大多喜町観光協会 サポーター

大多喜町の良いところを、ジャンルを問わず☆魅力まるごと☆ご紹介します。

はいからさんが通る大多喜城下 二十八市(にっぱちいち)開催

2010年11月17日 | 葵の会 

第13回二十八市(にっぱちいち)開催します

11月23日(火・)、午前10時から午後3時まで

 

↑MAPはクリックすると大きくなりますので、よ~く見てね♪


好評の「たけのころっけ」、あおいちゃん団子、みそ田楽や呈茶、お正月のリースができるわら細工、和太鼓の演奏、着物で町巡りなどのイベントも。どうぞお楽しみに。

ほっぺが落ちる絶品コロッケたけのころっけ!!

 


葵の会ブログ http://blog.goo.ne.jp/aoi20090302

 

着物を着て街の中を散策。

そうしたらどこからともなく、[津軽三味線]の音色が聞こへ、終わると力強い「太鼓」の音が響き、何とも言いようのない異空間が広がってきます。
祭りごとは参加することに意味があります。

一度きりの人生、楽しまなくては損しますよ。
「七五三の着物」のある方も是非お子さんにもう一度着物を着せて、大多喜の街の中を散策してみませんか。 昔がとても似合う街です。
そして帰りには是非、大多喜産のタケノコが入っていて美味しい、「たけのころっけ」を召し上がれ。葵ちゃんの団子もありますよー。(by 葵の会さん)


まさしく大多喜は何でもアリでーす

お待ちしてま~す

頑張っている大多喜城下に、はいからさんが通る。かな?


 


大多喜町たけゆらの里(晩秋編) 

2010年11月17日 | 大多喜町のグルメ、名産、物産

11月13日(土)大多喜町観光スポット巡りツアーがありました。 こちら  

観光の皆様にお知らせしたいことシリーズ第4弾 (まだまだ続くかも)

道の駅「たけゆらの里おおたき」を、動画にしてみました。

どんなところかな? 

大多喜町たけゆらの里(晩秋編).wmv

 

写真を撮り忘れましたが色とりどりの季節のおや、郷土料理が召し上がれるレストランもあります。 

 

----おまけ画像----動画の続き----

千葉市の、いすみ鉄道枕木オーナーさん、

「レンゲ里のアイスクリームをいただきま~す♪」 

大多喜町観光本陣にもアイスクリームはありますが、お持ち帰りはできませんのよ。

たけゆらの里では、保冷財を入れてお土産にできます

http://www.takeyura.jp/index.php


ダイエットの味方☆ 大多喜産 自然薯&コンニャク 

2010年11月16日 | 大多喜町のグルメ、名産、物産

いけぴょんさんからご報告がございましたが、11月13日(土)、養老渓谷の紅葉最盛期の前に、観光案内できるボランティア養成講座(のような)ツアーがありました。 こちら  観光の皆様にお知らせしたいことシリーズ第3弾

この季節にしかない! 大多喜名物 

自然薯(じねんじょ) 

食欲の秋。ダイエットモードに入っている人も多いはず。

 とろろご飯なら大丈夫です。とても低カロリーなんですよ。

ビタミン、繊維質も豊富なのでダイエットフードにはぴったりです。

大多喜産自然薯100%使用の秋のとろろご膳を召し上がれ。

(見本のご膳は、こちらからお借りしました。http://www.kiyoe.net/

 

そして、低カロリーNo1といえばコンニャクです。

 

手作りコンニャクは味がよくしみて、一度食べたら病みつきです。「今まで食べてたコンニャクはいったい何だったのか」って思うはず。 大多喜町で見かけたら、買うべし!! おすすめです。 (by J)

食べてスリムになろう! 


はっぴぃぼいすさんからいすみ鉄道応援ソングをいただきました

2010年11月16日 | サポーター情報

ただともです。昨日観光本陣経由で、山武市の男性から音楽CD(「夏色の想いで」というオリジナルの楽曲)とお便りをいただきました。 

前略 観光本陣様

 

 夏の頃、はっぴぃぼいすという名前で時々投稿していた折り、tassさんの写真やsoychikenさんの動画を見て、元々あった歌詞に思いを代弁させて作ったものです。
 ギター一本で、女性ボーカルは以前の「ほたる」と同じです。
 「ただともさん」が本陣にいるとのことで「ジャンヌさん」「tassさん」三人の方にお渡し願えれば幸いです。
 

10月23日に年に一度のナイトコンサートがあり、ようやく気持ちに余裕が生まれたので、とにかくtassさんに・・・ジャンヌさんにいすみ鉄道への思いを・・・こんな形で表現できたことを伝えなければ・・・・という思いです。


 夏場からこの秋にかけて5回ほどのコンサートの中でいすみ鉄道のお話をさせていただきました。
 地域住民が多勢で草刈りをしたり、いろいろなアイディアをだして、地域活性の為に活動している。私は、大多喜高校の生徒ではありませんが、遠くでそれを見ていて応援したくなりました。
 私の住む山武市には東金線も総武本線もありますが、危機感も地域住民がひとつになってというのは感じられません。
 私にできること・・・素人ながらも歌かなあと思い、こんなことをしているわけです。
 全国のいすみ鉄道ファンも同じでしょうね。いすみ鉄道を応援しながら、自分自身を励ましているんじゃないか、奮起させようとしているんじゃないでしょうか?

