古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

いよいよと言おうか

2009-08-24 00:26:53 | 日記
その1 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年7月21日(火)くもり時々小雨

いよいよと言おうか、やっとと言おうか、遂にかくと言おうか動き始めることにしました。

中央高速を大阪に向かう。諏訪2時/2時15分、養老4時40分/4時55分、京都6時15分/6時20分、天王山トンネル6時35分、大阪梅田7時20分

到着予定時間より30分も早く着いてしまう。地下鉄切符売場で行き先を少し考えてしまう。フェリー乗場駅とコスモスクエア駅がある。フェリー乗場駅には乗換えて行かなければならないようなので記憶では乗り換えなしと判断し記憶にあるコスモスクエア駅にする。フェリー乗場駅というのがどうにも紛らわしい。

大阪港国際フェリーターミナルに8時には到着してしまう。
8時20分受付9時出国、乗船

今10時15分、乗船して、ビール一本を空けて少し落ち着いてラウンジ。10時出港とのことだがまだ動かず。今までのバタバタの全ては何だったのだろう。おかげで、あの一番大事な保温カップをバスに忘れてしまった。お茶が美味しく飲めて重宝していたのに、残念。中国での最初の買い物はこれに決まりだ。
二本目のビールも今、空になった。

S駅より大阪までの道のりは連休の影響でドキドキ物だったが、今こうやって新鑑真の客に成っているという事は結果オーライであったと言うことです。

10時30分離岸する。

皆既日食ツアー客が結構乗っている。そして相変わらずのバックパッカーが。
①年季の入ったプロのおっちゃんパッカー、②若者を捕まえて得意気に説教する自称日本のアウトロー、東南アジアのヒーロー、③駆け出しの青葉マークのパッカー、④この世の憂いを全て背負い込んで旅に人生を探す哲学派パッカー⑤失恋に打ちひしがれて、どこで死のうかと迷っている青年、壮年、熟年、老年パッカー。
周りにはその外にも、マダマダ色々なパッカーがいる。暫く観察していても十分に楽しめる。

20時、夕食後の食堂でビールを飲んでマッタリして、ボワッとしている。
多少のシガラミは残るが、真白なスタートにしよう。今日から新しい日々を生きるのだから。その為の出航なのだから。

外は、漆黒の暗闇。星も月明かりもない。


2009年7月22日(水)曇りのち小雨

6時起床 進路WSW 240度 気温29.5℃(623,3F甲板、15m)湿度はかなり高い。100%か。気圧は出航時より大して変化はない。1005mbを示している。
全天が厚い雲に覆われて何も見えない。太陽はもう昇っているのだろうが太陽の「た」の字も方向も解からない。皆既日食は大丈夫なのだろうか?

6時55分(進路270度) 6時57分(145度) 7時00分(150度) 7時02分(267度) 7時10分(259度) 7時26分(270度)
進路が小刻みに左右している。日食のルート取りの為だろうか。何れにしても今回の航路は皆既日食のルートに入る為に通常のルートよりも南に下がり少し遠回りをするようだ。雨も時々降る。

新鑑真号の入口の大きな掲示板に7時30分観測帯進入、10時30分皆既日食中心と書いてある。
今、正にその10時30分。何の変化も無い。もう皆既日食は終わったのか?5~6分の回帰と言うから、今10時40分相変わらず何事も無い。雨も少し降っているようだ。

あれ!何か少し暗くなってきたみたい。急いで、4Fの甲板に出ると、大勢の人々が居て騒いでいる。数分もしないうちに本当に暗くなってくる。船の進行方向の前方は真暗である。上天は雲が厚く、どの方向に太陽があるのか何も見えず。隣のネーちゃんがあっち、あの方向で見えたと騒いでいるが、雲以外何も見えない。突然に真っ暗闇になる。本当の闇夜になる。何も見えない。あっちこっちで歓声が上がる。フラッシュが焚かれる。大きなざわめきが襲う。10時50分だ。そうだ、看板には10時30分、誰かの情報は10時40分、何かで見た資料は10時50分。 今、10時50分

