水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

テキサス州、オースティンへ行くの巻 その4

2007年02月26日 | 旅行

ぼくとEはTown Lakeでカヤックと散歩を楽しんだ後、車に乗って食事へでかけることにした。時刻は午後1:30。お目当てのレストランはオースティン郊外にあるSalt LickというBBQの店。郊外にあって、車じゃないと行けない。アメリカの人気番組"$40 a day"で、Rachel Rayが紹介したレストランだ(ぼくはたまたまみてた)。オースティンに行くのならここはぜひおさえておきたい!

30分ほど郊外ののどかな景色の中を移動する。そして、だだっぴろい広場のような場所にソルトリックは存在した。運動場のような広さの駐車場に車をとめ、店と思われるほうへぼくたちは歩いていった。おおっ、なんかスゴイぞ、ここは!

ん十人の人たちが外のピクニックテーブルにわらわらとたむろしている。見るとみんなクーラーボックス持参でビール飲んでる。さらには小さなステージでおじさんが弾き語りのカントリーを歌ってる。一方ではハーレーダビットソンが入り口でバラバラと音を立ててる。な、な、なにをしているんだろう、このヒトたちは。

なんか統率のとれてない集会のようなものにでも紛れ込んでしまったのだろうかと思ったが、いや、まさにこの場所がソルトリックであった。外にいる人たちは食事の順番待ちをしていたのだ。おいおい、もう2時過ぎてるぜ。しかしまだまだぞくぞくと人がやってくる。まさかこれほどの人気の店とは。しかしぼくたちは気を取り直して並ぶことにした。外にあるブースで順番待ちのために名前を書いてもらう。一時間二十分かかるという。う、と思ったが、どうせ一日に一度しかちゃんとしたレストランで食事しないんだから少しくらい待ってもいーや、と思ったのである。それに、なんだかこの全体的にただようアバウトでイージーな雰囲気がいいではないか。

それにしてもみんななんでレストランにクーラーボックスを持参しているのかが分からない。しかも夏みかんなら40個くらい入ってしまいそうなおっきなやつを。うまそうにビールのんでるなぁ。まぁ、みんな待ち時間が長いのを承知で、いわばピクニック気分を味わうためにビールを持ってきているのだろうとぼくは推測した。もしもこのブログを読んでソルトリックへいくことに決めたビール好きのアナタは、ぜひビールを持参してください。ソルトリック付近のガスステーション(くらいしか店がない)ではビールは売ってるけど買えません。テキサス州のIDがないとお酒は買えないことになっているみたいです。待ち時間の間にぼくもガスステーションにビールを買いにいったんです。二件も

後で知ったのだけれど、ソルトリックがあるカウンティではお酒に対して規制が厳しく、レストランでお酒を出してはいけないのだそう。けどやっぱりBBQにビールが飲めないのなんて、あんこの入ってないアンパンのようなものであって、したがって店ではお酒は売らないけれどみんな持ってきてねという暗黙の決まりがあるそうなのであった(店内へのクーラーボックス持込可)。是非はおいといたとして、やはりテキサスはキリスト教圏だなと再確認したのである。

なにがともあれぼくたちの順番はちゃんとやってきて、ぼくとEは店内へ入ったのである。

うわー、でっかいカマド! 石を積み重ねてできた円形のカマドの上にふっとい網がしいてあって、その上は肉肉、肉。上のほうにはふっといソーセージがぶら下がっている。炭火の熱気がものすごい。カマドの石は長年肉の油を吸い込んだのであろう、てらてらと光り、えもいわれぬ妖気を発していた。ぼくたちはテーブルへ案内されて、ポークリブを注文した。

うっひょーい。BBQだBBQだ。もぐもぐ。んまーい!

BBQって言葉自体はその昔カリブのほうから来たらしい。地面に掘った穴に、肉汁がたまるような容器をしいてその上に動物の肉を置く。それに木の葉をかぶせて炭を置き長時間放っておく、というのがオリジナルの調理法。それが現在のBBQの原型かどうかは知らないけれど、現在のBBQでは(主にアメリカ南部に多い)は木のチップをつかって肉を長時間あぶる。歴史的オリジナルは豚肉が材料だが、もちろんチキンでもソーセージでもオーケー。BBQって、直火でじっくり熱を通す料理(一方で強い火力で一気に調理するのはグリルといいます)なので、余分な油が落ち、意外にもくどくない。ソルトリックのBBQもわりとさっぱりしていた。

それぞれの店に秘伝のBBQソースがあったりするのも面白い(ちなみにソルトリックのBBQソースはオースティン空港でも売ってる)。どの世界にもコアなファンというのがいて、全米中いたるところでBBQフェスティバルみたいなのが行われているという。ようするにアメリカのベースボールキャップをかぶった男どもが情熱を持ってしまう料理なのだ。いわんやテキサスをや、なのである。

ぼくとEは食事を終えて、ソルトリックを後にした。いやー満足! 

