goo blog サービス終了のお知らせ 

夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

鶺鴒と群鮎之図 小泉檀山筆 その6

2025-04-13 00:01:00 | 掛け軸
本日紹介する作品で6作品目となる小泉斐(こいずみ あやる)という画家は、江戸時代後期(明和7年3月 1770年4月~嘉永7年7月5日 1854年7月29日)の絵師で、とくに鮎図が有名です。



最近まではその評価の基準として鮎が一匹20万円とか・・・。当時から鮎を描くことが有名であったようで、数多くの制作の依頼があったらしく、その画料としてなんらかの基準があったのでしょう。

*なんでも鑑定団にても鑑定される方はそのような基準で評価額を示していますが、実際の評価金額はそれほどは高くありません。

鶺鴒と群鮎之図 小泉檀山筆 その6
絹本着色軸装 軸先陶製 合箱
全体サイズ:縦1900*横500 画サイズ:縦100*横365

 

清流に草花とともに描かれた群鮎の作品が多く、本作品のように鳥の翡翠と一緒に描かれている作品は希少です。



他の作品の紹介でも記述していますが、小泉斐の画歴は下記のとおりです。

*********************************

小泉檀山:小泉 斐(こいずみ あやる)とも称されます。明和7年3月(1770年)~ 嘉永7年7月5日(1854年7月29日))。江戸時代後期の画家で、殊に鮎と猫は真に迫るといわれた。本姓は木村。幼名を勝、諱は光定、字を桑甫・子章とし、檀山・青鸞・檀森斎・非文道人などと号しています。下野国の人。

下野国芳賀郡益子(現在の栃木県芳賀郡益子町)に生まれています。父は鹿島神社神官の木村一正、母は片岡氏。幼少より絵を好み、11歳で高田敬輔の門人島崎雲圃に入門。唐美人図・鮎図などを習っています。師との関係から近江に頻繁に出向き、日野祭の山車の見送幕の製作などをしていました。画を円山應挙に、漢学を皆川淇園に学んだとされます。

30歳頃、那須郡両郷村(現在の栃木県那須郡黒羽町)温泉神社の小泉光秀の養子となり同社の神官を継いでいます。立原翠軒に就いて経学や詩文を修め、その子立原杏所に画を教えています。また和歌、音楽を嗜んだともされます。

享和元年(1801年)に、甲斐守に任ぜられ従五位に叙されます。50歳の時に黒羽藩主大関増業より城北の鎮国社宮司職を与えられ、その後は旺盛に画の創作を行いました。

画は唐の王維を敬慕し、各地から門弟が雲集し30年もの間、画技を伝えたという。「小泉檀山門人録」には100名もの人名が記されており、島崎玉淵・宇佐美太奇などが育っています。高久靄厓も画技を受けたひとりとされます。

小泉斐は殊に鮎を描くに巧みであったとされ、よく向町の高岩に行って、河中の鮎の生態を観察して写生したと言われています。鮎図に猫が飛びついたというエピソードが伝わるほどです。

斐は立原翠軒の従者として寛政7年(1795年)に藤田幽谷などと吉原口から富士登山に成功しています。このときを元に製作した「富嶽写真」(版画)は富岡鉄斎が富士図製作に携わるとき大いに参考にしたそうです。この富岳の版木(四度ずり)一組小泉家に保存されています。又諸国を巡り歩き奇石、名石数十点を写生し、自ら瓦版を創作して刷り石譜をつくっています。交遊の亀田鵬斎、立原翠軒、村瀬栲亭、頼山陽の諸大家がこれに序文を書いて、その刷り方の奇と写生の妙とを賞揚して世に広めました。小泉家に残っている石譜の埴板に当時の有名人の讃と名が刻んであるのを見ても交遊の広さがわかります。

藩主増業は、室の八島考を著し、領内の那須野に、室ノ井、逃室、数室、大野室、薄室、柏室、岡室、板室と呼ぶ地所のあるのは、即ち下野の歌の名所として世に聞こえた所であって、下都賀郡の栃木地方にあったのではないと言う文章を綴り、以上八ケ所の鳥瞰図を斐に描かせ、文章と絵を二枚一組の瓦版として世に広めたそうです。

小泉斐は尺に余る美髯をたくわえ、その脱け毛を集めて自ら画筆を作り画を描いたそうです。一風変った趣があり「斐のひげ筆」として請うものが多かったとされます。このような斐にも孫娘が御殿勤めをし、藩主よりカステラを頂いて来た時の喜びを描くと言った温のある一面がありました。その画中に「孫國女十一歳嘉寿天良頂戴図、檀山老人斐筆」とあります。


