぐり、今日のクルーズと、本当に楽しむことが出来た。ここからぼくらは西のタズマン海へ向かう。さあ行こう、ネルソンへ!

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その日の夜。ぼくとEはネルソンのとあるホテルにいた。

さっそく日本から持ってきたネットブックを無線LANに接続してニュースをチェックした。フィギュアスケートの浅田真央選手と高橋大輔選手が全日本で優勝したというニュースがトップに出ていた。二人ともオリンピックへ出場できるということだ。海外にいると日本のニュースに飢えるのである。いいニュースで大変よかった。どうでもよいけど、ぼくは真央ちゃんと出身校が同じである。ぼくはスポーツをあまり熱心に観戦するほうではないのだが、彼女のことは心の底で応援しているのである。

このホテルは、今回の旅において最初(で最後)のホテルである。Eはホテルの部屋に入るなり、タオルもある~テレビもある~ベッドもふかふか~などと言い、まるで午後の紅茶を飲んだ蒼井優のようにはしゃいでいる。そんな彼女の姿を見ていると、この旅ではキャンパーバンでニュージーランドのホリデイパークを巡るということに、ぼくは少しこだわりすぎたかもしれないと思った。

この夜ぼくらはネルソンのちょっといいレストランに入った。今日はもうこれ以上運転する必要がないので二人でお酒を飲んだ。ぼくもEもラムを食べた。ラムは火の通りが絶妙で、脂肪は少ないのに大変柔らかい。

大航海時代、船の中には何頭もの生きた家畜が乗せられた。これが航海中のタンパク源である(ちなみに野菜はすべて酢漬けであった)。ヒツジはもともとニュージーランドにはいない。クック船長が持ってきたものである。ニュージーランドの人たちがクック船長を愛する理由が今日ちょっと分かった気がした。


キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その5 ~ワイナリー探訪~

2010年05月02日 | ニュージーランド南島
キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その5 ~ワイナリー探訪~

ニュージーランド南島の旅4日目。

夜中に何度か目を覚ました。目を覚ますたび、ああ、ここは車の中か・・・、ここはニュージーランドか・・・と記憶をひとつひとつ巻き戻した。いつ目を覚ましても、車の窓の外はしとしとと雨が降っていた。




西海岸は今日も雨

昨日は氷河トレッキングを終えたあと、フランツジョセフから180kmほどの位置にあるグレイマウス(Greymouth)という町までスペースシップを運転した。今はグレイマウスにあるホリデイパークにいるのだ。昨日の夜はホリデイパークのコインランドリーで洗濯して、スペースシップの中でちょびっとワインを飲んだら、電池が切れるように眠ってしまった。氷河トレッキングと運転の疲れのせいだろう。

ぼくもEも狭い車の中でヨロヨロと起き上がった。外は陰鬱な天気である。朝だというのに、窓の外はまるで吸血鬼が支配するような世界だ。雨は昨日の夕方に降り出してから、ずっと今まで降り続けているようだ。地面はぬかるみがひどく、歯を磨きに行くのもおっくうである。

「おはよう。雨だね」というEのおでこには、『私はホテルに泊まりたかった』という文字が書いてあった。ぼくはそれを見て見ぬふりをして、「おはよう。雨だね。西海岸は雨が多いっていうのは本当だね。氷河も出来るわけだ」とやりすごした。

こーんな感じで、我々はヨロヨロと起き上がり、ウダウダと仕度をし、ボチボチなどとゆって車のエンジンを回した。我々はここから北東を目指す。

海岸の道をゆく。車を出したはいいものの、雨足が強いため運転は慎重だ。窓から見える海の様子は怒り狂ったように荒々しい。こんな海に漕ぎ出すカヤッカーがいたとしたら、それは大天才か大馬鹿のどちらかである。こうして鼻歌を歌いながら運転しているぼくはどうやら天才でも馬鹿でもなさそうである。

世界的に有名な観光ガイドブック「ロンリープラネット(Lonely Planet)」によれば、今我々が運転しているグレイマウスからウエストポート(Westport)の道は "one of the planet's 10 best road trips" であるという。地上で10本の指に入るほどの美しい道だというのに、この日の天気は雨。ぼくもEもこの道のドライブを楽しみにしていたのだけれど、まあ、自然は人間の目の保養のためにあるわけではないのだから、文句を言うわけにはいかない。