少し長文でダラダラとかつ乱筆乱文失礼いたしました。
今後もいすみ鉄道頑張ってほしいですね。
11月下旬、紅葉の頃、80歳を過ぎた私の父の友人を同伴して大多喜駅周辺に行く予定です。その時はきっと本陣にも寄りたいと思っております。

 はっぴぃぼいす 10月31日

 

はっぴぅぼいすさん ありがとうございました。 遅くなってすいません。ジャンヌさにはすでにお渡しいたしましたが、tassさんにはこれからお渡しいたします。 掲示板「うえるかむ大多喜」には自由に書き込みが可能ですのでご利用ください。 http://otakitown-1.bbs.fc2.com/  

「夏の想いで」は、とても優しい曲なので、みなさんにいつかお聴かせしたいです。できれば今後大多喜町のPRに利用させていただければありがたいです。 (by ただとも)

 

お便りに書かれている曲-- ほたる --


養老渓谷粟又の滝自然遊歩道  お店屋さん編 

2010年11月15日 | 大多喜町の観光スポット

いけぴょんさんからご報告がございましたが、11月13日(土)、養老渓谷の紅葉最盛期の前に、観光案内できるボランティア養成講座(のような)ツアーがありました。 こちら  

特に観光の皆様にお知らせしたいことシリーズ第2弾

粟又の滝自然遊歩道のこと。(粟又の滝から水月寺約2km.のコース) http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/spot/yuuhodou.html 

私達は水月寺からスタートしました。

今回は紅葉情報じゃない、お母さんの喜ぶお楽しみ情報で~す

 

粟又自然遊歩道の途中に何箇所もあるお店やさん。

あら、こんなところに開店営業中。

水月寺の「八人塚」のお話を教えてくださいました。

なめこが美味しいよですよ。 

にっこり(●^o^●) おばあちゃんやおじいちゃんがとてもかわいい。

お食事の出来るお店もあります。↓ 

  

写真は11月13日(土)のものです。 木々の葉は毎日色濃く変化していきます。

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ここで、ポスターを千葉市内事業所に貼ってくださっているサポーターさんから一言。

「ポスター等から11月23日から後がいいという印象ですが、今でも十分満足、楽しめました。大多喜町の人は最高の景色を見てもらおうと一生懸命なところがあまりに親切過ぎて、ちょっともったいない気がしました。」 

 

「紅葉だけがいいなんて、おかしい~~よ」の図

 

この方達も自分流の楽しみ方がありました

水を歩く・・他 いいたいけど内緒 ぎゃはは・・・!!(^Q^)/^  

*こんなお話をしていて集合場所にいつも遅れておりましたm(__)m (by J)


小説 本多忠朝と伊三 21  (第ニ部はじまりました) 

2010年11月15日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住の久我原さんの妄想のたっぷり入った小説です 

第2部  忠朝と伊三 21

 

これまでのお話 (第1部)1~20話 はコチラ

 「ケンさん、ケンさん、ちょっと待っておくれやす。もっと、ゆっくり歩きませんか?」
「何言うてんねん、勝介さん、はよ行かんと、ロドリゴさんが待ちくたびれてはりますよ。」
「そないなこと言うたかて、息苦しくてかないませんわ。」
「あんたぁ、ちょっと太りすぎとちゃいますか?」
「ちょっと、、ちょっと、、休みましょう。」
「勝介さん、ロドリゴさんとの約束の時間からもう半時ばかりおくれてますよ。休んでる暇なんかありませんよ。」
 一六十一年の一月のある日、澄み切った深い青色の空に覆われたメヒコの町を二人の日本人が急ぎ足で歩いている。一人は去年、ドン・ロドリゴと供にヌエバ・エスパーニャにやってきたケン、もう一人は京の商人田中勝介である。田中勝介(しょうすけ)は記録に残る限り、初めて太平洋を横断した日本人である。
 小太りの田中勝介は身軽なケンにせかされながら、息を切らせてケンに追い付くのに必死である。ここ、メヒコの町は標高が高く気圧が低い。メヒコに到着してから三カ月ほどたっているが、勝介は未だにこの薄い空気に慣れていないようだ。
「後生です、ほんのちょっと、休ませて、、、、お願いします。」
「しゃあないなあ、ちょとだけやで。」
「おおきに、おおきに。」
「勝介さん、あんたぁ、メヒコに来てからちょいと食べ過ぎやで。そりゃ、珍しいものを食べたくなる気持ちわかるけど、自分の仕事を忘れたらいかん。」
 田中勝介は徳川家康の命令で帰国するドン・ロドリゴに同行してヌエバ・エスパーニャにやってきた。その使命とは、イスパニアとの通商を開くための調査と準備である。家康はキリスト教には懐疑的ながら、イスパニアとの貿易には興味を示していた。これまでも、フィリピンや明を通じて、交易はされていたが、ヌエバ・エスパーニャ経由の交易の道が開けないかと考え、勝介を派遣したのであった。
 メヒコに到着した当初、勝介はケンを通訳にメヒコの商人との商談を積極的に進めていたが、直接言葉が通じないので、思うように成果が上がらず、このところ少々嫌気がしてきていた。その成果が上がらないのはケンの通訳があてにならないからだと思っていた。
「ケンさん、そんな言い方はないやろ。私は大御所様のために、なんとかええ商売ができたらと、一所懸命にやっているのに、あんたの通訳があてにならんで。ちゃんと私の言うことを通訳してはりますか?」
「勝介さん、うちの事信用してないんかいな?」
「そんなことはあらへんけど、どうも腑に落ちん事もあるもんでな。」
「どういうことや?」
 ケンはむっとして、勝介に詰め寄った。
「そんな、こわい顔しなさんな。この前の、れろっほ(reloj = 時計)っちゅう時を計る仕掛け箱を見せてもらうって言う話、次の日の約束だったのに、相手は来なかったやないか。ちゃんと約束したんかいな。」
「勝介さん、あんときはあんたもちゃんと聞いていたやろ。相手もアスタマニャーナいうてはったやないか。」
「それが、あてにならん。アスタマニャーナがあしたまたなって言う意味やなんて、洒落みたいやないか。ほんまにそういう意味なんか?」
 勝介は商談の約束が守られなかったことを、ケンがしっかりと相手に約束を取り付けていなかったからだと思っている。しかし、それはケンの責任ではなかった。ここはメヒコ、日本とは違う時が流れているのである。アスタマニャーナ(Hasta mañana)というのは確かに明日また会おうというような意味ではあるが、ここメヒコの人の間では別れの挨拶以上の意味を持たない。同様にアスタ・ラ・ヴィスタ(Hasta la vista)、アスタ・ルエゴ(Hasta luego)という別れの挨拶も「また後で。」と言う意味だが、その「後で」と言う日がいつ訪れるかは神のみぞ知るである。
「ほんまやで。」
 ケンはそう言って、ふくれっ面をした。
「なんや、その顔。まだあるで。三日前に、ここの酒一升でなんぼや聞いたとき、ケンさん、えらい長い時間話し込んでいたけど、結局その値はわからずじまいだったやないか。」
 ケンは話好きで、勝介から聞かれた事以外の話をついつい、長々としゃべってしまうことは自分でもわかっている。それでも、ケンにはケンの考えがあってのことだった。直球で商売の話をするよりも、世間話を織り交ぜて相手の気持ちをこちらに引き付けるのも大切なことだと思っていた。三日前の話とはこんな具合であった。

