当方では金城次郎の作品においては、まだ刻銘のない初期の頃(壺屋時代、無銘時代)の作品で、しかも大きめの作品を蒐集します、もしくは蒐集していました。絵として描いた作品は珍しく、その初期の作ではないにしろ、この色紙の絵柄に興味を持って購入した作品です。魚海老文図 金城次郎作縦240*横265(色紙)もともとは上記写真の額でしたが、貧相なので額は別なものにしています。なお色紙の額はいいものを揃えておきま . . . 本文を読む
寺崎廣業は明治25年には画家である邨田丹陵の娘「菅子」と結婚して向島三囲神社の前に住んでいます。そして1904年(明治37年)には日露戦争の従軍、義父村田丹陵は明治37〜38年の日露戦争では海軍に従軍していますので、同じ戦場に従軍していた可能性はあります。
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「質の高い粉本を手に入れ狩野派を守ろうとしたため」ということは、後世になって「狩野派は粉本主義となって衰退した。」と評されることとなるのだが、皮肉にもそれを打破する契機となった画家が弟子であった橋本雅邦、狩野芳崖であり、岡倉天心、横山大観、菱田春草らにつながっていくこととなる。
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信太金昌と同郷の画家であり本ブログでお馴染みの福田豊四郎ですが、福田豊四郎はその師・川端龍子の影響を受け、グループを結成し、その福田豊四郎や小松均の影響を受けてその意思を受け継いだのが、堀文子や信太金昌などです。この頃の画家たちのつながりは意外に深いものがあり、戦前から戦後の日本画の流れの一端をうかがい知ることができます。現代のようにバラバラな発展とはなにかが違う・・・。
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