水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その3 ~ 西海岸、そして氷河の入り口へ ~

2010年03月22日 | カヤック

12月25日、ニュージーランド南島の旅、二日目。

この日ぼくは「おはよー」でも「ハニー」でもなく、「○○くん(ぼくの名前)、タイヘン!寝過ごした!もう9時半だよ!!」というEの切羽詰った声で目が覚めた。

その声に動揺したぼくは、メガネをなくしたマスオさんのようにあたふたとし、寝袋の中でままならぬ腕をなんとか動かして腕時計を探した。

今日は東のクライストチャーチから西海岸まで一気に移動する予定だ。予定では今日は9時には出発しようということになっていた。それが二人して9時半まで惰眠を貪るとは、なんという失態だろう!

ところが。

時計を確認すると、ぼくのデジタルの腕時計は「6:26」(am)をさしていた。この状況はいったい何を意味するのか         

ぼくは咳をひとつし、落ち着いた声でEにゆった。

         ひょっとして腕時計を反対向きに見ませんでしたか?

E: あり(ゴシゴシと目をこする)? まだ6時半じゃん。はっ!

説明するとこうである。要するに彼女は「6:26」のデジタル数字を反対向きに見てしまい「92:9」と読み間違えてしまっていたらしい。これが頭の中で「9:29」と置き換えられて、「9時半!」という言動につながったと推測される。

「:」の位置が違うのではないかと、後で本人に尋ねたところによると、「あまり気にしていない」という答えが返ってきた。彼女は円周率のごときである。

この「9時半事件」のことをひとしきり笑ったら、スッカリ目が覚めた。ぼくらはそのまま出発の準備をして、エンジンをかけた。さあ、ここから車の旅の出発だ!

ホリデイパークを出る前にオフィスで地図をもらった。オフィスはまだ開いていなかったけれど、掃除をしていた係りの人が、オフィスの外でうろうろしていたぼくのために鍵を開けて地図をくれたのだ。ニュージーランドの人はやさしい。

7:30、クライストチャーチを出発。



ぼくたち二人を乗せたスペースシップは73号を北西に進んでいく。ヒツジやウシがいたるところにいる。ニュージーランドは牧畜がさかんなのだ。ヒツジやウシがみな一様に草を食んでいる光景は絵に描いたようにのどかである。



街を離れて1時間ほど走ると、前方に大きな山が見えてきた。これがニュージーランドのサザンアルプスである。サザンアルプスとはニュージーランド南島を縦に貫く山脈である。マウント・クック(3754m)をピークとし、その周りを囲むように氷河が形成されている。ぼくらが走る73号線は、氷河のあたりよりもだいぶ北側の、サザンアルプスの少し窪んだあたりを横切るルートである。

またこの道と並走するように、東のクライストチャーチと西のグレイマウスを結ぶTranzAlpine(トランツアルパイン)と呼ばれる列車が運行されている。サザンアルプス北部に位置するアーサーズ・パス国立公園の中を通るこの鉄道は、その景観の素晴らしさから世界中の鉄道ファンにとって有名だ。列車の広い車窓から刻々と移り変わる山や川や自然の花畑を楽しみながら、ワインなどを頂いて片道4時間半かけてのんびりと旅をするのもさぞかし気分がいいだろうなと想像した。

ぼくらの通る73号はこの鉄道につかず離れつしながら進んだ。

途中、休憩のためアーサーズ・パス国立公園内のロッジに寄った。車を出ると随分と涼しいことに気がついた。高原の気候である。きっと、ここは冬になったらスキー客でにぎわうのだろう。ロッジの暖炉には火がおこっていた。ぼくたちは分厚い皮のソファに座って、誰もいないロッジでロング・ブラック(エスプレッソをお湯で割ったもの。ニュージーランドではこれが一般的)を啜った。誰もいないのは今日がクリスマスだからである。キリスト教圏では、クリスマスの日とその前日はほとんどのお店は閉まっているのだ。だからここでこうして暖炉の前に腰掛けてロング・ブラックを飲めるのは、それ自体結構幸運なことである。

