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(有)オールドマンの旅行代理店

心機一転、ジャンルを問わずです。
下手な文書です。突っ込み処満載ですが、

ちょっと、小さい秋を見つけに!

2008年11月10日 | キャンピングカーで行く小旅行

この記事は、11月1日に出かけた時の記事です。
私の友人が、前々から、私のふるさとに行く機会があれば、連れて行ってほしいと、頼まれていました。私のふるさとは、京都府の山の中の山の中・・・
京都のチベットと言われるぐらい山奥でした。今は交通の便が良くなりましたが、しかし
鉄道は通っていません。公共のバスか、自家用車で移動。その公共機関も、細切れで、時間もかかります。
過疎のすすむ町です。平成の大合併で、昔の名前も消えました。
昔は、京都府北桑田郡美山町と言っていましたが、
現在は、京都府南丹市美山町と言っていますが、これといった産業のない過疎の町
http://www.city.nantan.kyoto.jp/k-map/miyama.html
今回は、野暮用があり、突然出かけることになり、友人を誘いドライブがてらの、小旅行です。七時に自宅を出発。東名、名神、北陸道を走り、敦賀ICで、高速を降りて、27号線を舞鶴方面へ。
よく通る道なのですが、何時も気になる看板があります。それは、「国宝 明通寺」の案内板です。ただ、このあたりには、沢山の国宝の仏閣があります。
お好きな方は、ご存知かと思いますが、私は「にわか歴史家」で、頭が付いていっておりませんので間違いがあれば、訂正しますので、ご指導を御願いします。
周りは、山深く、紅葉シーズンはきっと、綺麗だろと思いつつ、走っています。今回は、友人を乗せていますので、寄って見ませんかと、誘ったところ、「見に行きましよう!」の返事。国道27号から、少し外れて、明通寺へ


堂々とした、門構えのお寺です。
本堂も国宝です。入館料を500円を払い、中へ。本堂の中で、このお寺の由緒を解説してもらいました。1258年に再建されたお寺で、創建はもっと古いようです。
紅葉はと思い、お寺の関係者にお聞きしたところ、このお寺の付近は、紅葉はおこらなくて、黄色くなって、葉は落ちるとの事。山深く、日照時間の関係でこのようになるようだとの事。
この三重の塔が、大変すばらしい。1270年に再建されたものとか・・

風格のあるお寺は、いいですね。日本人の原点かしら?
この付近には、数々の国宝、重文があります。興味のある方は、福井県、小浜を訪ねてみてください。いまは、オバマブームで盛り上がっている市でもあります。

私たちの、小中学校の社会では、裏日本、表日本と習いましたが、今は言いませんね、こうやって見ると言わない訳が分かりました。
遠い昔、日本は、大陸と交易を行ってきたわけで、その時は、日本海側は、仏教、産物、人、冨の一大集散地であったことは、用意に想像できます。
この頃は、日本海側は、大変栄えた事でしょう・・・・
いつの間にか、歴史は太平洋側に移り、上記の言葉が発生したのでしょう。
また、時間が出来たら、小浜付近の国宝、重文を訪ねてみたいものです。
その時は、又レーポートします。
このお寺を後にして、27号を外れて、国道162号線を走り、
昼食は、道の駅「名田庄」で・・

私は、そば粉に自然薯を練りこんだ、蕎麦定食をいただきました。

そばつゆが、少し甘かったのが残念です。
ゆっくりすごして、一路 茅葺(かやぶ)の里
かやぶき屋根の民家が29棟あります。
正式名は、重要伝統的建造物群保存地区 です。
問い合わせ先は、美山民俗資料館へ TEL 0771-77-0587まで、月曜日休館

秋色に山が染まりだすと、この一体は、カメラマン絶好のポイントになります。
私が、訪れた時は、御覧のとおり、後ろの山は残念ながら秋色になっていませんでした。
ただ、過疎の影響がでており、山の手入れ(後ろはどうか不明ですが)が行き届かなくて、山は荒廃してきていると、地元の方にお聞きしました。
一例は、つい最近まで、この山深い集落の地は、秋になるとマツタケの産地。マツタケ山は、この時期入札で権利を購入。落札した方のみが、入山できてマツタケを採ります。中々目利きでないと、大金をはたいて購入しても、それに見合うだけの、マツタケが採れないと、お損をする事になります。
私が、住んでいた頃には、背中のかご一杯に採れる山に当れば、人を雇って山を駆け巡りました。すごい量のマツタケが採れた事を覚えています。
私は、アルバイトで、採取に参加しました。
又、あるとき時は、不届き者もいて、道路近くのマツタケ山だと、車が故障した振りをして、見張り役を演じて、同伴者は人の山に入り、こっそりとマツタケを盗みます。
人や車(めったに通りませんが)が通ると、クラクションを鳴らし、仲間に知らせていた者もいました。時代が進んでくると、トランシーバーを持参する知能犯も出没。山を越えて、マツタケ泥棒もいました。警察の追跡も沢山見ました。
夜通し、見張り番をする姿も見ました。
その山の付近を、今回走りましたが、確かに素人の私が見ても、山の木々の下草刈りも、行き届いていません。このごろは、二三本しか採れないと、ぼやいていました。
マツタケは、松の間に、よく陽当らないと、出てきません。松も老木が多く、茶色く立ち枯れている、木々もあります。こうなると、復活させるのは、大変だと思います。
やはり、過疎が影響。下草刈りをしてくれる、若者もいない・・・・
そういう、私は親の仕事の関係で、この地を離れて今は都会暮らし。地所があるわけもなく、かってな事ばかり書いていますがね・・・
ここの暮らしが大変だとか書いたわけでもありません。住めば都と言う事も知っています。

この、集落は空き家はありません。実際に人が住み、生活しています。
これらの、集落を維持管理は大変な事と想像します。
マナーの悪い、見物人は、他人の家の中まで、押しかけてくるやからもいるとか?
集落の細い生活道路は、観光客の通路です。私もその一組ですが・・・
こんな中、若い人は住みたがりませんね。。
私が生れた頃は、この集落以外にも沢山の茅葺の家が点在していました。何年かに一度訪れると、これらの家は、新しいものに、建て変わったり、茅葺の屋根がトタンぶきの屋根に変わってきています。
生活のニーズが刻々と変化する中、しょうがないと言えば、事は簡単ですが、
残すべき物も、沢山あるのも事実です。
都会では、忘れられたものが残っているの事実です。残っている物すべて残せというのは、大変、酷な話。みんなの創意と工夫で、残せるものは、残してほしいと言うのが、田舎と都市の生活を体験したものの願いです。
コトコト回る水車。小鮒が住む清流。忘れられた、風景がここにはあります。

この場所からは、少し遠いですが、大変、きれいな水も湧き出ています。
この、水を原料にして、ペットボトルの水も販売しています。
秋の一日、春の一日、夏の一日、冬の一日。ぜひ訪れてみてください。すばらしい田舎の風景が見られるでしょう・・・!

4時過ぎに、道の駅「ふれあい広場」をあとにして、同じく国道162号線(周山街道)を経由して、京都市内を横断。市内では、連休初日と言う事もあり、渋滞。
名神、東名で、夜9時過ぎに自宅に到着。小さい秋を見つける旅は終了しました。
今回の走行距離    560キロ