あの日は、寒い寒い日でした。
思い出していました。
亡くなった、と知らされて、学校には忌引きを出して、下宿から急いで家に戻りました。
大きい婆ちゃまは、もう、奥の間に布団を敷いて、眠っておられました。
大人たちが忙しく立ち働いていて、誰も居なくなった隙をみて、あたしは、こっそり布団にもぐりこみました。
まだ、あたたかかった。
お別れのハグ、しまして。
亡くなるとき、一緒に居られなくて、ごめん。
ぼそっと、それだけ、伝えました。
あたしは、進級テスト期間で、徹夜で勉強してた。
布団に入ると、寝入ってしまうので、コタツにかっぷして、時々休みながら、また起きては学んだ。
一年間で学んだことを、ただ思い出せばいい、だけなので、そんなに辛くはない、テスト期間。
いつもより早く帰れるし、ね。
で、うとうとしてたら、誰かが、入り口から入ってきて。
着物を着て、しゃんとした人影だったので、あたしは
「あ、下宿のおばさん?いつまでも起きてちゃダメ、って言われるのかも?」
と。少し緊張して、本やノートを畳んで、座りなおして背筋を伸ばしました。
そうしたら。
件の人影は、入り口の前で正座して、畳に両手をつき深々と頭を下げ、そのままぺたんとした印象なのです。
え?
なんでしょうか?
と、声をかけたら。
すーっと、薄くなって。
あらま、あたしってば、寝ぼけたかしらん。
さ、勉強の続き。
と、そのまま教科書と格闘を続けてました。
明け方、六時。
近くに住んでいた叔父が、訪ねてきまして。
深夜に亡くなった連絡が入ったのだが、遠慮して、朝を待って教えに来た、という。
今のように携帯が存在してなかった時代。
当時、あたしが居た下宿には、家電も無かった。
子どもだから運転免許も無いし、自家用車ってのも普及してなかったし、列車の始発も時間があることだし。
あの時は、何を着て、どういう道筋で家に戻ったものか、そこは、まったく覚えていない。
もう、今では、大きいお婆ちゃまも、あとから来た自分の子どもたちに囲まれて、楽しく笑っている、のかもしれないね。
一日中、なにか、暖かくて雨が降ってて、積もった雪のおおかたは融けてしまったのでしたが。
夜半には、また降り出して、地面は融けた雪が凍ってますよ。
願わくば、あの世というものが実在するのならば、どうか楽しいご命日でありましたように。(-人-)
大婆ちゃま、ダイスキだったよ、そして、今でもダイスキだよ。
思い出していました。
亡くなった、と知らされて、学校には忌引きを出して、下宿から急いで家に戻りました。
大きい婆ちゃまは、もう、奥の間に布団を敷いて、眠っておられました。
大人たちが忙しく立ち働いていて、誰も居なくなった隙をみて、あたしは、こっそり布団にもぐりこみました。
まだ、あたたかかった。
お別れのハグ、しまして。
亡くなるとき、一緒に居られなくて、ごめん。
ぼそっと、それだけ、伝えました。
あたしは、進級テスト期間で、徹夜で勉強してた。
布団に入ると、寝入ってしまうので、コタツにかっぷして、時々休みながら、また起きては学んだ。
一年間で学んだことを、ただ思い出せばいい、だけなので、そんなに辛くはない、テスト期間。
いつもより早く帰れるし、ね。
で、うとうとしてたら、誰かが、入り口から入ってきて。
着物を着て、しゃんとした人影だったので、あたしは
「あ、下宿のおばさん?いつまでも起きてちゃダメ、って言われるのかも?」
と。少し緊張して、本やノートを畳んで、座りなおして背筋を伸ばしました。
そうしたら。
件の人影は、入り口の前で正座して、畳に両手をつき深々と頭を下げ、そのままぺたんとした印象なのです。
え?
なんでしょうか?
と、声をかけたら。
すーっと、薄くなって。
あらま、あたしってば、寝ぼけたかしらん。
さ、勉強の続き。
と、そのまま教科書と格闘を続けてました。
明け方、六時。
近くに住んでいた叔父が、訪ねてきまして。
深夜に亡くなった連絡が入ったのだが、遠慮して、朝を待って教えに来た、という。
今のように携帯が存在してなかった時代。
当時、あたしが居た下宿には、家電も無かった。
子どもだから運転免許も無いし、自家用車ってのも普及してなかったし、列車の始発も時間があることだし。
あの時は、何を着て、どういう道筋で家に戻ったものか、そこは、まったく覚えていない。
もう、今では、大きいお婆ちゃまも、あとから来た自分の子どもたちに囲まれて、楽しく笑っている、のかもしれないね。
一日中、なにか、暖かくて雨が降ってて、積もった雪のおおかたは融けてしまったのでしたが。
夜半には、また降り出して、地面は融けた雪が凍ってますよ。
願わくば、あの世というものが実在するのならば、どうか楽しいご命日でありましたように。(-人-)
大婆ちゃま、ダイスキだったよ、そして、今でもダイスキだよ。
祥月命日とお盆は、あっちからこっちに、お休みもらって来られるらしいからさー、家族に命日やってもらって、きっと 幸せを感じてると思うよ♪
後は、otikomi さん達が、毎日 元気で幸せを感じて暮らしてるだけで、ご先祖様って喜ぶんじゃないのかな~♪
あの時、あたしは母に
「あれ?もしか、明け方に会いに来たのは、大婆ちゃまだったのかしらん?でも、なんで、あんなに深々と?」
と、教えたんだ。そうしたら、母が言うには。
少し前に倒れたとき、あたしは、すぐに駆けつけたんだけども、そのときに
床に就いたまま、ぷるぷる震える手で、財布からお札を出して、一枚ずつ数えて渡してくれて。
一枚。。。。二枚・・・三枚渡したところで、周囲の嫁に行った娘たちが、止めたんだよね。覚えてる。
『もう、いいんだ、三千円(当時は大金だった)もあげたら、○○ちゃんも、もういいよね?たくさんだよね?
ほら、ありがとう、って、言いなさい。』
そのことをさして、母が言うには。
あのとき、もうすぐ修学旅行だから、五千円、あげる、って、約束してたから、きっと、お婆ちゃまは、ちゃんと約束を守れなかったのを、ごめんなさい、って、謝ってたんではないの?
そんなこと、どうでもいいのに、気にするなんて、と言いながら、あたしは泣いたんだ。
謝るよりも、笑顔を見せてくれたほうが、ずっと嬉しかったのに、って。
大婆ちゃまはね、いつも言ってたの。
学びなさい、自分が自身につけた力は、誰も、どんなことがあっても、剥ぎ取ることはできないんだから、って。
女だから勉強しなくていいとか、女だから力は要らないとか、そんなの、ウソだから、って。
見た目の可愛らしさや、はかなげな美しさは、いつか年を経て消えてしまうけれど、身に着けた学問や教養は、なくならないから、って。
母とはまた違った言い方だった、けどね。
忘れられない人には、違いないや、ね^^
いつも、誰かのために何ができるのか、を、時々でいいから思い出しなさい、ってさ。
あたしは、今生きてる人たちも、亡くなった方々も、幸せで居られたらいいなぁ、って、思ってる。
実生活は、なかなかに罰当たりだけど、ね(^▽^;)>゛
ま、切なかったことも、多々あるにはあるけども。
あたしは、いつも、少し離れた場所から、みんなをじーーーっと観察してた、ような子どもだったから、さ。
大婆ちゃまも、あたしを思ってくれてた、うん、そうだといいなぁ。
ありがとうございます^^