
中国赤絵の代表格は一般的は古染付をベースとしてある明末から清にかけての景徳鎮を中心とした色絵の作品群ですが、南京赤絵、天啓赤絵は無論のこと、さらに発展した五彩手の作品群の判別は混とんとしていて素人には見分けが難しいもののようです。さらに日本ではこの中国の作品らを倣って赤絵の製作を量産しており、その最初の頃の作品はおそらく古九谷様式が始まる1640年代から見られる南京手古九谷と称する作品群でしょう。

本日は当方も知見不足ゆえ確証はないのですが、「南京手古九谷?」と題しての作品の紹介です。
南京手古九谷? 人物草花文角六角鉢
合箱
幅175*奥行175*高台角*高さ80

まずは天啓赤絵は萬暦まで続いた官窯様式から脱却した古染付(呉須をベースとして白磁に染付の作品)に色絵をに朱・緑・黄にて上絵付を施しているのが原則です。その特徴は古染付とほぼ同様ですが、古染付と比してその生産量はかなり少ないとされ貴重とされています。

それに比して南京(この場合は南京は中国を意味する言葉として使われています)赤絵は中国・明末の赤絵のことを示しますが、狭義では天啓赤絵・色絵祥瑞らと区別して使われています。

その意味で南京赤絵は、明末に景徳鎮で作られた五彩のことを指し、施文には染付を用いずに主として赤・緑・黄を使い、染付は銘など一部に限られています。

華麗な意匠のものが多く、口縁には鉄砂で口紅が施されるもの、金彩を加えた豪華なものがあります。

さて、では本作品は南京赤絵なのか、天啓赤絵なのかということなのですが、「古染付(呉須をベースとして白磁に染付の作品)に色絵をに朱・緑・黄にて上絵付を施している。」という点からは天啓赤絵に近い作行です。

ただし「銘など一部に限られ、 華麗な意匠のものが多く、口縁には鉄砂で口紅が施される。」という観点からは南京赤絵に属する?ことになります。

明末の色絵の作品として限定するとこの作品は天啓赤絵に属するという推察となります。天啓赤絵は一般的には「天啓年製」などの銘を伴うものが多く、無銘であれば清朝初期の品が多いと言われていて、無銘のものもあります。また一般的に「口縁には鉄砂で口紅が施される」というのは胎土の質が悪く、その質の悪さを隠すためという手法であり、清からの器にはその手法を天啓赤絵にて使用したという考えもあり得ます。しかしやはり本作品を「天啓赤絵」とするにはちょっと抵抗があります。

天啓赤絵は丸皿、角皿、香炉などに多く、このような碗としては大きめの鉢は珍しいでしょう。さらに口紅がかなり厚く塗られているのも天啓赤絵にはありません。そこで本作品は「天啓赤絵」や「南京赤絵」を倣った南京手古九谷とするのが正しいのかもしれません。

絵が洒脱なのも古九谷系統の絵師の特徴であり、絵の具の定着が悪く、絵が全体に暗いのも南京手古九谷の特徴とされます。高台は基本的に砂高台ですが、時代が下がるにつれて徐々に綺麗な高台になっていくようです。南京手古九谷には、虫喰はほとんどないようです。

南京赤絵は清朝まで続き、引き続き五彩として発展していきますが、天啓赤絵は清初までですが、清朝に本格的には入らず、他の赤絵の南京赤絵等、明末窯の注文作品よりも製作期間が短く、圧倒的に数が少なく貴重な作品群となっていますが、南京手古九谷の生産量がどれほどかは当方では解りません。

器全体を汚れを洗い落とし、欠けている部分の補修は共色で施されているという念の入れようですが、当方にて一部を金繕いしおきました。
南京手古九谷とするならのは議論の余地がありますが、当方では貴重なる作品資料となります。

明末呉須赤絵、南京赤絵、天啓赤絵、その後の総じての五彩という作品、さらには南京手古九谷となるとかなり混同しがちですが、整理しておくと解りやすくなる??

上記写真は中央は南京赤絵、左右が天啓赤絵(銘あり)かな??? 器形が非常に珍しい作品ですが、こちらは古九谷系統にはない作品群のようです。
ともかく陶磁器は分類が面倒ですね。