6月5日、テレビ東京系で『さだまさしの原点』がありました。
さださんは、昨年9月から今年2月まで、コンサートを41公演行いました。
感染対策をしっかり行い、感染者を出すことなく終了しました。
3月18日には、八女市での
【山本健吉三十三回忌】に参列されたそうです。
さださんの原点、どん底のさださんを救ってくれた
山本健吉との友情の証としてコンサートを開催。
20代、数々のヒット曲が生まれました。
28歳の時、映画「二百三高地」の主題歌の依頼を山本直純氏から受け、
悩んだ末に、万葉集の【鯨魚取りの歌】から
防人の歌はできたそうです。
『海は死ぬから潮が引くだろう
山は死ぬから枯れていくだろう
でも、海はまた満ちてくるし
山は、また緑が帰ってくるだろう』
という歌なら歌えるかな、と、思ったそうです。
ですが、世間からバッシングを受けます。
そんなどん底にいるときに、山本健吉からかけられた言葉、
【君の防人の歌はいいね。あの歌は昭和文学史に残るよ。
僕が残すから】っと。この言葉は、
その後、何を言われても耐えられる援軍だったとのことです。
また、『君は、もういなくなってしまった大切な人を歌うことに長けている。
いなくなってしまった大切な人のことを歌うのは、挽歌といって
日本の詩歌の大切な伝統なのだ』と。
それで、大切な命はせめて僕の歌の中に残しておきたい、
刻んでおきたいと思ったそうです。
昨年も、ある人物を追悼する挽歌を捧げました。
『中村 哲』医師です。
面識は無く僭越だな、と思ったが、山本先生の言葉を思い出し
【一粒の麦】を作りました。
【中村哲医師 追悼の会】で歌われました。
いのちを紡ぐ歌を歌い続けるさださん、
その心を動かす人物がもう一人いました。
昭和初期の女流俳人、石橋秀野です。
石橋秀野は、山本健吉の一人目の奥さんだそうです。
俳人、夏井いつきさんは、
山本安見子さんは、山本健吉と石橋秀野の娘さんです。
【蝉時雨 子は担送車に 追ひつけず】
十七音の中に、これほどのドラマと命の重さと、母の愛と、
これだけで、石橋秀野という俳人の人生が全部込められている、と。
(石橋秀野は、38歳で結核で亡くられてます。)
ものにかける執念は忘れたくないなと、石橋秀野に教わったとのこと。
【僕の夢は、十七音で完結する歌を書くこと】とのことでした。