土佐のくじらです。
私は一人の歴史ファンですが、独自で勉強している内に、
一般的に言われている、教科書的な日本の歴史観とは逆の見解を持ってしまいました。
それはブログ開設以来一貫して述べている内容で、主に実況見分的な調査に重点を置いたものございます。
そしてそれに伴う歴史の再検証をしている内に、教科書的な歴史観には、教条主義的なものがあるように思うようになりました。
私は日本の対米戦争の見解で、「当時の日本は、世界一の軍事力だった。」と述べましたが、
これなども、教条主義的な歴史家の方々から、
「世界一の軍事力を持つこと自体が、侵略の意図があった証拠だ。」と、突っ込まれそうなフレーズだな・・・と思います。
それはそうですよね。
軍事力は、それを行使しない限り、富に変わることはありません。
しかし私は、
この、世界一の軍事力を誇っていた事実そのものが、日本が侵略国家ではなかった証拠だと思っております。
なぜなら、侵略の方が簡単だからです。
一例を挙げますね。
南米にペルー共和国という国がありますね。ここはかつて、インカ帝国と呼ばれていました。
ここに1532年に、スペインのピサロによって、あっという間に征服されるのですが、
そのスペインの侵略者ピサロの手勢は、わずか168名に過ぎません。
もちろんピサロは、当時の最新鋭の武器を保持していましたが、それにしても、
たった200名足らずの軍勢で、巨大帝国を侵略できたのはなぜなのでしょうか?
それは当時の、インカ帝国の防衛思想に問題があったからです。
インカ帝国皇帝は、「侵略者を、取り押さえろ。」と命じました。
一方ピサロら、スペインの侵略者たちは、インカ帝国の兵士を次々に殺していきました。
侵略者を殺さず、生かして取り押さえるのは、殺すよりも遥かに難しいことなのです。
これでピサロたち、スペインの侵略者たちは、大軍を南米まで派遣することなく、広大な占領地を得てしまうのですね。
とても侵略らしい、「侵略の中の侵略」の歴史の実例です。
つまり、侵略よりも防衛の方が難しいのです。
侵略ならば、侵略しようと思う相手以上の軍事力があれば侵略が可能です。
また、侵略は相手の弱いところを狙えばよいので、そこに戦力を集中すれば良いですから、トータルの戦力は少なくてすみます。
しかし防衛ならば、侵略者以上の国防体制を構築していない限り、防衛は不可能なのですね。
当然、侵略相手より、弱いところがあってはいけません。
つまり防衛の方が、国防体制や装備の充実度、そして防衛費用などは、侵略目的よりコスト負担がかかって当然なのです。
戦前の日本も今の日本と同じく、国防論思想の国だったと思われます。
そして大事なことは、日本より戦力の劣る当時の欧米諸国は、それでも全世界に植民地をつくり、侵略の歴史を続けていました。
しかし、当時世界最強の軍事力を誇る日本は、世界最強軍であっても侵略などはしなかったという事実です。
そしてもう一つ大事な教訓は、今の日本は専守防衛の国ですが、本当に今の体制で良いのですか・・・?という、
現代の日本国民に対する問いかけです。
日本人の皆様、自虐史観などに振り回されることなく、また歴史から眼をそむけることなく、
未来のためには、真に歴史から学び、教訓にするべきだと私は思います。
土佐のくじらです。
私はブログ開設以来、ずっと近代日本の歴史問題に取り組んできました。
日本に巣くう、自虐史観に大きな疑問を抱いているからです。
いや、一人の歴史ファンとして、全く逆の見解を持ってしまったからです。
日本は侵略国家だったことはありません。