さてと、もうじき夕方である。ぼくたちはそこから一時間ほどの距離のところの、湖のほとりにある綺麗な夕日が見えるという場所へ行ってみることにした。Oasisという、これも地元では有名なレストランだそうである。旅行の初日に行こうと思って行けなかったレストランだ。そこで夕日にデザートとドリンク、という魂胆である。

運がよかったみたいで、ぼくたちがOasisのレストランへつく頃にちょうど夕焼けが始まった。マルガリータとチーズケーキを頼んだぼくとEはテラスへ出て写真を撮った。

複雑な形の湖の、はるかむこうの大地へ沈んでいく太陽は圧巻であった。真っ赤な光をあびながらぼくは、こんなぜいたくないよなーと思った。期せずして、今日はじつに充実した日になった。たいして予定もいれておらず、フィーリングで行動したのがよかった。なによりオースティンの湖でカヤックを漕げたのがよかった。ぼくはカヤックを漕いだ日はじんわりとしたシアワセ感が体内に残るのだ。ぼくは幸せである。

ぼくとEはその後、ぜったい全部食べられないよねなーんていっていたいたずらに大きいチーズケーキをぺろっと食べ、マルガリータをグラスの底までストローでずずずっと吸い、Eの運転でホテルまで帰ってきたのであった。

ぼくは、仕事のあるEをオースティンに残して、翌日のフライトでカリフォルニアのバークレーに帰ったのであった。空港に止めてあった自分の車にうっすらと花粉がかぶっているのを見て、あぁもうじきバークレーにも春がやってくるな、とぼくは思った。

おしまい。


テキサス州、オースティンへ行くの巻 その3

2007年02月25日 | 旅行

翌日。ぼくは8時に目を覚ました。昨日のように、キッチンへ行って二人分のコーヒーを淹れる。ローカルニュースを見て、トイレを済ませると急にお腹がすいてきた。昨日ちゃんとした食事を一度しかしていないからだ。ぼくと彼女はホテルのレストランで朝食を食べた。

ぼく: サテ、今日は何をしようか?
E(彼女): 何をしようか? 何かしたいことある?
ぼく: ハイキングとかカヤックなんてわりといいかもしれないね(おそるおそる)。
E: Town Lakeでカヤックできるみたいだよ。漕いでくれば?わたしは散歩してるから。
ぼく: ヤッター!

イエーイ。ということで、今日はぼくはカヤックを借りて漕ぐことに決めた。オースティンのダウンタウンのすぐそばにTown Lakeという細長い湖があってそこでカヤックが借りれるらしい。彼女は水に濡れてもいい服がないしー、ということで散歩をしたいという。ぼくとEはPTクルーザーに乗って湖の横の艇庫にやってきた。

艇庫の半分はボートのスペースでもう半分がカヤックのスペースだった。オー、いいねー。こうゆう眺めだけでもぼくは幸せになれる。ドックにはミドルエイジの女性がボートの出艇の準備をしていて、ぼくは彼女と少し会話をした。

ぼく: こんにちは。
女性: こんにちは。わたし、ボートを漕ぐのはほんとに久しぶり。楽しみ。一年前までボートを漕いでいたの。
ぼく: いいですね!ぼくも昔シングルを漕いでいました。ここは漕ぐのによさそうな場所ですね。
女性: そうね。

ぼくは彼女の出艇を手伝った。ボートがぐらぐらしてなんか怖がっているように見える。大丈夫かなと少し心配になるが、不必要に怖がっているうちはなかなか沈はしないものだ。オレってうまくなってきたかも、という気持ちが芽生えたときに人は洗礼を受けることになる。その女性はおっかなびっくりで、ドックからなかなか出られないでいたので、片方のオールを掴んでゆーっくりとおしてあげた。楽しんで。グッドラック。

ぼくは無性にボートが漕ぎたくなってしまい、ショップのお兄さんにボートは借りれますか?と聞いてみたけれど、会員になって講習を受けないとダメとの返事。まぁしょうがない。いや、むしろそうあるべきだろう。ぼくは、分かりました、じゃあカヤックをお願いしますと言って、カヤックを借りた。一時間で10ドルだった(安)。ぼくは裸足になり、ジーンズの下に履いてあったスピードのスパッツ一枚と化繊の長袖の格好で、ライフジャケットを着けた。これで準備完了。いってきまーす。

うーん、気持ちいいなー!いい湖だ。木々が多くて、湖の周りは遊歩道になっていてたーくさんの人たちがジョギングをしたりサイクリングをしたりしている。こんなにいい日だったらジョギングも気持ち良いだろうなー。橋の上からも人々が湖面を見下ろしていて、いかにものどかである。そしてぼくは少しだけ優越感を覚える。

水は割りと綺麗で、冷たい。後で知ったのだけれど、この湖はかのコロラド・リバーに繋がっているという(じゃあなんで「湖」なんだろう?)。冷たいはずだ。ぼくは長さ3mくらいの安定したポリ艇にのって快適にパドルした。ぼくはこの上なく幸せである。途中彼女のEと岸で落ち合った。

