諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

214 保育の歩(ほ)#9 保育を計画する

2023年09月24日 | 保育の歩
間ノ岳から北岳へ 北岳から大池へ下山途中 「地蔵岳の直下が広河原なんだ!」と発見

保育所保育指針からの理念は、各保育所の諸条件の中で具現化されるわけだが、その設計図にあたるのが、

・保育所全体計画
・各段階の長期指導案(年間指導案、月案)
・各段階の短期指導案(週案、日案)


である。

「保育所は、全体的な計画に基づき、具体的な保育が適切に展開されるよう、子どもの生活や発達を見通した長期的な指導計画と、それに関連しながら、より具体的な子どもの日々の生活に即した短期的な指導計画を作成しなければならない」

と保育指針にもある。
さて、教科をもたない保育所が、これまで述べてきた、「養護」「教育」そして「子ども像」をどのように保育所全体計画としてまとめているのであろうか。

ところがさすがに不勉強で保育の世界のこうしたことが不案内で、ネット検索で上位に示されるものを参照させていただく。だだ、これがさすがにネット公開ししかも上位にくるだけに立派なものである。

宇治市の「ひいらぎこども園」HPから





0歳児から5歳児を横軸にして、それぞれについて、
・発達の姿
・重点
・養護(生命の保持・情緒の安定)
・ねらい及び内容(健康、人間関係、環境、言葉、表現)
・遊び
・配慮すること
・食育
そして、全年齢を横断して、
・保健安全
・個別発達支援
・異年齢活動
・家庭との連携
・小学校との接続
・子育て支援
・地域との連携

として明記しながら、

理念
「心に華を咲かせよう ~すべの手の人の幸せをねがって~」

教育及び保育の目標
「心やさしくたくましく ~生涯にわたる人格形成の基礎を培うとともに、子どもの生活を保障し、保護者とともに園児を心身ともに健やかに育成する~」

目指す子ども像
「やさしくたくましい子、自分も人も大切にする子、発見や工夫を楽しむ子、自分で考え自分で行動する子」

と大きなイメージを掲げて全体を包み込む。

こうした全体計画があって、関係者はこれに方向性を見出だし動き、これに立ち返ることで日々の軌道を保てることになる、そうした仕組みである。

さらにこれに基づいて、先に述べた、

・各段階の長期指導案(年間指導案、月案)
・各段階の短期指導案(週案、日案)

が作成される。
(これについては、それこそサンプルがないので、「保育士バンク」というサイトにその記述例があったので以下に紹介しておく)
https://kidsna-connect.com/site/column/hoiku_workstyle/3944

以上、「保育所保育指針」から厚生労働省所管の保育所の理念、めざす方向性、そして運営計画の筋道までを簡単ではあるが見ることができた。
そこには、就学前の子どもたち達へのかかわり方が、いろいろな角度から具体的に書かれてあって、私たち学校関係者にも新鮮に受け止められることができる。


ところがである。
この「保育所保育指針 解説書」の協力者で、以前取り上げたICFの国際会議にも参加した秋田喜代美さんは、日本の保育の現状を厳しく見ている。

日本が置かれた文脈から各国の保育の質評価を捉えるために考えなければならないのは、保育の質評価を、保育所は厚生労働省、幼稚園は文部科学省といったように、各省庁、施設類型別の議論のまま提示するのでよいかという点である。認定こども園が増加しているが、質の評価の議論は幼稚園と保育所各々の所管での固有の問題として扱われ、幼保連携型認定こども園に展望を託しそれらをつなぐという議論はない。

一定の質基準確保ではなく、各地域や各園の特徴を見いだす保育の質評価は誰によってどのような方法で行われるのが可能であるかという問題である。

日本は全くエビデンスがない国である。理論的な言葉での量的データへの批判だけなら容易である。しかし、現場の事実を明らかにすることで、困難を多く抱える地域や園、子どもたちの声なき声をいかに集め、そこから実際に保育実践の質向上につなげて元気や活性化が生まれる政策のデザインを考えるのかが、これから問われていくのではないだろうか。


                          『世界の保育の質評価』明石書店

引用が唐突に政策議論のレベルになって恐縮だが、秋田さんは、保育所経営の計画そのものではではなく、結果としての保育の質を懸念しているのである。
「日本は全くエビデンスがない国である…」の指摘は鋭い指摘で、特別支援学校においてもそのままあてはまると言っていいだろう。

当ブログにおいても、

心身の機能の未熟さを抱える乳幼児期の子どもが、その子らしさを発揮しながら、心豊かに育つためには、保育士等が、一人ひとりの子どもを深く、愛し、守り、支えようとすることが重要である。

養護と教育を一体的に展開するということは、保育士等が子どもを1人の人間として尊重し、その命を守り、情緒の安定を図りつつ、乳幼児期にふさわしい経験を積み重ねられるように丁寧に援助することを示す。


ということを保育要点として解説書の中から取り上げたが、多分に客観化しにく「養護」ということや、保育者との一体感のつよくしかも個性のある乳幼児への「教育」はどう評価され、「声なき声」の子どもたちに還元されうるのか。

人類史上保育は営みとして行われ、自然な生活や共同体でのやり取りのなかで行われてきたはずである。それをどこまで意識化して、評価し、より多くを子どもたちに還していけるのだろうか。

次回から、テキストを前掲の『世界の保育の質評価』に移して学んでいく。
サブタイトルは、「制度に学び、対話をひらく」とある。




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