また、アジア諸国に迷惑もかけていないし、大国アメリカに対しての戦争も、勝てなくはない戦いでありました。
教科書で教えている日本の歴史、一般的な歴史観に基づく日本の歴史観は、はっきり申し上げて底が浅いです。
トンチンカン以外の、何者でもないのです。
歴史を紐解くことが好きな私は、時々こう思うことすらあります。
「ああ、本当に日本が、その時代の大国の主流の侵略国家であったら、どれだけ楽な歴史を過ごせていただろうか。」と。
侵略国家的な発想であれば、国家は会社的な経営で国際社会を考えれば良くなります。
つまり、軍事予算という投資に見合うだけの、国家のGDPが上昇があれば良いわけですし、
投資予算に伴うだけの、税収が上がればそれで良いわけです。
ですから、教科書や通常の歴史観で教えている、明治日本の朝鮮への侵略の意図が本当にあったなら、日清戦争は起きてはいないでしょう。
日本・清・ロシア三国による、朝鮮分割統治が可能だからです。
侵略以前に比べて、国家のGDPも当然上がりますし、侵略地から税収をふんだくれば、それなりに税収も上がるでしょう。
これが、侵略的な発想というものです。
以外にも、侵略的意図であれば、実質的な軍事行動は起きないのですね。
また、遼東半島を侵略的な発想に基づき、三国干渉をノラリクラリとやり過ごせば、ロシア戦争は起きておりません。
また第1次世界大戦時、日英同盟の絆に基づき、遠いヨーロッパに赴き、当時の軍事力の元に行動すれば、
第1次世界大戦は短期で終了したでしょう。
日本の国際的地位は上がり、その後の日英同盟破棄もなく、当然日本の孤立化はありません。
またその時点で、日本外交の基本姿勢、人種差別撤廃理念が、世界に受け入れられた可能性もあります。
日露戦争で日本は、南満州鉄道の利権を持ち、その護衛のために、後の関東軍となる軍事護衛団も大陸に派遣しておりました。
ですから、清国の終焉時に、北京など現中国北部を制圧する事も十分可能でした。
漢民族は元来は、黄河以南の民族ですから、その時には、それほど北部の地域に執着しておりませんでした。
事実、中華民国の首都は南京に置かれています。
元来、現中国北部は、清(満州族)由来の地域です。
ですから機会が合えばそういうことも可能でしたし、大義名分も立ちました。
さすれば、日中戦争もなく、中国の港を制圧していたヨーロッパ諸国と日英同盟下のもと、ノラリクラリとその地を維持できたはずです。
日英同盟さえ堅持できていれば、アメリカは日本に手が出せませんので、その後の日米戦争も当然ありません。
以外にも、侵略的な意図を持ち、その理念を実現していれば、日清・日露・日中日米(大東亜戦争)などの、
当時の日本にとっての国家の命運を賭けるような、国家そのものを担保にするような、キツイ戦いの連続にはならないのです。
軍事的衝突による、小競り合い的な戦闘行為は当然あったでしょう。
しかし、侵略的意図による戦いは、大戦争にはならないのが常です。
なぜなら、戦争がビジネスだからです。
日本は侵略国家であったことは、一度もありません。
日本がどこかで、この戦争観の違いに気づき、施策を切り替えるなり、それなり対処をしていれば、全く違う歴史になっていたはずです。
今の日本の、一般的な左翼的歴史史観をお持ちの方は、どうかそのような、甘い見解はお捨てください。
でなければ、せっかくの貴重な歴史教訓が得られず、未来の日本の正しい決断ができなくなります。
それが、真に歴史から学ぶ・・・ということです。
土佐のくじらです。
今日も日米戦争の歴史を書きますが、はっきり言って今日のネタは、あまり気乗りがいたしません。
