週末はアルビレックス!

サッカーど素人ながらアルビレックス新潟にはまりこんだ「八百政」家のアルビレックスな週末。(コメント表示は承認制です)

アルビレックスとNSP

2006年08月07日 | アルビレックス新潟
J2時代からのサポの皆さんには、珍しくもなんともない光景なんですかね?この新潟市役所の壁面のアルビレックスビッグフラッグ。僕ら夫婦はJ1昇格後にはじめてアルビ観戦に出かけた「にわか中のにわか」ですから、今回のセビリア戦での新潟市役所の壁面に掲げられたビッグフラッグに感動しました。ライトアップもされていましたもんね。しかも、ビルの壁面に掲げられたフラッグが、市陸のちょうどゴール裏に位置するというすばらしいポジション。感激しました。

実はJ2時代に市陸でアルビの試合があったその日に、隣の県民会館のコンサートに行っていたことがあります。たぶん2003年のことです。その時は「へぇ~これがアルビレックスのサポータか。みんなオレンジのユニフォームを着て熱心だなぁ」と覚めた目で市陸の周りを取り囲んだサポーターを見ながら、県民会館に足を運んだ記憶があります。(アルビの試合とコンサートがぶつかったため、駐車場に車を入れるのが大変だった記憶あり)

その頃ボクが夢中だったのは、青春時代に魂を奪われたフォークグループ「NSP(ニューサディスティックピンク)」の復活でした。中学時代からフォーク小僧だった八百政は、16年ぶりのNSPの復活に心をときめかせ、学生時代の音楽仲間だった女房と「子育ても終盤にさしかかったこれからの人生はNSPとともに」とばかり、コンサートやディナーショーのはしごをしておりました。コンサート後、リーダーの天野滋氏と固い握手をし、「一生ついていきますから」と宣言したのもつい昨日のことのようです。復刻版のCDも買い漁りました。

その頃ですね。NSPの県民会館でのコンサートがアルビの市陸のゲームと重なったのは。それからしばらくして、僕らはアルビレックスの魅力を知りしだいにはまりこんでいくことになります。「趣味はNSPとアルビレックスです」と公言することも多くなりました。2005年の3月12日には渋谷公会堂でNSPのコンサート、翌3月13日にはビッグスワンで「アルビ大分」というような日程をこなしたことも懐かしい思い出です。

しかし2005年7月、NSPのリーダー天野滋氏は癌のため急逝しました。ボクが「一生ついていきます」と握手をして誓ったわずか7か月後でした。「一生ついていく」つもりだったのに、たった7か月しかついていけませんでした。

そしてボクはファンクラブもやめ、僕ら夫婦の趣味の世界は「アルビレックス新潟」に集約されることになったのです。もちろん、今でも大好きなNSP。時々CDを聴いては懐かしがっています。

NSP。このグループを知っている人は、このブログをご覧の人にはほとんどいないかもしれませんね。繊細で軟弱な雪国の少年の心を歌わせたら右に出る者はいない、3人組のフォークバンドです。当時(今から30年ほど前)、「NSPが好きだ」というのは男の子としては「恥ずかしいこと」のような空気がありましたね。ボクもみんなに内緒でレコードを聴き、ギターの練習をしていました。後で知ったのですが、ボクみたいな軟弱なヤツが大勢いたそうです。代表作は「夕暮れ時はさみしそう」(知ってる人は知っている!)

ノスタルジックに青春時代を思い返してしまいました。
「ボクがアルビレックスにのめり込む背景となったひとつのエピソード」を紹介しました。

さて、反町ジャパンの応援をするとしましょう!

コメント (6)
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