真っ暗闇。本当の夜中の状態。今が皆既日食100%だ。フラッシュが焚かれ、歓声が上がる。皆既日食が見れなくても、この暗闇で十分だ。感動する。そんな声があちこちから聞こえる。

今20時、進路はNW(315度)。 昨夜と同じラウンジでビールでマッタリとしている。
何処にでも顔を出し、ワイワイ騒いでいる御仁、孤高の人宜しく独酌している御仁、深い悩みに沈潜している御仁、異国の雰囲気で舞い上がっている御仁、百人居ればそれだけの表情がある。旅人である人々にとっては非日常の世界である新鑑真は正に異国そのものである。

正にも負にも虚にも外れている人々の群れである。何か一つの範疇に括るのが難しい。
それが、旅。連れづれなるが儘の世界であろう。その為に旅に出るのだろうし、その旅に病むのだろう。
旅の恥は掻き捨てとかの諺もある。実も有れば虚もある人生模様。色とりどりの人生を色とりどりに語る。全て旅の上の一夜の夢いや旅物語であれば、全てが許されるのであろうか?
心の中の隙間を埋めて、何の人生か?いや、それこそが旅の醍醐味であり、旅の癒しなのではないか?

何十年ぶりかの皆既日食の日の夜に、真暗の闇のトバリの中を上海目指して船はWNWに進路を取った。

気圧は多少上がった。


2009年7月23日(木)くもり

何度目かに目覚めた5時に起きる。
船は既に長江の流域に入ったようだ。海の色が完全に混濁色だ。

明るくなってきた。東の空が白んでくる。ひととおり全空を眺め回してから部屋に戻る。パッキングを行う。7時30分より朝食。さすがに昨日よりは混んでおり、7時30分で既に最後尾だ。
接岸時刻に合わせて船を進めているかのように船足が遅い。曇り空にガスがかかった様で全てがボウーとしている。
接岸準備中の乗組員や中国海軍の施設、艦船等を写真に撮る。

新鑑真は予定どうり9時に上海国際フェリーターミナルヘ接岸した。

7月23日(木)9時30分 中国大陸に上陸する。事前に記入しておいた健康申告書を提出する。記入内容についての質問があり旅行の旅程に付いても色々と聞かれる。上海の滞在日数はとか、その後は何処に行くのか等々を聞かれる。今迄で初めての経験だ。
小さい子供も含めて、顔写真なのかサーモグラフィーなのか一人一人カメラの前に立たされる。

少しも混んではいないのだが、結局、税関を出たのは9時50分を過ぎていた。

税関を出て、東大名路の少し左手に行った銀行で両替をする。一万円が702元で一元が14円だ。つい先日は13円位だった筈だがドルが上がったのだろうか。確かドルに元が連動していた様に思う。

道路の反対車線が中心街へ向かう車線なので、中国は右側通行なので、税関の出口の信号まで戻り、道路を横断して反対側に渡る。最初の停留所は、臨時停留所と書いてありなおかつ目的の番号系統のバスは止まらない様だ。更に数百メーター歩いたあたりで歩道まで占領して工事をしている所があった。そこで若いおネーちゃんが作業している男に何か話しかけている。そしたら「サンシーチイー」と言うのが聞き取れた。男がもっと前方を指差している。若い女の子に「サンシーチイー?」と問いかけると、「ウン」と頷く。そうです37番のバスに乗りたいのです。本来その辺にあったバス停が工事で移動したのだなと思い、更に女の子に「レンミンガンジョウ?」と聞いてみる。女の子は「OK」と答え「Are you japanese?」と返ってきた。そして「taxi?」。「No by チーシャ」と言ってみる。そうです。37番のバスで人民広場に行きたいと言う会話なのです。見事に通じました。更に数百メーター進んでやっとバス停に着く。五六百メーターは歩いたろうか。