E: アヒルがいたよ。
ぼく: え? アヒル?(驚) ほんと?
E: (ぼくの名前)くん、にこにこしてすっごい楽しそうだよ。
ぼく: うん、すっごい楽しい♪
E: ハイ、コレ。そこにいる子がハクチョウにパンをあげてって。
ぼく: ハクチョウ?(驚)

ハクチョウとアヒルってどう違うんだっけ?と思いながら、ぼくは湖を見渡す。あー、いるいる。たしかに二羽のハクチョウが湖に浮かんでいた。Eのそばには小さな男の子を連れたお母さんがいて、少しぼくに申し訳なさそうな表情をして立っている。むろん、パンを握った男の子はカヤックの上のぼくにキョーミしんしんである。ぼくはもらったパンをシートに置いて男の子に目くばせをし、Eからもらったカメラのストラップを口にくわえて、そろーりそろーりとハクチョウに向かって漕いでいった。


おー、近づいても驚かないゾ。よし、パンをあげよう。・・・と思ったもののぼくは一瞬躊躇した。ハクチョウに手を食べられたらイタイかな?と内心ビビッタのはナイショである。手で渡すのはコワイので、ぼくはパドルの上にパンを置いて、そーっとハクチョウの口のところへ差し出した。すると、ハクチョウはパクっと勢いよくパンを食べた!

ハクチョウはぼくのことを友達だと思ったのか食べ物だと思ったのか、パンを食した後もぼくに寄って来て、ぼくのパドルを噛んだりしていた。た、たのしい。彼らの口に目をやると、アパラチアン山脈のようななだらかな突起を持った白い歯が並んでいて、やはり手でパンをあげなくてよかったと内心ホッとしたのもナイショである。それにしても、なんて勇敢な人たち(ハクチョウたち)なのだろう。人をこわがんないんだな。陸を見ると男の子は大喜びで、さっそくEにふた切れ目のパンをあげていた。お母さんはさらに申し訳なさそうな表情を見せ、ぼくも遠くから、いいんですよお母さん、ぼくも楽しいですから、の表情を返したのだった。

ぼくはもう一度同じ事を繰り返し、今度はもう少しながくハクチョウと遊んだ。やがてハクチョウはぼくに興味を失い、自前のイエローパドルですーっと岸の方へ進んでいった。バイバイ。サテ、そろそろカヤックを返す時間である。ぼくはEと打ち合わせして、ドックへ戻った。そういえば先ほどのボートの女性はずっと前に納艇したようだった。やっぱりコワかったのだろう。

オースティン旅行3日目のつづきは、『その4』へ!

あ、そうそう、Eの撮ったアヒルの写真はコレ。



テキサス州、オースティンへ行くの巻 その2

2007年02月23日 | 旅行
テキサス州オースティン旅行二日目。今日はとてもいい天気だ。息を吸っているだけで自然に笑みがこぼれてしまうような天気。ここにはもはや春が来たのかな。ぼくはキッチンへ行ってコーヒーメーカーでコーヒーを二人分淹れた。今日もいい日になりそうな予感。

今日はオースティンから車でサンアントニオへ向かう。サンアントニオはオースティンから南西の方向にあって距離はおよそ60マイル。サンアントニオはオースティンより大きくて、人口は120万人。メキシコとの国境まで車でおよそ2時間、またメキシコ湾までも車でおよそ2時間のところに位置する。知らなかったのだけれど、サンアントニオはアメリカ人にとって観光地になっていて年間2000万人ほどの旅行者が街を訪れるという(驚)。かなりの人数である。それにひきかえ、おそらく外国人の観光客はあまり多くないだろう。アメリカの人たちが好む観光地というのにぼくは少し興味を覚えた。

ぼくたちの車はテキサスのひろーい、そしてちょっと茶色っぽい風景の中を進んでいった。そうそう、今回のお供はコレ。




クライスラーのPTクルーザー。少し恥じらいを覚えてしまうくらい赤い。これは人によってなかなか好みの分かれる車種みたいで、好きな人は好きだし嫌いな人は嫌い(常に正しい)なようである。ぼくはどちらかというとこの車に好意的である。過去10年くらいでアメリカ車はどんどん小型の車を開発していって、歴史を持つスゲー車もネーミングだけが残り、ボディもスペックも日本車またはヨーロッパ車を真似ながらもどこか失敗している、という状態が続いていた。アメリカ車が路線を変えて日本車に近づこうと努力し、同じ土俵で戦おうとしたのである。いわばアメリカ車は一度そのアイデンティティを失ったのだ。こういった中、ジリ貧だったクライスラーがここで一味違ったコンセプトを市場に出し、通行人に通り過ぎた車を振り返らせるようなモデルを提供したのは評価できる。実際乗ってみると、内装もかわいいし、乗り心地もよかった。女性受けするだろう。普通に教室の椅子に座って車を運転しているような感じがいい。疲れない。クルーザーである。

