いいもの見ぃ~つけた!

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<現役ミュージシャン> 意外な年齢のミュージシャンたち-小室 等

2021-01-23 08:51:29 | MUSIC

 「小室 等」

   1943年11月23日生まれの77歳。

 「フォークシンガー」の代表格。

 ピーター・ポール&マリーに影響を受けた"PPMフォロワーズ"に始まり、フォーク・グループ"六文銭"、そして吉田拓郎/井上陽水/泉谷しげるらと共に<フォーライフ・レコード>を設立と、常にメインストリームを歩んできた日本フォーク界の重鎮である。
ソロ・アーティストとしても、谷川俊太郎とのコラボレイトに代表される現代詩に歌を付けた作品の発表、沢木耕太郎や筑紫哲也をゲストに迎えたトークと音楽を合体させたコンサートを開くなど、常に既成概念を破る活動を展開。現在は、コンサート活動以外にもTVドラマ/ドキュメンタリー/映画/ミュージカルなどの音楽を手掛け、また執筆活動など幅広いジャンルで活躍を続けている。

*https://okmusic.jp/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%AD%89 より

 

フォーク界の長老・小室等 75歳の今も毎日スクワット 2019.08.27 16:00  NEWSポストセブン

 今年は井上陽水がデビュー50周年ツアー、吉田拓郎も73歳での「LIVE73」、さらにアリスも古希を記念してのコンサートなど、往年の“フォークシンガー”たちの活動が話題を呼んだが、その彼らにとって先輩にあたる小室等もまだまだ健在だ。

 1943年生まれ。1968年におもに芝居の劇中歌を担当するバンドとしての六文銭を結成。1971年の第2回世界歌謡祭では、ボーカルに上条恒彦を迎え『出発の歌(たびだちのうた)』でグランプリを獲得。この世界歌謡祭は後に中島みゆきの『時代』(第6回)、世良公則とツイスト『あんたのバラード』(第8回)などを世に送り出している。また上条とは翌年作曲した『だれかが風の中で』(ドラマ『木枯し紋次郎』の主題歌で作詞は市川崑夫人の脚本家・和田夏十)でもコンビを組んだ。

 1975年に陽水、拓郎、泉谷しげるとともにフォーライフレコードを設立して初代の社長に就任。その風貌もあって、当時からすでに“長老扱い”を受けていたようだ。その後も映画やテレビドラマの音楽を担当したり、谷川俊太郎や佐々木幹郎など現代詩人とのコラボレーションを行ったりもしつつ、全国各地で地道なライブ・コンサート活動を続けてきた。今年の11月で76歳になるが、「毎日スクワットを欠かさず、駅ではいまでもエスカレーターではなく階段を上る」。

 8月23日(金)、東京・大森の「風に吹かれて」で、六文銭時代のメンバーだった及川恒平とのライブ。「風に吹かれて」はオープンして今年で13年。オーナーは60年代から70年代にかけて活動したピピ&コットというフォークバンドのリーダーだった金谷あつし。ピピ&コットといえば、ケメこと佐藤公彦や『どうぞこのまま』の丸山圭子が在籍したことで知られている。店内に懐かしいレコードジャケットなどが飾られている、70年代の空気が感じられる「風に吹かれて」は、本来ライブハウスではなく、フォークソング好きが集まって歌ったり演奏したりする店だ。

 及川恒平は1948年生まれ。六文銭には1970年ごろから参加。前述『出発の歌』や『面影橋から』をはじめ、名盤『キングサーモンのいる島』全10曲などの作詞を手がけ、作曲家としても才能を発揮。解散後はソロ活動を経て、阿久悠の事務所に所属して曲作りに専念していた。90年代半ばからライブ活動を再開。ソロ活動の傍ら、小室やかつてのメンバーだった四角佳子とステージに立つようになる。そのユニットには、現在小室の娘ゆいが「父の介護もかねて」参加、令和の時代の六文銭として活動している。

 

 小室も及川も開演前から店内の常連客と雑談などをしていたが、19時半すぎ、まず小室がステージに上がり、もともとは小室の歌だったという松岡正剛の『比叡おろし』など4曲を披露。入れ替わりに及川も4曲歌った後、休憩をはさんでいよいよ後半へ。

