土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

もしも秀吉が、朝鮮征伐をやらなかったら。

2013-10-06 06:30:00 | 歴史のミステリー

土佐のくじらです。

さて今回は、安土桃山時代最大のミステリーに挑戦です。
それは秀吉の、悪名高き朝鮮出兵に関する、私なりの見解でございます。

歴史にIF(もしも)はタブーとされております。
それは何故だかは、私も深くは存じません。

しかし、「もしも○○だったら。」という考察を通して、当時の背景や当時の人々の意図が見えてくることも数多くございます。

たとえば、天下統一目前の信長が、本能寺の変により急死しなければ・・・、
全方位戦を展開し、領地の外側全部と、朝廷内部に多くの敵に囲まれた信長は、どこかで頓挫し、織田家そのものが苦境に立たされていただろうと推測いたします。

それがある意味で、織田家の内部の人間の裏切りである、本能寺の変の本質なのかも知れません。

そこで、タブーである歴史のIFを使って、現代の日韓関係にも影響を与え続けている朝鮮征伐を分析し、もしも朝鮮征伐がなかったらどうなるかを検証すると、違った歴史観が芽生えます。

私の見解を申せば、

もしも朝鮮征伐がなかったら、朝鮮はフィリピンや東南アジア諸国のように、ヨーロッパの植民地としての歴史を歩んでいた可能性が高い・・・という結論に至ります。

つまり、今韓国や北朝鮮などで、現実に朝鮮民族が存続しておりますが、秀吉の朝鮮征伐なくば、民族として存続している可能性は低い・・・ということです。

ではなぜ、秀吉は朝鮮に兵を出し、この地を占領しようとしていたのか?

答えは・・・

出兵するリスクと、出兵しないリスクを比較した場合、出兵しないリスクの方が、遥かに大きかったから・・・だと、私は考えます。

出兵の動機は、色々あると思います。

生前の織田信長の意思であった・・・。
そうかも知れませんね。

信長自信が朝鮮半島や、中国大陸にまで進出する意思を持っていた可能性があります。

世界最大の軍事力の削減・・・
そうかも知れません。

当時の日本は、世界最大の軍事大国でした。
その巨大な軍事力が豊臣政権に、いつ刃を向けるとも限りませんし、世界最大軍事力ならば、朝鮮や明であっても制圧できますね。
使える資源は使おう・・・こう思っても不思議ではありません。

ただ私は、これら一般的に言われている単純な侵略説に加え、当時既に始まっていた大航海時代における、対スペイン・ポルトガル対策もあったのではないか・・・と考えるのです。

当時の日本は、世界最大の軍事力を誇っていました。
鉄砲の数では、全ヨーロッパを凌ぎ、100年の戦国時代によって、屈強な武士が100万人単位で生きていて、しかも分裂国家から、平和裏に統一されていました。

秀吉時代は、明治維新と同じ状況下にあったわけです。

また、侵略の橋頭堡の役割を演じていたキリスト教を禁じ、占領を画策する宣教師たちを駆逐しました。
スペイン・ポルトガルの侵略対策と見れば、秀吉の施策は完璧です。

遠い国から船に乗って来る、スペイン・ポルトガルという侵略国家から見れば、侵略の対象にはなりえませんでした。
なぜなら、彼らは遠いヨーロッパから船で来るので、大量の軍隊は送り込めません。

ですからとてもとても、日本占領などは不可能だったのです。
日本は、武士が多く、今で言うならば陸軍が強かったので、占領できなかったのです。

東南アジア諸国やフィリピンなどは、鉄砲で脅せばひるんで降参しました。
また前衛部隊であった、キリスト教の布教により、国内に侵略の手引きする人もありました。
実はこの方法でしか、スペイン・ポルトガルは侵略する術を持っていなかったのです。

しかし日本人はなんと、鉄砲を自前で大量生産してしまいました。
ヨーロッパ人からすれば、驚愕の事実だったでしょう。

そして、ここからが本編ですが、キリスト教と軍事力との合同での日本侵略を諦めたスペイン・ポルトガルが、もしも、朝鮮半島に眼を向けていたとしたらどうでしょうか?

一変に、事情は変わってまいります。
朝鮮半島をスペイン・ポルトガルが侵略し、武装化した朝鮮人を使って、朝鮮半島から日本に侵攻することがあれば・・・これは日本からすれば、大変な脅威となります。

秀吉の朝鮮出兵・・・。
これは、スペイン・ポルトガルが動き出す前に、日本が朝鮮を(できれば)支配する・・・この目的のために、行われたのではないでしょうか?