 ケンと一緒にメヒコのめしやで食事をしているときに、勝介はワインの味が良いのでケンに仕入れは一升でいくらかを聞いてくれと言った。するとケンは店の若い女性にスペイン語でこう話しかけた。
「セニョリータ、ちょいと聞きたいことがあるんだけど。この酒、ワインって言うんでしょ。僕たちは日本と言う、太平洋の向こうの遠い国から来たんですけど、このブドウで造った酒がすっかり気に入ってね、日本に持って行って売りたいと思っているんですよ。日本の酒は米から作るんですけど、このワインはぶどうから作るんでしょ?そんな講釈つけて売ったら日本でも飛ぶように売れると思うんですよ。見た目は血みたいで、味も渋いけど、飲み付けるとやめられなくなる味ですよ。これ、仕入れは一升でいくらですか?」
 このインディオみたいな顔をした小柄な男にべらべらと話しかけられて、給仕の女性はこう答えた。
「日本?日本って何のこと?それに一升ってどういう意味ですか?」
「あちゃあ、そうか、日本も一升もわからないか。」
 それから、延々とケンはドン・ロドリゴの遭難の話から、自分たちがここにいる事情を説明した。
「ああ、日本ってフィリピンの近くにある国なのね。それであなたたちはそこからメヒコに来て、商売をしようとしている。でも、その一升っていうのが、どのくらいの量かわからないわね。」
「そうですか。まあ、国が変われば言葉も計り方も違う。しゃあないなあ。ねえ、セニョリータ、面白い事教えてあげましょうか。」
「なあに?」
「この店、こちらの言葉ではタベルナ(taverna=小料理屋)って言うでしょ。日本語でタベルナって、食べてはいけないと言う意味なんですよ。」
 ケンの話に、若い給仕の女性は大笑いをした。勝介は何を話しているのだろうと思っていたが、ケンからの返事はこうだった。
「勝介さん、残念やけどわからないそうや。」

 メヒコに向かうブエナヴェントゥーラ号で初めて顔を合わせた、ケンと田中勝介は同じ西国の生まれということもあり、すぐに打ち解けて、気の合う仲間となった。長く、大変な船旅もケンの陽気さで勝介の心も和んだ。
 ところが、メヒコに着くと言葉がわかるケンはメヒコの人々と気性があったのか、時に勝介をそっちのけで話が弾んでしまうことがある。勝介はメヒコ人と談笑するケンのそばでおいてきぼりにされた気持ちになることがしばしばであった。

「勝介さん、そないこわい顔しなさんな。うちも勝介さんの役に立ちたいと思って一所懸命なんやで。」
「それは、わかってますわ。はあ、それにしても、、、」
「それにしても?」
「日本に帰りたい…….」
 メヒコでの新商品開拓が思うように進んでいないので勝介はメヒコでの商談に嫌気がさしてきていた。なれない風習、通じない言葉。日本ではあんなに商売がうまくいっていたのに、ここではさっぱりである。ところが、ケンはその陽気さがメヒコの人情が通じ合ったのか、毎日毎日楽しそうだ。それがまた腹立たしくもあった。
「しかし、ロドリゴさんは何の用事やろなあ。」
 勝介が言うと、
「きっと、ええ商人でも紹介してくれるンとちゃいますか?」
とケンが答えて、勝介の肩をもみだした。
 ケンの笑顔を見ると勝介は思った。
(はあ、この人は腹は立つけど、憎めない人や。)

 そのころ、約束の時間になっても現れないケンと勝介の事を気にするでもなく、ドン・ロドリゴは屋敷である人物と話をしていた。
 一昨年、遭難したイスパニア人たちをヌエバ・エスパーニャに送り返してくれた徳川将軍家への答礼使として元フィリピン司令官のセバスティアン・ビスカイノが日本に行く事になり、その報告を兼ねてロドリゴの家を訪ねていたのであった。
 ビスカイノはロドリゴがフィリピンに赴任する前に司令官としてフィリピンに滞在したことがあった。二人はフィリピンでの思い出話をし、ビスカイノはロドリゴに日本がどんな国かをたずねた。
「日本の国民はまずしいが礼儀正しく、親切です。しかし、国中が長く戦争状態なので、その軍隊は恐ろしく強い。その戦争地帯は国内だけにとどまり、海を越えることはないので海軍は一部を除いては未熟ですが、陸軍の歩兵は強い。前の皇帝であったヒデヨシは朝鮮を攻めましたが失敗しました。海戦であれば、わがイスパニア軍の敵ではありませんが、上陸戦になるとどうでしょうか。仮に我が国が日本を征服しようとするならば、軍事力で攻めるよりも政治力を使った方が効果があると思われます。」
「なるほど。それで、力攻めではなく、友好的な手法を使った方が良いと思われるのですね。では、あなたならどのように日本を征服しますか?」
「はい。私なら、キリストの力で抑えたいと思います。日本は宗教的には未熟な国です。我々の様な絶対的な神と言う存在はありません。彼らが言うところの神と言うのは、我々が感じる精霊の様な存在です。例えるならばギリシャの神々の様なもの。もし、日本を征服するならばキリストの教えを広め、彼らの心を征服することが重要かと思います。しかしながら、彼らの神々を認めることも必要かと。例えば、ここメヒコでもキリストと土着の神が融合していますが、日本でも同じ様な状況になるのではないかと思います。」
 ビスカイノは日本を征服しに行くのではなく、ロドリゴ救助の答礼として派遣される友好的な使節ではある。しかしながら、この機会に日本との通商を強固にし、敵対するオランダやイギリスなどの新教徒の勢力を駆逐したいと考えている。
「そういえば、今日は日本から派遣されている商人がこちらに来るとのこと。その商人も一緒に日本につれて行くということでしたね。」
「そうです。徳川皇帝の命令で通商の調査に来たのですが、どうやらあまり成果が上がっていない様子。そこで我が国の銀の製錬法を手土産にできないかと持ちかけてみようと思うのですが。」
「そうですか。銀の製錬法を伝え、その産出された銀と我が国の物産を交換する。その商人も良い土産になるでしょう。」

