この週末、西伊豆の田子の背浜(せばま)へキャンプツーリングに出かけた。前回岩地でキャンプツーリングして以来、すっかり西伊豆が好きになってしまった。前回は松崎以北へは行かなかったので、今回はそのあたりに出かけてみたいと思う。
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横浜でレンタカーを借りて、一路田子までやってきた。まるまった石が敷き詰められた背浜でせっせとフネを組む。最近ほったらかしにしているせいか、ぼくのウィスパー君が今日はいつもにましてかたくなである。フネは水に浮かべてやらないと固くなってしまうものなのだ。
船体布が普段に増して固いことなど、人生の苦難にくらべればどうということもないので、穴を二つばかりとばしてフネを組みあげ、リブの取り付けにかかった。ところが、である。このリブの取り付けの一番最後、すなわちガンネルのバーが定位置に収まらないのである。船体布がいつもに増して固いせいだ。これにはまいった。
ぼくはしばらく悪戦苦闘を繰り返し、そして玉砂利の上に正座した。握力がなくなってしまった。考えろ。きっとなにかよい方法があるはずだ。過去に人類は伝染病を予防接種で乗り越えた。エジソンは夜に明かりを灯した。そして今ぼくはウィスパーのリブにガンネルバーをはめ込もうとしている。指につばをつけて頭の上で回してみたら、答えが自ずと浮かび上がってきた。チーン。
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フネを横向きに立て、膝から下をフネのなかに突っ込む。膝をガンネルバーに当てて、くっと力を入れてバーを浮上させ、手で導いてあげると、バーは本来収まるべき場所へすっと入ったのである。ぼくはこの発見に喜んだ。たとえそれが世界中で100人くらいの人にしか分かってもらえなかったとしても。
満足したぼくは、ひとり西伊豆に漕ぎ出した。空模様はぐずついていたけれど、海は穏やかであった。それにしても伊豆の海はなんと表情に富んでいるのだろう。こんな自然の景観が当たり前のようにあることにぼくは驚く。
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海蝕洞窟がいたるところにある。ぼくはそのうちのいくつかに入ってみた。波が穏やかだったので随分奥まで入ることが出来た。狭い海蝕洞では両手を使って壁を伝い、フネを移動させたりもした。またあるところでは、別の穴に繋がったものもあり、通り抜けすることも出来た。恐る恐るほとんど真っ暗な海の穴を進んで行き、どこか別の出口の明かりを見つけた時は、思わずはっと息をのんだ。真っ暗なトンネルの向こうにぼくは光を見た。これは誇張な表現などではなく、本当にそのままの体験であり、水の流れる音が増幅された空間にあってそれはまさしく神秘的な瞬間だった。下の二枚の写真はそんな穴の入り口と出口である。このあたり一体は海蝕洞窟の宝庫である。
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面白いのは穴ばかりではない。このあたりの地層は実に多種多様で、すぐ隣の岩礁とこちらのそれとではまるっきり地層の様子が違うのであった。幾重にも重なった地層が地下活動のせいでひん曲がったものや、また下の写真のような柱状節理(ちゅうじょうせつり)のところもあった。これは斜めに生えているので厳密には柱状節理ではないのかもしれないけれど、こんな風な規則正しく尖った岩石の結晶のなかを漕いでいるとまるでスーパーマンにでもなったみたいだった。
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このほかにも、地質学者ならしっぽを振って喜びそうな様々な面白い特徴を持った地層があった。バウムクーヘンのようなものや、丸い石が次々と産み落とされていくようなものなどもあった。全体的に見て思うことは、このあたりの地質はまだ均衡状態に至っていないというか、形成が比較的新しく、自然の作用によってこれからどんどん形を変えていくのだろうという印象を受けた。岸壁にぽっかりと空いた穴を見ていると、こうした自然の作用というものはずいぶん突発的というか非均一的なものなのだなと感じた。岸壁を一年に全体的に一センチ削る、とかそういった律儀なものではなく、もっと荒々しく、集中的な攻撃をするのだ。
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夜は近くの浜でキャンプをした。アルコールストーブで米を炊き、簡単な食事を用意した。ペットボトルに移し変えてきた泡盛をすする。チャコールスターターで小さな焚き火をした。湿った木しか見当たらないので、盛大な炎というわけにはいかなかったが、読書の傍ら、弱々しい火を徐々に成長させるのも面白いもんだと思った。とりわけこんな一人キャンプの長い夜には。ずっとほしかったんだ、こんな時間が。
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翌朝。
ぼくは珍しく早起きして、6時を過ぎたころには既にフネに乗って水に浮いていた。今日はここから南下して松崎まで行こうと思う。松崎は前回の西伊豆トリップで訪れた場所なので、これで二つのポイントを結んだことになる。途中、堂ヶ島の天窓洞(てんそうどう)を通り過ぎる。近くまで行ったものの、うねりが強すぎて近寄ることができない。どうやら夜中に相当吹いたみたいだ。今日の海は昨日と打って変わって荒々しい。風が上がってきていないので危険ではなかったが、万が一風が吹いてきた時のとこを想定して、常にエスケープできる浜をチェックしながら進んでいった。伊豆半島の反対側はひょっとしたらもっと荒れているのかもしれない。
風光明媚な堂ヶ島を抜け、松崎の町の前にやってきた。まだ一度しか訪れたことがないのに、もうすでに懐かしい。松崎の町は今日も朝日に輝く薄いもやに包まれていた。
松崎の漁港の近くで一息ついて水などを飲んでいると、ふと山間からの一陣の風を感じた。上を見れば、空は青く、もこもことした雲が浮かんでいる。この瞬間、ぼくの体はじんわりと感動して、ああ春がやってくると確信した。風はいい匂いがした。
それからぼくはキャンプ地に戻り、昼前には撤収したのだった。荷物をしまって車に乗り込んだら二度続けてくしゃみがでた。きっと花粉が鼻に入ったのだろう。そういえばずいぶん日差しがや柔らかくなった気もする。着実な春の訪れを感じた、今回のキャンプツーリングなのであった。