水に浮かび物思う

カリフォルニアの海でカヤックに出会う。キャンプやハイキングの話も。

南伊勢町贄浦湾(にえうらわん)で漕ぐ

2007年04月25日 | カヤック
4月初旬。満開の桜がぼくを迎えてくれた。アメリカにいる間に買い換えられた新しい自転車にまたがり、地図と水筒をデイパックに入れてぼくは名古屋の町を探索した。川や緑地公園や神社などで漕ぐ足を休め、淡くもゴージャスな桜の花を観て目と心を保養する。これほど多くの桜の木が植えられていることに改めて驚いてみたり感心してみたり。自分にとっての古い街を、自分自身に紹介するような小さな小さな旅を楽しんでいる。そんな日が続いた。

帰国して二週間あまりが経ち、そろそろ漕ぎたい病が発生してきた。フネを漕ぎたい。漕ぎたい漕ぎたい。ウエブでいろいろ情報を集めて吟味した結果、三重県の紀伊半島にベースを置くパドルコーストのレッスンに参加することに決めた。ぼくが参加したのは『ステップ3:実践ツーリング』というタイトルの講習。コンパスや地図を使ってツアーを実践的に組み立てていくというもので、まさにぼくが求めている内容だった。

パドルコーストではカヤックも製造していて、なかなか評判がいいらしい。「漕ぎたいフネがあるんですけど」とおそるおそる電話で問い合わせてみたところ、もちろんいーですよ、と快諾してもらえた。ぼくはフェーゴというカヤックをリクエストした。イェイ! これはもうワクワクである。

当日。パドルコーストの吉角さんが近鉄の伊勢市駅でぼくをピックアップしてくれた。吉角さんは、わっはっはと快活に笑うナイスガイである。ぼくがカリフォルニアで漕いだことに興味を持ってくれたらしく、アウトフィッターの違いとか遊び方の違いなどについて話がはずんだ。

南伊勢町の海岸に着いて、講習がスタートした。天気図や、海図や、海流のことなど多岐に渡って教えを受けた。ぼくもたくさん質問したし、吉角さんも全力で答えてくれた。これまで知っているつもりでいたのだけど、いかにぼくが航海の基本、しいては地表の物理学に無知であるかを知った。経線とコンパスの南北のラインがずれている、と吉角さんに教わり、ぼくはびっくりして「え? 経線とコンパスの南北のラインってずれているんですか」と同じ質問を二回くらい繰り返してしまった(はいそうです、と答えてくれました)。へええ。けどまあ、地軸の上に厳密に南北の磁石が位置している必然性はないのであって、ずれててもおかしくはないわけだ。日本のこのあたりでは6°ほどずれているという。知らなかった。

今日の参加者はぼく一人だそうで、すごいラッキーである。ぼくたちは陸で昼食を済ませ(吉角さんはどん兵衛を食べてました)、出艇した。

フェーゴはよく言われているように、非常にバランスのいいカヤックだ。直進性と旋回性のバランス、速度と安定のバランスがよい。リーンもしやすい。コクピットは大きすぎず、かといって身体の捻転を邪魔するほど狭くも無い。ただ、ぼくの身長にはすこしコーミングが小さく、おしりを浮かした状態でないと膝を艇の中に入れることが出来ない。それが少し残念だった。身長が165cmくらいの人だったらこれは問題ではないかもしれない(たぶんだけど)。この日は弱い低気圧が通過した後で海況は厳しいほうだったけれど、このフネには信頼を置けた。とりわけ追い波での挙動は特筆すべきものがある。あんなにスターンのぶれないフネってなかなかない(たぶんだけど)。艇全体のボリュームも絞ってあるので、横風にも強そうだ。ぼくは今回はスケグは使わなかった。

吉角さんは時折ストップをかけ、海況の予測をしてくれた。「あそこが風の通り道になりますので、吹きますよ。グループツーリングの場合にはここで一度グループを集合させるんです。風が吹くとグループが散り散りになりますから」とか、「あそこの岬を過ぎるとうねりが入ってきますから、もし風がこっち向きだとちょっと危ないですね。慣れない初心者がいる場合とかは特に注意が必要です」などといった具合に、的確で詳細なレクチャーをしてくれた。こういうのは実際に地図で見て、フネに乗って、海況を体験しないことには分からない内容である。非常によい勉強になった。また遊べる場所や定置網のことなんかも教えてくれた。

