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金峰山の奇跡; ;第二部:奇跡編(7)
思えば、小生自身も今まで、よそ様の普通の女性とは全くの未経験であり、社会的、世間的には女の身体を知らない、所謂「童貞」である。
しかし、ある筋の導きでの男と女の処理の仕方としては、実際は童貞に非ずである。
実は、小生の現在住んでいるすぐ近くに、男の性欲を満足させてくれる専門の世界があり、そこで適当に男の処理をし、楽しんではいたのである。
つまり私事ながら、男にはなっていたのである・・!、
それは未だ20歳そこそこの頃であった。
田舎の会社(現、いわき市)、工場勤務より東京大手町の本社へ出向転勤になり、この会社の社員寮のある東京・大田区・多摩川土手の近くに居を移した。 そこは六郷地区といい京浜急行の「六郷土手」の駅がある。
叉、そこは多摩川堤のすぐ近くで、僅かなところに第一京浜国道(旧東海道)の六郷橋が架かり、川向こうは神奈川県の川崎市である。 川崎の国道と鉄道(京浜急行・・、)に挟まれた下町風の一角に「堀の内地区」というのがある。
或る日、先輩に連れられて六郷の橋を渡り、川の「堀の内」で遊び、男として初めて「筆おろし」を行った地でもあった。
堀の内は、昭和中期頃までは、公の遊郭街として有名であり、近郊の男供を相手に正々堂々と商売し繁盛していたという。 ところが、売春防止法(昭和31年)が発布されて公には出来なくなり、飲食店という形式で内々に商いを行っていたようである。
(現在はソープランド、ピンサロ、ヘルス、デリヘルなど、所謂、国内有数の風俗店が軒を並べているらしい)
小生が始めてこの地を訪れたのは昭和30年代後半であった。
或る女性に誘われるままに入店し、カウンターで飲食をしながら徐に(おもむろに)意志を確認しあい、商談・・?がまとまったら何がしかの金銭を別に払って、二階の特別室で男としての用を済ませたものであった。
その後も給料日の後などは、下駄履きでカランコロンと六郷の橋を渡り、お馴染みの所で、たまにはお馴染みさんと「筆ならし」を行ったもんである。
それは、現在(当時)でも続いているのである。
山小屋の夜は更けてゆく。
あれから、どの位の時が過ぎたのであろうか・・?
山小屋の混雑期には、特に大部屋では小生自身のことはともかく、イビキ、寝言、歯ぎしり、寝相の悪い奴等に時折泣かされるときがある。
しかし今現在、この山小屋は死んだように静まり返っている。 否、皆がみな人々は息を殺して何かを感じ取っているのだろうか・・?
小生の邪険な行いに皆が気が付いていて、固唾をのんで、押し殺しながら見守っているのだろうか・・?、 妙な不安感が一瞬、気心をよぎる時もある。
彼女の連合い二人は今はどのような状態なのであろうか・・?、深い睡眠状態なのか、はたまた針のような神経で二人の行為を覗っているのだろうか・・?、
このような事態に思いを巡らし、胸中を過(よぎる)ぎる時、一層、ほぼ同衾(男女の関係で一つの夜具の中に共に寝ること)の状態にあるN嬢が愛(いとおしく)しく思われるのである。
小生は今、こうして「金峰山の奇跡の一夜」と体感しているのである・・!!
つづく・・、
【小生の主な旅のリンク集】
《日本周遊紀行・投稿ブログ》
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《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
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北海道・知床 白神山地 紀伊山地の霊場と参詣道 安芸の宮島・厳島神社 石見銀山遺跡とその文化的景観
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八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972)
《山のエッセイ》
「上高地雑感」 「上越国境・谷川岳」 「丹沢山塊」 「大菩薩峠」
《スキー履歴》
「スキー履歴」
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金峰山の奇跡; ;第二部:奇跡編(7)
思えば、小生自身も今まで、よそ様の普通の女性とは全くの未経験であり、社会的、世間的には女の身体を知らない、所謂「童貞」である。
しかし、ある筋の導きでの男と女の処理の仕方としては、実際は童貞に非ずである。
実は、小生の現在住んでいるすぐ近くに、男の性欲を満足させてくれる専門の世界があり、そこで適当に男の処理をし、楽しんではいたのである。
つまり私事ながら、男にはなっていたのである・・!、
それは未だ20歳そこそこの頃であった。
田舎の会社(現、いわき市)、工場勤務より東京大手町の本社へ出向転勤になり、この会社の社員寮のある東京・大田区・多摩川土手の近くに居を移した。 そこは六郷地区といい京浜急行の「六郷土手」の駅がある。
叉、そこは多摩川堤のすぐ近くで、僅かなところに第一京浜国道(旧東海道)の六郷橋が架かり、川向こうは神奈川県の川崎市である。 川崎の国道と鉄道(京浜急行・・、)に挟まれた下町風の一角に「堀の内地区」というのがある。
或る日、先輩に連れられて六郷の橋を渡り、川の「堀の内」で遊び、男として初めて「筆おろし」を行った地でもあった。
堀の内は、昭和中期頃までは、公の遊郭街として有名であり、近郊の男供を相手に正々堂々と商売し繁盛していたという。 ところが、売春防止法(昭和31年)が発布されて公には出来なくなり、飲食店という形式で内々に商いを行っていたようである。
(現在はソープランド、ピンサロ、ヘルス、デリヘルなど、所謂、国内有数の風俗店が軒を並べているらしい)
小生が始めてこの地を訪れたのは昭和30年代後半であった。
或る女性に誘われるままに入店し、カウンターで飲食をしながら徐に(おもむろに)意志を確認しあい、商談・・?がまとまったら何がしかの金銭を別に払って、二階の特別室で男としての用を済ませたものであった。
その後も給料日の後などは、下駄履きでカランコロンと六郷の橋を渡り、お馴染みの所で、たまにはお馴染みさんと「筆ならし」を行ったもんである。
それは、現在(当時)でも続いているのである。
山小屋の夜は更けてゆく。
あれから、どの位の時が過ぎたのであろうか・・?
山小屋の混雑期には、特に大部屋では小生自身のことはともかく、イビキ、寝言、歯ぎしり、寝相の悪い奴等に時折泣かされるときがある。
しかし今現在、この山小屋は死んだように静まり返っている。 否、皆がみな人々は息を殺して何かを感じ取っているのだろうか・・?
小生の邪険な行いに皆が気が付いていて、固唾をのんで、押し殺しながら見守っているのだろうか・・?、 妙な不安感が一瞬、気心をよぎる時もある。
彼女の連合い二人は今はどのような状態なのであろうか・・?、深い睡眠状態なのか、はたまた針のような神経で二人の行為を覗っているのだろうか・・?、
このような事態に思いを巡らし、胸中を過(よぎる)ぎる時、一層、ほぼ同衾(男女の関係で一つの夜具の中に共に寝ること)の状態にあるN嬢が愛(いとおしく)しく思われるのである。
小生は今、こうして「金峰山の奇跡の一夜」と体感しているのである・・!!
つづく・・、
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