夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

寿老人図 柴田是真筆 その13

2018-09-17 00:01:00 | 掛け軸
明日から帰郷しますので、ブログは一週間ほど休稿とさせていただきます。(ということはこの原稿は盆休み前の作成らしい・・)

柴田是真の作品については骨董蒐集を始めて間もない頃に盛岡の骨董店で大枚を叩いて初めて買った下記の作品(部分写真)があります。その後その作品はどこにおいてもお褒めの言葉を戴く作品となりましたが、所謂ビギナーズラックのようなものです。

盛岡の骨董店主は地元で会主を務めるほどですが、すべて信頼のおける作品かというとそうでもなく、入手した作品の半分は胡散臭い作品でした。当方がまだまだ未熟でお小遣いも乏しかったことも当然あったでしょうが・・。



一流のお店がすべていい作品かというとそうではないことを学びました。評価以上の金額を投入すれば、誠意のある「一流どころ」はいい作品を勧めてくれるでしょうが、資金に苦しい時やこちらが欲を出した時はしっぺ返しがあります。

ビギナーズラックを経験し、その後は柴田是真の作品を好んで入手しましたが、柳の下に泥鰌は二匹はおらず、ビギナーズラックで得した運はすでに費えたかもしれません。本日はその柴田是真の作品の紹介です。

寿老人図 柴田是真筆 その13
紙本水墨淡彩軸装 軸先骨 東京美術倶楽部売立札付(昭和31年11月27日) 合箱入
全体サイズ:縦1940*横505 画サイズ:縦1060*横375



東京美術倶楽部売立札付(昭和31年11月27日:実際の記録有)には「金7000圓」と書かれています。当時の1万円は現在の15~20万程度ですから、価格は10~15万円程度でしょうか? 

安い? 戦後はインフレとともに骨董の価値も暴落しましたのかもしれません。

 

*右の売立札:他の所蔵作品「児戯之図」(上記のビギナースラックの作品)は同じく東京美術倶楽部からの売立札があり、昭和2年に5308圓(現在では1000万以上)で落札された記録があります。

 

人物や動物のちょっとコミカルな表現が柴田是真の大きな特徴です。



鐘馗様、寿老人などの七福神は明治期にたくさん所望されることが多かったのでしょう、河鍋暁斎も同じ傾向にあります。

参考:下記の写真は本ブログで紹介されている他の所蔵作品



七福神の作品の写真をアップしました。



河鍋暁斎と柴田是真は仲が悪かったという風評ですが、合作がいくつかあります。



当方でも上記の写真の作品を所蔵していたのですが、資金繰りが苦しかった時に残念ながら手放しています。

*ただし当方では真作と断定できていませんでした。



柴田是真は幾度か結婚を繰り返し、また晩婚で子供ができるなど小生と共感?できるところがあります。なんと最後の子供は71歳です。負けてはいられませんね。



漆芸家としての作品が田是真の真骨頂ですが、これはさすがに贋作は製作しづらいのでしょう。まだ精巧な贋作を見たことがありません。掛け軸は簡単な材料と技巧で贋作が作れるのでもっとも贋作の多い分野ですね。



柴田是真の絵画の作品では漆で描いた作品も多いのですが、漆絵もまた扱いが難しいので精巧な贋作をあまり見たことがありません。

*本作品は鑑賞上支障にはなりませんが、シミが発生しています。掛け軸においてシミの発生は完璧には抑え込めませんね。所蔵設備のある温湿度管理が行き届いた施設なら別ですが、一般の蒐集家ではなかなか保存管理が難しいものです。一定以上の染みの発生において染み抜きの処置が有効ですが、やみくもに染み抜きできるほど廉価ではありません。表具の締め直しもできますが、これも同等の改装費用が伴いますし若干絵も痛みます。エアコンで高湿度の時期に除湿するのが有効ですが、他の漆器や刀剣には乾燥が有害にならないことを考慮する必要があります。



柴田是真実の背景の描き方にも特徴がありますので、これも真贋のポイントになります。

ここで柴田是真の日本画の修業を振り返ってみましょう。

柴田是真の絵の修業はすさまじく、まず11歳の時より、職人気質を重んじ精巧な細工に特色を示す初代古満寛哉に蒔絵を学び。また一時、寛哉の親友であった谷文晁に指導を受けたと伝えられています。是真は文晁の画風には馴染まなかったのですが、書風を慕い、後年その書を愛蔵したと伝えられています。

文政5年(1822年 )16歳で画工の図案に頼らず仕事をするため、鈴木南嶺に四条派の絵を学んでいます。また当時売り出し中の浮世絵師歌川国芳が、是真の扇絵に感動し弟子入りしようとしましたが、是真は初め固辞したのですが、弟子とし国芳に「仙真」の号を与えたという逸話が残っています。ちなみにこの時期に茶道を習得しています。

天保元年(1830年)24歳の時に四条派をより深く学ぶため京都へ遊学し、南嶺の紹介で、四条派の岡本豊彦の弟子となっています。同門で近くに住んでいた是真より1歳年下の塩川文麟は親友でありライバルでもあったそうです。

京都では香川景樹に歌学と国学を、頼山陽に漢字を学んでいます。頼山陽の南画の影響も当然受けていたと推察されます。京都滞在中は、他に松村景文、森徹山、和田呉山、田中日華、陶工の青木木米とも親交をもったという記録があります。

*整理すると
初代古満寛哉→谷文晁→鈴木南嶺→(歌川国芳)→岡本豊彦→(塩川文麟)→頼山陽→松村景文、森徹山、和田呉山、田中日華、陶工の青木木米という経緯です。本ブログで紹介した画家も数多くありますが、学ばば一流へ・・。



さて本作品の印章は「是真」の白文香炉印で絹本への押印は判断が難しくなりますが、資料との比較は下記のとおりです。

 

柴田是真の印章は種類も多く、中には簡単な「真」など簡単に模倣できるものがあり真贋の根拠にするのは簡単ではありません。また漆絵の押印にも使われることから印影が若干変わること、印影の近いものの数が多いというのが障害となります。やはり作品自体の出来不出来でおおよその判断するのが筋道なのでしょう。

*ただ稚拙な贋作はあきらかに印影が違います。

さて「学ばば一流へ・・」・・・意味深い言葉ですが、常にチャレンジする精神を忘れてはいけません。真贋を云々する前に常にチャレンジし、自己のレベルアップと蒐集へのリスペクトを学ぶようにしましょう 

*蒐集趣味の基本原則に「売買する以外は基本的に蒐集相手の作品を贋作と言ってはならない。」というのがあります。これは非常に意味深い鉄則ですが、誠にそのとおりで相手への不用意な贋作発言ほど自分の身を滅ばすものはないようです。

いかなる診断結果になるにせよ、思わず自論を展開すると品格を疑われるのは、贋作発言した側になることが多いということです。最近、なんでも鑑定団の影響のせいか、これ見よがしに自論を展開する輩が多いのですが、残念ながら品格が疑われるのは得意げに発言した側になります。どうしても理に適った説明が必要な場合は、経験上から相手をリスペクトしながらの気配りのある発言が必要です。このような思いやりのある発言ができないのが現代人の思慮の浅いところ、自らも反省することがあります。

*本ブログへのコメントは極力公開するようにしています。ただ残念ながら必ずしもコメントが正しものばかりではなく思っていますが、こちらの回答は意見を尊重した文面にしており、その点は読者自身の判断にて咀嚼下さい。


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