海図を見ながらフネを漕ぐのは難しいけれど楽しかった。自分の位置を確かめ、ああ、このスピードなら30分後くらいにあの岬へつくな、とか計算できちゃうのである。なにやらいっぱしに航海している気分になるではないか。こりゃ、自分の艇を手に入れたあかつきにはデッキコンパスと海図は必須だな、と心の中でこぶしを握るぼくなのであった。

吉角さんはパワフルなパドラーで、楽しいなーわっはっはと快活に笑いながら高速でフネを漕いでくれたので、ぼくのほうもすごいいい運動になったしスカッとした。リラックスしてのんびり漕いでいるように見えるのだけど、速いのだ、彼が漕ぐと。勉強になるなあ。

ぼくたちは納艇し後片付けしたのち、航海のおさらいをして帰路についた。近鉄の駅まで送ってくれるという。帰りの車ではカヤックのコンストラクションについていろいろ興味深い話を吉角さんから聞くことができた。カヤックの好みが結構一致していてるみたいで話がはずんでしまった。

ぼくが漕いだ三重県の南伊勢町の海岸はギザギザしたリアス式海岸になっていて、海から眺めるその景色といったらそれはそれは美しかった。カリフォルニアの連中にも漕がせてやりたいくらいだ。2007年4月14日。かくして、この日がぼくにとって記念すべき最初の日本の海を漕いだ日になったのであった。ああ、はやく自分のカヤックを手に入れたーい!

Mendocinoでキャンプ その2

2007年04月15日 | キャンプ

翌朝。どうしてテントで寝てこれほど熟睡できるのか、と自問したくなるくらいよく寝た。なんて気持ちのいい朝なんだろう。うーんと背伸びをしてみる。湯を沸かし、インスタントコーヒーとココアの粉でモカを作って飲んだ。ちゅんちゅんと鳥が鳴いている。モカを飲み、グラノーラバーを食べながらテントの中のものを少しずつ片付ける。それが終わると二杯目のモカと一緒にスナックをぼりぼりとかじった。さあ、今日は漕ぐぞ!

9時。ぼくは車を出して、カヤックのレンタルの出来る"Stanford Inn"というホテルへ向かった。面白いことにここではカヤック以外にもアウトリガーカヌーなんかもあったりして、ホテルのオーナーの趣味人ぶりが伺える。メンドシーノの岬の「脇」に流れ込むBig Riverというのが、今日ぼくが漕ぐフィールドだ。けっこう水量があって、一見水が流れていないように見える。この時間が潮止まりだと知ったのはそれから少し後のことであるのだが。



カヤックにしようかカヌーにしようか迷ったのだけれど、ぼくはカヌーを選んだ。シングルブレードのパドルで一度漕いでみたかったのだ。簡単な講習を受けてぼくは出発した。カヤックの漕ぎ方とは微妙に違って面白い。ぼくの選んだのはアマ(浮き)が左と右に対称についている、ダブルアウトリガーカヌー。ポリネシアの人たちの航海能力を飛躍的に高めたと言われる、歴史のあるフネだ。木でできた美しい船体である。ローカルなビルダーが作ったのだとショップの人が言っていた。船体から柔らかな曲線を描いて繋がっているアマ。このアマは常に片方は空中に浮かんでいるようになっている。漕ぐサイドのアマが水に触れているのが正しいのだそうだ。なるほど、両方のアマを低くしてしまうと、うねりのなかでは船体が浮いてしまってアマを繋げている棒が折れてしまうだろう。



馴れないシングルブレードに最初は戸惑った。カヤックも普段はスケグ艇しか乗らないので、足で操るラダーも難しい。なかなか真っ直ぐ進めなかったのだが、200mも進んだら慣れた。慣れてくるとこのフネは楽しかった。がっぷりと水を掴んで後ろへ送るとぐっとフネが走った。この体幹や後背筋にぐっとかかる負荷がいい。



水は充分綺麗だった。水深の低い箇所では水面の模様がゆらゆらと川底に写って見える。森の奥へゆらりと入ってゆく川の姿に、その向こうの景色を思いやる。あそこに着いたら何が見えるだろう、という原始の欲求を感じる。



漕いでいるうちにシングルブレードにどんどんと魅了されてくる自分に気がついた。パドルのトップの木の丸みなんかこう、上に構える手の平になんとも柔らかくフィットしていい。途中でカヤックを漕ぐ一組のカップルに出会ったが、自分でも驚いたことにぼくはそこはかとない優越感に似た感情まで持ってしまった。なんかこう、シングルブレードって優雅なのである。カヤックのダブルブレードが二刀流というか、ズルに見えてしまうといったらお叱りを受けるだろうか。

