今糞舐めが静かだ。
基本的に方法論が無いだけだが、そもそも、糞舐め汚すぎる上に卑怯な嘲賤に「モノづくり」など無理なのである。
また異常なのは、マスゴミのみならず右派系も「糞舐め高炉」が全部止まっている事を言わないのである。糞舐めは、半導体だけじゃない、出来損ない鉄を捏造する製糞所もあるし、何時までも完成しない「原子力的?な発電できるかも知れないねぇ〜、運が良ければ…」的なもの?も捏造している。
見事に今は全部が、完全停止中。
それで何が始まる?
株価と為替がまた下がるさ…。
それとルノーは「こっそりぬけ出すだろう」し「ユニクロ」も糞舐めから足を洗った。
実は相当臭かったようだ。
今糞舐めは、絶賛キャピタルフライト(資本流出)で株価は下がるわ、為替も下がるわで、活況を呈している。つまりは「売り浴びせ」と「暴落」である。
その結果通貨は1200ウォン/ドルを切り、KOSPIは2000を切った。
株価も、為替も時折凄い購入量が出てきており、虫獄の為替操作国の次は間違いなく糞舐め汚い嘲賤だろう。
今オフショア(市場外取引)でチマチマレートを上げているんだろうが、週明けと共に暴落する。
今アメリカ対虫獄と日本対糞舐め腰抜け底酷の並列攻撃が実行され、虫獄と糞舐めが相乗効果で下がっている。
これを「正義が行われている」と言うのである。
虫獄からはAppleが逃げ出そうとしている。まぁ、糞馬鹿文化系大学出と同じクソ品性でやっているのだろう。スティーブ・ジョブズの潔さが全く無い。
さて、この状況が、何時まで続くか?と言うと、虫獄は「春節」が一つの契機だね!
糞舐めに関しては、年末と年度末の2回何かあるだろう。ああ、その前に9月決済もヤバイね。
今後の流れでは、虫獄は「破綻」と「暴動」で内観外憂となるだろう。
糞舐めも「破綻」と「蠟燭プレイ」で内変態外憂となるだろう。
何れにしても、虫獄と糞舐めの逃げ出すゴキブリが出てくるので、この時の為の「移民法案」だろう!と私は言いたい。
「移民法案」は「移民促進」と「移民管理」と「移民資格なし」の3つで構成されるべきもので、今は「移民促進」のみが焦点を当てられており、「移民管理」「移民資格なし」は、みょ〜に甘い。
「移民資格なし」は「移民検査」であり「検査後処置」がある。
「移民検査」は入国時だけではない。入ってからも検査する。
だって「糞舐め汚すぎる上に卑怯な嘲賤」は、スパイしか居ないから、この法律で、スパイ排除をするのである。
移民法案で糞舐めの慄嫌緡咒盗や捨泯盗や凶惨盗がぎゃぁぎゃぁほざいていたが、最終的には所管庁の裁量・運用+その後の追加法案に依るのである。
これでスパイ法案は通らずスパイは捕まる手口が出来上がるのである。
アメリカが糞舐めのパスポートを拒否するようになり、それは糞舐め糞酷(祖国と普通は言うが)ではパスポート無しで北糞舐めに行けるのだとの事だ。
今後も、日本は「しれっと」移民法の中で、感染症検疫や食料検疫などの検疫の分野を広げて、気がつくと糞舐めは、検疫施設にほぼ全部居る事になるだろう。
何れにしても来たるべき南北合同の時、北糞舐めのエージェントと言うかバイキンの見極めは必要で、その為に「移民法」は活躍するだろう。そして、受け入れ拒否であっても、人道的配慮は無用だ。その人道性を痛めつけてきた糞舐めは、コスモポリタンとして、世界に放出されるのである。
おめでとう。流石、進歩し尽くしたゴキブリ。
愛知と言うとイチゴミルク浣腸のアナリスト(アナルマニアとも言う)と同じで知ではなく痴が相応しいのではないかと言われている。
そこで河村さん(名古屋市長)に比べると「大村の馬鹿は洗脳されている」のだろう。
河村さんを見ると「地道な政治運動」の形として市長として奮闘されている姿に敬服する。
さて、この何時までも死なねぇ馬鹿野郎ボケ老人:武田邦彦は色々ホザイているが、オリンピックの話をこれまた適当に、お茶を濁した。
最近になって「ギリシア文明」=「奴隷制を全面に掲げた思想」である。
またギリシア文明前後(例えばシュメール文明)などの古代文化や思想・宗教は「精神異常者を持て囃す傾向がある」と私が敬愛する東大でオリエント文明を研究されている小林教授がおっしゃっている。
ギリシア文明のオリンピックは、ヒットラーのそれが似ているが「優越民族」が「劣等泯賊」を支配すると言う、実はこれは糞舐め汚すぎる上に卑怯な嘲賤の本質にもあるが、ドイツと違うのは、優越感しか無く、事実上全て無能であるのは、今の状況を見れば分かるだろう。
この根本的な事を全く見ていない武田邦彦は糞馬鹿野郎である。
私は、何時も思うのだが「芸術」を一番分析し考察していたのは「岡本太郎」である。
まぁこれはタモリさんもそう言っていたが「岡本太郎ほど芸術をコトバで表現しようとした人はいない」のであり、同時に「書いてある文章は、あの『芸術は爆発だ』とは全く思えない真摯さである」と思う。
岡本太郎氏の「芸術」は、感性に直接訴えるもので、人々が生まれながらにして持っている情熱を引っ張りだして「爆発させる」ものである、そうである。
彼にとって、その「爆発」こそ重要なもので、これは「あしたのジョー」の「ブスブスした、不完全燃焼じゃぁねぇ〜、リングの上で、ただ自分の体と拳2つで火が出るように殴りあって、そして、もう後がねぇぐらいまで競い合う…。その先には、もう何にも残らない。完全燃焼した灰しか残らない。」
これが岡本太郎の「芸術論」に一番近いのである。
それからすれば「愛痴トンスル・成れの果て」は、およそ芸術ではなく、「ブスブスした、不完全燃焼の糞そのもの」である。
そして、権利を吹聴するが、その先には法律を守れないゴキブリ野獣が居るだけなのである。
挙句の果てには、ブサイクな雌豚象(意図して間違っているからね)が居るだけである。
連中は日本を「打つぞぉ〜(仏像)」に対して「どうぞぉ〜(銅像)」を期待しているだけで、ふざけるなっつーの!このゴキブリが!
何れにしても、火を付けるのは得意かと思いきや、マジモンのロケットエンジンはさっぱり作れねぇ火病としても劣等民族極まれりである。
さて、火病も劣等なら、何をもって誇るか?大笑いである。
出来の悪い「造作」は、遺伝子が捏造した糞舐め嘲賤の面だけにしろ。