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歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

最早「三峡ダム」は問題では無い。虫獄の飢饉は人災である。理由は「南調北水」である。

2019年08月24日 23時18分45秒 | 滅び行く糞チョン、ゴ...

NTDTVJPで「飢饉の報道」があったが、それは水を徴発された南部である。それはもう酷いもので、基本的に水の手配がダメで、それは「南調北水」が無ければ何の問題も無い話だった。あと1月、2月あれば状況は丸で違うものだったろうが、それを狂惨盗が力技で曲げたものの代償だった。
虫獄は、水で滅びるだろうとは思ったが、これが単に水が無いとか汚染だけではなく、水に絡む全てが虫獄へ襲いかかるのである。今後食料自給は、この水の不安定により幾らも変動するだろう。
自然を甘く見た罰である。だが、それはEUでも、アメリカでもそうである。
雁屋哲(武論尊)の美味しんぼでオーストラリアが自然保護に気をつけているように描いていたが糞舐め汚い虫獄が大量に入って環境が汚染されない国はない。虫獄や糞舐め汚い嘲賤とかは、その生命活動=汚染活動である。だからサンフランシスコも虫獄、嘲賤の常識「糞尿の袋詰」がバラ撒かれている。
多分オーストラリアも虫獄に依る汚染が進んでいるだろう。虫獄や糞舐めは何処に行ってもそうである。今後「汚染虫」としての虫獄と嘲賤が問題となるだろう。虫獄も朝鮮も今の領域に閉じ込めて自らの汚染で自滅して貰うのが一番だろう。
今後、糞舐め汚い嘲賤脱出するチョンが出てくるが、それは汚染源となるだけである。


愛は地球を救うのドラマを見て思う。薬師丸ひろ子さんは、まだマネージャーいないのかな?

2019年08月24日 22時08分03秒 | 日記

ええっ!と思う人も居るだろうが、これは、ある時まで事実であり、最初聞いてびっくりした。
テレビのインタビュー番組にて…。
「薬師丸さん、お仕事は…」
「ええ、まぁ今は色々と頂いて、お電話も受けていますし、スケジュールも自分で管理しています。」
「ええっ!」
…で、話を聞くと「マネージャー無し」で仕事も「オファーがあれば基本的に受ける」のだそうだ。その心は「一度断ると次来ない」んだそうです。
私は「食彩の王国」で心地よい薬師丸ひろ子さんの声は土曜の朝を癒やしてくれた。
その頃までは確かマネージャーさんもいたとか?
彼女程のキャリアーがあっても、そんな感じなのか?と思ったがリスクはあるが中抜き無しでギャラ交渉もするそうで、見事なものだった。
でもテレビの露出も少なくないし、そんな家内手工業でやらなくても…。とは思うが今も元気にやっている姿を見て、安心しています。