カンティーンに入れてきた昨日の残りの白ワインを飲む。もちろん酔うほどの量は入れてない。まだ冷たくておいしかった。持論だけど、白ワインはステンレスの容器で飲むとおいしい。グラノーラバーを食べて休憩を入れる。ずっと上流にバウを向けて漕いできたのだが、どうもさきほどからスピードに乗るなあと思っていたら案の定潮が満ちてきた辺りであった。ようするに河口付近のこの広い川は、満ち潮に近づくにつれ川の水が上流に向かって逆流するのだ。なのであまり調子に乗って距離を漕ぎすぎないように、なるべく野鳥を見たり自然を観察しながら、ワインをちびちびやりながら、ゆっくりと進んだ。時折ダッシュなどしてスピード感を楽しんだりもしたけど。

陽もだいぶ高くなってきたあたりでぼくは折り返した。おお、案の定下流へ下るのは難しい。フネがすすまなーい。瀬という瀬はないのだが、それでも水流の速い箇所があって、そういうところは全力で漕がないと後ろへ(上流へ)戻されてしまう。一箇所、これはほんとにキツイというところがあって、岸に一度フネをつけて休んだ。仕方ないので岸を歩いて片方のアマを手で持ってフネを押そうと思ったのだが、ぬかるみがひどく2mも進めなかった。意を決してぼくはフネに乗り込み、出来る限りの岸よりを全力で漕ぎ、事無きを得たのだった。度を過ぎなければこういうがむしゃらな漕ぎも楽しいものである。上流に押し流されるというのが若干理不尽ではあるが。

納艇したころにはぼくの後背筋はすっかりパンプアップしていた。まさかレンタルでこれほど体力を使うとは思わなかった。「この潮のなかよく帰ってこれたね」とショップのお兄さんに驚かれ、どう言葉を返していいものやら思案したのだけれど、ふと気が抜けてなんかこれもアメリカらしいやと思い、ぼくが返したのは笑顔だった。結局ぼくは漕げたら幸せなのである。

それからぼくは海岸へ出て、スープを作りそーめんを突っ込んで食べた。二艇のカヤッカーが波打ち際で遊んでいた。すると海坊主が海面から音もなく現れた。ボンベを背負っていたからあれはひょっとしたらスキューバダイバーだったかもしれない。もしくはもじもじ君だったかもしれない(スキューバダイバーです)。なんか楽しい場所である。

帰るべき時間が近づいてきた。ぼくは車に乗り込み、メンドシーノを発った。サヨナラ、ありがとうメンドシーノ。(帰りは違う道で帰ろう)とふと思い立ち、ぼくは次にあらわれたジャンクションで左折した。海岸部ではなく、内陸部へ向かう道だ。そして、みるみる森が深くなったと思ったら、レッドウッドの森の中にいた。外気を入れると清廉さを呼び起こしてくれるような森のにおいが車内に広がった。先ほど気まぐれに左折した、ささやかな幸運にぼくは感謝した。



カリフォルニアの地形や気候の変化は、南北のそれに比べて東西のそれは大きい。植生も大きく変わる。ものの20~30分のドライブで海岸部から、森林地帯、さらに今それを抜けて乾燥したエリアに入りつつあった。からっと晴れた大空の下にはブドウ畑が広がっていた。わー、わーと一人歓声をあげるぼく。なだらかな丘陵地帯に綿々と続いて見えるブドウ畑。曲面に描かれた律儀なブドウ畑の平行線は、遠近法の手法を具現化しているようで、一種の構造美をもってぼくの目にうつった。



こんな北部の方にワイナリーロードがあるなんてぼくは知らなかった。旅は気まぐれ世はお酒。これはどこかで止まってワインの試飲でもするより他にないのではないか。しかし時間も押してるし、運転者はぼく一人だし、いくつものワイナリーに行くわけにはいかない。そう、勝負は一つ。ただ一つ。ぼくの脳内で、ロボコップさながらのスコープがオンになり、『いいワイナリー』センサーが作動した。そしてぼくはある一つのワイナリーの前で車を止めたのである。