話はそれるけど、キャンプをしていると雨が降ることがある。降り始めはありゃーと思う。けど少し経つと、雨の中にいることに慣れてくる。そしてもう少し経つと雨の雰囲気がだんだん好きになってくる。雨には雨の良さというものが、きっとあるのである。

思うに、人の想像力とは「見えないもの」にこそ発揮されるのではないだろうか。晴れ、すなわち全てが明るみにある世界というのは、誰の目にも明らかな秩序のある世界であって、唯物的、あるいは主観の存在しにくい世界であるとも言える。一方、雨や霧の世界というのは、本来の姿が隠されてしまっている世界のことであって、そこには人の想像に限界を設定するものはなにもない。暗い世界は想像力を育てるのだ。

たとえば海に船が浮かんでいるとして、晴れていればそれが船であることに疑いの余地はない。しかし雨の世界ではそれは島であり、灯台であり、月であり、未知なる巨大なカメとなるのである。モネ、オイラー、ベートーベンなど、視力や聴力に障害を持った天才と呼ばれる人が存在するけれど、雨や霧の世界の中で偉業を成し遂げた人というのは、「想像力」を「創造力」にまで昇華させた人にほかならない。その「力」の凄さにこそ、我々は感動し圧倒されるのである。

話は飛んだけど、そういったわけで(まんざらでもないな)などと思いながら車を運転した。

この日は合計で8時間ほど運転しただろうか。クリスマスが終わってにわかに人出が多くなったようだ。西海岸を離れ北東に向かうと、次第に晴れ間が広がってきた。天気の移り変わる様子は圧巻であった。木々の間からあふれ出たもやが、天に伸びる無数の手のように森の全体から上空へ延びている。また、雲と雲の隙間をぬって届いた光が森に深い陰影を与えている。大地の息吹に満ち満ちた光景である。映画 "Load of the Rings" の中にいるみたいだった(この映画はニュージーランド南島で撮影された)。ためしにEに "precious" とゆってみると、"preeeecious" という返事が返ってきた。通じたようだ(映画観てない人、すみません)

次第にヒツジが目立つようになってきた。Eがこんなことをゆう。

みんなさ、子羊を食べるじゃない?あれってザンコクだと思うんだよね。

「そうかもしれなけど・・・」とぼくは口ごもった。大人の羊を食べるのも十分ザンコクではないだろうか。けどまあ、生殖活動もしていないうちに殺してしまうのはやっぱりかなり残酷かもしれない。「けどさ、Eもさ、このあいだ披露宴で出たフォアグラおいしそうに食べてたじゃん。あれもかなりザンコクだよ」と、ぼくはつついてみた。すると、

わたしフォアグラ食べないもん。あれって鴨を狭い箱にいれて太らせるんだよね。かわいそうだよね?披露宴の時は出されちゃったから仕方ないけど、自分からは頼まない。

という。きっともしEがえらくなったら、フォアグラはどんどん小さくなり、羊のお肉はどんどん大きくなるのだろう。ぼくはそういう世界を少し考えてみた。ザンコクじゃない世界のほうがいいかもしれない。けどやっぱり子羊ってうまいから困る。


ワインの町へ

だいぶ土地が乾いてきた。ここはニュージーランド南島の北部のマルボロ地方(Marlborough Region)だ。ニュージーランド最大のワインの産地である。ここに来るのを楽しみにしていたのだ。ロンリープラネットにはたくさんのワイナリーがリストされている。ぼくらはその中から4つのワイナリーを訪れた。



どのワイナリーも立派なテイスティングルームを持っていて、気分はなかなかリッチである。ぼくの訪れたワイナリーのテイスティングはどこもフリーだった。それぞれのワイナリーで4~5種類のワインのテイスティングをさせてもらう。知らなかったのだけれど、ニュージーランドではSauvignon Blancがおいしく、ぼくの見た限りではChadonnayよりもはるかに人気である。カリフォルニアにいた頃はまったくといっていいほどSauvignon Blancを買わなかったのだが、ここでは迷わずSauvignon Blancを購入。ジュースのように爽やかで、本当においしい。



他に気に入ったのはSirah, Rieslingなどである。これまでワインといえばChardonnayやCabernet Sauvignon、Pinot Noirなどがうまいもんだと思い込んでいただけに、新鮮な体験が出来た。