南半球のクリスマス。今は12月だけれど夏だ。夏だけどぼくらは暖炉の前に腰掛けて、幸運なロング・ブラックを飲んでいる。なんだか不思議な気分だ。誰もいないロッジでこうして暖炉を見つめているうちに、昔テレビで見たアニメ「銀河鉄道999」を思い出していた。主人公の少年が銀河を走る鉄道に乗って、星から星へと旅を続ける物語だ。星に住んでいるものは、その星に特有の業を背負って生きている。しかし、どの星にも共通している望みがひとつだけある。それは死にたくないという望みだ。他者の痛みを無視できるほど年を取っていない少年は、道行く物語に出会うたびに心を翻弄される。共に旅をする、全てを見通した眼を持つ女性は、しかし多くを語らないのである。

スリーナインと比べたら我々の旅のスケールなんて小さなものだが、季節感が次から次へと変わっていくこの感じは、この後もこのニュージーランド旅行についてまわる感覚であることを、ぼくもEもまだ知らなかった。

ガイドブックによれば、近くに滝の見える場所があるという。ぼくらはそこまで車で移動し、滝を見るために往復一時間程度のハイキングをした。



Devil's Punchbowl Waterfall。高さが131mもあるという。滝に近づくとその迫力もさることながら、水しぶきがすごく、カメラを向けるとレンズにすぐに水滴がついてしまう。どきどきしながらシャッターを押した。



駐車場に戻ると、車のそばに1匹の鳥がいた。嘴(くちばし)がくっと下に折れ曲がっており、羽が深い緑色をしている。珍しいと思い写真に収めた。後で調べたところによると、これはニュージーランド南島のみに生息するケア(Kea)という鳥であることがわかった(違っていたらスミマセン)。山岳地帯にのみ生息する、オウムの仲間であるという。好奇心が強く、かなりの知能を持った鳥ということだ。ケアはぼくの周りをしばらくうろちょろしていた(ぼくは大体において動物に好かれる)。愛らしいやつである。ひょっとしたら、賢い鳥だけに人間に「おねだり」をしていたのかもしれない。残念ながらぼくは野生動物に餌をやらない。相手はそれが分かると、やがてテクテクと違うほうへ歩いていってしまった。



車を出した。山岳地帯のうねうねした道を時速100km弱で走った。地元の人たち(「キウィ」という)はおかまいなしに車をかっ飛ばす。時速制限が100kmといっても、日本の高速道路のように走りやすいわけではなく、柵も何もないただの細い道であり、車線もたいがいは片側一車線だ。キウィに一台、また一台と抜かされながら、ぼくらはスペースシップを運転した。

お昼を過ぎたころ、視界の向うに山が消えた。山岳地帯を過ぎたのだ。気温もにわかに上昇し、道路に逃げ水が見られるようになった。やはりここは夏なのだ。先ほど暖炉の前に座ってロング・ブラックを飲んだのがなんだか非現実的に思えてくる。

さらに走ること30分、視界に海が見えてきた。わあ~と二人で歓声を挙げる。タスマン海(Tasman Sea)である。タスマン海は日本の海の色とは違っていて、深い緑がかった色をしている。不思議な色だなあ、と思った。遠くから見るだけでも、水質がかなり綺麗なのが分かった。

海が見えるようになって程なくし、ぼくらは途中の街、ホキティカ(Hokitika)に到着した。ちょっとこの街に寄ることに。

小さくてかわいらしい街である。かれこれ5時間ほど山と川と滝とケアとEしか見ていないので、なんだか少しワクワクする。しかしながら、今日は誰が何と言おうとクリスマスの日である。街は「もぬけの殻」といった様子で、人っ子一人いやしない。スーパーマーケットすら閉まっている。