松任谷由実さんの「春よ来い」についての考察。

2019年08月24日 21時01分09秒 | 先の無いおっさんの改革案

最近「松任谷由実」さんはラジオにもテレビにもそこそこ出ていて、ふと我が心の師「中島みゆき」を差し置いて何だが、何か今松任谷由実さんの土曜のラジオ?日曜だったか?でふと彼女の「桜を後何度見られるのか?」と言う言葉が実に歌に入っている感じがして、その感じは中島みゆきさんには見られない「弱さ」と言うか「儚さ」を感じたのである。
「春よ来い」とは文芸批評的にホザケば「積極的な季節感」つまり「春が来た」ではなく「来い!」と力技で引き寄せる意思が見える。受け身ではなく「サイは投げられた次は象を投げてやる」(中島みゆきのオールナイトニッポンのニューミュージック楽屋裏話)と言う果敢な少女を感じてしまう。
松任谷由実さんは派手なコンサートが売りだが、歌の中で最も豪華なのは「春よ来い」と言う感じを受ける。それは何もない中に沈丁花が咲いていて、そこから徐々に情景が広がる様子はスポットライトから光が広がり舞台全体が光に埋め尽くされ、そこには仏が現れても可笑しくない光の渦の中に弄ばれる松任谷由実が見える。
これほど歌で奏で、歌で歌い、そして、目で光を、言葉で光を感じ強い命の息吹と同時に散る儚さの表裏一体を示す歌は松任谷由実でも、おそらくはこれ1曲だろう。
ごく少ない伴奏で、これほどの広がりをさせる時点で天才と言う陳腐なセリフで終わらせるのは表現としての比評者の怠惰であろう。あちらは、渾身の一曲を提示しているのに、拍手と天才の称号で終わるとは聞く側が安易過ぎる。
松任谷由実さんは、ジブリ作品と相性が良いのか、良く使われている。それは魔女の宅急便の絡みからもあるからと言う安易なものより私は「もののけ姫」の米良氏による歌「もののけ姫」と似ているからだろう。
彼の曲も伴奏がほぼ無く、歌で奏で、歌で歌う曲であろう。そこには弓の弦が共鳴するような、高調波の荒々しい共鳴があるのだろう。魔女の宅急便であるようなモダンな日常より戦国時代の戦いの中で迎える春のような殺気立つ中、それを力技で溶かすような強力な春を、強力な意思で呼ぶような強力な歌、曲、それが「春よ来い」なのではないだろうか?
私も、これこそ葬儀の中、故人とは弱く消えてゆく者ではなく、仏の放つ光の中で更に虹彩を放ちつつ別の次元へ飛び立つ旅立ちの詩と思える。
これほど広がりのある歌、そして、変化の激しい歌は残念ながら私は知らない。そして歌を直接聞いても直ぐには分からない。それは生死を見れば見るほど心に沁みるものであり、歌が心の中で成長して、心を満たすのである。日々、終わりに近づく人間にとって、この心の中の歌の成長は、人間の体の限界を超えて、衰える体を補うのであろう。
かくて、私の「春よ来い」の心の触診は、終わりを迎えるが、それでも心の中の「春よ来い」は広がる。再診療が必要な病は、不思議な事に心から体を元気にさせる。
なんて、文芸評論家ごっこでした。