 ロドリゴとビスカイノがそんな話をしているところに、ケンと田中勝介が現れた。勝介は時間に遅れたことを気にして、ロドリゴに詫びをしたが、ロドリゴはさして気にする風でもなく、笑顔で二人を迎えた。慇懃な態度の勝介とは対照的にケンはロドリゴと握手をして、早速スペイン語で談笑を始めた。
 ロドリゴからビスカイノが答礼使として、三月に日本に出発すること、田中勝介もその船で日本に帰ること、ビスカイノは日本に新しい銀の製錬法を伝えたいと言うことを聞くと、固かった勝介の表情が緩んだ。
(これで、私がここへ来た成果がやっとつかめた。)
 珍しい物産を手に入れることも良いが、新しい技術を手に入れることの方が家康も喜ぶのと思ったのである。
 一通り、日本行きの話が済むとロドリゴがケンにたずねた。
「ケンは日本に帰るのか?」
「私はここに残りたいと思います。もともと、フィリピンでドン・ロドリゴの船に乗ったのはメヒコに来ることを望んだからです。」
「そうか。残るのか。お前が日本に帰るのなら頼みたいことがあったのだが、、、」
「それは、どんなことでしょう?」
「ホルヘの事だ。」
 ロドリゴは日本に残ったホルヘが気になっていた。言葉も通じず、慣れない土地に一人残り、不自由をしているのではないかと心配だった。ケンが日本に帰るのなら、ホルヘへの手紙を託したかったのである。
 二人の話を聞いていたビスカイノがロドリゴに聞いた。
「そのホルヘと言うのは誰なんですか?」
「私の命の恩人だ。」
 ロドリゴは嵐の時にホルヘに助けられたこと、ホルヘはフィリピン人だが、父がイスパニア人であることなどを話した。話を聞いていたビスカイノは顔色が変わってきた。ロドリゴはその表情を見逃さなかった。
「ビスカイノ殿、まさか、ホルヘの父親について心当たりでもあるのですか?」
「いや、そのホルヘと言う青年の年齢からすると、彼が生まれたのはちょうど私がフィリピンに司令官として赴任していたころのこと。」
「まさか、あなたが、、」
「いや、勘違いされてはいかん。私は彼の父親ではないが、話からすると当時の私の部下の中にホルヘの父親がいる可能性があるのではないかと思ったので、、」
「ビスカイノ殿!やはり何か知っているのですか?ホルヘの父親の事を知っているのであれば、ホルヘに知らせてやりたい。」
 ビスカイノは腕組みをして考え込んだ。今更、ホルヘの父親を探してもメヒコと日本では、親子の再会はかなうまい。いたずらに知らせてやることがホルヘのために良いとも言えまいと考えた。
「別に心当たりがあるわけではないが。いいでしょう、昔の仲間にそれとなく探りを入れてみましょう。でも期待はしないで下さいよ。」
「ありがとうございます。よろしく頼みます。いずれにしても、ホルヘには手紙を書きますので何らかの方法でホルヘに届けていただきたい。」
 ロドリゴはビスカイノに頭を下げた。
「ケンさん、ケンさん。どないしたんや。二人とも難しい顔して、何かよくない事でもあるんかいな?」
 言葉がわからず、またもや蚊帳の外の勝介がケンにたずねた。
「いや、ええことや。気が変わった。うちも日本に帰ります。メヒコは性に合ってたけど、まだまだ日本で面白いことがありそうや。」

 その後。
 勝介は銀の製錬現場を視察したり、ビスカイノの紹介で有力商人と会見することができた。ケンは商談の時は通訳として勝介に着き従っていたが、帰国すること決めるとなぜか、一人でどこかに行くことが多くなった。勝介がケンにどこに行くのか聞いても決して教えてはくれなかった。
「さよか。また私はのけものか。」
 勝介はふてくされた。
 その年の三月、ビスカイノの答礼使節と勝介とケンたち日本人を載せた船が日本に向けて旅立っていた。
 その日もメヒコは雲ひとつない快晴だった。   

続く

*画像は城西国際大学様よりお借りいたしました。コチラ


いすみ鉄道ムーミン列車謎解きウォーク

2010年11月15日 | 大多喜町の観光スポット

いすみ市観光協会主催

いすみ鉄道ムーミン列車謎解きウォーク

2010年11月21日(日)、28日(日)

当日、受付で渡される「謎解きウォーク問題小冊子」に書いてあるいすみ鉄道の沿線にある謎解きのヒントポイント10ヶ所を探しながら問題を解いていく、という楽しい企画です。

参加費は、中学生以上の大人が2,000円、小学生以下は1,500円です。
参加費には、いすみ鉄道1日フリー乗車券、特製たこご飯お弁当引換券、&解答用紙がイベントセットとして含まれます。

詳しくはこちら⇒ http://nazotokimeki.jp/info/isumievent201011.html


サイクリスト注目の大多喜! 養老渓谷編

2010年11月14日 | 大多喜町 養老渓谷

いけぴょんさんからご報告がございましたが、11月13日(土)、養老渓谷の紅葉最盛期の前に、観光案内できるボランティア養成講座(のような)ツアーを開催いたしました。 こちら

その中で、特にお知らせしたいことをピックアップ

13日に出逢った養老渓谷を走るサイクリストさん達!

① 

粟又の滝の上辺りにて。 ↑ どちらからいらっしゃたのですか? 

「東京は池袋からです。朝4時30分に自宅を出ました。

いつか養老渓谷に行きたいと思っていて、実現しました」

中瀬遊歩道にて。↑ どちらからいらっしゃたのですか? 