誰もいないね、とE。人のいない町というのは、なんだかちょっと薄気味悪い。もう昼の1時を過ぎているが、今日はまだロング・ブラックしか口にしていない。きっとクリスチャンの人たちは今頃それぞれの家でグレイビーソースでも温めているのだろう(勝手な想像ですが)

それでも街を車でうろついていると、一軒のレストランを発見した。インド料理の店である。ビバ、ヒンズーである!ぼくたちはここで幸運な本場カレーにありつくことが出来たのである(実にうまかった)

ホキティカは、Jade Townとして有名である。ジェイドとは翡翠(ヒスイ)のことである。このあたりは良い翡翠の取れる場所で、古くはマオリ(ニュージーランドの原住民)も翡翠を求めてこの地を訪れたという。彼らの通った道というのが今のトランツアルパイン鉄道の道にあたるらしい。街には、いくつもの翡翠を加工する工場やお土産やさんがあった。翡翠のペンダントなんかはきっといいお土産になるだろう。

この深い色をした、控えめな存在感の石が割りと好きである。Eと一緒にウィンドウショッピングをしている時にふと思った。タスマン海は翡翠の色をしている。

食事を終えて3時間後、ぼくらは本日の宿泊地のホリデイパークに到着した。ああ、今日はたくさん運転した。お疲れ様と、お互いに労をねぎらう。Eとぼくはここまで大体1時間おきに運転を交代してきたのだった。

ここはFox Glacierという場所にあるホリデイパークだ。そう、glacier、すなわち氷河である。このすぐ近くに氷河があるという。

氷河。名前を知っていても、氷河というものがどういうものなのか、ぼくはまだその実態を知らなかった。

好奇心が疲れに勝って、ぼくらは再び車を出した。Fox Glacierの場所はホリデイパークからあっけないほど近くにあった。駐車場に車を止めて、標識に従って歩いてゆくと・・・



巨大なスケールの氷河が眼前に見えてきた。写真に写っている人と比べるとその大きさが良く分かる。氷の塊が山の隙間からぬっと首を出しているような感じである。氷河が解けて出来た川には氷の塊がゴロゴロと散乱し、土砂を含んだ濁流が海のほうへ向かっていた。川の横は草も木も生えてない広場のようになっている。これはたぶん氷河が進退を繰り返してならしていった結果であろう。

事前学習に熱心なEによれば、こうして歩いてやってこれる氷河というのは世界でも珍しく、さらに珍しいことにはこのあたりの氷河は現在でも成長しているというのだ。ヒマラヤやグリーンランドをはじめ、大きな氷河が近年縮小している中で、いまだに大きくなっている氷河があることにぼくは驚いた。しかも標高も低く、海に程近く、温帯雨林に囲まれたこの氷河の先端は、異様というか、ひたすらに不思議な印象をぼくに与えた。

もう少し科学の目で見るならば、水の熱容量がいかに高いかをあらためて教えられるのである。水は、例えて言うなれば、冷静で根気の強い人のようなものである。こちらが焚きつけてもなかなかその気にならないが、いちどその気になるととんでもなく長い間意思を持続する人がいたりするけれど、あれはゆうなれば精神の熱容量の高い人である。まさにそのような一風変わった友人を、目の前に見ているような気がした。氷河期に出来た氷床が今なおこうして氷河を送り出しているのだ。海はもうすぐそこだというのに・・・。