いやーテイスティングって大好き。こうやってちょびっと味見をして、なおかつその酒の講釈などをフムフムと聞いちゃったりして、「お口に合えば買ってくださいね」なーんてゆうのは、酒飲みにとって小さな天国である。しかも値段も安い。ぜーんぶ買ってしまいたいところであるが、そこはその、酒を飲まない(正確にいうと運転のために我慢してくれている)Eが座敷童子のように横目でジーっとぼくを見ているからあまり羽目をはずせないけれど、それでも気に入った一本をゲットするのは嬉しい。

ちなみにニュージーランドのワインは、ほとんどがコルクではなくスクリューキャップを使用している。コルクとスクリューキャップ。人によって好みはあると思うけれど、ぼくはスクリューキャップが合理的であるように思う。なぜならまず第一にブジョネ(コルク臭のついたもの。コルクに住む菌が原因)がない。第二にコルクを開ける時の失敗がない。第三に再び栓をしやすい。第四に十得ナイフが少しスリムになる(どうでもよい)。というわけで、もともとブドウとコルクが両方取れる土地ならいざしらず、わざわざ輸入してまでコルクを使わなければならない理由は挙げにくいと思うのである。潔くスクリューキャップを使い、安く上質なワインを作っているニュージーランドのワイナリーには好感を覚えるのである。

我々はその夜、たどり着いたピクトン(Picton)という町のホリデイパークで、買ったばかりの白ワインを「クルクル」と開け、キャンプ用の金属のカップでEと二人で仲良く乾杯したのであった。自分で選んだのだから、味は間違いない。ブジョネもない。保障付きのワインなのであった。


キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その4 ~ 氷河トレッキング ~

2010年04月03日 | ニュージーランド南島

ニュージーランド南島の旅3日目。

ホリデイパークの車の中で目を覚ました。温かな眠りの床から意識がだんだんと起き上がってきて、普段ならそのままゆるゆると水平飛行に入るところなのだが、この日の朝は違った。覚醒をおえた意識は、そのまま想像の世界へと飛翔し、そしてぼくはひとつの高みに立った。

今日は、氷河トレッキングツアーに参加することになっているのだ。進化を忘れて眠ってしまったウツボのような、あの山と山の間からぬっと首を出している氷河の上に立つのかと思うと、自然と気が引き締まった。

ぼくはこの氷河トレッキングの様子を、旅の途中ノートに綴った。この手記をそのまま載せようと思う。

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■手記1

今 West Port にあるカフェでこれを書いている。昨日の glacier hiking のことを忘れないうちに書いておこうと思う。

8:00に Glacier Guide に到着。すでに人がたくさんいる。雨が降っているから、今日のツアーは中止にならないだろうかと少し不安に思っていたのだけれど、そんな様子はない。ぼくたちが予約したのは Half Day Tour というものだ。氷河の上での実質のハイキング時間が2時間ほどという内容で、氷河を山にたとえると、ちょうど中腹あたりまで登ることになっている。他にも Full Day Tour があり、これはさらに上のほうまで行くことが出来る。さらに上、氷河のてっぺん付近に行く人のために、さらにヘリコプターのツアーが用意されている。

受付を済ませて氷河トレッキングの装備を借りた。ブーツ、クランポン(アイゼン)、防水素材で出来たのボトムとトップ。ブーツはハンターが履くようなラバーコートのされたもので、内側は肉厚のフェルトのような素材で足首まで覆われている。ボトムとトップはそのへんのパーカーとは違って、分厚く丈夫である。一年間風雨と天日にさらしても耐えそうで心強い。ぼくもそれなりのアウトドアの準備をしてきたつもりだけれど、これらの装備と比べたらぼくの装備なんて貧弱なものである。

ツアー客の準備が整ったところで、みんなでバスに乗り込み、フランツ・ジョセフ氷河の近くまで移動した。

バスを降りて、Rain Forest の森を歩く。わさわさと茂った森の木々が雨に打たれて揺れている。鬱蒼(うっそう)とした森を歩いていると、本当にこの向こうに氷河などあるのだろうかと思ってしまう。気温は16度ほどあるだろうか。雨は降っているもののそれほど寒くない。氷河が作られるには相当な降水量が必要なはずだ。そう思うと、今こうして雨に打たれているのも別に不幸なことだと思わなくなってくる。

