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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

水墨山水図 藤井達吉筆

2019-06-05 00:01:00 | 掛け軸
藤井達吉の水墨画の魅力はなんなのだろうか? 思わず入手への食指が動いてしまいます。

水墨山水図 藤井達吉筆
紙本水墨軸装 軸先陶器 合箱
全体サイズ:縦1150*横510 画サイズ:縦*横



共箱でもなく鑑定の箱書もありませんが、これは真作・・。代表的な号の「空庵」が記されています。印章も朱文白方印の「空」が押印されています。

藤井達吉は独学であり、昭和に入った頃から軸足は次第に中央から離れていきます。また大きな展覧会に作品を出品することもほとんどなく、画商に作品を売り込みもしませんでした。以上の理由から藤井達吉については記録が少なく、活発な活動に反して日本近代美術史で取り上げられる機会が昭和以降は減っていきました。

*藤井達吉の得意とする山水画を家具に描いた作品があります。



また藤井達吉は転居を繰り返したため住まいがしばしば変わりましたが、後半生は郷里での後進指導に重きを置いていました。瀬戸の陶芸や小原の和紙工芸の現在の発展の基礎は藤井が築いたと言って良いでしょう。瀬戸や小原(現豊田市)には栗木伎茶夫氏、山内一生氏、加納俊治氏など、直接藤井の教えを受けた方々の幾人かがいました。



藤井は昭和25(1950)年から31(1956)年まで碧南市の道場山に住んでいました。故郷での藤井の生活を支えたのは藤井達吉を敬愛する人々であり、「野菜を持って行った時に水墨をお礼に描いてくれた。」というようなエピソードがあります。このような状況で後半生の藤井達吉の作品は文人画的趣の色濃い作風となっていきます。本作品もこの頃の作品だろうと推察しています。



近年、藤井達吉の業績が見直されるようになってきました。平成3(1991)年に愛知県美術館で開催された「藤井達吉の芸術-生活空間に美を求めて」展以来、近代日本工芸が揺籃期にあった頃、即ち中央で活躍していた時の藤井の先駆的作品が評価されるようになったきました。



学生時代に登山していたせいでしょうか? 藤井達吉の水墨画の山水図には共感を覚えるところがあります。



3000メートルを超える山は数えるほどで日本の山々は基本的に低山です。



岩山も基本的に少なく、緑深い山並みで霧があり、日本に日本の水墨画があるという思いがありましたが、その思いと同じ感じが藤井達吉の作品には感じます。













表具は渋い・・・。



渋いというかシック・・、年配の方のお洒落はこうありたい。



工藝デザインをしていた藤井達吉の表具はその趣を備えています。



軸先に陶磁器を使用するのは、藤井達吉が陶芸を指導していたことによるのでしょう。



「空」という白文朱方印の印章は他の作品に同じものがあります。





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