ぼくたちは昼過ぎにサンアントニオに着いた。とても天気がいい。街を歩く人たちのステップもかろやかに見える。




街の真ん中に円形の水路が作ってあって、水路の両側はお店が並んでいる。「リバーウォーク」と呼ばれている。うまく説明できないけれど、街が二段構造になっているようだ。リバーウォークが下で、普通の街が上にある。ぼくたちは陽の光がやさしく降りる賑やかなリバーウォークを歩いた。これはアメリカのベニスだねーと彼女と話す(行ったことないけど)。ヒロ・ヤマガタの世界みたいだ。楽しい。時々観光客を乗せた舟がやってくる。家族連れからお年寄りまでぎっしり人が乗っているのがまた微笑ましい。





ぼくたちはリバーウォーク沿いにあるよさそうなレストランに目星を着けておき、一度「上」に上がった。19世紀にテキサスとメキシコの間で行われた戦争の舞台となったアラモと呼ばれる砦に向かう。古い岩造りの建物で、もともとはスペインの人たちが布教のために建てたらしいのだけれど、テキサスがメキシコから独立する際にたくさんの兵士がそこにこもって応戦を続けたという。闘いの後アラモは陥落(かんらく)したものの、テキサスの独立は認められた。

ぼくたちはハーゲンダッツでアイスクリームコーンを食べ、アラモの砦を一通り見て回った。観光客が多くてじっくり見るわけにはいかなかったが、街の真ん中に中世の城を思わせる建築物がどーんと建っているのって、それだけで異次元っぽくてよかった。何につけ、歴史が残っているってそれだけですごいことだとぼくは思う。

ぼくたちはその後、近くのモールを冷やかし、またリバーウォークへ戻った。先ほどのレストランへ行き、外のパティオのテーブルで食事をした。メキシカンである。肉肉まめまめチーズチーズといった感じで、「ローカロリー」なんて言葉はこの地方では通じないんじゃないかと錯覚してしまうのであった。ぼくはテキサスのビールを飲み、通行人を眺めながら食事をした。彼女もにこにこしている。なんか、いい時間である。とにかくテキサスに限らずアメリカの料理は量が多いから、旅行中は気をつけなくてはならない。ぼくは目当てのレストランがある場合、メインの食事を一日に一度だけにしてあとは果物とかスナックとかで、かるーく済ませてしまう場合が多い。そうすると時間もお金もセーブできるのでグッドである。とてもじゃないけど3食すべて外食はキツイ。旅行中のぼくのかばんは必ずといっていいほどクラッカーとか、ドライフルーツとかが入っているのである。

すっかり満腹になったぼくたちは、そろそろ帰りましょうということになり、オースティンへと車を走らせた。帰りのハイウェイに"Cabela's"という名前のアウトドアショップがあったので寄ってみることに。この店、ちょーでかい!ささやかな団地が作れちゃいそうなくらいの面積に、所狭しとグッズが並んでいる。入ってすぐのところにハンティング用のライフルがずらっと並んでいてちょっとびびる。釣具も豊富である。なんと店の中にレストランやゲームコーナーまであった(お金いれてあそびました)。あと、笑ってしまったのが、巨大なテント。誰が何のために使うんですか、と質問したくなるくらい大きなテントであった。そしてテキサスで忘れてはいけないのが、屋外用のバーベキューグリル。テキサスの人たちは外でBBQをするのが大好きなのだ。オースティンにあるアウトドアクラブでは年間180回かそこらのBBQイベントがあると聞いた。180回!まったく耳を疑って良いのやら、テキサス人を疑っていいのやらである。ぼくもその昔はBBQ奉行なんて呼ばれたものだけれど、こりゃテキサスじゃあ通用しないな。

ぼくたちは帰りにリカーストアに寄って、チーズ、サラミ、クラッカー、テキーラの小瓶を買い求め、ホテルに帰ってそれらをつまみながら本を読んだ。そしてしばらくしてぼくはようやく本を読み終えた。

冒険家Maud Fontenoyは無事ポリネシアにたどり着き、村人たちの手厚い歓迎を受け、首相と対面までした。しかし村の人たちのお祭りが続く中で、彼女の疲れはそのピークに達しており体は深い眠りを必要としていた。なんとあまりに眠くて記者会見の途中で眠ってしまったという(驚)。そんな話聞いたことない。こういう肉体的に過酷な冒険をする人の、冒険が終わった後の疲労というのは想像を絶するものがあると聞く。冒険後何週間も疲労が回復しなかったり、疲労が回復しても体力が衰えてしまっていたりするという。そんな状態になるぎりぎりのところで彼女はボートを独りで漕いでいたのだと思うと、すこし胸が熱くなった。       孤独、忍耐の限界、そして危険。海がそれらから私を救ってくれた。いやそしてこれからも海は私を救ってくれるだろう。自分を見つけ、過去を受け入れ、人生を実り豊かなものへと導くように。海が私を勇気付けてくれた。弱さを強さに変え、恐れを克服し、目標に向かい、正しさを持ち、本来の自分に調和を与えてくれた       と、彼女は本の中で語っている。とても強くてストレートな人である。こんな人だから海の神様も彼女に味方したのかもしれない。