鬱蒼とした森を抜けると、だだっ広い場所に出た。2kmくらい向うだろうか、右手に氷河の先端が見える。右から左へ向かって川が蛇行している。これは氷河から溶けた水が流れているのだ。一見不毛な土地に見えるこのだだっ広い場所は、氷河が進退を繰り返して地面を均した(ならした)結果に違いない。

我々はそこから氷河が目前に来るところまで歩いた。ここでクランポンの履き方を教えてもらう。

(手記1おわり)

■手記2

ネルソンの Holiday Park にて。氷河トレッキングの続きを。

フランツジョセフ氷河はいまだに成長を続けている、地上でも数少ない氷河である。氷河期の頃、この氷河は今よりももっと長く(当たり前か)、先端部は海にまで入っていたと思われるという。この奇怪(きっかい)な姿をした氷の塊を観ていると、さもありなんと思うのである。こいつらなら平然と海の中にも進入していきそうである。

カシャカシャとクランポンの音を響かせながら、ぼくらは崖を登り、氷河の上に立った。一見するだけで、相当な量の氷であることがわかる。数百メートルほど離れた崖と崖の間にびっしりと氷が埋まっており、崖に近いほうでは、土砂と氷の混ざり合った状態になっていて、中心に近いほど土砂の混入のない真っ白な氷になっている。

「氷河」という言葉から、どことなく異世界の、美しい景色程度しか思い浮かべていなかったぼくにとって、現実の氷河の姿は「暴力的」とでも表現できそうな程の、圧倒的な力の結晶として映った。まるで巨大なブルドーザーが背後からじわりじわりと氷塊を押し出しているみたいだ。今足元にある氷はきっと気の遠くなるほど昔に空から降りてきたのだろう。氷の河の流れは実に緩やかである。

ガイドさんは時折グループをとめて氷河の成り立ちを説明してくれる。しかし残念だったのが、ガイドさんの英語がまったくといっていいほど分からなかったことだ。ニュージーランドなまりがすごい。「アー」とか「ウー」とかゆってるようにしか聞こえない。ぼくはアメリカ英語に慣れてるしな、なーんて開き直っていたのだけれど、隣にいたアメリカ人と話したら彼はガイドの言葉を完璧に理解していた。やはり自分の英語は表面的なものだなと感じ、言語の壁は厚いと再確認したのである(軽くショックでした)

氷河を奥へ奥へと登り進めていくにしたがい、氷の色が青色がかった色に変化していく様子がわかった。これをブルーアイスと呼ぶという。詳しいことは良く分からないけど、これは氷の圧力と関係があるらしい。氷の断面から漏れてくる鈍い青色にぼくは魅せられてしまって、いつまでもそこで深遠な世界から届く光を見ていたかった。

この氷河ガイドの会社はスタッフがたくさんいるみたいで、氷河のトレッキングルートの要所要所に待機して、ルートを整備してくれている。面白いことに、彼らはピッケルを器用に使い、氷を削って階段を作っているのである。ぼくたちは壁に固定された鎖を握ってその階段を登るだけである。登るだけ、とは言っても、急峻な階段は解けた表面の水でいかにも滑りやすそうだし、鎖はゆるく張ってあるので、バランスを崩したときのことを考えると小さな恐怖心が芽生える。

「大丈夫かな。全部登れるかな」とEが不安げにつぶやいた。「大丈夫だよ」とぼくは答えた。たぶん大丈夫だろう。グループの中ではぼくらが一番若そうである。どちらかというと、その、氷河を登るには少々ふくよかと思われる方もいらっしゃるのを見るにつけ、我々に分があると思うわけである。それでもまだ不安そうにしているEにぼくはこうゆった。

「それにさ、ここまで来たらひょーがないよ」

ぼくはアゴを少し上に向け、遠くを見ながらこう付け加えることを忘れなかった。

「ひょうがならいっぱいあるけどね」

Eが向こうを向いたままなので、(笑っているのかな)と思ったのだけれど、そうではなくてぼくのことを無視しているのだとしばらくして気がついた。沈黙は雄弁にぼくに反省を促した。