「横浜からです。金谷経由でやってきました。

PRのお役に立つなら、写真OKですよ~」 

さすが、ポーズも決まっています。

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以前に次のようなコメントをいただいておりましたので、そちらもご紹介します。

大多喜がんばれ! (penta)
2010-10-30 02:42:07
はじめまして!大多喜町が大好きなサイクリストです。
私は自転車が大好きで大多喜方面の自然の中を気持ち良く走りたくなると約50kmの道程をかけて行っちゃいます。走っていて思うことは最近の自転車ブームで大多喜を走る自転車も増えたことです。
そこで提案なのですが、サイクルスタンドの設置を推奨してみてはいかがでしょうか!
スポーツ自転車には軽量化の為にスタンドが無いものが多いのをご存知ですか?
お店に寄ったりする時も、自転車の置き場に苦労することがよくあります。壁などに立てかけているのが現状です。各お店や町の要所にサイクルスタンドがあればとても嬉しく思います。
サイクリストに優しい町、大多喜!どうでしょう!?
サイクリストも注目の町ですよ!大多喜は!
pentaさんのおっしゃることがよ~くわかりました。(by J) 

サイクリストの皆様、お待ちしていま~す。

養老渓谷の今は、目にも心にも優しい季節です

*町の皆様、 サイクルスタンドも御検討してくださると嬉しいです。


養老渓谷スポットめぐりツアー(ご報告)

2010年11月13日 | 大多喜町の観光スポット

 ただともさん企画の「養老渓谷スポットめぐりツアー(ジャンヌさんの里めぐりツアー)」のご報告をいたします。

 ブログサポーターの一行は、観光本陣に集合し、水月寺、粟又の滝遊歩道、金神の滝を散策。お昼は農産物直売所「やまびこセンター」で、太巻き寿司のお弁当に舌鼓。

 午後からは、中瀬遊歩道~出世観音を散策し、道の駅「たけゆらの里」で大人気のソフトクリームを堪能。最後に、茅葺屋根と長屋門が立派な泉水の猿田家住宅を見学しました。

 途中、上り下りが大変なところもありましたが、全員無事完走!!

 改めて大多喜町の良さを感じることができました。

 みなさん、お疲れさまでした。(byいけぴょん)

  

▲まずは、自己紹介から               ▲紅葉の色づきは2~3割(これからが見頃)

 

▲粟又の滝遊歩道を散策              ▲中にはきれいに色づいている木も

         

▲パワースポット(?)金神(こんじん)の滝  ▲待ちに待ったお弁当!!

        

▲出世観音(出世できるかな・・・?)      ▲道の駅でソフトクリーム待ちの図

▲長屋門が立派な猿田家住宅(猿田さん、突然おじゃましてすいませんでした。)


11/14 まつなみ楽市に大多喜町から出店します

2010年11月11日 | 大多喜町のグルメ、名産、物産

大多喜町観光協会サポーターを支援してくださる、千葉市の白井さんからお誘いを受け、千葉市松波商工振興会主催のまつなみ楽市に、いすみ鉄道・ムーミン列車応援団と大多喜町から出店します。

11月14日(日)午前9:30~午後2:30

場所は 千葉商業高校となり(JR西千葉駅徒歩3分)

ご親戚やご友人の方で、千葉市にお住まいの方がいらっしゃいましたら、教えてください。

ポスターにも「大多喜町」と入れていただきました。白井さん、いつもありがとうございます。(by ただとも)

白井さんのブログ http://blog.goo.ne.jp/sirai1118


小説 本多忠朝と伊三 第一部終了 なかがき

2010年11月10日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

『忠朝と伊三』 なかがき 

久我原さんの小説は→ コチラ

 

著者近影 (2010大多喜お城祭りにて)

普通は作品が完結した後に「あとがき」というものを書きますが、今回は第一部と第二部の間なので、「なかがき」ということにしました。なかがきを書いた理由は、一応話は続く予定ですが、あくまでも予定なのでとりあえずのけじめです。宴会の中締めのようなもの、要は一本締めで、お疲れの方はお帰りいただき、飲み足りない方は残ってくださいということです。(なんのこっちゃ)

 時代小説というのは、おおむね歴史的事実を踏まえて作者が想像で描く世界ですが、時に史実を歪めて世間の常識となってしまうこともあるようです。たとえば、真田幸村の本当の名前は信繁だったとか、水戸黄門は諸国漫遊をしていないとか、遠山の金さんは桜吹雪の入れ墨をしていなかった、などなど。それでも、有名な話は読者が創作とわかっていて楽しむことができますし、坂本龍馬を殺したのは誰だろうと想像を働かせて、意見を交わすのも楽しいことだと思います。
 ところで、今回の「忠朝と伊三」の話ですが、残念ながら本多忠朝公についての世間の認知度はあまり高くないと思います。それ故、この七割ほどが僕の想像である話がどこまでが事実でどこが想像かということをはっきりさせておく必要があると思いました。特に登場人物について、架空の人物と実在の人物の確認させていただきと思います。

 本多忠朝公についてはみなさん御承知の通り、徳川四天王の本多忠勝の二男で第二代大多喜城主です。兄の忠正よりも忠勝に似ていたらしく、戦の経験は少ないのですが、大将の資質を十分持っていたといわれています。ちょっと酒乱気味に描いてしまいましたが、酒の上での失敗を恥じていたということがあったらしいので大酒のみということにしてしまいました。忠勝の正妻がお久、側室が乙女として登場します。インターネット上で発見したのですが、実際はどうだったのでしょう?昔は女のひとの名前は記録に残らないことが多いということですが。
 さて、気になるのは中根忠古です。本多忠勝の家老であり、織田信長の弟であった中根忠実(織田信照)の子供に忠古という人物がいたのですが、詳細は全く確認できません。中根家は代々本多家に仕えたというので、忠古も本多家の家来であったと思いますが、果たして忠朝の家来だったか疑問です。大坂の陣の戦死者名簿に中根権兵衛という人がいますが、この人が忠古だったのかなと想像は膨らんでしまいます。冷静で物事に動じないが、意外と情が厚いというところはおじ、織田信長のイメージを少し変えてあらわしてみました。忠朝と対照的に酒は全く飲めないという設定も信長が酒に弱かったということからの想像です。
 大坂の陣の戦死者名簿に大原長五郎という人がいます。この人も実在の人物ですが、詳細は全くわかりません。小太りで汗っかきの面倒くさがりですが、忠朝にかわいがられているというちょっと憎めない存在で登場させてみました。鬼平犯科帳の木村忠吾的な役割をしてもらっています。実在の人物に詳細が分からないからといって、勝手なキャラクターを与えてしまったことは、当人にもご子孫の方にも申し訳なく、苦情があれば変更はしていきたいと思っています。
 その他、実在の人物としてはドン・ロドリゴ、三浦按針、行元寺の僧定賢(後の亮運)が登場しますが、そのキャラクターはほとんど僕の想像です。実在の人物はどこまで僕の想像で動いてもらっていいのやら、悩むところではあります。
 さて、一方架空の人物ですが、こちらは割と自由に動いてもらっています。以下の人々は架空の人物です。
岩和田村の人々 :伊三、サキ、名主の茂平、サキチ、タヘイ、大宮寺の和尚、平吉
ドンロドリゴ一行:ホリベエ(ホルヘ)、ケン
忠朝の家来   :長田とその妻