お酒を飲んだぼくの足には、彼女の百分の一くらいの疲労が浮き出て、ぼくを柔らかな眠りへと誘った。

テキサス州、オースティンへ行くの巻 その1

2007年02月22日 | 旅行
テキサス州、オースティンへ3泊4日の旅行に行ってきた。なんでオースティンに行ったのかと話すと長くなるのでかいつまんで話すと、彼女の会社がオースティンにあって(彼女は在宅勤務)、今回彼女の出張とぼくの勤めているところの休日がちょうど重なったので、いい機会だから一度アメリカの南部を一緒に体験してみない?と彼女が誘ってくれたのだ(かんたんな話でした)。もちろん、田舎好きのぼく、イヤ失礼、地方都市好きのぼくはその話に飛びついた。アメリカ南部。広大な土地を擁し、独特なカルチャーを持つといわれている南部の景色に出来れば触れてみたいと前々から思っていたのだ。2月16日金曜日、ぼくたちは飛行機にのってテキサス州、オースティンを訪れた。

ぼくの住んでいるカリフォルニアとオースティンは時差が2時間ある。ので、着いたその日は既に日も暮れようかという時間になっていた。「夕日の美しいレストランで食事しようゼ」なんてかっこつけてたぼくは、いまいちルールの分からないオースティンのハイウェイでぐるぐる迷い、レンタカー会社でもらった貧弱な地図を片手に焦りの色を見せていた。日が暮れそうなので夕日の綺麗なレストランはあきらめて(せっかく調べたんだけど)、彼女の知っていた別のレストランへ行った。そのレストランはケイジャン料理を出す店で有名なのだそうだ。

ケイジャン料理はアメリカの南部に根付く料理である。もとはスペイン系の料理で、それがアメリカ南部で土地の色に染められていったのがケイジャンと呼ばれる種類。スパイスやハーブをたくさん使ったりするのが特徴である。また、シーフード料理もメニューに多く見られる。一般にアメリカの料理は味が単調なきらいがあるが、ケイジャンはむしろ味が濃く、時に辛く、非常に個性的である。一言にアメリカ料理と行っても場所によって味付けも食材もがらっと変わってしまうから面白い。

レストランに到着する。まだ6時だというのに店の外まで人が並んでいる。これは期待が高まってしまうというもの。ぼくは順番を待っている間にテキサス産のビールをバーで飲んだ(だからバーのあるレストランってすきです)。待って、席に案内されたぼくたちはまずマルガリータで乾杯。それにしても大きなマルガリータだ。






ぼくのオーダーはクロウフィッシュ(写真下)。クロウフィッシュって何か分かりますか? 実はコレ、ザリガニなんです。そう、ケイジャン料理のもう一つの特色はこのザリガニ。油で揚げたり、シチューにしたりして食べる。ぼくは過去に一度メリーランド州でザリガニを食べたことがあるのだけれど、そのザリガニは泥くさくて、美味とは言い難かったのだけれど、はたして今回オーダーしたザリガニは・・・めちゃうま! おいしかったです。歯ごたえよし、サイズもよし。味は、エビと言われて食べたら、うんエビだねと答えてしまいそうな味である。ようするに充分においしい。これは来たる食糧危機に備えて食用のザリガニはぜひ推奨されるべきだよね、と一人意気込み彼女を困らせてしまうぼくであった。

食事を終えたぼくたちは彼女の運転でホテルへ向かい、チェックインをすませて、オースティンの中心街へと繰り出した。車で向かう途中にテキサスの議事堂が見える。そう、オースティンはテキサスの州都なのだ。ヒューストンでもなければダラスでもなく、この小さな街、オースティンが政治的中心である。アメリカの州の州都って、比較的小規模な街に作られていることが多いきがする。カリフォルニアの州都のサクラメントだって、ロスやサンフランシスコとは比べ物にならないくらい小さい街である。考えてみたら首都のDCだってそんなに大きな都市じゃないよな。商業の中心と政治の中心は分けるという考えなのだろうか。まぁそうなのかもしれない。

この旅行に出るまで知らなかったのだけれど、この週末は奇しくも(くしくも)Mardi Gras (マーディ・グラー)と呼ばれるフェスティバルの週末であった。ぼくは話でしか聞いたことがないけど、Mardi Grasってニューオリンズで毎年この時期に行われるお祭りのことである。日本語でいうところの山車のようなものが出てきたりして、人々は踊りまくり、ぼくが思うにたぶんアメリカで一番クレイジーなお祭りだろう。当然町中皆酔っ払いである。で、ぼくがさらに知らなかったのはこのお祭りはニューオリンズ以外の南部の街でも行われるそうで、なんとオースティンでも規模こそ小さいながらお祭りが行われるという。

そういうわけで街には取締りの警察の人たちが実にたくさんいた。比較的時間が早かったためオースティンの中心街は人がまだまばらだが、その分警察の人たちの存在が威圧的であった。暴動が起きれば瞬時に沈静化してやろうと気を鋭くしている警察の人たちのいる横で、ちょっとこれから一杯ひっかけるつもりでフラフラとやってきたぼくたちの気も沈静化してしまい、結局バーで一杯飲んだだけで夜風に背中を押されるようにそそくさと車に戻ってきてしまったのである。せめて警察の人たちが黒ずくめでなくケンタッキーフライドチキンの店員さんみたいな明るい服を着てくれればもう少し楽しい気分になったかもしれない。冗談だけど。