ぼくが足を踏み入れたのはStandishという名前のワイナリー。もちろんこれまでに聞いたことはない。ここ全体はAnderson Valleyというエリアで、徐々に注目を浴びつつあるのだという。親切そうなおにいちゃんがぼくのサーブをしてくれた。たまたまここに? どこからきたの? ああ、もうすぐ日本に帰るんだね。平日に一人でキャンプか。などと、いくつか個人的な会話を交わした。彼にはぼくのこの二日間の旅がセンチメンタル・ジャーニーにうつったかもしれない。非常に丁寧にぼくに説明をしてくれた。ぼくはここで2種類のChadonnayと1種類のMerlotを試飲した。

最初のChadonnayはステンレスの樽で寝かせたさわやかな仕上がりになっていた。雑味が少なく、単調なきらいはあるが、個人的にこういうのが好きなのでああ、これは買いだな、と心の中でこぶしを握る。もう忘れてしまったが、お兄ちゃんはブドウの遺伝子やルーツのことまでちゃんと知っていた。研究してる人なのだ。たとえ理解できなくても、こういう人にサーブされると嬉しい。

次のChadonnayはうって変わって味が重層的になっている。よくこういう味をbutteryとかcreamyなんていったりするけれど、比喩として悪くないとその時思った。なめらかであるが、ワイン自体の味が濃い。重層的ではあるが不協和音は入っていない。これはうまい。値段も高いが、味はそれ以上にいいと思った。

ここでグラスを一度代えてもらう。最後のMerlotが注がれた。かおりがいい。一口飲んでぼくはびっくりした。その表情をずっと見ていたおにいちゃんが、「わかるでしょ? ぼくは最初にこれを飲んだとき、これがMerlotか!と思ったよ」と、ぼくがまさに言おうとしたセリフが彼の口から出た。非常にボールド。イタリアの土臭い、うわーっとした力強い味に似ている。うまい。味が濃い。こんなMerlotをぼくははじめて飲んだ。ほんとにすごいワインだ。

チーズを頂いて、最後のワインを少しづつ楽しみながらお兄ちゃんと雑談をし、ぼくは3種類全部を購入した。二重マルだ。大満足、大当たりであった。バークレー?じゃあここから2時間半でつくよ、とお兄さんは言う。それはいくらなんでもウソだろう、と返したがまったく彼の方が正しかった。ぼくはアンダーソンバレーを抜けて高速に乗り、実に短時間でバークレーにたどり着いたのだった。

その日の夜。ぼくは彼女のEと一緒に今日買い求めたMerlotを飲んだ。キャンプやカヌーの話をしながら、僕たちはグラスを傾けた。長年使った家具は既に無く、引越しの段ボールが口を開けたまま並べられている。がらんとしたぼくたちの部屋に、笑い声と芳醇なワインの香りが漂った。

おしまい。


Mendocinoでキャンプ その1

2007年04月11日 | キャンプ

3月の最後の方の週の半ばに、職場を休んで一泊二日のキャンプへ出かけた。場所は北カリフォルニアのMendocino(メンドシーノ)。太平洋に突き出した岬にあり、コーストラインが美しいことで名が高い。また複雑なロックガーデンがあり、シーカヤッカーにはとりわけ有名な場所である。ずーっと行きたいなーと思っていたんだけど、いかんせんちょっと遠い(片道車で4時間くらい)ので後延ばしにしてきたのだ。

できればカヤックを漕ぎたい。ツアーをやってるアウトフィッターを探してみたんだけど、なかなかスケジュールがあわない。ネットで情報を探していたら、入り江の波のない場所でならカヤックをレンタルしてくれるところがあると分かったので、そこで漕ぐことに決めた。レンタルは気楽でいいや。いつも水曜日の夕方に一緒にカヤックを漕いでいる連中に、今度メンドシーノに行くんだーと伝えたら皆口をそろえてそれはいいねーと言ってくれた。これは楽しみである。

出発の日。いつもの通りシンプルなキャンプ道具をシビックにつめてハイウェイにでる。リッチモンドの橋を使ってノースベイに渡り、そのまま海岸まで出る。ちょっと時間はかかるけどやっぱり景色の美しい海岸線を走りたい。あーいつだかここでキャンプしたなーとか、あっちでもキャンプしたなーとか考えながらぼくは運転した。ベイエリア(サンフランシスコ湾の周辺のエリアをこちらではこう呼ぶ)で、まるで犬のマーキングのようにあちこちでキャンプをしてきたのだけど、その様々なキャンプの思い出がフラッシュバックする。さあ今回はどんなキャンプができるんだろう。