一通り感慨にふけり、ぼくらは氷河を後にした。

さーて。では夕食を食べに行こう。

実はここに来る道の途中によさそうなレストランが一軒開いているのを見つけたのだ。そこに行ってみることに。



ぼくらが夕食に選んだレストラン "Landing Restaurant(in Franz Josef)"(というよりここしかなかったのだけれど)は、ウッドテイストの落ち着いた雰囲気で、料理はビュッフェスタイルの洒落たレストランである。クリスマスということでスペシャルなディッシュが並んでいた。ステーキ、ラムチョップ、ポークグリル、ムール貝、サーモンから付け合せのお野菜まで、どれもすべておいしい。「おいしい、おいしい」といい、Eももりもり食べている。本当にぼくらはどこまでも幸運である。「帰りはわたし運転するから飲んでいーよ」というEの言葉に涙し、一杯やることに。カンタベリー地方のシラーを飲むと、一瞬ここが映画の中の世界のように感じた。次にSpeight's(NZの有名なビール。みんなこれを飲んでる)をグビッグビッとやったら、明日もきっといい日になると確信した。

食事を終え、幸せな気持ちをホリデイパークに持ち帰った。今日は車で東海岸から西海岸まで移動した。生まれて初めての氷河を見て、幸運な豪華ビュッフェを食べた。過ぎてみれば一日などあっという間である。ぼくらはスペースシップの後ろで、氷河の存在を近くに感じながら眠りに落ちた。


キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その2 ~ 正午に太陽は北の空に ~

2010年03月16日 | ニュージーランド南島
2009年12月24日、ぼくとEはニュージーランドの南島にあるクライストチャーチ空港に到着した。



「メリークリスマス」の言葉が空港の放送から聞こえてきた。気温は22~23度くらい。当たり前なのだけれど、南半球のクリスマスは夏にやってくるのだ。

空港から街までタクシーで移動し、レンタカーオフィスで予約していた車をピックアップした。
今回のぼくらの旅の相棒はコレ。



「spaceship」という名前の、キャンパーバン専門のレンタカー会社のミニバンである。これはトヨタのエスティマをキャンピングカーのように改造したものである。後部座席はフラットなベッドになっていて大人二人が寝ることが出来る。寝具はもちろん、ガスコンロ、食器、洗剤などの装備を乗せた「走るホテル」だ。シーツは清潔だし、食器もきれいにまとめられている。バッテリーは2台積んでいて、うち1つは室内灯、冷蔵庫、DVDプレイヤー専用になっている。DVDはレンタカーオフィスで自由に借りてよく、見終わったDVDはニュージーランドに点在する「space station」という場所で交換することができる。この「space station」では旅の情報なんかを交換することも出来るから、ぜひ寄るといいよ、とオフィスの人にいわれた。

ニュージーランドではキャンピングカーを使った旅行が一般的だという。ぼくらのように2人で旅行をするのであれば、大きなキャンピングカーは少々オーバースペックで、ミニバンサイズのspaceshipの方がずっと経済的だし、運転もしやすい。

「spaceship」のオフィスで、国際免許書を見せて書類にサインをした。ドライバーという言葉の代わりに「astronaut #1」となっていたのがおかしかった。これでぼくらは宇宙飛行士だ。

スペースシップで街の中央まで移動し、車を道端の駐車スペースに止めた。そこから歩いてクライストチャーチの街を散策した。




市内を流れる川沿いの芝生には人々が寝転び、正午まで間もない太陽の光を楽しんでいる。日本は今頃、一年で最も日照時間の短い冬至なのだから、南半球のこちらでは夏至のはずである。そう思って空を見上げると、垢抜けた太陽は確かに僅かに北に寄っていた。

川と並行するオックスフォードストリートを歩くと、大きく道路に張り出したパティオテーブルで人々がにぎやかに食事やお酒を楽しんでいた。透き通った乾いた空気と燦々(さんさん)と輝く陽の光。夏のにおい。Eと昔一緒に住んでいた、カリフォルニアのバークレーの夏みたいだ。「やっぱりニュージーランドに来て正解だったね」とEがゆう。きっと同じことを考えていたに違いない。

クライストチャーチは、人口30万人ほどの南島で一番大きな町である。別名「ガーデンシティ」と呼ばれるこの街は緑がほどよく配置され、いかにもイギリスの移民が作った街らしく、秩序だった町並みが美しい。市内を流れる川の水質が驚くほど綺麗で、この街の印象を良くしている。