寝酒にとバドワイザーを一本だけ買い求めた後、ぼくたちはホテルに戻った。テレビをつけたら人気の探偵シリーズMr. Monkがやっていたのでそれを観る。それが終わるとバドワイザーを飲みながらベッドルームで本を読んだ。太平洋単独航海に成功したフランス人の女性の本である(なかなかよみおわらない)。命をかけた冒険の話なのに、読み進めるにつれ不思議とまっすぐな彼女の謙虚さや感謝の心が伝わってくるのである。この上なく安全で温かな部屋の中で、やがて眠気が物語の興奮に追いつき、ぼくは本にしおりをはさんだ。

たまには外遊び以外のことも

2007年02月12日 | カテゴリー外
今日は土曜日。今週は雨が降り続いているので外で遊ぶのはやめて、彼女と二人でWalnut Creekへ買い物に出かけた。ぐるぐるといろんな服や靴の店を回り、何も買わず、けど一応これで週末の運動はしたことにしておく。

アウトドア、それもキャンプに夢中になるようになってからというもの、とんとファッションに無頓着になっている。服やかばんなんかを見ても、それは外遊びで使えるかどうか、という観点で見てしまうのだ。そんな風だから、バナリパやギャップに行っても何も買えない。そりゃ、買えない。和菓子やさんに行ってシュークリームを探しているようなものだ。もちろん、売ってない。

山や海もいいけれど、今日のように時々は彼女と一緒にドライブをして買い物にでも出かけるのっていいなと思った(何も買ってないけど)。そうやってギアチェンジをするのはいいことのように思う。いや、オイル交換、ワイパー交換かな。どの比喩も合ってないか。

帰りにバークレーにある地元のチョコレート屋さんへチョコレートを買いに行った。バレンタインデーが近いみたいだ。アメリカでは男の人が女の人へチョコレートをあげる仕組みになっている。日本と逆だ。ぼくが彼女にチョコレートをあげたほうがいいのか、彼女がくれるのを密かに待つのがいいのか、微妙なところである。そこで、ぼくと彼女は素直に相談して一緒にチョコレートを買うことに決めた。ただ二人ともチョコレートが大好きなだけなのだ、ほんとは。

折角いいチョコレートを買ったので、それを口実にワイン屋さんを覗いてみる。自分達へ一本と、明日会う約束をしている友人のために一本購入する。自分達のはサンタバーバラ産のシラー、友達へ渡すのがスペイン産のブレンドワイン。おいしいといいなぁ。

夕食のために鶏肉の赤ワイン煮を作った(ほんとは昨日作った)。みじん切りにした野菜をたっぷりにクラッシュドトマト、骨付きのもも肉とハーブなどをテキトーに入れたものを極めて弱い火力で煮込む。もちろん赤ワインも気が済むまでどぼどぼと注ぐ。ついでに調理中にも飲んでしまう、それがこの料理の罪なところである。大きく切ったパプリカとマッシュルームを途中で加え、塩で味を調えてさらに放置する。いい匂いがしてきたら火を止め、自然に冷ましておく。

夜。食事を終えたぼくと彼女は、ワインを飲みながら映画「カサブランカ」を観た。

カサブランカ。初めて観た。ぼくは無知の標本のような人なので、時代背景がよく分からず苦労しながら映画の筋を追った。しかし最後にうわーっと話が展開されてぼくも彼女も思わず身を乗り出してしまった。登場人物たちの強烈な個性が浮き彫りになり時間が加速されるような浮遊感がある。言葉が交わされるたびに鋭い緊張感が走る。君はやはりセンチメンタリストだな、リック、というセリフがあって、そうか彼みたいな人がセンチメンタリストなのだな、たしかにロマンチストではないよな、と不思議としっくりときた。くー、かっこいいぜ、リック。それにしても女性の美しさは時代を超える。イルザにたやすく魂もってかれました。君の瞳に、完敗。

Camp out @ Samuel Taylor State Park (2)

2007年02月07日 | キャンプ
夜。焚き火で作ったカレーライスを食べ終えたぼくは食事の後片付けをして、お酒と本の時間にした。太平洋8000kmの無補給航海を成し遂げた女性、Maud Fontenoyの本を読み、プリングルスのポテトチップスをかじりながらぼくは彼女の冒険の世界に熱中した。音もなくサメがしのびよって彼女を怖がらせた話、遊びに来たアザラシに名前をつけてあげた話、孤独に押しつぶされそうな夜をひたすら我慢し続けた話。彼女は決して体も心も岩石で出来ているような頑丈な人間ではない。腕は華奢だと人に言われ、心は常に冬が来る前のリスのように不安をためこんでいる。普通の人間なのだ。いやそれだからこそ、彼女の話は新鮮さと驚きに満ちていた。