『いのちかえす日』『戦場はさみしい』『引き潮』『石と死者』など、マイクを通さずとも響いてくる2本のアコースティックギターと、二人の年輪を感じさせるハーモニーを堪能した。小室の指はまるで自在に伸縮するかのようにしなやかで、天井の高い空間にいるだけで、言葉にできない心地よさを聴く者にもたらしてくれる。

 客席は(おそらく)かつての六文銭をラジオの深夜放送などで聞いていた世代が中心で、歌だけでなく合間のおしゃべりにもいちいち頷きながら反応している。けっして息を詰めて聞き入っているわけではなく、曲間にはアルコ―ルを口にしながら隣席の人とささやきあったり、みずからも控えめに口ずさんだり。そういえば、第2部では小室自身、IWハーパーの水割りをなめながらのステージだ。

 アンコールはそれまで聴く者だった四角とゆいも加わってにぎやかに『ぼくはムギを知らない』。昨年50周年を機にリリースしたアルバム『自由』の最初に収録されている曲だ。

 この日は『雨が空から降れば』や『出発の歌』といったかつてのヒット曲は聞くことができなかったが、それゆえに昔からのファンもノスタルジックな気分にひたるのではなく、いまも先を見つめている二人を実感した。

●文/東田和美

*https://www.news-postseven.com/archives/20190827_1439682.html/2 より

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<日本酒> 福島 東豊国/豊国酒造

2021-01-23 08:49:04 | 日本酒

 【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(仙台国税局)】
 〈福島〉 東豊国/豊国酒造

 

 伝統・格式の継承と、現代嗜好への融合
 阿武隈山系に位置する自然豊かな小さな町、古殿町にて、江戸時代の天保年間に創業し200年以上にわたって酒造りを行ってきました。
出荷の大部分は、石川郡及び旧東白川郡を中心とした“地元”で消費されてきました。
 創業以来受け継がれてきた伝統と格式を重視した『東豊国』。
 そして、「伝統・格式+モダン」のコンセプトのもと2011年より9代目蔵元矢内賢征によって新たに創られた『一歩己』。
 この2つの銘柄を軸に、“伝統・格式の継承と、現代嗜好への融合”を掲げ、酒造りを行っています。

 地元の自然の中で生まれ、そこに集う人の手で育ち、そしてそこに暮らす人々に愛される
 地元の農家さんが手塩にかけて育ててくれたお米を原料に、地元から湧き出る阿武隈山系の伏流水でお酒を仕込む。全国を見渡せば、もっと酒造りに向いた原料があるかもしれませんが、それは“酒造り”に適した原料であって、私どもが考える“地酒造り”では、地の水、米が最高の“地酒”を産み出すと考えています。
 また、機械による効率化・大量生産を追い求めるのではなく、人の手が行き届く酒造りを行っています。その日の気温・湿度、米の出来によるわずかな違いを五感で感じ取り、自然と対峙し、受入れ、活かすことで、この地でしか醸しだせない “地酒の味”を産み出します。

 “地酒として当たり前”という思い
 そして、自然の恩恵の上に私たち造り手の思いが加えられ出荷される日本酒が、そこに暮らす人々の日々の暮らし、喜怒哀楽に寄り添う事で、“地酒”が完成すると考えます。
 “自然の恩恵を活かす”“人の手で醸す”“暮らしに寄り添う”この3つのこだわりを持ち、酒造りに取り組んできたからこそ、これまで約200年、この地の“地酒”であれたのだと思います。

*https://item.rakuten.co.jp/sake-obaasan/1072070/ より

 豊国酒造 合資会社 福島県石川郡古殿町竹貫字竹貫114

 銘柄一覧

 「一歩己-いぶき」純米原酒・無濾過純米生原酒・うすにごり・純米吟醸

 「東豊国」大吟醸・普通酒 など

 「超」純米大吟醸・純米酒 など

 「然」本醸造 

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<地理的表示(GI)保護制度> 登録番号 29.  くろさき茶豆