バスが人民広場前近くまで来ると、更に親切に此処だと肩を叩いて教えてくれる。「シェーシェー」初めて中国語で返事をしてみる。

インターネットの地図の記憶を頼りに目的の旅舎をめざす。人民広場の北側の道路を西に、、、はじめにJW万豪酒店が目に入る。左折してすぐに江陰路の標識を見つける。後は番号を追っていけば良い。51番から57番になり目的の55番が無い。少し先のほうまで歩いて見るが重慶路になってしまう。引き返して先ほどの57番を良く見ると旅舎の看板が有るではないか。今度の旅での最初の一寸した失敗をしてしまった。

早速チェックインする。
中国ユースホステル協会の会員になる。入会金は70元。早速、旅舎の料金が60元から55元になる。5×6=30元は回収したことになり、直ぐに元は取れそうだ。
11時には全てが済んでしまう。

残る今日の仕事は中国銀行に口座を作ることと地図の購入だ。

中国銀行ぐらいであれば、日本語を話す人の一人や二人居るはずだ。それぐらい日本の企業が上海に進出しているはずだろうから。簡単に講座の開設、預金ができるはずだ。
人民広場の中国銀行の看板を見つけて入るが何となく雰囲気が違う。銀行の支店ではなく、ATMの事務所みたいな感じの所だ。まあ、小さくて、人が少ないので早く手続きが済むかもしれない。

結果的には予想を超える時間が掛かってしまった。日本人を相手にするマニュアルを持って来ての対応だから、一寸した質問にも、マニュアルに目を通して確認している様だから、当然時間が掛かる。

それでも30分程で、全て済んでしまう。これでクリアー。
普通預金と定期預金をする。普通預金は全国のATMで引き出せるはずだし、定期は確実に中国の方が良いはずだ。

南京西路の新華書店で全国鉄路旅客列車時刻表7元 中国地図冊 25元を購入する。


2009年7月24日(金)雨のちくもり

上海の初日の朝は雨の音で目が覚めた。
魯迅公園、魯迅記念館 を見学する。
上海劇場博物館見学(上海博物館と間違えて入館する。)


2009年7月26日(日)晴

7時10分に朝の散歩にでる。南京西路を西へ、西へと歩く。引き返し地点8時15分。同じようなペースで、もと来た道を中心にぶらぶらと帰る。旅舎着9時10分丁度2時間の朝の散歩。歩数も丁度一万歩。若干汗ばむ。

一歩裏通りに入れば、まだ旧時代の上海に出会える。古色蒼然たるレンガ造りの家並みの中に、人々が暮らしている。しかし、そのほとんどは60歳以上の老人たちばかりだ。子供の姿が見えない。子供の遊ぶ姿が見当たらない。声も聞こえない。やはりどこか異常な感じの町並みである。

こんな街裏の区画整理に伴う立ち退きの要求があるのか不明だが、この国ではお上の決めたことには何の文句も言えないのか、ちょっとワザと気味な横断幕が風に揺れている。
地元住民の意見も取り入れて、人民の豊かな未来を切り開こう。総意を建設に。いかにも白々しい。
正式な反対運動などしたら、それこそ反動分子なのだろうか?

小さな公園でオバサンが一人、太極拳をしている。

今日は日曜日なのだが、あちこちから工事現場の騒音が聞こえてくる。
時々蝉時雨。中国の蝉は波が寄せては引くように鳴く。ピタッと止んで遠くから次の波が押し寄せてくるように大きくなってあたり一面に蝉時雨れる。日本のように同じ調子で何時までも鳴いていない。

午後から上海南駅へ切符を買いに行く。

31日に昆明に移動することにしました。
目的も何も無い旅ですから、何もしなければ何も起こらず、何も起こらなければ、何もせずでは何も起こりません。少なくとも場所を移動しましょう。そうすればそこまでの日程が出来、そこまでは行くことが出来る旅程が立ちます。

何れにしても新しい街に着いたら、なるべく早く次の街へ行く切符を手に入れよう。
よくバックパッカーが陥る沈没、沈殿をしないようにする為にも次の街への心だけは持っていこう思う。
しかし反面、時間だけはフルに有る旅なのだから、ゆっくり、のんびり行くという手もあるはずである。
沈没したければそれも良しとして、旅そのものを沈没させてしまうという方法も有る。それはその時だからそれで良いのかもしれない。

