夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れ去られた画家ーその16 秋江帰帆之図 日根対山筆

2011-07-29 06:03:11 | 掛け軸
本日は地味な?作品の投稿です。日根対山と聞いても御存じの方はかなり少ないと思います。このような南画に興味を示す人は少ないし、そうなって当たり前のような時代の変遷です。このような絵は床の間に掛けて家という空間に山水を持ち込むところに良さがあるのであって、そのような場を家という中に持てなくなった今は無用のものとなりつつあります。寂しいというかほかありませんが、他のものに価値観を見出すことも必要です。南画を投稿するときには少しノスタルジックになります。定年を迎えて郷里に帰るのもいいですが、今の地方都市は医療や高齢者介護などを含めて生易しい現状ではありません。

日根対山と関連する画家は岡田半江貫名海屋などです。

秋江帰帆之図 日根対山筆
緞子装長条幅 絖本水墨淡彩 軸先竹節状骨
全体サイズ:縦2195*横595 画サイズ:縦1410*横410



本作品は仙台の老舗骨董店である汲古堂より購入したもの。ここの泉さんという御主人からはいいものを廉価で譲っていただきました。南画は今では当時の購入金額よりもっと廉価でしょうが、サラリーマンの私にでも手が届く金額でした。掛け軸、焼きもの、漆器など多方面に亘る骨董品を仙台勤務の時に購入できました。




思文閣の最近(平成20年)販売でも同等の作行で25万の値をつけていますが、最近南画は人気がありません。仙台出身の画家なのに仙台の人は知らないのですよと泉さんが寂しそうに言っておられたのを今でも覚えています。




南画を味わうには現実の描写ではなく、心の写実を鑑賞しなくてはなりません。この作品は、そういう味わい方をすると、雄大さとゆったり感をもっています。

ただし、明治期の南画は画一的になり、ひとつ間違うとどれもこれも同じ作品になるようなところがあります。この原因はこの時代の生活形態の違いと創造力不足に他なりません。生活を世俗から遠ざけた画人の作の南画はすばらしいものがあります。

青木木米で文人画は終焉し、日根対山で南画は姿を消したと私は思っています。軸の巻き止めに「翠山」の鑑定書きが記されていますが、詳細は不明です。兵庫県出身の小西翠山、もしくは三木翠山が考えられますが・・。



賛は「秋江帰帆 於罫外(けいがい:あみのそと 開放された処、位置 自由のある処)楼中 日少年筆」とある。印章は「対山之印?」の朱方印、「少年」の白方印が押印されている。日根は泉州日根郡の住人であることによるといいます。



本作品は絖本・・「絖本」は知っていますよね・・に描かれておりますので、日根対山の力作の一つでしょう。


日根対山:1813年(文化10年)生まれ、1869年没(明治2年)享年57歳。幕末の南画家。大坂生。名は盛長、字は成信・小年、号に対山、茅海、錦林子、同楽園等がある。画は貫名菘翁に学び、また鉄翁祖門に私淑した。特に山水画に長じて筆墨雄大にして自ら秀爽の趣致を帯び、近世南画壇の巨擘と称される。当時中西耕石と並び称されていた。日根野対山ともいう。


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