昨日に続いて私の場合を書いてみようと思います。
私の場合は座右の銘というより、自らの行動をきちんと整えるために思い出す和歌なのです。
月読みの光をまちて帰りませ山路は栗の毬の多きに
という和歌です。良寛の和歌だと後に知りました。
小学生の頃の思い出です。決して威張って言うことではないのですが、私はその頃は成績の良い子として褒められることが多い子供でした。上に兄姉がいてその人たちが勉強するのを門前の小僧よろしく学んでいたのです。その頃躓く九九などは五兄が何度も復唱していましたから、一緒にマスターしていました。一事が万事でした。
自分では、威張っているとも思いませんでしたが、振る舞いに知らず知らず高ぶったところもあったのでしょうか、ある先生が卒業のサイン帳にこの歌を書かれたのです。担任ではない先生でしたが、小さい声で、「おせっちゃんを見ていると、どこかで躓いてすッ転んでしまうのではないかと心配になるのです。まだ難しいと思うけれど、この和歌を書いておきますからね」とおっしゃりながらでした。
何のことやら、全く分かりませんでしたが、成長するにしたがって、ああ私の傲慢な生意気な態度を危ぶまれたのだと分かってきたのです。
大学受験に失敗し、後に東京で暮らすようになって、自分が井の中の蛙と思い知ることも度々でした。子どもたちからも「N村の優等生だからねえ」とからかわれたりもしました。決してそのために萎縮することもありませんでしたが、世の中の広さも知りました。
そんな人生の中で、折に触れこの良寛の和歌と先生のつぶやきのようなお諫めを思い浮かべることでした。私が取り返しのつかない転びを経験しないですんだのは、この和歌のおかげかも知れません。