「経済で読み解く日本史」に書かれない部分「科学・技術的劣化」!デフレも怖いが、同じく精神の金満が与える深刻な事態。

2019年08月24日 19時29分02秒 | 糞馬鹿文化系大学出が分からない世界

昨日、バス停で女子高生が雨に濡れていたので傘を…、と言うと「良いです」と言うので「じゃぁ相合傘」はOKだった。その娘は進学校の女子で理系だった。だから偉そうに吹聴し捲りだったが、まぁ彼女も何も知らない。それで「へぇ〜、へぇ〜」とトリビアの泉状態だった。
だが言っていて虚しい。武田邦彦の様な自己満足・自慢話満載の「老害」は気にしないのだろうが今となっては米国の技術的レベルの凋落は凄まじい。丸で米軍がべた褒めするSDを価値無しとして開発チームを追い出した東芝のようなものである。それで大損失?全く糞馬鹿文化系大学出丸出しは馬鹿すぎてどうしようもないぜ!
だが、世界が今「糞馬鹿文化系大学出」と似た様なモノである。つまり「上念司」の言う「延々と平和で、ボロ儲けに血道を上げすぎる」と「馬鹿がトップを採る」のである。糞舐め汚い嘲賤の糞寅の文在が最たるものだ。
上念氏の父親であられる「自衛隊の技術畑」の技術は基本的に米国を凌駕している。だが、そこは経団連の「糞馬鹿文化系大学出病」は世界レベルで、馬鹿が脳に定着して1990年台にFPGAを全部捨てた。この馬鹿が2015年に業界二位のARTERAを5兆で買収しようとして赤っ恥をかいた。そのぐらい技術的な問題に関しては経団連は馬鹿丸出しである。
だが「流体力学」や「コンピューター数学」や「素材技術」(特に炭素繊維や鉄鋼関連)では劣化の一途である。正直、最新鋭の開発では、日本が圧倒している。他方で、ロシアは「流体力学」では活躍している。Su57の高性能はロシアの技術力の粋を集めていると言って過言ではないが、それ以外ではダメである。特にレーダーシステムでは、アンテナ大国「ニッポン」である。比較にならない。
実際米国のフェーズド・アレイ・レーダーは実はF-2開発の時に米国から技術的盗難を受けている。それもあるから自衛隊の開発部門は恨み骨髄なのである。つまり米国の電波技術もそこまで堕ちているのである。
まぁ今ロシアはシリアとかトルコを独自のミサイル防衛網で守っており「イスラエル」が戦々恐々なのであるそうだ。しかしロシアでは「量子システム」の開発は殆ど0である。虫獄はゴキブリなので量子システムは全く理解できないようです。
しかし「量子エンタングルメント(もつれ)」型の量子コンピューターは「日本」しか持たない。IBMもGoogleもAmazonもFaceBookも「量子アニーリング(焼き鈍し)」型のどデカイ量子コンピューターを使っているだけである。日本のNTT-Sclでは光FPGAと光発生装置と光ファイバーで構成されたシステムで「量子アニーリング」計算が可能なシステムを作っている。これは圧倒的である。
更に米国は、日本の技術を当てにしてYF-22を再開発する米国は「機密のソフト・ソースコード開陳」したと言う程、日本技術に傾倒している。
今後の未来は技術に支えられた社会である必要があるが、その技術開発に金が来ないし会社も無いってのが現実で、経済的安定は破滅を生み出す事になりかねない。それで米国No.1って言われても仕方ない。逆にロシアのように経済的に困窮した方が技術的な発展を地道にしている。そう言う意味では、果たして米国が正しいのか?と思う所である。
金塗(かねまみ)れで平和は腐ると言う事なのだろう。その最たるものがアメリカ・民主党であり、腐敗と退廃、思考的劣化=可笑しなコルテスの寝言が響く馬鹿な世の中に成り下がっている。地道な感覚の抜けた政治が社会の低レベル化を遺憾なく示している。
技術的な発展の遅れはアメリカよりもEUが酷く、ドイツの凋落は酷いものである。メルケルは一代でドイツを技術先進国から陳腐退国に突き落とした。潜水艦、戦車、自動車そしてカメラ、レンズの技術は精度的に明快で、その証拠に量子システムの開発はドイツは然程でもない。理由は基礎技術である「レンズ磨き」や「時間計測技術」は日本と比較しようもない程劣化している。
今EUではフィンランドとスウェーデンが5G開発で技術的進歩を見せているが、今後EUはブレグジットの破壊的な離脱により経済が低迷する。それで技術に目を戻してくれれば良いのだが…。ブレグジットも金融楽観が、この事態を生み出した様なもので、何れにしても経済は「その国の発展の結果を示すもの」ではなく、金融の小手先のみの話と成り下がった。イギリスはブレグジットでデフォルトでも起こせば、それは金融ですら落第点となり、一流国から転落する。糞舐め汚い嘲賤と似た席に座る羽目になるのである。
結局、危機感を持つ事は何にしても必要で、先ず重要なのは「自分を自分足らしめている基本原理」に常に目を向ける必要があるとつくづく思う昨今である。


スピードラーニングをやるよりも…。英語道って知っているでしょうか?丸紅の元社員(もう定年の歳だ)が始めた「パスポート持たないが英語ペラペラ」の脅威の勉強法「英語道」とは?私は別の方法。

2019年08月24日 17時35分05秒 | 技術超越国家日本の眩しい未来それは現実だ!

