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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

四国路 藤井達吉筆 昭和32年頃 

2019-09-19 00:01:00 | 掛け軸
料亭「分とくやま」のご主人と漆器の話題が弾んだ影響もあり、ちょっと気になっていた漆器を棚から取り出して鑑賞して愉しんでいます。



「男の隠れ家」の蔵に収納されていた作品で、いくつもの種類の揃いの中から数揃い上京に際して持ってきた作品のひとつです。幕末から明治期にかけて作られた作品でしょう。時代的には若いのですが、しっとりとした味わいが出てきています。すっしりとして厚めの木地にひも状に段差が回り、色合いが幕上に変化してきています。鎌倉期などの根来の漆器とはいきませんが、黒めの下地も見え始めています。



底には「男の隠れ家」の屋号であった「山与」の標が朱で書かれています。先祖は明治期に地元の郡会議員(現在の県会議員のようなもの)であったそうで、本家で庄屋でもあったので揃いの漆器があったのでしょう。



素人が磨いても傷やちょっとした跡は消えません。これは工房に依頼して磨けばきれいになりますが、これはこれで魅力的ですね。味わえや! 骨董!! 民芸の味わいを・・・、といったところでしょうか

本日紹介する作品はおなじみの藤井達吉の作品です。これも民芸の部類・・・。

描いた水墨画の多くを関わった人々にあげていたようなので、氏素性のしっかりした藤井達吉の作品は寄贈した作品が多く、市場に出回る作品では意外に少ないのかもしれません。

本作品は共箱に収められて、なおかつ昭和32年開催の喜寿記念展覧会に出品された「氏素性のしっかりした」珍しい作品です。

四国路 藤井達吉筆 昭和32年頃 
紙本水墨金彩軸装 軸先陶器 喜寿記念展覧会出品作 共箱
全体サイズ:縦1340*横625 画サイズ:縦33*横435



藤井達吉の作品は門下の作家らの箱書の作品が非常に多く、またそれらの箱書もない作品が多くありますが、ただ意外に贋作は少ないようです。



一般的には水墨画が多く、歌の添えられた作品も数多くありますが、藤井達吉の作品の和歌などの判読は難解です。



画中の「太都」は「達吉」の「達(たつ)」のこと。これを気がつかないと誰の作品かわからないことになります。



共箱の「無風子」は藤井達吉がよく用いる号です。



「喜寿記念」(展覧会は1957年 昭和32年開催)ということから77歳頃、昭和32年頃の最晩年(83歳で死去)の作と推察されます。



本作品に関わる年譜

1935年 初めての四国遍路。藤井達吉は1935年(昭和10)に初めての四国遍路に出かけてから昭和37年4月~5月には5回目の遍路という記録があり、晩年なってからも含めて幾度となく四国遍路をしている。

1936年 勝利彦、水野双鶴、近田清を伴って四国遍路。

1957年 喜寿記念展を愛知県美術館と名古屋美術倶楽部で開催

1962年 5月 安藤繁和、春日井正義同道、姉篠と四国遍路をする。

1964年 4月 野々山道雄、小沢一同道、姉篠と四国遍路をする。

同年   8月 岡崎市民病院に入院、27日心臓麻痺にて逝去。享年83歳

蒐集してきて気が付くのですが、藤井達吉の共箱の作品は非常に少ないです。共箱の作品は工芸家としてその表具にも凝っている作品が多いですね。



出品作ということですが、藤井達吉のこだわりが凝縮されています。



むろん軸先は陶製です。陶芸を行っていたり、指導していたので軸先には陶磁器を使った作品があります。



こういう作品は茶室に飾りたくなりますね。今回の茶室は夏バージョンになっています。



普段は雪見障子、夏は男の隠れ家からい拝借してきた簀の子状のものです。いつでも両方使えるように戸袋を6本引き用にしてあります。これもまた広い意味での民芸・・。身近にあった民芸はいつのまにか見当たらなくなりましたね。



実は隣の物置もこうすればよかったと後悔しています。「男の隠れ家」まだ夏用の障子がありますので・・。さすがに茶室の入り口は取り替え方式。



はやり藤井達吉の作品は共箱の作品は一味も二味も違いますね。



今年の夏はこの装いで乗り切りました。

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