 
嘉永七年(一八五四)七月五日歿しています。年八十九歳と言われていますが、小泉家の木主によると、前面に前大宮司従五位下小泉甲斐守、藤原朝臣光定神霊、裏面に甲斐守画名斐字子章檀山人止号嘉永七年甲寅七月五日神去齢八十五寿重祝而八十九云故有也とあります。「広凌観瀾図」、「黒羽周辺景観図」、「黒羽城絵図」、 「揚柳観音図」など、その他多くの名作が残されています。

*********************************

翡翠の描き方についても少ない筆致で見事に表現している点はそのうまさを感じさせるものがあります。



表具の痛みやシミが点在するので、染み抜きと改装にてきれいにする予定です。



当時から有名であったため、数多くの模作や贋作が存在するようです。真贋を判断するには小泉斐の作品の特徴を覚えておく必要があります。

小泉斐(あやる)の作品の特徴

1.鮎が一匹だけ跳ねている
*ただしこれらの特徴はあくまでも一般的なことであり、この特徴の有無が直接真贋に影響すると断定するのは早計です。この程度の特徴は多くの贋作が備えていることが多いからです。



2.上ひれが大きく一匹だけ描かれる
*本作品よりの他の作品ではもっと大きく描かれることが多いようです。



3.色彩が直接書き込まれ、ひれに色が二重に書き込まれる。
*ただしこのような朱色がない作品もあり、また一匹だけのこともあります。



4.草花の描き方などの背景については、若い頃は葦の葉などきれいに描かれていますが、高齢になると雑になります。
*高齢時の作品で雑になる部分についてもそれはそれで味のあるものです。



鮎自体の表現は年齢を問わずに非常にうまい。やはり真贋のポイントはここでしょうね。



門人が多かったことや当時から評価が高かった故に模作や贋作が多いのでしょう。



本作品中の落款と印章は下記のとおりです。印章はいいようです。年季が記されていないので不明ですが、まだ若い頃の作品であろうと推察しています。

*70歳を越えたあたりから、自らの健康を祝い長寿を願って、5歳加算して年季には年齢を入れています。たとえば「九十」と落款に書かれている作品は85歳で最晩年亡くなる年に描かれたものとなります。

 

小泉斐といえばやはり鮎図とされ、制作依頼も大変多かったと推察されます。前述のように市場には数多くの作品があり、そのため最近では評価が下がっています。なんでも鑑定団ではまだ鮎一匹20万円で評価していますが、一桁違う・・・。

なお本作品は現在は染み抜きして改装されています。



改装後の写真は下記のとおりです。

鶺鴒と群鮎之図 小泉檀山筆 その6
絹本着色軸装 軸先陶製 合箱
全体サイズ:縦1900*横500 画サイズ:縦1000*横365
改装完了後 全体サイズ:縦1832*横500 画サイズ:縦985*横365
2024年12月改装完了:染み抜き共 費用¥40,000



改装によって色褪せることなく、かえって色彩が蘇ります。



改装には腕の良い表具師さんと付き合うことが肝要なようです。



表具によって作品が台無しになることもありますので要注意です。



表具される方と長らく付き合っているとこちらの要望も自然と理解できるようになってきます。依頼する作品の数が増えきて、定期的に依頼するとその費用は割安となってきます。



最初は「締め直し」という用語も解っていなかったようです。



桜を描いた作品に梅の表具材を用いたりしたりとなんどか基本的なことをやり取りしました。



作品をメンテするには、表具や額装、漆器、陶磁器の補修の基本的なことを習得していくこともコレクターには必須ですね。



掛け軸は漆器を嫌うし、取り扱い途中で落とすこともありますので、十分な気遣いが必要です。



メンテにかかる費用は蒐集費用に匹敵すると言っても過言でもないし、かかる労力もそれと同じでしょうね。

追記:2025年7月6日

本作品は改装を完了しています。



この作品は出来が良く小泉檀山の代表的な作例のため、きちんと保管することにしました。

 

この当時の作品は完全な状態で遺っている作例が少ないのも改装の理由です。



鮎と鶺鴒の出来は非常に良いものです。



生き生きと描かれていますね。



小泉檀山の作品「その6」にてようやく良いものに辿り着いたようです。



誂えも補完しています。




























最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。