今の職場はラジオを鳴らすのだが、そのラジオに「ジャパネット」が出ており「スピードラーニング」があるのだが、まぁ「文化人放送局」の「生田よしかつ」さんが昔「スピードラーニング」のCMに出ていたが、あれは「嘘」だったそうで、今も立派に話せない。
私も可笑しいと思ったのだ。例えば、英語の会話に関して言うと「AskJapanese」と言う「ドイツ出身」の英語スピーカーが話をしているが、あれはナカナカ聞き取れない。
一番良いヒアリングの道具は「映画のDVD」だったりする。
そんなモノがない昔は、本当に材料がなかった。そんな昔、昭和の頃にサラリーマンとして丸紅に務めていた松本道弘さんという人が海外経験まるで無しで英語ペラペラとなる「英語道」と言う本が一時期流行った。
この英語道では、読む、書くが最初で、その次に聞く、話すと言う流れだったと記憶している。(相変わらず曖昧な記憶頼りのブログ)これは理屈を色々説明しているのが「英語道」本の特色である。
それに依ると「通常の英語教育は『糞未満の汚物』でしかないが、覚えた単語と文法は『確かのもの』と自信を持て!」との事であり、それを「実態に合うようにする」ってのが重要だったと記憶している。
学校の『糞未満の汚物』=憎狂粗の糞英語は「試験に出る英単語」でも言っていたが「実態としての試験に出る単語を指摘していない。」と左翼が如何に「非科学的」であり「非合理的」であるのを訴えていたのに似ている。
同じくだが憎狂粗の「英語アレルギー化調教」は、英語を話せなくさせる為だけの調教なのである。基本的に、点を取る為の下らない「変な文法」「変な発音」「変なアクセント」は「全く意味が無い。」また「英語は地域に依って変わる」などの事もあり、それらを無視した英語は英語ではない。
取り敢えず、先ず英語の事を理解するには、読んで、文のパターン=決まり文句を入れ込め!分を入れ込む事で、パターン化された言葉を覚える。本来「スピードラーニング」もそうだった筈である。
だが最近何を勘違いしたのか「単語数が少ない文章で解り易くなりました」とホザクが、英語道では「我々が努力する事」は「当たり前」で「新スピードラーニング」が触れ込む「単語数が少ないから」と言うのは「理解する幅を狭める。大体、向こうは向こうの都合で文章を選ぶので、それを理解できなければ意味が無い」と言うのが英語道的な見方である。
だから英語道では「読み、パターンを入れ込んだ」ら「自分が言いたい事を書け!」となる。そして、その英語を「自分で声を出して読んで自分の耳で聞け」と言うのである。つまり「英語道」では、最初の、この部分まで「スピードラーニング」は不要である。実は外人の言う事をヒアリングするのは最後の段階で、それまでの蓄積がモノを言うのは最終段階の「ヒアリング」なのである。
リーディングは、高校を卒業したら「JapanTimes」(日本風の英語)を毎日読んで、辞書無しで読めるようになったら外字新聞を読むのである。それも朗読して…。つまり、こうしてニューヨーク・タイムズなどの英語のパターンを知るのである。
大体そうなのだが、英語にはパターンがある。このパターンを滅茶苦茶早く話すので、それがわからないとヒアリングは絶望的になる。
また、英語の発音を聞けと言うのだが、それよりも英語の歌が良いだろう。
スイング・アウト・シスターズ、リック・アストリー、エルビス・プレスリー、マドンナ、シンディー・ローパー、ビートルズ、モンキーズなどは実に分かり易い曲を歌っている。また梶原しげる(シーゲル・梶原)の日本の歌を英語で歌うのもOKだろう。
この事を何故誰も言わないのか?不思議である。音楽業界では、先ず「聴き易さ評価」を使い、英語学習の為の音楽CDを売るのはどうだ?毎度思うのだが、英語は継続力と英語道でも言っていた。だとすればスピードラーニング特に単語数を減らしたのって、自己満足以外の何者があるんだろうか?
取り敢えず一応私は英会話は出来ます。