氷の階段を登ったり、大人一人がやっと通れる程度の狭いクレバスのような氷の裂け目を通ったりすることを繰り返すうちに、ぼくらは次第に表現すべき言葉を失っていった。このような世界が地上にあることに、ぼくもEもはただただ感嘆していた。言うなればこれは自然の建造物だ。長い長い時間をかけて完成されるものは、美しく尊いものだと思った。

氷河の上の平らな部分まで来たところで休憩になった。随分高いところまで登ってきたものである。ここで一週間ほどキャンプしたら氷河が進んでいるのがわかるだろうと思った。

後はここから折り返すだけである。氷河の上を歩いていると、いたるところに水の流れる穴が開いていることがわかる。表面の解けた水が集まり、一箇所を溶かして、水の流れるトンネルになるのである。これは本当に興味深い現象で、穴の向うに本当の神秘的な何かがあるのではないかと思わずにはいられないのである。

(手記2おわり)

氷河の溶けた水の流れがどこにたどり着くのかと疑問に思ったのはぼくだけではないようで(あたりまえだ)、2008年にグリーンランドの氷河の水の流れを確認する実験が学たちの手によって行われたという。その実験には、お風呂なんかで遊ぶおもちゃのアヒルが使われた。氷河にあいた穴に吸い込まれる水の流れにこのアヒルを流し、どこから出てくるかを調べたのだ。(多分だけど)まだ実験の結果は出ていない。アヒルはまだ誰にも発見されていないのだ。

なんというかロマンのある実験である。いやむしろ実験などせず、謎は謎のままにしておいてもよいような気さえするのである。もっともアヒルにはGPSの発信機が付けられているということだから、おおよそのことは分かっているのかもしれない。

その後、ぼくたちは無事に氷河トレッキングを終え、ベースに戻った。ベースに戻ったのはお昼の2時くらいであった。その後は近くのレストランでMexican Wrapを食べ、小さな商店で氷河の絵葉書とリンゴと洗濯洗剤(1回分の小分けのやつがある)を買った。

まだ雨は降っている。鬱蒼と茂った温帯雨林の森から、飽和した水蒸気がもやとなって湧き出ている。さきほどまで、確かにぼくらは氷河の上にいたはずなのに、それが随分非現実的に思える。やっぱり、この国は不思議なところである。


キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その2 ~ 正午に太陽は北の空に ~

2010年03月16日 | ニュージーランド南島
2009年12月24日、ぼくとEはニュージーランドの南島にあるクライストチャーチ空港に到着した。



「メリークリスマス」の言葉が空港の放送から聞こえてきた。気温は22~23度くらい。当たり前なのだけれど、南半球のクリスマスは夏にやってくるのだ。

空港から街までタクシーで移動し、レンタカーオフィスで予約していた車をピックアップした。
今回のぼくらの旅の相棒はコレ。



「spaceship」という名前の、キャンパーバン専門のレンタカー会社のミニバンである。これはトヨタのエスティマをキャンピングカーのように改造したものである。後部座席はフラットなベッドになっていて大人二人が寝ることが出来る。寝具はもちろん、ガスコンロ、食器、洗剤などの装備を乗せた「走るホテル」だ。シーツは清潔だし、食器もきれいにまとめられている。バッテリーは2台積んでいて、うち1つは室内灯、冷蔵庫、DVDプレイヤー専用になっている。DVDはレンタカーオフィスで自由に借りてよく、見終わったDVDはニュージーランドに点在する「space station」という場所で交換することができる。この「space station」では旅の情報なんかを交換することも出来るから、ぜひ寄るといいよ、とオフィスの人にいわれた。

ニュージーランドではキャンピングカーを使った旅行が一般的だという。ぼくらのように2人で旅行をするのであれば、大きなキャンピングカーは少々オーバースペックで、ミニバンサイズのspaceshipの方がずっと経済的だし、運転もしやすい。

「spaceship」のオフィスで、国際免許書を見せて書類にサインをした。ドライバーという言葉の代わりに「astronaut #1」となっていたのがおかしかった。これでぼくらは宇宙飛行士だ。

スペースシップで街の中央まで移動し、車を道端の駐車スペースに止めた。そこから歩いてクライストチャーチの街を散策した。




市内を流れる川沿いの芝生には人々が寝転び、正午まで間もない太陽の光を楽しんでいる。日本は今頃、一年で最も日照時間の短い冬至なのだから、南半球のこちらでは夏至のはずである。そう思って空を見上げると、垢抜けた太陽は確かに僅かに北に寄っていた。