海岸線をぐんぐん北上していく。ワインディングした道はその懐の奥に息を呑むような美しい場所を宿し、また、やわらかな道の上がり下りは太平洋のうねりを思わせる。大きな川が海に流れ込んでいる場所ではパーっと視界が広がり、えも言われぬ自然の造形美があった。海から突き出した猛々しい岩に、音が聞こえるほどの勢いでぶつかり砕ける波。白い飛沫が驚くほど高く、またゆっくりとあがる。ぼくは静かに興奮していたように思う。忘れたくない、とぼくは強く思った。

途中にあるGualalaという不思議な響きを持つ町で止まり、ガソリンを入れて鄙びた(ひなびた)レストランに入った。その店では7ドルでハーフパウンド(約220g)のバーガーを食べさせてくれた。安い。ポテトもピクルスもうまい。縦に分厚いご機嫌なバーガー。これがアメリカで食べる最後のバーガーかもしれないと思うと、ひじをテーブルに乗せしげしげと断面を眺めてしまうぼくだった。

感慨深いバーガーを食べ終え、再度出発した。時々オーバールックで車を止め写真を撮ったりした。求める地は遠く、メンドシーノに着いたころは既に夕方に近い時間になってしまったが、一通り町の様子を見て、ウワサのロックガーデンを絶壁の上から眺めた。たしかにこれは今までに見たことのないすごい景色である。岩と岩の間の海流の流れがすごい。うーん、これはちょっとシーカヤックはきつそうだ。海況がよければ楽しいだろう。フネの上からこの景色を見てみたいものだ。



ぼくはそこから少し離れたステイトパークのキャンプ場へ向かった。



無人のステーションで定められた金額を封筒に入れて専用のスロットに入れる。今日利用するキャンプ場はVan Damme State Parkにある。割と利用者は多かったが、端っこを陣取ったぼくのサイトはずっと静かだった。森が海の近くまで迫っているこの辺りではカリフォルニアにしては湿度が高いようで、夕方のこの時間は時々刻々と気温が下がっていくのが分かった。ぼくはサーマルアンダーを着込んで上着をはおった。キャンプサイトに着くといつもそうするように、公園の周りを散策した。体が温まったところで、テントを張って食事の支度にかかる。



缶詰の牡蠣をVictrinoxであける。缶詰だけど、これがうまいんだ。缶を空けて中の液体をコッヘルに流す。クーラーボックスで冷やしておいた白ワインを取り出す。これは先日ナパバレーで買い求めたBeringerのChadnnay。これもVictrinoxであける。コクコクと音をたてて酒がコップに注がれる。不気味といわれようが何といわれようが、これは微笑みがこぼれてしまうというもの。牡蠣を塩コショウにつけ、口に運ぶ。そして目を細めて(細める必要はありません)ワインを頂く。至福の時である。清涼感の奥に微かなコクがある、うまいワインだ。こういうワインはつるつるっと呑んでしまって後で後悔しそうな気もするのだが、手は別の生き物のようで、構わず次を注ぐ。

ヘッドランプの明かりで日本語の推理小説を読む。ヘッドランプって必需品だよなー。ランタンは使わない時の方が多いが、ヘッドランプは必ず使う。

しばらくそうやって呑んだ。途中で薪を組んで火を入れる。テーブルとファイアーピットの距離がちょうどよく、暖をとりながら冷たいワインをクッと呑む。これがまたいい。さきほどコッヘルにとっておいた牡蠣のスープに水を足して米を入れる。野菜たっぷりのおかゆ(おじやかな)が今夜のメニューだ。保温に入る直前になべに牡蠣を放り込む。残った牡蠣はワインと一緒に頂く。程よく温度が下がったところでサラサラとおかゆを食べ、焚き火をいじり、また本とワインに戻った。



夜、一人森の中で推理小説は読むべきではないと知ったのはそれからしばらくしてからだった。外界と閉ざされた館の中で次々におこる殺人。雷雨の夜。軋む廊下。読み終えるには先は長いし、放り出すにはその本は面白すぎた。こうしてアホな酔っ払いを一人抱えたまま、現実の森は夜の闇に溶け込んでいったのであった。 (つづく)


【報告】 アメリカでの仕事の契約が終了し、日本への帰国が決定しました。引越しやら何やらで忙しく、しばらく更新が不定期になるかもしれません。日本でもぼくに合う遊び方を見つけて、このブログに記録を残していきたいと思います。