現在の同盟国の悪口を、書かなくてはいけないからです。
東日本大震災の時には、アメリカにはお世話にもなりました。そして事実上今の日本を守っているのは日米同盟です。
当然、感謝もしているのですが、やはり、言って置くべきことは、言って置かないわけには参りません。
アメリカが日本の真珠湾攻撃に対して、「卑怯だ!!」というのは、まぁ、定番コメントみたいなものですよね。
歴史史実上は、日本の真珠湾奇襲攻撃によって、太平洋戦争の火蓋が切られたことになっております。
アメリカ側から見れば、「攻撃してから宣戦布告するなんて、卑怯千万、許せん!!」
「完全な、国際法違反だ!!」ということでしょうな。
まぁ、わかりますよ。それが事実ならね。
でも、それではやはり、つじつまが合わないのですね。
真珠湾攻撃が、奇襲であったのは事実でしょう。
しかし、宣戦布告は事前にしているはずです。
なぜなら日本ほど、国際法を遵守する国家は存在しなかったからです。
日本人の民族性というか、律儀というか、堅物というか、”決まったことは守っちゃう”悲しい民族が日本人でありまして、
どこも守っていない国際法を、頑なに守って行動していたのが日本軍なのですね。
恵隆之介先生の、『海の武士道』を読んでいただければ、事実として認識されるでしょう。
海上救助活動を、国際法に則って行なっていたのは、日本海軍だけでしょうね。
他の国々は、たとえ味方が溺れていても助けなかったのですね。
助けるには船を止めなければなりません。しかしそうすると、魚雷の的になりやすく、戦闘機からも狙われやすいので、
大抵は見殺しにしていたのです。
国際法では、海難救助の時に出す赤十字旗を出した船を、攻撃してはいけません。
それで日本海軍の船は、沢山沈められているのですね。
国際法上は、もちろん輸送船舶も攻撃してはいけません。
しかし、連合軍(アメリカやイギリス)は攻撃しまくっていますね。
それで日本は、戦前から物資が途絶え、あれだけ飢えと資源不足苦しんだのです。
ですから、当時連合国側が多く支配していた中国の港を、日本は攻撃し中国大陸で戦うはめになりました。
ですから日中戦争と言われますが、中国人と戦っていた事実はほとんどなく、事実上イギリスなどの白人連合国との戦いでした。
これなども、「輸送船舶の攻撃は、国際法で禁じられているから」と、ノコノコと輸送船が行き来していたからこそ起こった出来事です。
国際法など無意味だ・・・誰も守らない・・・という発想でいれば、イギリス軍のように、護送船団方式を選択するはずなのです。
日本人は、『決まりは守るもの』という基本的な発想があります。
しかし、諸外国の発送は、『決まりは守らせるもの』なのですね。
これは、知っておかないと、戦前の日本のように損をします。
かつてほどではないにせよ、これはまだ生きています。
特に今の中国は、この思考が強いです。
ですから生真面目な日本人は、真珠湾攻撃に先立ち、宣戦布告をしているはずです。
渡部昇一先生は、『アメリカ在住の外交官による過失説』を唱えていますね。
そうかも知れません。しかしそれでも、つじつまが合いません。
なぜなら、船で日本からハワイに至るまで、アメリカ側が気づかないのはおかしいと思うからです。
日露戦争時、ロシアの黒海から出航したバルチック艦隊のことを、当時の日本は知っていました。
それより後でのアメリカは、日本海軍が日本の港を出発していたことぐらいは、当然知っていたはずなのです。
ミサイルや、超音速戦闘機ならいざ知らず、船ですからね。
わからない方が、どうかしているんじゃないでしょうか?
