茶席で使われるのが真塗の足のないお盆。当方には意外に数が少ないので新たに購入したりしていたのですが、男の隠れ家の作品の中にありました。
厚みのある木の下地にたっぷりの漆塗で重厚感があります。
五客揃いで普段かなり使っていたようで使用感がありますが、まだまだ使えそうです。保管をきちんとしていたからでしょう。
保存箱に貼られているシールから、戦後すぐの頃に日本橋で購入した作品のようです。
さて本日は「胡散臭い」作品らの紹介です。
蒐集では避けて通れない、どうしたらいいものやらの胡散臭い茶碗の作品ら・・。
このような胡散臭い作品には関わらないのが一番ですが、人間には時々欲に目がくらんで鑑識眼が歪んだりして時に入り込んでくるようです。
加藤唐九郎の作? もっともらしい共箱、共布に刻銘・・・。
志野茶碗 伝加藤唐九郎作
共箱・共布
口径124*高さ90*高台径
作行もそれなりに・・。
箱書、印章も含めて良く出来てきますが、今ひとつ作品に品格がないように思われます。
もうひとつ・・。
川喜田半泥子というつもりらしい。箱書きの字体も本物にそっくりですが・・・。
志野茶碗 伝川喜田半泥子作
合箱
口径135*高さ82*高台径
志野釉薬と灰釉薬の掛け合わせ。
前述の加藤唐九郎と同じ土に同じ釉薬?
単体で出てきたら誤魔化されそうですね。銘さえなければ普段使える出来の茶碗です。
さて騙されついでに本日の作品の紹介です。
林檎 伝小倉遊亀筆 その2
紙本着色 色紙
画サイズ:縦265*235
このような作品はなにか予期せぬ事が起こってもいいところに何気なく飾っておきます。
***********************************
小倉遊亀(おぐらゆき):小学館 (1895―2000) 日本画家。旧姓溝上(みぞがみ)。滋賀県大津に生まれる。1917年(大正6)奈良女子高等師範学校国語漢文部を卒業後、しばらく教壇に立ったのち、安田靫彦(ゆきひこ)に師事する。1926年第13回院展に『胡瓜(きゅうり)』が初入選、28年(昭和3)に日本美術院院友、32年同人に推された。38年小倉鉄樹と結婚したが44年に死別した。
古典を基礎に、大胆でおおらかな構成と、さわやかな情感がにじむ画風を築いて今日に至っている。初期では『浴女』、第二次世界大戦後では『O夫人坐像(ざぞう)』『月』『良夜』『越(コー)ちゃんの休日』『舞妓(まいこ)』『姉妹』などがよく知られている。1976年(昭和51)女性では上村松園(うえむらしょうえん)に次いで日本芸術院会員に推された。80年に文化勲章を受章。90~96年日本美術院理事長。晩年、一時体調を崩したものの、105歳で亡くなるまで制作を続けた。
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鑑定、共シールもありません。
このような作品が骨董市やインターネットオークションでお小遣い程度買えるとついつい・・。
こういうのもひとつの骨董の愉しみ方かもしれません。真贋まみえるところに見えるもののあります。
淘汰されたところにいいものが遺るように心がけます。
厚みのある木の下地にたっぷりの漆塗で重厚感があります。
五客揃いで普段かなり使っていたようで使用感がありますが、まだまだ使えそうです。保管をきちんとしていたからでしょう。
保存箱に貼られているシールから、戦後すぐの頃に日本橋で購入した作品のようです。
さて本日は「胡散臭い」作品らの紹介です。
蒐集では避けて通れない、どうしたらいいものやらの胡散臭い茶碗の作品ら・・。
このような胡散臭い作品には関わらないのが一番ですが、人間には時々欲に目がくらんで鑑識眼が歪んだりして時に入り込んでくるようです。
加藤唐九郎の作? もっともらしい共箱、共布に刻銘・・・。
志野茶碗 伝加藤唐九郎作
共箱・共布
口径124*高さ90*高台径
作行もそれなりに・・。
箱書、印章も含めて良く出来てきますが、今ひとつ作品に品格がないように思われます。
もうひとつ・・。
川喜田半泥子というつもりらしい。箱書きの字体も本物にそっくりですが・・・。
志野茶碗 伝川喜田半泥子作
合箱
口径135*高さ82*高台径
志野釉薬と灰釉薬の掛け合わせ。
前述の加藤唐九郎と同じ土に同じ釉薬?
単体で出てきたら誤魔化されそうですね。銘さえなければ普段使える出来の茶碗です。
さて騙されついでに本日の作品の紹介です。
林檎 伝小倉遊亀筆 その2
紙本着色 色紙
画サイズ:縦265*235
このような作品はなにか予期せぬ事が起こってもいいところに何気なく飾っておきます。
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小倉遊亀(おぐらゆき):小学館 (1895―2000) 日本画家。旧姓溝上(みぞがみ)。滋賀県大津に生まれる。1917年(大正6)奈良女子高等師範学校国語漢文部を卒業後、しばらく教壇に立ったのち、安田靫彦(ゆきひこ)に師事する。1926年第13回院展に『胡瓜(きゅうり)』が初入選、28年(昭和3)に日本美術院院友、32年同人に推された。38年小倉鉄樹と結婚したが44年に死別した。
古典を基礎に、大胆でおおらかな構成と、さわやかな情感がにじむ画風を築いて今日に至っている。初期では『浴女』、第二次世界大戦後では『O夫人坐像(ざぞう)』『月』『良夜』『越(コー)ちゃんの休日』『舞妓(まいこ)』『姉妹』などがよく知られている。1976年(昭和51)女性では上村松園(うえむらしょうえん)に次いで日本芸術院会員に推された。80年に文化勲章を受章。90~96年日本美術院理事長。晩年、一時体調を崩したものの、105歳で亡くなるまで制作を続けた。
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鑑定、共シールもありません。
このような作品が骨董市やインターネットオークションでお小遣い程度買えるとついつい・・。
こういうのもひとつの骨董の愉しみ方かもしれません。真贋まみえるところに見えるもののあります。
淘汰されたところにいいものが遺るように心がけます。