2021-01-23 08:36:50 | 食品

 登録番号 第29号  くろさき茶豆

 特定農林水産物等の区分 第2類 野菜類 えだまめ

 特定農林水産物等の生産地 新潟県新潟市西区黒埼地区、新潟市西区小新的場地区、新潟市西区亀貝寅明地区

 登録生産者団体 新潟市黒埼地区茶豆組合協議会

 特定農林水産物等の特性  『くろさき茶豆』の特性は、小平方茶豆を祖先とする品種群が持つ独特の「色」と「香り」、食感の良さが特徴であり、その「色」はえだまめの莢の中に薄い皮がありその薄皮が茶色なので茶豆と言われる由縁になったといわれている。また「香り」は、ほうじ茶を焙じる時の香りやポップコーンの香りにも例えられるが、えだまめが持つ味・食感にその「香り」が加わることによって、いくら食べても食べ飽きない味を作り出しているといえる。

 『くろさき茶豆』はいわゆる中間型大豆に属し、着莢数が多く、また、一般のえだまめに比べ、莢はやや大きく平べったく、毛茸は淡い茶色という特徴を有している。しかし、「草丈が伸びて倒伏しやすい」「莢の色が褪めやすく品質が低下しやすい」といった性質があるため栽培が難しい品種群である。

 青果市場からは、「茶豆は反収が取りにくく、シーズンが短いですし莢の変色が非常に早いのも特徴です。『くろさき茶豆』は茶豆でありながら莢の色は青々しく、食味に関しても一度試食させるとリピーターがつきます。市場では『くろさき茶豆』はすでにブランド化しているのが現状であり、ゆでた時から感じられる独特な香りと、旨みと甘みの良いバランスが取れているのでお中元に多く使われ、高級感のあるえだまめとして定着しています。」といった高い評価をいただいており、栽培が難しい茶豆の産地として早くから地域一体となって生産・販売に取り組んできた努力により、茶豆の特性である「香り」と「味」を最大限に引き出す技術を定着させて市場の評価を得てきた。

 地方の伝統野菜について書かれた本にも「食味は独特の「香り」があるため、地元の食べ慣れた人には、これ以上おいしい品種はないとの高い評価だが、食べ慣れない人には、時として香気が臭気に変わるらしい。」とその「香り」の強さが紹介されている。

 その他、新潟市の「食と花の銘産品」に指定されているほか、テレビ・新聞・雑誌等にも毎年のように取り上げられ全国的にも一定の知名度を得ている。平成28年4月に新潟市で開催されたサミット関係閣僚会合のG7新潟農業大臣会合でも新潟の特産品として提供したところ、関係閣僚の方々から「上品な甘みと、シャキシャキした歯ごたえ」「食べ始めたらとまらない」「とてもヘルシー」との評価を得た。 

 地域との結び付き -

*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/29.html より

 

 「くろさき茶豆」の特性は、小平方(こひらかた)茶豆を祖先とする品種が持つ独特の「色」と「香り」、食感の良さが特徴であり、その「色」はえだまめの莢の中にある薄い皮が茶色なので茶豆と言われる由縁になったといわれています。また「香り」は、ほうじ茶を焙じる時の香りやポップコーンの香りにも例えられますが、えだまめが持つ味・食感にその「香り」が加わることによって、いくら食べても食べ飽きない風味を醸し出しています。
 莢を多く着け、また一般のえだまめに比べ、莢はやや大きく平べったく、毛茸は淡い茶色という特徴を有しています。一方で、草丈が伸びて倒伏しやすい、莢の色が褪めやすく品質が低下しやすい、といった性質があるため、栽培が難しい品種でもあります。
 「くろさき茶豆」は反収が取りにくく、シーズンが短いのですが、茶豆でありながら莢の色は青々しく、一度試食するとリピート率が高いことから、市場ではブランドとして定着しています。ゆでた時から感じられる独特な香りと、旨みと甘みの良いバランスが取れているので贈答品に多く使われ、高級感のあるえだまめとして高い評価を獲得しています。栽培が難しい茶豆の産地として早くから地域一体となって生産・販売に取り組んできた努力により、茶豆の特性である「香り」と「味」を最大限に引き出す技術を定着させてきた成果と言えます。

 「くろさき茶豆」の生産地区は、信濃川下流の沖積土地帯に位置し、圃場の大半は海抜ゼロメートル地帯の転作田で、その肥沃な土壌はえだまめの生育に最適です。しかしながら、「くろさき茶豆」は他のえだまめ品種にくらべると栽培管理が難しい品種で、播種期が早いと徒長倒伏のおそれがあります。これを産地一体となった取組で克服し、品種適性に合わせた作型と適正な肥培管理が行われています。
 栽培にあたっては、特に「香り」「味」を有する品種の特性が十分発揮されるよう、播種と収穫の時期を適切に設定し、「朝取り」を基本とする鮮度保持、追肥に重点を置いた適切な肥培管理を行い、さらに有機物施用や土壌改良資材の施用による土づくりも取り組まれています。