新しいテントは、何かいい。これからこいつがぼくのセカンドハウスになるのだなと思うと早くも愛着が沸いてしまう。ソロテントは狭いけれど、座って半畳寝て一畳というわけじゃないが、シンプルなのは何か好ましい。大切に使っていこう。これから、よろしく。

翌朝。針葉樹の森の中での朝は格別だ。鳥がないている。ぼくは椅子に腰掛けて、頭を正常な状態にしてから、薪に火を入れた。まずはお湯を沸かして、モカを飲む。しばらくぐずぐずして時間をつぶし、残りの薪で野菜たっぷりのラーメンを作って食べた。荷物を片付けてぼくはキャンプサイトを後にした。

車を出し、レンジャーステーションでもらった地図を頼りに近くのトレイルヘッドまで行って車をとめた。目測3マイル強のループトレイルがあったのでそれを歩くことにする。小川に沿ったトレイルを登り森の中へ入ってゆく。しばらくすると少しひらけた場所にでた。日差しが強くて、歩いた後では少し汗がでるくらいだった。しかしきもちがいい。




ぼくはスタスタと早足で歩き、トレイルの最後にあった小川で足を止め、しゃがんで水の流れを見ていた。すると後ろの方から人が二人やってきて、なにやら荷物を広げだしたようだった。後ろを振り向くとサンドイッチをむしゃむしゃと食べている男の人と目が合い、ニコッと微笑んでくれたので、ぼくも笑顔をかえした。最後までいいことづくめのキャンプだった。

さーて、今度はどんなキャンプをしようかなー。すでに次の遊びのことを考えてしまうぼくなのだった。

追記。やっぱりバーナーヘッドは家にありました(涙)。

Camp out @ Samuel Taylor State Park (1)

2007年02月06日 | キャンプ
2.3.07の土曜から一泊のキャンプに行ってきた。場所はサンフランシスコから北に車で一時間ほどの距離にあるSamuel Taylor State Park。レッドウッドの森になっており、小川が流れていて一晩を屋外で過ごすには絶好の場所である。

このキャンプ場は、創設者の名前から来ているのだけれど、なんと1880年代から存続するという。彼はゴールドラッシュの時にボストンからカリフォルニアにやってきて金で財産を得、それを資本にこの地で木材加工業を営んだ。豊かになったところで彼はリゾートホテルとこのキャンプ場を作る。アメリカでも最も早い時期に作られたレクリエーションのためのキャンプ場だという。そんな歴史のあるキャンプ場がぼくの住んでいるところからほど近い距離にあるということを、ぼくはつい最近になるまで知らなかった。

今日のキャンプはほかにもう一つ楽しみがある。ソロテントを買ってしまったのだ。まさか自分がソロテントを買うなんて、ぼくもついにここまで来てしまったのかと我ながら思う。ソロのキャンプが最近多くなって、それでもずっと3人用のテントを使っていた。しかし前回のキャンプでシッカリまなんだのだけれど、3人用のテントを担いで一人でバックパッキングするのはとても辛い、というのがソロテント決断の理由。あとテントが大きいと家に帰ってから干すのとかも少々面倒である。今回買ったのはREIのソロテントで去年デビューしたニューモデルである。ちゃんとお店で組み立てさせてもらった。今のところ満足度は◎。

このパークのキャンプサイトはすべてオートサイトである。レンジャーステーションに寄ったら、まずサイトを見ておいでと笑顔で言われたので、ぐるっとパークを車で一周させてもらう。60個強のオートサイトがあった。高いレッドウッドの木々がそれぞれのサイトにやさしくプライバシーを与えてくれている。すばらしいキャンプ場である。ぼくはすっかりこの場所が気に入ってしまった。ぼくはその中からさらに気に入ったサイトを見つけてステーションに戻り、使用料20ドルを支払った。さて、キャンプのはじまりはじまりー。

おニューのテントを張った。うん、美しいテントじゃないか。色もいい。食材を夕食分と朝食分によりわけておく。道具を整理する        アレ? 何か足りない。ぼくの体が一瞬硬直する。イヤーな予感がする。ぼくはもう一度道具類をチェックした。やっぱりない。バーナーがない。ガスがあるのにバーナーがない。いつものデュッフェルバックを持ってきたのだ、なくなるハズがない、いやそもそもガスとバーナーはいつもセットにしているんだから、バーナーだけないなんてありえない、とぼくの頭は忙しく回転したのだけれど、どうやってもバーナーは見つからなかった。車のダッシュボードの中まで見てみた(あるわけない)

そういえば・・・前回バックパッキングをしたときに、荷物が入りきらず、思いっきり工夫してすべての荷物をバックパックにくくりつけたのを思い出した。バーナーヘッドをそういえば、フロントポケットにしまったままだったかもしれない・・・。そうだ、そうに違いない。ぼくは樹高30mを越すであろうレッドウッドの森の中で一人深く反省し、そして途方に暮れた。湯気を立てた温かなご飯と、くつくつと煮えたカレーが白い羽を生やしてヒラヒラと空へ飛んでいった。地面にはポテトチップスとレーズンとチョコレートバー(すべて予備食)が手を繋いで立っていた。