ぼくらはオックスフォードストリートのカフェに入った。グリルドチキンのサンドイッチ、ポータベロマッシュルームのサンドイッチとオレンジジュースをオーダーした。

最初に結論を言うと、ニュージーランドのレストランはどこもだいたいおいしい。どの料理にも新鮮な野菜が入っていて彩りもよい。量もちょうどいい。日本ではちょっと見ないような具材の取り合わせや工夫がある。サービスも大抵よい。今回の旅行ではレストランで落胆したことは一度もなかった。

ついでにいうと、日本と時差があまりない(NZが3時間進んでいる。9月から4月は夏時間のため4時間の時差になる)ため、食事のサイクルが合わせやすくていい。アメリカに旅行に行ったりすると朝の6時におなかがぐーぐー鳴って困ったりするけれど、ニュージーランドではその心配はないと言えるだろう。



クライストチャーチの街をEと歩いた。地面に描かれた大きなチェス盤でチェスをする人たちがいた。面白そうだなあ。時間があったらぼくも一戦、いやせめて観戦といきたいところだけど、ポーンもナイトもビショップも知らないEはまるでクイーンのように涼しい顔でスタスタと通り過ぎて行くので、やむをえずぼくもそれに従った。



クライストチャーチ大聖堂。イギリスからの移民によっておよそ100年前に完成した教会である。

街を散歩して、地図を扱う店でネルソンの地図とお土産用の地図を購入した。珍しいことに「A Manual for Sea Kayaking in New Zealand」というシーカヤックの本があったので、これも購入した。

クライストチャーチのホリデイパークまでスペースシップで移動した。

ホリデイパークとは、キャンピングカーで寝泊りするための私設の施設(あり?)のことである。日本の感覚で言うのなら、オートキャンプ場が最も近い存在だろう。インターネットや電話で予約をし、当日チェックインするときに区画の番号を言い渡され、その場所に駐車して車の中で宿泊するのである。たいていの場合、1区画は駐車スペースの横にちょっとしたスペースがあって、くつろげる空間が確保されている。芝生になっていたり、テーブルが設置されていることが多い。このスペースにタープなどを張って食事をしたりする光景もよく見られる。共同の設備としては、キッチン、トイレ、シャワー、コインランドリー、ゴミ捨て場、場所によってはプールやジャグジー、子供のための遊具などが整っている。キッチンには冷蔵庫、コンロ、電子レンジ、オーブンなど、食器以外のものは大抵そろっており、いたって清潔かつ実用的である(食器やナベ類は大体キャンピングカー会社がレンタルしてくれる)。電源のあるサイト(powered site)を予約すれば、電気を使うことが出来るので、夜間に携帯電話やPCや音楽プレーヤーなんかを充電することが出来る。電子機器をいくつか持っていくならば延長コードがあるとよいだろう。



このホリデイパークは日本円にして一泊せいぜい3000円程度である。それも車1台につき。この安さは実に有難いのである。ニュージーランドを去る前にホリデイパークに深々と一礼すればよかったと、少々悔いる次第である。おかげで旅費を別のアクティビティや食費にまわすことができた。







ベッドをこしらえて、ニュージーランドのビールをグビグビッとやった。ビールというのはほんとに不思議な飲み物だと思う。こいつを飲むと、飛行機を降りてから張っていた気がすーっと緩むようだった。

道中のスーパーマーケットで買ったチーズとツナ缶とクラッカーで簡単な夕食を済ませてしまうと、することがなくなった。ああ、今日はたくさんの事があったなと思った。Eと力を合わせて、予定通りここまでたどり着くことが出来た。キャンプ用のホーローのカップに赤ワインを注ぎ、「メリークリスマス」といい二人でカチン!と乾杯した。