 「くろさき茶豆」の特性である「色」「香り」「味」については品種によるところが大きいですが、その品種の成立は生産地と深いかかわりを持っています。「くろさき茶豆」の祖先である「小平方茶豆」は明治末期(1910年代)に山形県鶴岡市から取り寄せた茶豆種子を、黒埼地区の小平方集落において長い年月をかけて、「香り」が強く地元の気象や土壌に適するものを選抜してきた経過があり、その種子は「門外不出」として大切に守られてきました。
 その後、1970年代から米に替わる作目として黒埼地区一円に栽培が拡がり、この時期に「くろさき茶豆」と命名されました。やがて県内全域に茶豆の栽培が広がっていきましたが、「くろさき茶豆」の名称は生産地で生産されたもののみに使用されています。
 出荷先も地元に留まらず関東市場にも広がって行きましたが、当初は、豆の色が黒い、独特の香りがするなど、なかなか馴染めないという評価でした。ところが次第に茶豆本来の味、香りが評価されてくるにつれ、この茶豆の特徴が、逆に他に求めがたい特質として評価されるまでになってきました。  

*https://gi-act.maff.go.jp/register/entry/29.html より

 

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<漢字検定> 準1級 四字熟語 19.回答 20.出題

2021-01-23 08:31:15 | 漢字検定

 前回の回答

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 


 問1 豹死留皮-ひょうしりゅうひ-死後に名声を残すこと。生きている時に功績を上げて、死後に功績と名を残すことをいう。動物の豹は、死後に美しい毛皮を残すという意味から。「豹は死して皮を留む」とも読む。

 


 問2 鷹視狼歩-ようし-ろうほ-たかのように鋭い目つきと、おおかみのように欲深く獲物を求めるような歩き方。猛々しく欲深で残忍な人物の形容。また、勇猛ですきを見せない豪傑の形容としても用いられる。▽「鷹視」は欲深で凶悪な人の鋭い目つきのたとえ。

 


 問3 杜黙詩撰-ともくしさん(ともくしせん)-詩や文章にたくさんの間違いがあって、いい加減なこと。「杜黙」は人の名前。「詩撰」は詩や文章を作ること。中国の詩人の杜黙の作る詩や文章は、定型詩の格式にほとんど当てはまっていなかったということから。「杜撰」という形で使うことが多い言葉。

 


 問4宛転蛾眉-えんてんがび-美しい容姿を言い表す言葉。「宛転」は三日月の形をした美しい眉。「蛾眉」は蛾の触角のように細く長い眉。唐の美女の楊貴妃をたとえた言葉。

 


 問5 河山帯礪-かざん-たいれい-永久に変わらない堅い誓約のたとえ。また、国が永遠に栄え安泰であるたとえ。たとえ広い黄河が帯のように細くなり、高い泰山たいざんがすりへって砥石といしのように平らになるようなことがあっても、永久に変わることはない意から。▽「河」は黄河のこと。「山」は泰山の意。「礪」は砥石の意。

 

 今回の出題

 

 問1から問5の四字熟語の読み方を答えてください。
 ※読み方が複数あるものには代表的な読みを答えとして表示しています。

 

 問1 飛鷹走狗

 

 問2 繁劇紛擾

 

 問3 禾黍油油

 

 問4 呑雲吐霧

 

 問5 加持祈祷

 

 *漢字検定Web問題集 HP より

 *goo辞書・四字熟語辞典ONLINE より 

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<経産大臣指定伝統的工芸品> 岩手 浄法寺漆

2021-01-23 07:26:38 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「浄法寺塗」

 「浄法寺塗」の魅力は、国産漆ならではの落ち着いたつや。蒔絵などの加飾をほどこさない無地の器が多く、それゆえつやの輝きが最大限に発揮される漆器。使い込むほどに味わい深いつやが増してきます。