また、アメリカの陰謀説も、実際にありますね。
日本軍侵攻を、当時のアメリカ大統領は知っていて、国民には知らせずわざと攻撃させ、戦争への参加に意欲的ではなかった、当時のアメリカ世論を鼓舞した・・・。
というものです。
第2次世界大戦前のアメリカは、モンロー主義政策など、アメリカ本土以外への大国との戦争にアメリカ国民は消極的で、
自分たちから他国へ宣戦布告できなかったのですね。
F・ルーズベルト大統領も、「戦争に参加しない。」という公約を掲げての、大統領当選でした。
またF・ルーズベルト大統領の有名なニューデール政策も、それほどの経済的成果を上げられておらず、
太平洋戦争なくば、アメリカが経済復興することはなく、世界一の経済大国にもなれなかったという分析もあります。
つまりアメリカ政府は、戦争特需が欲しかったという分析ですね。
しかし私は、「まさか、自国民に被害が出ることを承知で、そんなことができるだろうか?」と疑っていたのです。
けれどもある時から私は、その陰謀説を信じるようになりました。
それは、建築関係の仕事をしている友人から教えてもたったのですが、
2001年アメリカで発生した、あの9.11テロのツインタワービル破壊の映像は、
建築関係者から見れば、ありえない映像なのだそうです。
どういうことかと申しますと、
飛行機の衝突では、鉄筋コンクリートのビルは、あのようには壊れないからです。
つまり、ビルに飛行機が突っ込んだら、飛行機が爆破してそれで終わるか、もしくは爆破の威力で、ぶつかった所が吹っ飛ぶだけらしいのですね。
要するに、ビルに飛行機が突っ込んでも、ビルの飛行機がぶつかった部分だけが破損するだけで、
ビルは倒壊までは至らないのです。
多くの方があの映像をニュースでご覧になったと思うので、よく思い出していただきたいのですが、
見事にビルが崩れ、他の場所にはビルの残骸が散乱しておりません。
また、ツインタワー以外の他の場所に、全く影響がなかったですよね。
建築関係者の友人曰く、
「あれは、計画的にビルを壊した時の映像なんだ。」
「計算して、事前に鉄筋に切れ目を入れて、小さなダイナマイトを仕込み、一斉にスイッチを入れると、ああいう感じでビルは崩れるんだ。」
「一つだけなら、偶然ということもあるかも知れない。しかし二つとも同じ破壊映像というのは偶然ではありえない。」
「あれは建築筋の人には、一発でわかる疑惑の映像やでェ。」
これは別の筋からの情報ですが、破壊されたツインタワービルは、9.11の直前に高額で売却され、
しかもビル所有の新オーナーは、ビルの破壊で、多額の保険金を得ているとのことです。
アフガニスタン侵攻、そして第2次湾岸戦争への大義名分を得るためにのアメリカ政府の陰謀・・・かもかもです。
今では友達作戦の同盟国アメリカ、頼りになる世界の警察アメリカ・・・ではありますけど、
アメリカは、完全に信頼しきってもいけない相手でもあると、私は考えています。
日本はそろそろ、自国は自分たちで守るという意思を、持たねばならないと思います。
他国に国防をゆだねることは、最も危険な選択だからです。
少なくとも今は、沖縄から米軍を出すべきではありません。
日本の有事に、他の地域から駆けつけてくれる保障は、完全にはありません。
少なくとも米軍が沖縄にいれば、彼らに日本を守る気はなくとも、自分たちの命を守るためには戦うはずです。
さあ、どうする日本!!
土佐のくじらです。
私は、「日本は悪いことをしたから、空襲や原爆を落とされた。」と言う言葉が大嫌いです。
まるで日本人原罪論ですね。
しかし、よくよく踏みとどまって考えた時に、これまで私が述べて来たように、
日本の先の戦いは、ある意味では、国防戦であったと思っておりますし、
日本の人種差別撤廃理念が原因ならば、神様の理念の体現でもあったとも思います。
神仏が愛であり慈悲の御存在であるならば、人種差別による世界の統治など、望んでいらっしゃるはずはないからです。
日本が当時の国際社会において理解者がおらず、孤立したのも、当時の世界の当たり前の価値観が、
人間として間違っていたからです。
この時代的価値観は、いつかは決着をつけなければいけなかったと思います。
これは有色人種である日本人の繁栄と自由を守る上でも、重要な勇気ある決断だったと私は思います。
ともあれ、「人種差別で国家運営や、国家統治をしてはいけない。」
この、現代では当たり前になっている価値観に、当時の世界で唯一気付いていたのが、戦前の日本人だったのです。
これは今、世界では当たり前の価値観のはずです。
実践できているかどうかは、また別の問題ではありますが・・・。
アメリカなどは民主主義国家の代表とも言われますが、アメリカ国内の人種差別的な施策や対応は、
1970年代までは当たり前のように行っておりました。
これは、キング牧師の活動の事実や、TVドラマ「コールドケース」などを見れば、とてもよくわかります。
現実、日本を占拠したGHQをはじめ、駐屯したアメリカ兵は全員白人ですよね。
と言うことは、これは白人以外は兵役にも就けなかった事実を現しております。
これは当時のアメリカ国家が、国内の黒人種を信じていなかった証拠なのです。
空襲や原爆投下ですが、日本に非があるとすれば、
無差別爆撃を受けるということは、日本周辺の制海権、そして制空権を、完全に失っているということです。
そういった意味での軍事的、国防的な失策は責められる点です。
また、そういった状況に合ってもなお、戦争を止めるという決断ができなかったことも、大きな反省点かと思います。
しかし、米軍が実際に行った、空襲や原爆投下などの、日本の市街地の無差別爆撃は、
禁じられている非戦闘員への虐殺行為であり、明らかな国際法違反です。
これだけは、知っておかなければなりません。
日本が悪い国だから爆撃された・・・のではなく、明らかに、米軍はやってはいけないことをやっているのです。
無数のB29による、じゅうたん爆撃・・・日本人なら、当たり前に浮かぶシーンです。
日本人の戦争のイメージの大部分は、恐らくこういう風景ではないでしょうか?