 伊三は赤井英和、サキは中村優、茂平は中村又五郎をイメージしました。馬鹿な伊三をまるで母親のように面倒をみるサキですが、ちょっと「男はつらいよ」の寅さんの面倒をみるさくらのような味わいを出してみました。
 サキは残留フィリピン人のホルヘと夫婦になるような気配ですが、実際に日本に残った乗組員もいたのでしょうか?大多喜で知り合った養老渓谷出身のジャンヌさんは「私の祖先はメキシコ人だ!」とおっしゃっていますが、ロドリゴ一行の子孫が房総にいるなんて想像するのも楽しいかも。
 伊三は岩和田生まれの漁師ですが、若いころに大多喜で町の普請をしたり、後に大多喜の新田開発に携わることになっています。しかしながら、こういう移動や職業の変更が自由にできたかはわかりません。ホリベエはフィリピンで農業をしていたという設定なので、伊三はホリベエを師匠と思っています。

 さてやっとこさ、ここで史実(と思われる部分)の復習です。
 慶長十四年九月、前フィリピン臨時総督、ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ(ドン・ロドリゴ)はメキシコへの帰国途中、台風にあい、岩和田で遭難。地元の漁師に助けられたのち、大多喜の領主である本多出雲守忠朝の援助を受け、江戸、駿河に向かう。翌年徳川家康の船でメキシコに帰国。
 本多忠朝は慶長十四年に国吉原の新田開発、慶長十六年に万喜原の新田開発を手掛ける。慶長十五年に父本多忠勝が伊勢桑名で死去。遺産について兄、本多忠政と争う。

 以上の史実に妄想を働かせてよくもまあ、ここまで長くづらづらと書けたものだと我ながら感心してしまいます。色々なエピソードはそれなりにあるヒントがあったのですが、ちょっとやりすぎかなと思うこともあります。
 前述の通り、忠朝は酒の失敗が多かったということでちょっと酒乱気味にしてしまいましたが、ロドリゴに「サルー!(スペイン語で乾杯)」といわれ、「誰が猿じゃ!」と絡むあたりは漫才みたいで調子に乗りすぎです。忠朝はロドリゴからワインを飲ませてもらいますが、これも僕の想像です。酒好きならたまたま積み荷にあったワインには興味があるんじゃないかと思いました。二日酔いで頭が痛いから朝の乗馬をやめにしたりしたのも僕のでっち上げです。
 ロドリゴと三浦按針が親友のように描いてしまいましたが、実際はどうだったのでしょうか?面識はあったようですが、スペイン人とイギリス人では仲が悪いような気がします。知っている方がいたら教えてください。
 僕が一番悩んだのは忠勝の臨終に忠朝が立ち会ったかどうかということです。忠勝は病の床に伏し、数日後に死去したということですから、桑名から大多喜に知らせが来ても忠勝の臨終に忠朝が間に合うのか?そもそも、忠朝は桑名に向かったのか?忠勝の辞世の句を忠朝が聞き取ったと書いている本もありますが、事実かどうかは確認できていません。悩みましたが、思い切って忠朝には桑名に行ってもらい、忠勝は家族に囲まれて穏やかな臨終を迎えたことにしました。そこでもう一つ疑問がわいてきました。忠朝と忠政の兄弟仲はどうだったのか?忠政より忠朝の方が忠勝に似ていて、忠勝も忠朝を愛し、周りも忠朝こそ忠勝の将器を継いだとほめたたえられたというエピソードをよく見ます。遺産の件で兄弟がもめたという話もありますが、その結末も忠朝が遺産を兄に譲ったという潔さが称賛されています。思うに、兄弟仲は悪くはなかったが、兄が弟に嫉妬したというところではなかったか?と、これも僕の妄想ですけど。
 長男よりも次男の方が体も大きくて活発だということがよくありますよね。例えば、芸人の中川家や千原兄弟も弟の方が目立っています。実は僕も長男で二人の弟の方が体も大きく、三人そろって神輿を担ぐと僕は弟たちの間で棒にぶら下がったような感じになってしまいます。別に僕は弟に嫉妬することは無いですけど、忠政にはちょっと感情移入してしまいました。

 本当はドン・ロドリゴの話にしようかと思って書き出したのですが、わき役だったはずの伊三が面白いキャラクターになってしまったので、いつの間にか忠朝と伊三の話になってしまい、ここまで長くなってしまいました。名編集長のジャンヌさんにおだてられて、書く気満々、どうせなら大坂の陣まで行ってやるかと!意気込んでいますが、ここからは史上有名な話なので今まで以上に気をつけて書かないと覚悟しています。(別に今までが気をつけて書いていたわけではありませんけど)

 最後に実在の人物に勝手なキャラクターをつけて、適当に書きすすめてしまいました。大多喜、岩和田、桑名の地元の方、登場人物のご子孫の方で不快な思いをされた方いらっしゃったらお詫びします。また、本多忠朝に関連する面白いエピソードを知っている方は教えていただけると嬉しいです。

いつか、どこかにつづく、、、、、(by 久我原さん)

 