*https://www.iwatekensan.co.jp/craft/craft009.php より

*https://kougeihin.jp/craft/0503/ より

 「浄法寺塗」は、当地で採取される「浄法寺漆」があってこそ。

 「浄法寺漆」とは、主として岩手県二戸市浄法寺町を本拠として活動する漆掻き職人が、岩手県北や青森県南部、秋田県北東部の漆の木から採取した生漆(きうるし)をいう。

 漆は、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料である。21世紀時点で、そのコストの安さから日本国内で使用される漆の98%以上を中国からの輸入に頼る中で、浄法寺漆は、日本一の生産量(国産の約7割)と高い品質を誇る。

 歴史
 平安時代に二戸市浄法寺町の八葉山天台寺の僧たちが使っていた「御山御器」は、漆器「浄法寺塗」のルーツとされ、地元である浄法寺産の漆が塗られていたとみられている。ただし、浄法寺地域での漆掻きの開始が記録として残されているのは、江戸時代からである。

 江戸時代になると南部家盛岡藩の統制下、この地方に漆掻奉行が置かれ、漆は他領へ持ち出すことを禁じられた。漆とともに実も採取し使用するため、木を弱らせない「養生掻き」という掻き方をしていた。

 明治期になると漆の需要が高まり、福井県今立町(現・越前市今立地区)の「越前衆」と呼ばれる漆掻き職人たちが浄法寺まで出稼ぎに来た。一本の木から一年で全ての漆を採り尽くす「殺し掻き」の方法で採取された。

 その後、昭和期から平成期にかけて、岩手県の中尊寺金色堂、京都府の金閣寺、栃木県の日光東照宮・二荒山神社・輪王寺といった、世界遺産・国宝級の文化財の修復に用いられた。文化庁は2015年2月、国宝や重要文化財を修繕する際は国産漆を使うよう通知した。文化庁の推定によると、必要な国産漆は年2.2トンで、現状の国内生産量(1.2トン)はその半分程度である。浄法寺地域に昭和20年代には300人あまりいた漆掻き職人も平成期に入ってからわずか20人程へ減少。職人の高齢化も著しく、漆の苗木も不足気味となっている。

 そこで二戸市は2016年度、志望者をいったん市職員として採用し、数年かけて漆掻き職人に育てる「うるしびと」制度を設け、20~40歳代の応募者が修行している。また市内で約15万2000本まで減った漆の植樹も奨励している。「日本うるし掻き技術保存会」は、国の選定保存技術「日本産漆生産・精製」技術の保存団体に認定され、文化庁の支援を受け、若手研修生への指導を実施している。

*Wikipedia より

 「浄法寺漆」の特徴
 漆は、主成分であるウルシオールの含有量が多ければ多いほど、上質であるといわれています。漆の生産地は中国や韓国にもありますが、浄法寺漆は含有量が高く、約70〜75%ものウルシオールを含みます。
 漆の中の漆ともいえる浄法寺漆は、採取する段階でも品質が微妙に変わります。一日のうちでも、朝掻いた漆と夕方のものでは質が違い、職人の技術や採取する時期によっても異なるもの。6月から7月に採れる漆は「初漆」、最盛期である8月のものは「盛り漆」、9月に採れる漆は「末漆」というように、時期によってそれぞれの特徴があります。
 また、岩手県と二戸市は、2009年に国産漆で初となる認証制度を設定。第三者機関である認証委員会が、伝統的な漆掻きの技術によって、限定した地域で採取され、品質を保証したものだけに「浄法寺漆認証マーク」を付けて出荷しています。職人による丁寧な仕事と厳しい基準によって、「浄法寺漆」の品質が保たれているのです。
 枝集めに使うナタ、皮を取るカマ、傷をつける漆カンナ、採取に使うヘラなど、高い技術を持つ岩手の漆掻き職人は、十数種類もの道具を巧みに使い分けます。
 金属の部分は鍛冶屋が用意しますが、「柄」をつけるのは漆掻き職人の仕事。カマの突起部分やカンナの柄のおしりの膨らみ具合など、形状の一つひとつに意味があり、自分の手に馴染むように調整し、あるいは自分で道具を作って漆掻きの作業にのぞみます。
 新しい道具を使い始める時も、徐々に道具を慣らしていき、7月下旬から8月にかけての最盛期に合わせ、ベストな状態に持っていくのだとか。職人たちは、50年、60年と大事に道具を使い続けながら、一本一本の木に向き合い、丁寧に漆を掻いています。

*http://www5.pref.iwate.jp/~urushiiwate/iwate_feature.html より

 

 

 

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