テントをたたんで20ドルを返してもらって家に泣いて帰ろうかとも思ったのだけれど、ある、当たり前のアイデアがうかんだ。そうだ、焚き火で調理できるんじゃないか。偶然にも何故か今日は使い捨てのアルミの容器を持ってきていた。底が真っ黒になったっていいじゃないか。さらにサイトにあるファイアーピットに目をやると、鎖で繋がれた半月状の太い鉄網があった(いつもついてるわけじゃない)。おお、これをカマドといわずしてなんという。I consider myself as a lucky person. のちに紹介する本の中からの借用である。アルミの容器は3つある。ほんとぼくってラッキー。

落ち着きを取り戻したぼくは、森の奥へと入っていった。子どもがキャッチボールできるくらいの空間を見つけてその真ん中にぼくは立った。




レッドウッドの森の静寂さと木々の芳しい香り、どきっとするくらいの柔らかな腐葉土の地面がぼくの体を包んだ。何か、子どもの頃を思い出す。腰を落として体と腕を全部使って息を吸い、体中の力を放出するかのように、息をはいた。体をくねくねさせてみたり、木に触ってみたりした。人がぼくを見たらきっとヘンだと思ったかもしれない。ぼくは本当に感謝したい。こんな素晴らしいレッドウッドの静寂に、「ヘンなこと」をしても誰にも笑われない場所があることに、ぼくは感謝したい。当たり前だった自然が貴重なものになりつつある昨今、こうした場所が保護される意味は大きいと思う。ほんと、ありがたい。ぼくはそれから近くを散歩して小川に触ったりして、時間を過ごした。

サイトに戻って薪に火を入れる。乾いた木はすぐに炎を上げだした。野菜とベーコンを適当に切ってアルミの容器にいれ、水を注いでカマドの上に乗せる。同様にして、お米もたく。近隣のサイトは空いていて人がおらず、通路からも樹木がうまい具合に視界をさえぎってくれていて、これは局所的な秘境だ、と一人悦に入る。キャンプ場全体での本日の利用率は3,4割といったところか。ぼくの感覚からすれば割と多い。最初にキャンプ場をぐるっと見て思ったけれど、キャンプなれしてる人が多いようだ。テントや道具の置き方などをみれば分かる。もっともキャンプに不慣れな人が冬にキャンプをするわけないよな、と思ったが。

風がなく、焚き火の調理は順調。ぼくは口の広いカンティンにシングルモルトを注ぎ氷を落として、パイプの椅子に腰掛けた。




膝の上で本を開く。この間、散歩の途中に寄った本屋さんで購入した、"Challenging the Pacific"という本。著者はMaud Fontenoyというフランス人の女性。表紙には彼女が横を向いてオールをにぎっている写真がどーんとある。これは、彼女が2005年に南米チリのリマからポリネシアまで、太平洋を手漕ぎのボートで横断した記録である。8000kmの海の旅。彼女はこの旅をソロで成し遂げた。この人は半端じゃない。彼女の漕いだボートはこのエクスペディションのために特別にデザインされている。Oceorと命名されたこのボートは全体としてラクビーボールを少しつぶしたような形をしていて、コクピットの部分がへこんだ構造になっている。スターン(船尾)の中は小さなカプセルになっていて、彼女はそこで眠る。総重量はおよそ600kg。推進力はオールのみ。帆はない。

このフネはカヤックではなく、ボートだ。後ろ向きに進む。日本語だとどちらも「漕ぐ」になっているけれど、英語だと前者がpaddle、後者がrowになる。漕ぐ道具は前者がやっぱりpaddle、後者がoarである。一般的にブレードの面積はオールのほうがパドルより大きい。その分ボートの方が負荷も大きい。彼女の手は航海の初日からマメだらけになってしまったそうだ。そりゃそうだろう、あんな大きなフネを漕いでいるんだもの(それでも彼女はmy little boatと繰り返しいっているが)。彼女は体の痛みに耐え、孤独なその航海を何ヶ月も続けたのだ。まったくすごい人がいるもんだ!

余談だけれど、航海に出て彼女が最初に直面した問題というのがおかしい。歯磨きはあるのに歯ブラシを忘れたという。どれだけ探しても、ない。トム・ハンクスの映画Cast Awayを思い出すまでもなく、長旅において歯の健康は重要であろう。一時は途方に暮れた彼女だったが、気を取り直せば名案はすぐ思い浮かんだ。彼女はその旅になぜか、眉毛ブラシを持ってきていて(女性は大変です)、結局ゴールに着くまでずっと眉毛ブラシを使って歯を磨いたという。キャンプにバーナーを忘れてしまったぼくの境遇に(レベルの差こそあれ)シンクロしているようで、印象に残った。そして彼女曰く、"I consider myself as a lucky person."

カレーライスを食べた。おいしくできた。ボートの上じゃあ食べられないんだろうな、こんなにおいしいカレーライス。風に吹かれて落ちてきた枯れ草が、近くでかさかさと音をたてた。これも生き物が奏でたサウンドだった。 (つづく)