さあ、明日はどんな一日になるだろう。寝袋に入ると(ぼくは自分の寝袋を持ってきた。備え付けの寝具はEが使った)、ルーフウィンドウから星が3つほど見え、ああ、いいもんだなあと思った。これが、この日、最後に思った事であった。

キャンパーバンで巡るニュージーランド南島の旅 その1 ~ 旅のいきさつ ~

2010年03月14日 | ニュージーランド南島



2009年のクリスマスのころから、年を越した2010年の1月のはじめまで、ニュージーランドの南島を旅行した。

「冬休みにニュージーランドに行かない? 氷河とか見に行こうよ!」

と陽気にEがぼくを誘った。ニュージーランド。きっと自然が美しいだろう。「ああ、いいだろうねえ」と、自然の好きなぼくは答えけど、ぼくの気持ちはまだ輪郭のはっきりしない綿アメの様にフワフワしていた。この会話をきっかけにぼくらは旅行の準備を始めることになるのだけれど、だいたい二人で行動を起こすときはいつもこんな具合だ。Eは見た目よりずっと積極的で、ぼくはいつも腰が重い。

「2人でクルマを交代して運転してさ。アメリカでやったロードトリップみたいじゃない?」

ロードトリップ。ぼくとEは、その昔ぼくらがアメリカで住んでいた頃、一緒に東海岸から西海岸までトラックを運転したことがあるのだ。3000マイルを1週間ほどかけて走り抜けた。果てを知らぬ中西部のコーンフィールドを走り、北米大陸の屋根である壮大なロッキー山脈の坂を喘ぐようにして登り、生まれたばかりの星のような荒涼とした礫砂漠を通り抜け、シエラネバダの緑に包まれ、そこからはじき出されるようにしてカリフォルニアの太平洋を目にしたときには涙が出るほど感動した。目を閉じれば、ぼくはいつでもあの黄色のトラックを思い浮かべることが出来る(おまけにトラックの後ろにはシビックを牽引していた)。あの壮大な引越しの様子を。

この旅を通してぼくが感じたのは、「アメリカは広い」という言葉だけでは説明しきれない何かだった。
言うなれば、それまでぼくが知っていたアメリカは、本当のアメリカのほんの一部、あるいはほんの「表層」であり、その全貌には到達しえないという圧倒的な感覚であった。それはまるで円周率の数字の羅列のようなもので、いくらその数字を追おうとも、それを遥かに勝る量の(厳密には永遠に続く)数列がその後に続くと知った時の敗北感に似ている。「π」や「アメリカ」といった言葉は、その敗北感を封じ込めるためのおまじないのようなものである。

「ロードトリップ」という言葉がEから発されたその瞬間にぼくの心は3000マイルを疾走し、そしてぼくの心は決まった。空は晴れ渡り、綿アメはキュッと小さくなってアメ玉となり、ヒツジがのんびりと草を食(は)みはじめ、原住民のマオリの人たちがハカの踊りをはじめた。

「うん、いいね!行こう!」とぼくは答えたのだった。

気分が昂ぶったはいいものの、いわゆる先立つものが不安といえば不安である。早速調べてみた旅券の値段は、一瞬身体が凍るほど高い。これじゃあ、ぼったくりバーの方がまだ良心的というものだ(行ったことないけど)。しかし熟考(じゅっこう)すること3分、ぼくはひとつの境地に達した。この計画はEとぼくにとってきっと大切なものになる。だから、休みは飛行機が高いからどうのこうの、などというのは卑小な言い訳であって、この機会をフイにしてはならない。こんな妙な正義感に似た感覚が芽生えて半ば強引にこの旅行を決断したのだった。

ヒツジがのんびり食んでいるのはひょっとしたらぼくのお金かもしれなかったけれど、そういう難しいことはもう少し大人になってから考えればいーのである。

旅に出ない理由を探してはいけない。すべての問題を後回しにすれば、行動することはさほど難しいことではないのである。

2009年12月24日、ぼくとEはニュージーランドの南島にあるクライストチャーチ空港に到着した