川と並行するオックスフォードストリートを歩くと、大きく道路に張り出したパティオテーブルで人々がにぎやかに食事やお酒を楽しんでいた。透き通った乾いた空気と燦々(さんさん)と輝く陽の光。夏のにおい。Eと昔一緒に住んでいた、カリフォルニアのバークレーの夏みたいだ。「やっぱりニュージーランドに来て正解だったね」とEがゆう。きっと同じことを考えていたに違いない。

クライストチャーチは、人口30万人ほどの南島で一番大きな町である。別名「ガーデンシティ」と呼ばれるこの街は緑がほどよく配置され、いかにもイギリスの移民が作った街らしく、秩序だった町並みが美しい。市内を流れる川の水質が驚くほど綺麗で、この街の印象を良くしている。

ぼくらはオックスフォードストリートのカフェに入った。グリルドチキンのサンドイッチ、ポータベロマッシュルームのサンドイッチとオレンジジュースをオーダーした。

最初に結論を言うと、ニュージーランドのレストランはどこもだいたいおいしい。どの料理にも新鮮な野菜が入っていて彩りもよい。量もちょうどいい。日本ではちょっと見ないような具材の取り合わせや工夫がある。サービスも大抵よい。今回の旅行ではレストランで落胆したことは一度もなかった。

ついでにいうと、日本と時差があまりない(NZが3時間進んでいる。9月から4月は夏時間のため4時間の時差になる)ため、食事のサイクルが合わせやすくていい。アメリカに旅行に行ったりすると朝の6時におなかがぐーぐー鳴って困ったりするけれど、ニュージーランドではその心配はないと言えるだろう。



クライストチャーチの街をEと歩いた。地面に描かれた大きなチェス盤でチェスをする人たちがいた。面白そうだなあ。時間があったらぼくも一戦、いやせめて観戦といきたいところだけど、ポーンもナイトもビショップも知らないEはまるでクイーンのように涼しい顔でスタスタと通り過ぎて行くので、やむをえずぼくもそれに従った。



クライストチャーチ大聖堂。イギリスからの移民によっておよそ100年前に完成した教会である。

街を散歩して、地図を扱う店でネルソンの地図とお土産用の地図を購入した。珍しいことに「A Manual for Sea Kayaking in New Zealand」というシーカヤックの本があったので、これも購入した。

クライストチャーチのホリデイパークまでスペースシップで移動した。

ホリデイパークとは、キャンピングカーで寝泊りするための私設の施設(あり?)のことである。日本の感覚で言うのなら、オートキャンプ場が最も近い存在だろう。インターネットや電話で予約をし、当日チェックインするときに区画の番号を言い渡され、その場所に駐車して車の中で宿泊するのである。たいていの場合、1区画は駐車スペースの横にちょっとしたスペースがあって、くつろげる空間が確保されている。芝生になっていたり、テーブルが設置されていることが多い。このスペースにタープなどを張って食事をしたりする光景もよく見られる。共同の設備としては、キッチン、トイレ、シャワー、コインランドリー、ゴミ捨て場、場所によってはプールやジャグジー、子供のための遊具などが整っている。キッチンには冷蔵庫、コンロ、電子レンジ、オーブンなど、食器以外のものは大抵そろっており、いたって清潔かつ実用的である(食器やナベ類は大体キャンピングカー会社がレンタルしてくれる)。電源のあるサイト(powered site)を予約すれば、電気を使うことが出来るので、夜間に携帯電話やPCや音楽プレーヤーなんかを充電することが出来る。電子機器をいくつか持っていくならば延長コードがあるとよいだろう。



このホリデイパークは日本円にして一泊せいぜい3000円程度である。それも車1台につき。この安さは実に有難いのである。ニュージーランドを去る前にホリデイパークに深々と一礼すればよかったと、少々悔いる次第である。おかげで旅費を別のアクティビティや食費にまわすことができた。







ベッドをこしらえて、ニュージーランドのビールをグビグビッとやった。ビールというのはほんとに不思議な飲み物だと思う。こいつを飲むと、飛行機を降りてから張っていた気がすーっと緩むようだった。