しかし爆撃機というのは、本来はね、軍事施設を狙う戦闘機なのですよ。
市街地を全て焼き尽くす、破壊しつくすなんていうのは、こんなのは、人間の考える作戦ではないですよ。
それでどれだけ、市民が死にましたか。
戦争と言うものは、戦闘行為でしか死者を出してはいけないのです。
これなどは、当時のアメリカが、日本人を人間扱いしていなかった証拠です。
つまり当時の彼らにとって、人間とは白人のことだったのです。
また広島型原爆と長崎型原爆とでは、ウラン型とプルトニウム型と、その形式が違いますよね。
ということは、これは実験を行ったとしか思えないです。
現在は日本の同盟国であり、これ以上言うのは何かとは思いますけれども、
全くもって、腹立たしいことではあり、日本人としては、煮え湯を飲まされる心境です。
日本人よ、愛する同胞たちよ。
これは、「日本人が悪いことをしたから。」などと、発想してはいけない出来事なのです。
それは、間違った原罪思想です。
アメリカがやった爆撃機による無差別空襲も、原爆投下のいずれも、非戦闘員の虐殺を禁じた、明確な国際法違反です。
私が考えるに、アメリカ軍が行った明確な国際法違反を、真意的に正当化するために、
日本性悪説や、日本軍による南京大虐殺、そしてアジアにおける非人道的な行為などを、創作する必要があったはずです。
アメリカの動機は、「戦争を早く終わらせるため。」ではなかったはずです。
「アメリカ兵士の人命を、少しでも少なくするため。」でもなかったはずです。
空襲をしても、原爆投下をしても、その理念達成には無意味だからです。
なぜなら、制海権・制空権を制覇した時点で、相手は終わっているからです。
それがわからない軍事専門家はおりません。
ソ連の宣戦布告の意向を知り、連合国内でのイニシアチブを取る、すなわち、
アメリカが日本をやっつけるのに、連合国内で一番手柄があったことを示すためだけだったはずです。
時系列的に見れば、それで全てのつじつまが合います。
そして、非戦闘員の虐殺などは、武器弾薬などの物資が、有り余るほど豊富な状況下でなければ不可能です。
また、戦っている相手を、人間ではないと思えなければ不可能です。
そのいずれにも、日本人は相当しません。
それを今まで私は、ブログ記事で証明して来ました。
それが出来るのは、当時の世界では、アメリカやソ連など連合国側の国々のはずです。
全ての日本人の方々に、私は言います。
空襲や原爆投下は、「日本人が悪かったから」ではありません。
これからは、日本人性悪説を聞いたら、こう言い返してください。
「アメリカよ、恥を知れ!」と。
「何が、独裁国家を世界から消し去った・・・。ですか!」
「ソ連や中華人民共和国は、どうするのですか!」
「人としての、恥を知りなさい!」
「その非人間的な軍事判断に対する、神の涙を知りなさい!」と言い返してください。
「では、B29の市街地無差別爆撃が国際法違反というなら、日本の宣戦布告前の真珠湾攻撃も、同様に国際法違反ではないか。」
そうおっしゃる方も、当然いらっしゃるでしょうね。
その件に関しては、後日に私見を述べてみます。
土佐のくじらです。
太平洋戦争=大東亜戦争は、日本にとって暗国史観のように言われます。
しかしそれは、世界に残る史実からの検証ですね。
しかし果たして、実況見分ができているでしょうか?
