諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

60 生体としてのインクルージョン#07 空地

2020年01月04日 | インクルージョン
 学校の裏の空地に立っている。
文化祭、駐車場整理。PTAの黄色いはっぴを着て、手に赤い誘導棒をもっている。

 車はまだ見えない。A地点とB地点に先に誘導するからここには当分車はこなさそう。

 校舎の中は、文化祭の準備で慌ただしいのだが手伝いようもない。
ここにいなければならないから仕方がない。
そう割り切ると、次第にその場にいることに馴染んでいく余裕がでてきた。

 秋晴れが気持ちいい空地で、見上げると雲が高い。
学校で空を見上げることなんてない。


 向こうに校舎の背中が見える。校舎の外壁はモルタルで少しくすんで年季を感じる。
思えば、この校舎の中でほぼずっと働いている。

 毎朝、バス停を降りてからは、今日やることを整理しながら歩く。
気がかりなことを思い出してはその対応を頭の中の「To Do リスト」に加える。
 更衣室でいつも執務兼介助の服装に着替えて、PCを起動させつつ、剥がれかけた掲示物を直し、挨拶しながら、「気がかりA」?を教頭先生に相談したりする…。

 そんな勢いで「To Do」に追われて1日が過ぎる。退勤するのは夜だ。その間校舎を出ないこともある。

 だからこの空地にいることや空地からの景色をほぼ意識したことはない。


 見渡すと新しく建った住宅が多い。新築マイホーム。外壁が白く光っている。

 しばらくして、数人の子ども達が家から出てきて、自転車で遊びだす。
「小学生がいたのか」

 その隣の家のおじいちゃんがポストの新聞を取りに出てくる。おかあさんが布団を干している。
そんな平凡な光景だったが、それが新鮮に感じた。

 たぶん、同じころここに来たこの人たちにはきっとそれなりの繋がりがあり、一緒に暮らしている感触があるに違いない。
今日はこの人たちのいつもの日曜日なのだ。


 こんな光景を識った上で、改めて学校を振り返る。
個々の家の窓からは学校の校舎が見えている。校舎は圧倒的に大きい。
「これって結構な存在感なのだろうな…」

 それにしても、こんなこと、今頃気づいている。もう何年もここに勤めているのに。

 などと考えていると、自転車の小学生達の一人が泣き出した。思わず小走りで近づいて、
「どうしたの?、大丈夫?」
と金網越しに聞く。
「こいつが自転車貸さないから…」
と言う。ケガではなさそうだ。

 はじめてこの子たちとしゃべった。なんでもないやり取り。
同時に、なんだか気分が晴れない感じが残った。
 
 ここにも子どもがいるという実感と、これまで認知していなかった後ろめたさ?。 

「自分は、あのモルタル校舎の中だけで「先生」なんだ」

と。


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