小説 本多忠朝と伊三 20

2010年11月10日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

 市川市在住時代劇担当サポーター、久我原さんの小説です。

忠朝と伊三 20

これまでのお話 1~19 は コチラ

 忠朝は桑名への問い合わせの書状をしたためたものの、誰を使者にするかを迷っていた。忠勝に殉じた忠実の息子である忠古を使者にしようかとも思ったが、なぜか忠古は辞退した。忠朝は忠古に父の墓参りもさせてやろうと思ったのだが、忠古は
「殿のお心づかいはうれしいのですが、私にはその役目は務まりますまい。」
と言って、取り合わなかった。大原にしようか、いや奴は面倒がっていい顔はするまい。他にだれが良いかのう、、
 そんなことを考えていると、桑名から使者が来たという知らせがあった。
「はて、桑名からの使者?いったい何用であろう?」
 尊敬する父と信頼できる家老のじいが一度に無くしてまだ間もない。また、悪い知らせでなければよいが、、、
 応接の間に行くと、桑名の家老、松下河内が顔面を緊張させて座っている。
「おお、河内ではないか。桑名からの使者とは、まさかおぬしが来るとは思わなんだ。一体、家老自ら足を運ぶとはどうしたのだ?悪い知らせではあるまいの?」
「若様、いや大多喜の殿にはご機嫌うるわしゅう、、、」
「堅苦しい挨拶は良い。ところで、兄上はいかがお過ごしか?わしは早々にこちらに引き上げてしまったが、桑名では後のことでいろいろと大変だろう。」
「はい。先代の殿を慕う方々の弔問を受け、忙しい日々が続きましたが、今はもう落ち着きました。」
「そうか。ご苦労なことだ。」
 そう言って、忠朝がじっと見詰めると、河内は視線をそらした。忠朝はこの機会に松下河内に忠勝の遺産について尋ねてみようかと思ったが、河内の様子を見て躊躇した。やはり、何か良くないしらせではないのか?今ここで河内に尋ねるよりも、やはり兄に直接書状を送ったほうがよいだろう。そもそも河内は何をしに来たのか?
「河内、、、」
「はい。」
「用件とは一体どのようなことだ?」
「はっ、殿よりの忠朝様へお伝えするようにと、命を受けまして参りました。」
「何を伝えよと?」
「大殿の遺産のことでございます。」
「父上の遺産?」
 松下河内の話とは次のようなことであった。忠朝の兄、忠政は弔問客の足が途絶えると、松下に遺産についての相談を持ちかけた、というより決定事項を伝えたという方が良いだろう。それは忠勝が忠朝に残した金子一万五千両は自分が相続するべきだと言い出したのである。松下は大殿の遺言である以上、一万五千両は忠朝に渡すべきだと説いたが、忠政は首を立てにふらなかった。
「遺産は嫡子である私が全て相続するべきである。それに、忠朝は既に大多喜の領地を相続しているではないか。私は桑名を父上より相続したのだから、父上が桑名に残した遺金は私が相続するのは当然だ。」
と言って河内の言うことを聞こうとはしないということだ。
 一通り、説明を終えると、河内はひれ伏し、
「無理なこととは存じますが、何卒、ご承諾下さいますよう、お願い致します。」
と言った。
「ふ~む。」
 忠朝は考え込んだ。桑名で別れるときは、これからも兄弟で力を合わせて本多家を守っていこうという堅く誓ったはずなのに、兄上は何を考えているのか。
 忠朝が黙っていると同席していた中根忠古が松下に話しかけてきた。
「河内殿、これにはなにか理由があるのではないか?忠政様が理由も無く、そのような理にかなわないことを言うはずが無いと思うのだが。」
 忠古の冷たい視線に松下はたじろぎながら、
「特に、理由ということは申されませんでしたが、、、、」
「でしたが、、なにかあるのか?」
 松下は何かを言いかけたが再び口をつぐんで、下を向いてしまった。
「河内殿、黙っていてはわからんではないか。」
 忠古が問いただすと忠朝がそれを制した。
「忠古、まあ良い。松下にも言いづらいことはあるだろう。」
「大殿のご遺言に係わることでもございます。これは単に金の問題ではございません。」
「よくはわからんが、兄には兄の考えがあってのことだろう。」
「しかし、新田開発の資金にと考えていた金子でございます。それが当てに出来ないとなると、、」
 忠古が新田開発について触れると、松下が忠古にたずねた。
「中根殿、その新田開発とは何のことだ?」
 忠古に代わって、忠朝が国吉原と万喜原の新田開発のことを話した。
「左様でございますか。遺産については既に決定事項なれど、今の話は殿にお伝えしておきます。お考えが変わるやもしれません。」
「いや、河内、そのことは兄上には伝えないでよい。開発の費用は何とかしよう。今は苦しくても、開発が成功して収穫の石高が増えれば、その費用も回収することもできようからな。」
「しかし、殿、当座は金が必要ですぞ。」
 いつも冷静な忠古が珍しく興奮しながら食い下がっている。忠朝は意外であった。忠古がこれほどに食い下がるとは。いつもなら、一言で相手を納得させてしまう凄みがあるが、今日の忠古は少しおかしい。
「良いというのに。忠古!どうしたのだ。今日は、いつものお前らしくないぞ。」
 忠朝に一喝されて忠古はぴくりとした。
「河内、兄上にはご意向はよく分かったと伝えよ。余計なことは言わんでよいぞ。河内も大多喜は久しぶりであろう。まあ、ゆっくりして行け。」
 松下河内が部屋を去ると、忠朝が忠古に問いただした。
「忠古、どうしたのだ。今日のお前はおかしいぞ。」
「申し訳ありませんでした。忠政様のご意向に納得いかず、お見苦しいところお見せしました。」
「わしもちと驚いたが、兄の気持ちはなんとなく分かる。」
「私も分からないでもないですが、なにやら悔しくなりまして。」
 忠古は、父は忠勝に殉じる忠義を見せたというのに、松下河内は忠勝の遺言を否定する忠政の理不尽な命令に従って、大多喜までやってきた事が許せなかった。忠政に意見はしたようなことを言っているが、本当に忠義の心があれば、命をかけて忠政の考えを諌めるべきではないか。
「どう思う?兄上の欲と思ったか?」
「いえ。欲ではないと思います。それは、、、忠政様の殿に対する、、、」
「忠古!良い。それ以上は言わんでも良い。」
 言葉を続けようとした忠古を忠朝が制した。忠朝も忠古も同じことを考えていたのだ。おそらく忠政の決断を裏付けているのは嫉妬であろう。