上海南駅は地方へ行く乗客でごった返していたが、チケット売り場に並んで、ものの5分もしないうちに自分の番になってしまた:
7月31日 K79次 上海南~昆明 硬臥中 1帳と書いたメモを窓口の小姐に渡す。即答でメイヨウーが返って来る。少し上にメモしたK181次を指してOKとの身振りを示す。それで全てでした。たったの10分。上海から昆明行きの7月31日 181次硬臥中 1張が買えてしまった。拍子抜けしてしまった。

ものの本や旅行記では面白おかしく書いてある切符購入がほんの10分足らずですんでしまった。切符発売状況の電光掲示板を暫く眺めていたら、結構空いているし、また切符購入に並んでいる人民も少ない。今は閑散期なのだろうか?

これで今日の仕事は全て片付いてしまった。


2009年7月27日(月)くもり時々小雨

中国第一弾の観光旅行に行く。行き先は水郷古鎮の朱家角一日自助旅遊。上海旅遊集散中心を10時に出発して16時45分に朱家角から帰路に居つく一日コースの観光旅行です。

結論を先に言おう。くだらん。実にお粗末なツアーであり、お粗末な観光地、郷内の見学箇所のなんとお粗末なことか。課植園だけが辛うじて合格ラインで後は全て外れである。見る価値も必要も無い。古鎮を一巡りし課植園をチラッと見ればそれで十二分である。到着の11時から16時40分までの5時間40分のうち1時間40分もあれば十分すぎるほど見学が出来る。後の4時間は忍耐力向上訓練時間である。

帰路の集合場所の駐車場に2時間前に到着し、大淀湖周縁親水公園みたいなところでまた時間を潰す。こちらの方が古鎮よりも気分が良いように思う。最近整備したのか、都会的な湖周辺地の風情である。

雨がまた降り出す。公園内のトイレの廂で雨宿りをする。
施設管理のパートのような(私服を着ていたのでそんな風に見えた。)おばちゃんが中国語でベラベラと話しかけてきた。「プートン」と言うと、すぐに英語に切り替えてベラベラと話しかけてくる。トイレの掃除のおばちゃんが英語でベラベラと来た。
何気に通じるがチャイニーズイングリシュは発音が解からない。筆談と英語のごちゃ混ぜで話す。4時になると「Today's my work is finish.」と言って自転車で小雨の中を帰っていった。

さすが中国恐るべし。


2009年7月28日(火)くもり時々小雨
 
上海博物館を訪れる。なんと何と、入館料が無料、免費とある。一般入場者の10人ぐらいの最後に並び五、六分で入場する。土曜も日曜も長蛇の列だったが、さすがの火曜は早朝から雨が降り続いているのでほんの一握りの人民の姿しかない。待った甲斐があったというべきだろう。読みが鋭いといおうか、まあ要するに時間が余るほどに有るのでゆっくり待てたと言うのが本当のところだ。

約4時間じっくりと見させてもらう。

なんと何と、写真撮影がOKなのだ。びっくりの!!!マークだ。バッテリー一本を完全に消費、もう一本も半分以上は使用した。予備を当然用意しておいた。
200枚位は撮影したろうか。博物館内の撮影は何時も監視員の目を気にしながらの盗み撮りだったので、今回のように撮影がOKだと撮影だけに気が行って、鑑賞をしていないということ気づく。時々撮影をするのであれば良いのだが、撮影の時間のほうが長く掛かるような状態では作品を碌に見られない。
上海博物館入場料 免費 上海博物館語音導覧指南代 4元 押金 400元(押金は使用後に戻る)
  

2009年7月31日(金)晴

荷造りをして後片付けをして、それでもまだ10時。美味しい焼き小龍包を食べにと言って連れて行ってくれたのは、先日書き込んだ同じ系列の店でした。それでもやっと11時。チェックアウトして、また談話室の暑い中ボーとしている。

やっと12時30分。まだまだ早いが、いよいよもって、中国漫遊、還暦背包族の旅の始まり始まり。意を決して宿を出る。熱い。

上海南 k181次 16時19分開 候車室から15時45分にホームの列車に乗り込む。走る人は硬座席の人々だけで硬臥車へ乗る人たちは普通に歩いて目的の車両へ向かっている。空き席も結構目に付く。
16時19分定刻に発車する。発車のベルも無い。