別に、戦に勝つ必要はありません。
勝てば儲けものです。

実際には配下の大名たちに、朝鮮に行かせておりますね。
ということは、大名たちは自前の資産で出向くのですから、豊臣家にはそれほどの負担はありません。

本当の敵が、朝鮮や明ではなくスペイン・ポルトガルであるならば、いつでも大量の軍人を、日本から朝鮮半島に出兵できることを、スペイン・ポルトガルに、見せ付けるだけでよいのです。

朝鮮で兵隊が死んだとしても、それは豊臣家を狙う武士が減ることも意味します。
秀吉からすれば一石三鳥ですね。

一方、もし出兵せず、スペイン・ポルトガルの朝鮮支配を許すことになれば、これは大変なリスクを、日本は背負わなければならないのですね。
明治新政府の征韓論と同じ理屈で、朝鮮征伐を行ったとしか、私には思えないです。

本当に侵略するつもりならば、朝鮮半島南端・・・かつての任那(みなま)のあった辺りに足場を構え、制海権と兵站ルートを十分に確保して後、調伏などを駆使してやるのが筋だとと思いますし、その方が現実主義的な秀吉らしいです。

実際は短時間に、朝鮮半島全域に戦線が広がっています。
これは信長型の、全方位殲滅戦です。

これでは、兵站(人員や食料)が追いつかないと思います。
(ですから、もうろくした秀吉のわがままな戦・・・と言われるのでしょうね。)

しかし最初から、ただ暴れるだけが目的の戦・・・つまり、スペイン・ポルトガルに、

「世界一の軍事大国日本は、いつでも朝鮮半島に出兵できるぞ!」と、見せ付けるのが目的ならば、この軍事行動の意味も理解できます。
そして朝鮮征伐は、秀吉の死をもって終了いたしますが、これも当初からの予定かも知れません。

ともあれ歴史とは、”当時の、多重な価値で判断した結果”でありますので、現代において、一面的な価値判断は決してできません。

ただ結果論だけで言えば、秀吉の朝鮮征伐があったから、スペイン・ポルトガルは東アジア侵略を諦め、朝鮮や明はその後何百年に渡り、国家と民族を存続できたと私は考えます。

                                                                      (続く)

 

 


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown ()
2013-10-06 08:59:58
なるほど。

そうしてみると、

秀吉が朝鮮出兵しない場合の戦略は、

まるで、今と比べると、本土決戦専守防衛にみえるね。

本土決戦の専守防衛となると、秀吉側かわみれば、

国は荒れるは、政権は危うくなるは、非情にリスキーですね。

逆に、朝鮮出兵は、敵地先制攻撃型ですね。

敵地先制攻撃だと、こちらのリスクが非情に小さくりますね。
返信する
専守防衛とは。なるほど。 (土佐のくじら)
2013-10-06 10:00:20
英さん、コメントありがとうございます。

朝鮮征伐なし=本土決戦専守防衛。
なるほど、それには気づきませんでした。(笑)

朝鮮内に、キリスト教が布教し始めていたら、敵地先制攻撃ですね。

つまり秀吉は、朝鮮から侵略者を追い払った!
と言えると思うのです。

返信する
Unknown (Unknown)
2014-09-01 23:07:07
今更のコメント失礼します。検索からこのサイトにたどり着きました。
正直私も国内しか見ていませんでしたので、スペイン・ポルトガルを見据えた示威行動だったという見方は目から鱗です。確かに、宣教師がなぜ世界中で布教していたかを考えれば非常に合理的な対策ですね。
今年の大河ドラマ(軍師官兵衛)ではどのように描かれるか楽しみです。
返信する
ようこそ。 (土佐のくじら)
2014-09-07 15:58:12
Unknownさん、コメントありがとうございます。
お返事が遅くなって申し訳ございません。

世界史と日本史は、一緒に学ぶ必要がある思います。

日本はなぜこういう判断をしたかは、世界の中の日本という概念がないと、真実の見解は得られないと思います。

昔の人は日本限局の世界観しかなかった・・・というのは、現代人の驕りだと思うのです。

黒田官兵衛は見れていないですが、注目してみようと思います。
返信する

コメントを投稿