 二人の思うように忠政は忠朝に嫉妬していた。父が自分より忠朝のことを可愛がっていて、それにゆえに本来自分が相続すべき金子を忠朝に与えると言い出したのだろうと思っている。父は死の淵で私情におぼれて判断を誤ったのだ。別に金が欲しいわけではないが、胸の奥で釈然としないものが忠朝に対する嫉妬として蠢き、忠朝への遺金に封をしてしまいこんでしまったのであった。
 松下河内は桑名に帰り、忠朝が忠政の決定をすんなりと了承したことを伝えた。松下は忠朝に言われたとおり、要点だけを簡単に忠政に伝えた。最初、忠政は案外上手くいったので内心ほくそえんでいたが、余りにも簡単にことが運んだので、また釈然としないものがこみ上げてきた。
「松下、忠朝がすんなり了承したのには何かあるのではないか?余りにも簡単に過ぎると思う。」
「いえ、何もないと思います。ただ、兄上は本多のご本家、家臣も多く、金もかかろうから大変であろうとおっしゃいました。」
「そうか。それだけか。」
 そのとき、再び忠政を嫉妬が襲った。
(忠朝のそういう潔さが父に愛されたのであろうか。)
 そう思った時、膨らんだ嫉妬がパチンとはじけたような気がした。忠政は顔面を紅潮させ、大きく目を見開いたと思うと、「ふ~~、、、」と大きく息を吐いた。
 忠政は目の前の霧がさあっと晴れていくような気がした。
「そうか、忠朝はそんなこと言っていたのか。河内、話は分かった。一万五千両は大多喜に送ってやれ。」
「殿!!」
 松下河内が叫んだ。
「なんじゃ、大声で。私の決定が不満か?」
「いや、滅相もありません。さすが、わが殿です。こうなることと信じていました。」
「なに?こうなると信じていた。」
「はい。殿は金品よりも義を重んじるお方と思っておりました。」
「そうか、しかし金は必要じゃぞ。これからは戦も無くなろうが、平和な世の中になれば、それなりに金は必要となるだろう。」
 松下はほっとした。敬愛する大殿、忠勝の遺言を忠政が嫉妬にかられて無視しようとしていることが残念でならなかった。正直言って、一万五千両がどうなろうとは余り関心は無かった。大多喜に比べれば桑名は豊かな町である。一万五千両があってもなくても忠政は難なく桑名を治めることが出来るだろう。
「はい。金が大切な世の中となりましょう。忠朝様もまつりごとで色々とお考えがあるようで、この一万五千両は有意義にお使いになることでしょう。」
「何、どういう意味だ。」
 松下河内はしまったと思った。新田開発のことはいうなと言われていたのだが、つい喜びのあまり口が滑ってしまった。松下は忠朝が新たな新田開発事業を計画し、それに資金が必要と考えていること、父の遺産を使おうと思ったが、兄が駄目だというならそれに従うということを話した。話しを聞き終えると忠政は
「忠朝め、、、」
と言ってにんまりと笑った。

 松下は早速大多喜に使者を送り、忠勝の遺金は忠朝に渡されることになったので近々大多喜に送られるであろうことを知らせた。ところが、大多喜からの返答は意外なことであった。
「兄上のお気持ちは嬉しいが、一度決めたこと、遺金は桑名のためにお使いください。」
 忠政は再び釈然としない塊が胸の奥から湧いてきた。
「忠朝は何を考えている!私の気持ちを踏みにじるつもりか!」
 松下になだめられ、怒りを鎮めると、
「それでは、金は私が預かるが、必要あるときにいつでも知らせるように伝えよ。」
と言った。
 その後の大多喜からの返事はこうであった。
「それでは、遺金の半分はいただきましょう。必要な時にお願いに参りますので、それまで兄上がお預かりください。」
 結局、忠勝の遺金は蔵にしまいこまれ、忠政も忠朝も手をつけなかったという。その遺金はどうなったのであろう?忠政はその後、あの壮麗な姫路城に移ることになるが、その時姫路に移されたことであろう。美しい白鷺城の維持、修復に使われたではないかと考えてしまうが、いかがであろう。

 年が明けて慶長十六年となった。忠朝は正月参賀のために江戸を訪れていた。ここは江戸城の将軍謁見の間である。
「出雲、今年も良い正月だ。めでたいことだ。」
「はは、上様もご機嫌麗しゅう。誠、めでたき新年でございます。」
 第二代将軍、徳川秀忠に声をかけられ、本多出雲守忠朝は慇懃に挨拶をした。
「出雲、聞いたぞ。忠勝の遺金について、お前の振る舞い潔い、兄より忠勝の血を濃く受けた将器があると、大御所様もおほめであるぞ。」
「いや、兄とのいさかい、お恥ずかしゅうございます。」
「ははは。今や、徳川の天下じゃ。戦の時代も終わりになろう。これからは力より頭を使う時代になろうが、お前のその心意気はいずれにしても役に立つ時が来る。」
「ありがたきお言葉でございます。」
と、言って忠朝は将軍の顔を見たが、その時秀忠の笑顔が妙にゆがんだのは気のせいだったのか?
「お前はきっと徳川の役に立つ男だ。そうそう、おととしのロドリゴの遭難の話、忠勝の臨終の様子など聞かせてくれぬか。」
「はい。この二年間は私にとって、忘れられぬ日々でございました。岩和田で異国船が遭難したことを聞いて、、、、、」
 忠朝が話し出すと、秀忠はにやにやしながら忠朝の言葉を聞きいっている。それにしても、この二代目将軍の笑顔は薄気味悪いと忠朝は思った。
 秀忠に請われてロドリゴとの出会い、父の死にざまを話しているうちに、様々な事が思いおこされてきた。
(この二年間はわしにとって忘れられない出来事が次々とおこったものだ。ロドリゴ殿との出会い、国吉の新田開発、父上との別れ、、、それにあの伊三との再会。おもしろかったな。これからどのようなことがおこるのか。しかし、わしには良き家臣、良き領民がいる。どんなことがおころうと、大多喜はわしが守り続ける、、、)

 江戸の正月はにぎやかだ。江戸屋敷に帰り、屋敷近くの駿河台から関東平野の向こうの富士山を見ながら忠朝は低い山をぬって夷隅川が流れる大多喜の豊かな田園風景を思っていた。

第一部 おわり    


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2010年11月09日 | 本多忠勝 本多忠朝 大多喜城

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大多喜城は、いすみ鉄道デンタルサポート大多喜駅から徒歩15分です。

なんでお人形のミィ(ムーミン)がいっぱい登場するのか? 

それは、いすみ鉄道はかわいいムーミン列車だからです。