裁判では、証言も大事ですが、それを裏付けるだけの、証拠も必要ですよね。
日本は侵略国ではありません。
アジアの人々に迷惑もかけておりません。
日本軍はインドネシア(当時のオランダ領東インド)にて、
それまで非戦領民であった地元住民による、自国軍を創設しております。
これは当時の日本が、侵略国家でなかった明らかな証拠です。
侵略的理念なら、反乱の恐れのある自国軍の創設など、絶対に絶対にしないです。
新設のインドネシア軍が、防衛の力を持ちえるまでの統治しか、日本が考えていなかった絶対的な証拠なのです。
ABCD包囲網下の日本は、インドネシアの石油資源が、欲しくて欲しくて仕方なかったでしょう。
しかし、インドネシア住民の自由や富を、日本は奪うつもりは全くなかったのです。
インドネシア軍創設の事実は、インドネシアを国家として育て、国通しのお付き合い状態に導きたいと、
日本が考えていたとしか思えないじゃないですか?
他に、どう説明すれば、この事実のつじつまが合いますか?
オランダは、インドネシア住民の富と自由を長年奪い、搾取し続けていました。
侵略者がどちらかは、はっきりしております。それは連合国側なのです。
当時の日本は事実上、全世界と戦っておりました。
アメリカは、日本とだけ戦いました。
だから負けたのです。
アメリカ単独ならば、短期決戦に持ち込め、恐らく勝利しておりました。
開戦時は日本の方が、軍事力は上でした。
よく先の大戦は、民主主義国家vs全体主義国家との世界大戦であった。
世界から「この戦いで全体主義国家を撲滅した、正義の戦いに、連合国は勝利した。」とも言われます。
しかしそれは、見方が甘いと思います。
そして勝った方が、ええ格好し過ぎです。
戦後も、ソビエト連邦や中国など、かつての連合国(今の国連常任理事国)から、超全体主義国家が生き残りました。
連合国側とて、民主主義国とは言えなかった訳です。
アメリカと言えども、国家から民主主義的な扱いを受けていたのは、白人のみです。
当時の彼らの民主主義は、白人だけの民主主義なのです。
ではどういう位置づけに、先の大戦を言い表せば良いのでしょうか?
それは、「人種差別国家(全世界)と、人種差別撤廃国家(日本)との闘いであった。」ということです。
こうであれば、歴史の全てのつじつまが合うのです。
日本は、ドイツやイタリアなどファシズム国家と同盟を結ぶましたが、これが間違いなのです。
彼らとは連携して戦闘したことは、一度もありません。
日独伊三国同盟は、敵の敵は味方・・・程度の連携だったはずです。
その証拠に日本は、ナチスドイツの民族差別には組みせず、ユダヤ人を亡命させています。
しかも敵国アメリカにです。
ここの部分で、日本は一本筋が、ビシーッと通っているのです。
どうせなら日本は、単独で全世界と戦うべきでした。
実質上はそうなのですから・・・。
ドイツ・イタリアは、はっきり言って、足手まといでした。
力及ばず、負けはしましたけど、その理念、戦いぶりは見事であった。
その理念は、その後の歴史に大きな影響を与えた。
これは事実です。
200年以上続いた植民地時代を終わらせ、世界に、「人種差別はいけないことだ。」という共通認識を、完全定着させました。
これは、日本の戦いなくしては、歴史に存在しないことです。
ですから日本人は、大きな顔しても良いのです。
日本が、引き際が悪かったのは確かです。
それは国防戦だったからです。
侵略戦争なら、ヤバくなれば撤退し、交渉すれば良いのです。
国防戦ですから、引き際は難しかったでしょう。
そのため引き際を見誤った結果、負けた時の被害は、甚大なものになったでしょう。
しかしその誇り、その輝きだけは、決して失ってはならないのです。