道中のスーパーマーケットで買ったチーズとツナ缶とクラッカーで簡単な夕食を済ませてしまうと、することがなくなった。ああ、今日はたくさんの事があったなと思った。Eと力を合わせて、予定通りここまでたどり着くことが出来た。キャンプ用のホーローのカップに赤ワインを注ぎ、「メリークリスマス」といい二人でカチン!と乾杯した。

さあ、明日はどんな一日になるだろう。寝袋に入ると(ぼくは自分の寝袋を持ってきた。備え付けの寝具はEが使った)、ルーフウィンドウから星が3つほど見え、ああ、いいもんだなあと思った。これが、この日、最後に思った事であった。

キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その1 ~ 旅のいきさつ ~

2010年03月14日 | ニュージーランド南島



2009年のクリスマスのころから、年を越した2010年の1月のはじめまで、ニュージーランドの南島を旅行した。

「冬休みにニュージーランドに行かない? 氷河とか見に行こうよ!」

と陽気にEがぼくを誘った。ニュージーランド。きっと自然が美しいだろう。「ああ、いいだろうねえ」と、自然の好きなぼくは答えけど、ぼくの気持ちはまだ輪郭のはっきりしない綿アメの様にフワフワしていた。この会話をきっかけにぼくらは旅行の準備を始めることになるのだけれど、だいたい二人で行動を起こすときはいつもこんな具合だ。Eは見た目よりずっと積極的で、ぼくはいつも腰が重い。

「2人でクルマを交代して運転してさ。アメリカでやったロードトリップみたいじゃない?」

ロードトリップ。ぼくとEは、その昔ぼくらがアメリカで住んでいた頃、一緒に東海岸から西海岸までトラックを運転したことがあるのだ。3000マイルを1週間ほどかけて走り抜けた。果てを知らぬ中西部のコーンフィールドを走り、北米大陸の屋根である壮大なロッキー山脈の坂を喘ぐようにして登り、生まれたばかりの星のような荒涼とした礫砂漠を通り抜け、シエラネバダの緑に包まれ、そこからはじき出されるようにしてカリフォルニアの太平洋を目にしたときには涙が出るほど感動した。目を閉じれば、ぼくはいつでもあの黄色のトラックを思い浮かべることが出来る(おまけにトラックの後ろにはシビックを牽引していた)。あの壮大な引越しの様子を。

この旅を通してぼくが感じたのは、「アメリカは広い」という言葉だけでは説明しきれない何かだった。
言うなれば、それまでぼくが知っていたアメリカは、本当のアメリカのほんの一部、あるいはほんの「表層」であり、その全貌には到達しえないという圧倒的な感覚であった。それはまるで円周率の数字の羅列のようなもので、いくらその数字を追おうとも、それを遥かに勝る量の(厳密には永遠に続く)数列がその後に続くと知った時の敗北感に似ている。「π」や「アメリカ」といった言葉は、その敗北感を封じ込めるためのおまじないのようなものである。

「ロードトリップ」という言葉がEから発されたその瞬間にぼくの心は3000マイルを疾走し、そしてぼくの心は決まった。空は晴れ渡り、綿アメはキュッと小さくなってアメ玉となり、ヒツジがのんびりと草を食(は)みはじめ、原住民のマオリの人たちがハカの踊りをはじめた。

「うん、いいね!行こう!」とぼくは答えたのだった。

気分が昂ぶったはいいものの、いわゆる先立つものが不安といえば不安である。早速調べてみた旅券の値段は、一瞬身体が凍るほど高い。これじゃあ、ぼったくりバーの方がまだ良心的というものだ(行ったことないけど)。しかし熟考(じゅっこう)すること3分、ぼくはひとつの境地に達した。この計画はEとぼくにとってきっと大切なものになる。だから、休みは飛行機が高いからどうのこうの、などというのは卑小な言い訳であって、この機会をフイにしてはならない。こんな妙な正義感に似た感覚が芽生えて半ば強引にこの旅行を決断したのだった。

ヒツジがのんびり食んでいるのはひょっとしたらぼくのお金かもしれなかったけれど、そういう難しいことはもう少し大人になってから考えればいーのである。

旅に出ない理由を探してはいけない。すべての問題を後回しにすれば、行動することはさほど難しいことではないのである。

2009年12月24日、ぼくとEはニュージーランドの南島にあるクライストチャーチ空港に到着した