織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

西丹沢・大室山(Ⅲ)

2008年07月25日 | 西丹沢:大室山
大室山山頂


この破風口から大室山へ登り返すころから、多分、バイケイソウであろう・・、既に枯れ落ちた茶褐色の草原が目立ち始めた。 それらを保護するための木道も出てきて、一帯は次第にその大群落になってくる。 確か・・?、隣に聳える「檜洞丸」の山頂あたりもバイケイソウの群落があるらしいが、こちらも相当なものである。その、檜洞丸は後日訊ねる予定であるが・・。
又、シロヤシオの松肌の大木も目立ちはじめている。
バイケイソウといい、シロヤシオといい、そして何よりブナの新緑の・・、これらの季節にも是非訪れてみたいものである。 今はただ、生あるものは既に季節の眠りについているのである。

二等三角点のある大室山の小広い山頂に着いたのは夕刻間近であった。
ここもブナやアセビなどの木々に囲まれて展望は無かったが、静かで落ち着ける処だった。
それにしても、西丹沢の名だたる名峰のはずが、今は人影も無く、ただヒッソリトしていた。 
普通、丹沢の主な峰には大抵の場合、山小屋が在るはずであるが、ここにはそれが無かった。 従って、余計に寂寥感が漂うのである。
今は展望も無く、休憩するには西ノ肩の方が良さそうである・・。 山頂で一息入れた後、こざっぱりした西ノ肩へ戻って大休止をすることにした・・。

陽は既に、西に傾きつつあった。
昨夜の飲食のせいもあって朝の出立がかなり遅れ、出発した後も頭に昨夜のアルコールが若干でも残っており、決して体調はよろしくなかった。つまり、かなりのスローペースであったということである。
山歩きの基本は、「早立ち・早着く」であるが、これも完全に無視してしまって、今朝方出かけたのは10時を回っていたのであった。
ともあれ、何とか本日の目的地である「大室山」へは到達したので、良しとしよう・・。

持参してきたガスコンロで、インスタントラーメンを炊き、遅い昼食となった・・?。れにしても山で食べるラーメンの美味しかったこと・・、相棒も納得したらしく、顔を見合わせてニンマリとした。

山頂(西の肩)は、原生林の「ブナ」の林に囲まれて 本来、眺望の効かない山頂であるが、葉の落ちた木々の間から遠く南アルプスの白くまとった峰々が遠望できる。 
この時期、すでに人の姿も無く、小鳥のさえずりも聞こえず、山頂は閑散とし、時折、冷たい風が頬を通り抜けるのみである。

それにしても苦労して頂(いただき)に達し、登りきって目的地を極めたというのに、いつもの様な達成感というか充実感が余り感じられないのはどうゆうわけか・・?、こんな山歩きも珍しい・・。
相棒の鈴木氏も元々口数の少ない人物であるが、今日は特別無言に感じられるのである。これも人っ気が全く無く、自然も一年の内の終期に当たり、今はただ寂の様相である。 我等も自然の雰囲気に倣い、合わせる様にただ無言であった。
山登りといってもいろいろあるもんだなーと、妙に実感するのである。

昔の人は「秋の陽はつるべ落とし」と云ったが、言い得て妙、正にその通りで、あっという間に日が暮れてくる・・、今は冬枯れの時期であり昼の時間は極端に短いのである。 
時間は既に夕刻4時を回っていた、早々に下山しなくてはならない・・。


大室山(大群山)について・・、

登山地図を見ても(昭和50年代の「丹沢山塊」:日地出版・・現在は絶版)大室山を注記(括弧で括って)して、「大群山」(おおむれやま)と記載してある。 だが、最近の国土地理院の地形図には大室山と記されていて、今はこちらが由緒正しい呼び名らしい。 
いつ頃、どのような理由で名称が変わったかは定かでない。

「大室山」が属する西丹沢は甲州と相州との国境尾根を形成しており、大室山はその山域の雄峰でもある。
特に、道志方面や高尾山などの中央沿線の山々などからは大きくて立派な金字塔に見える。道志街道の裾野から根張り豊かなドッシリとした山容は、丹沢最高峰の蛭ケ岳を凌ぐほど、この山域随一の存在感を示しているのである。
因みに、東京の八王子方面などからはこの大室山が富士山を隠してしまうので「富士隠し」とも呼ばれるらしい。

ところが、大室山は登山対象としての人気は薄いようだ・・。
ガイドブックなどで展望の悪い山という評価が定着してしまったせいもあろうが、登山者が少ないおかげで整備された登山道は意外なほどよく保全されている。
この山は山頂の展望を目的とする山ではなく、美しい樹林の中、土の感触を味わいながら歩くことができる山であり、本来の山歩きそのものを楽しむ山なのである。


次回へ続く・・。


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