杭州を過ぎる頃には満員になったみたいだ。


2009年8月1日(土)

360度進行方向が変わっている。いよいよ始まったなという感じである。昨日の16時から始まった旅も、もう8時間が過ぎた。闇の中を西へ走っている。何処のあたりを走っているのだろう。
予想に反して車内は清潔だし、乗客も静かだ。硬座車は如何なっているのだろう。

何度も目覚め、何度も眠り、色々な夢を見る。夢も色々で、またその夢の中でも色々な夢を見ている。ふっと目が覚め現実に引き戻され、またまどろみ。途轍もなく長い時間寝ていたようであり、また少しも寝ていないような気もする。

旅の一ページ目の上海9日間がアッという間に終わりました。
上海博物館、朱家角、魯迅記念館、上海劇場博物館、静安寺、等々

2ページ目が始まります。
旅ってほんの少し、所を移しその次の所や、その過程で何かを感じたり、見たり、聞いたりの経験をしたりする事が目的になっていないと一寸ヤバイ人に成ってしまうんではないだろうか?何もしなっかたら、、、いや、何もしないという旅を考えたら、旅と放浪もまた旅か。

5時まだ真暗、5時40分完全に明るい。

田んぼや畑でもう既に働いている人々が居る。牛を牽いて畑を耕している人も、両天秤に荷を下げて歩いている人も、まだ夜が明けたばかりなのに人々はもう働き始めている。
線路脇を歩いている人々が多い。鉄道線路は道路より歩きやすくしかも最短距離で街まで行けるからなのかも知れない。インドを思い出す。世界中同じだ。

指文字を習う。日本と少し違う。6は親指と小指を立てる。7は親指人差し指中指を集める。8は所謂チョキだ。9は人差し指で7を作る。10はグーだ。
色々と役に立つ。

上海からの親子四人組、興義の女子高生、イ族の青年等と話する。
筆談は上々だ。
一個人很勇敢、很好
 
女子高生
  你太励害座火車要自己帯糧食!火車上的食物很貴 而且不経済
  (食料を持参していない小生を見て。カップラーメンをくれた)
  謝謝 不用了 我自己帯糧食!
  (お礼にと思い 今晩一起餐庁車吃飯吧の答え)
  興義是晴天 天空上有星星 
  (我答 我希望你的人生是晴天)
  (明け方の車窓より興儀方向を眺めて女子高生の言葉、それに対する返事)
  預祝你在雲南玩得高興 !
  不用謝謝 再見 O先生 記住我
  (太謝謝你了 再見 加油の返事)

漢字を並べての筆談だが何となく良く通じる。簡体字に戸惑うが何とか意思の疎通ぐらいは出来そうだ。


2009年8月2日(日)晴
 
3時30分南寧から反転して北西へ向かう。
昨日は中文と日語の勉強会だ。日本語に興味のある列車員があいうえお表を作ってくれと言ってくる。女子学生は日漢会話集を見てカタカナを写して見せる。上手だ。

向かいの寝台の18歳の女子高校生は定刻の4時40分に興儀駅に到着し降りていった。
我希望你的人生是晴天 加油

標高1830m。昆明到着時の高度計表示。最高高度は今朝の明け方に2025mを示した。寝ている間の記録は無いが地図帳を見る限り、雲貴高原の端を一度登り、昆明盆地に下るような鉄道路線だ。定刻より少し遅れて10時10分昆明駅に到着する。

確かに涼しく、爽やかな気がする。

上海の4人組の親子と駅前で別れバスで旅舎に向かおうとするが、余りの人ごみと直射日光の強さにたじろぎタクシーにする。旅舎の名前を書いたメモを見せると了解のしぐさ、女性の運転手だ。10分も掛からずに着いてしまう。運転の荒い事、上手なこと、国際免許を持ってきたがやはりと言うか当然と言うか小生には運転は無理のようだ。

第2ページが始まった。

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